Scene.16b ―「君の目に、答えを映して」
「……第二の鍵?」
アビゲイル・エイミー・アームストロングは壁面表示から目を離さなかった。
【SECOND KEY:ABIGAIL AMY ARMSTRONG】
文字は消えない。
ラズが答える。
「そう」
「第二ということは」
アビゲイルが〈高周波刀〉を構えたまま言う。

「第一がいる」
「もちろん」
「誰?」
ラズの笑みが僅かに深くなる。
「そこを聞いてくれると思ってた」
壁面表示が切り替わった。
【Ω KEY STRUCTURE】
【FIRST KEY】
一人の男。
黒いTシャツ。
使い込まれた作業着。
左義眼。
黒銀色の左義手。
先ほど戦場で見た姿と同じだ。
旧記録より老いているはずの身体で迷いなく戦っていた。
アビゲイルはその姿を知っていた。
「……リク・ロクジョウ」
少し前。
ガンマと[スペリオルズ]が共闘していた戦場へ突然現れた男。
ジャンが旧記録から名前を拾った。
エージェント・ゼロ。
【FIRST KEY:RIKU ROKUJO】
【FUNCTION:STRUCTURE RELEASE】
ラズが表示を見る。
「第一の鍵」
「現在成立している人類構造を次へ移せる状態にする側」
次。
アビゲイル。
【SECOND KEY:ABIGAIL AMY ARMSTRONG】
【FUNCTION:LIFE-STRUCTURE DEFINITION】
「第二の鍵」
「その後に成立する生命構造を定める側」
「二つが揃って」
ラズが指を二本立てる。
「Ωが成立する」
リョウが重力場の中で顔を上げた。
「待て待て」
「なんであのおっさんとリーダーなんだよ」
「偶然じゃないから」
ラズが答える。
「何が?」
アビゲイルの声が低くなる。
ラズはすぐには答えなかった。
代わりに。
新しい記録を表示する。
【CROSS LEGACY ARCHIVE】
【RIKU ROKUJO】
【CATE CROSS】
【ABIGAIL】
三つの名前。
アビゲイルの目が止まる。
「……何?」
「ケイトの話はしたよね」
「実母だと、あなたは言った」
「うん」
「私はまだ認めていない」
「それでいいよ」
ラズは軽く言う。
「事実は認めるかどうかとは別に残るから」
表示が変わる。
【BIOLOGICAL MOTHER:CATE CROSS】
【BIOLOGICAL FATHER:RIKU ROKUJO】
アビゲイルの手が止まった。
ほんの一瞬。
〈高周波刀〉の切っ先が下がる。
アビゲイルは握り直した柄の位置でその動きに気づいた。
「……」
ジャンも画面を見る。
「リーダー……」
「黙って」
アビゲイルはラズだけを見る。
「説明して」
「そのままの意味だよ」
「リク・ロクジョウ」
ラズが第一の鍵を指す。
「君の生物学上の父親」
「違う」
アビゲイルの返答は早かった。
「私の父はエドワード・アームストロング」
「母はエリノア・アームストロング」
「私は二人の娘」
「うん」
ラズが頷く。
否定しない。
アビゲイルの眉が動く。
「……何?」
「僕は家族の話をしてない」
「出生の話」
「同じよ」
「君にとってはね」
「なら」
アビゲイルが一歩前へ出る。
ラズの顔と壁面表示が同じ視界へ収まった。
「私にとっての父と母をあなたが決めないで」
一瞬。
ラズの笑みが止まった。
すぐに戻る。
「それは君が決めればいい」
「だったら、最初からそう言えば?」
「生物学的な事実まで変わるわけじゃない」
「変えるつもりもない」
アビゲイルは画面を見る。
リク。
ケイト。
自分。
三つの名前。
「確認できるの?」
ジャンへ聞く。
「今ある情報だけでは完全には」
ジャンが答える。
「リーダー自身のデータは確認できます」
「ラズが表示したアビゲイルさん側の生体情報も一致しています」
「でも」
リクとケイトの表示を見る。
「二人の原記録へボクは直接アクセスできていません」
「なら証明ではない」
「はい」
ジャンは即答した。
「ただし」
「この情報を完全な嘘と断定する材料もありません」
アビゲイルは息を吐く。
否定したい。
だからといって。
証拠が不足していることと、事実ではないことは同じではない。
マナイアの言葉が頭に残っている。
分からないものを。
分かったふりで処理するな。
画面には三つの名前が並んだままだ。
今は答えを出せない。
なら出さない。
「保留する」
アビゲイルが言った。
ラズが首を傾げる。
「保留?」
「出生の真偽」
「あなたの目的」
「Ω計画」
「全部」
アビゲイルは〈高周波刀〉を上げ直す。
「私が確認して決める」
「いいね」
「でも」
ラズが続けようとした時。
小さな金属音。
陽名がジャンの側から一歩前へ出ていた。
アビゲイルは刀を向けたまま横を見る。
胸元。
五枚のドッグタグ。
デルロイ。
ファイシル。
キャメロン。
アレクセイ。
ジョイ。
陽名は壁面のアビゲイルを見る。
次に本人を見る。
「アビゲイル」
「何?」
「アビゲイルはアビゲイルでしょ?」
アビゲイルが少女を見る。
「……そうね」
「お父さんとお母さんが増えたら、違う人になるの?」
「増えたとは決めてない」
「そっか」
陽名は頷く。
「じゃあ、まだアビゲイル」
リョウが重力場の中から笑った。
「嬢ちゃん、分かりやすいな」
「難しい?」
「大人が勝手に難しくしてんだよ」
「リョウ」
アビゲイルが睨む。
「はい」
ラズは陽名を見ていた。
「本当に」
一度だけ息を吐く。
「君って、予定に入らないなぁ」
陽名が聞く。
「入らないとダメ?」
「そこなんだよね」
「何が?」
「入らないのに」
ラズは陽名を見る。
「無視できない」
「変なの」
「僕もそう思う」
⸻
「一つ聞く」
アビゲイルがラズへ戻る。
「うん」
「私がΩ計画を拒否したら?」
ラズの表情が少し変わった。
リョウも。
ジャンも。
黙る。
「参加しない」
「第二の鍵として使われることも拒否する」
「その場合」
「あなたはどうする?」
ラズは答えない。
今までより長い沈黙。
アビゲイルは構えを変えずに返答を待った。
ジャンの端末。
【EVA:LOCAL SUPPORT ACTIVE】
表示だけが残っている。
「ラズ」
アビゲイルが促す。
「君の答えは聞きたいよ」
「聞くだけ?」
「選んでほしい」
「でも?」
ラズの口元から笑みが少し消える。
「その一人の拒否で」
「人類全体が、次に来るものへ対抗できない未来を選ぶつもりもない」
アビゲイルの目が細くなる。
「それは」
「私に選ばせるとは言わない」
ラズは返さなかった。
代わりに。
ジャンの端末から声。
『同意します』
EVA。
初めて。
この場へ直接声が届いた。
ラズが端末を見る。
「EVA?」
『アビゲイル・アームストロングの拒否を最終的に認めないのであれば』
一拍。
『提示されているのは選択ではありません』
ラズの表情が止まる。
端末へ向けた目がしばらく戻らなかった。
「選択肢が全部なくなったら」
ラズが答える。
「選ぶこと自体できなくなる」
『それは理解しています』
「なら?」
『未来を残すことと』
『未来を一つに固定することは同義ではありません』
沈黙。
ラズは少し笑った。
だが。
さっきまでとは違う。
「今日はずいぶん喋るね」
『必要だと判断しました』
「僕に反対?」
『まだ結論ではありません』
「まだ?」
『観測を継続しています』
「そっか」
ラズは視線を戻す。
「じゃあ、続きを見よう」
アビゲイルが言う。
「私は実験対象じゃない」
「知ってる」
「第二の鍵でも」
アビゲイルは続けた。
「先に私は私よ」
「そこは陽名と同じ答えなんだ」
「本人が先に言っただけ」
陽名がアビゲイルを見る。
「同じだった?」
「みたいね」
⸻
突然。
ジャンの端末が警告を出した。
【DELTA TEAM】
【COMMAND LINK:UNSTABLE】
【INTERCEPT TARGET:RIKU ROKUJO】
【CONTROL RESPONSE:DEGRADING】
「……デルタ?」
ジャンが画面を切り替える。
「フィンセント」
「グアダルーペ」
「マケナ」
アビゲイルが反応する。
「教官が一時指導していた三人」
「はい」
さらに。
【FIRST KEY:RIKU ROKUJO】
【CONTACT:ACTIVE】
ラズも画面を見る。
「始まったか」
「何が?」
「第一の鍵の方」
EVAの声。
『デルタチーム制御系に異常』
『現行命令の維持率が低下しています』
ラズの目が細くなる。
「リク?」
『可能性が高い』
「……さすが」
「楽しそうね」
アビゲイルが言う。
「予定外だから」
「計画が壊れても?」
「壊れるのは困るよ」
ラズは即答した。
「でも」
第一鍵の表示を見る。
「台本通りにしか動かない鍵なんて」
「人間じゃない」
「なら、なぜ私の答えを固定する?」
ラズの笑みが薄くなる。
返答まで。
少し時間が掛かった。
「そこは」
一拍。
「まだ僕にも答えが必要みたいだ」
アビゲイルは何も言わなかった。
EVAも。
返さない。
その沈黙だけが残る。
⸻
「ジャン」
アビゲイルが呼ぶ。
「はい」
「重力ディスク」
「今なら行けます」
デルタ系統の異常に伴って、局地支援の同期が一瞬だけ乱れている。
ジャンはその隙を逃さない。
端末の上で止めていた指が動いた。
重力ディスクの通信経路。
一系統。
切断。
【GRAVITY FIELD:OUTPUT DROP】
「よっしゃ!」
リョウが腕を床から引き剥がす。
《クロガネ》。
黒銀の腕で身体を起こす。
押しつけられていた膝を床から離し、重力場の外へ踏み出した。
「やっと自由!」
天井のドローンが照準を変える。
ジャンがカスタム拳銃を抜く。
一発目がセンサーを砕く。
向きを乱した機体の通信部へ二発目を撃ち込んだ。

ドローンが壁へぶつかり、床へ落ちる。
「EVAを突破したわけじゃないですけど」
ジャンが言う。
「一個なら十分です」
『妥当な判断です』
端末からEVA。
ジャンが一瞬だけ止まる。
「褒められた?」
リョウが聞く。
「今それ気にします?」
「大事だろ」
「後にしてください」
アビゲイルはラズを見る。
三対一。
状況は変わった。
だが。
ラズは構えない。
「今日はここまでかな」
「逃げる?」
リョウが言う。
「目的は戦うことじゃない」
ラズはアビゲイルを見る。
「僕は答えを見せに来た」
「あなたの答えを?」
「事実を」
「答えは」
ラズが少し笑う。
「君が決めればいい」
「本当に?」
アビゲイルが聞く。
ラズの返事が止まる。
端末からも声はしなかった。
「……少なくとも」
ラズは言った。
「今はそう思ってる」
アビゲイルはそれ以上問いを重ねなかった。
ラズへ向けた刃は下げない。
ラズが後方へ下がる。
EVAが局地隔壁を開く。
保守通路。
照明が一列だけ消える。
「また会おう」
「次は答えを持ってるといいね」
「私の?」
「僕のも」
ラズは通路の奥へ歩いていく。
「ラズ」
アビゲイルが呼び止める。
振り返る。
「第一の鍵」
「リク・ロクジョウを」
一度区切る。
「あなたはどうするつもり?」
ラズは少し考えた。
「本人に聞くよ」
「君と同じように」
「その後は?」
「その時に決める」
「またあなたが?」
ラズは答えなかった。
隔壁が閉じる。
姿が見えなくなる。
アビゲイルは扉が閉じきるまで構えを保った。
⸻
静かになった。
陽名は消えていない。
アビゲイルのすぐ横に立っている。
胸には五枚のドッグタグ。
リョウもいる。
ジャンもいる。
壁面。
ラズが残していった記録だけが表示されていた。
【Ω KEY STRUCTURE】
【FIRST KEY:RIKU ROKUJO】
【SECOND KEY:ABIGAIL AMY ARMSTRONG】
アビゲイルは〈高周波刀〉を収める。
胸元へ手を伸ばす。
銀のクロス型ペンダント。
光らない。
声も聞こえない。
いつもと同じ金属の感触を指で確かめる。
「リーダー」
ジャンが聞く。
「大丈夫ですか」
「大丈夫ではない」
即答。
リョウが黙る。
「でも」
アビゲイルは画面を見る。
「今は考える時間じゃない」
「〈レイヴン〉へ戻る」
「了解」
ジャンが答える。
「リクは?」
リョウが聞く。
画面。
【DELTA COMMAND LINK:UNSTABLE】
【FIRST KEY:ACTIVE】
アビゲイルは少しだけ止まった。
父親。
その言葉は。
まだ口にできない。
「まず状況を確認する」
「事実から」
ジャンが頷く。
「了解です」
ジャンが退路の表示へ切り替える。
陽名がアビゲイルの横を歩き始める。

五枚のタグが小さく鳴った。
アビゲイルも歩く。
最後に。
一度だけ壁面を見る。
【FIRST KEY:RIKU ROKUJO】
「……第一の鍵」
短い沈黙。
「リク・ロクジョウ」


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