【>JW-03|μR:ci,bx-all,sys-st,sys-sl#play】
ネオンがまだ鼓動している。
だが、そこに人の鼓動はない。
天井を覆う巨大パネルは正午の空を映し、一定周期で雲の影を流している。
エレベーターは律儀に階を往復する。
自販機は電子音を鳴らす。
都市は動き続けている。
ただ、人間だけがいない。
ジョイ・チャンは路地の角を曲がった。
ゴーグルの内側を汗が伝う。
足音が乾いた舗装路を刻む。
視界の端を人影が横切った。
「止まれ!」
ジョイの声が路地へ響く。
影が振り向いた。
買い物袋が腕からぶら下がっている。
足元にはレシートが散らばっていた。
だが、その眼差しに人間らしい反応はない。
口元から黒ずんだ液体が垂れている。
影が飛びかかってきた。
ジョイはMP5サブマシンガンを撃つ。
銃声が壁へ反響する。
それでも相手は止まらない。
左腕へ衝撃が走った。
歯が前腕へ食い込む。
「っ……!」
ジョイは即座にナイフを逆手へ持ち替えた。
噛みついた相手の顎を押しやり、距離を取る。
路地の奥から別の影が現れる。
さらに一人。
その後ろからも続く。
「……市民が暴走……感染反応は陰性。いったん退避……」
ジョイは後退し、崩れた防火壁の陰へ入った。
消毒剤を開封する。
患部を洗浄する。
縫合する。
固定する。
生体端末のスキャンが走る。
表示は陰性。
ジョイは一度だけ息を吐いた。
すぐに視線を路地へ戻す。
影たちは無秩序に襲っているわけではなかった。
左右へ分かれる。
前へ詰める。
逃げ道を狭める。
ジョイの眉が寄る。
「制御されてる……?」
視界の奥で、何かがこちらを見ていた。

次の瞬間、身体が止まった。
指が動かない。
脚も動かない。
呼吸すら浅くなる。
「……視線が……動けな……」
通信へノイズが走った。
押し寄せる影が視界を塞ぐ。
記録映像が乱れる。
音声が潰れる。
そして通信が切れた。
高層建築の縁に、一人の女が立っていた。
かつて[統律特命局]デルタチームに所属したグアダルーペ・ガルシア・ゴンザレス。
反転した眼差しには、第二世代思念系ネクス能力《イビルアイ》が宿っている。
その能力はラズによる強化改造を受けていた。
都市外郭を、軽機動偵察車両〈WC-RSV01〉のエンジン音が走り抜ける。
「こちらスカウト! 群れは私が引っ張る! 中央へ急げ!」
キャメロン・アン・ステュディは車体を倒し込み、交差点を切り抜けた。
光学迷彩を展開する。
輪郭が街の色へ溶けていく。
後方から複数の影が追ってくる。
〈センチレット〉も旋回していた。
機銃が火を噴く。
弾丸が舗装路を削る。
キャメロンは信号の周期を見る。
路地の幅を見る。
曲がり角の位置を確認する。
追跡者との距離を測る。
ここまで離せば、普段なら振り切れる。
そのはずだった。
後方から獣のような影が迫る。
距離が縮まっていた。
「……速っ」
キャメロンはさらにアクセルを開く。
曲がる。
視線を切る。
迷彩を使う。
それでも影は離れない。
〈センチレット〉の銃撃が後輪を捉えた。
車体が大きく跳ねる。
キャメロンは〈WC-RSV01〉から飛び離れた。
路面を転がる。
すぐに身体を起こした。
光学迷彩を最大出力へ上げる。
〈WC-RSV01〉の後部から煙が上がっている。
逃走を続ければ、追跡者を仲間の進行方向へ戻す可能性がある。
キャメロンは中央方向を一度だけ見た。
進路を変える。
仲間から離れる方向へ走った。

「道、開けるよ――!」
ブーツがコンクリートを蹴る。
ナイフが〈センチレット〉の首部ジョイントを断つ。
粘着爆薬を装甲へ押しつける。
数秒後、爆発が鋼板を内側から吹き飛ばした。
キャメロンは走り続ける。
背後の気配が消えない。
距離はさらに縮まる。
これ以上は振り切れない。
ならば、ここで止める。
キャメロンは足を止め、振り向いた。
ナイフを構える。
風が変わった。
耳の後ろで獣の息が鳴る。
右。
左。
背後。
位置を絞れない。
「……なんだ?」
地面が弾けた。
背中へ灼けるような衝撃が走る。
装甲が裂ける。
「――視えないっ!?」
キャメロンが振り向く。
影がすでに目の前へ入っていた。
次の一撃がキャメロンを路面へ叩きつける。
通信が途切れた。
影が静かに着地する。
かつて[統律特命局]デルタチームに所属したマケナ・ムソニ・ムェンドア。
第二世代野生系ネクス能力《レオパルドフォーム》によって強化された身体が、低く沈んでいた。
さらにラズによる強化改造を受け、その速度と反応は通常状態を大きく上回っている。
高層ビルの屋上。
アレクセイ・ハベンスキーはスコープを覗いていた。
呼吸を整える。
照準を動かす。
「……チッ。速すぎて撃てねえ」
十字線が追いつかない。
角度。
距離。
風。
計算できるものはすべて計算する。
それでも、見えない相手は撃てない。
その時、偵察ドローンが火花を散らして墜落した。
「……誰だ?」
アレクセイが銃を構え直す。
視界に人影はない。
頬の横を何かが掠めた。
皮膚へ熱い線が走る。
アレクセイは遮蔽物へ身を滑らせた。
「くそっ……。これってゲームで言や――詰んでるってやつじゃないか」
狙撃には原則がある。
相手が見えず、自分が見られている。
その状態では、狙撃手は狩る側ではなく標的になる。
アレクセイはスコープから一度目を外した。
「あ~あ。あの大会であいつとの決勝戦……最後は勘でやったなぁ……」
もう一度スコープを覗く。
計算材料は足りない。
ならば、残るのは勘だけだった。
「そうそう。その時、俺は選択を誤ったっけ……」
引き金へ指を置く。
その瞬間、スコープの中心が歪んだ。
雫が飛来する。

硬化した液体がスコープごとアレクセイの眼窩を撃ち抜いた。
身体が後ろへ倒れる。
衝撃でドッグタグのチェーンが切れた。
金属片が屋上の床へ落ちる。
滑る。
そのまま縁を越え、地上へ落下した。
離れた屋上で人影が揺れる。
かつて[統律特命局]デルタチームに所属したフィンセント・ファン・フィッセル。
第二世代変成系ネクス能力《リクイディウム》による遠距離攻撃だった。
フィンセントもまた、ラズによる強化改造を受けていた。
周辺確認を終えたファイシル・シャリフは、重装戦術車両〈WC-ATV01〉へ戻っていた。
爆薬バッグの口を締める。
通信にはノイズだけが残っている。
「ふざけやがって……!」
デルロイ・ブラッドショーが運転席から声を上げた。
「隊長。このままじゃ全滅だ」
マナイア・ケアは葉巻を噛んだまま前を見る。
「……あいつらを置いてはいけない」
デルロイが小さく鼻を鳴らした。
「まっ、そうだよな」
マナイアは葉巻を口から外した。
残っていた火を車内の灰皿へ押しつける。
葉巻をポケットへしまう。
ファイシルが笑った。
「迎えに行くんだろ? だったら俺の役目は決まっているぜ!」
首からドッグタグを外す。
マナイアへ投げる。
金属片が掌へ落ちた。
「ファイ、すまない」
「いいって事よ! ずっとやりたかった街中での爆破という夢が叶うぜ!」
ファイシルはドアを開けた。
ショットガンを握る。
「俺が引きつける! 先に行け!」
「デル! 行くぞ!」
デルロイがハンドルを切る。
〈WC-ATV01〉が加速した。
ファイシルは後方へ残る。
「ガハハ! 必ず回収しろよ!」
ショットガンが火を噴く。
迫ってきた異形の市民が倒れる。
ファイシルは撃ちながら後退する。
敵を一か所へ集める。
残っている爆薬を確認する。
通りの幅を見る。
建物までの距離を見る。
〈WC-ATV01〉のエンジン音が遠ざかっていく。
爆圧が仲間へ届かない距離まで離れたことを確かめる。
ショットガンの弾が尽きた。
ファイシルは空になった銃を追跡者へ投げつける。
爆薬を身体へ固定する。
信管を繋ぐ。
起爆装置を握る。
見た目は即興でも、爆破そのものに即興はない。
爆薬の量。
敵との距離。
連鎖する順番。
ファイシルは最後まで確認する。

「さあ! 派手に行くぜ!」
異形の市民が集まる。
〈センチレット〉が照準を向ける。
銃撃がファイシルの身体を叩く。
脚が沈む。
それでも笑みは消えない。
「ドカーンと派手に行くぜ!」
親指が起爆ボタンを押した。
爆薬が連鎖して点火する。
白い閃光が通りを覆う。
衝撃波が舗装路を剥がす。
熱風が建物の壁を叩く。
ファイシルの笑い声は、爆音の中へ消えた。
〈トーキョー・シティ〉の通りを、〈WC-ATV01〉が走る。
デルロイは無言でハンドルを握っていた。
マナイアも助手席で銃を抱えている。
最初に向かったのは、ジョイの通信が途絶えた路地だった。
車両が止まる。
マナイアが降りる。
そこにジョイの姿はない。
血だけが残っている。
その中に、ドッグタグが落ちていた。
マナイアは拾い上げる。
親指で血を拭う。
胸ポケットへ入れる。
次に向かったのは、高層ビルの麓だった。
アレクセイのドッグタグが路上に落ちている。
マナイアはそれも拾う。
胸ポケットへ入れる。
〈WC-ATV01〉は再び走る。
最後に停車したのは、キャメロンの通信が途絶えた地点だった。
壊れた〈WC-RSV01〉の装甲片が散らばっている。
爪痕の残る破片のそばに、キャメロンのドッグタグがあった。
マナイアはそれを拾い上げる。
胸ポケットへ押し込む。
すでに受け取っていたファイシルのタグを含め、四枚。
金属同士が触れ、小さく鳴った。
デルロイは何も言わない。
再びアクセルを踏む。
車内にはエンジン音だけが残っていた。
マナイアは胸ポケットの上から四枚のドッグタグを押さえている。
ジョイ。
アレクセイ。
キャメロン。
ファイシル。
デルロイが前を見たまま口を開いた。
「……隊長」
「なんだ」
「まだやるよな?」
マナイアは即答した。
「当然だ。任務は続ける」
デルロイが小さく頷く。
その時、身体が硬直した。
「ぐっ……!」
デルロイの腕がハンドルの上で固まる。
グアダルーペの《イビルアイ》。
操舵が乱れる。
次の瞬間、獣の影が車体へ激突した。
マケナの《レオパルドフォーム》による一撃が装甲を裂く。
〈WC-ATV01〉が大きく傾いた。
さらに遠距離から液体弾が飛来する。
フィンセントの《リクイディウム》がエンジンブロックを撃ち抜いた。
警告音が鳴る。
エンジンが悲鳴を上げる。
デルロイが必死にハンドルを戻そうとする。
間に合わない。
〈WC-ATV01〉は横転した。
金属が路面を削る。
火花が飛ぶ。
車内が回転する。
マナイアの身体がシートへ叩きつけられた。
しばらくして動きが止まる。
マナイアは身体を起こした。
「デル!」
デルロイはシートへもたれ、口元から血を流している。
「……今回は前みたいにはいかねえな」
デルロイは胸元へ手を伸ばした。
自分のドッグタグを外す。
マナイアの手へ押しつける。

「お前が生きりゃ、ワイルドカードは死なねぇ。任務を果たせ。あいつらのためにもな」
「デル――」
「ジョーカーを引いた罰だ。背負え」
デルロイはマナイアを押し返した。
壊れた車体の外では、複数の影が近づいている。
デルロイは残った弾倉を確認した。
手榴弾を掴む。
小型ドローンを起動する。
「行け」
マナイアは動かなかった。
「隊長」
デルロイがもう一度言う。
「行け」
マナイアは五枚目のドッグタグを握った。
そして車外へ出る。
デルロイは反対側のドアを蹴り開けた。
ドローンを飛ばす。
閃光が走る。
敵の視線がデルロイへ向く。
手榴弾を投げる。
爆発。
銃撃。
デルロイは最後の弾倉を撃ち続ける。
マナイアは振り返らない。
前へ走る。
背後でデルロイの銃声が続いていた。
やがて、銃声が途切れた。
マナイアは一人で走っていた。
胸ポケットには五枚のドッグタグが入っている。
走るたび、金属同士がぶつかる。
乾いた音が鳴る。
マナイアは胸元を押さえる。
タグの角が掌へ食い込む。
手袋の内側へ血が滲む。
それでも速度を落とさない。
都市の中心へ近づく。
人工空は明るい。
通りも照らされている。
人間の声だけがない。
ジョイの乾いた声が記憶に残っている。
キャメロンの笑い声も残っている。
アレクセイの皮肉も。
ファイシルの大声も。
デルロイの低い声も。
胸元でタグが鳴る。
(走れ。)
マナイアは前を見る。
切り札は、もう一枚しか残っていない。
【<JW-03|μR#stop】
【>JW-03.ANL|μR#open】
観測は続く。
記録は欠落する。
音は混線する。
映像は断続する。
それでも“順番”だけは明瞭だ。
最初に切られたのは、命を繋ぐ手。
視線に縫い止められた医療者。
次に消えたのは、軽やかな足。
獣に追いつかれた偵察者。
見えない銃口に捕捉された狙撃者は、雫に眼窩を撃ち抜かれた。
爆炎で道を描いた者は、笑い声を残して消えた。
そして、盾。
副隊長の背中。
――残されたのは一人。
われわれはカードを混ぜる。
記録の山札から順に引き、切り、配置する。
止めたフレームには、握り締められた五枚の鉄片だけが映る。
それで充分だ。
カードを切る手は冷たい。
だが、捨て札の山は血と記憶で重くなる。
引き続けた最後の一枚。
それがジョーカーであることに、われわれは気づいている。
残された者の存在そのものが、罰であり証明である。
切り札は、たった一枚でいい。
【<JW-03.ANL|μR#close】


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