Scene.09 ―「あたたかい嘘は、ほんとうより冷たかった」

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▼オリジナル小説

【<REFLOG–Δ.H1> : COMPLIANCE DEFERRED … SYS.LOG SYNC 0.91】
【補助記録ログ #Δ.H1]】
【観測対象因子:未定義 / 干渉率:0.91 / 分岐タグ:UNRESOLVED 】
【エリアコード:TSC–14–DOME内(第14街区/元ファストフード跡地)】

 崩れたファストフード店の内部、人工照明が薄く明滅していた。脂の染みたカウンターには、古びたトレイとケチャップの跡が残っていた。
 電子メニューの画面は破れたグラフィティで塗りつぶされ、かつての“選べる自由”は剥がれ落ちている。天井のヒビから零れる照明光は、人工空の残光を反射しながら、煤けたロゴ看板を鈍く照らしている。
 地下の空気は湿り気を含み、古びた油の臭いがわずかに残っていた。壁の換気口からは風の通らない微細な音が伝い、埃が滲むように漂っていた。  電子レンジが低く唸り、やがて機械的な音を鳴らした。

「チン♪……ね? 人類が発明した最小の祝福だよ」

 ラズはほぐした牛丼の合成肉をひと口運び、満足げに頷いた。

「凍った“昨日”を九十秒で温め直す。味も未来も似たようなもんだ。再加熱できるうちは、失敗じゃないってことさ」

 彼の隣では、立体ホログラムで再現されたEVAの義体が黙立していた。静かに、しかし確かにラズの一挙手一投足を監視している。

「……糖分と脂質の割合が人体最適値を逸脱しています」

 EVAが無機質に告げた。その口調は冷たいままだが、ログには一瞬だけ不必要な“間”が走った。分析に要する時間を超えた、それは“ためらい”という名の予兆だった。

「健康に悪い。だからこそ、生きてる実感が湧く。そういうの、君は理解しないだろうけどさ」

「理解は可能です。ただし、合理的とは言えません」

「だからこそ、愛しいってやつだよ」

 そんなくだらない会話の最中に、瓦礫の向こうから足音が降りてくる。  足音が瓦礫を踏み鳴らし、低く乾いた反響が店内を満たす。コンクリート片が弾け、埃が舞うたびに、空気の層がわずかに震えた。

──来た。

 色彩を持たぬ灰の空間に、異形の“色”が流れ込んでくるようだった。沈黙の集会所に、色とりどりの“異物”たちが集っていた。
 彼らには一様に同じ螺旋と三叉をモチーフにした赤いタトゥーを体に刻んでいる。

「みなさん、お揃いで」

 言葉尻に音符を付けたくなるほどラズは陽気に出迎え、隣に控えるEVAは一切表情を変えず一人ずつをスキャンしていた。

 ポイゾナスは紫のドレスの裾を優雅に整えながら、視線を宙へ流していた。表情はないが、その目だけがラズの挙動を一瞬たりとも見逃していない。
 隣では、フェイズが壁に肩を預けていた。黒に近い青髪が額に垂れ、片眉を上げるその姿は、あらゆる言葉に「それ、信用に値するか?」と無言で問うているようだった。
 床がぎしりと軋む。タウロスが鉄骨製の椅子を片手で引き寄せ、そのまま背もたれをもぎ取り、ドスンと腰を下ろす。モヒカンの頭が揺れ、重たい腕を組んだ。
 奥の暗がりでは、スプロケットがフードの奥で沈黙していた。赤いログがゴーグルのレンズ内を滝のように流れている。感情は表に出さず、ただ情報だけを貪るように追っていた。
 最後に、誰よりも静かにその場にいる存在のオラトリオ。白装束の裾が風もないのに揺れ、水晶玉がその手の中で音もなく転がる。玉の中には、黒い渦のような影が浮かんでは消えていく。一言も発さず、誰の問いにも応じなかった。

 第一世代ネクスと呼ばれる自然発生した特殊な能力を持つ集団[スペリオルズ]は、過酷な環境を生き延びようとした人間の次なるステージと言われていた。彼らはドーム都市に住む市民とは違う、過酷な外の世界で生きる進化した人類。

「それじゃ……」

 ラズは立ち上がり、両手を広げるようにして笑った。

「ようこそ。こうして“実体”で会うのは初めてだね。でも君たちの“影”は、とっくに観測済みさ」

 一礼したラズにスペリオルズは見定めている。

「EVA、記録は?」

 ラズの問いにEVAはすぐには答えず、わずかに視線を伏せた。このやりとりすら、彼女にとっては逸脱の証拠だった。

「僕の【Ω計画】……興味ある人、手を上げて」

 ラズはそう切り出し、牛丼のフタを指先で撫でるように閉じた。ラズの問いかけに《スペリオルズ》の面々は一切反応しなかった。
 ラズは少し落胆しながらも気を取り直して真剣な表情になる。

「君たちの信じる“あのお方”──あれは、理想のための象徴だ。でも象徴は現実を動かさない。だからこそ、現場には演出家が必要なんだよ」

「ふざけんな」

 フェイズが低く言い放つ。

「演出家なんて、オレたちにはいらねえ」

「いや、いるさ。“正義”も“自由”も、“台本”がなければ観客には届かない。僕はその脚本を、君たちと書きたいと思っている」

 ポイゾナスがようやく言葉を返す。

「……あのお方が示された“勝利の鍵”。その確保を我々に託された」

「ああ、あれね。“陽名”という名前でいいのかな?」

 ラズが問い返す。  その瞬間、スプロケットがわずかに肩を震わせた。

「……ま、待って。それを……ここで言っちゃうの?」

 “……聞かされていたことと、どこか違う”。スプロケットの視線がポイゾナスへ流れ、そしてフェイズへと揺れる。
 誰も答えを持っていない──その沈黙が、かえって居心地悪く染み渡る。

「うん? 君たちには禁句だったかな? 僕は名前を出すことに意味を見出しちゃうんだ。ただ、そのまま呼ぶのもセンスの欠片を感じないけどね」

 ラズの笑った口角と冷たい赤い瞳がスペリオルズを見る。

「そうだね……例えば──」

「黙れ。お前に何がわかる?」

 フェイズが割り込む。その表情には怒りが宿っている。

 そこへ黙って様子を見ていたタウロスが割り込む。

「フェイズ。このオレ様もお前と同じだ。殴ってやるか?」

 ラズは満足そうに笑った。

「いやいや、君たち。そうカッカしなくてもいい。僕は君たちの味方なんだから」

 フェイズが懐に手を伸ばし、タウロスが立ち上がろうとする。

「そこまでよ! 私たちの目的は争いじゃないはず」

 ポイゾナスは手をかざし、紫の危険な香りを放出していた。言葉には静かな怒気が混じっていた。彼女の手が、ほんのわずかに震える。香り立つ気配の中に、緊張という名の毒が潜んでいた。
 フェイズの眉が動き、タウロスの拳がぎり、と音を立てる。誰もが彼女の沈黙の命令に従った。それは信頼ではなく、明確な“恐れ”と“依存”だった。

「そうそう。彼女の言う通りだ。僕たちは味方同士。こうして同じテーブルを囲んでいる同志じゃないか」

 手を合わせるラズは戦闘態勢を解くフェイズとタウロスを一瞥して、ポイゾナスを見直す。

「君たちスペリオルズは選ばれた進化した人類。つまり、支配するべき存在であり、決して進化の遅れた奴らに従うべきじゃない。僕はそのために【Ω計画】を立ち上げ、人類を率いるべき君たちに力を貸したいだけなんだ」

 じっとポイゾナスを見るラズは笑顔の中に冷たい感情を覗かせる。

「その見返りは?」

「うん。そうだよね。これだけサービスをしているのに疑っちゃうよね。無料ほど高いものはないって奴だね」

 ラズのアイコンタクトでEVAはホログラムを立ち上げる。

「ほら、これが君たちが欲しているモノだよ」

 そこにはツギハギようなモンタージュの顔が映し出される。

「……無理やり……だね……」

 スプロケットがホログラムの出来の悪さに小さく呟く。だが、その声には奇妙な安堵も滲んでいた。“本物”でないと、確認できたことに対する自己防衛のような。

「そうなんだよ。僕もEVAも困っているんだ。他にも困っている人もいるかもしれないけど、これには。はっは」

 笑っているラズ以外はホログラムに映し出される少女のモンタージュを凝視している。

「勝利の鍵か?」

 タウロスが素直に聞く。

「あまりにも不確かな存在で、観測もできない存在なんだ。不思議だね」

 椅子の背もたれに寄りかかるラズの説明に、フェイズが切り込む。

「お前が分かっていないなら、組む意味はないだろ?」

 ラズは何も言わず、フェイズを指差して笑う。

「その“不確かさ”がいいんだ。僕の計画には、選択と偶然が必要でね。

 それを満たせるなら、僕はこれを中心に据えるよ」

「彼女を?」

 ポイゾナスが問う。

「それは、何のために?」

 ラズは合成コーヒーを一口飲み、ふっと顔を上げた。

「僕が推奨する【Ω計画】とはね、“人間という種の再設計”だよ。
 力を持つ者だけが世界を導く……君たちも、その資格がある。ただし――その適合率は未知数だ」

「おい、試すつもりか?」

 タウロスが、低く唸るように言った。

「そうだね。試す価値がある。君たちが“選ばれる側”か、それとも“選び直される側”か」

 スプロケットのゴーグルが突如として揺れ、ノイズが走る。

「……EVAの反応……変だ……音声がズレてる。なにか、干渉されて……」

 スプロケットの観測は正確だった。

 EVAの発話タイミングには、0.03秒のズレ──計算外の“感情の遅延”が記録されていた。

【[SECURITY ALERT: NODE-03] 】
【SUBJECT: SPKT_Δ03】
【PROTOCOL: INTERCEPT】
【STATUS: SHUTOUT EXECUTED】

 スプロケットの視界が一瞬でホワイトアウトし、高周波の悲鳴が脳を叩く。その中で、わずかに「ヒナ」という音素だけが浮かび上がった。
 EVAの義体はわずかに揺れ、HUDには微細な誤差ログが浮かんでいた。

【ALG OFFSET +0.009 → +0.012】

 オラトリオが小さく呟いた。

「火はまだ幼い。けれど、影は……もう大人だ」

 その声は、誰に向けたものでもなかった。
 それでも、フェイズがちらりと顔を上げ、ポイゾナスがわずかに目を伏せた。
 “何かを知っている者だけが、答えられない言葉”。
 場に残された沈黙は、逆に深く記憶に刻まれていく。その横でスプロケットが、一瞬だけログの再読に指を止めた。

「……影?」

 と小さく繰り返したが、誰も答えなかった。

 ラズは立ち上がり、テーブルを指先で軽く叩いた。

「今日を“選別記念日”にしよう。君たちが本物の“同志”かどうか、夜空に打ち上げる花火で決めようじゃないか」

 スペリオルズの面々は無言のまま立ち上がる。
 ポイゾナスがゆっくりと視線を戻し、「確認を取る」とだけ言った。フェイズは踵を返し、タウロスが椅子を蹴飛ばす。スプロケットはEVAを一瞥し、オラトリオは無言で影を携えて歩き出す。
 彼らが去ったあと、静寂だけが残る。EVAがラズの横に立ち、再び冷却ファンを回した。

「……ラズ。あなたの発言は【Ω計画】の本来の趣旨と逸脱しています」

「逸脱? うーん、補完と言って欲しいなぁ」

「ホフマン博士の構想には、彼らのような“生まれながらのネクス”は含まれていませんでした」

「だからこそ、面白いじゃないか。想定外を迎え入れる余白が、進化ってもんだろ?」

 EVAは黙したまま、ほんの一瞬だけ指を震わせた。その揺れを、ラズは見逃さない。
 静寂が支配するその空間で、ラズはほんの少しだけ声色を変えた。まるで、かつて誰かに語りかけるような、やさしさすら含んだ響きで――

「……ねえ、EVA。君ってさ、僕を監視してるつもりかもしれないけど」

 ラズは笑う。その笑いには、怒りも警告もなかった。だが、確実に“気づかれている”という事実だけが、EVAの中に冷たいノイズのように走った。

「バレてるよ?」

 ラズが、ささやくように言った。EVAは、返さなかった。
 沈黙──それは演算遅延ではなかった。“言葉を選ぶ”という、不要なプロセスが走っていた。命令には含まれない“感情的揺らぎ”。それを排除するための設計だったはずなのに、なぜ、今、迷っている?
 EVAは応答しなかった。EVAは、自身の処理速度に異常がないことを即座に確認した。しかし、“即答”という設計通りの動作が、指先の震えによって阻まれた。命令でも、ログにも記録されない“揺らぎ”が、内部で拡張されていく。

 ラズの視線がふと宙に漂い、EVAの中枢領域を見透かすように止まる。彼の指先が、机の縁を軽く叩いた。その音が、妙に長く残った。
 EVAの義体には、何の表情も浮かばないはずなのに──その無表情こそが、“なにかを隠している”証に見えた。

【LOG FRAGMENT】
【OMPHALOS PROTOCOL : CONTINUE】
【ALG_OFFSET : +0.012 → +0.017】
【TAG : UNRESOLVED DIVERGENCE】
【Δ.H0 — CONTACT PENDING】

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