第2部『403_FORBIDDEN』INTERRUPT_08|CHECKMATE

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クロス・バグ三部作(絶賛連載中)

 最後の固定座標は、まだ消えていなかった。

 スプロケットは旧搬送通路の角から顔を出し、正面の広い保守区画を見た。

 天井灯の半分は落ちている。

 床には長く使われていない搬送レールが残り、その先に低い円形設備が埋め込まれていた。

 人影はない。

 銃口もない。

 飛行音も聞こえない。

「……あそこ」

 スプロケットが指す。

 アイリーが隣から覗く。

「本当に何もいないね」

「うん」

「それが怖い?」

「ちょっと」

 明が先に床を見る。

 壁際。

 天井。

 隔壁。

 配管。

 視線を順番に動かした。

「最近動いた跡はあります」

 マッハラインが身を乗り出す。

「[ネクス・ハウンズ]?」

「分かりません」

「でも誰か来てる?」

「たぶん」

 クロニアスは何も言わず、手帳を開いた。

 スプロケットはもう一度だけ周囲へ意識を広げる。

 近くの〈センチレット〉は生きている。

 応答もある。

 だが、上位系統へ繋がらない。

【LOCAL 〈CENTILLET〉:AVAILABLE】
【〈CENTRIO〉 LINK:LOST】
【SECURITY RESPONSE:NONE】
【FIXED COORDINATE:LOCKED】

 表示内容は直前の確認時から変わっていなかった。

「行く」

 アイリーが先に出る。

 スプロケットも続いた。

「待って」

 マッハラインが一歩だけ前へ出て止まる。

 四人が見る。

「……いや、今じゃない」

 そのままスプロケットの横へ戻った。

 五人は距離を保ったまま保守区画へ入る。

 何も起きない。

 固定座標まで20メートル。

 15メートル。

 10メートル。

 スプロケットの視界に警告は出なかった。

 最後の5メートルを歩き、円形設備の前へ膝をつく。

 表面へ手を置く。

 弱い信号が指先から腕へ上がった。

 拒絶はない。

「どう?」

 アイリーが聞く。

「固定されてる」

「じゃあ帰れる?」

「まだ」

 マッハラインが肩を落とす。

「またそれか」

「[ヘヴン]と繋がってない」

 スプロケットは目を閉じる。

 〈センチレット〉へ触れる時より深く意識を沈めた。

 都市側の情報は追わない。

 最後の座標だけを残す。

 位置。

 係留。

 外部参照。

 その先。

 何もない場所へ《サイバー・リゾナンス》を伸ばす。

【FIXED COORDINATE:LOCKED】
【MOORING RESPONSE:STABLE】
【EXTERNAL ANCHOR:AVAILABLE】
​
【HEAVEN LINK:SEARCHING】

 最初の反応は返らなかった。

 スプロケットは接続を切らない。

「スプロケット?」

 アイリーの声が近い。

「大丈夫」

「顔、ちょっと白いよ」

「まだいける」

 指先の感覚が薄くなる。

 代わりに円形設備の奥にある信号だけが強くなった。

 都市網を経由していない。

 自分の中を通っている。

 ノイズが耳の奥へ溜まる。

 知らない声にはならない。

 映像にもならない。

 ただ、遠くに一つだけ応答がある。

 スプロケットはそこへ接続を重ねた。

【HEAVEN LINK:SEARCHING】
【HEAVEN RESPONSE:――】

 表示が一度途切れる。

 次の瞬間、最後の行が変わった。

【HEAVEN RESPONSE:DETECTED】

「来た」

 自分の声が少し遅れて聞こえた。

「何?」

 アイリーがしゃがむ。

「ヘヴン」

 マッハラインがゴーグルを上げる。

「繋がった!?」

「まだ反応だけ」

「あと何すればいい?」

「係留を合わせる」

 スプロケットは呼吸を整え、接続位置をずらした。

 ヘヴン側から返る反応は細い。

 掴もうとすると逃げる。

 追わずに待つ。

 近づいてきた時だけ触れる。

 外部アンカーの数値が少しずつ上がる。

【EXTERNAL ANCHOR:SYNCING】
【22%】
【31%】
【46%】

「半分いきそう」

 明が表示を見る。

「周り、見てます」

「お願い」

 スプロケットは接続から意識を外さない。

 50%。

 61%。

 そこで左側の照明が消えた。

 スプロケットが目を開ける。

 一列だけ。

 それ以外は点いたまま。

「停電?」

 アイリーが立つ。

「違う」

 明が左を見る。

 暗くなった通路の奥で隔壁がゆっくり下がっていた。

「閉じてます」

 金属音が広い区画へ響く。

 マッハラインがそちらへ身体を向ける。

「止める?」

「まだ」

 スプロケットは接続へ戻る。

 固定座標そのものには何も起きていない。

【EXTERNAL ANCHOR:64%】
【FIXED COORDINATE:LOCKED】

 今度は右奥から機械音がした。

 古い保守扉が閉じる。

 その隣の通路は開いたまま。

 正面もまだ通れる。

「……来たね」

 アイリーが言う。

「うん」

「ハウンズ?」

「たぶん」

 攻撃は来ない。

 五人へ近づく反応もない。

 ただ、使える場所だけが減っていく。

 スプロケットは周辺の〈センチレット〉へ浅く触れる。

【SECURITY RESPONSE:NONE】
【REMOTE CONTROL SOURCE:UNRESOLVED】
【LOCAL ROUTE C:CLOSED】
【LOCAL ROUTE D:CLOSED】

「……同じ」

「何が?」

 アイリーが聞く。

「帰る場所だけじゃない」

 スプロケットは閉じた通路を見る。

 もう一つ隔壁が動いた。

「帰れなかった後の道も減らしてる」

 明が残った三本の経路を確認する。

「最後に残す道まで決めてるんですね」

 スプロケットは答えなかった。

 アンカー同期が続いている。

【EXTERNAL ANCHOR:72%】

 正面遠方で重い足音が一度だけ響いた。

 アイリーがそちらを見る。

 黄色い識別灯。

 巨大な装甲。

 黄色い重装型のハウンドが通路の中央へ入ってきた。

 走らない。

 銃口も上げない。

 ただ止まる。

 左右には通れる幅が残っていた。

「アイリーさん」

 明が先に言う。

「うん」

「一人なら行けます?」

 アイリーは黄色い重装型を見る。

 床。

 天井。

 左右の柱。

 装甲。

「たぶん」

「全員だと?」

 アイリーは一度だけクロニアスを見る。

「無理」

 マッハラインがゴーグルを下ろす。

「俺なら抜けられる」

「うん」

「行く?」

 アイリーは首を横へ振った。

「行かない」

「了解」

 マッハラインは動かなかった。

 黄色い重装型も動かない。

 互いの距離だけが残る。

 スプロケットは接続へ戻る。

【EXTERNAL ANCHOR:81%】

 ヘヴン側の反応が近くなった。

 今度は遠い信号ではない。

 面として広がり始めている。

「もう少し」

 右側で警告音が鳴る。

 明が振り返った。

「隔壁、また来ます!」

 天井から二枚の防火隔壁が降り始める。

 固定座標から最も広い退避路を切る位置だった。

 アイリーがそちらへ向く。

「止める?」

「壊したら天井も来ます!」

 明が壁面を見る。

 視線が途中で止まる。

 隔壁ではない。

 その横にある小型駆動箱。

「これなら」

 床へ落ちていたボルトを拾う。

 手の中で握る。

 ボルトに光が短く走った。

 明はボルトを駆動箱の手前へ投げる。

 小さな爆発。

 箱の外装が歪む。

 隔壁が途中で引っかかった。

 完全には止まらない。

「5秒!」

 明が叫ぶ。

 マッハラインが前を見る。

 一瞬だけゴーグル越しに何かを追う。

「今だ!」

 走った。

「マッハライン!」

 アイリーの声が遅れる。

 彼の姿はもう隔壁の向こうにいた。

 閉じかけた通路。

 壁際。

 手動解除盤。

 マッハラインが操作部へ手を伸ばす。

 一度押す。

 反応しない。

「こいつ!」

 もう一度。

 解除表示が点く。

【EMERGENCY HOLD:ACTIVE】

 隔壁が止まった。

「戻って!」

 アイリーが叫ぶ。

「分かってる!」

 マッハラインがその場から消える。

 数秒後にはスプロケットの横へ戻っていた。

「間に合った!」

「勝手に行かないで!」

「今しかなかった!」

 アイリーが何か言い返しかける。

 やめる。

「……ありがと」

「おう!」

 スプロケットの表示が変わった。

【EXTERNAL ANCHOR:100%】
【HEAVEN LINK:ESTABLISHED】

「繋がった」

 五人が同時にこちらを見る。

 固定座標の中心に薄い光が集まった。

 最初は一本。

 それが円周へ広がる。

 空気が歪む。

【RETURN SURFACE:FORMING】

「やった!」

 マッハラインが声を上げる。

「まだ入らないで!」

「分かってる!」

 光の向こうに別の空間が重なる。

 輪郭だけ。

 床。

 壁。

 白い照明。

 見覚えのある構造。

「ヘヴン……」

 アイリーの声が小さくなる。

 スプロケットは固定座標から手を離せなかった。

 接続を維持する。

 面が広がる。

 一人分。

 二人分。

 さらに。

 クロニアスが突然後ろへ下がった。

「クロニアス?」

 スプロケットは接続を維持したまま見る。

 彼は帰還面ではなく、床を見ていた。

「どうしたの?」

「……ちょっと待って」

 クロニアスの視線が左右へ揺れる。

「何?」

「ここ」

 手帳を開こうとして止める。

「前にも見た」

「来たことある?」

「違う」

 クロニアスは帰還面を見る。

 その向こうではない。

 少し左。

 何もない床。

「そこに誰かいた」

 スプロケットが見る。

 誰もいない。

「誰?」

「分からない」

 クロニアスの呼吸が浅くなる。

「こっちにも」

 別の場所を見る。

「壁が壊れてた」

 現在の壁は残っている。

「こっちは、光がない」

 帰還面は形成されている。

 クロニアスが目を閉じる。

「全部違う」

「……いつもの残響じゃない」

 スプロケットは接続を切らない。

「何が?」

「過去を見てる感じじゃない」

「じゃあ何?」

「失敗の仕方」

 その言葉と同時に帰還面が揺れた。

【RETURN SURFACE:67%】
【LOCAL STABILITY:DECLINING】

「何!?」

 マッハラインが表示を見る。

「座標は?」

 アイリーが聞く。

「まだ固定されてる!」

 スプロケットは接続を深くする。

【FIXED COORDINATE:LOCKED】
【HEAVEN LINK:ESTABLISHED】

 帰還経路は消えていない。

 ヘヴン側も切れていない。

 その下に新しい警告が出る。

【SAFE TRANSFER CONDITION:FAILED】

「何で?」

 アイリーが近づく。

「現地側」

 スプロケットは周辺状態を開く。

 床面振動。

 電力。

 避難幅。

 係留設備。

 外部圧力。

 複数の値が許容範囲を外れ始めている。

「帰る道はある」

「じゃあ行こう!」

 マッハラインが帰還面を見る。

「待って」

「何?」

 スプロケットは転送条件を展開する。

【TRANSFER TARGETS:05】
【SIMULTANEOUS STABILITY:UNCONFIRMED】
【PARTIAL TRANSFER RISK:HIGH】

 アイリーが表示を見る。

「全員は?」

「分からない」

「一人ずつ?」

「途中で切れたら戻せない」

 マッハラインの口が止まる。

 明が帰還面から一歩離れた。

「やめた方がいいです」

 スプロケットは表示を見たまま動かない。

 ヘヴンはそこにある。

 手を伸ばせば届きそうな距離に見える。

 アイリーが隣へ立つ。

「決めて」

 スプロケットは四人を見る。

 帰還面へ戻る。

 指先を動かした。

【TRANSFER EXECUTION:STANDBY】

 実行欄が残る。

 押さない。

「……やめる」

 マッハラインが帰還面を見る。

「本当に?」

「うん」

「もうできてるぞ」

「全員じゃない」

 スプロケットは実行要求を閉じた。

【TRANSFER EXECUTION:CANCELLED】

 帰還面の光が弱くなる。

 アイリーは何も言わなかった。

 明も動かない。

 クロニアスだけが、まだ存在しない壊れた場所を見ていた。

 スプロケットは接続を完全には切らず、再係留を試す。

「もう一回」

 その瞬間、床が大きく震えた。

 固定座標の外周で金属音が続く。

 攻撃ではない。

 遠くの支持設備が順番に停止している。

【LOCAL STABILITY:42%】
【MOORING ENVIRONMENT:DEGRADED】

「何してるの?」

 アイリーが周囲を見る。

「座標じゃない」

 スプロケットは表示を切り替える。

「周りを落としてる」

 左側。

 閉鎖。

 右側。

 閉鎖。

 黄色い重装型のいる正面は残る。

 後方には、さっきまでと同じように一本の経路だけが開いている。

「逃げ道、一個」

 明が言う。

 スプロケットは後方を見る。

 明るい。

 障害物も少ない。

 五人で通れる。

 都合がよすぎる。

「行かない?」

 マッハラインが聞く。

 固定座標がもう一度揺れた。

【FIXED COORDINATE:LOCKED】
【SAFE TRANSFER CONDITION:FAILED】

 スプロケットは再係留を送る。

 返らない。

【MOORING RESPONSE:LOST】

「待って」

 もう一度。

【MOORING RESPONSE:LOST】

「スプロケット」

 アイリーが呼ぶ。

「まだ」

 検索。

 固定可能地点。

 現在区画。

 旧保守層。

 近隣設備。

 何も返らない。

【RETURN COORDINATE SEARCH:RUNNING】

 スプロケットは画面を見続ける。

 結果が出た。

【CURRENT RETURN CANDIDATES:00】

 指が止まった。

 アイリーが表示を見る。

「……ゼロ?」

「うん」

「別の場所は?」

「ない」

 マッハラインが帰還面を見る。

 光はもうほとんど消えている。

「ヘヴンは?」

「反応はある」

「じゃあまた座標を」

「場所がない」

 最後の光が閉じた。

 円形設備だけが床へ残る。

 固定座標としての登録は残っている。

 だが、帰還には使えない。

 スプロケットは手を離した。

 指先の感覚が戻らない。

「離れる」

 アイリーが後方を見る。

「開いてる道?」

「他がない」

「罠でも?」

 スプロケットは一度だけ黄色い重装型を見る。

 黄色い装甲は動いていない。

 追ってこない。

「ここにいたら閉じる」

「分かった」

 明が先へ出る。

「僕、前見ます」

 クロニアスが手帳をしまう。

「僕も行ける」

 マッハラインはゴーグルを下ろしたまま待っている。

 スプロケットが最後に動く。

「行こう」

 五人は残された通路へ入った。

 最初の角を曲がる。

 攻撃はない。

 次の隔壁も開いている。

 さらに奥。

 通れる。

 スプロケットは足を速めながら周辺信号を拾う。

 一つ。

 右上。

 二つ目。

 後方。

 三つ目。

 地上側。

 四つ目。

 旧通路の先。

 最後の一つが少し離れた位置にある。

 全部、五人の後ろにはいない。

 前にもいない。

 周囲にいる。

 スプロケットの足が一瞬だけ遅くなる。

「どうした?」

 アイリーが振り返る。

 スプロケットは五つの反応を重ねる。

 自分たちが今入った通路。

 その先の区域。

 外側を囲う配置。

【HOUND SIGNATURES:05】
【DIRECT PURSUIT:NONE】

 もう一つだけ表示が出た。

【CURRENT AREA:ENCLOSED】

「……追ってない」

「何?」

「ハウンズ」

 スプロケットは前を見る。

 道はまだ続いている。

「……ここまで含めて、待ってた」

 後ろで隔壁が閉まり始めた。

 五人は止まらない。

 最後の帰還地点からは、もう戻れない。

 前に残っているのは、ハウンズが閉じなかった道だけだった。

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