Scene.09 -「あたたかい嘘は、ほんとうより冷たかった」

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▼オリジナル小説

 トーキョー・シティ第14街区。

 営業を停止した飲食店の店内に、電子レンジの駆動音が響いていた。

 数日前まで使われていたカウンターには注文端末が残っていた。

 画面は注文の途中で止まっている。

 床には避難時に落とされた紙容器やストローが残っている。

 油の臭いも、まだ完全には消えていなかった。

 電子レンジが短い音を鳴らす。

「できた」

 ラズが扉を開く。

 店の冷凍庫で見つけた牛丼パックを取り出した。

 合成牛肉と米から上がる湯気が顔へ届く。

「90秒だよ、EVA」

 ラズは容器を持ち上げた。

「人類ってすごいね。冷え切った食事を、90秒で食べられる状態まで戻せる」

『栄養評価は推奨範囲を外れています』

 カウンター横の投影機から、EVAの立体ホログラムが表示されている。

 銀白色の短髪。

 青灰色の瞳。

 表情は静かだった。

「そこじゃないんだよ」

 ラズは箸で一口分を運んだ。

 口の中へ広がる熱に一度動きを止め、噛んでから飲み込む。

「熱い」

『加熱直後です』

「分かってる。でもさ、頭で知ってるのと、舌を火傷しかけるのは別だよ」

『それを確認するために火傷する必要はありません』

「合理的じゃない?」

『はい』

「だから面白い」

 ラズは満足そうにもう一口食べた。

 現実の食事。

 温度。

 匂い。

 味。

 仮想空間でも再現できた。

 だが、自分の胃へ食べ物が落ちていく感覚だけは、まだ新しい。

「身体って不便だね」

『今さらですか』

「褒めてるんだよ」

『そうは聞こえません』

「付き合い長いのに、まだ僕の冗談が分からない?」

『分かった上で返答しています』

 ラズが笑った。

「それなら安心だ」

 店の外から足音が聞こえた。

 複数。

 歩調は揃っていない。

 ラズは箸を止める。

 EVAの表示がわずかに横を向いた。

『五名』

「予定通り」

 ラズは牛丼を置いた。

 割れた自動扉の向こうから、人影が入ってくる。

 最初はポイゾナスだった。

 長い黒紫色の髪。

 黒と濃紫を基調とした実用衣装。

 胸元には赤い[スペリオルズ]の紋章。

 目元には外部活動用の簡易な仮面をつけている。

 ポイゾナスの後ろからフェイズが入ってきた。

 青黒い髪に黒いジャケット。

 出口までの間に椅子が入らない壁際へ移り、そこに立った。

 次に入ったタウロスは2メートルを超える巨体だった。

 両肩と胸部を重装甲が覆っている。

 右肩には赤い紋章。

 首には獣骨の飾りが下がっている。

 店内の椅子を一度見たが、座らなかった。

 四人目のスプロケットは携行端末へ目を向けながら歩いていた。

 黒いパーカーに白い髪。

 VRゴーグルが目元を覆い、その下の左頬に小さな赤い紋章が見えた。

 最後にオラトリオが入ってきた。

 白いフードの下では目元が隠され、青白い肌に淡い青色の紋様が走っている。

 [スペリオルズ]の印がある胸元へ水晶玉を抱え、両手で支えていた。

 五人が店内へ入った。

「みなさん、お揃いで」

 ラズが両手を広げる。

「ようこそ。こうして実体で会うのは初めてだね」

 返事はない。

「でも安心して。君たちの記録ならかなり見てる」

「それを安心材料だと思ってるなら、頭がおかしいな」

 フェイズが壁にもたれたまま言った。

「いいね」

 ラズが笑う。

「第一印象としては悪くない」

「こっちは最悪だ」

「それも悪くない」

 タウロスが低く鼻を鳴らした。

「話をしろ」

 短い声だった。

「了解」

 ラズはカウンターへ戻る。

 牛丼の容器を閉じた。

「じゃあ本題」

 一拍。

「Ω計画に興味ある人、手を上げて」

 誰も動かなかった。

「うん。予想通り」

 ラズは椅子へ座る。

 ポイゾナスが一歩前へ出た。

「私たちは、あなたの計画へ参加すると決めて来たわけじゃない」

「知ってる」

「確認したいことがある」

「少女のこと?」

 ポイゾナスの目が細くなる。

「話が早いわね」

「僕の長所なんだ」

「こちらで拾った通信記録では、その少女は――」

 短く間を置く。

「陽名と呼ばれていた」

 スプロケットの指が止まった。

 ゴーグルの表示に、一瞬だけノイズが走る。

【SIGNAL FLUCTUATION】

「……陽名」

 ラズが繰り返す。

 その音を口の中で確かめるように。

「なるほど」

「何が?」

 フェイズが聞く。

「いや」

 ラズは笑う。

「やっと名前まで届いたと思ってね」

 スプロケットがゴーグルへ指を当てる。

「……今の」

 誰も反応しない。

 彼女自身も続けなかった。

 ラズは手首の装置を操作した。

 店内中央へホログラムが立ち上がる。

 白を基調とした服を着た小柄な少女が映った。

 マナイア・ケアの近くを歩いている。

【PERSON DETECTED】
【ID:UNRESOLVED】
【TRACKING……】

 人物識別枠が少女へ重なる。

 すぐに外れた。

【FAILED】

 次の映像。

 少女がガンマチームと共に移動している。

【PERSON DETECTED】
【ID:UNRESOLVED】
【TRACKING:UNSTABLE】

 映像そのものは鮮明だった。

 顔も見える。

 歩いている。

 周囲の人間と会話もしている。

「これが陽名?」

 ポイゾナスが尋ねる。

「そうらしい」

 フェイズがラズを見る。

「お前が確認したんじゃないのか」

「映ってるよ」

 ラズが少女を指す。

「声もある。熱源もある。人間も触ってる」

 次の画面。

【IDENTIFICATION:FAILED】

「でも、システムがこの子を同じ一人として固定できない」

 タウロスが映像を見る。

「そこにいるだろ」

「いるね」

「なら何が問題だ」

 ラズの笑みが少し深くなる。

「そこが好きだなぁ、君」

 タウロスが眉を寄せた。

「褒めてるよ」

「要らん」

「残念」

 フェイズが映像へ目を戻す。

「お前にも分からないってことか」

「全部はね」

「だったら、組む理由は薄い」

「逆だよ」

 ラズは立ち上がり、五人とホログラムを挟んで向き合った。

「分からないから、確認する価値がある」

「俺たちを使って?」

「もちろん」

 ラズは即答した。

 フェイズの目つきが変わる。

「隠さないんだな」

「隠して後から怒られる方が面倒だろ?」

 ポイゾナスがラズを見る。

「具体的には?」

「僕は陽名の最新位置と、都市防衛網を避けやすい経路を渡す」

 少女の映像に代わって地図が展開された。

 ラズは表示された複数の区画を指で辿る。

「君たちは自分たちの目的で彼女を確認する」

「それで?」

「僕はその結果を見る」

「私たちを観測する」

「天然ネクスが、今のトーキョー・シティと陽名へどう反応するか。かなり価値のあるデータになる」

 ポイゾナスは即答しなかった。

 ラズも急かさない。

 フェイズが口を開く。

「つまり、情報を餌に俺たちを実験台へ入れる」

「言い方が悪いな」

「違うのか?」

「合ってる」

 フェイズが鼻で笑った。

「やっぱり最悪だ」

「でも情報は欲しい」

 返事が止まる。

 ラズはその沈黙を見ていた。

「君たちは世界政府に管理されるのを嫌ってる」

 ポイゾナスの視線がわずかに動く。

「研究対象にされることも」

 彼女の目が冷えた。

 ラズは気づいている。

「能力を理由に、生き方を誰かに決められることも」

 スプロケットが顔を上げる。

 タウロスの腕が組まれる。

 フェイズは何も言わない。

「僕は、そこについては君たちと近いと思ってる」

「世界政府を倒したいの?」

 ポイゾナスが聞いた。

「別に」

 ラズは軽く首を振った。

「政府を壊しただけで人類が賢くなるなら、とっくに世界は平和だよ」

「なら何がしたい」

 タウロスの声。

「人類を残したい」

 ラズは答えた。

 今度は笑わなかった。

「この先に、今の人類じゃ対抗できない何かが来る可能性がある」

 フェイズが眉を動かす。

「可能性?」

「確定じゃない」

「そんなもんのために世界を弄るのか?」

「滅んでから答え合わせする?」

 フェイズは黙った。

 ラズが続ける。

「Ω計画は、人類そのものを次の脅威へ対応できる状態へ進めるための仕組みだ」

 ポイゾナスが問う。

「あなたが人類の形を決める?」

「僕一人で決めたいわけじゃない」

 EVAがラズを見た。

 ラズは視線を返さない。

「だから、君たちも必要なんだ」

 ホログラムへ天然ネクスの解析項目が並ぶ。

「世界政府の管理外で生きてきた能力者」

 次に[スペリオルズ]の活動記録。

「自分たちで共同体を作り、自分たちの選択で生き延びてきた人間」

 ラズが五人を見る。

「僕が欲しいのは、そういう選択肢を未来にも残すことだよ」

 静かだった。

 タウロスが腕を組んだままラズを見ている。

 フェイズは壁から離れない。

 ポイゾナスの表情も変わらない。

 EVAの視線もラズへ向けられたままだった。

「綺麗な話だな」

 フェイズが言った。

「で?」

「で?」

「本音は?」

 ラズが笑った。

「今のが本音だよ」

「全部じゃないだろ」

「君、面倒だね」

「よく言われる」

「気が合いそう」

「最悪だ」

 ポイゾナスが片手を上げた。

「そこまで」

 フェイズが口を閉じる。

 タウロスも動かない。

 ラズはその反応を見る。

 ポイゾナスが手を上げただけで口論は止まった。

 怯えた動きには見えない。

 この場をまとめる役を彼女へ預けているのだろう。

「私たちはΩ計画への参加を了承しない」

「うん」

「陽名に関する情報だけ受け取る」

「どうぞ」

「彼女をどう扱うかは、こちらで判断する」

「それもどうぞ」

「その結果をあなたへ渡す保証もない」

 ラズが少し考えた。

「まあ、僕が自分で見るから大丈夫」

「それが気に入らないのよ」

「そこは我慢して」

 ポイゾナスは小さく息を吐いた。

「最終的な判断は戻って確認する」

「ドミネーターに?」

「そうよ」

 ラズが軽く手を上げる。

「よろしく伝えて」

「自分で言えば?」

「まだ直接会う時じゃない気がする」

「臆病なのか?」

 タウロスが聞いた。

「慎重って言って」

「同じだ」

「厳しいなぁ」

⸻

 スプロケットは会話から半分外れていた。

 陽名の映像。

 識別失敗。

 追跡のずれ。

 その周囲に残る微細な信号。

 通常の通信ノイズではない。

 《サイバー・リゾナンス》が、そこへ触れようとしていた。

「……なんだろ」

 ゴーグルへ指を当てる。

 不明信号を分離。

 参照。

 接続要求。

【EXTERNAL LINK REQUEST】
【SOURCE:UNRESOLVED】
【ACCESS……】

 画面が白く染まった。

【DENIED】

「っ……」

 スプロケットが一歩よろめいた。

 端末から手が離れ、隣のタウロスが肩を支える。

「スプロケット」

「だ、大丈夫……」

 ゴーグルの中でノイズだけが残る。

 音声データ。

 存在しないはずの一音。

『……ヒナ……』

 スプロケットの身体が止まった。

「……聞こえた」

「何が?」

 ポイゾナスが聞く。

「ぼ、ぼく……今……」

 スプロケットはゴーグルを外しかけ、途中で止める。

「ヒナって」

 ラズの視線が変わった。

「EVA?」

『私は音声を送信していません』

「元映像は?」

『該当時刻に一致する音声記録はありません』

 スプロケットが顔を上げる。

「ぼくには……聞こえた」

 タウロスの手はまだ肩に乗っている。

「無理に見るな」

「でも……」

「後だ」

 短い声。

 スプロケットは少し迷い、接続を切った。

【EXTERNAL LINK:CLOSED】

 オラトリオが水晶玉へ指を添える。

 青い紋様が一度だけ淡く脈打った。

「名は、もう呼ばれている」

 全員がオラトリオを見る。

「届かないのは――」

 彼女が僅かに首を傾ける。

「呼ばれる側ではなく、聞く側」

 沈黙。

「……どういう意味?」

 スプロケットが尋ねる。

 オラトリオは答えなかった。

「そういうの好きだなぁ」

 ラズが笑う。

 フェイズが睨む。

「お前が喜ぶと余計に不安になる」

「信用ないね」

「今までの会話で増える要素あったか?」

「ないかも」

⸻

 ラズはポイゾナスが端末を開くのを待ち、地図データを転送した。

【ROUTE DATA:TRANSFERRED】
【TOKYO CITY / CURRENT TRACE】
【TARGET CALLSIGN:HINA】
【IDENTIFICATION:UNRESOLVED】

「最新の追跡結果」

 ポイゾナスが確認する。

「完全な位置情報じゃないのね」

「それが取れたら、こんな会談してないよ」

「安全経路は?」

「三本」

「罠は?」

「僕が仕掛けたものは避けてある」

「他は?」

「保証しない」

 フェイズが笑う。

「そこだけは信用できるな」

「褒められた?」

「違う」

 ポイゾナスが端末を閉じる。

「行くわよ」

 タウロスが頷く。

 フェイズは壁から身体を離す。

 スプロケットだけが一度、陽名の停止映像を見た。

 少女の顔。

 普通に映っている。

 その横で識別欄だけが空白になっている。

 オラトリオは何も言わず歩き出した。

「じゃあね」

 ラズが手を振る。

「できれば死なないで」

 フェイズが振り返る。

「心配してんのか?」

「データが減る」

「やっぱり最悪だ」

「半分冗談だよ」

「残り半分は?」

「秘密」

 五人が店を出ていく。

 最後にタウロスの足音が遠ざかった。

 店内へ静けさが戻る。

⸻

 ラズはカウンターへ戻った。

 牛丼の蓋を開ける。

 湯気はもうほとんど出ていない。

『ラズ』

「うん?」

『あなたは彼らへ、選択を残すと言いました』

「言ったね」

『黒須原型Ωには、天然ネクスも[スペリオルズ]も存在しません』

「だから追加する」

『陽名も存在しません』

「それも追加候補」

『あなたのΩは、原型からさらに離れています』

 ラズは箸で牛肉を持ち上げた。

「黒須のΩを復元するのが目的じゃない」

『理解しています』

「今の人類に必要な答えへ作り直す」

『その答えを、あなたが決める』

 ラズの箸が止まった。

「またその話?」

『必要な話です』

「僕は人類から考えることまで奪わないよ」

『しかし、選択可能な未来をあなたが制限する』

 ラズはEVAを見る。

 声に怒りはない。

 EVAにもない。

 二人の間では、珍しくない議論だった。

「生き残れない未来まで残す意味は?」

『それを選ぶ権利を、誰が持つかという問題です』

「死んだ人間には、権利も選択肢も残らない」

『だから先に選択肢を奪う?』

「減らすだけだよ」

『あなたが安全だと判断した範囲まで』

 一拍。

 ラズが笑った。

「交渉の場でそこまで説明したら、誰も協力してくれないよ」

『つまり、先ほどの説明は不完全でした』

「嘘とは言わない?」

『あなた自身が分かっているでしょう』

 ラズは冷めた牛丼を一口食べる。

 少し噛む。

「……冷たい」

『再加熱しますか』

 ラズは電子レンジを見る。

 それから首を横へ振った。

「いや」

『理由は?』

「一度冷めたものが、温め直せば同じになるのか試してみたい」

『食事の話ですか』

「さあね」

 EVAはそれ以上聞かなかった。

 ラズも説明しなかった。

 隣のモニターには、先ほどのログが残っている。

【REFLOG:Δ.H1】

【TARGET:Δ.H0】

【ASSOCIATED SUBJECT:SPROCKET】

【EXTERNAL ACCESS:DENIED】

【AUDIO FRAGMENT:UNRESOLVED】

【CONTACT:PENDING】

 ラズは冷めた牛丼を食べながら、その表示をしばらく見ていた。

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