Scene.15 -「ゆがんだ正しさが歩いてくる」

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▼オリジナル小説

【SPRK-VIS.LOG】

【視界入力:PARTIAL】
【音声入力:FRAGMENTED】
【《CYBER RESONANCE》:RESIDUAL】
【IDENTITY COHERENCE:PARTIAL】
【CONSCIOUSNESS:CONFIRMED】
【PASSIVE RECORD:ACTIVE】

 同時刻。

 トーキョー・シティ旧研究棟。

 〈セントリオ〉中央中枢の停止によって、施設内の照明は局地電源へ切り替わっていた。

 廊下の半分は暗い。

 残った照明だけが、一定間隔で床を照らしている。

 ミーラ・マリクは一人で歩いていた。

 手には、先ほど閉じた補助観測端末。

 M-05。

 最後に自分で入力した名前が、まだ頭に残っている。

 PΣではない。

 ポイゾナスでもない。

 マリカ・マリク。

 端末の中へ書くだけなら簡単だった。

 実際に本人の前へ立つことはまるで違う。

 ミーラは白衣のポケットへ右手を入れた。

 指先へ硬い感触。

 黒曜石のイヤーカフ。

 握らない。

 確認するだけで手を離す。

 正面。

 旧ホールへ続く鉄扉。

 内部から複数の生体反応。

 [スペリオルズ]。

 ミーラは扉の前で止まった。

 閉じた端末を左手に持ち替える。

 呼吸を一度整える。

 認証端末は死んでいる。

 手動レバーを下げる。

 重い扉が開いた。

⸻

 ホールの中央。

 スプロケットは床へ敷かれた簡易シートに身体を預けていた。

 黒いパーカー。

 白髪。

 左頬の赤い[スペリオルズ]紋章。

 〈VRゴーグル〉は装着したままだが、表示の大半は落とされている。

 呼吸は安定している。

 意識もある。

 ただ。

 何度か眉が寄る。

 残留したノイズが完全には消えていない。

 そのすぐ横。

 ポイゾナスが座っていた。

 黒紫の髪。

 耳には黒曜石のイヤーカフ。

 スプロケットの手首を片手で支え、指先を脈へ当てている。

 《ヴェネナム》による鎮静濃度を細かく調整し、神経過負荷を抑えていた。

「……まだ聞こえる?」

 ポイゾナスが聞く。

「少し」

「増えてる?」

「今は増えてない」

「頭痛は?」

「ある」

「吐き気」

「ない」

「自分の名前は?」

 スプロケットが一瞬だけ黙った。

「……スプロケット」

 ポイゾナスの肩から僅かに力が抜ける。

「それならいい」

「毎回聞くの?」

「必要なら」

「しつこい」

「知ってる」

 少し離れた壁際。

 フェイズが腕を組んでいた。

「ドミネーターからは?」

 ポイゾナスは首を横に振る。

「まだない」

「ラズも黙ったままか」

「そうね」

 フェイズが舌打ちする。

「あいつの情報はもう一個ずつ裏を取る」

「最初からそうしてるでしょう」

「足りなかったって話だ」

 声に苛立ちはある。

 視線はポイゾナスの返答を待っていた。

 タウロスはスプロケットの反対側に座っていた。

 大きな身体を小さく折り、いつでも支えられる距離を保っている。

「スプロケ」

「なに?」

「無理なら寝ろ」

「さっきまで寝てた」

「なら、もっと寝ろ」

「タウロス、それしか言わない」

「寝れば治るもんは多い」

「これは?」

 タウロスが少し考える。

「……知らん」

「正直」

「知らんもんは知らん」

 スプロケットの口元が少し動く。

 ホールの奥。

 オラトリオは最初からそこにいた。

 白いフード。

 目隠し。

 両手には水晶玉。

 何も言わず。

 四人を見ている。

 その時。

 鉄扉の音へフェイズが顔を向けた。

「誰だ」

 ポイゾナスも見る。

 タウロスが立つ。

 ミーラはホールへ入った。

 フェイズの右手がナイフへ動く。

「止まれ」

 ミーラは敷かれたシートの手前で止まった。

 端末を開かずに下げておく。

「名乗れ」

「ミーラ・マリク」

 フェイズの目が細くなる。

「世界政府か」

「[世界政府中央科学研究院]特殊解析部門」

 ミーラは続ける。

「クロス・レガシー解析室の管理責任者」

「つまり政府だろ」

「そうね」

 フェイズはナイフから手を離さない。

「何しに来た」

 ミーラは答えようとした。

 だが。

 先に見る。

 フェイズ。

 タウロス。

 スプロケット。

 オラトリオ。

 最後。

 ポイゾナス。

 何十年も。

 直接呼んでいない名前。

「……マリカ」

 ポイゾナスの顔から表情が消えた。

 スプロケットの手首を支える指はそのままだった。

 数秒。

「その名前」

 声は低い。

「まだ覚えてたのね」

「忘れてない」

「今の私はポイゾナスよ」

「分かってる」

 ミーラは即答した。

「勝手に昔へ戻すつもりはない」

 フェイズが二人を見る。

「……知り合いか?」

 ポイゾナスが答える。

「姉よ」

 フェイズの眉が上がった。

 タウロスもミーラを見る。

「姉?」

「ええ」

 ミーラが言う。

「4歳上」

「マジか」

「フェイズ」

「なんだよ。驚くだろ普通」

 ポイゾナスの指が耳へ触れる。

 黒曜石。

 ミーラもポケットへ手を入れる。

 同じ素材のイヤーカフを掌へ出した。

 差し出しはせず、相手から見える高さに留める。

 フェイズが二つを見比べる。

「それも?」

「昔、二人で持っていた一対の片方」

 ミーラが答える。

 ポイゾナスの視線がイヤーカフへ落ちる。

「まだ持ってたのね」

「捨てられなかった」

「意外」

「私もそう思う」

 ミーラはイヤーカフをポケットへ戻した。

 証明のためではない。

 もう必要なかった。

 マリカ本人が、姉だと認めた。

⸻

「それで」

 フェイズが二人の間へ声を入れる。

「家族の話なら後でやれ」

 ナイフから手を離す。

「今はスプロケットだ」

「同意するわ」

 ミーラがスプロケットを見る。

「接触ログを解析した」

 ポイゾナスの目が変わる。

「何が分かったの?」

「事実から言う」

 ミーラは携行端末を開いた。

 スプロケットの側へ表示を傾ける。

【TARGET:HINA】
【ASSOCIATED SUBJECT:SPROCKET】
【PHYSICAL CONTACT:CONFIRMED】
【《CYBER RESONANCE》:ABNORMAL EXPANSION】
【IDENTITY COHERENCE:PARTIAL】
【RESIDUAL DATA:DETECTED】

「陽名側から、攻撃と断定できる反応は出ていない」

 フェイズが聞く。

「じゃあ、こいつがこうなったのは?」

「まだ原因を一つには絞れない」

 ミーラは画面を切り替える。

「接触時に大きく変化したのはスプロケット側」

「《サイバー・リゾナンス》?」

 ポイゾナスが聞く。

「そう」

「電子信号だけじゃなかった」

 スプロケット自身が言った。

 ミーラが彼女を見る。

「何を拾った?」

「分かんない」

 スプロケットの指が僅かに動く。

「声」

「記憶」

「気持ち」

「場所」

「ぼくが知らないのに、知ってるみたいなもの」

「現在も?」

「少し」

 ミーラは記録する。

 指が止まるたびにスプロケットの顔へ目を戻した。

「自分と他人の区別は?」

「今はできる」

「完全に?」

 スプロケットが少し考える。

「……たぶん」

 ミーラは端末から顔を上げる。

「分からないなら、分からないでいい」

 スプロケットが彼女を見る。

「そういう人なの?」

「最近そうすることを覚えた」

 フェイズが小さく鼻を鳴らす。

「遅ぇな」

「否定しない」

 ポイゾナスが聞く。

「この子は元に戻る?」

 ミーラはすぐには答えなかった。

「接触前と完全に同じ状態へ戻る」

 一度区切る。

「そういう意味なら、分からない」

「……」

「現在の記録では部分的に回復している」

 スプロケットを見る。

「意識もある」

「生命危機を示す記録も、今のところない」

「ただし」

「接触時に流入した情報は残っている」

「消せる?」

「少なくとも、私が持っている解析技術で簡単に削除できるものではない」

 ミーラは明確に言った。

「解除コードもない」

 ポイゾナスが目を細める。

「なら、何のために来たの?」

「二つある」

「一つは?」

「何が起きたかを分かる範囲だけ伝えるため」

「もう一つ」

 ミーラの指が端末の縁で止まる。

 ポイゾナスを見る。

「あなたに会うため」

 フェイズが目を逸らす。

「……昔話になるなら外すぞ」

「ならない」

 ミーラは言った。

「長くは」

⸻

 ポイゾナスはスプロケットの手首をシートへ戻して立ち上がった。

 シートのそばで姉妹が向かい合う。

 身長差。

 髪。

 服装。

 立場。

 名前。

 ミーラは目の前の姿を見た。

 昔の妹を呼んだ時と同じ距離では話せなかった。

「何を言いに来たの?」

 ポイゾナスが聞く。

「謝罪?」

「それだけで済むとは思っていない」

「じゃあ何?」

 ミーラは答える。

「14歳の私は報告するのが正しいと思った」

 ポイゾナスの目が動かない。

「あなたの《ヴェネナム》を世界政府へ報告する」

「管理できる施設へ移す」

「専門家へ任せる」

「それが安全で」

「社会のためで」

「あなたのためでもあると思った」

「……」

「私は制度を信じた」

 ミーラの声は変わらない。

「あなたの隣に立つより」

「報告する方が正しいと思った」

 ポイゾナスの拳が僅かに閉じる。

「それで私は研究施設へ送られた」

「ええ」

「10歳で」

「ええ」

「姉さんはその後も研究を続けた」

「続けた」

「私は7年かけて逃げた」

「知ってる」

「知ってる?」

 初めて。

 ポイゾナスの声へ怒りが混じった。

「知ってるだけ?」

 ミーラは反論しなかった。

 手元の端末へ目を逃がさずに聞いていた。

「そうね」

 短く答える。

「私は知っていただけ」

「……」

「何十年も」

「自分の判断が正しかった理由を探していた」

 ポイゾナスの目が細くなる。

「今は?」

「正しかったとは言えない」

「間違っていた?」

 ミーラが止まる。

 端末を持つ指へ力が入る。

 また一つの言葉で過去を分類しようとしている。

「結果として」

 ミーラは言う。

「私はあなたの人生をあなたより先に決めた」

 ポイゾナスは何も言わない。

「それは事実」

「今さら姉だと言えば許されるとも思っていない」

「許してほしいとも?」

「思っていない」

「嘘ね」

 ミーラの目が僅かに動く。

「……そうかもしれない」

 ポイゾナスが息を吐く。

「そこは認めるのね」

「今は」

 一拍。

「でも」

 ミーラは続ける。

「今度はあなたの選択を私が決めない」

 ポイゾナスが姉を見る。

「それを言うために来た?」

「それもある」

「遅いわ」

「知ってる」

「本当に遅い」

「知ってる」

 沈黙。

 和解ではない。

 許しでもない。

 それでも。

 ポイゾナスは姉から視線を逸らさなかった。

⸻

「昔の話は終わったか?」

 フェイズ。

 ポイゾナスが振り返る。

「あなたね……」

「スプロケット優先って言ったのお前だろ」

「そうだったわね」

 タウロスがスプロケットの前へしゃがむ。

「スプロケ」

「なに?」

「どうする」

 スプロケットが瞬きをする。

「何を?」

「次だ」

「ここにいるか」

「動くか」

「また繋ぐか」

「切るか」

「お前が決めろ」

 スプロケットの視線がタウロスからポイゾナスへ移る。

 フェイズ。

 オラトリオ。

 最後。

 ミーラ。

 誰も答えを言わない。

 差し出される言葉を待つうちにスプロケットはゴーグルへ手を上げた。

「ぼくは……」

 〈VRゴーグル〉の縁へ指先を添える。

 まだ。

 小さなノイズがある。

 知らない声も。

 知らない記憶も。

 消えていない。

「今は繋がない」

 タウロスが頷く。

「うん」

「でも」

 スプロケットは続ける。

「消さない」

 ポイゾナスが聞く。

「残った記録を?」

「うん」

「危険かもしれない」

「分かってる」

「また同じことになる可能性もある」

「それも分かってる」

「それでも?」

 スプロケットの手がゴーグルから離れる。

 シートへ置いた指で自分の身体を支え直した。

「何が入ったのか」

「ぼくは知りたい」

「でも」

 一度息を吸う。

「次に繋ぐかどうかは」

 自分の胸を指す。

「ぼくが決める」

 タウロスが笑った。

「それでいい」

 フェイズも壁から背を離す。

「なら、今は繋ぐな」

「命令?」

「忠告」

「どっちも似てる」

「細けぇな」

 ポイゾナスがスプロケットの肩へ手を置く。

「少なくとも今日は休んで」

「それは命令?」

「医療判断」

「ずるい」

「便利でしょう」

 スプロケットが少し笑った。

⸻

 部屋の奥。

 オラトリオが水晶玉へ指を添えた。

 ここまで。

 ほとんど何も言っていない。

「切らないことと」

 静かな声。

「繋がないことは」

 スプロケットが見る。

「同じではない」

「……うん」

「選べるなら」

 オラトリオは水晶の中を見る。

「まだ、道は一つではない」

 それ以上は言わなかった。

 予言でも。

 答えでもない。

 オラトリオ自身の見方。

 ミーラはその言葉を記録しなかった。

 今は必要ないと思った。

⸻

「この建物も長くは使えない」

 フェイズが外部マップを見る。

「〈セントリオ〉が落ちて局地ノードがバラバラだ」

「退路は?」

 ポイゾナスが聞く。

「見る」

 フェイズが周囲の座標を確認する。

「先に行ってくる」

「一人で?」

「その方が楽だ」

 青白い歪み。

 フェイズの姿が消えた。

 タウロスがスプロケットへ手を差し出す。

「立てるか」

「歩ける」

「本当に?」

「本当に」

「なら歩け」

 スプロケットがその手を取る。

 立ち上がる。

 少しふらついた。

 タウロスの腕がすぐ支える。

 スプロケットは支えを借りたまま足を踏み直した。

「ほら」

「今のは床が悪い」

「そういうことにしとく」

 ポイゾナスが荷物をまとめる。

 その横。

 ミーラは立ったまま動かなかった。

「姉さん」

 不意に呼ばれた。

 ミーラが顔を上げる。

 ポイゾナス。

 マリカではない。

 今の彼女。

「何?」

「解析データ」

「ええ」

「全部渡して」

「分かった」

「仮説と事実は分けて」

 ミーラの目が僅かに開く。

「……分かってる」

「昔から、そこ混ぜるでしょう」

「否定できない」

「なら今回はやめて」

「努力する」

「努力じゃなくて、やって」

 ミーラは少しだけ間を置く。

「了解」

 ポイゾナスが視線を外す。

 それだけだった。

 許されたわけではない。

 昔へ戻ったわけでもない。

 それでも。

 会話は続いた。

 ミーラはポケットの中のイヤーカフへ触れる。

 今度は。

 すぐには手を離さなかった。

⸻

【SPRK-VIS.LOG】

【《CYBER RESONANCE》:RESIDUAL】
【IDENTITY COHERENCE:PARTIAL】
【CONSCIOUSNESS:CONFIRMED】
【ACTIVE CONNECTION:NONE】
【RESIDUAL DATA:PRESERVED】
【RECORD:CONTINUED】

 スプロケットは自分の足で歩き始めた。

 タウロスが横につく。

 ポイゾナスが反対側。

 オラトリオは少し後ろ。

 ミーラも続く。

 誰かが正しいからではない。

 同じ答えを選んだからでもない。

 ただ。

 今は同じ方向へ歩いていた。

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