Scene.14 -「名を持たぬ者へ、名を託す」

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 同時刻。

 トーキョー・シティ地下。

 ガンマチームが一時的に使用している旧医療区画。

 先ほどまで続いていた戦闘は終わっている。

 〈セントリオ〉中央中枢が停止した影響で、都市防衛網は区画ごとに分断されていた。

 照明は半分ほど落ちている。

 アビゲイルは端末の光が届く位置でジャンの報告を聞いていた。

 遠くで、局地系統へ切り替わった設備の駆動音が続いていた。

「〈レイヴン〉との中継、戻りました」

 ジャン=ジャック・ジャカールが端末を操作する。

「中央マップは使えません。でも、車両側の記録とボク自身が通った経路を合わせれば、ここから先の退路は取れます」

 アビゲイル・エイミー・アームストロングが画面を見る。

「使える経路は?」

「南東の保守通路」

 ジャンが一本の線を表示する。

 アビゲイルは指された出口から合流地点までを目で追った。

「途中から〈レイヴン〉側の中継範囲へ入ります」

「閉鎖の可能性は?」

「あります。局地ノードがそれぞれ別判断を始めてますから」

「監視を続けて」

「了解」

 少し離れた壁際。

 リョウは携行食のパウチを空にしていた。

「足りねぇ……」

 袋を逆さに振る。

 何も落ちない。

「さっきから食べてるでしょう」

 ジャンが言う。

「戦っただろ」

「食べる前から言ってましたよね」

「戦う予定だったからだ」

「便利な理屈ですね」

「おう」

 リョウは空袋を丸めた。

 その短いやり取りだけが、止まった区画に普段の空気を少し戻していた。

 アビゲイルは二人から視線を外す。

 少し前まで一緒にいた男の姿が頭に残っている。

 リク・ロクジョウ。

 旧記録に残るエージェント・ゼロ。

 青白く光る左義眼。

 黒銀の左義手。

 迷いのない身体操作。

 理由は分からない。

 ただ。

 見た瞬間から、何かが引っ掛かっている。

 アビゲイルは無意識に胸元へ手を伸ばした。

 クロス型のペンダント。

 冷たい金属を指の腹で押さえる。

 それ以上は考えない。

 今は任務中だ。

 視線を戻す。

 陽名が、少し離れた場所に座っている。

 白い服。

 胸元にはまだ何もない。

 陽名はジャンを見る。

 リョウを見る。

 最後に、医療区画の奥へ顔を向けた。

 立ち上がる。

「陽名?」

 アビゲイルが呼ぶ。

 陽名が振り返る。

「どこへ行くの?」

「おじさん」

 その一言で分かった。

 マナイア。

 旧医療室の一番奥で休ませている。

 アビゲイルは一瞬だけ考えた。

 以前なら。

 保護対象だから動くな。

 そう言っていたかもしれない。

「……分かった」

 陽名が瞬きをする。

「私も行く」

「ひとりで行けるよ?」

「知ってる」

 アビゲイルは立ち上がった。

「でも、私も教官に用がある」

 陽名は頷いた。

 陽名が先に歩き出す。

 アビゲイルはその隣へ並び、二人で奥へ向かった。

⸻

 旧処置室。

 マナイア・ケアは簡易ベッドへ身体を預けていた。

 黒い戦闘服は腹部だけ切り開かれ、止血材と固定材が重ねられている。

 外側の出血は抑えられている。

 それでも。

 顔色は悪い。

 呼吸も浅くなっていた。

 陽名の足音に気づいたのか。

 マナイアが片目を開ける。

「……よう」

「起きてた」

「今起きた」

「ほんと?」

「半分くらいな」

 陽名がベッドの横へ立つ。

 マナイアは小さく笑った。

 入口。

 アビゲイルはそこで止まる。

 完全に離れはしない。

 だが。

 二人の間へ入る必要もない。

 陽名の視線が、マナイアの左腕へ移る。

 褐色の肌。

 そこに刻まれたマオリ由来のタトゥー。

「それ」

「ん?」

「前から気になってた」

「こいつか」

 マナイアが左腕を少し持ち上げる。

 すぐに力が抜けた。

 腕が寝具へ戻ると陽名は身をかがめて模様を見た。

「祖父が死んだ時に入れた」

「おじいさん?」

「ああ」

 マナイアは左腕の模様を見る。

「あの爺さんが背負ってたもんを今度は俺が背負うってな」

「痛かった?」

「そりゃ痛ぇよ」

「なんでやったの?」

「忘れねぇためだ」

 陽名がタトゥーを見る。

「忘れないため」

「人間ってのは案外簡単に忘れる」

 マナイアが息を吐く。

「名前も」

「顔も」

「何をしてた奴だったかもな」

 少し間を置く。

「だから残す」

 陽名を見る。

「皮膚でも」

「物でも」

「頭ん中でもいい」

「覚えてる奴が一人いりゃ、全部消えたことにはならねぇ」

 陽名は静かに聞いていた。

「お前もそうだ」

「わたし?」

「ああ」

 マナイアは笑う。

「どっから来たのか」

「なんでここにいるのか」

「俺にはさっぱり分からん」

「……うん」

「だが」

 マナイアは陽名を見る。

「陽名は陽名だ」

 少女の目が少し開く。

「それで十分だろ」

 沈黙。

 陽名が小さく頷いた。

「うん」

 マナイアの右手が胸元へ動く。

 指が少し震えている。

 金属音。

 五枚のドッグタグ。

 以前マナイアが陽名へ見せていた五枚だった。

 まだ名前を与えられて間もない頃のことだ。

「覚えてるか?」

 陽名がタグを見る。

「デルロイ」

 マナイアの指が一枚へ触れる。

「デルロイ・ブラッドショー」

 次。

「ファイシル・シャリフ」

 次。

「キャメロン・アン・ステュディ」

「アレクセイ・ハベンスキー」

 最後。

「ジョイ・チャン」

 五枚。

 マナイアの部下だった人たち。

「覚えてる」

 陽名が答える。

「そうか」

 マナイアは五枚を握る。

「俺はこいつらを帰せなかった」

 笑わない。

 表情が消える。

 アビゲイルは入口からその顔を見ていた。

 指揮官として感情を押さえる時の顔を何度も見てきた。

「隊長失格だと思ったこともある」

 陽名は黙っている。

「それでも」

 五枚を見る。

「こいつらがいたことまで失敗にする気はねぇ」

 マナイアがタグを持ち上げる。

「陽名」

「うん」

「今度はお前が覚えてろ」

 陽名の目がタグへ落ちる。

「わたしが?」

「ああ」

「五人とも?」

「五人ともだ」

「忘れない?」

「忘れたら思い出せ」

 マナイアが軽く笑う。

「名前ってのはそのためにもある」

 陽名が身体を少し前へ出す。

 マナイアは自分の首からチェーンを外した。

 陽名が頭を下げるのを待ち、五枚のタグをその首へゆっくりとかける。

 金属が白い服の胸元へ落ちる。

 陽名は両手でタグを受け止める。

 一枚ずつ見る。

「重い」

「だろ」

「うん」

「持っとけ」

 陽名が五枚を握る。

 指の間から金属の端がのぞいた。

「分かった」

 マナイアが頷く。

 その直後。

「……っ」

 身体が小さく強張った。

「おじさん?」

 右手が腹部へ動く。

 息が乱れる。

 入口にいたアビゲイルがすぐに近づく。

「教官」

 通信を開く。

「ジャン、来て」

『すぐ行きます』

 マナイアが目を閉じる。

「騒ぐな……」

「黙ってください」

「偉くなったな、小僧」

「喋らないで」

「命令か?」

「そうです」

「なら聞いとくか」

 だが声は弱い。

 数十秒もせず。

 ジャンとリョウが処置室へ入ってきた。

 アビゲイルはベッドの脇を空け、陽名を自分の側へ寄せた。

「どいてください」

 ジャンが端末を接続する。

 止血材。

 脈。

 血圧。

 生体反応。

 表示を確認する。

 表情が変わった。

 アビゲイルには、それだけで分かった。

「ジャン」

「……内部出血が進んでます」

「処置は?」

「ここでは止められません」

 ジャンが固定材を確認する。

「外側の止血は維持しています。でも内部が持ってない」

「〈レイヴン〉まで運べば?」

 ジャンはすぐには答えなかった。

「搬送だけでは足りません」

「医療施設まで――」

「間に合いません」

 アビゲイルの言葉が止まる。

 ジャンは端末を見たまま続けた。

 固定材を確かめていた手はまだベッドから離れていない。

「現場でできることはもうやっています」

 マナイアが小さく笑う。

「ブッチャーがいたら……怒られただろうな」

 ジョイ。

 五枚のタグの一人。

 陽名が胸元のタグへ触れる。

「教官」

 アビゲイルの声が低くなる。

「気にすんな」

「できます」

「できねぇこともある」

「……」

「それを分からねぇ奴に、隊長は務まらん」

 リョウが拳を握っている。

 サングラスの奥は見えない。

 マナイアがそちらを見る。

「リョウ」

「……なんだよ」

「拳」

「は?」

「もう分かってんだろ」

 リョウは黙る。

「殴るだけじゃねぇ」

 マナイアが息を整える。

「守るために使え」

 短い沈黙。

「……言われなくても」

「ならいい」

 リョウの拳が強く握られる。

 次。

「ジャン」

「はい」

「分からねぇ時」

「……」

「分かったふりすんな」

 ジャンはマナイアを見る。

「お前はそれが言える」

「……努力します」

「そこは了解って言え」

「了解」

「よし」

 最後。

 マナイアはアビゲイルを見る。

「小僧」

「はい」

「前に言ったな」

 アビゲイルは待つ。

「命令は聞け」

 一拍。

「だが、目の前を見ずに従うな」

 陽名を移送しろという命令が来た時にも聞いた言葉だった。

 あの時と同じ声を聞こうとしてアビゲイルは顔を近づけた。

「覚えています」

「なら、もう一つだ」

 マナイアの視線が鋭くなる。

 瀕死の男ではない。

 一瞬だけ。

 軍学校でアビゲイルを叱りつけていた教官の目へ戻る。

「生きて帰せ」

 アビゲイルは動かない。

「死んだ奴は忘れるな」

 陽名の胸元。

 五枚のドッグタグ。

「そして」

 マナイアが息を吸う。

「最後は自分で選べ」

 視界が揺れた。

 《ミライメージ》。

 数秒先。

 複数の分岐。

 ここへ残る。

 マナイアの側を離れない。

 南東の保守通路へ向かう。

 陽名を連れる。

 ジャン。

 リョウ。

 退路。

 局地ノード。

 閉鎖。

 遅れる。

 分岐が増える。

 正解は書かれていない。

 能力は未来を見せる。

 だが。

 どれを選ぶかまでは決めてくれない。

 アビゲイルは目を閉じる。

 ベッドのそばに足を置いたまま一度だけ呼吸する。

 目を開く。

「……了解、教官」

 マナイアの口元が少し上がった。

 アビゲイルはベッドへ寄せていた身体を起こした。

「ジャン」

「はい」

「南東保守通路を使う」

「了解」

「リョウ」

「おう」

「陽名を中央に」

「任せろ」

「〈レイヴン〉まで戻る」

 ジャンが端末を見る。

「局地隔壁が動き始めています」

「残りは?」

「3分弱」

「行くよ」

 リョウが動かない。

「……本当に行くのか」

 アビゲイルは出口へ向けかけた足を止めた。

 マナイアを見る。

 答えは分かっている。

 マナイアが顎を上げる。

「戦場では何を優先する」

 アビゲイルが答える。

「守る対象」

「次」

「仲間」

「次」

「任務」

「最後」

「自分」

「なら動け」

「……はい」

 アビゲイルが敬礼する。

 ジャンも続く。

 リョウは一瞬遅れて。

 いつもの雑な動きではなく、まっすぐ敬礼した。

 陽名が三人を見る。

 少し迷う。

 右手を上げる。

 見よう見まねの敬礼。

 左手で押さえていた五枚のタグが胸元で重なった。

 マナイアがそれを見る。

「……上出来だ」

 陽名が手を下ろす。

「おじさん」

「なんだ」

「またね」

 一瞬。

 マナイアは何も言わなかった。

 それから。

「……ああ」

 陽名は頷く。

 アビゲイルが先頭へ立つ。

「行くよ」

 三人と陽名が処置室を出る。

 アビゲイルは振り返らなかった。

 振り返れば。

 選んだ未来から足が止まる気がした。

⸻

 一人になった処置室。

 マナイアは長く息を吐いた。

 胸元へ手を伸ばす。

 もうドッグタグはない。

「……軽くなったな」

 代わりに。

 葉巻を一本取り出す。

 口へくわえる。

 火は点けない。

 暗い処置室。

 何年も続けてきた癖だけが残る。

「デル」

 小さな声。

「ファイシル」

「キャメロン」

「アレクセイ」

「ジョイ」

 少し間を置く。

「悪ぃな」

 呼吸が浅くなる。

「最後まで……帰せなかった」

 それでも。

 葉巻を噛み直す。

「でもよ」

 誰もいない部屋で。

「名前は残したぞ」

 目を閉じる。

 葉巻が唇から落ちた。

 床へ当たる。

 小さな音。

⸻

 南東保守通路。

 ジャンの端末が一度だけ震えた。

【MANAIA KEA】
【BIO SIGNAL:LOST】

 ジャンの足が止まりかける。

 傍らを進むアビゲイルの視界にも表示が入った。

 何も言わない。

 胸元のペンダントを一度だけ握る。

 それから前を見る。

「進むよ」

「……了解」

 リョウが答える。

 陽名も歩く。

 五枚のドッグタグを胸元で握ったまま。

 歩くたび。

 五枚の金属が触れ合う。

 カラン。

 一度だけ。

 乾いた音が、通路に残った。

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