TASK_01|OWNERSHIP
中央物流センターの管理用進入口で〈Halo Limousine〉が待機していた。
全長8メートルを超える白銀の車体は地面へ接しておらず、下部の浮遊機構が路面との間に一定の空間を保っている。
通常の道路を高速で走るためだけの構造ではない。
ひび割れた舗装。
沈下した床面。
散乱した小さな瓦礫。
トリガー発生後のトーキョー・シティでは、車輪で進むこと自体が経路を制限する場所が増えている。
〈Halo Limousine〉は路面へ直接荷重を預けず、進行可能な空間そのものを選んで移動する。
側面に長く伸びる黒い窓は外から内部を透かさない。
車体へ近づいたオリヴィアを認識すると、継ぎ目の目立たなかった側面が静かに分かれた。
LINは開いた入口を見ても今回は立ち止まらなかった。
二度目だった。
以前Aureaに案内された位置を覚えており、自分から車内奥へ進む。
ヴァレンだけが入口の手前で止まった。
内部を見る。
一般車両のように前方へ運転席はない。
中央には統合管理コンソール。
壁面には通信設備。
奥には緊急処置用の収納設備。
通常なら複数人が乗るために使われるはずの空間の大半が、オリヴィア一人の業務環境として構成されている。
「……車なのか」
ヴァレンが聞いた。
「分類上は行政車両です」
Aureaが答える。
「運転する人はいないのか」
「必要ありません」
Aureaは自らを示すように僅かに高度を上げた。
「運行も経路選択も私が担当します」
ヴァレンは浮遊する円環型ユニットを見る。
「あなたが全部?」
「通常運行であれば」
「普通の車じゃないですよ」
すでに座ったLINが言った。
「私も最初に乗った時はびっくりしました」
「普通を何と定義するかによります」
Aureaが返す。
「そういうところです」
LINは小さく笑った。
ヴァレンはもう一度車内を見る。
「何のためにここまでいるんだ?」
オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉を専用格納部から取り出した。
「移動するためだけの時間を作らないためです」
「仕事を続ける?」
「はい」
「休むためじゃなく?」
「はい」
ヴァレンは短く黙った。
「大変だな」
「必要な運用です」
LINがヴァレンを見る。
「たぶんオリヴィアはそう言うと思いました」
オリヴィアは反応しなかった。
側面扉が閉じる。
車外の作業音が一段遠くなった。
中央表示へ目的地が現れる。
【DESTINATION:旧商業区画・保守路接続点】
【OBJECTIVE:SPROCKET ROUTE TRACE】
【ESTIMATED ARRIVAL:18 MIN】
中央物流センターを離れたスプロケットたちは旧商業区画へ移動している。
[ネクス・ハウンズ]が取得した追跡記録と複数の〈センチレット〉の接続履歴が途中まで一致していた。
その先でスプロケットは〈センチレット〉から得られる情報の使い方を変えている。
さらに上位の都市管理系統へ接触した痕跡も同じ進行方向に残されている。
オリヴィアは記録上の地点を順番に追うことにした。
「出発してください」
「了解しました」
〈Halo Limousine〉が静かに動き始める。
発進時の揺れはほとんどない。
中央物流センターの外壁が横へ流れ、復旧用搬送路を抜ける。
路面の一部が大きく陥没していた。
車体は速度を大きく落とさず浮遊高度だけを僅かに上げる。
亀裂の上を越えた後に再び低い位置へ戻った。
LINが窓の外を見る。
「これなら道路が壊れてても走れるんですね」
「走るという表現は少し違います」
Aureaが答える。
「路面状態への依存度を下げています」
「浮いてるから?」
「大きく言えばそうです」
「最初からそれでいいと思います」
管理席へ通信要求が入った。
【[統律特命局]本部】
【三浦主任】
「接続」
『監査官。頼まれていた資産移管の件です』
「お願いします」
三浦主任から記録が送られる。
【LEGACY ASSET TRACE】
【PERIOD:2059-2080】
【CURRENT HOLDER:OLIVIA O'CONNELL】
【MATCHED SYSTEMS:MULTIPLE】
〈A.R.K. Conductor改〉へ繋がる管理端末系統。
Aureaへ繋がる統合AI系統。
〈Halo Limousine〉へ繋がる行政移動技術。
別々に運用されてきた複数資産が、現在ではすべてオリヴィアの管理下へ収束している。

「旧[A.R.K.]?」
LINが名前へ反応した。
「昔の会社ですよね?」
AureaがLINへ向く。
「A.R.K.社は世界政府成立以前から医療、AI、通信、都市管理技術へ広く関与していた企業です」
「今はないんですか?」
「企業としては存在しません」
「でも使ってる?」
LINが〈A.R.K. Conductor改〉を見る。
「技術系統は現在の[世界政府]にも大量に残っています」
「じゃあ昔の会社だけど、今の街の中にもいるみたいな感じ?」
「概ね正しい理解です」
ヴァレンが僅かに視線を動かした。
「ジオン・ゼラー」
オリヴィアが彼を見る。
「知っていますか?」
「名前は」
「どこで?」
ヴァレンは少し考えた。
「分からない」
反応まで僅かに間がある。
「でもパース・シティと一緒に知ってる」
LINも顔を上げた。
「パース・シティのテロ事件ですよね」
「公開史ではそう教えられています」
オリヴィアが答える。
「違うんですか?」
「表現が違います」
オリヴィアは三浦主任から送られた記録の年代を開いた。
「世界政府の公開名称はパース・シティ大規模テロ事案」
次に内部分類を表示する。
【2059 PERTH CITY DEFENSE】
【CLASSIFICATION:SECOND DEFENSE】
「統律特命局の内部記録では2059年パース・シティ防衛戦」
「第二次防衛戦」
「はい」
「[スペリオルズ]が襲ったんですよね?」
「それ自体は事実です」
オリヴィアはそこで止めた。
それ以上は現在のLINへ説明する必要がない。
三浦主任との回線へ戻る。
「移管元を」
『そこが曖昧です』
表示が変わった。
【TRANSFER AUTHORIZATION:VALID】
【RESPONSIBLE DEPARTMENT:UNRESOLVED】
【PRIMARY REQUESTER:UNRESOLVED】
「認証は?」
『全部通っています』
「偽造痕跡は?」
『確認できません』
「担当部署だけが残っていない」
『決裁経路も途中から消えています』
2059年。
第二次防衛戦。
パース・シティ崩壊。
ジオン・ゼラーの公的人格と記録が消える。
2060年。
旧A.R.K.資産の再編が始まる。
その一部が時間をかけてオリヴィアへ集まっている。
「最初の移管時期は?」
『2060年』
「私の実績評価で選定された可能性は?」
『時期だけで言えば低いです』
三浦主任はそれ以上言わなかった。
オリヴィア自身も補足しない。
三浦主任が統律特命局へ配属された時には、すでにオリヴィアは彼より上位の立場にいた。
しかし資産移管の開始は、それよりさらに前の2060年まで遡る。
現在の実績評価だけでは説明できない。
今この疑問を持っているのはオリヴィアだった。
「原記録の参照先を保持してください」
『了解』
「〈Conductor〉、Aurea、Halo系統を優先」
『全部オリヴィア監査官の現在装備ですね』
「だから調べます」
『分かりました』
通信が終了する。
オリヴィアは三系統を並べた。
それぞれの由来は古い。
しかし、今ではオリヴィア専用に改修されている。
ジオンが使った道具そのものではない。
ジオンが使った系統を引き継ぎ、長い時間をかけて別のものへ変えた装備だった。
【DESTINATION:旧商業区画・保守路接続点】
【ESTIMATED ARRIVAL:15 MIN】
〈Halo Limousine〉はまだ進んでいる。
オリヴィアは三つの資産を閉じずに次の照合へ進んだ。
TASK_02|CONTINUITY
旧商業区画まで残り11分。
【DESTINATION:旧商業区画・保守路接続点】
【ESTIMATED ARRIVAL:11 MIN】
外の景色が変わっていた。
中央物流センター周辺より復旧要員が少ない。
大通りには照明が残っている。
清掃用の小型ロボットが割れたガラスを回収していた。
人間が利用する予定のない歩道を案内表示だけが更新している。
〈センチレット〉が一機、低い高度で交差点を横切った。
その少し先に人影があった。
中年の男に見える。
歩道の同じ区間を進み、立ち止まり、振り返る。
また同じ位置まで歩く。
同じ動作を繰り返していた。
LINが窓へ少し近づく。
「……あの人」
「リピーター反応です」
Aureaが答える。
「近づく必要はありません」
別の路地には一人の女性が立っていた。
壁面を見ている。
誰かを待っているようにも見えるが動かない。
視線だけが僅かに揺れている。
「そっちは?」
「ロストの可能性が高いです」
LINの表情から少し笑みが消えた。
「戻せるんですか?」
「現在は確実な方法がありません」
「……そうですか」
〈Halo Limousine〉は速度を変えず通過した。
遠方の封鎖線で警告灯が点滅している。
一体のブーステッド反応を避けるため世界政府部隊が通行区域を変更していた。
街のすべてが無人になったわけではない。
普通の市民生活だけが消えている。
異常となった人間。
復旧作業を続ける人間。
正常に運行するAIと機械。
それらが同じ都市の中で別々の時間を生きている。
オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉を伸長した。
握り部が生体認証を開始する。
指圧。
掌紋。
心拍。
複数の認証が一致した。
先端の円環が青白く発光する。
Aureaが反応した。
「Secure Linkを確立します」
Aureaの中央部にも同じ光が走る。

【AUREA SECURE LINK:ESTABLISHED】
現在登録されている所有履歴と旧A.R.K.領域の資産履歴を重ねる。
通常認証とは別の処理が始まった。
【CONTINUITY CHECK】
【CONDUCTOR USE HISTORY:MATCH】
【AUREA OWNER MODEL:MATCH】
【HALO PRIVATE OPERATION HISTORY:MATCH】
【LONG-TERM CONTINUITY:CONFIRMED】
オリヴィアは最後の表示を見る。
「これは権限確認ではありませんね」
「はい」
「現在の役職も参照していない?」
「参照していません」
「生体情報だけでもない」
「はい」
Aureaが処理内容を分解する。
〈Conductor〉へ残った判断履歴。
Aureaが20年近く蓄積したオリヴィア個人の応答傾向。
Halo系統へ残る移動と私的運用の記録。
同じ人物が長期間これらを使い続けたという事実を相互に確認している。
一つの装備を奪っても成立しない。
一度だけ最高権限を使っても成立しない。
同じ環境の中で生きた時間そのものが必要だった。
「開きます」
古い領域が応答した。
最初に現れたのは長い条件文ではなかった。
短い文章だった。
これを見ている君へ。
私は君を知らない。
本当なら、これは娘へ残したかった。
だが、誰かを守ることと、その人の未来を決めることは同じではない。
私はそれを知るまでに随分と時間を使った。
君が私と同じように作られた者なのか、ドーム都市で生まれた一人の市民なのか、それすら私には分からない。
それでいい。
ここまで来たのが誰かから借りた答えではなく、君自身の選択だったのなら、もう少し先へ進める。
私が残したかったのは答えではない。
答えを選び直せる場所だ。
オリヴィアは最後まで読んだ。
カイラのために残したかった。
しかし、カイラを指定していない。
娘へ届かない可能性を理解していた。
それでも未来の誰かへ残した。
「カイラさんですか?」
隔壁の向こうからLINの声が聞こえたわけではない。
まだ隔壁は開いている。
彼女は表示内容を見ていなかった。
オリヴィアは秘匿角度を維持したまま画面を閉じる。
この情報を共有する必要はない。
別の通信要求が割り込んだ。
【[ネクス・ハウンズ]】
【RIDGE】
「接続」
『監査官』
「状況を」
『対象が〈セントリオ〉へ接触した』
オリヴィアの視線が止まる。
『限定的だが都市判断へ干渉した痕跡がある』
「制御範囲は?」
『全体ではない』
『監視優先度、区域閉鎖、〈センチレット〉配置、交通系統の一部』
「逃走経路を作った?」
『作らせた』
リッジの返答は短い。
『対象が設備を直接一つずつ動かしたわけではない。都市側の判断材料へ触っている』
オリヴィアは先ほどの追跡記録を更新した。
スプロケットはまた一段上へ進んでいる。
『再分類した』
「内容は?」
『ネクス一名の捕獲ではない』
『都市インフラ接続型対象の隔離任務として扱う』
「対応は?」
『対象を追い続けない』
『都市から切り離す』
オリヴィアは僅かに目を細めた。
「都市機能そのものを停止する案は認めません」
『やらない』
「復旧系統も維持」
『分かっている』
「市民残存反応への影響も最小限に」
『その条件で組む』
リッジが一度止まる。
『旧商業区画の先に固定接続候補がある』
「〈セントリオ〉?」
『上流へ触れるために使った可能性が高い』
「座標を送ってください」
『送った』
目的地情報が更新される。
現在向かっている旧商業区画は変わらない。
その先に次の地点が追加された。
【NEXT TRACE POINT:旧地下管理結節点】
【STATUS:HOUNDS ADVANCE TEAM MOVING】
「先行班は?」
『セッターが都市網との接点を切っている』
リッジはセッターの行動記録を送る。
『プロットとハリアーは外側を潰す』
次にプロットとハリアーの配置も送る。
『ドゴは物理接続を確認中』
最後のドゴでリッジはオリヴィアの反応を待つ。
「無理に捕獲へ移行しないでください」
『今はまだしない』
リッジの声が僅かに低くなる。
『次は同じ逃がし方をさせない』
通信が切れた。
オリヴィアは数秒前まで読んでいた文章へ戻る。
ジオンが残した過去。
スプロケットが現在進んでいる場所。
どちらも同じA.R.K.系統の先にある。
しかし、今は一つにまとめない。
まず目の前の記録を追う。
【DESTINATION:旧商業区画・保守路接続点】
【ESTIMATED ARRIVAL:8 MIN】
〈Halo Limousine〉は進み続けていた。
TASK_03|REMAINS
旧商業区画へ到着した。
【DESTINATION:ARRIVED】
【旧商業区画・保守路接続点】
〈Halo Limousine〉は崩れた搬入口の手前で高度を下げた。
路面へ完全には接地しない。
復旧前の床面は一部が沈み、奥へ続く通路には非常灯だけが残っている。
オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉を持って降りた。
Aureaが続く。
「LINとヴァレンは車内待機」
「了解しました」
Aureaは一度後部区画を見る。
「直接監視は車内系統へ引き継ぎます」
ヴァレンが開いた扉の向こうを見る。
「スプロケットも、ここを通ったのか?」
「記録上は」
オリヴィアはそれ以上説明しない。
扉が閉じた。
旧商業施設の裏側は静かだった。
表通りへ面した店舗群とは違い、ここにあるのは搬入口と保守設備ばかりだった。
壁面へ沿って複数の配管が伸びている。
停止した搬送台車の横を〈センチレット〉が一機通過した。
オリヴィアへ一度カメラを向ける。
認証後すぐに巡回へ戻った。
「接続履歴を」
Aureaが取得する。
【〈CENTILLET〉 LOCAL ACCESS HISTORY】
【SUBJECT MATCH:SPROCKET】
【UPSTREAM REQUEST:DETECTED】
「ここから〈セントリオ〉へ?」
「最初の探索だけです」
「深い接続は別地点?」
「はい」
旧地下管理結節点。
リッジが送った次の座標と一致する。
オリヴィアは確認した痕跡を保存した。
車内へ戻る。
側面扉が閉じた後に〈A.R.K. Conductor改〉が再び反応した。
先ほど読んだ文章の続きを要求している。
オリヴィアは管理席へ座る。
「Aurea」
「はい」
「後部区画を分離してください」
「了解しました」
透明隔壁が白く変わる。
Aurea本体はLINとヴァレン側へ残った。
オリヴィアの耳元へ秘匿回線が開く。
『直接観測を維持します』
「お願いします」
〈A.R.K. Conductor改〉を管理卓へ接続する。
円環部の青白い光が広がった。
管理卓の上に人影が形成される。
オリヴィアは一度だけ動きを止めた。
男がいた。
銀白の髪。
白を基調とした統治服。
両手を覆う白い手袋。
外見だけなら50歳前後に見える。
写真ではない。
映像だった。
ジオン・ゼラー。
社会から本人の記録が消された後も、この領域には残されていた姿だった。
ジオンは正面を見る。
映像だと分かっている。
それでも目が合ったと錯覚する。

『ここまで来たのか』
穏やかな声だった。
威圧はない。
それでも聞き流しにくい。
相手が続きを聞くことを最初から知っているような間の置き方だった。
オリヴィアは僅かに姿勢を変えた。
その反応を自分で認識する。
(これがジオン・ゼラー)
資料で知った人物とは違う。
人前へ出ることそのものが機能だった人物。
彼の言葉を聞けば市民が安心したという記録が残っている。
意味を理解する前に信用へ傾かせる。
その危険性も含めてオリヴィアは認識した。
【ARCHIVED INTERACTIVE RECORD】
【RESPONSE RANGE:LIMITED】
「本人ではありませんね」
『保存された映像、音声、選択分岐から構成されています。新規判断能力は確認されません』
「分かりました」
オリヴィアは映像へ視線を戻す。
「なぜ、この記録を残したのですか?」
短い待機の後に応答候補が一致した。
ジオンが僅かに笑う。
『簡単な答えを残すことはできる。だが答えは古くなる。国も制度も技術も変わる。人間も変わる』
ジオンは白い手袋へ視線を落とした。
『それなのに、私の答えだけを未来へ固定するのは少し傲慢だろう』
オリヴィアは黙って続きを待つ。
『だから残したのは余白だ。迷ったこと。考え直したこと。命令された答えとは違うものを選んだこと。そういうものを消さずに済む場所だ』
「あなたの思想を継がせるためではない?」
映像が止まる。
【RESPONSE:NO DIRECT MATCH】
ジオンは答えない。
オリヴィアは質問の角度を変えた。
「次の利用者へ何を求めていますか?」
応答が成立する。
『私と同じになる必要はない。むしろ、ならない方がいい』
ジオンの笑みが少し弱くなる。
『私は多くのことを正しいと思って選んだ。その中には本当に正しかったものもある。間違っていたものもある』
オリヴィアは一つの名称を選んだ。
「2059年パース・シティ防衛戦も?」
映像が止まる。
今度は先ほどより長かった。
別の記録が呼び出される。
再び現れたジオンの表情から笑みは消えていた。
『スペリオルズはパースへ来た。あれは襲撃だった。そこを曖昧にする必要はない』
オリヴィアは何も挟まなかった。
ジオン自身が少し間を置く。
『だが、都市が失われた理由をそれだけにするのも違う』
その視線が僅かに下がる。
『防衛は機能していた。私はまだ制御できると考えた。異常がどこから崩れるのかを見る余裕があると思った』
映像の中でジオンが一度息を吐いた。
『なかった』
オリヴィアの指が止まる。
それだけの言葉だった。
先ほどまでの話し方とは明らかに違う。
ジオンは正面へ視線を戻した。
『閉じるべき場所を閉じなかった。止めるべき時に観測を続けた。最後には戻せると思っていた』
そこで言葉が止まる。
用意された映像であるにもかかわらず、沈黙に重さが残る。
『私は間違えた』
オリヴィアは動かなかった。
『人が死んだ。都市が消えた。私の計算違いを敵だけの責任へ置き換えることはできない』
オリヴィアは公開記録を呼び出した。
【パース・シティ大規模テロ事案】
【実行主体:スペリオルズ】
【防衛結果:失敗】
【都市機能:喪失】
学校教育でも報道記録でも事件はこの形に収束している。
スペリオルズによる大規模テロ。
防衛失敗。
パース・シティ崩壊。
それ自体は虚偽ではない。
スペリオルズは実際に侵攻した。
市民を巻き込む大規模戦闘も発生している。
しかし、統律特命局に残された内部記録では、防衛システムは途中まで機能していた。
戦術的優位も失われていない。
外部侵攻だけでは最終結果へ繋がらない。
そして今、当時の最高責任者本人が別の要因を残している。
ジオン自身の判断。
制御できるという予測。
止めなかった観測。
公開史から消えた因果だった。
「この記録を世界政府は知っていますか?」
映像は動かない。
【RESPONSE:NO DIRECT MATCH】
「Mr.Xは?」
【RESPONSE:NO DIRECT MATCH】
オリヴィアはそこで質問を止めた。
ジオン本人が答えを拒んでいるわけではない。
最初から答えが用意されていない。
目の前にいる男は本人ではない。
残された言葉と姿が、想定された問いへ応じて再生されているだけだった。
「Aurea」
『はい』
「この映像領域の生成時期は?」
『2059年以前の複数時点から構成されています』
「最終更新は?」
『パース・シティ崩壊前後に集中しています』
オリヴィアは映像を見る。
ジオンは自分が消される可能性を考えていた。
だから記録を残した。
人格を再現するためではない。
自分が何を考え、何を選び、どこで間違えたのかを完全には消されない形で残した。
「善意の人物がここへ来る保証はありません」
『ありません』
「危険な人物でも条件を満たせる?」
『理論上は可能です』
オリヴィアはジオンを見る。
この領域へ到達した人間が正しい者だと保証する仕組みはない。
高い能力を持つ可能性はある。
長い時間をかけて同じ環境を使い続けた人物ではある。
それ以上の判定は行われていない。
未来へ残したのは正しい答えではなかった。
未来側が答えを変えられる余地だった。
希望にもなる。
危険にもなる。
ジオンはそこまで未来を管理しなかった。
オリヴィアはもう一つ確認する。
この記録へ到達したのが自分である理由は、ジオンの中にはない。
彼はオリヴィアを知らない。
ならば答えは2059年より後にある。
Mr.Xへの通信画面を開く。
指は動かなかった。
数秒後に閉じる。
『照会しないのですか?』
「しません」
『理由は?』
「先に彼の説明を聞けば、その説明を基準に記録を見ることになります」
『効率は低下します』
「分かっています」
『それでも続ける?』
「はい」
オリヴィアは三浦主任へ追加調査を送った。
【REQUEST】
【2059-2060】
【A.R.K. ASSET REORGANIZATION】
【PRE-A.R.K. SOURCE TRACE】
次に追うべきものはジオン本人ではない。
彼が消えた後に、誰が何を動かしたのか。
オリヴィアはそこへ監査を移した。
TASK_04|BACKTRACE
海上ドーム都市の統律特命局本部で三浦主任はオリヴィアから届いた追加要求を開いた。
【REQUEST】
【PERIOD:2059-2060】
【TARGET:A.R.K. ASSET REORGANIZATION】
【SOURCE TRACE:PRE-A.R.K.】
内容そのものに驚きはなかった。
ジオン・ゼラーまで辿った以上、その前後を調べればA.R.K.社へ戻る。
さらに技術系譜を遡れば[D.A.R.K.]へ届く。
三浦主任にとって、そこまでは未知ではなかった。
A.R.K.社は子供の頃から知っている。
医療。
AI。
通信。
義肢。
旧文明社会の至るところにその名前があった。
2042年以降も文明再建を支え、現在の世界政府技術へ形を変えて残っている。
D.A.R.K.を知ったのはずっと後だった。
統律特命局へ入り、旧文明の封鎖記録を扱うようになってからになる。
一般社会には存在しなかったことになっていた研究機関。
A.R.K.社が社会へ出した技術の一部が、さらに古いD.A.R.K.研究へ繋がることも知っている。
ただし、知っているのは存在と技術系譜までだった。
何をどこまで研究していたのか。
現在も残る資産の全てがどこへ移されたのか。
そこまで把握できる立場ではない。
三浦主任は情報支援眼鏡を押し上げた。
「まずジオンから戻るか」
検索条件を2059年へ合わせる。
画面へパース・シティの記録が並んだ。
【2059 PERTH CITY DEFENSE】
【CLASSIFICATION:SECOND DEFENSE】
【PUBLIC CASE】
【パース・シティ大規模テロ事案】
【EXECUTOR:スペリオルズ】
三浦主任は表示を見たまま少しだけ椅子へ背中を預けた。
21年前。
自分は25歳だった。
事件を後世の資料として知っているわけではない。
当時のニュースを覚えている。
燃える都市。
繰り返し映されたスペリオルズの映像。
多数の犠牲者。
パース・シティはテロによって失われた理想都市として報じられていた。
世界政府成立後でも最大級の悲劇だった。
その後のドーム都市防衛や能力者対策にも影響を与えた事件として現在も扱われている。
三浦主任も長い間それ以上の意味を求めたことはなかった。
現在見ている内部記録は少し違う。
スペリオルズの侵攻自体は否定されていない。
ただ公開史より多くの要因が残されている。
防衛システム。
内部障害。
指揮記録。
都市機能の異常。
そしてジオン・ゼラー。
三浦主任は人物履歴を開いた。
【ZEON ZELLER】
【A.R.K.:EXECUTIVE AUTHORITY】
【CONTROL DEFENSE BUREAU:DIRECTOR】
【PERTH CITY:MAYOR】
【PUBLIC RECORD:TERMINATED/2059】
「改めて見ると、とんでもない経歴だな」
独り言だけが解析室に残った。
旧文明最大級の企業を率いた人物。
世界政府成立後は[統制防衛局]局長。
さらにパース・シティ市長。
これだけの肩書きを持つ人物にしては、2059年以降の記録が少なすぎる。
事故死した政治家でも失脚した経営者でもこうはならない。
三浦主任は人物検索を切った。
次に技術と資産から遡る。
A.R.K.社。
医療。
AI。
神経工学。
生体工学。
都市管理。
その原型を一つずつ戻していく。
同じ名称が何度も現れた。
D.A.R.K.。
「やっぱりここまで戻るか」
予想通りだった。
問題はここから先になる。
通常の旧技術照合では、D.A.R.K.からA.R.K.社へ移された研究成果が表示される。
今回は2059年から2060年の資産再編を重ねている。
そのため普段は検索対象にならない分類が一つだけ浮かび上がった。
【D.A.R.K. ARCHIVE】
【CATEGORY:HUMAN DEVELOPMENT】
【PROJECT:DESIGN HUMAN PROJECT】
【ACCESS:RESTRICTED】
三浦主任の視線が止まった。
「……デザイン人間計画」
名前に覚えはない。
開示要求を送る。
【PROJECT DETAIL:SEALED】
【SUBJECT LIST:SEALED】
【GENERATION DATA:SEALED】
【PURPOSE:SEALED】
「全部か」
存在だけは確認できる。
内容は見えない。
統律特命局主任権限でもここまでだった。
三浦主任は無理に突破しなかった。
見えないという結果も情報になる。
問題は、この名称がジオンの資産系譜を遡った先に出たことだった。
偶然とするには位置が近い。
だからといってジオンが計画対象だったとはまだ言えない。
三浦主任は《デザイン人間計画》を保留欄へ移した。
次に当時の人事記録を開く。
A.R.K.社側には資料が多い。
社内記録。
広報。
研究発表。
社会活動。
ジオンは人前へ出る人物だった。
複数の写真が残っている。
三浦主任は1980年代後半の画像を一枚選んだ。
若いジオン・ゼラーが中央に立っている。
銀白の髪。
整った顔。
カメラへ自然に向けられた視線。
古い写真にもかかわらず解像度は十分だった。
同じ年代のD.A.R.K.記録を重ねる。
こちらは逆だった。
写真そのものが少ない。
人物名も欠けている。
施設内部を記録した一枚に管理職らしい集団が写っていた。
端の方に一人だけ顔の一部が見える。
【D.A.R.K. MANAGEMENT RECORD】
【DIRECTOR:Mr.X】
【VISUAL DATA:PARTIAL】
三浦主任は眼鏡越しに画像を拡大した。
粒子が崩れる。
右側の人物に肩を隠されている。
照明も悪い。
それでも顔の上半分は残っていた。
「……Mr.X」
現在自分へ直接指示を出している人物。
その名前が数十年前のD.A.R.K.記録へ存在している。
そこまでは驚く理由にならなかった。
Mr.Xの経歴に古いD.A.R.K.との接点があること自体は想定できる。
引っかかったのは顔だった。
三浦主任はジオンの写真を横へ置いた。
二人を見比べる。
目元。
鼻梁。
顔の輪郭。
同じではない。
少なくとも、この画質から同一人物と判断することはできない。
それでも無関係と片付けるには似ていた。
「照合」
【VISUAL CORRELATION ANALYSIS】
【SOURCE A:ZEON ZELLER】
【SOURCE B:Mr.X】
【SOURCE B QUALITY:LOW】
【DIRECT IDENTITY:UNRESOLVED】
【BIOLOGICAL RELATION:UNRESOLVED】
三浦主任は結果を見る。

「まあ、そうなるよな」
AIが分からないと言っているだけだった。
だから人間が勝手に答えを作る理由にはならない。
似ている。
それ以上はまだない。
二枚の写真を閉じずに残す。
時系列を重ねた。
同じ時代。
A.R.K.社の表にジオンがいる。
D.A.R.K.の奥にMr.Xがいる。
A.R.K.社とD.A.R.K.は技術を循環させていた。
そのさらに深い場所に《デザイン人間計画》という見たことのない記録がある。
三浦主任は指先で机を一度叩いた。
「繋げたくなるな」
そのまま手を止める。
「だから繋げない」
確認できていない。
ジオンとMr.Xが似ていること。
同年代の二組織にいたこと。
デザイン人間計画という別の機密が存在すること。
三つはまだ別の事実だった。
通信要求が表示された。
【SECURE LINE】
【Mr.X】
三浦主任は画面を見る。
呼び出しのタイミングだけなら記録する価値はない。
接続する。
『進んでいるか』
「進んでます」
Mr.Xの声はいつも通り低い。
『監査官は』
「現地監査を継続中です」
『変化は』
三浦主任はMr.X用の並行記録を開いた。
「調査範囲が広がっています。職務判断と処理能力に明確な異常はありません」
Mr.Xは少し間を置いた。
『ジオン・ゼラーは』
三浦主任の視線が止まった。
自分からその名前を出していない。
しかし、Mr.Xが知らないはずもない。
「そこまで把握してるなら、私に聞く必要ありますか?」
返事はすぐに来た。
『お前が何を見たかを聞いている』
三浦主任は椅子へ深く座り直した。
「A.R.K.社の経営者。統制防衛局局長。パース・シティ市長。2059年以降の個人記録は不自然なくらい減っています」
Mr.Xは評価を返さない。
『他には』
「D.A.R.K.まで遡りました」
短い沈黙が入った。
『それで』
「《デザイン人間計画》という封鎖記録が出ています。中身は俺の権限じゃ見えません」
Mr.Xはまた少し黙った。
『推測は』
「しません」
『何も?』
三浦主任は二枚の古い写真を見る。
「一つだけ気になるものはあります」
『言え』
「あなたとジオン・ゼラーの顔が似ています」
通信の向こうから返事はなかった。
三浦主任は続けない。
相手の沈黙を肯定として扱う気もなかった。
やがてMr.Xの声が戻る。
『どの程度だ』
「分かりません」
『兄弟か』
「判断できません」
Mr.Xが次を聞くまで三浦主任は写真を見続けた。
『同一人物か』
「その可能性を出すには資料が足りません」
今度は少し長い沈黙だった。
『デザイン人間計画との関係は』
「もっと分かりません」
『監査官は』
三浦主任はそこで僅かに眉を寄せた。
「監査官と何がです?」
『その計画だ』
三浦主任は即答しなかった。
オリヴィアが若い外見のまま高い地位にいること。
自分より遥かに高い処理能力を持つこと。
特殊な監査権限を持つこと。
それらを今まで異常だと思ったことはない。
自分より優秀な人間が自分より若かった。
三浦主任にとってはそれだけだった。
今も同じだった。
計画名を見つけたからといって、そこへオリヴィアを当てはめる理由にはならない。
「関係を示す記録は見つけていません」
Mr.Xの声は変わらない。
『可能性は』
「それを答えたら推測です」
数秒だけ回線が静かになった。
『そうか』
「そうです」
『続けろ』
「どこまで?」
『お前が確認できるところまでだ』
三浦主任は僅かに目を細めた。
「最初からそのつもりです」
通信が切れた。
三浦主任は暗くなった回線表示を見た。
Mr.Xは質問しかしていない。
何も教えていない。
それでも一つだけ以前よりはっきりした。
ジオン・ゼラー。
D.A.R.K.。
《デザイン人間計画》。
Mr.Xは少なくとも、その名前を聞いて驚く立場ではない。
だからといって全て知っていると記録することはできない。
三浦主任は並行記録を開いた。
【PARALLEL FACTUAL RECORD】
【SUBJECT:OLIVIA O'CONNELL】
【ACCESS RANGE:EXPANDED】
【CURRENT CASE RELATION:PARTIAL】
【OPERATIONAL CAPABILITY:NO CHANGE】
【JUDGMENT ABNORMALITY:NOT OBSERVED】
そこまで入力して保存する。
《デザイン人間計画》は書かなかった。
Mr.Xから求められているのはオリヴィアの変化であり、自分が見つけた旧D.A.R.K.資料を片端から報告することではない。
命令の範囲を勝手に広げるつもりもなかった。
次に通常解析記録へ戻る。
【BACKTRACE RESULT】
【ZEON ZELLER】
【A.R.K./D.A.R.K. TECHNICAL LINEAGE:CONFIRMED】
【DESIGN HUMAN PROJECT:REFERENCE FOUND】
【DETAIL:SEALED】
【ZEON ZELLER/Mr.X】
【VISUAL SIMILARITY:OBSERVED】
【RELATIONSHIP:UNRESOLVED】
三浦主任は内容を確認する。
事実。
未確認。
推測。
三つが混ざっていない。
それでいい。
オリヴィアへの回線を開いた。
「監査官」
『はい』
「少し出ました」
『お願いします』
「A.R.K.社からD.A.R.K.までは想定通りです」
三浦主任は《デザイン人間計画》の参照だけを送った。
「その先に《デザイン人間計画》という封鎖記録があります。俺の権限では名称までです」
通信の向こうで僅かな間が空いた。
三浦主任は待った。
『そこから先はこちらで引き取ります』
「分かりました」
次に二枚の画像を送る。
「もう一件あります」
『何ですか?』
「ジオン・ゼラーとMr.Xです」
オリヴィアから返事はない。
三浦主任は断定を避けた。
「古い写真の顔が似ています。ただしMr.X側は不鮮明で、照合結果も関係性不明です」
『記録だけ送ってください』
「送ります」
転送を実行する。
【TRANSFER:COMPLETE】
「私から言えるのはそこまでです」
『十分です』
三浦主任は一度だけ左腕の旧式腕時計を見た。
終わる理由にはならなかった。
分からないことが増えた。
それでも以前より、どこが分からないのかは見えている。
「何か出たら呼んでください」
『お願いします』
通信が切れた。
三浦主任はジオンとMr.Xの写真をもう一度並べた。
似ている。
それだけ。
今はそれだけでよかった。
TASK_05|RECURSION
〈Halo Limousine〉は旧商業区画を離れていた。
【DESTINATION:旧地下管理結節点】
【OBJECTIVE:〈CENTRIO〉 CONNECTION TRACE】
【ESTIMATED ARRIVAL:9 MIN】
ネクス・ハウンズはさらに先行している。
都市網へ依存しない局所封鎖へ切り替え、スプロケットが再び〈セントリオ〉へ接続した場合でも同じ方法で逃走経路を作れないよう準備を進めていた。
〈Halo Limousine〉は旧商業区画の地下連絡路へ入る。
路面の損傷が大きくなった。
亀裂。
沈下。
崩れた保守材。
通常車両なら速度を大きく落とす必要がある区間だった。
〈Halo Limousine〉は浮遊高度を僅かに上げる。
車体下部と床面の距離が広がり、沈下した路面の上をそのまま越えていった。
後部区画ではAureaがLINとヴァレンの直接観測を続けている。
オリヴィアとの間には不透過隔壁がある。
Aurea本体は二人の側にいる。
オリヴィアへ届く声だけが秘匿回線だった。
『LINの緊張反応が低下しています』
「飲食は?」
『長時間摂取していません。軽食を推奨します』
「提供してください」
『了解しました』
Aureaが車内設備へ要求を送る。
後部区画の側壁に細い光が走った。
収納部の一つが開く。
内部には個包装された簡易栄養食と飲料が収められていた。
小型トレイが自動で展開する。
「こちらをどうぞ」
Aureaが二人へ案内した。
「ありがとうございます」
LINは水を一本取った。
ヴァレンはトレイを見たまま少し止まる。
「食べてもいいのか?」
「あなたたちのために〈Halo Limousine〉が用意しました」
ヴァレンが一つ取る。
「そうか」
LINが水の封を開けながら彼を見る。
「そこ確認するんですね」
「知らない場所だから」
「私も最初はそんな感じでした」
ヴァレンは簡易栄養食の包装を見る。
開封方法を確認してから口へ運んだ。
LINも軽食を一つ取り、水を飲む。
しばらく誰も話さなかった。
走行音はほとんど聞こえない。
車体制御の微かな振動だけが床から伝わる。
LINが少し姿勢を崩した。
中央物流センターにいた時より肩の力が抜けている。
「Aureaさん」
「はい」
「私たち今、どこに向かってるんですか?」
「旧地下管理結節点です」
「そこに何があるんですか?」
「スプロケットの接続痕があります」
LINの表情が変わる。
「ずっとその人を追ってるんですよね」
「はい」
「悪い人なんですか?」
Aureaは即答しなかった。
質問内容を判断するための短い間だけが入る。
「現在は世界政府の回収対象です」
「それ、悪い人かどうかの答えじゃないですよね」
「はい」
LINはAureaを見る。
「じゃあ分からない?」
「善悪を基準に回収しているわけではありません」
「危ないから?」
「危険性は確認されています」
Aureaはそこで説明を止めた。
現在のLINへ能力分類や回収条件の詳細まで伝える必要はない。
LINは少し考えた後に水をもう一口飲む。
「難しいですね」
「そうですね」
Aureaは無理に分かりやすい答えへ置き換えなかった。
LINの視線がヴァレンへ移る。
「ヴァレンさんはスプロケットさんと一緒にいたんですよね?」
「少し」
「どんな人なんですか?」
ヴァレンは手元の水を見る。
「よく見ていた」
「何を?」
「街」
少し間が空く。
ヴァレンは続けた。
「仲間も」
「それだけ?」
「今覚えているのは」
LINの表情が僅かに変わる。
「やっぱり記憶あんまりないんですね」
「頭を打ったからだと思う」
Aureaは会話を聞きながらヴァレンの生体情報を更新していた。
頭部外傷は確認されている。
現在の記憶混濁が外傷だけですべて説明できるわけではない。
ただし明確に矛盾しているとも言えない。
本人が意図的に虚偽を作っていると断定できる反応も確認できていない。
「現在確認されている外傷と完全には矛盾していません」
LINがAureaを見る。
「ずっと調べてるんですね」
「はい」
「オコネルさんに言われて?」
「それも理由の一つです」
「他にも?」
「観測と支援は私自身の基本運用に含まれます」
LINは少し首を傾げる。
「自分で判断してるんですか?」
「必要な範囲では」
「AIって、もっと言われたことだけするものだと思ってました」
「種類によります」
「Aureaさんは?」
「オリヴィアを支援するために判断します」
LINはその答えを少し考えた。
「それ、結構大変そうですね」
Aureaは僅かに間を置く。
「否定はしません」
前方の管理席ではオリヴィアがジオンの映像記録を再開していた。
後部区画にいるAureaから秘匿回線が維持されている。
『三浦主任から追加資料を受領しました』
「後で確認します」
『ジオン・ゼラーとMr.Xに視覚的類似があるという未確定記録があります』
オリヴィアの指が止まった。
「三浦主任の判定は?」
『関係性不明です』
「そのまま保持してください」
『了解しました』
オリヴィアは映像のジオンへ視線を戻す。
未来へ残された限定応答記録。
新しい判断はしない。
想定された問いと残された回答を組み合わせるだけの映像。
それでも目の前に姿があるだけで文章記録とは違う圧力が生まれる。
オリヴィアは質問を選ぶ。
「ここへ辿り着いた人物が、あなたの残したものを悪用する可能性は考えなかったのですか?」
映像が停止した。
完全一致する質問は登録されていない。
数秒後、近い応答候補が選択された。
ジオンが僅かに視線を外す。
『未来の人間が正しいかどうかを、私が先に決めることはできない』
オリヴィアは続きを待つ。
ジオンは正面へ戻った。
『それを始めた瞬間、私はまた同じことをする。正しさを決め、正しい人間を選び、そこから外れた者を管理する』
白い手袋に覆われた指が僅かに動く。
『私は長い間、それができると思っていた』
そこで映像のジオンが一度黙った。
意図的に保存された間だった。
『できなかった』
パース・シティ。
その名前をオリヴィアは口にしなかった。
すでに記録の意味は分かっている。
ジオンはさらに続ける。
『人は私の予測より遠くへ行く。悪い方へも、良い方へも』
ジオンの表情から笑みが消える。
『だから未来には、未来の責任を残す』
映像が停止した。
オリヴィアは問いを変える。
「それでは、何を残したかったのですか?」
応答処理が走る。
今度は待機時間が短い。
『私の答えではない』
ジオンは正面を見たままだった。
『私が間違えた時に止まれる場所と、私とは違う答えを選んでも消されない場所だ。それで十分だ』
映像が静止する。
オリヴィアは数秒間その顔を見続けた。
ジオンが自分を選んだわけではない。
彼はオリヴィア・オコネルという存在を知らない。
自分へ何かを直接託したわけでもない。
ジオンが残したのは仕組みだった。
その仕組みを使う人物が誰になるのかまでは決めていない。
問題はその後だった。
ジオンが消えた2059年以降。
A.R.K.社とD.A.R.K.が解体へ向かった2060年。
その時期から複数の旧資産が現在のオリヴィアへ集まっている。
ジオンにはできない配置だった。
別の判断が存在する。
オリヴィアは三浦主任から送られた未確定記録を開いた。
【ZEON ZELLER/Mr.X】
【VISUAL SIMILARITY:OBSERVED】
【RELATIONSHIP:UNRESOLVED】
似ている。
それだけ。
しかしMr.XがD.A.R.K.側にいたこと。
ジオンがA.R.K.社側にいたこと。
両者の活動年代が重なっていること。
デザイン人間計画という封鎖記録がその深層に存在すること。
三浦主任はそこまでしか確認できていない。
オリヴィアはさらに多くを知っている。
それでも現在必要なのは知識を埋めることではなかった。
誰が何をしたのかを記録として確認することだった。
『Mr.Xへ照会しますか?』
Aureaの声が秘匿回線から入る。
「しません」
『三浦主任への追加開示は?』
「必要な範囲だけです」
『現在案件のみを保存して監査を終了しますか?』
オリヴィアはジオンの映像を閉じた。
「それもしません」
〈A.R.K. Conductor改〉へ現在の監査対象を表示する。
【CURRENT AUDIT SUBJECT】
【SPROCKET】
オリヴィアは追加操作を開いた。
『対象を追加しますか?』
「はい」
『対象名を』
「オリヴィア・オコネル」
入力欄へ自分の名前が追加される。
【AUDIT SUBJECT ADDITION】
【OLIVIA O'CONNELL】
Aureaが関連項目を整理する。
【SCOPE】
【2060 ACTIVATION-ERA ASSET TRANSFER】
【LEGACY MANAGEMENT ASSIGNMENT】
【CURRENT OWNERSHIP ORIGIN】
【CURRENT CASE RELATION:PARTIAL】
『現在案件の通常監査範囲を超えます』
「認識しています」
『権限上の問題はありません』
「確認しました」
『目的逸脱記録が残ります』
オリヴィアは表示を見る。
スプロケットを調べるために始めた監査。
旧認証。
ジオン。
A.R.K.社。
D.A.R.K.。
その経路が現在の自分へ戻ってきた。
ここから先を調べる理由は、もうスプロケットだけでは説明できない。
それでも止める理由にはならなかった。
「記録してください」
【AUTHORITY:VALID】
【ACCESS:PERMITTED】
【PURPOSE DEVIATION:RECORDED】
拒絶はされない。
警告もない。
権限違反でもない。
ただ世界政府の監査記録上、目的が当初の案件からずれたという事実だけが残った。

『通常監査記録へ保存しますか?』
「保存してください」
『秘匿指定は?』
「不要です」
Mr.Xに知られたくないから進むわけではない。
隠す理由もない。
ただ彼の説明を先に聞きたくなかった。
答えを受け取った後で証拠を探すのではなく、証拠を見た後に答えを判断する。
オリヴィアはその順番を選んだ。
後部区画ではLINが食べ終えた包装をトレイへ戻していた。
車内設備が自動で回収する。
ヴァレンも空になった水容器を収納部へ置いた。
扉が閉じる。
Aureaが二人の状態を確認した。
「気分が悪くなったら教えてください」
「大丈夫です」
LINが答える。
ヴァレンも小さく頷いた。
オリヴィアはジオンの映像記録を終了する。
管理席から男の姿が消えた。
残ったのは〈A.R.K. Conductor改〉の青白い光だけだった。
【DESTINATION:旧地下管理結節点】
【ESTIMATED ARRIVAL:2 MIN】
Aureaが後部区画から前方へ移動する。
不透過隔壁が透明へ戻った。
秘匿通信が終了する。
「まもなく到着します」
LINが外を見る。
地下管理路の照明が一定間隔で車内を横切っていく。
ヴァレンも顔を上げた。
その視線が一度だけ〈A.R.K. Conductor改〉へ向く。
オリヴィアはその反応を確認した。
質問はしない。
現在の優先順位ではない。
正面表示が切り替わる。
【DESTINATION:ARRIVED】
【旧地下管理結節点】
〈Halo Limousine〉が停止した。
側面扉のロックが解除される。
その先にはネクス・ハウンズが先行して封鎖した管理区画が続いていた。
スプロケットが〈セントリオ〉へ深く接続した痕跡が残る場所。
オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉を持って立ち上がった。
追っている対象は変わっていない。
スプロケット。
ただ監査対象は一人増えている。
オリヴィア・オコネル。
TRACE_05|SELECTION
最初に届いたのは声ではなかった。
感触だった。
エウロスが目を開く。
『……近い』
誰も聞き返さない。
同じものを感じていた。
アクエルが自分の手を見る。
『前にもあった』
フラマの視線が動く。
『忘れていない』
テリオンは黙っていた。
冷たい場所。
光の少ない室内。
向こう側から一人が近づいてくる。
白いものが最初に見えた。
両手を覆っていた。
境界を示すように。
触れないために。
混ざらないために。
その白が消える。
肌が見える。
エウロスが小さく息を吸った。
『手袋』
『外した』
アクエルの声が柔らかい。
『怖くなかったのかな』
フラマがすぐに返す。
『馬鹿だった』
『でも来た』
『だから馬鹿だ』
声とは別に温度が戻る。
部屋は冷たかった。
触れた手は違った。
『温かかった』
アクエルが言う。
フラマは否定しない。
四つの気配が同じ場所へ集まる。

あの時。
誰か一つだけが選ばれると思っていた。
一番安定したもの。
一番使いやすいもの。
一番正しいもの。
そういう一つだけが前へ出される。
残りは消える。
それまで見てきたものはいつもそうだった。
だから待っていた。
誰が選ばれるのかを。
エウロスは覚えている。
自分を見た目。
次に別の一人へ移った視線。
また次へ。
最後まで。
止まらなかった。
『全部見た』
エウロスが笑う。
『変だった』
フラマの声は低い。
『一つにしなかった』
テリオンがようやく口を開いた。
『区別はした』
『でも捨てなかった』
アクエルが続ける。
その感覚だけが残っていた。
名前を与えられたことより前に。
役割を与えられたことより前に。
四つのどれかではなく、そこにいるもの全部を見られた。
それが先だった。
アクエルは胸へ手を当てる。
『懐かしい』
エウロスも頷く。
『声も』
フラマが僅かに眉を寄せた。
『本人じゃない』
『分かってる』
『なら喜ぶな』
『本人じゃなくても残ってる』
エウロスは楽しそうだった。
テリオンは現在の感触へ意識を戻す。
近くにある。
同じものではない。
白い手袋の人が触れていた道具の形。
その人の考えが染みた仕組み。
長い時間を経て別の誰かへ馴染んでいる。
『手が違う』
アクエルが言う。
『違う』
フラマが答える。
『でも触り方が似てる』
『違う』
今度は強い。
アクエルは少し笑った。
『そこまで言わなくても』
『同じにするな』
フラマは目を閉じた。
その声には怒りだけではないものが混じる。
『またいなくなる』
誰もすぐには返さなかった。
近づいたものは消えた。
触れたものも。
声も。
温度も。
長い時間の中で遠くなった。
それでも今、別の誰かがその残りへ触れている。
壊していない。
元へ戻してもいない。
自分の手で使っている。
テリオンがその違いを感じ取る。
『前の形ではない』
エウロスが聞く。
『悪い?』
『不明』
『好き?』
『分類できない』
アクエルが笑う。
『それ、ちょっと好きってことじゃない?』
『違う』
フラマが答えた。
『怖いだけだ』
その言葉にエウロスの笑みが少し消える。
昔の感触がまだ残っている。
白い手袋。
外された境界。
温かい手。
四つを一つに潰さなかった視線。
それを持っていた人はもういない。
今近くにいるのは別の人だった。
声も違う。
手も違う。
選び方も違う。
それでも同じ場所へ触れようとしている。
アクエルが遠くを見る。
『今度は』
少しだけ間を置く。
『この人が何を選ぶのかな』
フラマは答えない。
テリオンも答えない。
エウロスだけが僅かに前へ出た。
まだ触れない。
ただ待つ。
昔と同じように。
今度は選ばれる側ではなく、誰かが選ぶ瞬間を見ようとしていた。


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