旧管理路を抜けてから五人は一度も立ち止まっていなかった。
先頭を行く明が分岐表示を確認し、その後ろをアイリーとクロニアスが進む。
スプロケットは歩きながら、残った二つの帰還用固定座標だけを表示していた。
【RETURN COORDINATE CANDIDATES:02】
【NEAREST COORDINATE:ACTIVE】
【SECONDARY COORDINATE:PARTIAL】
近い方までの距離は縮んでいる。
電力反応も消えていない。
固定設備も登録上は残っている。
それ以上は見ない。
スプロケットが端末を閉じる。
マッハラインが横へ並んだ。
「先、見てくる?」
「次の交差点まで」
「了解!」
赤い影が前方へ走る。
アイリーがその先を見る。
「ちゃんと戻ってきてよ!」
クロニアスが歩きながら手帳を閉じる。
「次の交差点まで、だね」
「そういう確認いらないから!」
スプロケットは前を見る。
マッハラインが消えた方向から風が戻ってきた。
赤い影が床を滑る。
「どうだった?」
「追ってきてない!」
マッハラインは笑って戻ってくる。
そのまま通り過ぎかけて止まった。
「でも、いる」
ゴーグルを上げる。
アイリーが眉を寄せる。
「どっち?」
「俺を追ってない」
スプロケットが顔を上げる。
「見た?」
「次の交差点」
マッハラインが後方を指す。
「青いやつが上にいた」
「追われた?」
「全然」
笑顔が消える。
「俺が着いた時には、もういた」
スプロケットは都市構造だけを開く。
現在位置。
交差点。
固定座標。
その間を結ぶ三本の経路。
【ROUTE-A:CLOSED】
【ROUTE-B:CLOSED】
【ROUTE-C:OPEN】
「一つだけ」
明が表示を見る。
「通れるんですか?」
「登録上は」
「見てきます」
明が先へ進む。
スプロケットも続いた。
旧管理路の先で通路幅が広がる。
正面の重量扉は閉じていた。
左側の保守通路も遮断されている。
右側だけが開いている。
照明もそこだけ点いていた。
アイリーが右を見る。
「分かりやすいね」
明は進まない。
床を見ている。
「どうしたの?」
アイリーが聞く。
「ここだけ、跡が新しいです」
右側の通路中央に細い擦過痕が続いている。
壁際の埃は残っている。
床の中央だけが清掃されたように途切れていた。
「復旧班?」
アイリーが聞く。
「違うと思います」
明がしゃがむ。
床へ手を触れないまま、擦過痕を追う。

「何かを運んだ跡じゃないです」
「じゃあ何?」
「閉じたり、開けたりした跡だと思います」
明は正面の重量扉を見る。
次に左。
最後に右。
「この道だけ残してあります」
マッハラインが右側を覗く。
「通ってほしいってこと?」
明はすぐには答えない。
「たぶん」
クロニアスが右側へ一歩入った。
床の傾斜が僅かに下がっている。
数歩進んで止まる。
「僕には少し悪い道だね」
アイリーが見る。
「脚?」
「歩ける」
クロニアスは左脚を一度動かす。
「ただ、この幅だと僕が速度を落とせば後ろも止まる」
右側の通路は途中から狭くなっていた。
一人ずつなら通れる。
追い越す幅はない。
マッハラインが壁へ手を当てる。
「俺なら抜ける」
「私は?」
アイリーが聞く。
「普通に行ける」
「明は?」
「行けます」
明が答える。
全員の視線がクロニアスへ向く。
「そんなに申し訳なさそうに見なくてもいいよ」
クロニアスが笑う。
「怪我をしたのは僕だけど、道を狭くしたのは僕じゃない」
スプロケットは右側の奥を見る。
固定座標から微弱な反応が届いている。
近い。
生きている。
マッハラインがゴーグルを下ろす。
「反対側、見てきていい?」
「駄目」
スプロケットが言う。
「まだ何も見てないぞ」
「だから」
マッハラインは右側を見る。
「……了解」
スプロケットは右側の経路を閉じない。
「そこに行くのを待ってる」
アイリーが正面の重量扉へ近づく。
「じゃあ、こっち開ける?」
両手を扉へ掛ける。
「これぐらいならいけると思う」
「待ってください」
明が横を見る。
重量扉の脇に古い非常表示が残っていた。
塗装は剥がれている。
その下だけ新しい表示が点いている。
【EMERGENCY SERVICE ROUTE:ACTIVE】
「向こう、使ってます」
スプロケットが都市構造を重ねる。
扉の反対側を現行の復旧経路が通っている。
さらにその下へ電力線が重なる。
アイリーが扉から手を離す。
「壊したら?」
「止まる」
「何が?」
「復旧経路と電力」
アイリーが顔をしかめる。
「それは駄目」
スプロケットは左側を見る。
封鎖された保守通路。
明がそちらへ移動する。
扉の下を見る。
「こっちは使ってないと思います」
アイリーがすぐ隣へ来る。
「じゃあこっち!」
明は立ち上がらない。
「でも」
「何?」
「向こう側に何かあります」
床と扉の隙間。
数センチ先の床へ、新しい金属片が固定されている。
一つ。
その奥にもう一つ。
等間隔。
クロニアスが覗く。
「補強材かな」
「たぶん」
明が答える。
「この扉を開けるためじゃなくて」
少し位置を変える。
「開けた後の道を狭くするための物に見えます」
アイリーが黙った。
マッハラインが壁から身体を離す。
「右は通れって道」
「正面は壊せない」
クロニアスが続ける。
「左は開けても、その先が狭い」
明が立ち上がる。
「偶然じゃないと思います」
スプロケットは三本をもう一度見る。
追跡反応はない。
現在位置を囲む動きもない。
近い固定座標だけが生きている。
「……やっぱり追ってない」
「だろ?」
「追ってるのは、ぼくらじゃない」
「じゃあ何?」
「固定座標」
右側だけが開いている。
「ぼくらは、そこへ向かうか見られてる」
誰も返さない。
遠くで金属音がした。
右側の通路のさらに奥。
重い。
一度。
もう一度。
マッハラインの表情が変わる。
「でかいのもいる」
アイリーが肩を回す。
「突破する?」
スプロケットは首を横へ振った。
「行かない」

「でも、もうすぐだよ」
「うん」
スプロケットは固定座標を開く。
【FIXED COORDINATE:ACTIVE】
【LOCAL BEACON:ACTIVE】
【MANUAL ACCESS:AVAILABLE】
全部残っている。
アイリーも表示を見る。
「全部生きてるんだ」
「使えるようにしてる」
スプロケットが答える。
マッハラインが右側を見る。
「入ったら?」
「閉じられる」
クロニアスが左脚へ体重を移す。
「僕を置けば少し速くなる」
クロニアスは右側を見る。
「たぶん、それも向こうが期待している選択だけどね」
「駄目」
「確認しただけだよ」
「却下」
「了解」
クロニアスは笑って引いた。
アイリーが腰へ手を置く。
「じゃあ私が先に行って、でかいのどかす?」
「駄目」
「マッハラインが一気に抜ける?」
「俺はできる!」
「駄目」
スプロケットが言う。
マッハラインが口を閉じる。
明は右側の照明を見ていた。
「一人ずつなら行けるようにしてるんですね」
スプロケットが明を見る。
「うん」
「でも、みんなでは行きにくい」
「うん」
明の顔が少し強張る。
「僕たちが離れないことまで、分かってるんですか?」
スプロケットは答えない。
代わりに固定座標の表示を閉じる。
「戻る」
マッハラインが右側を見る。
「あと少しだぞ」
「だから」
スプロケットは後ろを向く。
アイリーも数秒だけ固定座標の方向を見る。
「……分かった」
先にスプロケットを追う。
明も続く。
クロニアスが最後に右側を見た。
「ずいぶん丁寧な歓迎だ」
マッハラインが隣に並ぶ。
「入ってないから歓迎されてない」
「それなら幸いだね」
五人が来た経路へ戻る。
追ってくる足音はない。
マッハラインが何度も後ろを見る。
「来ない」
アイリーが聞く。
「嬉しくないの?」
「全然」
マッハラインは振り返る。
「なんか気持ち悪い」
スプロケットは歩きながら近い固定座標を選ぶ。
削除はしない。
使用候補から外す。
【RETURN COORDINATE:ACTIVE】
【ACCESS CONDITION:COMPROMISED】
【CURRENT USE:SUSPENDED】
候補数が更新される。
【CURRENT RETURN CANDIDATES:01】
アイリーが数字を見る。
「あと一個」
「うん」
「遠い方?」
「うん」
マッハラインが小さく笑う。
「遠いなら走れるな」
アイリーが見る。
「今そこ喜ぶところ?」
「近い方であれだったんだぞ」
「それもそうだけど!」
明が前方の分岐で止まる。
「こっちです」
来た時とは別の古い通路を指す。
スプロケットが構造だけを見る。
通行可能。
現行都市網との接続は薄い。
「行く」
明が先へ入る。
数十歩進んだところで、スプロケットの端末が振動した。
止まる。
「どうしたの?」
アイリーが振り返る。
表示を開く。
【RETURN COORDINATE CANDIDATES:01】
【LOCAL REFERENCE:RESTORED】
【MOORING RESPONSE:RISING】
スプロケットは画面を見たまま動かない。
「何?」
マッハラインも戻ってくる。
「最後の場所」
「駄目になった?」
スプロケットは首を横へ振る。
「逆」
クロニアスが近づく。
「何が変わった?」
「固定基準」
数秒前まで微弱だった反応が強くなっている。
【FIXED COORDINATE:STABLE】
【EXTERNAL REFERENCE:DETECTED】
アイリーの顔が明るくなる。
「直ったの?」
「分からない」
「誰かが直した?」
「分からない」
「使える?」
スプロケットはすぐには答えない。
信号だけを見る。
都市の深い位置から、消えかけていた線が戻っている。
[ヘヴン]側の《モアリング》へ近づいている。
「前よりいい」
マッハラインが笑う。
「じゃあ、行けるな」
「先、見てきていい?」
スプロケットはすぐには答えない。
「まだ」
「了解」
アイリーが少し笑う。
「すごい走りたそう」
「走りたい!」
明だけが少し笑った。
スプロケットは最後の座標を表示したまま、別経路を重ねる。
近い道は選ばない。
正式な復旧路も外す。
固定座標だけを残す。
「遠回りする」
マッハラインがゴーグルを下ろす。
「今なら先に行っていい?」
スプロケットは彼を見る。
「見えるところまで」
「了解!」
赤い影が暗い通路へ走る。
アイリーも歩き出しながら、その背中へ声を飛ばす。
「見えるところって言ったからね!」
「見えてる!」
「もう見えない!」
明がクロニアスを見る。
「行きましょう」
「今度は前を見るよ」
「お願いします」
二人も歩き出す。
スプロケットは最後に端末を見る。

残った一点だけが、さっきまでより強く応答していた。
理由は分からない。
閉じない。
スプロケットも四人を追った。


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