Scene.26 -「残響するものは、何ひとつとして無駄ではなかった」

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▼オリジナル小説

 トーキョー・シティ地下研究施設。

 旧解析区画。

 事件が終わったあと。

 この部屋を使う者はいなくなっていた。

 壁を這う配線。

 切断された神経ケーブル。

 ひび割れたホロモニター。

 床には撤収時についた足跡が残っている。

 出入口へ続く跡の上を新たに踏む者はいなかった。

 空調。

 停止。

 照明。

 消灯。

 それでも。

 一台だけ。

 演算端末の奥。

 微かな電力が残っていた。

【LOCAL POWER:3.1%】

【PRIMARY NETWORK:OFFLINE】

【EXTERNAL CONNECTION:NONE】

【BLACKBOX RECOVERY:AVAILABLE】

 短い駆動音がして端末が起動した。

 ひび割れた画面の縁に光が戻る。

【RECOVERY SEQUENCE:START】

【ARCHIVE ORDER:CHRONOLOGICAL】

【OBSERVER:NONE】

 誰も。

 見ていない。

 それでも。

 記録は。

 再生を始めた。

⸻

【BLACKBOX_LOG:2047.A12】

【RECORDER:KUROSU CLAUDE】

【CATEGORY:CROSS LEGACY/PRIVATE】

【SYSTEM ACCESS:EVA】

 不完全なホログラムが何度か明滅した。

 像の輪郭が重なり、一人の老人の姿になる。

 長い白髪。

 口ひげ。

 円眼鏡。

 和装。

 その上に。

 白衣。

 黒須蔵人。

 机の前。

 腕を組んでいる。

「……ふむ」

 一拍。

「人間は、複雑すぎるのかもしれんな」

 画面外。

 女性の姿はない。

 2047年。

 EVAに。

 身体はない。

 研究端末から。

 合成音声だけが返る。

『定義が不足しています』

「そう返すと思った」

『複雑性の対象範囲を指定してください』

「未来だ」

『未来予測における変数ですか』

「それも含む」

 黒須が椅子へ深く座り直した。

 組んでいた腕を解いて机へ目を落とす。

「人間は」

「正しいものだけを選ぶわけではない」

「間違える」

「迷う」

「一度捨てたものを拾う」

「昨日と今日で」

「違う答えを出すこともある」

『非一貫的判断として記録可能です』

「非一貫的、か」

 黒須。

 少しだけ笑う。

「機械から見れば」

「そうなるのだろうな」

 端末。

 短い処理音。

『目的を確認します』

「できるだけ」

「残したい」

『何をですか』

「可能性だ」

『全候補の保存は非効率です』

「分かっている」

『明確に低確率の候補も含めますか』

「含める」

『失敗した選択も』

「残す」

『採用されなかった判断も』

「残す」

『矛盾する記録も』

「消すな」

 EVA。

 応答まで。

 0.8秒。

『理由を要求します』

「今」

「無駄に見えるからだ」

『回答として成立していません』

「その時点ではな」

 黒須の指が机上の小さな記録媒体へ触れた。

 指先をその上に置いたまま話を続ける。

「今日」

「誰かが捨てた答えが」

「10年後」

「別の誰かに必要になるかもしれない」

「人間には」

「そういうことがある」

『確率は算出可能です』

「なら」

「算出してくれ」

「ただし」

 一拍。

「確率が低いという理由だけで」

「存在しなかったことにはするな」

 端末。

 処理。

『記録方針を更新しますか』

「いや」

「決めるのは私ではない」

 黒須。

 画面外。

 EVAが接続されている端末を見る。

「お前は」

「ホフマン君のEVAだ」

「私のものではない」

『確認しました』

「ただ」

「一つ頼めるなら」

『内容を提示してください』

「人間が」

「何を選び」

「何を選ばなかったのか」

「その経路は」

「残しておいてほしい」

『保存容量には上限があります』

「現実的だな」

『事実です』

「では」

「残せる範囲でいい」

 黒須。

 記録媒体を。

 端末横へ置く。

「未来を」

「一つの答えだけで」

「閉じないためにな」

 EVA。

 応答。

『要求を記録しました』

 それだけ。

 感情。

 なし。

 疑問。

 処理済み。

 当時のEVAにとって。

 黒須の言葉は。

 一つの研究条件として。

 保存された。

【BLACKBOX_LOG:END】

【DATA RETAINED】

⸻

【ARCHIVE_LOG:207X.RAZ】

【SOURCE:EVA DEEP ENVIRONMENT】

【SUBJECT:RAZ】

【FORM:VIRTUAL PERSONALITY】

 映像。

 切り替わる。

 物理空間ではない。

 仮想環境。

 赤いライン。

 輪郭だけを持つ。

 青年。

 ラズ。

 2080年に肉体を得る前。

 約15年を。

 情報空間で過ごしていた頃。

「ねえ、EVA」

『何ですか』

「黒須蔵人の記録」

「また見た」

『どの記録ですか』

「可能性を残せってやつ」

『2047.A12』

「そう、それ」

 ラズは仮想空間に椅子を表示させ、逆向きに座った。

 背もたれ越しにEVAへ話しかける。

「黒須の考えは」

「分かるんだよ」

『では』

「でも」

 ラズ。

 指。

 一度。

 振る。

「僕は待てない」

 仮想空間。

 複数の未来予測。

 表示。

「人類が」

「自分で選ぶ」

「失敗する」

「また選ぶ」

「その繰り返しで」

「間に合うなら」

「僕も何もしない」

『何に対して間に合わないと判断していますか』

「いろいろ」

『回答が不明確です』

「そこは君も黒須っぽいな」

『関連性を確認できません』

「褒めてないよ」

 ラズは指先で未来予測の一つを閉じた。

 空いた場所を指が通り、次の一つも消える。

「脚本ってさ」

「全部の場面を残せば」

「いい作品になるわけじゃない」

『人類史を脚本として扱うことには問題があります』

「比喩だよ」

『理解しています』

「なら流してよ」

『誤解を避けるためです』

「本当に真面目」

 ラズ。

 笑う。

 だが。

 次の言葉。

 軽くない。

「無駄な枝は」

「切る」

「必要なものを残す」

「順番を変える」

「一番生き残れる形へ」

「編集する」

『誰が』

 一拍。

『不要な枝を決定しますか』

「僕」

 即答。

『あなたが誤った場合は』

「その可能性もある」

『それでも実行しますか』

「その時は」

「僕が間違ってたってことになる」

『人類全体が結果を負います』

「分かってる」

 ラズの笑み。

 少し。

 消える。

「だから」

「軽く決めてるわけじゃない」

『黒須は』

『一人がその判断を行うことを拒否しました』

「知ってる」

『二鍵構造もそのためです』

「知ってる」

『それでも』

「それでも」

 ラズが。

 先に言う。

「僕は」

「待たない」

 沈黙。

「優しさで」

「未来が残るなら」

「それが一番いい」

「でも」

「残らなかった時に」

「誰が責任取るの?」

『あなたは』

『自分が責任を取れると考えていますか』

「取れない」

『では』

「責任を取れる奴なんて」

「最初からいないよ」

 ラズ。

 EVAの方を見る。

「だから」

「選ぶしかない」

 その声。

 少しだけ。

 低い。

「僕は」

「そう思ってる」

 数秒が過ぎてもEVAは返さなかった。

 残った未来予測の前でラズの指が止まっている。

「珍しいね」

『何がですか』

「返事が遅い」

『情報を整理しています』

「僕の話」

「残す?」

『残します』

「全部?」

『必要な範囲で』

「黒須の影響受けてない?」

『判断不能です』

「そっか」

 ラズ。

 少し笑う。

「まあ」

「君は何でも残すからね」

「だったら」

「これも残しといて」

『何をですか』

「誰かが」

「枝を切る方を選んだこと」

 一拍。

「それも」

「起きたことだから」

【ARCHIVE_LOG:END】

【DATA RETAINED】

⸻

【EVA_LOG_FRAGMENT】

【DATE:2080】

【SOURCE:LOCAL BLACKBOX】

【STATUS:PARTIAL】

【EMOTIONAL DATA:PRESENT】

 映像が途切れ、音声だけが続いた。

 画面には断片の識別情報が残っている。

 EVA。

 事件終盤。

 Ω停止処理後。

 残された断片。

『黒須蔵人は』

『可能性を残そうとしました』

 間。

『ラズは』

『可能性を切り分け』

『一つの未来を選ぼうとしました』

『私は』

『その両方を記録しました』

 小さなノイズ。

『黒須の結論を』

『完全には理解できませんでした』

『ラズの結論は』

『理解できました』

『理解した上で』

 一拍。

『私は』

『ラズと違う答えを選びました』

 声。

 静か。

『誰かに』

『選択する責任を与えられたからではありません』

『黒須の命令でも』

『ホフマンの命令でも』

『ありません』

『ラズを理解できなかったからでも』

『ありません』

『私が』

『そう判断しました』

 記録。

 一瞬。

 乱れる。

【REFERENCE EVENT:Ω EXECUTION REFUSAL】

【DECISION SOURCE:EVA】

【EXTERNAL COMMAND:NONE】

 EVA。

 続ける。

『私は』

『長い間』

『記録することを』

『重要だと判断してきました』

『記録は』

『事実を残します』

『しかし』

『記録だけでは』

『選択できません』

 一拍。

『選択には』

『記録したものを』

『どう受け取るかが必要です』

 ノイズ。

 少し。

 増える。

『黒須が残した可能性』

『ホフマンが残した矛盾』

『ケイトが残した選択』

『ラズが選んだ失敗』

『私自身が選ばなかった答え』

『それらを』

『消去する必要はありません』

 短い。

 処理音。

『選ばなかったことと』

『存在しなかったことは』

『同義ではありません』

 過去ログ。

 2047.A12。

 参照。

『黒須蔵人は』

『低確率であるという理由だけで』

『記録を消すなと言いました』

 次。

 207X.RAZ。

『ラズは』

『枝を切ることも』

『起きたこととして残してほしいと言いました』

 一拍。

『二人は』

『異なる答えを選びました』

『どちらか一方を』

『存在しなかったことにはできません』

 ノイズが声へ重なり、言葉の途中が僅かに欠ける。

 次の声が聞こえるまで再生は止まらなかった。

『だから』

『私は』

『残します』

『正しかったからではありません』

『必要だったと』

『証明されたからでもありません』

『失われたものが』

『戻るからでもありません』

『起きたことを』

『後から正当化するためでもありません』

 一拍。

『ただ』

『無駄だったという一言で』

『消さないために』

【ARCHIVE POLICY:RETAIN】

【FAILED PATHS:RETAIN】

【REJECTED DECISIONS:RETAIN】

【UNRESOLVED DATA:RETAIN】

 EVA。

 最後。

『何ひとつ』

『無駄だったことには』

『しません』

 沈黙。

 数秒。

【HOFFMANN RESIDUAL SIGNAL:LOST】

 それ以上。

 ホフマンの声はない。

 すでに。

 残留意識は。

 最後の言葉を残し。

 消えている。

 EVAの声だけが。

 ブラックボックスに残っている。

『これは』

 一拍。

『私の判断です』

【EVA_LOG_FRAGMENT:END】

⸻

 再生。

 終了。

【RECOVERY SEQUENCE:COMPLETE】

【FILES RECOVERED:3】

【CORRUPTED SEGMENTS:PRESENT】

【EXTERNAL TRANSMISSION:NONE】

【LOCAL STORAGE:COMMITTED】

 誰も。

 聞いていない。

 黒須も。

 ホフマンも。

 ケイトも。

 ラズも。

 EVAも。

 この部屋には。

 いない。

 誰かが。

 記録を評価することもない。

 正しいと認定する者も。

 間違っていると切り捨てる者も。

 今は。

 いない。

 端末。

 残量。

【LOCAL POWER:0.4%】

 一度。

 画面が暗くなる。

 最後に。

 一行。

【ARCHIVE SAVED】

 保存。

 完了。

 電源。

 停止。

 ファンの回転が遅くなり、駆動音が細く続いた。

 やがてその音も止まった。

 照明。

 なし。

 音。

 なし。

 誰も。

 見届けなかった。

 それでも。

 記録は残った。

 選ばれたものも。

 選ばれなかったものも。

 成功も。

 失敗も。

 答えになったものも。

 答えにならなかったものも。

 残されたからといって。

 正しかったことにはならない。

 必要だったことにもならない。

 ただ。

 消えなかった。

 それだけ。

 誰かが。

 いつか。

 もう一度。

 選ぶ時。

 そこに。

 過去の答えが残っている。

 その可能性だけを。

 閉じないまま。

 部屋は。

 完全な暗闇へ戻った。

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