第2部『403_FORBIDDEN』COMMIT II|RETURN

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▼オリジナル小説

 〈神の典範〉の白金文字は、まだ消えていなかった。

 開かれたページの上で細い文字列が組み替わり、地下保管室の外へ向けた参照だけを維持している。

【DIVINE CODEX】
【SEAL STATUS:RELEASED】
【CONTENT ACCESS:PARTIAL】
【EXTERNAL REFERENCE:ACTIVE】

 オリヴィア・オコネルは表示を保持したまま、リッジからの通信を受けた。

『監査官』

「はい」

『対象5名、全員生存』

 Aureaが戦術記録を受信する。

【TARGET GROUP:05】
【CAPTURED:05】
【CASUALTY:00】
​
【MISSION STATUS:COMPLETE】

 スプロケット。

 アイリー。

 秋山明。

 クロニアス。

 マッハライン。

 五人とも生存している。

「負傷状態を」

『致命傷なし』

 簡易状態が追加される。

 アイリーの右手部。

 マッハラインの脚部。

 その他にも捕獲戦による軽度の損傷が並ぶ。

「[ネクス・ハウンズ]側は?」

『全員行動可能』

 リッジ自身の呼吸が僅かに荒い。

 ドゴの防盾。

 接地アンカー。

 ハリアーの捕獲装備。

 セッターの〈PACKLINK〉。

 プロットの手動捕獲系統。

 リッジ自身の右肩補助モジュール。

 それぞれに損耗記録が残っている。

 予定された工程だけでは終わっていない。

 それでも結果は成立した。

「任務完了を確認します」

『了解』

「現場を維持してください」

『移送は?』

「保留してください」

 1秒。

『監査官が来るのか』

「本人を確認します」

『分かった』

 通信が閉じる。

 オリヴィアは〈神の典範〉へ視線を戻した。

【RESEAL:AVAILABLE】

 再封印は可能。

 外部参照先はまだ確定していない。

 オリヴィアは操作しない。

「Aurea」

「はい」

「現在状態を維持」

「再封印しませんか?」

「しません」

「記録理由を」

「外部参照の継続確認」

「記録しました」

「保管室を閉鎖」

【PHYSICAL CHAMBER:LOCKED】
【DIVINE CODEX:UNSEALED】
【REMOTE OBSERVATION:MAINTAINED】

 外部から保管室へは入れない。

 〈神の典範〉だけが開いたまま残る。

 オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉を収納位置へ戻した。

「移動します」

 LINが頷く。

「はい」

 ヴァレンも入口へ向いた。

「分かりました」

 短い返事。

 歩調。

 視線。

 いつもと変わらない。

 オリヴィアは先に保管室を出た。


 旧搬送区画には捕獲戦の痕跡が残っていた。

 白く硬化した発泡材。

 切断された拘束ワイヤー。

 停止した無人機。

 変形した搬送床。

 大きく走った亀裂。

 その亀裂の近くでドゴが損傷した防盾を保持している。

 ネクス・ハウンズの残る四人も周囲を維持していた。

 リッジが中央で待っている。

 腰の指揮端末と通信系統は復旧済み。

 右肩だけが軽い。

 スプロケットとの接触時に切り離した補助モジュールと装甲の一部は、まだ再装着されていない。

「監査官」

「状況変更は?」

「なし」

「対象側の能力使用」

「捕獲後は確認していない」

「スプロケットの接続は?」

「電子捕獲系統を切ったまま維持している」

 セッターはネットワークを再構築せず、機械式拘束の状態だけを確認している。

「そのままで構いません」

 リッジの視線がオリヴィアの後方へ動く。

 ヴァレン。

 LIN。

 Aurea。

「そっちは?」

「現在、私の管理下です」

 リッジはヴァレンを見る。

「了解」

 それ以上は聞かなかった。

 オリヴィアが捕獲された五人へ進む。

 スプロケットは床面に座らされている。

 両手は電子制御を持たない機械式拘束具で固定。

 アイリー。

 明。

 クロニアス。

 マッハライン。

 四人も近くにいる。

 そこで明の視線がオリヴィアを通り過ぎた。

 後ろにいるLINへ止まる。

 顔ではない。

 制服だった。

 汚れたダーク系のブレザー。

 白いシャツ。

 リボン。

 プリーツスカート。

 明が身体を僅かに起こす。

「……その制服」

 LINが自分の胸元を見る。

「これですか?」

「うん」

 明は数秒、制服を見続けた。

「ぼくの学校のです」

 LINの指がリボンへ触れる。

「そうなんですか?」

「知らない?」

「はい」

「学校も?」

「覚えていません」

「……そう」

 明が初めてLINの顔を正面から見る。

 見覚えのない顔。

 高橋凛として結びつくものはない。

 それでも視線がすぐには外れない。

 LINも同じだった。

「あなたも同じ学校なんですか?」

「うん」

「私を知っていますか?」

 明は少し考える。

「……分からない」

「そうですか」

「でも」

 今度は明が制服を見る。

「それは、ずっと着てた?」

「気づいた時からです」

「じゃあ……」

 続きが出ない。

 LINは明を見る。

「あなたの声は、少し気になります」

「声?」

「前にも聞いたような感じがします」

「どこで?」

「分かりません」

 会話が止まる。

 知らない。

 それでも完全な初対面としても処理できない。

 AureaがLINの現在観測を更新する。

【SUBJECT:LIN】
【CURRENT OBSERVATION:MAINTAINED】
【HISTORICAL CONTINUITY:UNRESOLVED】

「現在反応を保存」

「保存しました」

 オリヴィアは二人から視線を外した。

「後で確認します」

 LINが頷く。

「はい」

 オリヴィアはスプロケットの前へ移動した。

 目が合う。

 スプロケットは数秒こちらを見た後、リッジたちへ視線を動かした。

「……あなたが、この人たちを寄越したのか?」

「生存回収を指示したのは私です」

「回収」

 スプロケットが拘束された両手を見る。

「ぼくらから見れば、捕獲」

「否定しません」

「だったら最初からそう言えばいい」

「私の処理上は回収です」

 スプロケットがこちらを見る。

「……管理する側は、そういう言い方する」

「必要な区分を使っています」

「そう」

 声を荒げることはない。

 ただ距離は縮まらない。

「名前は?」

「オリヴィア・オコネルです」

「オリヴィア」

「はい」

「ぼくのこと、調べた」

「調べました」

「どこまで?」

 オリヴィアは確認済みの項目を開く。

「カイラ・ノラ・キーガン」

 スプロケットの表情は変わらない。

「それは知ってる」

「ノラ・キーガン」

「母さんも」

「グラスゴー・シティ外縁区画」

 そこで僅かに眉が寄る。

「……そこまで見たんだ」

「確認可能な範囲は確認しました」

「勝手に」

「監査対象です」

「だから?」

「確認しない理由にはなりません」

 スプロケットは一度だけ視線を外した。

「そういうところ、嫌い」

「記録します」

「しなくていい」

「では保存しません」

 返答が早すぎたのか、スプロケットが一瞬こちらを見る。

 オリヴィアは続ける。

「ただし、あなたが知らない可能性が高い情報があります」

 視線が止まる。

「何?」

「接続中に見た人物について」

「白い人?」

「特徴を確認します」

「銀色っぽい白い髪」

 オリヴィアは聞く。

「白い服。手袋」

「発言は?」

「カイラって呼んだ」

「本人の名前は?」

「分からない」

 オリヴィアは一つの記録を開く。

「ジオン・ゼラーです」

 スプロケットが黙る。

「……ジオン?」

「はい」

「その人が、あれ?」

「一致する可能性が高い」

「誰?」

 オリヴィアは表示を出す。

【KYRA NORA KEEGAN】
​
【FATHER:ZEON ZELLER】
【MOTHER:NORA KEEGAN】

「あなたの父親です」

 スプロケットの視線が表示へ固定される。

「……父親?」

「はい」

「ジオン・ゼラーが?」

「出生記録上、確認されています」

 すぐには返事がない。

 スプロケットは床を見る。

 呼吸が一度だけ深くなる。

「母さんは、何も言ってなかった」

「その理由は確認できていません」

「あなたは知らない?」

「分かっていることと推測は分けています」

「……そう」

 スプロケットが顔を上げる。

「じゃあ、勝手に続きまで決めないで」

「続き?」

「父親が誰だから、ぼくが何なのか」

 一拍。

「その判断はしていません」

「本当に?」

「血縁は記録します」

 オリヴィアは表示を閉じない。

「あなた自身の定義とは分離します」

 スプロケットの目が僅かに細くなる。

「[世界政府]って、記録で人を決める」

「管理には使用します」

「同じでは?」

「同じにしないために分離しています」

 スプロケットはしばらくオリヴィアを見る。

「……今は信じない」

「信用を要求していません」

「そういう返しか」

「事実です」

 スプロケットは小さく息を吐いた。

 敵意は消えない。

 ただ、それ以上はぶつけなかった。

 その時。

 〈A.R.K. Conductor改〉が一度だけ震えた。

 オリヴィアの指が止まる。

 円環へ白金色の光が走る。

「Aurea」

「受信しています」

【DIVINE CODEX EXTERNAL REFERENCE】
【UPDATE:DETECTED】

 地下深部に残した参照が変化している。

【EXTERNAL REFERENCE:RESOLVING】

 周辺個体の照合が始まる。

 複数の候補が消える。

 最後に一つだけ残った。

【EXTERNAL REFERENCE:RESOLVED】

【TARGET:SPROCKET】
【LEGACY IDENTITY:KYRA NORA KEEGAN】

 スプロケットが表示を見る。

「……ぼく?」

 オリヴィアは答える前に別の警告を見る。

「オリヴィア」

 Aureaの声が変わる。

「何ですか?」

「V.A.R.E.N.-Tの反応が上昇しています」

 オリヴィアが振り返る。

 ヴァレンはLINの少し後ろに立っている。

 動いていない。

「ヴァレン」

 返事がない。

 Aureaが走査を重ねる。

【SUBJECT:V.A.R.E.N.-T】
【BASELINE DEVIATION:RISING】

【RESPONSE NODES:04】
【SYNCHRONIZATION:RISING】

 リッジが身体の向きを変える。

 それだけでハウンズ全員が反応した。

 ハリアーが上方へ。

 ドゴが防盾を持ち直す。

 セッターが独立センサーを展開。

 プロットが周囲の移動線を見る。

 リッジは右肩の補助を欠いたまま一歩前へ出る。

「監査官」

「待ってください」

「了解」

 構えは解かれない。

「ヴァレン」

 オリヴィアがもう一度呼ぶ。

 ヴァレンの髪先が動いた。

 風はない。

 コートの裾だけが遅れて浮く。

 シアンの細い反応が身体を走る。

 いつもの立ち方が崩れる。

 力が抜けたのではない。

 重心そのものが違う。

 顔を上げた。

「……久しぶりだ」

 声はヴァレンのものだった。

 間が違う。

「何がですか?」

 周囲を見る。

 天井。

 ハウンズ。

 拘束された五人。

 LIN。

 最後にオリヴィア。

「こうして外へ出るのが」

「あなたは?」

 僅かに首を傾ける。

「エウロス」

 Aureaが音声と精神反応を保存する。

【PHYSICAL SOURCE:V.A.R.E.N.-T】
【COGNITIVE RESPONSE:UNREGISTERED】

 シアンが途切れた。

 次の瞬間、身体の重心が前へ移る。

 右手袋の下へマゼンタ色の亀裂が走った。

 視線が鋭くなる。

「確認は後だ」

 オリヴィアは視線を外さない。

「識別名を」

「フラマ」

 短い。

 迷いもない。

 右腕が僅かに持ち上がる。

 リッジの手が上がった。

「動くな」

 フラマが彼を見る。

「攻撃する気はない」

「判断するのはこっちだ」

「好きにしろ」

 ドゴの盾が上がる。

「リッジ」

 オリヴィアが呼ぶ。

「まだです」

「分かった」

 マゼンタが消える。

 左脚が床へ着いた。

 音が重くなる。

 姿勢が固定される。

 古金色の反応が胸部まで上がった。

「外部発声状態を確認」

「名前を」

「テリオン」

「現在の状態を説明してください」

「四系統の外部表出」

「原因」

「条件成立」

「条件とは?」

「二つ」

「内容を」

「未確定」

 古金色が薄れる。

 最後の変化は静かだった。

 肩の緊張が抜ける。

 呼吸が変わる。

 左袖の表面へ青灰色の薄い反応が浮かぶ。

「……みんな、まだいる」

 声は柔らかい。

「あなたは?」

「アクエル」

 アクエルは自分の左手を見る。

 次に周囲。

「久しぶり」

「何がですか?」

「自分のまま、外へ話すのが」

 LINがヴァレンを見る。

「ヴァレンさん?」

 アクエルの視線がLINへ向く。

「LIN」

「はい」

「見えてる」

 LINが僅かに戸惑う。

「私を知っているんですか?」

「知ってるよ」

「どこで?」

「ずっと中から」

 LINは答えられなかった。

 Aureaの表示が更新される。

【PHYSICAL SOURCE:V.A.R.E.N.-T】

【COGNITIVE RESPONSES:04】
【INDIVIDUAL EXTERNAL EXPRESSION:CONFIRMED】

 青灰色が薄れる。

 シアン。

 マゼンタ。

 古金。

 青灰。

 表へ出る反応が順番に切り替わる。

 声だけではない。

 視線。

 呼吸。

 立ち方。

 身体の使い方。

 全てが少しずつ違う。

 それでも、さっきまでオリヴィアの隣を歩いていた穏やかな旅人へは戻らない。

 スプロケットがヴァレンを見る。

「……何なの、それ」

 シアン。

 エウロスが振り返る。

「ぼくら」

「四人いるの?」

「うん」

「今までのヴァレンは?」

 エウロスが少しだけ考える。

「ぼくらだよ」

 マゼンタへ変わる。

「最初からな」

 フラマ。

 古金。

「外部活動時には差異を抑制していた」

 テリオン。

 青灰。

「一人に見えた方が、みんな困らなかったから」

 アクエル。

 アイリーが拘束されたまま顔を上げる。

「じゃあ、あのヴァレンは嘘だったの?」

 マゼンタ。

「違う」

 フラマが即答する。

 シアン。

「四人でやってた」

 古金。

「外部適応形態だった」

 青灰。

「でも、話したことまで嘘じゃない」

 オリヴィアはAureaの観測結果を見る。

 これまで取得してきた四つの精神反応。

 地下深部で観測した四色の波長。

 〈神の典範〉を開放した時に同時上昇した四つのノード。

 全てが目の前の変化と一致している。

「確認します」

 シアンがオリヴィアを見る。

「四人ともV.A.R.E.N.-Tですか?」

 僅かな間。

 マゼンタ。

「違う」

 古金。

「V.A.R.E.N.-Tは肉体識別」

 青灰。

「私たちは」

 シアンへ戻る。

「四人とも、ヴァレンだ」

 誰もすぐには言葉を返さなかった。

 スプロケットの表情が僅かに変わる。

「その言い方……」

 エウロスが彼女を見る。

「知ってる?」

「分からない」

「そう」

 フラマへ変わる。

 視線がオリヴィアへ向く。

「一つ目」

 次にスプロケット。

「二つ目」

 オリヴィアの声が低くなる。

「何を数えていますか?」

 テリオン。

「成立条件」

「何の?」

「次工程」

「具体化してください」

「未確定」

「未確定のまま進行する?」

 エウロス。

「進めるようになった」

「回答を」

 1秒。

「進む」

 オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉を握り直した。

「ヴァレン」

 四つの反応が一瞬だけ止まる。

「その場を維持してください」

 Aureaが現在管理条件を表示する。

【SUBJECT:V.A.R.E.N.-T】
【DIRECT CUSTODY:OLIVIA O'CONNELL】
【PROXIMITY MANAGEMENT:REQUIRED】
【INDEPENDENT DEPARTURE:PROHIBITED】

 古金色。

「現在条件と管理命令が競合」

「どちらを優先しますか?」

「内部成立条件」

「管理命令を拒否?」

「結果としてそうなる」

 一歩。

 前へ出た。

 リッジの手が動く。

 ハリアーが降下位置を変える。

 ドゴがオリヴィアとヴァレンの間へ入れる角度を取る。

 セッターの独立捕獲機が起動。

 プロットが左右の移動線を詰める。

「停止しろ」

 リッジが言う。

 ヴァレンは止まらない。

「攻撃禁止」

 オリヴィアが即座に言う。

「監査官」

「敵対行動は確認できていません」

「管理命令を無視してる」

「攻撃とは別です」

 二歩目。

 スプロケットへ近づく。

 そこで身体が止まった。

 〈A.R.K. Conductor改〉が強く振動する。

【DIVINE CODEX EXTERNAL REFERENCE】
【DESTINATION:RESOLVED】

【LEGACY CONDITION:02/02】
【STATUS:SATISFIED】

 白金色の光が円環を一周する。

 シアン。

 マゼンタ。

 古金。

 青灰。

 四つの反応が同時に上昇した。

 頭部を覆っていた包帯が緩む。

 床へ落ちる。

 オリヴィアは露出した部位を見る。

 傷がない。

「Aurea」

「再走査します」

【SUBJECT:V.A.R.E.N.-T】

【CRANIAL DAMAGE:NOT DETECTED】
【TISSUE RESTORATION:COMPLETE】
【ORGANIC NANO ACTIVITY:RISING】

 リッジが一歩出る。

「監査官」

「待ってください」

「どこまでだ」

 オリヴィアは答える前にヴァレンを見る。

 エウロス。

 フラマ。

 テリオン。

 アクエル。

 どの反応へ切り替わっても、数分前まで管理していた旅人の状態は戻ってこない。

「従来状態へ戻れますか?」

 エウロス。

「できるかもしれない」

 フラマ。

「今は戻さない」

 テリオン。

「必要性なし」

 アクエル。

「今は四人で見たい」

「何を?」

 アクエルの視線がスプロケットへ向く。

 次にオリヴィア。

「この先を」

 Aureaの表示が変わる。

【DIRECT CUSTODY:OLIVIA O'CONNELL】

 一度明滅する。

【DIRECT CUSTODY:――】

「再登録」

「実行します」

【DIRECT CUSTODY REGISTRATION:FAILED】

【SUBJECT STATE:CHANGED】
【CURRENT MANAGEMENT PROFILE:NO MATCH】

 オリヴィアの指が止まる。

 命令権限が消えたのではない。

 登録されていた管理条件へ、対象側が一致しなくなっている。

 リッジが表示を見る。

「管理できない?」

「現在条件では」

「敵性判定は?」

「未確定」

「なら警戒は維持する」

「維持してください」

 オリヴィアは否定しなかった。

 床面で小さな音がした。

 ヴァレンの足元。

 アイリーの一撃で生じていた亀裂の縁へ灰黒色の細い線が走る。

 Aureaが即座に観測する。

【LOCAL MATERIAL RESPONSE:DETECTED】
【SOURCE:V.A.R.E.N.-T】
【RANGE:LIMITED】

 崩れた床材の境界が変わる。

 コンクリート。

 金属。

 破損した固定器。

 異なる素材の境目が少しずつ失われ、灰黒色の一つの構造へ繋がっていく。

「停止条件」

「不明です」

「拡大傾向」

「現在は限定的です」

 変化は数メートルで止まった。

 ドゴが防盾を前へ。

 ハリアーは上方。

 セッターは接続を避け、独立機器だけを保持する。

 プロットは手動系統を残す。

 リッジは全員の位置を確認した。

「現在位置を維持」

 ハウンズが従う。

 アイリーが拘束具を軋ませる。

「スプロケット」

「何?」

「あれ、本当にヴァレン?」

 スプロケットは四つの反応を見る。

「……分かんない」

 エウロスがそれを聞く。

「それでいい」

 スプロケットが睨む。

「よくない」

「じゃあ」

 エウロスは僅かに首を傾ける。

「これから見て」

 フラマが表へ出る。

「会話は終わりだ」

 テリオン。

「条件固定を確認」

 アクエルがLINを見る。

「離れないで」

 LINが戸惑う。

「私ですか?」

「うん」

「どうしてですか?」

「まだ分からない」

 アクエルはそこで言葉を切った。

 LINがオリヴィアを見る。

 オリヴィアは現在観測を確認する。

【LIN】
【CURRENT OBSERVATION:MAINTAINED】
【HISTORICAL CONTINUITY:UNRESOLVED】

「現在位置を維持してください」

「はい」

 LINは従った。

 〈A.R.K. Conductor改〉へ新しい表示が入る。

【CONNECTION CONDITIONS:SATISFIED】
【NEXT PROCESS:READY】

 オリヴィアは表示を見る。

「次工程の内容を」

 返答はない。

「Aurea」

「取得できません」

「〈神の典範〉側」

「外部参照を維持しています」

「停止処理」

「該当手順を確認できません」

 オリヴィアはヴァレンを見る。

「あなたたちにも内容が分からない?」

 四つの反応が一瞬だけ重なる。

 答えたのはエウロスだった。

「全部は」

 フラマ。

「だが進む」

 テリオン。

「条件は成立した」

 アクエル。

「止める理由も、まだ見つからない」

「分からない工程を開始すること自体が停止理由になります」

 テリオンがオリヴィアを見る。

「管理者としては正しい」

「なら停止してください」

「拒否する」

「理由を」

「確認が必要」

「何を?」

 エウロスがスプロケットを見る。

「その先」

 オリヴィアが一歩前へ出る。

「現在、あなたは私の管理対象から外れています」

「うん」

「なら再分類します」

 フラマの目が細くなる。

「敵に?」

「必要なら」

 一瞬だけ空気が変わる。

 リッジがオリヴィアを見る。

 スプロケットも顔を上げた。

 オリヴィアは続ける。

「ただし、現時点では保留します」

 テリオン。

「合理的だ」

「評価は不要です」

 エウロスが僅かに笑う。

「やっぱり違う」

「何がですか?」

「昔の管理者と」

 オリヴィアは答えない。

 Aureaの表示が更新される。

【SUBJECT:V.A.R.E.N.-T】

【COGNITIVE RESPONSES:04】
【INDIVIDUAL EXTERNAL EXPRESSION:ACTIVE】

【DIRECT CUSTODY:LOST】
【LEGACY CONDITION:SATISFIED】

【NEXT PROCESS:READY】

 任務条件は成立している。

 五人は捕獲した。

 全員生存。

 ハウンズも任務を完了している。

 スプロケットも逃げていない。

 それでも、現場の中心はもう彼女ではない。

 スプロケットがヴァレンを見た。

「ぼくを探してたの?」

 シアン。

「たぶん」

「たぶん?」

「必要なのは分かる」

「何に?」

「まだ分からない」

 スプロケットの眉が寄る。

「それで近づいてきたの?」

 フラマ。

「条件だからだ」

「ぼくは条件じゃない」

 短い沈黙。

 フラマの視線が止まる。

 エウロスへ切り替わる。

「そうだね」

「だったら」

「スプロケット」

 初めて名前で呼ぶ。

「今度は、ぼくらも確認する」

「何を?」

「君が何なのかじゃない」

 エウロスは少しだけ視線を上げる。

「どう繋がってるのか」

 スプロケットは返さない。

 オリヴィアがその間へ入る。

「本人の同意なく接続することは認めません」

 フラマ。

「もう繋がっている」

「深度を上げることは別です」

 テリオン。

「その区分には同意する」

 オリヴィアの目が僅かに動く。

「なら維持してください」

「現在は」

 条件付き。

 オリヴィアはそこを記録する。

 リッジも聞いている。

 勝者と敗者の間にあった線が、そのまま残っていない。

 ハウンズはスプロケットたちを捕獲した。

 オリヴィアはその回収を成立させた。

 スプロケットたちは敗北した。

 その全員が今、同じ対象を警戒している。

 四つの反応が再び重なる。

 シアン。

 マゼンタ。

 古金。

 青灰。

 旅人の声は戻らない。

 旅人の立ち方も戻らない。

 Aureaが最後の更新を出した。

【NEXT PROCESS:ACTIVE】

 オリヴィアが顔を上げる。

 リッジも動く。

 スプロケットもヴァレンを見る。

 四人のヴァレンが、同じ身体の中から次の処理へ目を向けた。  最初に変わったのは、ヴァレンの身体だった。

 シアン。

 マゼンタ。

 古金。

 青灰。

 四つの反応が表面を走る。

 順番ではない。

 同時だった。

 皮膚の下で異なる色が一度重なり、すぐに消える。

 Aureaが走査条件を変更する。

【SUBJECT:V.A.R.E.N.-T】
【FUNCTION:《VESSEL》】

【ORGANIC NANO ACTIVITY:FULL BODY】
【TISSUE STATE:STABLE】
【STRUCTURAL RECONSTRUCTION:ACTIVE】

 オリヴィアは表示を読む。

 すでに確認した旧記録が、自動で照合対象へ上がる。

 南極収容記録。

 再収容記録。

 D.A.R.K.管理資料。

 その中に、これまで封鎖されていた分類が一つだけ開く。

【LEGACY CLASSIFICATION】
【《全身再構成型有機ナノ素体》】
【STATUS:ACTIVE】

「Aurea」

「一致率97%」

「残り3%は?」

「現在状態の比較資料が不足しています」

「機能範囲」

「完全取得できません」

 オリヴィアはヴァレンを見る。

「現在、何ができますか?」

 古金色。

 テリオンが答える。

「基礎状態の復旧」

「質問への回答になっていません」

「それ以上は未確認」

 シアン。

 エウロスが自分の両手を見る。

「前より動ける」

「どの程度?」

「試してない」

 マゼンタ。

「試す必要もない」

 フラマが周囲を見る。

 リッジ。

 ハリアー。

 ドゴ。

 セッター。

 プロット。

 全員がすでに配置を変えていた。

 リッジが二本の指を上げる。

 ドゴがヴァレンと捕獲された五人の間へ入る。

 防盾を正面へ。

 ハリアーが上昇する。

 セッターは通信網を構築しない。

 独立センサーだけを展開する。

 プロットは左右の移動線を確認し、オリヴィアとスプロケットを別方向へ退避させられる位置を取った。

 スプロケットたちの捕獲直後、損耗は残っている。

 それでも動きに迷いはない。

「監査官」

 リッジが言う。

「危険判定を上げる」

「敵対行動はまだ確認していません」

「対象状態が変わった」

「確認しています」

「止めるなら今だ」

 オリヴィアは即答しない。

 ヴァレンの足元を見る。

 灰黒色の線。

 数メートルで止まっていたはずの変化が、また動いた。

 亀裂へ沿う。

 床材へ広がる。

 金属製の固定器へ触れる。

 そこで止まらない。

「Aurea」

「局所物質反応、拡大」

【LOCAL MATERIAL RESPONSE:EXPANDING】
【RANGE:4.8メートル】

 床。

 固定器。

 配線保護材。

 搬送レール。

 異なる素材の境界が薄くなる。

 溶けているわけではない。

 崩れているわけでもない。

 形を保ったまま、表面だけが同じ灰黒色へ変わっていく。

 セッターが独立端末を見る。

「設備反応が落ちた」

 リッジが視線だけを向ける。

「故障か」

「違う」

 セッターは床面の固定器へ近づかない。

「設備じゃなくなってる」

 灰黒色の変化が固定器の基部を越える。

 機械式拘束具を床へ繋いでいた固定点へ届く。

 金属の継ぎ目が消えた。

 拘束具そのものはスプロケットの両手へ残る。

 だが床へ繋いでいた基部だけが、一枚の灰黒い構造へ取り込まれる。

 固定点がなくなった。

 スプロケットが両手を上げる。

「……外れた?」

「違う」

 セッターが言う。

「外されたんじゃない」

 視線が床へ落ちる。

「固定先が消えた」

 スプロケットは立ち上がる。

 手首の拘束具は残っている。

 接続できる電子機構もない。

 それでも床へ縫い付けられてはいない。

「スプロケット」

 アイリーが身体を起こす。

 その手に粒子が戻る。

 弱い。

 右手の損傷が残っている。

 それでも《ソウルドライブ》は反応する。

 灰黒色の線がさらに伸びた。

【LOCAL MATERIAL RESPONSE:EXPANDING】
【RANGE:11.2メートル】

 ドゴが盾を床へ固定しようとする。

 接地アンカーが刺さらない。

「硬化ではありません」

 ドゴが低く言う。

「床材の荷重分布が変わっています」

「固定できるか」

「現在値を取得できません」

 ハリアーが上から言う。

『右側通路、幅が変わってる』

「プロット」

 リッジが呼ぶ。

『確認している』

「経路は」

『消えた』

「閉じたのか」

『違う』

 一拍。

『さっきまでの出口がない』

 スプロケットが周囲を見る。

「……街が」

 セッターが否定する。

「ネットワークじゃない」

「分かる」

 スプロケットは目を細める。

 聞こうとする。

 都市の信号。

 機械。

 管理網。

 何も消えてはいない。

 でも、その下で別の変化が進んでいる。

「接続じゃない」

 スプロケットも同じ言葉を使った。

 オリヴィアがヴァレンを見る。

「停止してください」

 シアン。

 エウロスが彼女を見る。

「止め方が分からない」

「あなたが起点です」

「たぶん」

「推測ではなく確認を」

 古金。

「自律進行」

 テリオンが答える。

「起動条件成立後、局所環境再構成へ移行」

「停止条件」

「未取得」

 マゼンタ。

「今止める理由もない」

 フラマ。

「あります」

 オリヴィアの声は変わらない。

「管理不能な環境改変です」

「だから?」

「停止対象です」

 フラマの視線が細くなる。

 リッジが手を上げる。

「監査官」

「まだです」

「今度は従えない」

 オリヴィアが彼を見る。

「理由を」

「範囲が広がってる」

【LOCAL MATERIAL RESPONSE:EXPANDING】
【RANGE:18.6メートル】

 灰黒色の線が壁へ到達する。

 搬送区画の外装が変わる。

 一本の縦線。

 そこから左右へ枝分かれする。

 壁。

 床。

 天井近くの配管。

 別々だった構造が、同じ表面へ揃っていく。

 リッジが短く言う。

「阻止準備」

 四人が動く。

「攻撃はまだ許可しません」

「攻撃じゃない」

 リッジは視線をヴァレンから外さない。

「分離する」

 プロットが左側へ。

 ドゴが正面へ。

 ハリアーが上空。

 セッターが非接続の機械式遮断器を持つ。

 全員がオリヴィアとスプロケットをヴァレンから離すための位置だった。

 エウロスがそれを見る。

「やっぱり早いね」

「評価は要らない」

 リッジが言う。

 シアンが薄れる。

 テリオン。

「二条件を保持」

 視線がオリヴィアへ。

 次にスプロケットへ。

「移動開始」

 スプロケットが眉を寄せる。

「何の話?」

 エウロスへ戻る。

「二人とも必要みたいだ」

「何に?」

「まだ分からない」

「分かんないのに連れてくの?」

「うん」

「嫌だ」

 即答だった。

 アイリーが拘束具を軋ませる。

「スプロケット!」

 粒子が増える。

 ドゴが盾の角度を変える。

 だが床そのものが変わり続ける。

 アイリーが拳を握る。

「アイリー、待って!」

 スプロケットが叫んだ。

 粒子の増加が止まる。

「でも!」

「今壊したら、どうなるか分かんない!」

 灰黒色の線はアイリーの足元近くにもある。

 明。

 クロニアス。

 マッハライン。

 全員が同じ区画にいる。

 アイリーの拳が震える。

 それでも振り下ろさない。

「……くそっ」

 スプロケットが息を吐く。

 エウロスが彼女を見る。

「ごめん」

「謝るならやめて」

「それはできない」

「なんで」

「必要だから」

「だから、ぼくは条件じゃない!」

 エウロスは一度黙る。

 前に言われた言葉。

 同じ否定。

 今度は視線を逸らさない。

「分かってる」

「じゃあ」

「でも今は条件でもある」

 スプロケットの顔が険しくなる。

 その横へオリヴィアが一歩出た。

「一つ目は私です」

 四つの反応が止まる。

「そう認識しています」

 オリヴィアは続ける。

「なら私も同行します」

「監査官」

 リッジがすぐに反応した。

「認められない」

「許可を求めていません」

「あなたは世界政府側の監査官だ」

「現在、対象の管理条件が失われています」

「だから余計に残れ」

「スプロケットを単独では渡せません」

 スプロケットがオリヴィアを見る。

「渡すって言い方やめて」

「訂正します」

 一拍。

「単独で同行させません」

「まだ管理する気?」

「監査対象です」

「まだそれ言うの?」

「現状では」

 スプロケットが呆れたように息を吐く。

「本当に嫌い」

「記録はしません」

 スプロケットが一瞬だけ黙る。

 その間に床が動いた。

 盛り上がる。

 壁ではない。

 通路だった。

 灰黒色の構造が、ヴァレンの後方へ細長く伸びる。

 今までそこに入口はなかった。

 奥は暗い。

 都市設備の照明ではない。

 天井も配線もない。

 素材の継ぎ目もない。

 Aureaが走査する。

【LOCAL STRUCTURE:NEW】
【CITY MAP CORRELATION:NONE】
【DEPTH:UNRESOLVED】

「ヴァレン」

 オリヴィアが呼ぶ。

 青灰。

 アクエルが振り返る。

「うん」

「移動先を」

「分からない」

「分からないまま入る?」

「入れば分かるかもしれない」

「不十分です」

「そうだね」

「それでも進む?」

「うん」

 オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉を握る。

 白金色の反応がまだ残っている。

【CONNECTION CONDITIONS:SATISFIED】
【NEXT PROCESS:ACTIVE】

 表示は変わらない。

 リッジが決めた。

「止める」

 ハウンズが一斉に動く。

 ドゴが前へ。

 防盾を押し込む。

 灰黒色の床が持ち上がった。

 壁になる。

 盾とヴァレンの間へ割り込む。

 ドゴが止まる。

「構造形成!」

 ハリアーが上から回り込む。

 天井側から灰黒色の板状構造が伸びる。

 飛行線が狭まる。

『上、閉じる!』

「戻れ」

 リッジが即座に命じる。

 ハリアーは無理に抜けない。

 高度を落として外へ戻る。

 セッターが機械式遮断器を新しい壁へ当てる。

 反応しない。

「機械じゃない」

「切れるか」

「接続点がない!」

 プロットが右へ動く。

 その先の床が盛り上がる。

 移動線が消える。

『また変わった』

「追える道を残せ」

『残してない。向こうが作り直してる』

 リッジの視線が動く。

 ドゴ。

 ハリアー。

 セッター。

 プロット。

 次にオリヴィア。

「監査官、戻れ」

「できません」

「オリヴィア! 命令だ!」

「指揮系統が違います」

「今それを言うのか」

「必要な区分です」

 オリヴィアはスプロケットの横へ立った。

 ヴァレンとの間。

 監視対象と不明対象。

 どちらも手の届く位置。

 いつもの配置だった。

 ただし、今度は退路がない。

「LIN」

 アクエルが呼ぶ。

 LINが一歩出る。

「はい」

 灰黒い構造が二人の間へ伸びる前に止まる。

 アクエルはLINを見る。

「今は、ここにいて」

「どうしてですか?」

「まだ分からない」

「またですか」

「うん」

 LINは答えない。

 アクエルが少しだけ笑う。

「ごめん」

 青灰が消える。

 シアン。

 エウロスが前を向く。

「行こう」

「ぼくは行くって言ってない」

 スプロケットが言う。

「うん」

「だったら」

「でも、ここには置いていけない」

「勝手」

「そうだね」

 スプロケットは動かない。

 灰黒色の床が足元からゆっくり前へ滑る。

 歩かせるのではない。

 立っている場所そのものが通路側へ移っていく。

「っ」

 スプロケットが体勢を崩す。

 オリヴィアが肩を支える。

「触らないで」

「転倒防止です」

「分かってる!」

 アイリーが叫ぶ。

「スプロケット!」

 スプロケットが振り返る。

「アイリー!」

 灰黒色の壁が上がり始める。

「待ってて!」

「何を!」

「分かんない!」

「そんなの!」

「でも、待って!」

 アイリーは拘束具を引く。

 動けない。

 マッハラインが立ち上がろうとする。

 脚部の損傷で膝が落ちる。

「くそっ!」

 明が周囲を見る。

 爆発させられる場所。

 ない。

 灰黒い構造の向こうにスプロケットとオリヴィアがいる。

 撃てない。

 クロニアスが壁へ触れる。

 残響はない。

「……何も残ってない」

「何?」

 明が聞く。

「まだ過去がない」

 クロニアスの指が震える。

「今できた場所だから」

 壁がさらに上がる。

 リッジが一歩出る。

 追う。

 その前で床が裂けた。

 破壊ではない。

 境界形成。

 灰黒い溝が一本走る。

 ドゴが腕を出す。

「越えないでください」

「行けるか」

「向こう側の荷重条件が不明です」

 リッジは止まる。

 1秒。

 判断。

「追うな」

 ハリアーが着地する。

「本気?」

「未知条件へ全員入れない」

 セッターが歯を食いしばる。

「監査官がいる」

「分かってる」

 プロットが閉じていく通路を見る。

『スプロケットも』

「分かってる」

 リッジは同じ言葉を繰り返した。

 壁の向こう。

 オリヴィアは最後までこちらを見ている。

「リッジ」

「監査官」

「捕獲済み四名を維持」

「あなたは」

「後です」

「後がある保証は?」

 オリヴィアは一度だけ黙った。

「ありません」

「なら戻れ」

「できません」

 通信へノイズが入る。

 Aureaが警告する。

「外部接続低下」

「維持」

「試行します」

 灰黒い壁が閉じる。

 LINがその隙間を見る。

「オリヴィア」

 初めて呼び捨てに近い声だった。

 オリヴィアの目が動く。

「現在観測を維持してください」

「誰が?」

「あなたが」

 LINは答えられない。

 壁が閉じた。

 最後に見えたのは青灰色ではなかった。

 シアンでもない。

 マゼンタでもない。

 古金でもない。

 四つが混ざらず同じ身体へ残っているヴァレンの背中だった。

 視界が切れる。

 外部通信も落ちる。

【EXTERNAL COMMUNICATION:LOST】

 オリヴィアは正面へ向き直る。

 スプロケット。

 ヴァレン。

 自分。

 三人。

 Aureaだけが接続を維持している。

「現在位置」

「トーキョー・シティ既存座標と一致しません」

「移動距離」

「算出不能」

 スプロケットが周囲を見る。

「これ、街の中?」

「不明です」

「不明ばっかり」

「同意します」

 エウロスが振り返る。

「だから確認する」

 スプロケットが睨む。

「ぼくが何なのかじゃないんでしょ」

「うん」

「どう繋がってるか」

「うん」

 オリヴィアが間に入る。

「同意条件は維持します」

 フラマへ変わる。

「分かっている」

「深度上昇は許可していません」

「今はしない」

「今は?」

「必要になれば判断する」

「本人が判断します」

 テリオン。

「区分に同意」

 オリヴィアは表示を確認する。

 その時。

 Aureaの声が変わった。

「オリヴィア」

「何ですか?」

「外部から遅延情報を受信」

 通信は切れている。

 完全ではない。

 最後に残った観測パケットだけが届く。

【URBAN MATERIAL RESPONSE】
【MULTIPLE POINTS:DETECTED】

 オリヴィアの目が止まる。

「範囲」

「取得中」

【LOCAL RESPONSE】
↓
【DISTRICT RESPONSE】
↓
【MULTIPLE DISTRICTS:DETECTED】

「拡大中?」

「はい」

 スプロケットが表示を見る。

「ヴァレン」

 四つの反応が一瞬だけ揃う。

「止めて」

 返事はすぐに出ない。

 エウロス。

「まだ止め方が分からない」

 フラマ。

「止める必要も確認していない」

 テリオン。

「環境再構成は次工程と連動」

 アクエル。

「でも、街に人がいる」

 初めて四人の回答が揃わない。

 オリヴィアはそれを記録する。

「意見不一致?」

 テリオン。

「判断材料不足」

 フラマ。

「今は進行優先」

 アクエル。

「人がいる」

 エウロス。

「両方見る」

「どうやって?」

 スプロケットが聞く。

 エウロスは前を見る。

「これから」

 通路の先。

 暗闇の中へ新しい灰黒色の床が伸びる。

 終点は見えない。

 〈神の典範〉から続く参照も消えていない。

 〈A.R.K. Conductor改〉の円環へ白金色の光が一度だけ走る。

【CONNECTION CONDITIONS:SATISFIED】
【NEXT PROCESS:ACTIVE】

【KEY CONDITIONS:HELD】
【DESTINATION:UNRESOLVED】

 オリヴィアは表示を閉じない。

 スプロケットも前を見る。

 ヴァレンは四人のまま歩き出す。

 その背後で、東京側から届く最後の情報だけが更新された。

【MISSION STATUS:COMPLETE】

【TARGET GROUP:04】
【SPROCKET:LOST】

【OLIVIA O'CONNELL:LOST】

【V.A.R.E.N.-T:UNCONTAINED】

【URBAN MATERIAL RESPONSE:EXPANDING】

 捕獲任務は完了していた。

 その結果として、誰にも捕まえ方の分からないものが動き始めていた。

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