- MCU映画としては成功したが、単独のスパイダーマン映画として抱えた弱点
- 『シビル・ウォー』から続くピーターの一貫性
- ピーターの焦りが事件を拡大させる
- バルチャーそのものを生み出したわけではない
- スターク製スーツを失って初めて始まる成長
- ピーターとトゥームスの対比
- 作品を象徴する車内の場面
- トゥームスは生身のまま魅力がある
- マイケル・キートンの怪演
- シニスター・シックスを率いる可能性
- 映像は地味でも中身は濃い
- リズはヒロインというより物語の仕掛け
- 実質的なヒロインはネッド
- リズはミシェルのために消費された
- フラッシュ・トンプソンへの失望
- トニー・スタークの存在が大きすぎる
- MCUへの依存をあえて描いた作品
- MCU映画としての成功と、単独映画としての弱点
- まとめ
- MCU映画としては成功したが、単独のスパイダーマン映画として抱えた弱点
- 『シビル・ウォー』から続くピーターの一貫性
- ピーターの焦りが事件を拡大させる
- バルチャーそのものを生み出したわけではない
- スターク製スーツを失って初めて始まる成長
- ピーターとトゥームスの対比
- 作品を象徴する車内の場面
- トゥームスは生身のまま魅力がある
- マイケル・キートンの怪演
- シニスター・シックスを率いる可能性
- 映像は地味でも中身は濃い
- リズはヒロインというより物語の仕掛け
- 実質的なヒロインはネッド
- リズはミシェルのために消費された
- フラッシュ・トンプソンへの失望
- トニー・スタークの存在が大きすぎる
- MCUへの依存をあえて描いた作品
- MCU映画としての成功と、単独映画としての弱点
- まとめ
MCU映画としては成功したが、単独のスパイダーマン映画として抱えた弱点
『スパイダーマン:ホームカミング』は、トム・ホランド版スパイダーマンにとって初の単独映画である。
しかし、本作は従来のスパイダーマン映画とは出発点が大きく異なる。
蜘蛛に噛まれて能力を得る過程も、ベンおじさんの死も描かれない。ピーター・パーカーはすでにスパイダーマンとして活動しており、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』でトニー・スタークに見いだされた後から物語が始まる。
そのため本作は、新しいスパイダーマンの第1作というより、『シビル・ウォー』でMCUへ参加したピーターの続編という性格が強い。
MCUの一作品として見るなら、非常にうまく作られている。
一方で、単独のスパイダーマン映画として見ると、トニー・スタークやMCU全体への依存が大きく、後のシリーズにも影響する弱点を抱えていたと思う。
『シビル・ウォー』から続くピーターの一貫性
『シビル・ウォー』でピーターは、突然トニー・スタークから声をかけられ、アベンジャーズ同士の戦いへ参加した。
それまでは街の小さな犯罪を止めていた少年が、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ウィンター・ソルジャー、ファルコンたちと同じ戦場に立った。
その経験をした直後であれば、普通の日常へ戻れなくなるのも無理はない。
『ホームカミング』のピーターは、再びトニーから呼ばれることを待っている。
もっと大きな事件を解決したい。
ヒーローとして認められたい。
正式にアベンジャーズへ入りたい。
自分が子供ではなく、一人前に戦えることを証明したい。
この気持ちは『シビル・ウォー』から一貫している。
そのため、『ホームカミング』におけるピーターの行動そのものには納得できる。急に性格や目的が変わったのではなく、一度大きな世界を知ってしまった少年が、身近な人助けだけでは満足できなくなっている。
ピーターの焦りが事件を拡大させる
トム・ホランド版ピーターの特徴は、善意だけでなく、認められたいという焦りによって行動していることだ。
バルチャーの武器取引を発見したピーターは、危険性を十分に確認せず、単独で事件へ介入する。
ハッピーへ報告しても相手にされていないと感じ、自分で証拠をつかみ、自分で解決しようとする。
人々を守りたい気持ちは本物である。
しかし同時に、
この事件を解決すれば、トニーに認めてもらえる
という欲求が混ざっている。
そのため、引くべき場面でも引くことができない。
そして本作で起きる大きな危機の多くは、ピーターの判断ミスによって発生、あるいは拡大している。
ワシントン記念塔の事故では、ピーターが回収した異星人兵器のエネルギーコアがネッドたちの近くへ持ち込まれ、暴走する。
フェリーでは、ピーターが武器取引へ強引に介入した結果、異星人兵器が暴発し、船体が真っ二つになる。
ピーターは人々を救おうとするが、そもそも危機を拡大させた原因にもなっている。
トム版ピーターは、事件を解決するヒーローであると同時に、事件を複雑化させる人物でもある。
バルチャーそのものを生み出したわけではない
ただし、バルチャーという敵そのものをピーターが生み出したわけではない。
エイドリアン・トゥームスは、ピーターが関わる以前から長年にわたって異星人技術を回収し、違法な武器へ加工して販売していた。
したがって、ピーターが悪役を誕生させたというより、
すでに存在していた犯罪へ焦って介入し、危機をより大きくしてしまった
と考えるべきだろう。
ピーターがいなくてもトゥームスは犯罪を続けていた。
しかし、ピーターが未熟な状態で飛び込まなければ、ワシントンやフェリーの大惨事は起きなかった可能性がある。
この構造によって、トム版は過去のスパイダーマンより頼りなく見える。
トビー・マグワイア版やアンドリュー・ガーフィールド版は、すでに発生した危機へ立ち向かう印象が強かった。
一方、トム版は自分の失敗を修復することで成長していく。
スターク製スーツを失って初めて始まる成長
それでも『ホームカミング』が成立しているのは、映画がピーターの失敗を正当化していないからだ。
フェリー事故の後、トニーはピーターから高性能スーツを取り上げる。
ピーターはトニーから、
スーツなしでは何もできないなら、スーツを持つ資格はない
という現実を突きつけられる。
ピーターは一度ヒーロー活動から離れ、普通の高校生活へ戻ろうとする。
しかし、リズの父親がトゥームスだと知った後は、トニーに認めてもらうためではなく、自分が止めなければならないという責任感から行動する。
スターク製スーツはない。
すぐに助けてくれるアイアンマンもいない。
それでもピーターは自作スーツを着て、単独でトゥームスを追う。
序盤では「ヒーローとして認めてもらうため」に戦っていた。
終盤では「危険を知った自分が止めるべきだから」戦っている。
この変化があるため、ピーターの失敗は成長物語として意味を持つ。
ピーターとトゥームスの対比
『ホームカミング』を支えているのは、ピーターとトゥームスの分かりやすい対比である。
ピーターは、ヒーローになることへ希望を抱いている未熟な少年だ。
人を助ければ認めてもらえる。
大きな事件を解決すればアベンジャーズへ入れる。
正しいことを続ければ、一人前のヒーローになれる。
まだ社会の厳しさを知らないからこそ、無謀に行動できる。
一方のトゥームスは、社会の現実を知った大人である。
真面目に仕事をしていても、政府や大企業の都合で簡単に切り捨てられる。
正しい手順を踏んでも、家族や従業員を守れるとは限らない。
その現実を経験した末に、犯罪へ足を踏み入れた。
最初は家族を養うためだったとしても、長年犯罪を続けたことで、すでに引き返せない場所へ進んでいる。
これからヒーローになろうとする少年と、社会に失望して悪になることを選び続けた大人。
この二人の対比が、作品の軸をしっかりと支えている。
作品を象徴する車内の場面
本作で最も印象に残ったのは、ピーターがリズを迎えに行き、トゥームスの車に乗る場面である。
それまで二人は、スパイダーマンとバルチャーとして戦っていた。
しかし車内では、ピーターはスーツを着ていない高校生であり、トゥームスは恋人の父親である。
ピーターは敵の車に乗せられ、簡単に逃げることも戦うこともできない。
トゥームスは、リズとの会話やピーターの反応から、少しずつ彼の正体へ近づいていく。
ワシントンでの出来事。
ピーターが何度も姿を消していること。
スパイダーマンが現れる場所との一致。
そして、正体に気づかれたピーターの表情。
ここには翼も異星人兵器も必要ない。
トゥームスの人生経験、観察力、判断力だけで、ピーターは完全に圧倒される。
身体能力ならピーターが上である。
しかし、覚悟と経験ではトゥームスが上回っている。
トゥームスは必要であれば人を殺せる。
すでに一線を越え、犯罪者として生き続ける覚悟を持っている。
ピーターはまだ人を殺す覚悟もなく、ヒーローとしての責任を十分に理解していない。
あの車内の場面こそ、未熟な少年と引き返せなくなった大人の差を最も分かりやすく示している。
トゥームスは生身のまま魅力がある
バルチャーの戦闘能力をMCU全体で見ると、それほど高くない。
攻撃力ならアイアンマンやウォーマシンに劣る。
飛行速度や空中での機動性ならファルコンのほうが洗練されている。
防御力も突出しているわけではない。
装備はチタウリなどの異星人技術を流用しており、トゥームス自身がすべてを発明したわけでもない。
そのため、映像的には地味な悪役である。
しかし、トゥームスの本当の強さは戦闘力ではない。
長年にわたって政府やアベンジャーズに発見されず、異星人技術を回収し、武器へ加工し、闇市場で販売してきた。
部下をまとめ、家族には犯罪者であることを隠し、必要なら相手を排除する。
組織を運営する能力、判断力、現実を知った大人としての重さがある。
だからバルチャーの装備を外しても、トゥームスという人物は成立する。
むしろ車内の場面のように、装備を使っていないときのほうが恐ろしい。
トゥームスという人物が先に存在し、その人物がバルチャーの装備を使っている。
バルチャーはトゥームスを成立させる中心ではなく、目的を達成するための道具に近い。
マイケル・キートンの怪演
この人物像を完成させたのが、マイケル・キートンの演技である。
大声を出さなくても威圧感がある。
家族の前では普通の父親として振る舞いながら、仕事では冷静に犯罪を続ける。
ピーターへ感謝を示しながら、次に邪魔をすれば本人だけでなく大切な人間まで殺すと警告する。
単純な善人でも、単純な悪人でもない。
自分なりの義理と合理性を持ちながら、すでに犯罪者として一線を越えている。
マイケル・キートンは、その危うさを声と表情だけで見せている。
原作のバルチャーは、映画一本を支える悪役としては、そこまで魅力的な人物ではなかったと思う。
MCU版は、家族を持つ父親、仕事を奪われた経営者、犯罪組織を率いる現実主義者という背景を加え、バルチャーをうまくグレードアップさせた。
シニスター・シックスを率いる可能性
MCU版トゥームスには、将来的にヴィランチームを率いるだけの可能性もあったと思う。
原作では、シニスター・シックスはドクター・オクトパスが中心となって結成する。
しかし、トビー・マグワイア版のオットー・オクタビアスは、原作のように悪党を集めて組織を率いる人物ではない。
実験への執念と機械アームの影響によって暴走した悲劇の科学者であり、最後には理性を取り戻して自らを犠牲にしている。
完成されたキャラクターとして魅力的ではあるが、犯罪組織の指導者には向いていない。
一方、MCU版トゥームスは、すでに犯罪組織を長年運営している。
技術を調達し、人員を配置し、武器を製造し、顧客と取引する能力がある。
戦闘力の高いヴィランたちを集めても、誰かが目的を定め、利害を調整し、計画を動かさなければチームは成立しない。
その役割をトゥームスなら担える。
ただし、『ホームカミング』終了時点では、ピーターへの単純な復讐心だけで動く人物ではない。
刑務所でスコーピオンからスパイダーマンの正体を尋ねられても、ピーターの名前を明かさなかった。
ピーターに計画を壊された一方で、命を救われ、リズを助けてもらった恩もある。
トゥームスを再登場させるなら、最初から個人的な復讐ではなく、政府やヒーローによる管理体制への反発、異星人技術の回収、家族との生活を取り戻すための計画などから始めるほうが自然だろう。
それでも、シニスター・シックスを率いても不思議ではないほどの土台は作られていた。
映像は地味でも中身は濃い
『ホームカミング』は、スパイダーマン映画としては規模を抑えている。
世界征服を狙う敵も、都市全体を飲み込む巨大怪物も登場しない。
トゥームスの目的は、アベンジャーズの輸送機から兵器を盗み出すことだった。
最終決戦も、空港付近や倉庫で行われる比較的小さな戦いである。
映像として派手とは言えない。
しかし、その地味さがあるからこそ、人物同士の関係が前へ出る。
ピーターの焦り。
トニーに認められたいという気持ち。
トゥームスの社会への怒り。
リズを挟んだ二人の対立。
未熟な少年と覚悟を持った大人の違い。
本作で最も印象に残る場面が、大規模な戦闘ではなく、車の中での会話になっていることが作品の完成度を表している。
リズはヒロインというより物語の仕掛け
本作では、ピーターの恋愛相手としてリズが登場する。
従来のスパイダーマン映画では、MJやグウェンがヒロインとして大きな役割を持っていた。
そこへリズという新しい相手を置いたこと自体は面白い。
しかし、リズ本人についてはほとんど深掘りされない。
学力コンテストのリーダーであり、学校内では人気がある。
ピーターに対しても比較的好意的である。
それでも、本人の悩み、将来、家庭への思いなどはほとんど描かれない。
ピーターがなぜリズを好きなのかについても、美人で人気のある上級生だからという程度に見える。
観客へリズの魅力を伝えるというより、ピーターが一方的に憧れているだけである。
リズの最大の役割は、エイドリアン・トゥームスの娘だったことだ。
ピーターにとっての日常側の憧れと、ヒーロー側の敵が親子だった。
この事実によって、ピーターの二つの世界が一気に衝突する。
仕掛けとしては非常に効果的である。
しかし、それはリズ本人が魅力的だからではなく、敵の娘という配置が優れていたからだ。
極端に言えば、別の女子生徒でも同じ構造を作ることができる。
リズは物語に必要だが、リズ本人でなければ成立しない人物ではない。
実質的なヒロインはネッド
一方、ピーターの親友であるネッドは、本作に欠かせない。
ピーターの正体を知り、能力に興奮しながらも、学校生活とヒーロー活動の両方で支える。
終盤では「椅子の男」として通信や情報面を担当し、ピーターの戦いを助ける。
ネッドは恋愛対象ではない。
しかし、主人公の日常と秘密の両方を知り、精神的にも実務的にも支える存在という意味では、リズよりヒロインらしい役割を持っている。
リズはピーターが手に入れたい憧れである。
ネッドはピーターの現実を支える相棒である。
人物を入れ替えた場合、リズの代わりは作れる。
しかし、ネッドの代わりを別の人物へ変更すると、作品の形そのものが変わってしまう。
その意味では、本作の実質的なヒロインはネッドだったと言ってもいい。
リズはミシェルのために消費された
リズはトゥームスの逮捕後、母親とともに転校する。
ピーターとの恋愛も、本格的に始まる前に終わる。
そしてラストでは、ミシェルが自分を「MJ」と呼んでほしいと伝える。
これは観客に対して、本命のヒロインはこちらだと示す仕掛けだった。
1作目ではリズを表向きのヒロインとして使い、最後にミシェルをMJとして提示する。
驚きとしては機能している。
しかし、そのためにリズが一作品だけの仮ヒロインとして消費された印象もある。
トゥームスとの関係を成立させ、ピーターに恋愛上の挫折を与え、最後には本命のMJへ道を譲って退場する。
リズは人物として描かれたというより、複数の役割を果たすために配置されたキャラクターだった。
フラッシュ・トンプソンへの失望
フラッシュについては、個人的にかなりがっかりした。
トビー・マグワイア版のフラッシュは、出番こそ少ないものの、原作に近い体育会系のいじめっ子として登場した。
体格がよく、運動能力が高く、学校内ではピーターより明確に強い立場にいる。
弱そうなピーターを見下しながら、正体を知らずスパイダーマンへ憧れているという皮肉も成立していた。
『ホームカミング』のフラッシュは、名前こそ同じだが、ほとんど別人になっている。
体格はピーターより強そうには見えない。
運動能力が高いわけでもない。
学校の人気者や中心人物にも見えない。
裕福な家庭の出身で、派手な車を持ち、言葉でピーターを馬鹿にするだけの小物になっている。
いじめは腕力だけで行われるものではない。
金銭、家庭環境、集団内での立場、SNS、言葉などによって相手を攻撃する人物への変更は理解できる。
しかし映画では、なぜフラッシュがピーターへ執着するのか、なぜ周囲が彼の言動を受け入れているのかが説明されない。
学力でピーターに劣等感を持っている。
裕福な家庭で親から結果を求められている。
金や派手な生活で自分を大きく見せている。
そうした背景を描けば、現代版フラッシュとして成立した可能性はある。
実際には、ピーターへ悪口を言うだけの人物にとどまった。
そのため登場するたびに、従来のフラッシュとの違いを思い出し、失望が積み重なっていく。
ここまで別人にするのであれば、フラッシュ・トンプソンではなく、別の名前を持つ新しい同級生にしてほしかった。
トニー・スタークの存在が大きすぎる
『ホームカミング』はスパイダーマン単体の映画というより、MCUの一部という面が強い。
特にトニー・スタークの存在が大きすぎる。
ピーターを発見したのはトニー。
高性能スーツを与えたのもトニー。
ピーターの行動を監督し、失敗したときに助けるのもトニー。
スーツを取り上げ、成長を促すのもトニー。
バルチャー誕生の背景にも、スターク側の組織が関係している。
主人公の装備、目的、失敗、成長、敵の誕生まで、すべてにトニーが影響している。
従来のスパイダーマン映画では、ピーター自身の人生から世界が広がっていた。
しかし本作では、アイアンマンの世界へスパイダーマンが迎え入れられたという構造になっている。
ピーターがスパイダーマンになったことよりも、トニーに見つけてもらったことが物語の出発点になっている。
MCUへの依存をあえて描いた作品
ただし、『ホームカミング』はこの依存を隠していない。
むしろ、MCUへの依存そのものを作品のテーマとして使っている。
ピーターはスターク製スーツを与えられ、その機能へ夢中になる。
スーツがあれば一人前のヒーローになれると思い込み、自分の能力を過信する。
その結果、失敗し、スーツを取り上げられる。
そして自作スーツでトゥームスへ立ち向かう。
最後には、ピーターが序盤から望んでいた正式なアベンジャーズ加入をトニーから提案される。
しかしピーターは、それを断る。
大きなヒーローになることより、身近な街を守る道を選ぶ。
作品はMCUへ強く依存した状態から始まり、最後には一度その中心から距離を取る。
この結末まで含めれば、MCU依存は単なる欠点ではなく、意図的な成長構造として使われている。
MCU映画としての成功と、単独映画としての弱点
『ホームカミング』は、MCUの一作品としては非常にうまく作られている。
『シビル・ウォー』からピーターの目的と性格を引き継ぎ、トニーとの師弟関係を描き、ニューヨーク決戦後の異星人技術をバルチャーの犯罪へ結びつけた。
MCUの過去の出来事を背景として使いながら、ピーターの成長物語へ変えている。
一方、単独のスパイダーマン映画として見ると、大きな弱点を抱えている。
トニーの影響が強すぎる。
ピーターの装備も、敵の背景も、ヒーローとしての目標もMCUに依存している。
ベンおじさんの影響はほとんど描かれず、ピーター独自の世界が十分に作られていない。
スパイダーマンの世界へアイアンマンが参加したのではなく、アイアンマンの世界へスパイダーマンが配置されたように見える。
ただし1作目では、その弱点をピーターの未熟さとして物語へ組み込み、最後には自分の意思で立ち上がらせている。
そのため、MCU依存という危うい構造を持ちながらも、作品としては成立していた。
まとめ
『スパイダーマン:ホームカミング』は、映像的には地味な作品である。
バルチャーの戦闘力も突出しておらず、世界規模の危機も起きない。
しかし、人物関係と成長の描写は濃い。
ヒーローとして認められたい未熟なピーター。
社会の現実を知り、犯罪者として引き返せなくなったトゥームス。
スーツを失っても戦うことを選ぶ少年と、家族を守るためなら他人を犠牲にできる大人。
この対比が作品を引き締めている。
特に車内の場面では、派手な装備や戦闘を使わず、経験と覚悟だけでトゥームスがピーターを圧倒する。
マイケル・キートンの怪演もあり、トゥームスはバルチャーの装備を外しても魅力的な悪役として成立した。
リズはヒロインというより、ピーターとトゥームスをつなぐ仕掛けとして使われた。
実質的にピーターを支えたのはネッドであり、ミシェルは次作以降のMJとして最後に提示される。
一方、フラッシュは原作から大きく変更されたにもかかわらず、新しい人物像が十分に作られず、名前だけを借りた別人に見えた。
そして本作最大の特徴であり弱点は、MCUへの強い依存である。
ピーターはトニーに見いだされ、トニーの装備を使い、トニーに認められようとして失敗する。
しかし、その依存を隠すのではなく、最後にはスターク製スーツなしで戦い、アベンジャーズ加入を断るところまで描いた。
だから『ホームカミング』は、単独のスパイダーマン映画としては弱点を抱えているが、MCU版スパイダーマンの導入としては完成度が高い。
映像は地味でも、中身は濃い。
スパイダーマン単体としては不完全でも、MCUの一作品としてはうまく作られている。
この二つの評価が同時に成立する作品だったと思う。


コメント