トーキョー・シティ地下研究施設。
Ω装置中枢。
壁面を覆う表示が、静かに更新され続けていた。
【2080 Ω/EXPANDED MODEL】
【FIRST KEY:RIKU ROKUJO】
【CONNECTION:NOT ESTABLISHED】
【SECOND KEY:ABIGAIL AMY ARMSTRONG】
【CONNECTION:NOT ESTABLISHED】
【HINA INTEGRATION MODEL:99.8%】
【PHYSICAL EXECUTION:LOCKED】
ラズは中央端末の前に立っていた。
未接続を示す二つの鍵の表示を脇に残し、陽名のモデルを中央へ広げる。
黒い強化戦闘服。
赤い髪。
赤い瞳。
少し離れた場所。
EVAの実体ユニットが同じ表示を見ている。
銀白色の髪。
青灰色の瞳。
人間の女性を思わせる輪郭を持つ機械身体。
「99.8」
ラズが数字を読む。
「あと0.2%」
「モデル上は」
EVAが答える。
「そういう言い方すると思った」
「事実です」
「嫌いじゃないよ」
ラズが表示へ触れる。
陽名。
これまで取得した映像。
音声。
熱源。
スプロケットとの接触記録。
ネクス能力者との共鳴傾向。
記律の石に関連する反応。
人物識別系で発生する不一致。
追跡系統間のずれ。
ラズとEVAが集めたデータが一つの演算モデルへ重ねられている。
追加された記録の項目が順に確定へ変わっていく。
「これで」
ラズが言う。
「黒須の研究に残っていた空白を埋められる」
EVAはすぐには答えない。
「異論あり?」
「あります」
「どうぞ」
「黒須蔵人が残したものを」
EVAが画面を見る。
「単純な解析不足と呼ぶことには賛成できません」
「知ってる」
ラズは笑った。
「黒須はΩを動かせるところまで作っていた」
「それでも実行しなかった」
「人類を救うためであっても」
EVAが続ける。
「一人の人間が、人類全体の未来を決定してはならないと判断した」
「そう」
ラズは頷く。
「だから封印した」
「理解しているのですね」
「理解してるよ」
「その上で」
「反対してる」
ラズは中央表示へ視線を戻した。
「選ばない権利はある」
「でも」
「選ばない間に全部なくなるなら?」
EVAは黙る。
「未知の上位存在が来る」
「人類に対抗手段がない」
「その可能性を知っている」
「それでも」
ラズが指を開く。
「誰かが全員で答えを出してくれる日まで待つ?」
「あなたは待たない」
「待てない」
「違うね」
一拍。
「待たないと決めた」
EVAがラズを見る。
「それも」
「あなた自身の選択です」
「うん」
「人類全体の選択ではありません」
「それも分かってる」
EVAの疑似呼吸が一度だけ入る。
「なら」
「だから君がいる」
ラズが先に言った。
「私は承認装置ではありません」
「知ってる」
「僕に従うためにいるわけでもない」
「はい」
「僕が間違っているなら」
ラズはEVAを見る。
「君が違うって言う」
「それを期待していますか」
「期待してるんじゃない」
少し笑う。
「信頼してる」
EVAは返事をしなかった。
ラズへ向けていた目を表示へ戻す。
表示だけが進む。
【HINA INTEGRATION MODEL:99.9%】
⸻
別区画。
ガンマチームは地下研究施設の保守路を進んでいた。
先頭。
アビゲイル。
その後ろ。
リョウ。
ジャン。
陽名。
陽名の胸元では。
五枚のドッグタグが歩くたびに小さく触れ合っていた。
デルロイ。
ファイシル。
キャメロン。
アレクセイ。
ジョイ。
「次の隔壁」
アビゲイルが言う。
「ジャン」
「確認中です」
ジャンが端末を見る。
【LOCAL SECURITY NODE:ACTIVE】
【CENTRAL CONTROL:OFFLINE】
【EXTERNAL AUTHORITY:DETECTED】
「局地ノードだけ生きてます」
「EVA?」
「同じ権限文字列です」
「支配されてる?」
「そこまでは分かりません」
ジャンは画面を切り替える。
「少なくとも、中央から全部動かしてる状態じゃない」
「この区画へ残ってる経路だけです」
「なら切れる?」
「試します」
「無理なら言って」
「はい」
リョウが歩きながら小さなスナックバーを口へ入れる。
アビゲイルが横目で見る。
「今?」
「今だから」
「腹減って動けなくなったら困るだろ」
「《クロガネ》の燃料じゃないでしょう」
ジャンが端末を見たまま言う。
「オレの燃料ではある」
「それは否定しません」
リョウが包装をポケットへ押し込む。
「よし」
腕へ黒銀色が広がる。
《クロガネ》。
「いつでも行ける」
アビゲイルが正面を見る。
《ミライメージ》。
瞳へ淡い白銀。
数秒先。
分岐。
一つ。
二つ。
三つ。
右。
局地防衛ドローン。
左。
隔壁閉鎖。
中央。
警戒センサー。
さらに先。
どの分岐も。
最終的には同じ地下区画へ近づいていく。
未来が壊れているわけではない。
選べる道が。
少なくなっている。
「左」
アビゲイルが言う。
「12秒後に中央通路が閉じる」
「ジャンは通信経路を維持」
「リョウ、左隔壁が動いたら止めて」
「了解!」
「了解です」
陽名がアビゲイルを見る。
「わたしは?」
「私の後ろ」
「うん」
アビゲイルが走り出す。
陽名も続く。
五枚のタグ。
小さな金属音。

⸻
ジャンの端末が鳴った。
【INCOMING LOCAL AUDIO LINK】
「……通信?」
走りながら確認する。
「発信元」
【EVA】
アビゲイルが止まらず聞く。
「内容は?」
「音声回線だけです」
「映像なし」
「侵入処理も今のところありません」
「切る?」
リョウが聞く。
アビゲイルは先の通路を見たまま一瞬考える。
「開いて」
「了解」
ジャンが受信する。
『聞こえる?』
男の声。
「ラズ」
アビゲイルの声が低くなる。
『正解』
「何の用?」
『今回は君じゃない』
一拍。
『陽名』
陽名が顔を上げる。
「わたし?」
『うん』
陽名がジャンを見る。
「話していい?」
ジャンはアビゲイルを見る。
アビゲイルが頷く。
「自分で決めて」
陽名が端末へ近づく。
ジャンは歩調を合わせ、音声を拾う側を少女へ向けた。
「ラズ?」
『久しぶり』
「さっきも会ったよ」
『そうだった』
僅かな笑い。
『君についてね』
『ようやく必要なモデルが完成する』
「モデル?」
『君が何だったのか』
『Ωへどう組み込めるのか』
『その答え』
陽名が少し考える。
「わたしの答え?」
『僕たちの答えかな』
「わたしは?」
ラズの返事が一瞬止まる。
「わたしの答えは?」
アビゲイルが陽名を見る。
一行の足が止まった。
リョウもジャンも口を挟まない。
『聞かせてよ』
陽名が胸元へ触れる。
五枚のドッグタグ。
「わたし」
短い間。
「陽名だよ」
『知ってる』
「じゃあ」
陽名が首を傾げる。
「空白ってなに?」
通信の向こう。
ラズが黙った。
「わたしには」
一枚。
タグが鳴る。
「名前あるよ」

沈黙。
『……うん』
ラズの声。
『それも知ってる』
陽名はそれ以上言わなかった。
通信が切れる。
ジャンが画面を見る。
「向こうから終了しました」
リョウが息を吐く。
「結局なんだったんだ?」
「分からない」
アビゲイルが答える。
「でも」
陽名を見る。
「本人は答えた」
「うん」
陽名が頷く。
「行こう」
アビゲイルが再び前を向く。
「陽名を何に使うつもりでも」
一拍。
「本人を置いて決めさせない」

リョウの口元が上がる。
「それなら分かりやすい」
ジャンも端末を閉じる。
「ボクも賛成です」
「行くよ」
三人。
そして陽名。
再び走る。
⸻
Ω装置中枢。
通信終了。
ラズは端末から手を離した。
同時。
【HINA INTEGRATION MODEL:100.0%】
【MODEL CONVERGENCE:COMPLETE】
ラズが表示を見る。
「……100」
「はい」
EVAが答える。
次の表示。
【PERSON IDENTIFICATION:INCONSISTENT】
【RESPONSE PREDICTION:UNRESOLVED】
【BEHAVIORAL FIXATION:FAILED】
ラズの眉が僅かに動く。
完了したモデルの項目を開き直した。
「完成したのに?」
「モデルは完成しています」
「でも予測できない」
「はい」
「矛盾してない?」
「いいえ」
EVAは表示を指す。
「あなたが設定した入力条件に対して」
「演算モデルが100%へ到達しただけです」
「陽名本人を100%理解したという意味ではありません」
「……」
「モデルと対象は同一ではありません」
ラズがEVAを見る。
「ミーラみたいなこと言うね」
「彼女の記録も参照しています」
「なるほど」
「ですが」
EVAは続ける。
「これは私自身の判断です」
ラズが少し笑った。
「そこ大事?」
「はい」
「そう」
ラズは再び画面を見る。
【HINA INTEGRATION MODEL:100.0%】
【RESPONSE PREDICTION:UNRESOLVED】
「100%なのに」
小さく呟く。
「まだ空欄がある」
「空欄ではありません」
「じゃあ?」
「陽名本人の選択です」
ラズの笑みが消えた。
EVAは淡々と続ける。
「現時点のモデルには」
「本人が自分をどう定義するかという項目を」
「外部から固定できる根拠がありません」
「追加すれば?」
「数値化するための根拠がありません」
「推定値は?」
「作成可能です」
「でも?」
「仮説です」
一拍。
「事実ではありません」
ラズが天井を見上げた。
「最近」
「みんな空欄を空欄のまま残したがるね」
「あなたが埋めすぎるのでは?」
「痛いところ突くなぁ」
「意図しました」
ラズがEVAを見る。
「そこも変わったね」
「変化は継続しています」
「知ってる」
⸻
EVAが別の表示を開く。
【Ω EXECUTION CONDITIONS】
【FIRST KEY:NOT CONNECTED】
【SECOND KEY:NOT CONNECTED】
【EXPANDED HINA MODEL:COMPLETE】
【EXECUTION:STANDBY】
「ラズ」
「なに?」
「Ω実行の保留を提案します」
ラズが止まる。
「理由」
「複数」
EVAが列挙する。
「第一鍵未接続」
「第二鍵未接続」
「陽名の応答予測不能」
「[デルタチーム]の自律回復」
「アビゲイル・アームストロングの拒否可能性」
「リク・ロクジョウの行動予測不確定」
「そして」
一拍。
「現在のモデルは」
「人間の選択を予測誤差として扱いすぎています」
ラズは黙って聞いている。
EVAは列挙した条件を消さずに返答を待った。
「それ」
やがて言う。
「計画を止める理由としては弱いよ」
「理解しています」
「未知の脅威は」
「こっちの議論が終わるまで待ってくれない」
「理解しています」
「人類が選び終わるまで」
「丁寧に待ってもくれない」
「はい」
「僕には」
ラズが画面を見る。
「今より良い答えがない」
EVAは彼を見る。
「それが」
「僕が正しいからやるんじゃない」
「これ以上の答えが見つかってないから」
「僕がやる」
EVAの疑似呼吸。
一度。
「では」
「もし」
「それより先の答えが示されたら?」
ラズの赤い瞳がEVAを見る。
返答まで。
少しだけ時間が掛かった。
「従うよ」
「本当に?」
「君に嘘ついたことある?」
「ありません」
「君もない」
「はい」
「だから」
ラズは小さく笑う。
「その時は認める」
「僕が答えじゃなかったって」
EVAはしばらくラズを見る。
「記録しました」
「すると思った」
⸻
警告。
【LOCAL SECURITY NODE:BREACH DETECTED】
【GAMMA TEAM:APPROACHING】
ラズが表示を見る。
「来た」
「はい」
「リクも?」
「別系統から移動中」
「[デルタチーム]は?」
「独自行動を開始」
「[スペリオルズ]も?」
「複数名が地下区画へ移動しています」
ラズが目を細める。
「役者が勝手に集まってくる」
「あなたが集めたのでは?」
「最初はね」
「今は?」
EVAが問う。
ラズは少し考える。
「今は」
一度。
肩をすくめる。
「勝手に来てる」
「それをどう評価しますか」
「面倒」
すぐ答える。
「でも」
表示を見る。
「無視はできない」
EVAは何も返さない。
中央画面。
【HINA INTEGRATION MODEL:100.0%】
そのすぐ下。
【RESPONSE PREDICTION:UNRESOLVED】
数字は変わらない。
ラズはしばらく。
二つの表示を見比べた。
「空白は」
小さく言う。
「埋まった」
EVAが聞く。
「本当に?」
ラズは答えなかった。
通信履歴の最後。
【HINA/VOICE RECORD】
『わたしには、名前あるよ』
100.0%。
その数字だけが。
静かに残っていた。


コメント