Scene.25 -「未来という名の、まぼろしだった」

スポンサーリンク
▼オリジナル小説

 風が通りすぎた。

 崩れた高層建築の間を風が抜け、ひび割れたコンクリートへ砂を運んでいる。

 壁面には焦げた跡が残っていた。

 戦闘の音は。

 もうない。

 負傷者も。

 [ガンマチーム]も。

 [スペリオルズ]も。

 この場所から離れている。

 残っているのは。

 瓦礫と。

 風。

 その中に。

 一人。

 男が座っていた。

 リク・ロクジョウ。

 白髪。

 深い皺。

 若さを取り戻していた肉体は。

 完全に元へ戻っている。

 肩口から繋がったままの左義手には青白い高出力光がない。

 リクは指を動かしてみた。

 関節は動く。

 だが。

 戦場で見せた力は。

 もうない。

 左義眼も。

 戦術表示を止めている。

 視界補助。

 最低限。

 それだけ。

 リクは瓦礫へ背を預けていた。

 肩の位置をずらしても身体を起こすところまではいかなかった。

 疲れていた。

 身体だけではない。

 長い時間。

 ずっと。

 疲れていたのかもしれない。

 無意識に右手を腰へ伸ばす。

 指はいつもの位置を探り、何も掴まずに止まった。

 大型リボルバーは。

 ジャンへ渡した。

 その手を尻ポケットへ回す。

 そこにも金属の硬さはなかった。

 スキットルは。

 リョウへ渡した。

「……ああ」

 小さく。

 声が漏れる。

「そうだったな」

 自分で渡した。

 必要だと思ったから。

 もう。

 手元に戻すつもりもない。

 アビゲイル。

 クロス型ペンダント。

 ケイト。

 あれを。

 どう受け取るか。

 自分には決められない。

 それも。

 本人へ返した。

 リクは。

 灰色の空を見る。

「……終わったんだよな」

 返事はない。

 Ωは止まった。

 ラズは消えた。

 戦闘も終わった。

 なのに。

 終わったという感覚だけがうまく身体へ入ってこない。

 腰から戻した右手を置いても、何かを探す動きがまだ指に残っていた。

 全部が終われば。

 何かが戻ると。

 どこかで。

 思っていたのかもしれない。

 ケイトがいた時代。

 黒須がいた時代。

 ホフマンがいた時代。

 まだ。

 取り返せるものがあるような。

 そんな未来。

「……馬鹿だな」

 小さく笑う。

 戻るわけがない。

 最初から。

 そんな未来は。

 まぼろしだった。

 リクは。

 目を閉じない。

 ただ。

 遠くを見る。

 風。

 また。

 通りすぎる。

 その時。

「働きすぎよ、リク」

 声。

 リクの眉が。

 僅かに動く。

 声のした方へ顔を向けると隣に女が座っていた。

 ケイト・クロス。

 若い。

 白衣。

 あの頃のまま。

 静かに。

 笑っている。

 リクは。

 しばらく見る。

 本当に。

 そこにいるのか。

 風が作った幻なのか。

 疲れた頭が。

 昔の記憶を置いただけなのか。

 確かめる気にはならなかった。

 リクは背を預けたままその顔を見ていた。

「……そうかもな」

 ケイトが笑う。

 責めない。

 問い詰めない。

 何かを許したとも。

 言わない。

 昔から。

 そうだった。

 選ぶのは。

 最後まで。

 本人。

「俺は」

 リクが言う。

 続きが出ない。

 口を開いたまま一度息を吐いた。

 ケイトは続きを促さずに待っている。

「……何やってたんだろうな」

「さあ?」

「そこは答えろよ」

「自分で考えなさい」

「変わってねぇな」

「あなたもね」

 リクの口元が。

 少しだけ。

 上がる。

 風。

 白衣の裾が揺れた。

 はずだった。

 次。

 別の姿。

 ケイトの少し後ろ。

 車椅子。

 モニター。

 難しい顔。

 ヘンリック・ホフマン。

 リクは。

 目を細める。

「……お前までいるのか」

 返事はない。

 ホフマンは。

 モニター越しに。

 こちらを見ている。

 昔と同じ。

 何を考えているのか。

 分かりにくい顔。

 ただ。

 最後に。

 ほんの僅か。

 頷いた。

 それが。

 何を意味するのか。

 リクには分からない。

 分からなくていい。

 今。

 目の前にいるホフマンが。

 本物であるはずもない。

 本人が。

 最後に何を考えていたのか。

 リクは知らない。

 これは。

 自分が覚えている。

 ヘンリック・ホフマン。

 それだけ。

 さらに。

 奥。

 男がいる。

 黒須蔵人。

「……」

 そこだけ。

 戦場ではないように見えた。

 机。

 小さな鉢。

 黒須が。

 枝へ触れている。

 盆栽。

 少し傾いた幹。

 途中で欠けた枝。

 黒須は。

 それを切らない。

 別の枝だけを。

 少し。

 整える。

 リクは枝を整える手を見ていた。

 欠けた枝が残されているのを確かめてから口を開く。

「お前なら」

 一拍。

「そうするか」

 黒須は。

 何も言わない。

 目だけが。

 リクを見る。

 そして。

 小さく頷く。

 それ以上。

 何もない。

 Ω。

 第一の鍵。

 第二の鍵。

 未来。

 選択。

 今さら。

 黒須本人から。

 答えを聞くことはできない。

 目の前にいる男も。

 答えではない。

 自分の中に残った。

 黒須蔵人の姿。

 それだけ。

 リクは。

 息を吐く。

 ケイトを見る。

 ケイトも。

 こちらを見ていた。

 笑っている。

「……おかえり」

 リクの目。

 一瞬だけ。

 止まる。

 長い。

 時間。

 20年以上。

 帰る場所なんて。

 もうないと思っていた。

 それでも。

 その言葉だけは。

 昔と同じように聞こえた。

「ただいま」

 短く返す。

 声にしたあともケイトから目を離さなかった。

 それだけ。

⸻

 風が吹く。

 ケイト。

 ホフマン。

 黒須。

 三人の輪郭が。

 少しずつ。

 風景へ混じっていく。

 消えたのか。

 最初から。

 いなかったのか。

 リクには。

 もう。

 どうでもよかった。

 左義手。

 内部。

 小さな音。

 カチリ。

 出力の落ちた関節が。

 自重で僅かに動いた。

 リクが。

 その音へ視線を落とす。

 そして。

 一瞬だけ。

 昔から知っているような。

 妙な感覚。

 声。

 夢。

 幻覚。

 誰もいない場所で。

 何かが近くにいたような。

 長い間。

 何度も感じた。

 説明できない気配。

 今。

 それは。

 もう。

 ほとんど感じない。

「……お前も」

 リクが。

 どこへともなく言う。

 続きは。

 口にしない。

 相手が。

 誰なのかも知らない。

 名前も知らない。

 あの気配が少女の姿を得ていたのかさえ。

 リクには結びつけられない。

 ただ。

 何かが。

 ずっと近くにいたような気がしていた。

 それだけ。

 風が。

 もう一度。

 通りすぎる。

 リクは。

 灰色の空を見る。

 動かない。

 眠っているわけでもない。

 立ち上がろうとも。

 しない。

 どれほど。

 そうしていたのか。

 分からない。

 この場所には。

 もう。

 誰もいない。

 リクが。

 そのあと立ち上がったのか。

 どこかへ歩いていったのか。

 そのまま。

 動かなくなったのか。

 見た者はいない。

 記録も。

 残っていない。

 ただ。

 戦場には。

 風だけが吹いていた。

 終わったものを。

 戻すためではなく。

 何かを。

 未来へ運ぶためでもなく。

 ただ。

 風として。

 通りすぎていく。

 リク・ロクジョウが。

 その風のあと。

 どこへ行ったのか。

 誰も知らない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました