Scene.10 -「ふれたとき、それはまだ動いていなかった」

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▼オリジナル小説

 外界、旧東京圏。

 廃工場の管理棟。

 夕方の弱い光が、割れた窓から差し込んでいる。

 数時間前の争いで倒れた棚は、そのままになっていた。

 床には乾き始めた血と、踏み荒らされた埃が残っている。

 リク・ロクジョウは古い椅子へ座っていた。

 左義手の青白いラインは弱い。

 左義眼も、必要最低限の光しか出していない。

 机代わりのコンテナには大型リボルバーの部品が並んでいた。

 シリンダーとトリガー機構を古びたフレームの脇へ寄せてある。

 その横に油を含ませたクロスを置いていた。

 リクは生身の右手で、一つずつ汚れを落としていく。

(考えるな。ただ、手を動かせ)

 何度も使ってきた方法だった。

 考えたくない時。

 昔を思い出したくない時。

 手を動かしていれば、余計なことを考えずに済む。

 コンテナの上でフレームを支え、最後の部品を戻す。

 右手で握り直してシリンダーを閉じた。

 乾いた金属音がした。

 弾は入れない。

 リクは大型リボルバーを腰のホルスターへ戻した。

 コンテナの上には傷の増えたスキットルが残っている。

 表面の刻印。

 C.C.

 指先が、その二文字をなぞった。

 傷は増えた。

 刻印は消えていない。

 リクは蓋を開ける。

 一口。

 喉が熱くなる。

 蓋を閉じた。

 視線を上げる。

 向かいのコンテナ。

 そこに、漆黒の球体が置かれていた。

 〈ラズの招待状〉。

 管理棟へ運んでから何度も見た。

 触れたのは一度だけ。

 すぐに手を離した。

 理由は分かっている。

 あの球体の中には、ただの電力では説明できない量のエネルギーがある。

 左義眼が最初に測定を試みた時、推定値は途中で打ち切られた。

 《ゼロポイント》も反応した。

 吸収できる。

 そのことだけは分かった。

 問題は、その先だった。

(あいつは、俺が何をするか分かってて置いていった)

 ラズの顔が浮かぶ。

 腹の立つ笑顔。

 リクは舌打ちした。

 スキットルをコンテナへ戻した。

 リクは椅子の前へ身体を寄せ、向かいの球体へ右手を伸ばす。

 指の腹が冷たい外殻に触れた。

 次の瞬間。

「……っ」

 左義手が震えた。

 青白いラインが、一瞬だけ強く光る。

 《ゼロポイント》が反応している。

 球体内部のエネルギーへ。

 だが、それだけではなかった。

 義手のさらに奥。

 長い間、そこにあり続けたもの。

 記律の石。

 その一部が、別の反応を返した。

 痛みではない。

 熱でもない。

 音でもない。

 ただ。

 どこかで、何かが触れた。

 そう感じた。

 リクの呼吸が止まる。

 視界が暗くなった。

⸻

 2059年。

 旧パース・シティ。

 警報音。

 崩れた壁。

 人工空の一部が消え、天井の構造材が露出している。

『リク、前方!』

 ジェフリーの声。

 若かった。

 今よりずっと荒い。

 リクは身体を低くする。

 直後。

 巨大な影が突っ込んできた。

 マストドン。

 灰白色へ変化した巨体。

 鉄骨を両手で持ち、正面から振り下ろす。

 リクは左義手を上げて鉄骨を受けた。

 足元の床が沈む。

 《ゼロポイント》が衝撃を吸収し、振り下ろされた鉄骨の勢いを止めた。

 義手の青白いラインが強く走った。

 リクは鉄骨を横へ流した。

 両手で握るマストドンの身体が引かれ、片足へ重心が偏る。

 リクはその足を払った。

 マストドンが横倒しになる。

 床が揺れた。

 リクはそのまま背後へ回り込み、首筋へ一撃を入れる。

 巨体の力が抜けた。

『生命反応あり』

 ホフマンの声。

『意識喪失を確認』

『一人目』

 ジェフリー。

『次が来るぞ』

 黒い煙が通路の奥から広がった。

 視界が消える。

 スモークブリンガー。

『リク、無理に入らないで』

 ケイトの声が通信へ入る。

『煙の中心は右前方。動いてる』

 リクは目を閉じた。

 左義眼の熱源表示だけを残す。

 一つ。

 移動している。

 低い位置。

 近い。

 リクは煙の中へ踏み込む。

 黒い影が動いた。

 リクは動いた影の腕を取り、踏み込んだ足を相手の脚へ掛けた。

 引き倒すと煙の放出が途切れた。

 リクは相手の身体を押さえ込む。

『二人目、確保』

 ジェフリーの声。

 その時だった。

 何かが聞こえた。

 小さい。

 遠い。

 子供の声に似ていた。

 だが。

 言葉にはならない。

 リクが顔を上げる。

『どうしたの?』

 ケイト。

「……いや」

 周囲を見る。

 誰もいない。

 熱源表示にも異常はない。

「何でもない」

 リクは立ち上がった。

 次の瞬間。

 空気が震える。

 ハウラー。

 咆哮。

 衝撃波が通路を走る。

 壁面のパネルが割れる。

 リクは左腕を前へ出した。

 全ては吸収できない。

 身体が押される。

 足を踏み込む。

 一歩。

 もう一歩。

 音圧の中を進む。

 ハウラーが息を吸い直す。

 その瞬間。

 リクが間合いへ入った。

 リクの掌底がハウラーの顎を捉えた。

 口が閉じ、次の咆哮が途切れる。

 二発目は入れない。

 ハウラーが膝をついた。

 そのまま倒れる。

『呼吸確認』

 ホフマン。

『意識低下。生命反応安定』

『三人目』

 ジェフリーが息を吐く。

『あと一人だ』

 声が聞こえた。

『贖え……』

 低い声。

『贖え……』

 チャント。

 細い男が、通路の奥に立っている。

 指が不規則に動いていた。

『贖え……贖え……』

 声が頭の内側へ入り込む。

 リクの足が止まった。

 呼吸が乱れる。

 過去の光景が浮かぶ。

 レツ。

 リベカ。

 黒須。

 守れなかった人間。

『贖え』

 リクは歯を食いしばった。

 《ゼロポイント》では消せない。

 これは熱でも、衝撃でも、電力でもない。

 声。

 言葉。

 それなら。

 リクは腰から大型リボルバーを抜いた。

 銃口はチャントから外して床へ向けた。

 一発。

 轟音が通路へ響く。

 チャントの声が途切れた。

 その一瞬で十分だった。

 リクは走る。

 距離を詰める。

 リクはリボルバーをホルスターへ戻しながら相手の腕を払った。

 喉は締めずに顎へ手を当て、押し上げる。

 身体を回して床へ倒し、相手の腕を固定した。

「喋るな」

 チャントの口が動く。

 リクは口元を押さえた。

 数秒。

 抵抗が弱くなる。

『四人目、制圧確認』

 ジェフリー。

『全員、生きてる』

 ケイトの声が入る。

『リク、ありがとう』

「仕事だ」

『そういうところ、昔から変わらないわね』

 リクは答えなかった。

 また。

 あの感覚がした。

 誰かがいる。

 見ている。

 近くではない。

 遠くでもない。

 場所が分からない。

 今度は声もない。

 ただ、一瞬だけ。

 知らない誰かの感情が、自分の中を通り抜けたような感覚。

 寂しさ。

 それとも。

 何かを探しているだけなのか。

「……誰だ」

『リク?』

 ケイト。

「何でもない」

 その直後。

 都市全体が揺れた。

 警報が変わる。

『構造損傷拡大!』

 ホフマンの声。

『中枢区画の維持が落ちてる!』

『全員退避!』

 ジェフリーが叫ぶ。

 天井材が落下した。

 リクは四人の制圧位置を確認する。

「回収班を急がせろ」

『もう向かわせてる! お前も戻れ!』

 爆発音。

 通路の奥が崩れた。

「ケイト」

 返事がない。

「ケイト?」

 通信にノイズ。

『……リク……』

 遠い。

 リクは走った。

 崩れた区画を越える。

 壁を蹴る。

 鉄骨を義手で押し退ける。

「位置を出せ!」

『送る!』

 ジェフリー。

 左義眼へ座標が出る。

 リクは曲がる。

 管理区画。

 崩れた梁。

 その下。

 白衣が見えた。

「ケイト!」

 リクは駆け寄る。

 血が広がっていた。

 ケイトはまだ意識を失っていない。

 青い瞳がリクを見る。

「動くな」

 リクは梁へ手を掛ける。

「リク、待って」

「黙ってろ」

「それを動かしたら、上が落ちる」

「分かってる」

 義眼が周囲を解析する。

 支点。

 荷重。

 崩落位置。

 悪い。

 全部。

「リク」

 ケイトがもう一度呼ぶ。

 リクの手が止まった。

 ケイトは白衣の内側へ手を入れる。

 小さなスキットル。

 まだ傷の少ない金属。

 表面に刻まれた二文字。

 C.C.

「何だ、それ」

「あなたに」

「後でいい」

「今じゃないと駄目」

「やめろ」

 ケイトが手を伸ばす。

 リクは受け取らない。

「リク」

 静かな声だった。

「約束だけは、忘れないで」

 リクの表情が固まる。

「……」

 ケイトはスキットルを押しつけた。

 リクの右手が受け止める。

 金属は温かかった。

 血が刻印へついた。

「ケイト」

 返事はすぐには来なかった。

「大丈夫」

「何がだ」

「あなたなら」

「やめろ」

 スキットルを右手で握ったままリクは左義手を梁へ掛け直した。

「リク」

「黙れ!」

 その瞬間。

 また。

 何かが触れた。

 声ではない。

 姿もない。

 ただ。

 そこに誰かがいるような感覚。

 悲しいのか。

 怖いのか。

 それすら分からない。

 リクは振り返った。

 誰もいない。

 崩れた通路。

 警報灯。

 煙。

 それだけだった。

 次の崩落音が響いた。

 記憶はそこで途切れた。

⸻

 2080年。

 廃工場。

 リクの目が開いた。

 呼吸が荒い。

 右手はまだ漆黒の球体へ触れている。

 左義手が震えている。

 弱かった青白いラインが、さっきより明るい。

「……あれか」

 リクが呟いた。

 昔から時々あった。

 声。

 気配。

 夢。

 誰もいない場所で、誰かが近くにいるような感覚。

 ケイトを失った後も、何度かあった。

 いつから聞こえなくなったのかは覚えていない。

 気にする余裕もなくなっていた。

 だが。

 今の感覚は同じだった。

 リクは球体を見る。

 これは記憶を見せたわけではない。

 触れた瞬間、《ゼロポイント》が内部のエネルギーへ反応した。

 同時に。

 義手内部の記律の石が共鳴した。

 その刺激で、忘れていた記憶が引きずり出された。

 それだけ。

 少なくとも、リクにはそう思えた。

 机の上。

 C.C.のスキットル。

 腰には、弾の入っていない大型リボルバー。

 目の前には、ラズが残した黒い球体。

 リクは長く黙った。

(約束)

 何年も避けてきた言葉だった。

 何を守れた。

 何を守れなかった。

 考えれば、答えは決まっている。

 守れなかったものの方が多い。

 それでも。

 右手を離さなかった。

 《ゼロポイント》を起動する。

 最初は小さく。

 外殻に指を置いたまま球体内部のエネルギーへ自分から接続する。

「……好きに使われる気はねぇぞ」

 誰に言ったのか。

 ラズか。

 ケイトか。

 それとも。

 昔から時々、自分の近くにいた何かなのか。

 返事はない。

 必要もなかった。

 エネルギーが流れ込む。

 義眼の光が強くなる。

 義手の青白いラインが、肩口まで走った。

 止まっていた感覚が戻ってくる。

 指。

 腕。

 背中。

 心臓。

 身体の奥で熱が広がる。

 リクは歯を食いしばり、両足を床へ押しつけた。

 まだ何も終わっていない。

 何かが始まったわけでもない。

 ただ。

 今度は自分から選んだ。

 リクは、球体から手を離さなかった。

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