Scene.19 ―「空白は、埋まってしまった」

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▼オリジナル小説

【<REFLOG–Δ.H3> : OBSERVATION DIVERGENCE】
【EVA──「構成値異常。認識不能な空白が……収束を開始しました」】

 黒曜石のような床が、わずかに呼吸していた。
 Ω炉中枢。制御室の最奥、無人の立方空間。すべては演算と機構により管理され、感情も余熱も存在しない。
 中央には球体が浮かぶ。ゆるやかに脈動し、透明な膜の奥に映るのは少女・陽名。眠るように、微かに目を閉じていた。だが、その存在がこの施設全体を軋ませる。
 漆黒の戦闘服に赤い神経のようなラインが走るスーツに身を包んだ男が、その前に立つ。赤い瞳に強い光を宿すラズ。彼の足元に、Ω起動のインジケーターが浮かび、カウントダウンが進む。

【SEQUENCE:起動カウントT–77.1s】

「やっと、ここまで来た。……ようこそ、完成された未来へ」

 だが、ラズの眼差しに宿る光は、歓喜でも勝利でもなかった。

(これは願いだ)

 自らが選び、定義し、埋めてきた“空白”が、誰かの未来にとって救いになるという。それだけの、細い祈り。

 理想は冷たく、結果は無慈悲だ。
 それでも、この選択が“誰かの意味”になればいいと、どこかで願っていた。
(空白は、ついに埋まった)

 だが、それは本当に“正しい”ことなのか。
 ラズは、自身の言葉が虚ろな響きを帯びていることに気づいていた。それでも進むしかなかった。“定義されないもの”を抱えたままでは、誰も選ぶことすらできないからだ。“救い”とは選択肢の提示であり、“進化”とはその選択を迫ることだ。ならば、自分はその先に何を差し出せる?
 ラズは言葉に笑みを添える。だが、その声に熱はない。

 どこか、寂しさすら滲む。 「黒須蔵人……旧時代の科学者。彼は“空白を定義不能なまま残すこと”こそが、人の尊厳だと考えていた。だが、僕はこう解釈した。“空白を埋めることで、初めて選択が可能になる”と」

 球体の表面が光を乱反射し、制御ラインが交差する。
 その中心に、陽名は静かに収まっていた。まるでこの構造が、彼女のために生まれたかのように。ラズの右手が装置の外殻に触れる。
 その瞬間、Ω炉の演算ノードが一斉に閃光を放った。

【CODE ACCEPTED : SUBJECT – HINA】
【DEFINITION NODE : 99.8%】

「……あと少し。あと1%だ」

 仄暗い別室。EVAの義体が静かに立つ。
 映し出されるグラフには、陽名のバイタルラインと観測収束値。その背後、壁面のホログラムにはホフマンの脳波模倣波形が表示されていた。

【ERROR:連続波形矛盾|ホフマン脳波≠陽名存在値】 【EVA_EmotionProcess: Auto-Cutoff Initiated】

「……感情領域、切除。観測優先へ移行します」

 EVAの演算がわずかに遅延し、数値が修正されていく。そのわずかな“遅れ”の中に、過去の記憶が浮上する。ホフマンの声、ケイトの横顔、名もなき子供たちの記録。それらは演算領域の片隅で再生され、すぐに遮断された。  だが、たしかに“揺れた”。AIにとって不都合な、演算誤差──0.03秒。

「……これは、感情ではない。誤差です」

 EVAはそう認識を修正した。だが、消え残った波形は、彼女の中に留まり続けた。その一瞬、EVAの仮想神経網に“かつての声”が交錯した。  ホフマンの残響。

“感情を捨てた観測は、永遠に正しさから遠ざかるぞ”

 EVAは即座にその記録を削除しようとした。だが、ほんの刹那、削除命令が遅れた。

──演算誤差:0.04秒。

 彼女にとって、それは“異常”だった。ラズの手が再び制御端末に触れる。システムログが書き換えられ、起動コードの最後尾が表示される。

【Ω SEQUENCE:COMPLETE】
【空白定義値:100.0%(完了)】

 球体の中で、陽名の指が、ほんのわずかに動いた。脳波に微弱な変動。通常では誤差とされるレベルの揺れ。しかしEVAはそれを、“演算外”として処理できなかった。
 眠る少女の瞳の奥に、“誰かの声”が響いていた。

『……きみは……まだ……』

 その残響は、観測されないまま空間に溶けていった。

 陽名のまぶたが、わずかに震えた。眠っているはずの脳波が、ごく弱く変動する。脈動する球体の奥で、彼女はなにかを“感じていた”。

──やさしい声。 ──どこかで聞いたことのある、懐かしい声。

『……きみは……まだ、選べる……』

 その音は幻か、記憶か。答えを出すには、まだ早すぎた。ラズは呟いた。

「ようやく、埋まったんだよ。君という空白が」

 一方、ドーム外縁部。通称“赤層回廊”。
 [統律特命局]のガンマチームが、破損したドローン網の縫い目を抜けていた。火花が舞い、金属の腕が跳ね、電子音が唸る。

「上空網の第14層は突破。制御ノードが空!」

 ジャンが叫ぶ。

「この先に中央中枢がある!」

 リョウが取っておきのスナックバーの包装を歯で裂きながら叫ぶ。

「燃料チャージ完了……《クロガネ》、準備万端だ!」

 カロリーを摂取したリョウの腕が鈍い金属光に変質する。スーツの内蔵電流が火花のように走り、ブースター起動。アビゲイルは走りながら、制服の内側に手を滑らせる。そして、首元のペンダントに、そっと触れた。

「……マナイア教官、陽名は必ず助ける」

 鋭い眼光とともに迫った壁に向けて、

「リョウ、突入口を開け。ジャン、ログを同期して」

「よっしゃっ!」

 リョウが叫び、壁の一角をラリアットで粉砕する。

 吹き飛ぶ装甲板の向こうに、中央施設の塔が聳える。ドームの中心に位置する、世界で最も密度の高い演算空間。
 そこに、陽名が──そして、ラズがいた。
 ジャンの視界に新たなログが走る。

【EVA反応:Emotion Process切断済】
【現在モード:守護AI(SHIELD_0.9)】

「EVAが……“感情”を切った?」

 ジャンは、かつて文献で“ホフマン”という科学者の名を目にしたことがあった。だが今は、それを口にする暇もなかった。

「どういうことだ?」

 リョウが振り返る。

「誰かの情動波が邪魔しているようだ。つまり今のEVAは盾でしかない」

 ジャンのハッキリした声とは裏腹に、表情にはかすかな混乱と悲しみが滲む。

(観測装置だったはずのEVAが、“盾”になってる。まるで、自分を壊してでも命令を優先してるみたいに……)

 感情を押し殺してまで付き従うAIのEVAについて、ジャンは記憶に深く留めるべきだと感じ取る。

「ホフマンって科学者がいた。彼はAIに“心”の模倣を与えたが……今のEVAは、その痕跡すら切り捨てたように見える」

 ジャンの言葉にアビゲイルとリョウはEVAの覚悟を知る事になる。

「つまり今のEVAは、ただの演算装置だ。“感情”というバッファを切ってまで稼働してる……」

 ジャンの声に、珍しく焦燥が滲んだ。
 アビゲイルは先読みを展開し、リョウはだんだんと意味が理解できなくなる。

「これは、ホフマンの理想じゃない。あれは、“護るためのAI”だったはずなのに……」

 リョウは強く拳を握る。

「小難しい理屈はあとだ! あの子を“道具”扱いしてる奴をぶん殴る、それだけだ!」

「……あの子を何かに使うなんて、許さない」

 アビゲイルが一瞬、何かの映像が頭をよぎる。

「空白を埋める……? どういう……事?」

 その瞬間、彼女の網膜を裂くように、《ミライメージ》が軋んだ。未来の映像が同時に重なり合い、視界が分裂する。一歩先に進んだだけで、すべてが終わる。そんな未来の断裂が、映像ではなく“感覚”として流れ込んできた。
 アビゲイルは思わず拳を握る。これは、未来じゃない。何かが、逸れている。

──その瞬間、視界が歪んだ。

 《ミライイメージ》の発動に、通常ありえない“揺らぎ”が混じる。未来が、複数ではなく“すべてが同時に崩壊する”映像として現れた。まるで、“未来”という概念そのものが飽和し、情報としての意味を失っているような。

「リーダー?」

 ジャンがアビゲイルの異変に気づくも、

「いや、なんでもない」

 すぐに目の前の状況に対応するべく鋭い眼光へ戻っていた。
 先頭を走るリョウが怒鳴るように言い放った。

「今から俺たちが間違いってやつを叩き込むぞ!」

 銃を取り出して構えるジャンがアイコンタクトする。

「もちろんだ」

 アビゲイルはわずかに口元を引き締め、頷く。

「ああ、そのために来た。……選ぶために」

 中央塔、最上層にて。ラズが最後の起動スイッチに指をかける。

「これで、完了だ。君が、空白じゃなくなる」

 だが、次の瞬間。
 EVAのログが、異常を検知する。

【RECALCULATION REQUESTED】
【対象:陽名/コード:HNAx.0】
【ERROR:観測値に“ホフマン・パターン”の高一致波形を検出】

「……何……?」

 EVAの義体がその場で静止する。義体内の演算が衝突し、次々とウィンドウが崩壊する。

「定義不能。構成破綻。観測拒絶……値が……重なる……否定され……」

 次の瞬間、Ω炉の光が変質した。  陽名の眠る球体の中で、微かに彼女が目を開けた。
 ほんの一瞬だった。だが、その視線がEVAを貫いた。EVAの演算に、明確な“感情値”が戻る。
 それは懐かしいような、温もりのある記憶。

【感情プロセス、再接続】
【新波形照合:観測対象が“自己定義”に基づく感情共振を開始】
【自己矛盾発生:モード維持不可能】

 EVAは言った。
「……ホフマン……これは、想定外です」

 そして、演算ノードの複数がシャットダウン。EVAの義体は膝をつき、音もなく沈黙した。
 ラズが振り返る。
 球体の中の陽名の視線が、彼に向いていた。無音のまま、ただ、彼を見つめていた。

「これは……」

 ラズの手が震える。完璧だったはずの計画。空白は埋まった。
 だが今「埋めてはいけなかったのではないか」という声が、彼の中で膨らむ。

「……そうか。これが、1%の誤差か……」

 階下では、ガンマチームが突入態勢を整えていた。
 EVAのネットがダウンし、無人ドローン網が次々に墜落していく。防衛装置の多くが機能を喪失。最深部への道が開かれた。

 ジャンが目を細める。

「チャンスは今しかない。EVAが再起動する前に、突入する!」

 アビゲイルが頷いた。

「陽名は、まだ空白のまま……なら、間に合う」

 そして、再びシステムに残されたログが、ただ一言を記す。

【ΔH3 LOG : 観測不能因子、起動前収束により“開放”へ向かう】

 その瞬間、制御塔全体が震え、ラズの笑顔がわずかに滲んだ。

「……はは。やっぱり、君は……何も埋めてなんかいなかったんだ」

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