Scene4

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クロス・ログ:モノクローム

Basis

 ドミネーターの起点は確認できない。
 記録自体は存在するが、すべて途中から始まっている。
 時間は連続せず、形成過程も欠落している。
 環境要因による説明は成立しない。
 同条件下にあった個体は複数確認されているが、同一の結果には至っていない。
 差異は存在する。
 しかし、その差は記録として残されていない。
 ——追跡不能。
 この時点でドミネーターは観測対象として成立していない。
 同一戦闘の記録において、対峙していた別個体が存在する。
 リク・ロクジョウ。
 こちらの記録は連続している。
 時間の欠落は確認されていない。
 出自、環境、変化。
 すべて追跡可能な範囲にある。
 同条件下にあった個体。
 その形成過程を遡ることで、差異の特定は可能と判断する。
 ——本記録はここを起点とする。


Block1

【RK-00|PS-2055|医療区画|通常】

 白い光は視界の奥で揺れていない。

 補正は安定している。焦点と距離に乱れはなく、視界は均一に保たれている。

 余計な歪みは排除されている。

 違和は確認されない。

 リクは新しい左手を握る。

 金属の指は遅延なく閉じる。

 負荷に応じて出力は調整され、内部制御も正常に機能している。数値と体感の双方で異常はない。

 力は入る。制御もできている。生身の状態と大きな差はない。

 検証工程はすでに終了している。

 右目を閉じ、左目の義眼の動作を確認する。

 人工物であることは隠されていない。接続は完全で意識との乖離もない。動作は滑らかで、遅延は許容範囲に収まっている。

 戦闘動作のテストも完了している。走行、反応、出力。すべて基準を満たしている。

 ——戦場に戻る準備は整っている。

 リクは立ち上がる。

 足元は安定している。重心のズレはなく、身体はこの状態を前提として機能している。

 数歩進む。

 問題はない。いつでも戦闘に入れる状態だ。

 それは確認済みの事実だった。しかし、その事実と感覚は一致していない。

 動作は正確で、制御も成立している。

 それでも、本来連続しているはずの感覚だけが戻っていない。

 リクは顔を上げる。室内は静まり返っている。

「最終確認は完了しているわ」

 背後から声が届く。

 振り返るとケイトが立っている。

 白衣のまま距離を保ち、端末を操作している。視線はデータとリクを行き来している。

「神経接続、出力、反応速度。全部問題なし。数値上は完全に復帰しているわね」

 報告は簡潔で迷いがない。

「……そうか」

 リクは短く返す。

 異常はない。問題があるとすれば、数値に現れない部分だけだった。

「感覚のズレは残る?」

 ケイトは画面を見たまま言う。

「……ああ、ある」

 リクはそれだけを返す。

 ケイトは一度頷く。

「完全には消えないと思う。身体が変わった以上、前と同じにはならない」

 穏やかな口調だったが、内容は明確だった。

 リクは否定しない。理解しているからだ。

「適応は完了しているぞ」

 別の声が重なる。

 黒須蔵人が室内に入ってくる。足音はほとんどなく、言葉だけが空間に置かれる。

「リク。残っているのは違和ではなく記憶との誤差だ。機能に問題はない」

 理屈は一貫している。

 リクは視線を向ける。

「……確かに問題はない」

 繰り返すリクだが、どこか腑に落ちない部分がある。

 リクの様子を見た黒須は軽く頷き、義手と義眼の調子を見るように触っている。

「この腕と目は単に失った機能を補うモノではない。君が思っている以上の機能を持っている」

 意味深な黒須の言葉にリクやケイトにも真意は理解できなかった。  しかし、リクにとって復帰する為の大きな力である事は彼にも理解できていた。

 扉が開く。空気が変わる。

 愛用の杖を持ったジオン・ゼラーがゆっくりと入ってくる。その後ろにジェフリー・モーガンが続く。

 視線を向ける前から存在は認識できる。

「うん! 素晴らしい。実に素晴らしい!」

 両手を広げるジオンが微笑む。

 リクを一通り見渡し、満足そうに頷く。

「予定通りだ。いや、それ以上かもしれない」

 室内を見渡す。設備、データ、そしてリク。

「すべてが整っている」

 大きな身振り手振りによる言葉に迷いはない。

「さすがは超天才と呼ばれた黒須蔵人だ」

 ジオンの視線が黒須に向けられるが、当人はまったく気にせずリクの義手と義眼のデータを見ている。

 一方のケイトはさっきまで柔らかい表情は消えて、どこか厳しさを見せていた。

「君の復帰は決定事項だ。舞台も観客も準備は完了している」

 ジオンは穏やかな口調で重要な決定を口にする。

 ケイトは少し驚いた表情を浮かべる中、リクはどこか納得している表情になっている。

「エージェントゼロの帰還は予定通り進行する」

 その言葉に余地はない。

 リクは何も言わない。異論も拒否もない。そこに選択肢は存在しないからである。

 ジオンの自信満々な言葉と違い、黒須は彼の視界に入らないところで小さく首を横に振っている。口を一文字に結んだ表情からリクの状態を察している。

「ようやく、エージェントゼロの復帰だ」

 ジオンは満足げに言う。

 ジェフリーは一歩後ろに立ちリクを見ている。視線は冷静だが、そこには変化がある。

 確認ではない。復帰に対する感慨に近い感情を抱いている。  ただ、黒須やケイトの表情を見ると、二人とも喜びよりも不安に近い感情だと気づいていた。

 ケイトは端末を閉じる。目を閉じる彼女はどこか気持ちを整理しているような雰囲気で、ジオンの前では何も言わない。  感情を見せないのではない。見せないと決めた。

 黒須は小さく息を吐く。リクの真っ直ぐな視線と覚悟を理解しており、それ以上は何も言わないべきだと悟っていた。

 状況は理解している。それでも介入しない。できないことを知っているからだ。

 室内は静まる。

 誰も言葉を発しない。それぞれが同じ結論に到達している。

「さて、私はこう見えても忙しい身だ。黒須博士、ケイト君、エージェントゼロの復帰まで完璧に仕上げてくれ」

 杖の先を地面にカツンと叩き、ジオンはジェフリーを引き連れて部屋を出ていく。

 まるで嵐が過ぎ去ったような静けさが室内を再び支配する。

 リクは左手を握る。遅延はない。制御も正常だ。  戦闘は可能だ。その事実だけが確定している。

 力を抜く。拳が開く。

 感情は外に出ない。出さないと決めている。

 リクはケイトと視線を交わす。

 互いに理解している。そこにあるものを。

 それ以上は起きない。

 それが許されている範囲だと理解している。


Bridge

 直前の記録には不整合が残る。
 身体機能は成立しているが、運用には至っていない段階。
 復帰までの過程は追跡可能である。
 しかし、ここで確認すべき対象ではない。
 重要なのは復帰後の挙動だ。
 完成した個体がどう動くのか。
 与えられた役割の中で何を選択するのか。
 ——観測対象はそこにある。


Block2

【RK-01|PS-2055|外界|記録】

 外界は光を失っている。

 ドーム都市の外縁から数キロ離れた地点。地表はひび割れ、崩壊した構造物の残骸が風に削られている。  視界を遮るものはなく、空間は乾いたまま広がっている。

 資源回収車両部隊が一定間隔を維持しながら前進している。

 中央に資源回収車両、その外周を統制防衛局の兵士を乗せた軽装甲機動車が囲み、最前線には特注のオートバイに跨るリクが配置されている。

 リクは周囲の状況を確認しながら走行を続ける。

 オートバイの挙動と自身の動作に異常はない。

 身体はすでに適応しており、現在の任務に支障はないと判断している。

 前方の影が動く。

 数は多くない。統制はなく装備も不完全であり、都市の兵士とは明確に異なる存在だった。

 外界に生きる人間、アウトサイダーズと分類される個体群である。

 先行する一台の軽装甲機動車が加速し、リクの位置を追い抜く。

「接触まで三十秒。護衛ライン維持」

 先頭車両から通信が流れる。

 リクは応答しない。必要がないと判断している。

 距離が詰まるにつれ、アウトサイダーズは散開する。

 動きに一貫性はなく、連携も確認できない。ただ前方へ出るという一点だけで構成されている。

 リクはすでに動いている。

 間合いを詰める踏み込みは最短で、加速から接敵までの動作に無駄はない。

 片手で大型リボルバーを引き抜き、走行状態のまま照準を合わせる。

 発砲。

 接近する個体を弾丸で制圧し、その反動を利用してハンドル操作を切り替え、次の対象へと移行する。

 走行と射撃が分断されることはなく、一連の動作として連続している。

 周囲では軽装甲機動車から兵士が援護を行い、射線を分担する形で資源回収車両への接近を阻止している。

 リクはその隙間を縫うように進行し、資源回収車両に近づく個体のみを選別して排除していく。  衝撃と音は必要最小限に抑えられ、隊列の進行速度は維持されている。

 数分程度の交戦で状況は収束する。

 資源回収車両部隊が通過した後、地面には複数の人影が残されている。

「制圧完了。損耗なし」

 兵士が報告する。

 資源回収車両は減速することなく前進を続ける。目的地であるドーム都市へ向けて進路は維持されている。

 その一連の様子を別の視点が捉えている。

「こちら通信班。映像は安定しています。各層への配信も問題ありません」

 ジェフリーの声が通信に乗る。

 端末に映る映像はリアルタイムで中継されており、リクの動きも遅延なく各層へ配信されている。

 全体を映すと同時に臨場感を与えるため、ジェフリーが乗る軽装甲機動車は資源回収車両から少し離れた右方を走行している。

「いい。続けたまえ」

 別回線が割り込む。

 先ほどとは異なる軽い調子の声。パース・シティ市長であり統制防衛局局長でもあるジオン・ゼラーだった。

「実に分かりやすい。これが秩序だ」

 穏やかな声音だが、その意図は明確だった。

 ジオンは世界中で配信される映像についてジェフリーに指示を置いている。

 それは単なる輸送部隊の映像ではなく、そこにエージェントゼロがいるという事実を見せている。

 資源回収車両は順調に進行し、やがてドーム都市の外壁が視認できる距離まで到達する。

 倒されたアウトサイダーズはそのまま放置される。構っているほどの余裕はなく、輸送部隊の走行は続いている。

 リクはオートバイを減速させ、資源回収車両の側面に寄せる。内部を一瞥し、異常がないことを確認する。拘束された個体は動かない。

 状況は処理済みのはずだった。

 それでも、違和が残る。

 リクは視線を前方ではなく後方へ向ける。

 その瞬間、複数の人影を捉える。

「攻撃されている!」

 後方に位置する軽装甲機動車から通信が入る。

 リクは即座にスロットルを開き、資源回収車両の後方へ回り込む。

 飛びかかる一体を視界に捉え、リボルバーを連続で発砲する。弾丸は正確に命中し、対象の動きを止めるはずだった。

 それでも、止まらない。

 血を流したまま身体が跳ね上がる。関節の動きは連続せず、力の伝達も噛み合っていない。それでも前進を続ける。

 軽装甲機動車に噛みつくように飛びかかる。

「離れろ!」

 リクの声が飛ぶ。

 本来ならここで終わる。だが動きは止まらない。

 次の個体が動き、さらに別の個体も続く。統一性のない暴走状態でありながら、結果として同じ行動を繰り返している。

 群がられた軽装甲機動車がバランスを崩し、横転する。

 リクは資源回収車両の防護位置に入り、後方の個体群を再度確認する。

「危険個体に指定。全員、距離を取れ」

 指示と同時に大型リボルバーの再装填を行う。

 接近する危険個体を射撃で地面に叩きつける。出力は抑えているが、それでも危険個体は停止しない。倒れたまま腕だけで前進してくる。

 視線が合う。焦点は定まっていない。

 動きと意思が一致していない。

 リクは一瞬だけ動きを止める。

 異常と判断する。

「殲滅しろ」

 ジオンの声が即座に割り込む。

「このままでは映像が乱れる。明確に処理した方がいい」

 理由は簡潔だった。

 あくまでジオンは全世界に配信される映像を意識しており、現場のリクたちとは違った考えである。

 ただ、これはリクたちの力量を知っているからこそ出せる指示でもある。

 リクは状況を整理する。被害拡大の可能性、護衛対象の存在、いずれも排除判断を支持する材料となる。

 それでも、目の前の危険個体を見る。

 動きは不連続で、外部から引きずられているような挙動を示している。意思による行動とは断定できない状態だった。

「待て」

 ジェフリーの声が混じる。

「これは、通常の——」

 言葉が途中で途切れる。

 右方で衝突音が発生する。通信班の位置が崩れている。

 リクは即座に加速する。

 進路上の危険個体を銃撃で排除しながら直線的に距離を詰める。

 間に合う。

 ジェフリーの前に入り、衝撃を受け止める。

 空間が一瞬止まる。

「ふう……助かった」

 ジェフリーは呼吸を乱しながらサムズアップをリクに送る。

 軽装甲機動車はダメージを負っているが走行に問題はない。

 リクは軽く頷き、すぐに視線を輸送部隊へ戻す。

「繰り返す。殲滅しろ」

 ジオンの指示が再度入る。

 判断は終わっている。

 リクは深く息を吸う。肺の動き、握力、視界。すべて正常に機能していることを再確認する。

 違和だけが残る。

 それでも動く。

 機動を維持したまま個体群の間を走り抜け、射撃音だけが連続する。

 やがて、すべての危険個体が停止する。

 リクは減速し、周囲の状況を確認する。

 横転した車両、負傷した兵士、拘束された個体群。いずれも制御下にある。

 資源回収車両は進行を維持し、ドーム都市は目前に迫っている。

 兵士たちの呼吸が整い始める。緊張は緩和され、安堵が広がる。

 疑問は出ない。  問題ともされない。

 ただ一人を除いて。

 リクは何も言わない。

 違和は残したまま、内部に保持している。

 判断基準として。

 次に備えるために。


Bridge

 直前の挙動には明確な齟齬が残る。
 命令には従っている。判断も合理的だ。
 しかし、その過程に抵抗が確認できる。
 感情は排除されていない。内部に保持されたまま運用されている。
 この段階で基準はすでに存在している。
 問題はその形成位置だ。
 後天的な調整ではない。
 より初期の段階で固定されている。
 ——起点を遡る。


Block3

【RK-02|PS-204X|工業施設|再構成】

 地方都市の外れにある工業施設は稼働を停止している。

 外観に大きな損壊はない。内部電源は落ち、照明は断続的に点滅している。

 規制線が張られ、一般人の姿は見えない。

 完全な隔離ではないことは、遠方に残る住宅地の灯りが示している。境界は曖昧で任務の性質もそれに依存している。

 リクは車両後方で機材を確認する。

 通信状態、バイタル同期、各分隊の位置情報。いずれも正常に機能している。

 任務は後方支援であり前線には出ない。

 つまり、状況を維持するだけでありリクの役目はそれで足りる。

 前方では展開が始まっている。

「侵入ルートは二つ。正面と側面。挟む形でいく」

 通信に低い声が乗る。

 [リテンション部隊]の総隊長であるレツ・リチャード・ロクジョウ。

 歴戦の兵士と言わんばかりに顔には大きな傷、両手と両脚はサイボーグ改造を受けている。  淡々と任務をこなす現場の指揮官でもある。

「待て」

 別回線が割り込む。部隊の司令官アーロン・ウォードの落ち着いた声。

 現場との距離は離れているが、声のトーンから感じられる温度は現場と同じである。

「内部状況が確定していない。分散はするな。損耗は許容しない」

 短い指示に意図は明確に含まれている。

 レツは間を置かない。

「ここで囲めば終わる。外に出られたら止めきれない」

「だからこそ慎重に進める」

 アーロンの声音は変わらない。

「対象は不安定な強化個体だ。想定外の挙動がある。無駄な接触は避けろ」

 一瞬、通信が静まる。

 リクは端末を見たまま聞いている。両者の判断は理解できる。

 どちらも成立している。どちらが選ばれるかは、この時点では確定していない。

「外に出たら、誰が止める」

 レツの声が低くなる。

「ここは施設外縁だ。住宅地まで近い」

 視線の先に灯りがある。生活圏が重なっている距離だ。

「だからここで止める」

 言葉は変わらない。

 アーロンは応答を遅らせる。回線の向こうで判断を測っている。

「レツ。損耗が出るぞ」

「ああ、分かってる」

 即答。

「それでもやる。それがリテンション部隊の役目だ」

 レツとアーロンの間柄だからこそ通じる前提。

 リクは視線を上げる。前方で分隊の配置が変わる。

 包囲の形が組み上がっていく。指示を待っていない。決まっている。

「レツ。やはり、許可は出せない」

 アーロンの制止が再び入るが、今度は強制力は弱い。

「ああ、知ってる」

 沈黙するアーロンは口を開く。

「だからやる、か」

「ああ」

 やり取りはそこで終わる。命令違反ではない。境界にある判断だ。

 前線が動く。

 次の瞬間、施設内部から衝撃が走る。金属が歪み、壁面が内側から押し出される。

 現れたのは人型。動きは人間の連続性を持たない。疑似ネクスが複数体、同時に外へ出る。

 分隊が即応する。射撃は最小限。接近、制圧、位置取り。無駄がない。倒すのではなく止める動きに統一されている。

 それでも止まりきらない。

 一体が外へ向かう。進行方向は住宅地。

「行かせるな!」

 レツの指示と同時に自身が前へ出る。最短距離で間合いに入る。

 リクも一歩踏み出す。反射に近い動き。

 肩を掴まれる。

 振り返るとリベカ・ロクジョウがいる。

 赤く光る瞳と痩せこけた顔だが、強い意志が宿っている表情。

「あなたの仕事じゃない」

 短い確認。拒絶ではない。

 リクは動きを止める。

 前方ではレツが対象に到達している。

 正面から受け、衝撃を逸らし、軸を崩す。そのまま地面に叩きつける。動作は一連で切れない。

 他分隊が側面から回り込み、退路を遮断する。制圧の形が完成する。

 数分で収束する。

 音が消え、空間が落ち着く。

 通信が開く。

「終わったな」

 アーロンの声。責めはない。

「被害は?」

「軽傷数名。死者なし」

 レツの報告は簡潔だ。

 一拍。

「次は許可を取れよ」

 命令ではない。確認に近い。

「了解」

 やり取りはそれで終わる。

 リクはその全体を見ている。

 衝突はあった。判断の差もあった。

 しかし、作戦自体は崩れていない。むしろ機能している。

「心配してるの」

 隣でリベカが言う。視線は前方のまま。

「違う」

 リクは答える。何を心配と定義するかがまだ定まっていない。

「いつものことよ」

 リベカは軽く笑う。

「ぶつかるけど、壊れない。それがレツとアーロンの関係よ」

 リクの頭に手を置くリベカ。その説明だけで足りる。

 前線では撤収準備が進む。

 配置は崩れず動きに迷いはない。ここではこの状態が基準になっている。

 リクは端末に視線を戻す。位置情報、バイタル、通信。すべて安定している。

 自分の役割は変わらない。前には出ない。状態を維持する。

 それでこの中にいられる。

 余計な判断は不要だ。

 思考は止まり、呼吸だけが一定に続く。

 それが、この位置の安定だった。


Bridge

 ここで行動基準は明確になる。
 守る対象。優先順位。判断の置き方。
 いずれも外部との関係性の中で形成されている。
 この段階で信念は確立している。運用上の判断にも一貫性がある。
 ——だが、それだけでは足りない。
 基準は説明できる。
 しかし、その選択理由は特定できない。
 より内側の要因が残る。
 形成ではなく前段階。
 関係成立以前の状態。
 ——さらに遡る。


Block4

【RK-03|PS-204X|研究施設|再構成】

 照明は一定の明るさを保っている。

 影が生じないよう設計された光が空間全体に均一に広がっている。

 壁と床の境界は曖昧で奥行きの感覚は希薄だ。時間の経過も把握しにくく、位置の広がりも意識に残らない。

 その空間の中央に少年のリクがいる。

 座っているわけではない。拘束もされていない。そこに留められている。

 外へ出る理由がないため動かない。

 視線は前方に固定されている。対象を見ていないわけではないが、焦点を合わせるべきものが存在しない。

 微かな接触音が発生する。

 金属同士が触れたような短い音。

 リクの指先が動いている。意図した操作ではなく、反応として出ている動きだ。

 その瞬間、空間の均衡が崩れる。

 視覚的な変化はない。圧力の分布だけが変わる。机上の器具が滑り端から落ちる。

 床に当たる音が響く。

 それだけの現象で十分だった。

 リクは動かない。

 発生している事象は理解している。制御はできない。意識外で起きる以上、操作対象にならない。

 その結果が何を引き起こすかも理解している。

 扉が開く。複数の足音が入る。

 白衣の研究員が室内に入る。視線はリクではなく床に落ちた器具へ向けられている。状況確認と原因特定が優先されている。

「やはり不安定だな」

 一人が言う。声に温度はない。

 リクは視線を上げない。

「予測通りだ」

 別の声が重なる。歩みが近づく。

 ブルーノ・ブレムザー。サイボーグ技術と強化薬を担当する研究者。

 白衣をまといメガネをかけた神経質そうな表情を浮かべている。

 リクの前で止まる。距離は近い。接触はしない。

「制御不能のまま出力だけが上がっている。典型的な失敗例だ」

 後ろに手を組むブレムザーの嫌悪感を内包した厳しい評価と結論。

「人間として扱うのは無理だな」

 どこか嘲笑うようなブレムザーの言葉の線引きは明確だった。

 リクは応答しない。否定する材料がない。否定する必要もないと理解している。

 自分は制御できていない。周囲へ影響を与える。その結果が破壊に繋がる。

 関与すれば壊れる。前提として成立している。

「距離を取れ。無意味に近づくな」

 ブレムザーが他の研究員に指示を出す。

 研究員が一歩下がる。動きに迷いはない。反復された行動だ。

 リクはその距離を確認する。正しい対応だと理解している。

 だから動かない。

 扉が再び開く。

 足音は一つ。一定のリズムで無駄がない。

「それで終わりか」

 低い声。

 黒須蔵人。遺伝学を担当する研究者。

 ブレムザーと同じく白衣をまといメガネをかけるが、表情はまるで違っている。

 どこか安心するような雰囲気と厳しさを兼ね備えている。

 黒須の視線は最初からリクに向いている。

「評価は終わっている」

 鼻で笑うブレムザーが答える。

「現状では制御不能。実用段階には至っていない。処分か再設計が必要だ」

 今までのデータから出た結論は明確であり間違いはない。

 黒須は返答しない。

 リクの前まで進むと、ブレムザーが注意した範囲内に入っている。

 その様子を見る他の研究員は黒須を止めようとするが、ブレムザーが制止する。

 まるで黒須の動きを観察しているような鋭い視線になっている。

 止まらない黒須はリクへ手を伸ばす。

 一瞬、空間の圧力が変化するも黒須が手を止める理由にはならなかった。

 何も起きない。

 黒須の手が静かにリクの肩に触れる。当たり前のように。

「違うな」

 黒須がブレムザーに向けた短い否定。

「制御できていないんじゃない。方法を知らないだけだ」

 リクは視線を上げる。

 まさかの出来事にブレムザーや他の研究員だけじゃなく、最も驚いていたのはリク自身だった。

「力そのものは異常じゃない。扱う側の理解が不足している」

 振り向く黒須がブレムザーの評価と結論を真っ向から否定していた。

 目を細めるブレムザーが反応する。

「その理解で解決できる問題か」

「できる」

 黒須の即答。

 それに対してブレムザーは言葉を続けられずに沈黙する。

「ここで切り捨てる理由にはならない」

 ブレムザーは肩をすくめる。

「好きにしろ。ただし結果は保証しない」

「保証は最初からない」

 舌打ちをしたかしていないか定かではないが、ブレムザーは明らかに不機嫌となっていた。

 ここで会話は終わり、ブレムザーは他の研究員を引き連れて部屋を出ていく。

 扉が閉まると、それまであった緊張感は少しずつ空間から失われる。

 空間は再び落ち着きを取り戻す中、リクの肩に置かれた黒須の手は動かない。

「怖いか」

 唐突な問い。

 呆気にとられるリクは答えない。正確には答えられなかった。

 自分でも危険であると認識していたが、肩に手を置いている男はそうじゃないと示している。

「怖いのは正常だ」

 黒須は続ける。

「分からないものは怖い。自分でも分からないならなおさらだ」

 リクは視線を逸らさない。

「……関わると壊れるんです」

 リクはそれまでのトラウマに近い経験を口にする。

「そうだな」

 黒須は認める。事実だから。

「関わらない選択もある」

 肩に置かれた手が軽く叩く。

「それでは何も分からない」

 黒須は両手をリクの肩に置いて視線を合わせる。

「だから私が来た」

 優しい眼差しの中に強い覚悟のような意志。

 リクの前にいるのは単なる研究者ではなく、自分を人として見ている真剣な人物。

「あっ、そうそう」

 ここで思い出したように黒須は立ち上がって扉の方を見る。

「紹介したい人がいる。きっとリク君と仲良くできるはずだ」

 満面の笑みを浮かべる黒須は差し出して手の先。

 小さな足音が近づき、扉が開く。

「私の娘。ケイト・クロス。仲良くしてくれ」

 リクの前に自分より少し背が高い少女が立っていた。

 黒須と同じく優しい雰囲気に包まれているが、どこか強い意志が伝わってくる。

 ケイトは室内を一度見渡し、そのままリクの方へ歩く。

 黒須の隣で止まる。距離は近いが接触はしない。

「怖いなら、そのままでいい」

 黒須は戸惑うリクに静かな声を奥kる。

「怖くないふりをする必要はない」

 黒須がケイトの背中に手を当てる。まるで合図のように。

「ケイト・クロス。よろしくね」

 差し出されたケイトの手。

 そこには疑いや嫌悪感はなく、ただ握手を求める純粋な気持ちがある。

 さらに戸惑うリクはどうするべきか迷い目も合わせられない。

「握手!」

 ケイトの強い言葉にリクはビクッとなる。

 何をすればいいか分からないうち、ケイトはリクの手を取って握っていた。

「はい。これでいい」

 あまりにも自然な握手だったが、リクには衝撃があった。

 初めて他者の手を握った感覚。伝わる熱と鼓動。

 思わぬ衝撃にリクはいつしか恐怖という感情を忘れていた。

 代わりに安心感という今までなかった感覚があった。

 それは強張る表情を氷解させる二つの笑顔。

 リクが置かれた空間は同じはずだったが、ケイトと黒須の存在が変容させている。

 ただ、恐れは消えていない。消す必要があるかも判断していない。

 それを単独で保持する必要があるかどうか。

 その選択だけが、まだ固定されていない。


Bridge

 この段階で対象の扱いは変化している。
 危険性は維持されたまま排除されていない。
 理解と共有によって安定が成立している。
 恐れは消えていない。
 外に出さず内部に保持されている。
 ——性質は変わっていない。
 対象が恐れているのは外部ではない。
 より内側にある。
 起点はこの段階ではない。
 関係成立以前。
 最初に発生した時点。
 ——原点を確認する。


Block5

【RK-04|PS-204X|孤児院|断片】

 孤児院は外観上、異常がない状態に保たれている。

 正門の鉄柵は閉じられ、敷地外周には簡易的な規制線が張られている。

 警察車両が数台、間隔を取って配置されているが、現場に人影は残っていない。

 一次対応はすでに終了している。通常手続きの範囲を外れた事案であることが示されている。

 建物に破壊痕は見られない。窓も壁も損傷はなく、整いすぎている状態にある。生活の痕跡だけが消失している。

 静寂が空間を満たしている。

 昼夜の差異によるものではない。

 音が消えたのではなく、初めから存在していなかったような均質な無音だ。

 扉が開き、部隊が内部へ進入する。

 先頭はレツ・リチャード・ロクジョウとリベカ・ロクジョウ。

 足音は抑えられているが、過剰な警戒はない。事象の概要は把握済みだ。

 廊下に入った瞬間、状況は視覚的に確定する。

 床に複数の人影が倒れている。少年と大人が混在している。外傷は確認できず、争った形跡もない。

 呼吸が残っている個体と、完全に停止している個体が混在している。

 リベカが一人に接近し、状態を確認する。短時間で立ち上がり、視線で結果を共有する。

「ダメね」

 診断ではなく結論。

 通信が開く。

「内部状況は確認済みだな」

 アーロン・ウォードの声。情報共有が前提となっている。

「確認済みだ。接触した個体が行動不能になっている。中心に対象がいる」

 レツが答える。

 間を置かず指示が入る。

「排除しろ」

 短く断定的な命令。

「対象は制御不能。このまま拡散すれば被害は増える。ここで終わらせる」

 合理的な判断であり、現場の誰もが理解できる結論だ。

 レツは応答を保留する。視線を奥へ向ける。

 廊下の先、半開きの扉の向こうで空気の質が変わっている。

「違う」

 小さく言う。

「まだ終わっていない」

 前進する。扉に手をかけ、開く。

 室内中央に少年がいる。

 床に座り込み、俯いたまま動かない。周囲には複数の少年が倒れており、距離が異常に近い。逃走行動が発生する前に停止した配置だ。

 空間に圧がある。

 視覚化はされないが、密度として認識できる。外部とは異なる場として成立している。

「距離を保て。接触は禁止」

 アーロンの指示が強まる。

 リベカは位置を維持する。視線は外さない。

 少年は反応しない。呼吸はあるが意識は沈んでいる。空間の揺らぎだけが継続している。

 現象は止まっていない。

 レツが一歩踏み出す。

「排除する気か」

 確認。

「それが最も被害を抑える」

 即答。

 レツは対象を見る。

 小さい。それ以上の情報はない。

「まだ判断できる状態じゃない」

「感情で動くな」

「してない」

 応答は即時。揺れはない。

「確認する。それで終わるなら従う」

 一拍置く。

「違うなら終わらせる理由はない」

 リベカが横に並ぶ。

 制止はしない。否定もしない。同位置を取る。

 レツが手を伸ばす。

 接触。

 瞬間、空間密度が収束する。身体内部から引き抜かれる感覚が発生する。呼吸が乱れ、膝が沈む。

 それでも手は離さない。

 リベカも同時に接触する。負荷は同等に発生する。距離は維持されない。さらに一歩詰める。

「問題ない」

 声は低いが維持されている。

 変化が発生する。

 圧力が減衰し、空間の揺らぎが収束する。少年の呼吸が深くなり、指先に運動が戻る。

 顔が上がり、眼が開く。

 焦点は不安定なまま前方を捉える。視線の先に接触している二人がいる。

 レツとリベカは位置を変えず、二人の身体には負荷が残っている。

 それでも表情は変化し、安堵という感情で少年を包み込む。

 この感情は任務達成に対するものではない。目の前の存在が停止したことに対する反応だ。

 少年は発話しない。状況理解も成立していない。接触しても破壊が起きていない。その事実だけが認識として残る。

 空間が静まる。

 最初の無音とは異なる破壊の後に残る静寂。

 圧力は消え、呼吸と存在だけが残っている。


Brief

 記録は連続している。欠落は確認されない。因果関係も追跡可能な範囲で成立している。
 リク・ロクジョウの形成過程は明瞭だ。
 起点は能力の暴走であり、生存本能に直結した発動として観測されている。
 その結果、周囲の生命活動は停止した。
 この時点で認識が固定される。自分は危険であるという前提が成立する。
 以降、この認識は恐れとして内面化され排除はされない。
 維持され、運用され、役割として組み込まれていく。環境と人間関係の中で補強され、個体としての機能が成立している。
 ここまでは説明可能な範囲にある。
 問題はその先にある。
 同一戦闘における対象、ドミネーター。
 能力構造、喪失の経緯、発現形態。
 いずれもリクと共通点が多い。同質と判断する条件は揃っている。
 この前提に立つなら、結論は単純化できる。
 排除するか、あるいは無視するかのいずれかに収束するはずだ。
 しかし、実際の挙動は一致しない。
 対象は攻撃していない。同時に完全に無視しているわけでもない。
 処理対象として認識していない挙動を示している。
 この状態は両極のどちらにも属さない。
 環境要因では説明できない。形成過程の中にも該当する要素は確認されていない。
 残るのは選択という要素だ。
 同一条件下から異なる結果が導出されている。その分岐点に相当する情報は記録上に存在しない。
 同一であるはずの構造が、同一の挙動を示していない。
 この不一致が本事象の核心である。

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