Scene.04 -「火は名前を知らない」

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▼オリジナル小説

 数時間後。

 夜明け前のトーキョー・シティ第21区。

 かつて物流拠点として使われていた地下倉庫は瓦礫と放棄された物資に埋もれていた。

 倒れた自動販売機。

 積み上げられた空のコンテナ。

 天井から垂れ下がった配管。

 壁には世界政府の古い広報ポスターが残っている。

【UNITY · ORDER · SURVIVAL】

 統一。

 秩序。

 生存。

 印刷された文字には亀裂が入り、表面を埃が覆っていた。

 倉庫の奥に旧備蓄品の非常用ランプが一つ置かれている。

 橙色の小さな光。

 その前でマナイア・ケアが壁へ背を預けていた。

 世界政府直属の特殊部隊[ワイルドカード]隊長。

 五人の仲間を失い、一人だけ残った男。

 黒い戦闘服の前腕装甲には新しい焦げ跡と古い擦過痕が重なっている。

 主武装のアサルトライフルは手を伸ばせば届く位置に置いていた。

 口には火のついていない葉巻。

 その向かいに小柄な少女が座っている。

 ヒナ。

 少し前にそう呼ばれ始めたばかりの少女だった。

 ヒナは開けられていない缶詰を両手で持っている。

「……腹は減ってねぇか?」

 マナイアが尋ねた。

 ヒナは首を横へ振る。

「食べたら……眠くなりそう」

「寝りゃいいだろ」

「今は、起きてたい」

 マナイアはヒナを見る。

「へぇ」

 それ以上は聞かなかった。

 缶詰を受け取り、蓋を開ける。

 中身は塩気の強い魚の保存食だった。

 一口。

 マナイアが眉を上げる。

「……しょっぺぇな」

「嫌い?」

「いや」

 もう一口食べる。

「戦場じゃ、このくらいでいい」

 ヒナが缶詰を見る。

「しょっぱいの、好きなんだ」

「嫌いじゃねぇ」

 マナイアは肩をすくめた。

「涙で味つけるよりはマシだ」

 ヒナが少し考える。

「……泣いたら、しょっぱい?」

「ああ」

「じゃあ、泣いた時は塩いらないね」

 マナイアの手が止まった。

 数秒後。

「……へっ」

 小さく笑う。

「そういう考え方もあるか」

 ヒナの口元も少し緩んだ。

「おじさんも……怖い?」

 マナイアはすぐには答えなかった。

 葉巻を奥歯で噛み直す。

「怖いさ」

「怖くても行くの?」

「ああ」

 マナイアは非常用ランプを見る。

「俺はな、暗がりにいたらまず“火を点ける”主義なんだ」

 ヒナもランプを見る。

「火?」

「心にな」

 ヒナはマナイアへ視線を戻す。

「見えないのに?」

「見えなくても動けりゃ十分だ」

 ヒナはしばらく考えていた。

 やがて小さく頷く。

 マナイアは口から葉巻を外した。

 火は点けない。

 地下倉庫で煙を出す理由もなかった。

 しばらくしてマナイアがヒナを見る。

「そういや」

「?」

「ヒナって名前、どう書くんだ?」

 ヒナは瞬きをした。

「……書く?」

「文字だよ」

 ヒナは視線を落とす。

 少し考える。

 だが答えは出なかった。

「……わからない」

「そっか」

「ヒナって……音だけ」

 マナイアは少しだけ眉を上げた。

「じゃあ、決めりゃいい」

 ヒナが顔を上げる。

「決めていいの?」

「名前だろ?」

 マナイアは葉巻を指先で転がした。

「誰かに許可もらうもんじゃねぇ」

 ヒナはまだ分からないような顔をしている。

 マナイアは非常用ランプの灯りを見る。

 その遥か上には人工空がある。

 もうすぐ朝になる。

「“陽”って字がある」

「ひ?」

「太陽の陽だ」

 ヒナが聞いている。

「それに、名前の“名”」

 マナイアは指先で床の埃へ二文字を書く。

 陽名。

「陽の名で、陽名」

 ヒナは床に書かれた文字を見る。

「……ひな」

「ああ」

 少女の唇がゆっくりと動く。

「……陽名」

 もう一度。

「陽名」

 今度は先ほどよりはっきりしていた。

 マナイアが頷く。

「悪くねぇだろ」

 陽名は文字を見つめたまま小さく笑った。

「うん」

 マナイアは床の文字を消さなかった。

 しばらくして胸元へ手を伸ばす。

 戦闘服の内側から五枚のドッグタグを取り出した。

 互いに擦れ、小さな金属音を立てる。

 陽名がそれを見る。

「それ、なに?」

「仲間だ」

 マナイアは一枚目を指で持つ。

「デルロイ」

 二枚目。

「ファイシル」

 三枚目。

「キャメロン」

 四枚目。

「アレクセイ」

 最後の一枚を親指でなぞる。

「ジョイ」

 陽名は五枚のタグを見る。

「名前?」

「ああ」

 マナイアは束を掌へ乗せた。

「こいつらがいた証だ」

 陽名がそっと指を伸ばす。

 マナイアは止めなかった。

 細い指先が五枚の金属へ触れる。

 タグ同士が小さく鳴った。

「……音がする」

「金属だからな」

 陽名は首を横へ振る。

「そうじゃなくて」

 もう一度指先で触れる。

「名前があるから……まだ、ここにいるみたい」

 マナイアは陽名を見る。

「声は聞こえないけど」

 陽名は五枚のタグへ目を落とした。

「名前を呼んだら、なくならない気がする」

 マナイアは返事をしなかった。

 親指がデルロイのタグの縁をなぞる。

「……そうか」

 陽名が顔を上げる。

「覚えててもいい?」

「頼む」

 マナイアは即答した。

「少しでいい」

 五枚のタグを握る。

「こいつらがいたってことを覚えててくれ」

「うん」

「それで十分だ」

 マナイアはタグを首へ戻した。

 戦闘服の内側へ収める。

 金属の冷たさが胸へ触れた。

 以前ならそれだけだった。

 今は少し違う。

 五人の名前をもう一人知っている。

 マナイアは陽名を見る。

「お前もな」

「?」

「せっかく名前ができたんだ」

 マナイアは口元だけで笑う。

「忘れんなよ」

 陽名は少し考えてから答えた。

「……うん」

 その時。

 床の奥から低い振動が伝わった。

 マナイアの表情から笑みが消える。

 陽名も顔を上げた。

 もう一度。

 一定の間隔。

 金属が床へ接触する音。

 軽い。

 だが一体ではない。

 マナイアは即座に非常用ランプを消した。

 暗闇。

 数秒後、入口側の輪郭がかすかに見え始める。

 倉庫の外から弱い機械音が続いていた。

「……おじさん」

 陽名が小さく呼ぶ。

「静かに」

 マナイアは立ち上がった。

 アサルトライフルを手に取る。

 銃身下部にはグレネードランチャー。

 照準器を起動して倉庫入口へ向けた。

 携行端末が短く振動する。

【LOCAL SECURITY SIGNAL:DETECTED】

【IFF:REJECTED】

【STATUS:UNAUTHORIZED PERSONNEL】

 マナイアの目が細くなる。

「なるほどな」

 外の機械音が止まった。

 次の瞬間。

 倉庫のシャッターへ赤い光が一筋走る。

 センサー走査。

 左右。

 上下。

 もう一度。

「無作為じゃねぇ」

 マナイアが呟く。

「俺たちを探してる」

 陽名がマナイアの背後へ一歩下がった。

 その位置を確認してからマナイアは葉巻をポケットへ入れる。

「ヒナ」

 呼ばれて陽名が顔を上げる。

「ここからは俺の仕事だ」

「……うん」

「俺の後ろから出るな」

 足音。

 いや。

 機械の駆動音。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 マナイアは呼吸を整える。

 銃口を入口へ固定した。

「戦場にはな、火を灯すやつが必要だ」

 陽名は黙っている。

「誰かが最初にそれを起こす」

 シャッターの隙間から赤い光が差し込む。

「それが俺の役目だ」

 マナイアは一歩前へ出た。

「今も、昔も、ずっとな」

 シャッターが軋みながら持ち上がる。

 その向こうに銀色の小型球体が浮かんでいた。

 赤いセンサーがマナイアを捉える。

 現場対応用AI機械〈センチレット〉。

 その後方にも二機。

【TARGET LOCK】

 マナイアが肩へ銃床を当てる。

「……へっ」

 三機の〈センチレット〉を見据える。

「おいでなすったな」

 最前列の機体が警告音を発した。

 マナイアは陽名の前へ完全に立つ。

「ヒナ」

「うん」

「次は、俺の番だ」

 胸元で五枚のドッグタグが小さく鳴った。

 マナイアは引き金へ指を添えた。

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