Scene.05 ― 「星のない空が見ていた」

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▼オリジナル小説

 廃棄された駅ホームに、三つの黒い影が降り立った。
 金属の匂いが、鼻の奥にひっかかる。地下の空気は重く、天井を流れるパイプの継ぎ目から滴る水音が、ひときわ静かな空間に溶けていた。非常灯の冷たい白色が、コンクリートの柱を切り裂くように照らし出す。

 [統律特命局]のガンマチーム。黒いスーツに白シャツ、黒のネクタイという制服姿は、市民の間でも「エージェント」として知られている。
 そのスーツ内部には微弱な電流ユニットが仕込まれており、筋線維を刺激して瞬間的に運動能力を底上げする。だが持続時間は数秒程度で、誤って使えばただの負荷装置と化す諸刃の剣だ。

 背後には、無人の黒い車両が停車していた。〈レイヴン〉。ジャンが独自に改造した水素燃料式の車両は、地下保守ルートを潜ってここまで彼らを送り届けた。
 だが戦場はすぐそこだ。地形は複雑、視界は悪く、あらゆるセンサーが狂う場所。アビゲイルは車両を後方へ退避させるよう命じる。

「ジャン。ここから先は徒歩。自動運転で、予備ルート三に退避させて」

「了解、リーダー。呼び戻しには……三ブロック以上のクリアが必要ですね」

 ジャンが操作端末を弄り、軽くうなずいた。

「〈レイヴン〉は安全地帯に向かいます。……以後、呼べる保証はありません」

「構わない。使うならここまでだ。……行くぞ!」

 端末操作するジャン、戦闘態勢に入るアビゲイル。

「えっ? マジか? じゃあ、あれとこれを持っていかないと!」

 リョウが後部座席から慌ててスナック菓子をかき集める。その姿を呆れた表情で見るアビゲイルとジャン。

「リョウ。我々は遠足しに来たじゃないんだ」

「そうそう。荷物は最小限の方が正解ですよ」

 冷たい視線を受けたリョウは、カロリーが一番高いスナック菓子だけを懐に入れる。

「なんだよ。お前ら鬼かよ」

 線路には錆まじりの水が溜まり、割れた蛍光灯のガラスが爪先で細かく砕ける。壁の広告は剝落し、「祈り」という語だけが煤に埋もれて残っていた。空気は静寂のはずなのに、地下全体がかすかに呻いているようでもあった。

 先頭を歩くアビゲイルは、無言で手を振り道順を示す。
 その直前、彼女の右手が胸元へ──無意識に銀のクロス型ペンダントを強く握りしめる。戦闘前になると必ず行う“お守り”のしぐさ。理由は知らない。だが確かめるように握られた十字型の冷たい感触が、心に静かな輪郭を与えてくれる。

「東第9街区経由で中心部へ。散開はしない、三人で行動を維持」

「了解、リーダー」

眼鏡の青年──ジャンが頷き、携行端末を素早く閉じた。いつものように人差し指と中指の腹をこめかみに当て、《エイドメモリア》から素早く記憶を引き出す。

「……ボクの記憶では、この路線、二十年前の再設計で放棄された。南東の保守通路なら、まだ抜けられる」

「おいおい! 腹ペコで“やばいエリア”突入かよ!」

リョウがスナック袋を丸めてポケットへ押し込み、肩を鳴らす。浅黒い肌の上に、スーツの袖がわずかにきしんだ。

「そう言えば、昔ここ、“電脳まぜそば”って名物だったらしいぜ。出汁にナノAIを溶かして味を脳に刻むとか……今じゃ幻のB級グルメだな」

「記憶を味覚に書き込む……ボクには必要ないですね」

「ジャン君。もっと本能的に食事を楽しむべき!」

「そうですか。もし、今まで食べた料理の味、場所、作った料理人や提供する店員の顔や仕草。これ一瞬ですべて思い出せるならどう思います?」

「うーん。分からん。オレには分からん!」

「ハイハイ。そうですか」

 ジャンとリョウの緊張感ないやり取りの中、アビゲイルの青い瞳はすでに物体を捉えていた。

「断続する熱源と散乱する電波。既知のゾンビ化市民と挙動が違う。誰かが遠隔同期で“囲い込んでいる”気配だ」

 映像で見たゾンビ化した市民と明らかに動きが違っていた。それだけではなく、形すら人間とは似ても似つかない。

「あれは防衛システム〈セントリオ〉の補助個体〈センチレット〉ですね」

 そのとき、頭上の闇で微かな動き。アビゲイルはすでに見えていた。

「……ジャン! リョウ! 前方10時の方向!」

 三人の視線が遠くで蠢く物体を捉える。四つ足で這う異形の人影。関節は逆に折れ、皮膚はぬめった人工繊維のよう。瞳孔は空洞だ。

「……人か?」

「違う、あれは――」

 ズドン。銃声が闇を裂く。続いて南東のビル群から青白い閃光。
 アビゲイルは反射より早く跳んでいた。スーツの電流補助が脚力を一瞬だけ押し上げ、床を蹴る音が鉄骨に響く。

「交戦音、南東! 41街区!」

 〈高周波刀〉を抜いて起動させたアビゲイルの先陣に続けてリョウが駆け出す。ジャンは脳内の古地図と現在の瓦礫配置を重ね合わせ、最短ルートを示す。

「中央階段は落ちてる。右の保守トンネルを直進、七秒で交差広場!」

 その先では──銃声、叫び、肉が裂ける音。
 マナイア・ケアは陽名を背後にかばいながら、左腕に拳銃を構え、右手に部族ナイフを握っていた。すでにアサルトライフルの弾は尽き、今はちょうど拳銃の弾が尽いた。
  両肩が大きく上下し呼吸は乱れ、包囲は狭まっていた。敵は数知れず。廃墟の影から、濁った瞳の“市民たち”が這い寄ってくる。

 顔の造作は人間だった。だがそこに、人としての思考はなかった。本能だけが肉を求める。痛みも、恐れも、迷いもない。ただ喰らい、壊し、迫るだけ。
 マナイアは息を切らしながらも、少女の前に立ちはだかり続けた。鋭いナイフの刃が、襲いかかる数体の喉元を斬り裂いていく。

「チッ……キリがねえ……!」

 一体倒せば、すぐに次の二体が迫ってくる。まるで──いや、間違いなく、何者かの“手”が加えられていた。

「……っ……」

 かすかな吐息。マナイアが一瞬だけ振り返る。少女は無言のまま、彼の背中を見つめていた。
 その瞳には、恐怖も、痛みもなかった。マナイアは窮地の状態ながら、一切の不安を感じさせない陽名を見て鼻で笑う。

「ああ、分かっているぜ……何があっても守るからな!」

 その刹那、瓦礫を砕いて突入してきた影が一つ。

「ヒーロー見参ーッ!!」

 金属の軋む音。爆ぜる衝撃。《クロガネ》により両腕を肩口から生体金属化させたリョウが、プロレス仕込みの強烈なタックルでゾンビ数体を吹き飛ばす。
 だがすぐに、倒れた者の隙間から新たな群れが迫る。

「おいおい! こいつら、何だよ……!」

 さらにリョウの拳が二体目を粉砕するが、それでも敵は止まらない。

「右後方に集中。脱出ルートを確保する」

 背後から静かな声が響いた。ジャンが指紋認証を解除したカスタム拳銃を構えながら正確に狙撃し、道を切り開いていく。
 その目は周囲の市民の顔を冷静に《エイドメモリア》の記憶でスキャンし続けていた。  だが、一人だけ、記録にない顔があった。

「……誰だ? データに該当なし……どういう事だ?」

 ジャンの視線が、少女へと吸い寄せられる。

「……“観測できない”?」

 ジャンの脳裏に、何かが引っかかっていた。
 《エイドメモリア》が記録し損なうなどあり得ない。記録漏れではない──“記録されなかったことにすら気づけない感覚”が、不気味に心の奥を掠める。

 一方でリョウやジャンの切り開いたルートからゾンビ市民を排除するアビゲイルは、陽名を視界に捉えながらも、なぜか焦点が合わないような感覚に包まれていた。光が当たっているはずなのに、影の中にいるような──そんな矛盾した印象。
 そんな感覚を持ちながらもアビゲイルは戦場の中心に向かって駆けていた。リョウの背後を駆け抜け、マナイアの側へ。

「教官! 助けに来ました!」

「へっ……遅ぇぞ、小僧……」

 かすかに笑うマナイア。

「……でも助かったぜ」

 陽名をアビゲイルとマナイアが挟むように守りながら迫るゾンビ市民を蹴散らす。
 アビゲイルは 《ミライメージ》により先の展開を予測し、最小限の動きで〈高周波刀〉による斬撃でゾンビ市民たちを斬り倒し、マナイアは長年の勘と経験からゾンビ市民をナイフだけで制圧していく。

「数が多すぎます!」

「ああ、分かってるって! オレは人気者だからな!」

「変わらないですね! 教官!」

「もちろんよ! なんて言ったって守るもんがあるからな!」

 かつて訓練でのシミュレーションで何度も行った展開にアビゲイルとマナイアは懐かしさと緊張感を募らせていた。
 そんな中、マナイアの背後にいる少女にアビゲイルの視線が止まる。この修羅場において唯一、表情が変わらず、感情を見せず、ただ立っているだけ。その瞳に宿っている異質さをアビゲイルは気づく。

「教官! この子は生存者?」

「ああ、生き残った市民だ! 守れ!」

 襲ってきたゾンビ市民を押し返すマナイアから託される少女。アビゲイルは視線が合っているのに、まるでその場にいないような不思議な感覚。無意識にアビゲイルはペンダントに触れていた。

そんなとき──シュウウ、と空気を裂く奇妙な音。

「ぐっ!」

「……っ!? 教官!」

 突如、液体のように変質する弾丸が、マナイアの腹部を抉った。彼の身体が崩れ、地面に倒れる。
 遠く、影の中に佇むひとつの視線。マナイアの体を貫いた弾丸を放った主。
 アビゲイルは状況をすぐに把握できなかったが、少女の視線の先を見る。  その者は次の射撃に備えていたはずだが、少女の視線によって動きを止めていたように感じた。まるで、彼女の意思が“それ”を拒絶し、動きを封じたかのように。

 そして、その存在は、姿を見せることなく──ただ静かに、その場から消えた。さっきまでの修羅場が嘘のように静けさが支配する。

「なんだんだ?」

 金属化を解いたリョウは去っていくゾンビ市民たちを見送る。

「分かりません。ただ、助かったのは確か」

 安堵の表情となったジャンは警戒を解いて周囲を見渡す。

 マナイアは腹を押さえながらも大丈夫というサインを出す。
 リョウもサングラス越しに周囲を警戒しながら陽名が気になっていた。  アビゲイルが少女の元へ歩み寄る。その瞬間、彼女の内側で何かがきしむ。視線が合った──だが、それは“見つめ合う”のではなかった。まるでこちらの思考ごと、覗き込まれているような感覚。
 “観測されている”というより、“透かされている”。

(……見られてる?)

 違う、これは逆だ。こちらが見る前に、見られている。胸元のペンダントが微かに揺れる。それと同時に──誰かの声が聞こえた気がした。

『……忘れないで。あの子には……“名前”がある』

 アビゲイルは、それが誰の声かは分からなかった。ただ──その言葉だけが、不思議と胸の奥で静かに残響していた。
 アビゲイルの喉が小さく震えた。

「……名前は?」

 少女は小さく息を吸い、ほんの一拍の沈黙を挟んで答えた。

「……陽名……それが、“わたし”の名前なら……たぶん、そう……」

 その言い回しは、どこか他人事のようだった。周囲の安全を確認したジャンは、少女の顔を見つめながら、ぽつりと呟いた。

「……ダメだ。一致しない。トーキョー・シティ全市民の顔を記憶してるボクの《エイドメモリア》にも、この子はいません」

 リョウが驚いた顔で振り向く。

「嘘だろ……? そんなの、アリかよ」

「これは……観測外だ。おかしいです」

 ジャンの頭の中で、警報のような違和感が鳴り響いていた。すべての顔を記憶した自分の中に、少女の情報だけが欠落している──それはまるで、“最初から観測できなかった”かのように。
 陽名はゆっくりと、腹を押さえるマナイアを指差した。

「……あの人が……そう呼んでた」

 アビゲイルが視線を落とすと、マナイアは苦笑しながら言った。

「……わりぃな。思っている以上やべぇようだぜ……」

 マナイアは負傷した腹部を押さえながら笑っているように見えた。

「リーダー。任務としては、どう判断します?」

 困っているジャンの質問。その傍らで少女を笑わせようとするリョウの妙な動き。

「……正直、分からない。だが、“これは放っとけない”……ってことだけは確かだ」

 アビゲイルは冷静に状況から判断して最善の決定を下す。

「……リョウ、後方警戒。ジャン、止血処置急いで」

「はい。三分以内に収束させる」

 ジャンが応急処置キットが展開され、リョウはすぐに後方を警戒していた。現場は戦場から医療現場へと転じた。
 マナイアは意識を手放しかけながら、アビゲイルに目をやる。

「……立派になったな、小僧」

 アビゲイルは、一拍だけ呼吸を止めてから、目を細めた。

「教官がしぶとくて助かりました」

 それだけ言って、彼女は背を向けた。
 その場には、微かな風が吹き抜けていた。アビゲイルは不思議な少女を見ていた。
 彼女の瞳の奥に、空が映っていた。星はなかった。ただ、そこからすべてを“見て”いた。
 その少女の眼差しには、終わりのない問いが宿っていた。あらゆるものを見透かしながら、どこにも属さない、誰の未来でもない場所を見ていた。

 星のない空が見ていた。何も語らず、ただその場を静かに照らしていた。  それは、名前を持つ前の世界。

 すべてを知りながら、なお静かに佇んでいた── “彼女”という、誰のものでもない存在として。

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