【REFLOG:Δ.H1】
【SUBJECT:RIKU ROKUJO】
【FORMER CALLSIGN:AGENT ZERO】
【COMBAT ACTIVITY:CONFIRMED】
【TRACE:CONTINUED】
トーキョー・シティ地下防衛区画。
人工空の下で続いていた戦闘を離れ、リク・ロクジョウは一人で地下へ降りていた。
ガンマチームにも。
[スペリオルズ]にも。
詳しい説明はしていない。
ジャンが都市防衛網の中枢位置を口にした時、リクが一度だけ地図を見た。
それだけだった。
セントリオ。
都市全域と衛星ドームへ判断を配る防衛中枢。
現在はEVAによって優先命令を書き換えられ、〈センチレット〉、隔壁、監視系統、交通設備を使って街全体を一つの戦場へ変えている。
そこを止めれば。
少なくとも。
街全体が同じ意思で追ってくることはなくなる。
地下へ降りるにつれて地上の戦闘音が遠のいた。
通路には風がなかった。
空調は止まっている。
非常灯だけが一定間隔で床を照らしていた。
非常灯の明るい部分をリクの作業着が順に通り抜ける。
油汚れは残ったままだ。
その下には黒いTシャツ。
左腕の黒銀色の義手。
左義眼。
どちらにも青白いラインが走っている。
身体は数時間前とは違っていた。
深かった皺は薄い。
曲がりかけていた背筋も伸びている。
足を運ぶたびに身体が遅れずついてくる。
筋力も反応も呼吸も、かつて戦場で使っていた頃に近い。
〈招待状〉から吸収した膨大なエネルギーによって、《ゼロポイント》が全身の細胞を極端に活性化させている。
若返ったわけではない。
過去へ戻ったわけでもない。
58年分の記憶を抱えたまま。
肉体だけが、昔の状態へ近づいている。
腰には大型リボルバー。
弾は入っていない。
反対側には古いナイフ。
リクはどちらにも触れなかった。
右手には小さなスキットル。
C.C.
歩きながら蓋を開ける。
一口。
喉へ流し込む。
蓋を閉じる。
「……遅れねぇよ、今度は」
誰へ言ったのか。
リク自身にも分からなかった。
スキットルを戻す。
前方。
機械音。
リクの歩みが止まった。
三体の〈センチレット〉。
さらに、その奥。
変異した市民が数人。
隔壁の前で不規則な動きを繰り返している。
生きている。
呼吸もある。
リクの義眼が一人ずつ確認した。
「……面倒くせぇ」
一人の変異市民が機体の間を抜けて走ってくる。
リクは構える。
殴らない。
伸びてきた腕を取る。
身体を半歩ずらす。
肘。
肩。
重心。
流れをそのまま使って床へ倒す。
床へ届く直前に肩を支え、頭は打たせない。
首筋を軽く圧迫する。
身体から力が抜けた。
意識だけを落とす。
二人目。
リクの胸へ体当たり。
避けずに受ける。
衝撃。
《ゼロポイント》が運動エネルギーの一部を吸収する。
青白い光が左義手へ走った。
そのまま相手の腰を支える。
身体を回す。
壁際へ座らせるように落とした。
三人目。
噛みつくように顔を寄せる。
「それはやめろ」
額を押さえる。
足を払う。
床へ伏せる。
後頭部へ手を添え、衝撃を逃がした。
リクが立ち上がる。
三人とも呼吸している。

その向こう。
〈センチレット〉が動いた。
【INTRUDER DETECTED】
【IFF:REJECTED】
【SUPPRESSION:AUTHORIZED】
「こっちは壊していいんだよな」
誰も答えない。
最初の一体が突進する。
金属脚。
リクは左義手で受けた。
衝撃が腕を走る。
吸収。
青白いラインが強くなる。
脚を掴む。
引く。
機体の重心が崩れた。
リクは横へ回る。
ナイフを抜く。
刃を関節部へ差し込む。
捻る。
駆動ケーブルが切れた。
片脚が落ちる。
二体目。
射撃機構が開く。
リクは射撃機構の向きを見ながら斜め前へ踏み込む。
射線から外れる。
一発。
壁。
二発目。
床。
三発目が来る前に懐へ入った。
義手を機体側面へ押し当てる。
直接吸収。
必要最低限。
機体内部の電力が一瞬だけ落ちる。
その隙にナイフを差し込む。
主駆動系を切断。
停止。
三体目。
義眼で捉えていた機体が背後へ回る。
リクは振り返らない。
身体を沈める。
金属脚が頭上を通過した。
足首を掴む。
《ゼロポイント》で強化された身体。
そのまま引き倒す。
機体が床へ叩きつけられた。
リクはコアへ触れない。
代わりにナイフで電力供給線を切る。
機械音が止まった。
静かになる。
変異市民。
三人。
〈センチレット〉。
三体。
人間側は誰も死んでいない。
リクはナイフを拭った。
腰へ戻す。
⸻
地上。
ジャンの戦術端末には、地下区画の断片的な監視映像が表示されていた。
「……なるほど」
リョウが横から覗く。
ジャンは映像の途切れた区画を地図と照らし合わせた。
「何が?」
「倒し方が違います」
「オレたちと?」
「それもあります」
ジャンが地下地図を開く。
リクの移動方向。
その先。
都市防衛区画。
「リーダー」
アビゲイルが見る。
「リク・ロクジョウの目的地が分かりました」
「どこ?」
「セントリオ中枢」
アビゲイルの視線が変わる。
「都市防衛判断中枢……」
「はい」
「止められる?」
「普通なら、外部からは無理です」
「なら?」
ジャンは地下映像を見る。
「この人、外から止める気じゃないんでしょうね」
リョウが笑う。
「中まで行ってぶっ壊す?」
「おそらく」
「単純でいいな」
「リョウさんが言うと説得力ありますね」
「褒めてる?」
「半分くらい」
アビゲイルは端末を見る。
「ジャン」
「はい」
「中枢が落ちた場合の影響を予測して」
「了解」
少し離れたところ。
陽名がその会話を聞いていた。
何も言わない。
ただ。
リクが消えた地下入口の方を一度だけ見た。
⸻
地下防衛区画。
リクは最後の隔壁へ到達した。
【CENTRIO CORE ZONE】
【ACCESS:DENIED】
扉は開かない。
「だろうな」
左義眼が構造を読む。
電源。
制御盤。
非常解放機構。
主ロック。
リクは扉の脇へ移り、壁面パネルを外した。
内部配線。
最新式。
知らない規格もある。
「20年で面倒になったな」
右手で一本ずつ確認する。
義眼が通電箇所を表示。
左義手を電源母線へ当てる。
《ゼロポイント》。
吸収。
電力が落ちる。
【POWER LOSS】
【EMERGENCY LOCK】
リクが非常解放機構を引く。
動かない。
「そこまで親切じゃねぇか」
左義手を隙間へ入れる。
力を掛ける。
筋肉。
人工関節。
蓄積エネルギー。
全部を使う。
隔壁が少しずつ開いた。
肩が通る幅まで開け、リクは身体を滑り込ませる。
中。
巨大な機械はない。
円形の中央区画。
演算ラック。
冷却設備。
通信中継装置。
電力母線。
複数の光ファイバー束。
そして中央。
防衛判断中枢〈セントリオ〉のコア設備。
【CENTRIO】
【CITYWIDE DEFENSE CONTROL】
【STATUS:ACTIVE】
壁面モニターへ都市地図が広がっている。
無数の指令線。
〈センチレット〉。
隔壁。
交通設備。
監視系統。
各区画の局地ノード。
それらを一つに束ねている。
リクが画面を見る。
「……お前か」
返事はない。
別の表示。
【OVERRIDE AUTHORITY:EXTERNAL】
【COMMAND PRIORITY:MODIFIED】
「EVA」
名前だけを呟く。
リクは中央コアを殴らなかった。
壊せば何が連鎖するか分からない。
都市そのものを殺すつもりもない。
義眼が接続構造を追う。
中央電源。
主通信。
局地ノードへの上位同期回線。
リクは画面と実際の配線を見比べながら一つずつ確認する。
「電気は残す」
主電源。
「街も残す」
局地系統。
「お前だけ切る」
中央同期回線。
リクが左義手を主電力母線へ触れさせる。
《ゼロポイント》。
吸収。
【POWER DRAW:ABNORMAL】
【CORE LOAD:DECLINING】
警告灯が赤く変わる。
リクの身体へ大量のエネルギーが流れ込む。
「っ……」
左義手の青白いラインが肩まで走った。
義眼の光も強くなる。
取り込みすぎれば危険。
分かっている。
だから全部は吸わない。
中央演算系が瞬間的に低下した。
その隙。
リクはナイフを抜く。
主通信ケーブル束。
一本。
切断。
【CITYWIDE LINK:DEGRADED】
二本目。
【CENTRAL COMMAND:UNSTABLE】
三本目。
【LOCAL NODE SYNCHRONIZATION:FAILED】
リクは最後に。
母線から義手を離し、中央同期用の物理中継ユニットを掴んだ。
「終わりだ」
引き抜く。
【CENTRAL COMMAND:LOST】

表示が消えた。
全てではない。
一部モニターは動いている。
融合炉。
生命維持。
空調。
医療。
局地電源。
リクは残った稼働表示を確かめ、ナイフを腰へ戻した。
都市は死んでいない。
ただ。
一つの意思で動くことをやめた。
⸻
トーキョー・シティ各区画。
ある隔壁は開いた。
別の隔壁は閉じたまま。
〈センチレット〉の一部は停止。
一部は直前の命令を繰り返す。
別の機体は自律巡回へ戻る。
交通表示が消える。
非常灯だけが残る。
局地ノード同士の判断が食い違い始めた。
【CENTRIO CENTRAL CORE:OFFLINE】
【CITYWIDE UNIFIED CONTROL:LOST】
【LOCAL NODES:ACTIVE】
【NETWORK STATUS:FRAGMENTED】
⸻
地下防衛区画。
停止していた換気設備の一部が、局地制御へ切り替わった。
低い駆動音。
ダクトが開く。
空気が動く。
埃が床を滑った。
リクの服の裾が揺れる。
――風が、通りすぎた。
リクは中央コアを見る。
「……これで少しは面倒が減るか」
左義手が熱を持っている。
取り込んだエネルギー量も多い。
身体の若返りを維持している負荷も消えていない。
それでも。
まだ動ける。
リクは踵を返した。
⸻
別区画。
EVAが都市地図を見ていた。
【CENTRIO CENTRAL CORE:OFFLINE】
【UNIFIED DEFENSE CONTROL:LOST】
【LOCAL NODE STATUS:INDEPENDENT】
「セントリオ中枢を切断されました」
ラズが画面を見る。
「全部?」
「いいえ」
EVAは即答する。
「局地ノードは稼働を継続しています」
「都市は?」
「維持されています」
「じゃあ、都市そのものを壊したわけじゃない」
「はい」
ラズが小さく笑う。
「器用だなぁ」
「中央指令だけを狙っています」
「昔の主人公って、そういうところあるよね」
「あなたが渡したエネルギーも使用されています」
「知ってる」
ラズは別画面を開く。
リク。
「僕が火を点けて」
歩いている男を見る。
「何を燃やすかは本人が決めた」
EVAは返さなかった。
別の警告が出る。
【DELTA TEAM】
【INTERCEPT ROUTE:UPDATED】
「来ます」
ラズが画面を見る。
「三人とも?」
「はい」
【VINCENT VAN VISSER】
【GUADALUPE DE LA CRUZ】
【MAKENA MSONI MWENDOA】
【FIELD LINK:ACTIVE】
【TARGET:RIKU ROKUJO】
ラズが椅子へ身体を預ける。
「間に合ったね」
「セントリオ喪失により、支援可能範囲は低下しています」
「それでも行かせる?」
「すでに命令は送信済みです」
一拍。
ラズがEVAを見る。
「止める?」
EVAもラズを見る。
「いいえ」
「理由は?」
「彼ら自身の応答も確認します」
ラズの口元が少し上がる。
「そう」
それ以上は言わなかった。
⸻
地下通路。
リクは地上へ向かっていた。
左義手。
わずかな振動。
記律の石。
リクの足が一度止まる。
「……またか」
廃工場で球体に触れた時に蘇った感覚。
昔から。
誰もいない場所で感じていたもの。
声。
気配。
夢。
先ほど会った白い服の少女。
同じなのか。
違うのか。
分からない。
「知らねぇよ」
誰にでもなく言う。
「勝手に答え押しつけんな」
反応は消えた。
リクは歩き出す。
その時。
義眼が三つの熱源を捉えた。
前方。
出口へ続く広い連絡通路。
三人。
中央。
フィンセント・ファン・フィッセル。
身体の一部が黒青色の液体へ変わり始めている。
左。
グアダルーペ・デ・ラ・クルス。
両眼。
《イーヴル・アイ》の認識系が展開。
右。
マケナ・ムソニ・ムウェンドア。
身体が獣化へ移行し始めている。
三人とも。
表情が薄い。
動きが揃っている。
自然な連携には見えない。
外部から決められた動作のように揃っている。
【DELTA TEAM】
【FIELD LINK:ACTIVE】
【INTERCEPT TARGET:RIKU ROKUJO】
リクが三人を見る。
「……今度はお前らか」

返事はない。
フィンセントの腕が液体化する。
グアダルーペの視線が固定される。
マケナが重心を落とす。
リクは大型リボルバーへ手を伸ばさなかった。
弾はない。
代わりに。
ナイフの柄へ右手を置く。
左義手を下げる。
青白いラインが静かに走った。
誰も動かない。
その間を。
局地空調から流れ込んだ一本の風だけが、通りすぎていった。


コメント