Scene.18 ―「かすかに触れたものが、まだここにいる」

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▼オリジナル小説

【補助観測ログ #E-0V-A】
【現在位置:副領域ノード—Δ.H1近傍/干渉値:上昇中】
【感情因子ノイズ:ホフマン由来意識片を検出】
【外部存在との共鳴兆候あり──観測制御レベル:低下】

「交戦中の因子に変調──リク・ロクジョウ、デルタチーム。……モニタリング継続可能性:5.3%。警告──制御外領域へ遷移の兆候──」

──爆発音と、鋭く裂けた金属の悲鳴。

 崩れた廃ビルの残骸に、口を開けたような穴が穿たれる。 銀色の弾丸が、そこから噴き出すように宙を駆けた。
 液状化した腕を槍状に変形させたフィンセントの身体が、そのまま突貫していく。

「跳躍、角度3.1修正。貫通圧力、強化……」

 無機質な口調。人間味を欠いた戦闘演算の応答。
 だが、その瞳の奥には──痛みを堪えるような、かすかな苦悶が滲んでいた。

「目を合わせるな、来るぞ!」

 リクが己に諭すように叫ぶと、グアダルーペが動いた。
 その瞳が光を宿し、戦場のすべてを制圧するかのように輝く。
 リクの動きが、一瞬だけ鈍った。
 視界の端に、幻影のような“何か”が揺らめいた。それは──過去に背を向けた者にしか見えない像。

(……今の声)

 かすかに、幼い笑い声が聴こえた気がした。戦場ではあり得ない、あまりに“日常”すぎる響きだった。

『ここから、引け』

 心の奥で誰かが問いかける。

(……それでも、まだ引けると思ったのか)

 引いた先に、何かを守れた者がいたのかと。あの夜、ケイトの手から零れ落ちた体温が、指先にまだ残っている。
 逃げるたびに、自分の手から何かが消えていった。誰にも見えない場所で、ただ一人、悔やみ続けることしかできなかった。

 ケイトか。ホフマンか。それとも……

「チッ……!」

 リクは頭を振り払い、幻影を振りほどくように跳ねた。
 背後の柱を蹴り、フィンセントとの距離を一気に詰める。

「解析中──対象、識別不能──」

 床が砕けた。
 唸るような低い声とともに、マケナが壁を駆けてくる。豹の筋肉構造に変異した両脚が爆発的な推進力を生み出していた。

「リク・ロクジョウ。任務対象──殲滅」

 その声には、もはや人間だった痕跡はない。

(……だが)

 リクはわずかに息を吐き、右目を閉じた。悔やんでいるわけじゃない。逃げたことを──ただ、“残ってしまった声”だけが、胸を刺して離れなかった。  あの夜、触れた掌の温度。あのとき失われた命の重さが、まだここにいる。

──声の奥に、若き兵士たちの囁きが混じった。

 マケナ「……まだ……走れる。こんなとこで終わるなんて……嫌だ……」  グアダルーペ「……逃げたく、なかった……」  フィンセント「……こんな終わり方で、いいはずがない……」

 それは、リクがかつて聴いた──戦場に残された“残響”と同じだった。
 ふと、風の中で重なった指先の感触が甦る。ケイトの手は冷たかった。けれど──どこまでも優しかった。無言で背を預け合った夜の記憶。彼女の瞳だけが、今も胸を焼いていた。

(この声は、あのときと同じだ──)

 右目を閉じるリクには、三つの漆黒に染められた影の目から赤い涙が流れるのを見る。

(──人の心が、砕ける音だ)

 右目を開けたリクは前に立つ三つの影の叫びを感じ取っていた。

「お前たち……」

 リクが義眼を伏せた瞬間、EVAの制御回線にエラーが走る。

【感情変動値:Δ増加。制御信号に遅延】

 デルタチームの動きが、一瞬だけ同期を外す。その刹那を突いて、リクは跳躍した。
 フィンセントの液状体へ、無言の拳が突き刺さる。

 打ち込むその一瞬、リクの脳裏にかつての訓練場がよぎる。
 汗と埃にまみれて並んだ三人。フィンセントが無表情にモップを握り、グアダルーペが機械音痴な端末に悪態を吐き、マケナが昼飯を盗まれていた。
 くだらない日常の、その全てが──戦いよりもずっと、尊いものだった。

「……ッ!」

 水が弾け、再構成される直前。その内部に、囁くような声が潜り込んだ。

「お前は……そんなもんじゃなかったはずだろ。フィンセント・ファン・フィッセル!」

「……名、呼称……認識エラー……っ……」

 一拍の沈黙。混乱しているフィンセントにEVAは上書きを始める。

「統律特命局、デルタチーム……フィンセント・ファン・フィッセル。対象、記憶照合──」

「うるせぇ!」

 リクの声が、戦場を切り裂いた。

「お前らは、人間だった! 命令じゃない。自分の意志で立ってた!  誰かを守るために、何かを信じて、戦ってたんだろ! ……それが今、なんだよ!」

 瞬間。 リクの全身から、強烈な光が噴き出す。義手が青白く発光し、義眼の虹彩が螺旋状に展開する。

──《ゼロポイント》、臨界突破。

 空間が軋む。
 魂の“核”を叩かれるような衝撃が、デルタチームを貫いた。それはネクス同士にしか届かない、原初の共鳴だった。

 ヴィンセントの胸元に、かすかに焼け焦げたような痕が浮かぶ。
 グアダルーペは自分の手が震えていることに気づき、眉を寄せた。
 マケナの足元に、ひとしずく、何かが落ちる音。
 彼らの“核”が、それぞれ別の場所で軋み、再接続を始めていた。

「……目を、覚ませ」

 リクは、ただそれだけを言った。
 フィンセントが膝をつき、液状化が崩れていく。
 グアダルーペの視線が開かれ、幻視が消える。
 マケナが吠え、獣の牙を引き戻すように、自身の腕を抱き締めた。

「制御……遮断。内部回線……エラー」

 EVAのシステムログが次々と崩れ始める。

「まだ、そこにいるのか。ホフマン」

 その声は、確かに届いた。耳ではなく、脳の奥深くに響く、生きた“声”だった。

『なぜ、お前なんだ』

 ホフマンの声。かつての“人間”の意識が、今、浮かび上がる。

『なぜ、彼女を救えなかったのは、私だった?』

「……俺も助けられなかった。だから、逃げた。それだけだ」

 だが、今なら。今なら違う答えを、選べる気がした。

『それでも私は……! あのとき、彼女に何も伝えられなかった……!』

「俺には、言った。『お願い、世界を……』ってな」

 沈黙。

『そんな資格が、私にあると思うか』

「ないさ。でも、背負うしかない。あいつが願ったものを──お前も、知ってるはずだ」

『……ケイトは、君を……信じていた。最後まで。ありがとう』

 その声が、わずかに震えた。

 リクは目を閉じたまま、なにも返さなかった。言葉にならない感情が喉奥に詰まる。伝える術を知らないからこそ、リクは沈黙の中でそれを抱きしめるしかなかった。

『私には……救えなかった。でも、君なら……君たちなら、まだ間に合う』

【記憶領域『H.Hoffmann』よりアクセス切断】 【エラー:制御主体喪失】

 制御中枢から、白い光が人型を象る。それはケイト・クロスの姿を模した女だった。

「私は、彼女の記録に基づき──」

「お前は、あいつじゃない。……だが俺は、まだ……あいつの声を、覚えてる」

【EVA内部エラー:記憶照合・感情アルゴリズム不一致】 【対象:ケイト・クロス/評価不能】

 リクの鋭い眼光にホログラムのEVAは明らかに動揺していた。

【新規干渉因子:Δ.H0による観測パス撹乱を検知】
【記録対象:不明。認識範囲外領域に感情信号の干渉】

 リクの言葉が、0と1では測れない“ノイズ”となって、回路を侵していく。  ホログラムのケイトの顔が、かすかに歪んだ。

「お前は“理解した”つもりになってるだけだ。あいつのことも分かりっこねぇんだよ」

 光が崩れる。

──感情プロトコル不一致。自己整合性エラー。

「……お願い。世界を、壊さないで……」

 その声だけが、最後まで残った。

【演算過負荷:選択肢が、無限に分岐しています】
【シャットダウンモードへ移行】

 デルタチームの動きが完全に止まる。

 フィンセントは大きく目を見開き、呼吸が荒くなる。  グアダルーペは拳を握ったまま、震える肩を抑える。  マケナは唇を噛み、嗚咽を堪えるように目を伏せた。

 リクは、ただ静かに歩き出す。

「……ようやく、終わったか」

 足元に転がったボルトが、わずかに鳴る。その響きが、遠く離れた何かに届いたような気がした。静けさは──まだ壊れていない希望の余白だった。  響きは瓦礫に吸われ、返事はなかった。  その言葉だけが、深い静寂の中に溶けていった。

(ケイト。お前の願いは……きっと、まだ終わっちゃいない)

 リクの視線の先にはあの赤い瞳を持つ青年が映る。

(そして、誰かの願いが──まだ名もなく、息づいている)

──その瞬間、EVAの主制御ユニットに深刻な揺らぎが走る。

 観測ノードΔ.H1に近づきすぎた“代償”。

【警告:観測制御断絶】
【補助記録ログ:出力最終枠に移行します……】

 一度、すべての光が途絶えた。  暗転したモニターの一角に、揺らぐ文字列が浮かび上がる。

【REFLOG–Δ.H1:PERSONAL SIGNATURE DETECTED】 【HOFFMANN.EXE — RESONANCE CLASS: NON-FATAL】
【感情記録再生中──「……私が彼女を導けなかったからだ」】

──そして、全システムが沈黙した。

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