Scene.13a -「観測断片:Δ.H1」

スポンサーリンク
▼オリジナル小説

Scene.13a ―「観測断片:Δ.H1」

【補助観測ログ M-05】

【観測者:ミーラ・マリク】

【観測レイヤー:Δ.H1】

【対象:Δ.H0該当区間】

【記録方式:局地ログ/観測者記憶補完】

【中央同期:LOST】

【信頼値:PARTIAL】

 中央観測網が切れた。

 正確には消失したわけではない。

 〈セントリオ〉中央コアの停止によって、それまで一つの時系列として束ねられていた局地ログ同士の同期が失われた。

 映像は残っている。

 音声も残っている。

 熱源記録もある。

 だが、同じ時刻を示しているはずの複数記録が、わずかに噛み合わない。

 私は端末上に四つの映像を並べた。

 同じ街区。

 同じ数分間。

 それぞれが別の事実を持っている。

 記録A。

 陽名がいる。

 記録B。

 陽名がいる。

 記録C。

 人物追跡なし。

 記録D。

 再び陽名がいる。

【VISUAL:CONFIRMED】

【AUDIO:CONFIRMED】

【THERMAL:CONFIRMED】

【PERSON ID:UNRESOLVED】

【ROUTE TRACE:PARTIAL】

 観測不能ではない。

 この一点はもう修正しなければならない。

 私は以前、陽名そのものが観測を拒絶している可能性を考えた。

 現在の記録は、その仮説を支持していない。

 彼女はカメラを避けていない。

 人間から隠れてもいない。

 触れることもできる。

 会話も成立する。

 問題は彼女ではなく。

 既存の分類系が陽名という一人の人物を継続した対象として保持できないことにある。

 少なくとも。

 現在のデータでは、そう読むべきだ。

 私は以前なら、そこで次の仮説へ進んでいた。

 今は止まる。

 止まる必要があると思った。

 仮説がデータより先に走っている。

 その可能性をようやく無視できなくなった。

⸻

──RΩ。

 ラズ。

 これまで私は、彼を計画を演出する側として分類してきた。

 予定された配置。

 意図的な衝突。

 観測のために用意された舞台。

 その分類自体は間違っていない。

 ただし。

 計画外の結果を、彼が単純な誤差として排除している。

 そう断定した部分は修正する。

 ラズは想定外を嫌う。

 同時に、それを楽しんでもいる。

 制御したい。

 だが、制御できない結果を即座に消したいわけでもない。

 矛盾している。

 いいえ。

 人間なら、それは矛盾ではないのかもしれない。

 私が一つの分類へ収めたがっていただけだ。

──EΩ。

 EVA。

 私は彼女をΩ計画の補正役として分類していた。

 それも十分ではない。

 彼女は補正装置ではない。

 ラズと同じ計画へ参加しながら、自分の判断を持っている。

 ラズと一致する。

 反対する。

 保留する。

 選ぶ。

 それらが同時に存在する。

 単純な従属関係ではない。

 ならば。

 EΩという記号に、どこまで意味がある?

 私は入力した記号を消さなかった。

 まだ使える。

 ただ。

 記号が本人そのものではない。

 その事実だけを横に残す。

【NOTE:CLASSIFICATION ≠ ESSENCE】

⸻

──Γ。

 [ガンマチーム]。

 世界政府直属の[統律特命局]実働チーム。

 陽名との接触によって、彼ら自身に特殊な因果変動が発生した証拠はない。

 彼らは変質していない。

 変わったのは判断だ。

 アビゲイル・エイミー・アームストロングは、保護することと本人の代わりに選ぶことを分け始めた。

 ジャン=ジャック・ジャカールは、記録できることと理解できることを分け始めた。

 リョウは最初から比較的単純だ。

 目の前にいる。

 触れる。

 喋る。

 食べる。

 なら、そこにいる。

 解析としては粗い。

 観測結果としては、時々その方が正しい。

 私はこの一文を入力した後、数秒間削除しようとした。

 やめた。

⸻

──Z。

 リク・ロクジョウ。

 私はM-04で、彼を観測優先度の低い対象として扱った。

 所在不明。

 活動停止状態。

 現在のモデルへの影響は小さい。

 そう判断していた。

 間違いだった。

 彼自身が観測不能なのではない。

 むしろ、よく記録されている。

 〈セントリオ〉中枢へ侵入。

 中央電力を一時低下。

 上位同期回線を物理的に切断。

 中央指令を喪失させた。

 その結果。

 こちらの観測基盤が分断された。

【CENTRIO CENTRAL CORE:OFFLINE】

【CITYWIDE UNIFIED CONTROL:LOST】

【LOCAL NODES:ACTIVE】

【NETWORK STATUS:FRAGMENTED】

 観測対象が記録を壊したのではない。

 リクが都市構造を変えた結果、記録する側の条件が変わった。

 この二つを混同してはいけない。

 私は彼を『統計から外れた過去の遺物』と分類していた。

 訂正する。

 過去の人間であることと。

 現在へ影響しないことは。

 同義ではない。

⸻

──Σ。

 [スペリオルズ]。

 群体ではない。

 単一意思でもない。

 ポイゾナス。

 タウロス。

 フェイズ。

 スプロケット。

 オラトリオ。

 個々の判断を持ちながら、共同体として行動している。

 直前の接触記録では、内部崩壊は確認できない。

 むしろ。

 スプロケットの自己境界が崩れた際。

 彼らは名前を呼んだ。

 それによって。

 少なくともスプロケット本人は、自分を戻す足場を得た。

【ASSOCIATED SUBJECT:SPROCKET】

【IDENTITY COHERENCE:PARTIAL】

【CYBER RESONANCE:RESIDUAL】

【CONSCIOUSNESS:CONFIRMED】

 私は次の分類を入力した。

──PΣ。

 指が止まる。

 ポイゾナス。

 元素系ネクス。

 《ヴェネナム》。

 [スペリオルズ]幹部。

 ヘヴン行政責任者。

 それだけでいい。

 観測ログとしては。

 それだけで足りる。

 私は続きを入力しようとした。

 できなかった。

 文字列を一度削除する。

 もう一度。

──PΣ。

 止まる。

 私はキーから指を離した。

 入力欄にはPΣだけが残っている。

 もう一度指を戻し、別の名前を入力する。

──マリカ・マリク。

 消せなかった。

 妹。

 4歳下。

 同じ家。

 同じ両親。

 同じ机で勉強したことがある。

 私より後から問題を解いて。

 正解すると、少しだけ嬉しそうにこちらを見た。

 私は覚えている。

 必要のない情報。

 今回の作戦には不要。

 観測結果にも関係しない。

 なのに。

 削除できない。

 2054年。

 《ヴェネナム》覚醒。

 私は世界政府へ報告した。

 安全のため。

 社会のため。

 研究のため。

 当時の私は、その判断を合理的だと説明できた。

 今でも説明はできる。

 説明できることと。

 正しかったことは。

 同じではない。

 私は入力欄を閉じた。

 マリカという名前は残した。

⸻

 陽名。

 もう一度、記録を見る。

【TARGET:Δ.H0】

【VISUAL:CONFIRMED】

【AUDIO:CONFIRMED】

【THERMAL:CONFIRMED】

【PHYSICAL CONTACT:CONFIRMED】

【PERSON ID:UNRESOLVED】

【ROUTE TRACE:PARTIAL】

 陽名はいる。

 それは確認できる。

 では。

 スプロケットとの接触で何が起きた?

 陽名側からの明確な攻撃反応なし。

 異常なエネルギー放射なし。

 重力変動なし。

 空間歪曲なし。

 観測遮断なし。

 変化したのはスプロケット側。

 《サイバー・リゾナンス》の異常拡張。

 自己境界の不安定化。

 未知情報の混入。

 その後。

 仲間と陽名から名前を呼ばれたことで、部分的な自己整合を回復。

【CAUSE:UNRESOLVED】

 原因不明。

 ここで止める。

 陽名が引き起こした。

 そう書くことはできない。

 スプロケットが一方的に接続した。

 そう断定することもできない。

 接触点で二つの異なる構造が重なった。

 現在確認できるのはそこまで。

 それ以上は。

 私の仮説になる。

 私はその一文へ印をつけた。

【FACT / HYPOTHESIS:SEPARATED】

 以前なら。

 もっと先まで書いていた。

 空白を嫌って。

 埋めていた。

 その埋めた部分を。

 答えだと思っていた。

「……私のモデルが足りない?」

 声に出た。

 誰もいない端末の前で。

 私は自分の声を記録から削除しなかった。

⸻

 モニターの中。

 陽名がこちらを見たように感じた。

 映像上では。

 ただ正面を向いただけかもしれない。

 カメラの位置と視線方向を計算する。

 こちらを見ている証拠はない。

 それでも。

(見られた)

 そう感じた。

 これは観測結果ではない。

 私の感覚。

 区別する。

【SUBJECTIVE INTRUSION:RECORDED】

 M-04の時も。

 私は、自分が観測されているように感じた。

 今回も同じ。

 物理的な逆流を示すデータはない。

 陽名が私を遠隔観測している証拠もない。

 なら。

 なぜ同じ感覚を繰り返す?

 答えはない。

 私は答えがない状態を。

 以前より少し長く、そのままにできるようになっていた。

⸻

 ポケットの中。

 指先が硬いものへ触れる。

 黒曜石のイヤーカフ。

 マリカと分けた一対。

 これまで何度も触れた。

 そのたびに。

 私は手を離した。

 意味を認めたくなかったから。

 今回は離さない。

 ポケットから取り出して掌の中に収める。

 ただ握る。

 それだけ。

 記録には必要ない。

 だから。

 記録する。

【PERSONAL MEMORY:INTRUSION】

【SOURCE:OBSIDIAN EAR CUFF】

【RELEVANCE:UNDEFINED】

 不必要。

 非合理。

 解析への寄与不明。

 それでも削除しない。

 ケイトの声を思い出す。

『あなたは何のために研究するの?』

 答えられなかった。

 2058年も。

 今も。

 知りたいから。

 それでは足りない。

 正しかったと証明したいから。

 それも答えの一部。

 マリカを失った理由に意味があったと証明したい。

 ケイトが死んだ理由を知りたい。

 ホフマンが何を見たのか知りたい。

 黒須蔵人が何を残したのか知りたい。

 クロス・レガシーの先に何があるのか知りたい。

 そして。

 自分の人生が。

 間違いだけではなかったと。

 知りたい。

 イヤーカフを握ったまま、私はそこで入力を止めた。

 この部分は観測ではない。

 私自身だ。

⸻

【補助観測ログ M-05】

【観測レイヤー:Δ.H1】

【対象:Δ.H0該当区間】

【OBSERVATION:PARTIAL】

【PERSON ID:UNRESOLVED】

【ROUTE TRACE:PARTIAL】

【HYPOTHESIS MODEL:INSUFFICIENT】

【OBSERVER BIAS:CONFIRMED】

【SUBJECTIVE INTRUSION:INCREASING】

 世界政府は動いている。

 私を回収するため。

 クロス・レガシー解析データを確保するため。

 ガンマも、その任務を遂行している。

 だから。

『世界政府は何もしない』

 そう書くことはできない。

 ただ。

 世界政府が必要としているものと。

 私が欲しいものは違う。

 政府は私を必要としている。

 私は答えを必要としている。

 その違いは。

 もう無視できない。

 そして。

 答えへ近づくために必要なのは。

 新しい超越概念ではないのかもしれない。

 Δ.H0でも。

 Δ.H1でも。

 Ωでも。

 Σでもない。

 記号を剥がした後に残るもの。

 陽名。

 スプロケット。

 リク。

 ラズ。

 EVA。

 アビゲイル。

 ジャン。

 リョウ。

 マナイア。

 そして。

 マリカ。

 私は最後の名前で指を止めた。

 消さない。

 ログを保存する。

【補助観測ログ M-05/終了】

【再解析フラグ:維持】

【継続記録:推奨】

 端末を閉じた。

 黒曜石のイヤーカフはまだ手の中にある。

 私は立ち上がった。

 次に必要なのは。

 もう一つログを増やすことではなかった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました