Scene.13 ―「風だけが、通りすぎていった」

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▼オリジナル小説

<REFLOG–Δ.H1> : OBSERVATION INSTABLE … SIGNAL NOISE DETECTED】
【EVA──「戦闘領域において未知因子の干渉。映像ログ一部に乱れ発生。記録継続」】

 焦げついた空気が、地下の空間に重く沈んでいた。
 瓦礫の隙間からは、鉄錆びた熱気と死臭が微かに漂い、誰の気配もないのに“視線”のような違和感だけが残っている。

──風も、音も、ただの一度も戻ってこなかった。

 瓦礫の中心。焼け焦げた舗装の上に、ひとつの影が立った。

──義手の男だった。

 左腕は金属の外骨格に覆われ、煤けたコートの袖から青白いラインがわずかに覗いている。
 左目はかすかに光を宿した義眼。その視線が、死と沈黙の荒野を貫いていた。着地の衝撃が舞い上げた砂塵は、風すら忘れたように空中を漂い、音も、熱も、時間さえも、彼の周囲から抜け落ちていた。

 最初に動いたのは、ゾンビ化した市民たちだった。呻き声とともに群がる肉塊に、男はわずかに顔をしかめる。
 やがて、ゆっくりと、腰のホルスターからスキットルを抜いた。右手。生身の指が、蓋を捻り、酒を一口だけ含む。それは、かつて戦場で死んだ仲間の名を、酒とともに空に還す、旧式部隊に伝わるやり方だった。

 彼は、今でもそのやり方を手放せなかった。忘れないために。何も終わっていないからこそ。
 飲み込まず、わずかに口に含んだまま、空へと吐き出す。その行為が、祈りのように静かだった。
 その動作には、研ぎ澄まされた“儀式”のような神話的な静けさがあった。古びたスチールの匂いと共に、どこか遠くの戦場の残響が、空気に沁みていく。

「……遅れねぇよ、今度は」

 その声は、誰にも届かぬはずだった。
 けれど、その瞬間──遠方で戦況を中継する映像ログに、EVAが警告を記す。

【EVA──「対象確認。旧称:エージェント・ゼロ。コード名:リク・ロクジョウ。再起動を確認」】

 青白い義眼がわずかに明滅し、リク・ロクジョウの動きが止まる。

 再装填された六連装リボルバーが、ホルスターの中で静かに待機していた。

「……戻ってきたか……」

 誰にでもなく呟いたその声が、遠隔観測システムに届く。

──風が、通りすぎた。

 第一波。ゾンビたちが喚声を上げながら一斉に飛びかかる。
 だがリクは動じない。左の義手が唸り、金属の拳が容赦なく振るわれた。ぐしゃりと音を立てて、三体のゾンビが同時に砕ける。
 次の瞬間、一直線に並ぶように群がったゾンビの頭部に、リボルバーが一閃。
 一発目。火花とともに弾が貫通し、血煙と脳漿を撒き散らしながら五体が連続で崩れ落ちた。

「な、なあ見たか!? 今の一発で、一直線に全部ッ!」

 リョウが叫ぶ。興奮と畏怖が入り混じった声だった。

──風が、通りすぎた。

 瓦礫の上を跳び、崩れかけた鉄骨柱を見上げるリク。一瞬だけ目を細め、銃口を向ける。
 二発目。柱の継ぎ目を正確に撃ち抜いた。
 ギシリ、と軋み、支えを失った鉄骨が斜めに倒壊。下に潜んでいたゾンビ数体が潰された。

「構造計算済み……撃つ前に全体をスキャンしていたのか。差し合いが完璧すぎる……確反どころじゃない、動きを読んでいる」

 ジャンはすべて記憶に止めようと瞬きすら忘れていた。

──風が、通りすぎた。

 〈センチレット〉が跳躍し、金属脚で攻撃を仕掛ける。だがリクは真正面から受け止めた。義手の金属が軋み、敵の脚を地面へ押し潰す。
 同時に右手でリボルバーを空へと放り上げ、左手でコア部を掴んで強引に抜き出し、右手に持ち替えてエネルギーを吸収。左腕の義手が青白い閃光を放つ。
 コアを放り投げ空から落ちてきたリボルバーを右手で掴み直し、側面から飛びかかるもう一体の〈センチレット〉を一切見ずに銃口を向ける。
 三発目。コアを的確に撃ち抜く。機体はその場で爆発四散した。

「今の……力だけじゃねえ。読みも反応も、全部計算されてた」

 タウロスが口の血を拭いながら呆然とつぶやく。

──風が、通りすぎた。

 ゾンビ、そして機械兵。すべてがリクの動きについていけない。義手の補助機構と、強化された肉体が閃くたびに敵が倒れていく。
 一度、リクが立ち止まる。その視線の先、浮遊する〈センチレット〉を捉える。
 四発目。撃ち抜かれた機体が爆散。破片と共に巻き込まれたゾンビたちも倒れた。

「どこにも“隙”がねぇぞ……狙いどころは見えてるのに、入れねぇ」

 フェイズが自嘲気味に顔をしかめる。

──風が、通りすぎた。

 ポイゾナスがスプロケットを庇うように抱え、何も知らず背後をさらしている。
 その背に向かって、〈センチレット〉が脚を振り上げ、リクの視線が鋭く跳ねた。
 五発目。音もなく撃たれた一弾が、機体の関節部を直撃。ギィン、と鉄の悲鳴を上げながら、〈センチレット〉が横転し爆散する。
 驚くポイゾナスはスプロケットがわずかに笑っているように見えた。

「……“裏切り者”って聞いてた……けど……こんなの、救世主じゃない……」

 ポイゾナスがスプロケットに語りかけるような言葉。何かが崩れるような声音だった。

──風が、通りすぎた。

 〈セントリオ〉が姿を現す。巨大な金属骨格。赤いコアが、脈打つように明滅していた。
 リクは静かにコートを脱ぎ、リボルバーをホルスターに収める。左腕──金属の義手をむき出しにする。同時に、義眼もわずかに明るさを増し、両者が青白い光を帯びて脈動し始めた。
 一歩ずつ、距離を詰める。
 〈セントリオ〉がアームを振り下ろし破壊を繰り返し、銃火器が火を吹くもリクは冷静にすべてを避け、時には左腕の義手で攻撃の軌道を逸らしていった。

「……速い。《ミライメージ》でも追いつけない……それに……迷いが、ない……」

 圧倒されるアビゲイルは自身の戦い方に似てるが、洗練された動きと意志の強さが桁違いだとして素直に認めていた。

「……終わりだ!」

 リクが一気に〈セントリオ〉との距離を縮めると、右手がコアに触れる刹那──青白い閃光が、爆ぜた。
 〈セントリオ〉の赤い核が歪み、機体全体が硬直する。その内部で回っていた制御プログラムが、一瞬で無力化された。
 吸収。義手と義眼はさらに強く、青白い光を明滅させる。圧倒的な量のエネルギーが、ひとつの人体に流れ込んでいた。

(……そうはさせねぇ)

 リクの義眼が異変に気づく。
 崩壊しかけた〈セントリオ〉が、最後の自爆機構を起動したその瞬間──彼は、右手でホルスターからリボルバーを、静かに構えた。
 引き金を引く。
 六発目が〈セントリオ〉のコアと頭部を貫いた。

 次の瞬間だった。

 左腕の義手が、青白く炸裂した。溜め込まれた余剰エネルギーが、放電という形で空間を貫いたのだ。まるで風に導かれるように、青白い稲妻が地面を走り、空気を焼く。焦げた金属の匂いが立ちのぼり、空気は微細な静電気で満たされた。皮膚を撫でるような感触だけが、そこに残っていた。
 その閃光は、廃墟に潜んでいたゾンビ化市民たちを次々と撃ち抜き、中破していた〈センチレット〉の残骸を、容赦なく焼き尽くしていく。だが、その電撃は、誰一人として巻き込まなかった。ガンマチームも、スペリオルズも、奇跡のようにその範囲から外れていた。
 〈セントリオ〉の崩壊が終わる。焼け焦げた装甲が砕け、赤いコアが音もなく砕け散る。煙と砂塵の向こうに、ただひとつ──青白い光の残響だけが、揺らめいていた。

──風が、通りすぎた。

 周囲にはまだバチバチと静電が走る中、遠くの闇からすべてを見ていたオラトリオ。手に持つ水晶玉も帯電しているが、オラトリオ自身はまったく気にしていなかった。

「……その名は……風のように過ぎ去って、誰の記憶にも残らない」

 オラトリオの持つ水晶玉には何か黒い影が映り込んでいた。

──風が、通りすぎた。

 さっきまでの戦闘が嘘のように静けさが場を支配していた。その中心に立つ青白い光を放つ義眼と義手の男、エージェント・ゼロが戦場に舞い戻ってきた。
 撃ち尽くされた弾丸、空薬莢を手慣れた再装填をしてホルスターに収める。

【<REFLOG–Δ.H1> : OBSERVATION REBOOTED】
【EVA──「対象Aの戦闘行動、再接続確認。ログ記録を再開します」】

 長年に渡って錆びていたはずの動きも今では全盛期を彷彿とさせる。
 リクは一息大きく吐いた。

「……戻ってきたか……」

 彼はわずかに笑った。皮肉でも、安堵でもない、どこか曖昧な響き。そしてそれを懐に戻すと、再び誰にも見えない闇へと背を向けた。
 歩き出す足が、一瞬だけ止まる。
 風もないのに、背後の空気がかすかに“ざわめいた”気がした。

──風が吹いた。

 ふいに、空気の層がひとつめくれた。 埃の匂いを帯びた、どこか懐かしい風。皮膚ではなく、心の奥を撫でてくるような風だった。
 音もなく、気配もなく、ただ空間の“密度”だけがわずかに変化する。風のような渦が、視界の端で揺らいだ。その中心に、白いシャツの少女が、確かに“立っていた”。誰もいないはずのその場に、白いシャツの少女が現れる。  陽名。彼女の姿に、リクは背を向けたまま、振り返らなかった。代わりに、ほんの一瞬、懐のタグを握る手にだけ、微細な力がこもる。
 陽名もまた、何も言わない。ただ、かすかに、かすかに微笑む。
 
 そのとき、遠く離れた場所で、ひとつの変化が起きた。
 
 スプロケットの指先が、わずかに震えた。意識のない彼女の身体に繋がれたゴーグルが、ほんのわずかに点滅する。光でも音でもなく、微かな“応答”のように。  フェイズが気づくよりも先に、オラトリオの影が揺れ、舞台を降りるように消える。

「幕は降りた。だが、観客はまだ残っている……やれやれ」

 オラトリオの呟きは、誰にも届かない。
 その直後。仮想ネットワークに残されたEVAの観測ログが、わずかに乱れる。
 視覚、音声、熱量、そして因子スキャン……すべてにノイズが走る。

【<REFLOG–Δ.H0> : OBSERVATION INTERRUPTED】
【EVA──「……記録断絶。対象消失。再観測、保留」】

──白い少女の姿も、すでにそこにはなかった。

 ノイズが消えたあとにも、わずかな“余熱”が観測ログに残っていた。解析不能な微弱信号。まるで、“誰かの視線”のように。

──風が、通りすぎた。

 高所のホログラム室。戦場の全景を俯瞰するスクリーンの前に、ラズは静かに立っていた。
 冷たい瞳が映像を巻き戻す。隣に控えるEVAが、いつもよりわずかに強い緊張を含んだ声で告げた。

「選別は順調です。ただし──予測不能な干渉因子、Δ.H0の活動が拡大しています」

 ラズは無表情のまま、だが声にはわずかな焦りが混じる。

「来るべきものだ」

「リク・ロクジョウ改めてエージェント・ゼロ、及びエージェント・アビゲイルの因子は揃いました。残るは陽名の影響です。未知ゆえ、計画への影響は不確定ですが……確実に脅威を孕んでいます」

 EVAは「エージェント・アビゲイル」と呼んだ。
 その声には、わずかながら関心と戸惑いが混じっているのを、ラズは鋭く察知していた。
 ラズは眉間に軽い皺を寄せた。計算外の要素がもたらす不確かさが、彼の胸中に一瞬だけ冷たい影を落とす。だがすぐに、冷徹な仮面を元に戻し、視線をホログラムに戻した。

「未知は常に成功の母だ」

 EVAの声がかすかに震え、しかしそれを必死に押し殺すように言う。

「しかし、不確定な存在は、計画の崩壊も意味します。警戒を強める必要があります」

 完全な支配とは、計算可能であること──だが今、ラズの目前にあるのは「計算できないからこそ成立する自由」だった。
 ラズの瞳に、一瞬だけ暗い影が揺れた。まだ見ぬ未来に対する期待と不安が、彼の胸をかすめていた。

「計算外こそ、進化の鍵。……見守るとしようじゃないか」

 ラズの笑みの奥で冷えた感情が、ひとつだけ輪郭を曖昧にしていた。ラズは黙したまま、映像の停止したホログラムを見つめる。 誰もいないはずのその空間に、何かが“見ている”という錯覚が漂っていた。EVAですら、その異常を感知していたはずなのに、彼女はあえて言わなかった。

──“読めない”という不確定。それは、彼の計画において唯一の誤差だった。

 ホログラムが一時停止し、室内に風切り音だけが響く。ホログラム室の冷たい空調が微かに唸りを上げ、わずかな砂埃が床を舞う。
 静寂の中、風の囁きが音もなく空間を満たしていった。

──風が、通りすぎた。

 室内の機械音が徐々に静まり返り、最後には完全な静寂が訪れた。時間が止まったかのような空間に、次への予感だけが静かに漂っていた。

──風は、すべてを知って、黙って通りすぎた。

 確かに、何も残さずに。

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