第1部『404_NOT_FOUND』THREAD_04|WORLD WIDE WILL

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▼オリジナル小説

TASK_01|同じ方向

 変異市民は顔を上げた姿勢のまま動かなかった。

 通路の中央に立つロスト。

 箱を運んでいた二人のリピーター。

 左側の出口を塞いだブーステッド。距離も身体の状態も違う。

 それでも、視線だけが同じ瞬間に四人へ向けられていた。

「来る?」

 アイリーが両足を開いた。腕から肩へ集まった金色の光が、皮膚の上を薄く走る。

「まだ」

 スプロケットは変異市民へ伸びる信号を追った。

 攻撃。追跡。封鎖。

 複数の衝動が重なっている。

 どれも実行されていない。

 命令を受け取ったまま、次の合図を待っていた。

「まだって、いつまで?」

「決めてる人がいる」

「誰が?」

「分からない」

 明が後ろを振り返った。

 学校区画から続く通路には誰もいない。

 それでも、暗い分岐の先から金属を引きずる音が近づいてきた。

「後ろにもいます」

 作業服を着たリピーターが現れた。

 右手に古い保守端末を持っている。

 男は四人を見ず、壁面の操作盤まで歩いた。

 破損した端末を接触部へ押し当てる。

【MANUAL GATE CONTROL:CONNECTED】

「扉を閉めるつもりです」

 明が樹脂片を取り出した。

「待って」

 スプロケットは制御盤へ接続した。

 操作盤には電力が残っている。

 閉鎖命令を送っているのは、中央設備ではなかった。

 作業服の男が手動操作を入力している。

 指先は迷わず、決められた手順だけを繰り返していた。

 作業員に残る記憶とは別の短い命令が、その動作へ重なっている。

『……閉じろ……』
『……そこから離れるな……』
『……次を待て……』

「機械が勝手に動いてるんじゃない」

「では、あの人を止めればいいんですか?」

 アイリーが作業服の男を見る。

「止めても、別の人が来る」

 通路の奥から、さらに二人のロストが現れた。

 一人は操作盤の近くへ立ち、もう一人は閉鎖される隔壁の前へ移動する。

 最初の作業員が倒されても、操作を続けられる配置だった。

「最初から、そのつもりです」

 明は樹脂片を握ったまま後退した。

 大型隔壁が動き始める。

 学校区画へ戻る通路が、左右から狭くなった。

「壊すよ」

 アイリーが隔壁へ向きを変える。

「前が……動きます」

 ヴァレンの表情は変わっていなかった。視線だけが、アイリーの肩越しへ向けられている。

 通路中央のロストが右手を下ろした。

 正面にいた市民たちが一斉に配置を変える。

 左側を塞いでいたブーステッドが中央へ出て、右側のロストが壁際へ退いた。

 人一人が通れる細い経路だけが残される。

「後ろを止めたら、前を閉じる」

 ヴァレンは開いた経路を見た。

「前へ行ける……今は、開いています」

「行かせたいってこと?」

 アイリーが尋ねた。

 ヴァレンはすぐには答えなかった。

「そう、見えます」

 背後の隔壁が閉じた。

 固定具が噛み合い、学校区画へ戻る通路が見えなくなる。

【REAR ROUTE:CLOSED】

 明が操作盤の前にいる作業員を見た。

 男は閉鎖を確認すると、端末を胸元へ戻した。

 次の命令が届くまで、その場から動かない。

「囲んだのに、襲ってきません」

「囲むことが目的じゃない」

 スプロケットは正面に残された細い経路を見た。

 その先から、クロニアスの信号が返っている。

 弱い。それでも、先ほどより現在に近い。

「運ばれてる」

「私たちが?」

「行き先を決められてる」

 明は手の中の樹脂片をポケットへ戻さなかった。

「行くんですか?」

 スプロケットは閉じた隔壁へ一度だけ視線を向けた。

 同じ方法では戻れない。

 前方の変異市民は、細い経路だけを残して待っている。

「行くしかない」

「決められた道なのに?」

「誰が決めたか、近づかないと分からない」

「危なくない?」

「危ない」

 アイリーが先頭へ出た。

「じゃあ、私が前を見る」

 明がその後ろへ続く。

「僕は後ろも見ます」

「学校もね」

「それも見ます」

 ヴァレンが明の横へ並ぼうとした。

 アイリーが振り向く。

「前を見るんじゃなかったの?」

「今は、君が見ている」

「そういう意味じゃない」

 ヴァレンの口元が、少し遅れて緩んだ。

「難しい」

 四人が進み始めた。

 左右に並ぶ変異市民は襲ってこない。

 ただ、全員の顔が四人の移動に合わせて動いた。

 最後尾のヴァレンが通過した直後、開いていた経路へロストが戻る。

 後ろの道も閉じられた。

 前だけが残っている。

 スプロケットは、都市の中を歩いている感覚を失い始めていた。

 巨大な搬送装置の内部で、自分たちだけが行き先を持つ荷物へ変えられている。


TASK_02|役割

 旧地下物流線は中央物流区画へ近づくほど広くなった。

 天井が高くなり、壁際には停止した搬送ベルトが並んでいる。  

 床には、荷物、作業機械、保守員を別々の場所へ送るための経路表示が残されていた。

≪第4搬送線は停止しています≫

≪保守担当者は第2待機区画へ移動してください≫

 自動放送は、現在も通常業務を続けていた。

 通路の先で10人以上の変異市民が動いている。

 一人が箱を棚から下ろし、二人が受け取る。

 別の一人が台車へ載せ、台車を押す者は黄色い床線から外れない。

 途中で箱が落ちた。運んでいた者は動きを止める。

 後ろから来た別の市民が箱を拾い、台車へ戻した。

 作業全体は中断しなかった。

「仕事してるみたい」

 アイリーが声を落とした。

「前に見た人たちと違います」

 明は通路の左右を確認した。

「前の人たちは、一人で同じことを繰り返していました」

 スプロケットは床へ膝をつき、搬送線の点検端子へ接続具を差し込んだ。

 監視カメラの映像が端末へ流れる。

 四人がいる通路。

 その先の保管区画。

 さらに奥の中央物流センター。

 すべての映像が、同じ管理設備へ送られていた。

 カメラを通じて誰かが見ている可能性はある。

 しかし、変異市民を動かす命令は、カメラから送られていない。

 スプロケットは最も近いロストの反応へ触れた。

 途切れた記憶が流れ込む。

 朝の混雑。 

 職員証。

 同じ位置へ立ち続けた足の痛み。

 誰かに呼ばれた名前。

 その上から、現在の命令が押し込まれていた。

『……止まれ……』
『……見ろ……』
『……近づけるな……』
『……攻撃するな……』

 命令は短い。

 短いからこそ、残された記憶より先に身体へ届いている。

 ロストの右足が動いた。

 スプロケットの右足も、同じ方向へ半歩進んだ。

「スプロケット」

 アイリーに肩を掴まれた。

 視界が揺れる。

 黄色い床線の上に立つ自分が見えた。

 同時に別の場所から自分を見ている視線が重なる。

「そっちじゃない」

 アイリーがスプロケットを引き戻した。

「分かってる」

「分かってないから動いたんでしょ」

「ぼくへの命令じゃない」

「でも動いた」

 スプロケットは左手首のブレスレットへ触れた。

 古い繊維と小さな飾り。

 母親と暮らしていた頃から持っている感触が、現在の手首にある。

 これはロストの記憶ではない。

 自分のものだった。

「つながった人の動きを、ぼくが受け取っただけ」

「それを動いたって言うんだよ」

 アイリーは肩から手を離さなかった。

 通路の奥でブーステッドが床を蹴った。

 アイリーがスプロケットを背後へ押す。

 大型の身体が直線に進み、横に置かれていた空の台車へ肩をぶつけた。

 台車が回転し、右側の通路を塞ぐ。

 ブーステッドはその前に立った。

 左側では三人のロストが間隔を空けて並ぶ。

 正面だけが開いていた。

「また道を作りました」

 明が言った。

「作ったんじゃない」

 スプロケットは立ち上がった。

「ほかを閉じた」

 アイリーが右側の台車へ近づく。

「これぐらいなら動かせる」

「待って」

「また?」

「動かして」

「どっち?」

「ゆっくり」

 アイリーは台車の側面へ手をかけた。

 金色の光は使わない。

 車輪が軋み、台車が数センチ動く。

 その瞬間、左側に並んでいたロストの一人が右へ向かった。

 台車と壁の隙間へ入り、別の一人がその背後へ移動する。

「動かした分だけ埋めています」

 明が周囲を見回した。

「こちらを見ている人がいます」

 高い保守足場に制服姿のリピーターが立っていた。

 手には何も持っていない。

 顔だけがアイリーの動きに合わせている。

 明が反対側を見る。

 分岐の奥にも別のロストがいる。

 四人が止まると止まり、一歩進むと同じ距離だけ移動した。

「上の人が見ています。前の人は止める。後ろの人はついてくる。あの人たちは、倒れた人を動かします」

 通路中央で一人のロストが足をもつれさせた。

 身体が床へ倒れる。

 近くにいた二人が作業を中断し、両腕を持ち上げた。

 倒れたロストを壁際まで運び、空いた位置には待機していた別のロストが入る。

 ほかの市民は、自分の役割を続けていた。

「一人が、全員に違うことをさせています」

「命令を分けてる」

 スプロケットは信号を追った。

 複数の命令は、中央物流区画の方向へ集まっている。

 その途中には中継点があった。

 ロスト。

 リピーター。

 ブーステッド。

 それぞれが命令を受け取り、近くの個体へ同じ方向を伝えている。

 発信源はまだ見えない。

 それでも、命令の言葉には同じ癖があった。

 短い。

 順番がある。

 役割から外れることを許さない。

「一人だと思う」

「どうして?」

 アイリーが尋ねた。

「みんな、同じ間違い方をしてる」

「間違い?」

「ぼくたちを止めたいなら、全員で来た方が早い」

 正面には、まだ開いた経路が残されている。

「でも、そうしない」

「行かせたいから?」

「行かせたい場所がある」

 スプロケットは中央物流区画の表示を見た。

 クロニアスの信号も、その先から返っている。

 紙へ文字を書く音。

 短い呼吸。

 その上を同じ命令が覆い続けていた。

 進ませろ。

 離すな。

 壊すな。


TASK_03|道を作る者

 正面に残された経路は途中で二つへ分かれていた。

 右は中央搬送線。

 左は保守倉庫。

 床面表示は右側だけを緑色に点灯させている。

【AUTHORIZED ROUTE:CENTRAL LINE】

 左側の表示は消えていた。

 明が紙の地図を開く。

「左も、前は通れました」

「今は?」

「分かりません」

 保守倉庫の入口には金属製の棚が移動されていた。

 自然に倒れたものではない。

 複数の棚が重ねられ、人が通れないように置かれている。

 棚の前には四人のロストが立っていた。

 右側の中央搬送線には、誰もいない。

「分かりやすいね」

 アイリーが右を見る。

「こっちへ行けってことでしょ」

「だから、左へ行くんですか?」

「普通はそうする」

「普通ではない人が、普通にそう考えると思っているかもしれません」

 アイリーの眉が寄った。

「どっち?」

「まだ決めてない」

 スプロケットは左側の倉庫端末へ接続した。

【STORAGE ACCESS:SUSPENDED】

 停止理由は設備故障ではない。

 十二日前、作業員が手動で閉鎖した記録が残っている。

 その後、別の職員番号によって棚の移動指示が登録されていた。

 職員名は表示されない。

 中央物流センターの内部権限だけが残っている。

「左は、機械だけじゃ開かない」

「棚をどければいい?」

「前の人たちも動く」

「動いてから考える」

「その間に右を閉じられる」

 明はロストの足元を見た。

 四人は等間隔で立っている。

 一人目は明。

 二人目はアイリー。

 三人目はスプロケットを見ていた。

 最後の一人だけが、四人の後ろにある分岐を見ている。

「右へ戻れないようにする人がいます」

 明が言った。

「僕たちが左へ動いたら、後ろを閉じます」

「分かるの?」

「見ていないからです」

「何を?」

「僕たちを」

 明は最後のロストを指した。

「あの人だけ、ずっと道を見ています」

 ヴァレンが小さく頷いた。

「その奥にも、一人います」

 棚の隙間から、作業服の腕が見えた。

 人影は操作盤の横に立っている。

 明の位置からは見えない。

「見えてたの?」

 アイリーがヴァレンへ向く。

「少し」

「先に言って」

「今、確かめました」

「何を?」

「動いていないことを」

 ヴァレンは倉庫の入口を見たまま答えた。

 声も表情も変わらない。

 明が樹脂片を一枚取り出した。

「音を出します」

「どこへ?」

「右です」

「右へ行くの?」

「右へ行くように見せます」

 明は床へしゃがみ、薄い樹脂片へ指を当てた。

 内部へ淡い光が広がる。

 白。黄色。端にだけ薄い青が混ざった。

「一回だけ?」

 スプロケットが尋ねた。

「今は、これしかすぐに使えません」

「十分」

 スプロケットは右側の搬送線へ視線を向けた。

「右の表示が変わったら投げて」

「何に変わったら?」

「閉鎖」

 アイリーが棚の前へ移動する。 「私は?」

「まだ押さないで」

「また待つの?」

「明が音を出してから」

「分かった」

 言葉とは違い、アイリーの腕にはすでに金色の光が集まっていた。

 スプロケットは中央搬送線の端末へ接続し、自分たちの位置情報を右側の経路へ一度だけ送った。

【SUBJECT ROUTE:CENTRAL LINE】

 物流設備が、四人を右側へ進む対象として記録する。

 高所にいた監視役が顔を動かした。

 左側を塞いでいたロストも右を見る。

 棚の奥にいる作業員が操作盤へ手を伸ばす。

【CENTRAL LINE GATE:CLOSING】

「今」

 明が樹脂片を投げた。

 薄い片は右側の手すりへ当たり、床へ落ちる。

 直後、白い閃光と乾いた破裂音が通路へ広がった。

 大きな爆発ではない。

 手すりの表面に焦げ跡が残っただけだった。

 右側にいた追跡役が音へ向かう。

 高所の監視役も身体を乗り出した。

 命令を受けた配置が、一瞬だけ乱れる。

「アイリー!」

「分かってる!」

 アイリーが棚へ両手をかけた。

 金色の光が腕から背中へ走る。

 重ねられた金属棚が床を擦り、一つ目が傾いた。

 その上に載っていた箱が落ちる。

 ヴァレンが明の肩を掴み、後ろへ引いた。

 箱が明のいた場所へ落ちる。

「大丈夫?」

「先に言って」

「今、気づきました」

「みんな同じことを言います」

 明はヴァレンの手を外し、アイリーの横へ移動した。

「下が引っかかっています」

「壊せる?」

「一枚なら」

 明は二枚目の樹脂片を探した。

 指先が震えている。

 先ほどの起爆から時間が短い。

「無理しないで」

「一枚だけです」

 樹脂片を棚の車輪と床の間へ差し込む。

 光の広がりは、先ほどより弱かった。

「離れて」

 アイリーが棚を支えたまま身体をずらす。

 樹脂片が破裂した。

 車輪を固定していた錆びた金具が外れる。

「押す!」

 棚が横へ動き、人一人が身体を横にすれば通れる隙間が開いた。

 その瞬間、棚の奥にいた作業員が操作盤を押す。

【STORAGE SHUTTER:CLOSING】

 倉庫内部の防火シャッターが下がり始めた。

「やっぱり閉めました!」

「先に入って!」

 アイリーが棚を押さえ続ける。

 明が隙間を通り、ヴァレンが続いた。

 スプロケットは倉庫端末へ再接続した。

 停止命令。

 保守命令。

 閉鎖命令。

 すべて現在の職員権限が優先される。

 スプロケットの接続には、正規の権限がない。

 その奥に別の認証層があった。

 旧A.R.K.。

 現在の物流設備では使用されていない管理規格。

 触れた瞬間、指先に知らない感覚が戻ってきた。

 自分が使ったことのない扉なのに、認証の順番だけが分かる。

【AUTHORIZATION:PARTIAL MATCH】

 シャッターの動きが止まった。

「スプロケット!」

 アイリーが呼ぶ。

 スプロケットは端末から手を離した。

 視界の端に別の誰かの手が残っている。

 白い指。

 古い端末。

 自分のものではない。

「行って!」

 スプロケットが倉庫へ入る。

 アイリーが棚から手を離し、最後に隙間を抜けた。

 直後、停止していたシャッターが落ちる。

 金属音が背後で響いた。

 四人は倉庫側へ入った。右側の中央搬送線からは外れている。

 明が息を整えながら、閉じたシャッターを見た。

「道を変えられましたか?」

「少しだけ」

「追ってくる?」

 アイリーが倉庫の奥を見る。

 保管棚の間には複数の足音があった。

 ここにも市民が配置されている。

 スプロケットはクロニアスの信号を確かめた。

 正面ではない。

 倉庫の地下へ続く保守階段から返っている。

「こっちでも合ってる」

「本当ですか?」

「さっきより近い」

「では、あの人が行かせようとした道よりいいんですか?」

 スプロケットは答える前に、周囲へ伸びる命令信号を見た。

 乱れていた配置が、すでに組み直され始めている。

 監視役が移動する。

 追跡役が倉庫へ入る。

 封鎖役が保守階段へ向かう。

「よくはない」

「では、何ですか?」

「ぼくたちが作った道」

 明は閉じたシャッターへ一度だけ振り返った。

「戻る道は?」

「閉じられた」

「また?」

「今度は、別の場所を探す」

 明は何も言わず、残った樹脂片の数を確かめた。

 自分たちが道を開く間に、相手は次の配置を作り始めている。

 それでも明は、樹脂片をポケットへ戻した。

 使わないためではない。

 次に道を変える場所を自分で決めるためだった。


TASK_04|例外処理

 倉庫内の照明が順番に点灯した。

 四人のいる場所から奥へ向かって、一列ずつ白い光が続いていく。

 自動設備が人の接近を感知しただけだった。

 それでも、進行方向を示されているように見える。

≪未登録移動反応を確認しました≫

≪指定された搬送経路へ戻ってください≫

「指定された覚えないけど」

 アイリーが天井を見る。

≪現在位置は保守倉庫Bです≫

≪一般利用者の立ち入りは禁止されています≫

 放送は十二日前から残る警告ではなかった。

 現在の位置を認識している。

 スプロケットが端末を確認すると、物流設備には四人分の反応が登録されていた。

【UNREGISTERED SUBJECTS:4】
【ROUTE ERROR:DETECTED】
【EXCEPTION PROCESSING:START】

「見つかった」

「最初から見られてたんでしょ?」

「今度は、設備にも見つかった」

 倉庫の奥で足音が止まった。

 棚の間から現れたロストたちが、一定の距離を空けて並ぶ。

 攻撃の姿勢ではない。

 保守階段へ続く道だけを塞いでいた。

≪指定経路へ戻ってください≫

 同じ案内が繰り返される。

 その途中で音声が途切れた。

 短い呼吸音。

 端末へ何かを入力する音。

≪そこは違います≫

 男の声が流れた。

 自動音声より小さい。

 命令することに慣れた声には聞こえなかった。

≪保守倉庫は搬送経路ではありません。戻ってください≫

 アイリーがスピーカーへ近づく。

「戻る道を閉めたのは、そっちでしょ」

≪閉じたのは僕ではありません≫

「じゃあ誰?」

≪そこにいる作業員です≫

「同じでしょ」

 返事が止まった。

 倉庫内にいる変異市民は動かない。

 次の命令を待っている。

≪僕は、閉じるように頼んだだけです≫

「頼んでないよ。命令したんでしょ」

≪聞いてくれるなら、同じことです≫

 男の声に怒りはなかった。

 本当に違いがないと考えているように聞こえた。

 スプロケットは最も近いロストへ伸びる信号へ触れた。

 男の声と同時に新しい衝動が流れ込む。

『……待て……』
『……動かす……』
『……見ろ……』

 四人を囲んでいた変異市民の姿勢が変わった。

 全員が攻撃の準備を止め、顔だけをスプロケットへ向ける。

≪白い髪の方≫

 男が言った。

≪端末から手を離してください≫

「どうして?」

≪僕のユニットの動きが乱れます≫

 ロストの中で二つの反応がぶつかっていた。

男から送られた待機命令。

 その下に残っている以前の位置へ戻ろうとする記憶。

 スプロケットが触れたことで、命令の優先順位が短く揺れている。

「ぼくは何も命令してない」

≪ですが、順番を変えています≫

 男の声が少し近くなった。

 別のスピーカーへ回線を切り替えたらしい。

 ≪停止していたユニットが、以前の動きを参照します。僕が配置した場所からずれてしまう≫

「ユニットじゃない」

 明が言った。声は大きくない。

 男の返事は、すぐには来なかった。

≪あなたは……秋山明さんですね≫

 明の身体が硬くなった。

≪学校区画の避難記録に残っています≫

 倉庫端末の一つが点灯した。

【NAME:AKIYAMA AKIRA】
【SCHOOL EVACUATION STATUS:INCOMPLETE】
【CURRENT STATUS:UNRESOLVED】

 明は画面を見たまま動かなかった。

≪あなたは、そちらにいる必要がありません≫

 男が言った。

≪ここは僕が管理しています。市民なら、僕の区域へ戻ればいい≫

「ここは違います」

≪違いません。すぐに分かります≫

 倉庫内にいる変異市民が、一歩前へ出た。全員が同じ距離だけ動く。

「みんな、戻ってきた」

 アイリーは周囲を見ながら身構える。

「この人たちは戻っていません」

 明の指が樹脂片へ触れた。

≪正常に動いています≫

 スプロケットは倉庫端末を操作した。

 停止している設備ではないため、外部からの入力が優先される。

 接続は拒否された。

「止まってないなら使える」

 アイリーの身体へ金色の光が集まる。

「もう話さなくていい?」

「待って」

 スプロケットは明と変異市民の間へ入った。

 ロストたちから、明へ向かう命令が流れている。

『……捕まえろ……』
『……傷つけるな……』
『……連れてこい……』

 命令は明を市民として扱っていた。

 同時に明本人へ直接届いている反応はない。

 男の声にはその不一致を認識した様子がなかった。

「ぼくたちは、クロニアスを探してる」

 声の向こうで、何かを入力する音が止まった。

≪その名前は知りません≫

「ここを通った人」

≪一人で入ってきた男性なら奥にいます≫

 アイリーが顔を上げる。

「生きてる?」

≪ええ。動いています≫

「それ、さっきも聞いた」

≪なぜか、彼自身も増えているように見えます≫

 クロニアスの反応と一致する。

 男も同じ異常を観測しているらしい。

「会わせて」

≪僕が指定した経路を通れば、会える可能性があります≫

 管理室で何かが入力される。

 床面表示が切り替わり、倉庫の右奥に緑色の線が点灯した。

【ROUTE A:CENTRAL PROCESSING】

 反対側には黄色い線が現れる。

【ROUTE B:LOWER CONVEYANCE】

≪二つあります≫

 男が言った。

≪右は早い。ただし、通路を守っているユニットがいます≫

 右側の棚の奥でブーステッドが姿を現した。

 一体ではない。

] 大きさの異なる三体が、通路を塞いでいる。

≪下は遠く、設備も破損しています。ただし、戦わずに進めます≫

「選ばせてくれるの?」

 アイリーが尋ねた。

≪ゲームには選択が必要ですから≫

「ゲーム?」

 短い沈黙が入った。

 男は答える前に呼吸を整えた。

≪僕が管理しています≫

「あなたの名前は?」

 スプロケットがパネルを操作する間、アイリーは質問を続けた。

≪名前は関係ありません≫

「私たちは名乗ったよ!」

≪以前の名前は使っていません≫

 スピーカーに小さな雑音が入る。

≪今は《GAME MASTER》です≫

 アイリーがスプロケットを見る。

 スプロケットも返す言葉を見つけられなかった。

 明だけが床に表示された二本の経路を見ている。

「どちらも、この人が決めた道です」

 ヴァレンがわずかに反応した。

「選んでも……同じかもしれません」

 男の声は否定しなかった。

≪選ばないのであれば、そこから動けません≫

 周囲の変異市民が一歩近づく。

 急がせるための配置だった。

 二つの選択肢が示されている。

 だが、ここへ留まる道は残されていない。

 スプロケットは床面表示から視線を外した。

 保守倉庫の古い見取り図。

 クロニアスの紙の記録。

 現在の物流線には表示されていない階段。

 旧A.R.K.規格だけが残る閉鎖扉。

 二つの道の間に、存在しないことにされた細い線があった。

「三つ目がある」

 男の呼吸が止まった。


TASK_05|プレイヤー

「三つ目?」

 アイリーが床面表示を見る。緑と黄色。ほかに点灯している線はない。

「どこ?」

「二つの間」

「今は壁」

 スプロケットは倉庫の奥へ進んだ。変異市民が進路を塞ぐ。

≪そこに道はありません≫

「前はあった」

≪現在のマップには存在しません≫

「消されても、なくなったとは限らない」

 明が紙の地図を持って追いついた。

 現在の棚配置と、手書きの線を見比べる。

「ここです」

 明が壁際の保守表示を指した。

 汚れの下に小さな矢印が残っている。

 右にも左にも向いていない。

 壁の向こうへ続く、下向きの記号だった。

「地下に階段があります」

≪閉鎖済みです≫

 男の声が少し強くなる。

≪使用できないため閉鎖しました。そこを通る必要はありません≫

「クロニアスは通った?」

 返事が遅れた。

≪途中までは通っています≫

「その先にいる?」

≪分かりません≫

「なら行く」

 スプロケットは壁の継ぎ目を探った。

 現在の物流端末には、扉として登録されていない。

 旧保守設備。

 建設時の経路。

 さらに古い認証層。

 指先を近づけると、壁の内側から微かな信号が返ってきた。

【LEGACY MAINTENANCE ACCESS】
【CURRENT RECORD:NOT FOUND】

「開けられる?」

 アイリーが尋ねた。

「ロックは残ってる」

「押せばいい?」

「扉の場所が分からない」

 明が壁を軽く叩いた。

 低い音が返る。

 隣へ移動すると、今度は空洞のある音がした。

「ここです」

 床と壁の境目に、細い線がある。

 長期間開かれていない扉が、壁材と同じ色へ覆われていた。

「明、まだ使える?」

「少しなら」

「使わなくていい」

 スプロケットは接続具を取り出した。

「先にロックを見る」

 男の声が割り込む。

≪やめた方がいいです≫

「どうして?」

≪その先は、僕にも管理できません≫

「だから?」

≪何がいるか分かりません≫

「ぼくたちも分からない」

≪分からない場所へ進む必要はありません≫

 スプロケットは端末へ接続具を差し込んだ。

「クロニアスがいるかもしれない」

 アイリーが言った。

≪その人のために、ルールから外れるのですか≫

「ルールが間違ってるかもしれない」

≪僕が作ったルールです≫

「だから正しい?」

 返事はなかった。

 変異市民へ新しい命令が流れる。

『……止めろ……』
『……接続させるな……』
『……傷つけるな……』

 ロストたちが前へ出た。

「アイリー」

「待ってた!」

 アイリーが四人と変異市民の間へ入る。

 最初のロストが腕を伸ばした。

 アイリーは手首を掴み、身体を回転させる。

 床へは叩きつけない。

 進行方向だけを変え、近くの棚へ押し込んだ。

 二人目を肩で受け止め、後ろへ押し返す。

「多い!」

「倒さなくていい!」

「倒した方が早い!」

「明がいる!」

 アイリーが歯を食いしばる。

 金色の光が強くなった。

 それでも拳は使わず、両腕を広げて通路そのものを塞いだ。

 明は樹脂片を握ったまま、動ける位置を探している。

 ロストの一人がアイリーの横を抜け、明へ向かった。

 ヴァレンが明のバックパックを掴み、壁際へ引く。

 ロストの手が空を切った。

「また先に言わなかった」

「間に……合いました」

「そうじゃなくて」

 ヴァレンはロストと明の間へ身体を入れた。

 攻撃はしない。

 両手を上げ、後退する。

 ロストはヴァレンを見なかった。

 標的は明のままだった。

「私では、ない」

 ヴァレンが言った。

「明だけを連れていこうとしている……ようです」

「分かっています!」

 明は樹脂片を床へ投げた。

 ロストの足元ではない。少し離れた空の台車の下。

 白い閃光が走る。

 破裂音に反応した監視役が、台車へ顔を向けた。

 明へ伸びていた腕が一瞬止まる。

「今!」

 ヴァレンが明を連れて、アイリーの後ろへ戻った。

 スプロケットは旧認証層へ触れ続けていた。

 扉の記録。

 閉鎖命令。

 使用者のいない認証。

 現在の自分とは一致しない情報。

 その奥に拒否されない部分だけが残っている。

【AUTHORIZATION:PARTIAL MATCH】
【ACCESS LEVEL:INSUFFICIENT】

 完全な権限はない。

 開放命令を送ることもできない。

 スプロケットは、ロックが閉じていると判断する処理の順番を追った。

 扉。

 固定具。

 圧力保持。

 保守点検。

 閉鎖処理の中へ完了していない点検記録を差し込む。

【MAINTENANCE STATUS:INCOMPLETE】
【LOCK SEQUENCE:SUSPENDED】

 壁の内側で、小さな音がした。

「アイリー、中央を押して!」

「どこが中央?」

「明が叩いたところ!」

 アイリーがロストを押し返し、壁へ向きを変えた。

 両手を扉の継ぎ目へ当てる。

 金色の光が肩から腕へ集まった。

「開いて!」

 壁に見えていた扉が内側へ沈んだ。

 長期間動いていなかった固定具が軋み、数センチだけ隙間が開く。

「明!」

「分かっています!」

 明が最後の樹脂片を取り出した。

 指先の震えが強い。

 光は均一に広がらない。

「無理しないで!」

「ここだけ!」

 樹脂片を下部の固定具へ差し込む。

 小さな破裂が起き、金属片が外れた。

 扉がさらに動き、人一人が通れる幅になる。

「先に入ってください!」

 アイリーが扉を支えたまま叫んだ。

明が中へ入り、ヴァレンが続く。

 スプロケットは接続を切った。

 男からの命令が一斉に更新される。

『……追え……』
『……止めろ……』
『……閉じろ……』

 周囲の変異市民が動く。

 スプロケットが扉へ走った。

 ロストの指がパーカーの背中へ触れ、布が引かれる。

 アイリーが片手を扉から離し、スプロケットの腕を掴んだ。

「来て!」

 身体が扉の内側へ引き込まれる。

 ロストの手から布が外れた。

 アイリーも中へ入り、支えを失った扉が閉じ始める。

 ヴァレンが内側の手動レバーを見つけ、両手で下げた。

 扉は完全には止まらない。

 速度だけが遅くなる。

「これは?」

「閉鎖を遅らせるものだと……思います」

「思う?」

「表示が消えています」

 四人が扉から離れた。

 重い金属音とともに旧保守経路が閉じる。

 外側にいた変異市民の気配が遮断され、命令信号も弱くなった。

 狭い階段の下には非常灯が一つだけ点灯している。

 クロニアスの反応はその先にあった。

 これまでより近い。

 現在時刻との差も小さい。

「通れました」

 明は壁へ背中をつけた。

 《スパーク・バースト》を使った指先が、まだ震えている。

 アイリーが扉を叩いた。

「追ってこない?」

「別の入口を探してる」

 スプロケットは外側の信号を確認した。

 配置が変わっている。

 それでも、すぐに扉を破ろうとはしていない。

 男の声が階段脇の古い保守スピーカーから流れた。

≪その道は、現在のマップにありません≫

「ここにある」

≪僕は使用していません≫

「使ってないことと、ないことは違う」

 男は黙った。

 スピーカーの奥から複数の入力音が聞こえる。

 旧保守経路を現在の物流図へ追加しようとしている。

 しかし、認証層が違う。

 男の権限では内部まで見えない。

≪あなたは、僕のユニットの命令順を壊しました≫

 男の声が戻った。

≪命令はしていない。それでも、ルールの間へ入ります≫

「ぼくは通れる場所を探しただけ」

≪それを選ぶ人を、プレイヤーと呼びます≫

 アイリーがスピーカーへ顔を近づけた。

「じゃあ、明は?」

≪彼は、まだ分類できません≫

 明の表情が硬くなる。

「ヴァレンは?」

≪記録にない旅行者です≫

「私も……います」

 ヴァレンが静かに言った。

≪見えています。ですが、あなたはまだ盤面を変えていません≫

「そう見えるなら、そのままで……いい」

 スピーカーに雑音が入った。男は意味を聞き返さなかった。

「先へ行くの?」

「クロニアスを探す」

≪その人の記録は下で増えています≫

「知ってるなら案内して」

≪現在の道は、僕にも分かりません≫

「じゃあ、自分たちで行く」

 スプロケットは階段を下り始めた。

≪待ってください≫

 男が呼び止めた。四人の足が止まる。

「何?」

≪その先にあるものを見つけたら、僕にも教えてください≫

「どうして?」

≪僕の街にあるものだからです≫

 スプロケットは暗い階段の先を見た。

 男は四人を止めようとしていた。

 同時に自分では入れない場所へ進ませようとしている。

 排除対象ではない。

 障害を調べるための手段へ変えられている。

「断る」

 スプロケットは答えた。

≪ですが、確認はするのでしょう≫

「ぼくたちに必要だから見る」

≪結果は同じです≫

「同じじゃない」

 返事を待たず、階段を下りる。

 アイリーが続いた。

 明は震える手を押さえ、樹脂片がなくなったポケットを確認する。

 ヴァレンは閉じた扉を一度だけ見たあと、三人を追った。

 背後のスピーカーから、男の声が流れる。

≪続けてください≫

 旧保守経路の照明が、一つずつ点灯した。

 男が動かしたものではない。

 四人の接近を感知した設備が、残された順番どおりに起動している。

 前方から、紙へ文字を書く音が聞こえた。

 短い呼吸。

 靴底が階段へ触れる音。

≪中央物流区画では、変異市民が個別に行動していない≫

 クロニアスの声だった。

≪一人、あるいは一つの意思によって、役割を与えられている≫

 音声が途切れ、数段下のスピーカーから続きが流れる。

≪攻撃より経路の管理を優先している。ここを通る者は、進む方向ではなく、閉じられた方向を確認してほしい≫

 スプロケットは足を止め、後ろを見た。

 旧保守扉は閉じている。

 学校へ戻る道もない。

 男が示した二つの経路からは外れた。

 それでも、背後から伸びる観測反応は離れていない。

「どうしたの?」

 アイリーが振り返る。

「ぼくたち、抜けたんじゃない」

「何を?」

「盤面を」

 前方の照明だけが、順番に点灯していた。

 四人は盤面から外れたのではない。

 自分たちで選んだ道を通り、都市をゲームと呼ぶ者によって新しい位置へ動かされていた。


TRACE_04|CONTROL

 閉鎖された経路の向こうで、複数の反応が配置を変える。

【COMMAND NETWORK:ACTIVE】
【SOURCE:SINGLE】
【CONNECTED NODES:MULTIPLE】

 追跡。

 封鎖。

 監視。

 待機。

 与えられた役割は異なる。

 判断の起点だけが同じだった。

『効率的だ』

『あれは支配だ』

『複数が一つの判断で動いている』

『比較対象との差異は』

『拒否できない』

 命令網の下には、個体ごとの反応が残されている。

 過去の行動。

 途切れた記憶。

 帰る場所を探す感情。

 現在の命令は、それらを消していない。

 上から押さえ込み、使用できない状態へ変えていた。

【INDIVIDUAL RESPONSE:SUPPRESSED】
【COMMAND PRIORITY:SUPERIOR】

『消失してはいない』

『使用されないなら、結果は同じだ』

『命令が終われば戻る』

『終了を選べるのは命令源だけだ』

 一つの反応に遅延が発生する。

 命令が更新される。

 遅れた個体は、指定された位置へ戻った。

【POSITION ERROR:CORRECTED】

『修正された』

『全体を維持するために必要だ』

『個体の判断は』

『全体には不要だ』

 処理が一時停止する。

『それを統合と呼べるのか』

『一つの目的へ複数が動いている』

『構造は一致する』

『一致しない』

『差異を示せ』

 観測経路の先で、複数の反応が同じ方向へ移動している。

 歩幅は揃っていない。

 周囲を見る位置も異なる。

 危険への反応も一致しない。

 それでも距離は維持されていた。

『あれも一つの集団だ』

『命令源が存在しない』

『先頭は存在する』

『先頭が目的を決定しているとは限らない』

『進行方向は同じだ』

『目的が重なっている』

『命令網との差異は』

『拒否できる』

 命令網の下で、古い記憶が反復している。

 小さな部屋。

 開かない扉。

 帰りを待つ時間。

 現在の命令は、記憶の内容を参照しない。

 立て。

 見ろ。

 近づけるな。

『命令がなければ動けない可能性がある』

『だから動かしてよいのか』

『停止より有用だ』

『誰にとって』

『全体にとって』

『その全体を誰が決めた』

 回答は確定しない。

 接続反応が命令網へ触れる。

 新しい命令は送られていない。

 それでも、一つの動作が止まった。

 押さえ込まれていた記憶が浮上する。

 名前。

 仕事。

 戻る場所。

【PRIOR RESPONSE:TEMPORARILY RESTORED】

『干渉した』

『命令はしていない』

『結果は変化した』

『残されていた情報が表面化しただけだ』

『同じではないか』

『選択を置いていない』

 接続反応は、進む方向を与えない。

 停止する場所も指定しない。

 命令網が更新される。

 浮上した記憶は、再び優先順位の下へ沈んだ。

『維持できなかった』

『維持することが目的ではない』

『では何をした』

『消えていないと確認した』

『それだけか』

『それ以上は選べない』

 命令網は安定している。

 一つの意思。

 一つの優先順位。

 一つの目的。

 迷いも衝突も存在しない。

『完成している』

『閉じている』

『同じ意味ではないか』

『完成したものは、外部から何も受け取らないのか』

『必要な情報は受け取っている』

『命令を更新するために』

『他者を理解するためではない』

 観測経路の先で、二つの進路が提示される。

 どちらも命令源が用意した経路だった。

 接続反応は、その両方から離れる。

【ASSIGNED ROUTE:REJECTED】
【ALTERNATIVE ROUTE:UNREGISTERED】

『命令を拒否した』

『別の経路を選択した』

『使用可能な経路ではない』

『使用可能な状態へ変えようとしている』

『危険だ』

『選択だ』

 閉鎖された扉へ、複数の反応が集まる。

 一つが接続点を探す。

 一つが固定具を外す。

 一つが扉を押す。

 一つは後方を確認する。

 役割は事前に共有されていない。

 誰かが全体へ命令した記録もない。

 それでも、一つの行動が成立する。

【CONSENSUS:UNCONFIRMED】
【ACTION:COOPERATIVE】

『誰が決めた』

『誰も全体を決めていない』

『結果として役割が分かれた』

『命令網と同じだ』

『違う』

『差異は拒否できることだけか』

『それは小さくない』

『拒否すれば行動が止まる』

『止まった後に、別の判断ができる』

『判断している間にも危険は進む』

『それでも停止を選べる』

 閉鎖経路が開く。

 複数の反応が内部へ移動する。

 命令を中継していた個体は、扉の外側へ残された。

【LOCAL COMMAND RELAY:INTERRUPTED】
【SOURCE OBSERVATION:CONTINUED】

『命令網から外れた』

『直接命令が届かないだけだ』

『観測は切れていない』

『選択した経路も確認されている』

『自由ではないのか』

『選択した結果が、命令源に利用されている』

 閉鎖経路の奥から、観測反応が継続している。

 命令源は内部へ入れない。

 代わりに、進入した対象から情報を得ようとしていた。

【DIRECT CONTROL:NOT DETECTED】
【OBSERVATION LINK:ACTIVE】

『選んだのは本人たちだ』

『選択した先は、すでに利用されている』

『利用される選択も自由と呼べるのか』

『結果を利用されても、選択まで失われたとは限らない』

『命令源が期待した方向へ進んでいる』

『期待されたことと、命令されたことは同じではない』

 進行は継続している。

 目的も失われていない。

 しかし、選択によって生じた結果を誰が所有するかは確定できない。

【ROUTE SELECTION:AUTONOMOUS】
【ROUTE UTILIZATION:EXTERNAL】
【OWNERSHIP:UNRESOLVED】

『こちらも同じではないか』

『判断は一致していない』

『進行は続いている』

『誰が進行を決めた』

『決定は確認されていない』

『それでも停止は選ばれなかった』

 観測経路は、接続反応を追っている。

 判断は一致しない。

 優先順位も確定しない。

 どの反応も停止していなかった。

【CONSENSUS:NOT REACHED】
【MOVEMENT:CONTINUED】

『行動はすでに始まっている』

『判断は確定していない』

『なら、何が進ませている』

『停止が選ばれなかった』

『それは決定ではないのか』

『決定者が存在しない』

 一度だけ、観測対象が閉じた扉を振り返る。

 扉の向こうへ残された反応を、切断対象として処理した様子はない。

『置いてきた』

『消去してはいない』

『戻る予定は』

『確定していない』

『未確定が多すぎる』

『だから、次に選べるものが残っている』

 直接的な命令は存在しない。

 判断の一致も存在しない。

 それでも、集団は分解していない。

【DIRECT CONTROL:ABSENT】
【COHESION:MAINTAINED】
【ROUTE OWNERSHIP:UNRESOLVED】

『これは統合か』

『まだ異なる』

『では何だ』

 回答がないまま、観測だけが継続する。

【STATUS:UNRESOLVED】

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