Scene.01 -「砕けた命の形」

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Scene.01 ―「砕けた命の形」

「……で? また“調査任務”ってやつか?」

 アビゲイルはバックミラーへ一瞬だけ視線を向けた。

 後部座席ではリョウがポテトチップスの袋をあさっている。

 短い黒髪に肩幅の広い重量級の体格。

 三人共通の黒いスーツ、白いシャツ、黒いネクタイを身につけていても、その身体だけは前衛要員であることを隠せていない。

 人工光への強い羞明を抑えるため、黒い戦術サングラスを常用していた。

「旧式演習ドローンのログ回収。排除は必要最低限だ」

 アビゲイル・エイミー・アームストロングは、前方から目を離さずに答えた。

 茶色のショートボブ。

 細身ながら鍛えられた身体を黒いスーツで包み、胸元には古びたクロス型ペンダントを下げている。

 左手の指先が、一度だけそのペンダントへ触れた。

「“最低限”って言いながら、だいたい毎回全力じゃねぇか。カロリー消費と割に合わないんだよなぁ」

 リョウはチップスを口へ放り込む。

「ジャン君はどう思う?」

 助手席ではジャン=ジャック・ジャカールが会話より戦術端末を優先していた。

 長い黒のドレッドヘア。

 黒縁の特殊メガネ。

 フランス系黒人の細身の男で、画面を追う指だけが休みなく動いている。

「リョウさんの通常時の基礎代謝は規定範囲内です」

「ほらな」

「ただし、《クロガネ》使用時の消費量は別です。特に全身変成後はかなり跳ね上がる」

「ほらな!」

「まだ使ってませんよ」

「だから今のうちに食っとくんだよ」

 ジャンが端末から目を上げず、小さく息を吐いた。

「……空腹ってさ、命よりリアルなんだよ。分かるか?」

「またその話ですか?」

「ジャン君。分かっていないな。腹が減ってはなんとかじゃないか」

「“腹が減っては戦はできぬ”ですね。日本の戦国時代の武将である北条氏綱が息子の北条氏康宛てに書いた文章の一部で――」

「ああ、分かった分かった! チョコバーやるから、うんちくはそこまで!」

「ハイハイ。カロリーより、もう少し戦術を重視してくれたら助かるんですが」

 アビゲイルは二人のやり取りを聞き流しながら、フロントガラス全面へ展開されたHUDを確認した。

 三人は世界政府直属の特殊危機対応機関[統律特命局]に所属する[ガンマチーム]。

 観測、分析、調査、偵察を主務とする三人一組のエージェントチームである。

 彼らが着用している黒いスーツは、〈T.A.S.S.〉――Tactical Agent Suit System。

 神経同期、戦術支援、耐弾、防刃、衝撃分散、生命管理を統合した戦術補助システムだった。

「対象機が現地で再起動する確率、77.8%です」

「ほらな!」

 ジャンがHUD上の過去記録を切り替える。

「旧式機の経年状態と、過去の類似案件を照合した数値です」

「だから言っただろ。ポテチ食っといて正解!」

 アビゲイルの口元が少しだけ緩んだ。

⸻

 トーキョー・シティ外縁部。

 かつて実験区画として使用されていた一帯は、半ば放棄されたまま灰色の荒野へ変わっていた。

 歪んだ舗装。

 焼けた鉄骨。

 風に削られ続ける旧施設。

 その間をガンマチーム専用SUV〈レイヴン〉が低い駆動音だけを残して進んでいく。

 ジャンが命名した水素駆動の高静音車両。

 防弾、EMP耐性、AI同期機能を備え、フロントガラス全面をHUDとして使用できる移動型観測基地でもある。

 〈レイヴン〉が瓦礫の陰へ滑り込み、駆動音を落とした。

 三人は車外へ出る。

 リョウの片手には、まだ開いたポテトチップスの袋が残っていた。

「……反応あり。あれが対象機体です」

 ジャンが前方を指した。

 焼けた旧型ドローンが、崩れた施設壁の脇に倒れている。

 装甲表面には膨張と冷却によるクラックが走り、内部から逆流した熱の痕跡が残されていた。

「回収可能か?」

 アビゲイルは周囲から警戒を外さないまま問う。

「確認します」

 ジャンがドローンの横へしゃがみ込み、戦術端末を接続する。

「……電源は死んでます」

 端末を操作していた指が止まった。

「ですが、メモリに改竄痕があります」

「内容は?」

「去年の“北壁事件”で記録されたコードと81%一致」

 ジャンの眉間に皺が寄った。

「でも、整合率が低すぎる」

「誰かが遊んだ?」

 リョウが尋ねる。

「違います」

 ジャンは画面上のコード列を拡大した。

「読ませたくない誰かが、意図的に情報を汚したように見える」

 風向きが変わった。

――ピッ、ガチッ。

 電子音に続いて、内部機構が噛み合う。

 アビゲイルが振り向いた。

 ドローン内部でリレーが作動し、死んでいたはずのセンサーヘッドが赤く点灯する。

「リーダー、再起動!」

「下がれ!」

 アビゲイルの視界に淡い軌道線が重なった。

 《ミライメージ》。

 数秒先。

 一本だった現在から、複数の位置と攻撃軌道が枝分かれしていく。

 右。

 左。

 伏せる。

 飛ぶ。

 いくつもの結果が一瞬で重なった。

 アビゲイルはその中から一つを選ぶ。

 リョウの肩へ手をかけ、その重心を射線の外側へ崩した。

 二人の身体が横へ外れる。

 直後、光束がその位置を通過した。

 背後の地面が爆ぜ、砂煙が跳ね上がる。

「オレの……至福があああッ!!」

 リョウの手からポテトチップスの袋が飛んだ。

 中身が灰色の地面へ散らばる。

「……許さんぞ!」

 リョウの右拳から前腕へ黒銀の生体金属が走った。

 細かな金属音が連続して噛み合う。

 変成系ネクス能力《クロガネ》。

 肉体そのものを生体金属へ変成する能力。

「ジャン、制御核は?」

「確認中……見えました」

 ジャンが射線を避けながら、懐からカスタムされた拳銃を取り出して位置を変える。

「右側面。リョウさん、脚部を開けてください!」

「任せろ!」

 リョウが正面から踏み込んだ。

 黒銀化した拳がドローンの一脚を叩き折る。

 支えを失った機体が右へ傾いた。

「核露出!」

 ジャンは過去に記録した類似機体の構造と目の前の機体を照合する。

 戦術端末が現在位置を重ね、跳弾角を更新した。

【命中予測:91%】

「射線、取れます!」

「撃て!」

 乾いた発射音が響いた。

 ジャンの銃口から放たれた弾丸が倒れた鉄板へ当たり、角度を変える。

 跳弾した一発が開いた装甲の隙間から制御核を射抜いた。

 火花が散り、機体の動きが一瞬止まる。

 アビゲイルがその隙へ踏み込んだ。

 腰の〈高周波刀〉を抜刀する。

 青白い刃が振動を始めた。

 露出したコイルへ刃を差し込み、そのまま切断する。

 ドローンの赤い光が消えた。

 駆動部から残っていた振動も止まる。

「……制圧完了」

 アビゲイルは〈高周波刀〉を下ろした。

⸻

「核を回収します」

 ジャンがドローン内部からシリコン基板を取り出し、保護ケースへ封入する。

「リーダー、やっぱさ」

 リョウが胸を張った。

「オレたち最強だよな」

「そうだな」

 アビゲイルは地面へ散ったポテトチップスへ目を向ける。

「スナック菓子の袋を落とさなければ完璧だった」

「……そこかよ!」

 荒野を抜けていた風が変わった。

 アビゲイルの表情から先ほどの緩みが消える。

 風の中に腐敗した臭いが混じっていた。

 瓦礫の向こうで何かが動く。

 一体。

 また一体。

 人の形には近い。

 だが、人間とは呼びづらかった。

 関節は歪み、皮膚には硬化した組織と金属片が食い込んでいる。

 筋肉と異物の境界さえ曖昧になった身体。

 その一人がアビゲイルへ顔を向けた。

 剥き出しになった目が動く。

 口が開いた。

 音にはならない。

 それでも、その唇が何を形作ろうとしたのかだけは分かった。

 痛い。

 アビゲイルの指が胸元のペンダントへ触れる。

「……アウトサイダーズ」

 三人が同時に戦闘態勢へ移った。

 ジャンが再び拳銃を抜く。

「ネクス能力による強化じゃありません」

 特殊メガネ越しに対象を確認する。

「外界への適応です。身体を壊されながら、生き延びた結果だ」

 リョウが拳を握った。

 先ほどまでの笑いは消えている。

「分かってるよ」

 黒銀の金属が拳を覆う。

「オレが止める」

 アビゲイルは二人より一歩前へ出た。

「殺すな」

 二人の視線がアビゲイルへ向く。

「制圧で十分だ」

「了解」

「了解です」

 アウトサイダーズが瓦礫の間から駆け出した。

 最初の一体を、リョウが正面から受け止める。

 突進を身体で止め、腕を掴み、そのまま横へ投げた。

 別方向から接近した個体へ、ジャンが銃口を向ける。

 撃ち抜いたのは肉体ではない。

 足へ絡みついた金属片だけを破壊し、体勢を崩した。

 アビゲイルが二人の作った間へ入る。

 《ミライメージ》が数秒先の軌道を映した。

 爪。

 拳。

 噛みつき。

 回避した先から続く、新たな攻撃。

 複数の未来が重なる。

 アビゲイルはその中から、致命傷を避けながら相手を止められる位置を選び続ける。

 身体を沈める。

 腕を流す。

 重心を崩す。

 必要な時だけ〈高周波刀〉を振るい、肉体へ食い込んだケーブルや金属部位だけを切断した。

「右!」

 ジャンの声。

 アビゲイルが身体を沈める。

 その頭上をリョウの拳が通過した。

 迫っていたアウトサイダーの胸部に食い込んだ装甲だけを打ち抜き、巨体を後退させる。

 三人の連携は途切れない。

 やがて最後方の粉塵が大きく揺れた。

 その奥から、それまでの個体より一回り大きな影が現れる。

 リーダー格。

 身長は3メートル近い。

 ケーブルと変異組織が絡み合った右腕。

 右肩には旧式のセンサーユニットが半ば埋め込まれている。

「三人で囲む」

 アビゲイルが〈高周波刀〉を構えた。

「ジャン、誘導支援」

「左45度から……今!」

 ジャンの弾丸が右肩のセンサーユニットを撃ち抜く。

 巨体の頭部が反射的にそちらへ向いた。

 正面からリョウが踏み込む。

 同時にアビゲイルは逆側へ回った。

 巨体の右腕が振り抜かれる。

 《ミライメージ》に映った軌道から半歩だけ外れ、アビゲイルはその腕へ飛び乗った。

 勢いを殺さず肩まで移動する。

 〈高周波刀〉を振り下ろし、右腕を拘束していた太いケーブルだけを切断した。

 支えを失った巨体の姿勢が崩れる。

「リョウ、任せる!」

「うらァァッ!」

 リョウが背後から巨体の腰を抱え込んだ。

 《クロガネ》が両腕から肩まで広がる。

 踏ん張った足元が沈み、3メートル近い巨体が地面から浮いた。

 そのまま後方へ反転させる。

 ただし、後頭部は落とさない。

 リョウは最後の瞬間に角度を変え、肩から背中へ衝撃を逃がした。

 轟音とともに地面が沈む。

 巨体の動きが止まった。

 ジャンがすぐに戦術端末へ目を落とす。

「生体反応あり」

 表示される反応を一つずつ確認する。

「全個体、生存しています」

 アビゲイルは周囲を一度確認してから、〈高周波刀〉を収めた。

⸻

「……これは、人が書いたとは思えません」

 ジャンが回収したデータを端末上へ拡大する。

「意味不明な構文。形式はあるのに文脈がない」

 画面上でコード列が何度も再構成された。

「これは……コードであって、コードじゃない」

「ジャン君がそう言うなら、かなりヤバいってことだな」

 リョウが横から画面を覗き込む。

「ボクの記憶にはない」

 ジャンは即答した。

「既知のプログラム言語、暗号方式、旧A.R.K.系記述形式とも一致しない。未知の出力構造です」

 ジャンがポーチから小さな球体を取り出した。

「それと、これ」

「何だ?」

「通信装置の残骸です」

 表面の汚れを指で払う。

「アウトサイダーズの身体周辺から検出しました」

「通信してた?」

「可能性はあります」

 ジャンは球体を見たまま首を振った。

「ただ、それより――」

 指先で球体を回転させる。

「誰かが彼らを観測していた可能性の方が高い」

 リョウの表情から完全に笑みが消えた。

「……また、実験かよ」

 アビゲイルは瓦礫の先へ視線を向ける。

 今は風だけが、その間を通り抜けている。

「……何かが始まってる」

 その時、〈レイヴン〉から緊急通信が入った。

【コード:0721】

【トーキョー・シティにて異常発生】

【ガンマチームは至急帰投せよ】

「帰るぞ」

 アビゲイルは通信内容を確認すると、即座に〈レイヴン〉へ向かって踵を返した。

⸻

「また休暇ゼロ更新かよ……!」

 走行中の〈レイヴン〉後部座席からリョウの声が響く。

「426時間32分27秒」

 ジャンが答えるより先にアビゲイルが口にした。

 一拍遅れて、ジャンが端末へ目を落とす。

「誤差、0.2秒です」

「……あんたら、ほんと気持ち悪いくらい息ぴったりだよな」

 リョウが座席へ沈み込む。

「オレだけ浮いてるってか?」

 リョウの問いにジャンはすかさず口を挟む。

「自覚があるのでしたら、少しは成長した方がいいですね」

「それができたら苦労しねぇっての!」

 二人のやり取りを他所にアビゲイルは胸元のペンダントへ一度だけ触れた。

 〈レイヴン〉が加速する。

 灰色の荒野が後方へ流れていった。

⸻

【観測記録:外縁部】

【対象追跡:継続】

【映像欠損:0.8秒】

【原因:未特定】

【暫定識別:Δ.H0】

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