- 世代交代、ドラマ量産、マルチバース依存が生んだ構造的な失敗
- 『エンドゲーム』は完結編だったが、継承編ではなかった
- 生き残った旧キャラクターを整理できなかった
- 横のつながりが強くなりすぎた
- Disney+ドラマは育成装置になるはずだった
- なぜ本筋と関係の薄い作品まで量産したのか
- 『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』は継承だけを描けばよかった
- イーライ・ブラッドリーを育てなかったことが大きい
- 敗戦後の5年間を若手育成に使うべきだった
- アイアンハートはトニーの後継者として浮いている
- シュリをブラックパンサーにしたことで役割分担が崩れた
- マルチバースは便利すぎた
- ドゥームはトニー・スタークの表裏として描くべき
- 『ドゥームズデイ』の成功は復活ではない
- 本当の壁は『シークレット・ウォーズ』
- 二作の成功だけでは足りない
- MCUは自分で身動きを取れなくした
- 結論
- 世代交代、ドラマ量産、マルチバース依存が生んだ構造的な失敗
- 『エンドゲーム』は完結編だったが、継承編ではなかった
- 生き残った旧キャラクターを整理できなかった
- 横のつながりが強くなりすぎた
- Disney+ドラマは育成装置になるはずだった
- なぜ本筋と関係の薄い作品まで量産したのか
- 『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』は継承だけを描けばよかった
- イーライ・ブラッドリーを育てなかったことが大きい
- 敗戦後の5年間を若手育成に使うべきだった
- アイアンハートはトニーの後継者として浮いている
- シュリをブラックパンサーにしたことで役割分担が崩れた
- マルチバースは便利すぎた
- ドゥームはトニー・スタークの表裏として描くべき
- 『ドゥームズデイ』の成功は復活ではない
- 本当の壁は『シークレット・ウォーズ』
- 二作の成功だけでは足りない
- MCUは自分で身動きを取れなくした
- 結論
世代交代、ドラマ量産、マルチバース依存が生んだ構造的な失敗
『アベンジャーズ/エンドゲーム』までのMCUは、非常によくできていた。
『アイアンマン』から始まり、個々のヒーローを単独作品で育てながら、『アベンジャーズ』で合流させる。
その背後ではサノスという存在を少しずつ見せ、最終的に『インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』へ収束させた。
すべてが完璧だったとは思わない。
それでも、トニー・スタークの誕生から死までをシリーズ全体の軸として見ることができた。
スティーブ・ロジャースの成長と引退も、その大きな流れの中に組み込まれていた。
問題は、その後だった。
『エンドゲーム』で一つの時代を終わらせることには成功したが、次の時代をどう始めるかという設計が弱かった。
結果としてMCUは、新しい資産を作るのではなく、それまでに蓄積した人気、キャラクター、俳優、過去作への愛着という「貯金」を使い続ける形になってしまった。
『エンドゲーム』は完結編だったが、継承編ではなかった
トニーは死亡し、スティーブは引退した。
ナターシャも死亡し、初期アベンジャーズは事実上解体された。
物語としては非常に強い終わり方だった。
しかし、次に誰がMCU全体の中心になるのかは決まっていなかった。
ティ・チャラ、ドクター・ストレンジ、キャプテン・マーベル、サム・ウィルソンなど、候補になり得る人物はいた。
だが、誰か一人をシリーズ全体の主人公的な軸として育てることはなかった。
新しいアベンジャーズも結成されない。
旧世代から若い世代への継承も、個別の作品で断片的に行われただけだった。
その結果、『エンドゲーム』後のMCUは、新しい時代へ進んだというより、中心人物だけが消えた状態になった。
生き残った旧キャラクターを整理できなかった
トニーやスティーブは退場したが、ソー、ハルク、クリント、ローディ、ストレンジ、キャロル、ロキなど、多くの強力な人物は生き残った。
彼らを残すこと自体は問題ではない。
問題は、主役から支援者へ移すのか、次の中心にするのか、明確に役割を決めなかったことだった。
新しいヒーローが登場しても、
「ソーを呼べばいいのではないか」
「ストレンジなら解決できるのではないか」
「キャプテン・マーベルは何をしているのか」
という疑問が常につきまとう。
旧世代を残したまま新世代を育てるなら、役割を整理する必要があった。
ハルクは科学と医療。
クリントは若手の訓練。
ソーは宇宙規模の脅威。
ストレンジは魔術世界。
キャロルは宇宙勢力との調整。
このように前線から一歩下がらせれば、人気を維持しながら新世代へ場所を譲ることができた。
実際には、旧世代を退場させられず、必要な時だけ頼る形になった。
それによって新しい人物が定着しにくくなった。
横のつながりが強くなりすぎた
初期MCUでは、基本的に単独ヒーローが自分の問題を自力で解決していた。
クロスオーバーは特別な出来事だった。
しかしシリーズが拡大すると、誰かが困った時に別のヒーローが助けられる世界になった。
共有世界の面白さである一方、単独作品の自立性を弱める原因にもなった。
特にスパイダーマンは、トニー、ハッピー、スターク技術、ドクター・ストレンジ、別世界のスパイダーマンたちと強く結びつきすぎた。
ピーター・パーカーが一人で問題を解決するヒーローではなく、MCU全体に支えられる人物へ近づいていた。
だからこそ、『ノー・ウェイ・ホーム』の結末で人間関係と支援を失い、新作で単独のスパイダーマンへ戻る流れには意味がある。
これはマルチバースから最も早く距離を取り、単独ヒーローとして再出発する試みとも言える。
Disney+ドラマは育成装置になるはずだった
Disney+でドラマシリーズを展開した判断自体は悪くなかった。
映画では描きにくい、
- 若手ヒーローの成長
- ブリップ後の社会
- チーム結成までの過程
- 旧世代から新世代への継承
- 脇役の掘り下げ
を長い尺で描けるからだ。
特にヤング・アベンジャーズのようなチームは、映画一本で結成するより、ドラマで少しずつ育てる方が向いている。
しかし実際には、ドラマは共通の目的地へ向かわなかった。
『ワンダヴィジョン』はワンダとヴィジョン。
『ロキ』は時間軸とマルチバース。
『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』はキャプテン・アメリカの継承。
『ホークアイ』はケイト・ビショップ。
『ミズ・マーベル』はカマラ・カーン。
『ムーンナイト』はエジプト神話。
『シー・ハルク』は法廷コメディ。
個々の作品に面白さはあっても、全体としてどこへ向かっているのかが見えなかった。
なぜ本筋と関係の薄い作品まで量産したのか
『ムーンナイト』は作品単体としては面白かった。
オスカー・アイザックの演技、人格の問題、エジプト神話など、独自性もあった。
しかしMCU全体で見ると、今この人物を登場させる必然性は弱かった。
『シー・ハルク』も個人的には悪くなかった。
超人が増えた世界で、能力者の法的責任や被害、名称や権利を扱う法律家は存在意義がある。
ただし最終話は、自分たちで積み上げた物語をメタ表現で否定し、決着そのものを放棄してしまった。
『エコー』や『ワンダーマン』も同じである。
作品化することはできる。
だが、MCU全体が不安定な時期に、優先して作るべき作品だったのかという疑問が残る。
本筋が強ければ、独立作品は世界の厚みになる。
本筋が弱い状態で支線だけを増やすと、世界が広がるのではなく、迷走しているように見える。
マーベルはコミックのように、多数のジャンルとキャラクターが同時に存在する世界を映像で作ろうとしたのだと思う。
しかしコミックの一冊と、高額な実写ドラマシリーズは同じではない。
新しいキャラクターを登場させるたびに、再登場の機会、俳優の契約、制作費、視聴者の予備知識が必要になる。
その管理が追いつかなくなった。
『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』は継承だけを描けばよかった
このドラマが描くべきだったのは、ただ一つだった。
誰が、どのような意味でキャプテン・アメリカを継ぐのか。
これを中心にすれば、必要な人物は明確になる。
サム・ウィルソンは、スティーブから盾を託された人物。
バッキーは、スティーブの意思を最も理解している証人。
ジョン・ウォーカーは、国家から選ばれた偽りの後継者。
イザイア・ブラッドリーは、国家によって消されたもう一人の超人兵士。
これだけで十分に強い物語になる。
ところが実際には、フラッグ・スマッシャーズ、超人血清、難民問題、パワー・ブローカー、マドリプール、ジーモなどを詰め込みすぎた。
フラッグ・スマッシャーズは、怒りや復讐心を持っていても、最終的には暴力で主張する活動家、あるいはテロリストの域を出なかった。
さらに集団で超人血清を使ったことで、超人兵士の希少性まで失われた。
本来なら、ウォーカーこそがラスボスになるべきだった。
キャプテン・アメリカになれず、血清を使い、盾を血で汚し、国家から捨てられたことで堕落する。
サムは血清を持たず、ウォーカーは血清を持つ。
それでも最後にサムが勝つ。
この構造なら、キャプテン・アメリカの資格は力や国家の任命ではなく、本人の選択と人格にあると示せた。
ジーモも便利な案内役ではなく、裏ですべてを仕組んでいた黒幕にするべきだった。
超人同士を争わせ、最後の血清を消す。
その目的が最後まで一貫していれば、『シビル・ウォー』で見せた知略も保てた。
イーライ・ブラッドリーを育てなかったことが大きい
『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』には、イザイアの孫であるイーライ・ブラッドリーが登場していた。
ここでパトリオットへの道を作ることができた。
イーライは単なる若いキャプテン・アメリカではない。
スティーブが示した理想。
イザイアが受けた国家の裏切り。
サムが選んだ新しい継承。
そのすべてを引き継げる人物だった。
原作のヤング・アベンジャーズでも、パトリオットは戦力の一人ではなく、チームの理念と規律を担う中心人物だった。
現在のMCUには、ケイト、カマラ、キャシー、ビリー、アメリカ、リリなど、若いヒーロー自体はいる。
しかし、なぜアベンジャーズを名乗るのか、何を継承し、何を拒否するのかを問いかける人物がいない。
カマラはアベンジャーズへの憧れが強い。
ケイトは現場判断に優れている。
ビリーは強力な魔術を持つ。
だが、チームの理念を背負う人物がいない。
イーライがいれば、
「大人たちの名前を借りるだけでいいのか」
「国家や組織に利用されないチームを作れるのか」
「力を持つ者は誰に責任を負うのか」
という問いを持ち込めた。
今のMCUがヤング・アベンジャーズを作りにくいのは、若いキャラクターがいないからではない。
チームを成立させるための重要なパーツが欠けているからだ。
敗戦後の5年間を若手育成に使うべきだった
『インフィニティ・ウォー』から『エンドゲーム』までの5年間は、次世代を育てる期間として使えた。
旧アベンジャーズはサノスに敗れ、残された世界の敗戦処理をしていた。
ナターシャを中心に、災害救助、避難支援、犯罪対策、若い能力者の保護と訓練を行う組織を作ってもよかった。
キャシーは父を失った5年間に量子技術を学ぶ。
ケイトは混乱したニューヨークで自警活動を始める。
イーライは祖父の過去を知り、アベンジャーズへ不信を持つ。
カマラはヒーローが敗北した世界で育つ。
彼らは最初から戦闘チームではない。
救助や支援を通して出会い、大人のヒーローが間に合わない事件で初めて共闘する。
この流れをドラマで数年かけて描いておけば、映画版ヤング・アベンジャーズでは人物紹介を省き、完成したチームが大きな試練へ挑む物語に集中できた。
Disney+は本来、そのための場所だった。
アイアンハートはトニーの後継者として浮いている
アイアンハートには根本的な問題がある。
装甲、飛行、天才科学者という要素はアイアンマンに近い。
しかしリリ・ウィリアムズとトニー・スタークには、ほとんど直接的な関係がない。
トニーから教わっていない。
認められてもいない。
スターク社やペッパー、ハッピーとの関係もない。
そのため、外見上はアイアンマンの後継者に見えるが、物語的な継承が存在しない。
むしろリリは、『ワカンダ・フォーエバー』でシュリやワカンダと接触している。
それなら、スタークとは関係なく、ワカンダ技術を基礎とした装甲ヒーローにする方が自然だった。
ヴィブラニウムによるエネルギー制御。
運動エネルギーの吸収。
キモヨ・ビーズとの接続。
シュリによる技術支援。
これならアイアンマンの模倣ではなく、独自の装甲ヒーローとして成立する。
社会的テーマや多様性を前面に出したことで反発が起きた面もあるが、本質的な問題はそこだけではない。
MCU全体での役割と系譜が曖昧だったことの方が大きい。
シュリをブラックパンサーにしたことで役割分担が崩れた
チャドウィック・ボーズマンの死は、MCUにとって非常に大きな出来事だった。
ティ・チャラは、トニーやスティーブの退場後に、MCU全体を支える中心人物になれる存在だった。
王としての政治力。
ブラックパンサーとしての戦闘力。
ワカンダの技術と資源。
国際社会との関係。
そのティ・チャラを失ったことで、ワカンダだけでなく、MCU全体の計画が狂った。
もしボーズマンが存命なら、シュリがブラックパンサーになる必要はなかったはずだ。
シュリは科学者として成長し、スタークやバナーに並ぶ存在になれた。
しかしティ・チャラの穴を埋めるため、シュリは科学者、王族、復讐者、戦士、ブラックパンサーという多くの役割を背負わされた。
特に違和感が強いのは、科学者だった人物が短期間で戦士になった点である。
ティ・チャラはハーブを飲む前から熟練した戦士だった。
格闘技術、身体鍛錬、戦術、王としての覚悟を持ち、その上でハート型ハーブによって超人的な領域へ進んでいた。
ハーブは戦士を作るものではない。
すでに完成した戦士を強化するものだった。
シュリの場合は、ハーブを摂取したことで身体能力だけでなく、戦闘技術まで得たように見える。
これではハーブが、誰でもブラックパンサー級の超人に変えられる便利な道具になってしまう。
シュリを一時的なブラックパンサーにするなら、科学者らしい戦い方が必要だった。
罠、分析、ドローン、遠隔装備、地形利用によってネイモアを追い詰める。
そして危機が去った後は科学者へ戻り、正式なブラックパンサーを別の人物へ渡す。
その方がシュリの本来の役割も守れた。
シュリが科学者として残っていれば、リリを育て、ヤング・アベンジャーズを支える成人側の技術者にもなれた。
ティ・チャラを失った穴を埋めるために、シュリまで本来の場所から動かしてしまったことが大きい。
マルチバースは便利すぎた
マルチバースは、物語の可能性を広げる設定だった。
しかし実際には、
- 過去の俳優を戻す
- 別シリーズを合流させる
- 死亡した人物に似た存在を出す
- キャスティング変更を説明する
- 懐かしいキャラクターを再利用する
ための便利な仕組みになった。
可能性が無限にあるほど、死や敗北の重みは薄くなる。
別の世界から同じ人物を連れてくればよい。
失敗した世界を別の時間軸でやり直せばよい。
さらに、世界とキャラクターを増やすほど説明が必要になり、物語の速度は落ちる。
現在のMCUはマルチバースを支配しているのではなく、マルチバースに支配されているように見える。
ドゥームはトニー・スタークの表裏として描くべき
『ドゥームズデイ』で重要になるのが、ドクター・ドゥームの扱いである。
現在のアベンジャーズ側は、『エンドゲーム』時より戦力が落ちている印象がある。
一方、ドゥームは科学、魔術、政治、軍事、マルチバース知識を持つ万能キャラクターになり得る。
問題は、強すぎること以上に、その強さを納得させる積み重ねがないことだ。
サノスは長い時間をかけて存在を示し、インフィニティ・ストーンを一つずつ集めた。
ドゥームは短期間で、ソー、セントリー、ファンタスティック4、X-MEN、複数のアベンジャーズを相手にしなければならない。
最初から全員を力で上回るのでは、脚本上の万能キャラクターに見える。
ドゥームは、準備、分析、分断、弱点の利用によって勝つべきだ。
ソーには事前の対策。
セントリーには精神的な弱点。
各チームには宇宙同士の利害対立。
最後に他者の力を利用して神に近づく。
この段階が必要になる。
また、ロバート・ダウニー・Jr.を起用するなら、ドゥームはトニーの表裏として描くべきだ。
トニーは、自分の知性で世界を制御しようとして失敗した。
その後、仲間を信じ、自分が間違う可能性を認め、最後には自己犠牲を選んだ。
ドゥームは逆になる。
世界が崩壊した原因を構造的に分析し、自由意思や多数の意思決定こそが失敗の原因だと判断する。
自分が最適な答えを出せるなら、他人の同意は必要ない。
トニーは世界を救うために自分を消した。
ドゥームは世界を救うために、自分以外の選択肢を消す。
この対比なら、同じ俳優を起用する意味が生まれる。
逆に、家族や友人を失った復讐だけで動くなら、一気に格が落ちる。
個人的な傷は思想の入口であっても、最終目的にしてはいけない。
『ドゥームズデイ』の成功は復活ではない
まず最初の壁は『ドゥームズデイ』になる。
ただし、この作品が好評でも、それだけでMCUが救われたとは言えない。
RDJ、旧アベンジャーズ、旧X-MEN、ファンタスティック4など、過去の人気資産を大量に使う巨大イベントだからだ。
興行的に成功しても、
「現在の新キャラクターが支持された」
「新アベンジャーズが定着した」
「MCUの新しい軸が完成した」
ことの証明にはならない。
過去の貯金を最大限に使った結果として成功する可能性がある。
『ドゥームズデイ』の成功は、MCUが復活したというより、もう一度立て直す時間を与えられた状態に近い。
本当の壁は『シークレット・ウォーズ』
次の壁は『シークレット・ウォーズ』になる。
『ドゥームズデイ』は問題を広げたまま終われる。
ヒーローが敗北し、世界が崩壊しても、続編へつなげられる。
しかし『シークレット・ウォーズ』は、すべてを整理しなければならない。
どの世界を残すのか。
X-MENとファンタスティック4をどう統合するのか。
マルチバース移動を今後も可能にするのか。
過去の俳優とキャラクターをどこまで残すのか。
誰を退場させるのか。
次のアベンジャーズは誰なのか。
誰が新MCUの主人公的な軸になるのか。
ここを曖昧にすると、同じ問題が繰り返される。
理想は、基本となる世界を一つに絞ることだ。
マルチバース移動は例外的な現象に戻す。
旧世代は明確に退場、または後方へ移す。
X-MENとファンタスティック4を同じ世界へ配置する。
新しいアベンジャーズを明確にする。
次の中心人物と敵の軸を提示する。
そこまでできて、初めてMCUは次の段階へ進める。
二作の成功だけでは足りない
『ドゥームズデイ』と『シークレット・ウォーズ』が興行的に成功しても、その後の単独作品に観客が戻らなければ意味がない。
過去キャラクターを集めたイベントだけが成功し、新しい人物の映画が支持されないなら、MCUは同窓会作品に依存するシリーズになる。
本当の復活は、その次の作品で判断される。
過去の俳優がいない。
マルチバースの驚きもない。
カメオも少ない。
その状態で、新しい主人公、新しいチーム、新しい敵だけで観客を引きつけられるか。
そこまで成功して、初めて再建されたと言える。
MCUは自分で身動きを取れなくした
現在の苦しさは、一つの失敗作だけが原因ではない。
作品数を増やした。
新しいキャラクターを増やした。
世界観を宇宙、魔術、神話、時間、マルチバースへ広げた。
過去シリーズまで統合した。
広げた範囲を管理するため、さらに作品が必要になる。
作品が増えるほど視聴者は疲れ、重要な作品が分からなくなる。
関心を戻すため、過去の人気キャラクターへ頼る。
過去へ頼るほど、新世代は育たない。
旧世代を手放せず、新世代を中心にできない。
完全な悪循環である。
『エンドゲーム』までのMCUは、積み上げによって大作を成立させた。
その後のMCUは、積み上げる前に大作の規模を維持しようとした。
これが決定的な違いだと思う。
結論
『エンドゲーム』後に必要だったのは、さらに大きな敵でも、大量の新キャラクターでもなかった。
一度規模を縮小し、旧世代の後始末と新世代への継承を描くことだった。
サムがキャプテン・アメリカを継ぐ。
イーライがパトリオットへの道を歩む。
クリントがケイトを育てる。
スコットの不在を経験したキャシーが成長する。
ティ・チャラがワカンダとMCUの中心に立つ。
シュリが科学者としてリリや若手を支える。
ドラマシリーズでヤング・アベンジャーズを育てる。
これらをフェーズ4の軸にしていれば、旧世代の終わりと新世代の始まりを同時に描けた。
しかしMCUは、本筋を作る前に支線を増やした。
マルチバースを広げ、キャラクターを増やし、過去の人気を使い続けた。
『ドゥームズデイ』は、観客を呼び戻せるかを試す第一段階になる。
『シークレット・ウォーズ』は、広げすぎた世界を整理できるかを試す第二段階になる。
そして、その後の新MCUが過去に頼らず自立できるかが、本当の最終試験になる。
『ドゥームズデイ』が成功しても、それは延命にすぎない。
『シークレット・ウォーズ』で正しく畳み、新しい中心を作ることができれば、MCUは次へ進める。
逆に、ここでも大量のカメオと派手な戦闘だけに頼り、世界とキャラクターの整理を曖昧にした場合、MCUは残された切り札まで使い切ることになる。
現在の苦境は外部の不運だけではない。
成功を維持しようとして規模を広げすぎ、自分で自分の首を絞めた結果である。


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