第2部『403_FORBIDDEN』INTERRUPT_01|HUNT

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クロス・バグ三部作(絶賛連載中)

 救急棟6号までの距離が300メートルを切っても、[ネクス・ハウンズ]の追跡反応は戻らなかった。

【REAR PURSUIT RESPONSE:NONE】
【CURRENT ROUTE:MEDICAL TRANSFER LINE】
【DESTINATION:EMERGENCY WING 06】

 スプロケットは歩きながら端末を確認し、前方の経路情報を一段深い管理層まで開いた。

 搬送線は正常に接続され、救急棟6号からも稼働中を示す応答が返っている。

 正常だからこそ、そのまま入る気にはなれなかった。

「先を見てくる」

 マッハラインが言った。

「行かないで」

「やっぱり?」

 黒いゴーグルの奥から前方を見たまま、マッハラインは足だけを止めた。

 身体はわずかに前へ傾き、いつでも走り出せる姿勢のままだった。

「君が一人で前へ出るのは向こうも知ってる」

「速いのも?」

「それが一番知られてる」

「嫌な有名人になったな」

 そう言いながらも、マッハラインは前へ出なかった。

「代わりに何する?」

「まだ決めてない」

「決まったら呼んで」

「その前に走らないで」

「努力する」

 マッハラインはその場で踵を二度浮かせた。

 止まっていること自体が落ち着かないらしい。

 アイリーはクロニアスを背負ったまま二人の横を通った。

「本当に待ってると思う?」

「待つ必要もないかもしれない」

「どういうこと?」

「ぼくらがここへ来るのは分かってる」

 スプロケットは救急棟6号の表示を指した。

「だったら、あとから塞げばいい」

 アイリーの表情が変わった。

「入ってから?」

「うん」

「それ、もっと嫌なんだけど」

「ぼくも嫌」

 明は少し後ろから経路図を見ていた。

「別の治療場所はないんですか?」

「今見つかってる中では、ここが一番使える」

 スプロケットは検索結果を切り替えた。

 クロニアスの治療だけなら他にも応急設備は残っている。

 しかしヘヴンへ戻るための基準に使えそうな固定座標は、救急棟6号まで行かなければ確認できない。

「だから入る」

「捕まるかもしれなくても?」

 明が聞いた。

「捕まらないようにしてから使う」

 クロニアスがアイリーの肩越しから端末を覗いた。

「順序が逆ではないか?」

「何が?」

「普通は安全を確保してから施設を使う」

「安全になるまで待ってたら向こうが先に取る」

「なるほど」

「納得しないで」

 アイリーが言った。

「評価しただけだ」

「さっきも聞いた、それ」

 変わらない二人のやり取りを聞きながらスプロケットは救急棟へ続く最後の分岐へ入った。

 そこで初めて管理情報の奥に小さな変化を見つけた。

【EMERGENCY WING 06】
【MEDICAL SYSTEM:ACTIVE】
【EXTERNAL MANAGEMENT:CONNECTED】
【REMOTE AUTHORIZATION:RECENT】

 スプロケットは足を止めた。

「誰か触ってる」

 アイリーも止まる。

「中にいる?」

「そこまでは見えない」

「世界政府?」

「たぶん」

 スプロケットはもう一段深く潜った。

 現在の管理認証とは別に救急棟の入口、搬送系統、外部監視へ短い接続履歴が残っている。

 侵入ではなく、正規系統を使った確認だった。

「ネクス・ハウンズでしたっけ?」

 明が聞いた。

「可能性は高い」

 マッハラインが前方を見る。

「じゃあ急いだ方がいい?」

「急ぐ」

 スプロケットはマッハラインを見る。

「でも一人では行かない」

「了解」

 返事と同時に身体が前へ出かけた。

「まだ」

「分かってる、じゃなくて……」

 マッハラインは自分で言い直した。

「待つ」

「うん」

「慣れないな、これ」

 五人は速度を上げた。

 救急棟6号の外周扉が見えた時、スプロケットは通常入口へ向かわず、その横の保守端末へ近づいた。

 古い外装の一部を外すと、現在系統から切り離された手動接続口が残っていた。

「そこから入るの?」

 アイリーが聞いた。

「ここから中を切る」

「入る前に?」

「全部は切らない」

 スプロケットは接続具を差し込んだ。

 医療設備。

 電力。

 生命維持。

 座標基準。

 外部管理。

 搬送線。

 救急棟6号の機能が細い枝のように分かれて見える。

 必要なのは前の四つだった。

 後ろの二つはいらない。

「中へ入ったら外から扉を開けられないようにする」

「閉じ込められない?」

「だから出口は別に残す」

「どこ?」

 スプロケットは表示を切り替えた。

「今探してる」

 アイリーが何か言いかけたが、その前にクロニアスが笑った。

「非常にスプロケットらしい」

「褒めてる?」

「評価だ」

「それもさっき聞いた」

 スプロケットは接続を維持したまま、外部管理だけを切断する経路を組んだ。

 救急棟側のローカル制御へ管理権を移し、搬送線からの遠隔操作を拒否する。

【LOCAL MEDICAL CONTROL:AVAILABLE】
【EXTERNAL COMMAND PATH:SEPARABLE】
【FIXED COORDINATE:PRESERVED】

「できる」

 スプロケットは立ち上がった。

「全員入ったら切る」

「そのあと向こうが来たら?」

 明が聞いた。

「物理的に入ってくる」

「結局来るんですね」

「来る」

 マッハラインが笑った。

「分かりやすくなった」

 明が彼を見る。

「嬉しいんですか?」

「相手がどこから来るか分かる方が楽だろ」

「そういうものですか?」

「走る側はね」

 救急棟の外周扉が開いた。

 スプロケットが最初に入り、内部の安全表示を確認してから残りの四人を呼んだ。

 アイリーがクロニアスを治療区画へ運び、明とマッハラインが周囲の出入口を確認する。

「閉じるよ」

「やって」

 アイリーの返事を受け、スプロケットは外部管理との接続を切った。

【EMERGENCY WING 06:LOCAL CONTROL】
【EXTERNAL REMOTE ACCESS:DISCONNECTED】
【MEDICAL SYSTEM:ACTIVE】
【FIXED COORDINATE:ACTIVE】

 外周扉が閉じた。

 搬送線との自動連絡も停止した。

 医療設備だけは動き続けている。

「これで入れない?」

 明が聞いた。

「普通の遠隔操作では」

「普通じゃない方法なら?」

「来る」

「ですよね」

 明は諦めたように頷いた。

 アイリーはクロニアスを治療台へ下ろした。

 自動診断が始まり左脚を中心に複数の処置装置が展開する。

「これで歩けるようになる?」

 アイリーが聞いた。

「完全には無理」

 クロニアスが答えた。

「本人じゃなくて機械に聞いた」

「聞こえたから」

「大人しく治療されてて」

「はい」

 クロニアスは珍しく素直に横になった。

 スプロケットはその様子を見届けてから固定座標の確認へ戻った。

 この場所を基準点として記録できれば、あとは外部との接続方法を探せる。

 ヴォルトへ直接届かなくても、戻る方向だけは固定できる可能性がある。

 検索範囲を広げた瞬間、ノイズが入った。

 スプロケットは指を止めた。

 画面には何も出ていない。

 視界の奥だけが白く変わった。

 知らない室内が重なる。

 白い壁の向こうに透明な隔壁があり、その先で二人の男が向かい合っている。

『停止条件がない』

 低い声だった。

『完成していない』

 別の男が答えた。

『同じ意味だ』

『違う』

 その声を聞いた瞬間、胸の奥が強く引かれた。

 以前にも何度か自分の意識へ混ざってきた声だった。

 手袋を外した手が見える。

 床には黒銀色の何かが広がっている。

『触れるな』

『反応している』

『だからだ』

 映像が揺れた。

 誰かが名前を呼ぶ。

『……ヴァレン……』

 スプロケットは息を止めた。

「スプロケット」

 声が遠い。

『……ヴァレン……』

「スプロケット」

 今度は肩を掴まれた。

 白い室内が消えた。

 アイリーが正面にいる。

「こっち見て」

 スプロケットは目を合わせた。

「見てる」

「左手」

 それだけで意味は通じた。

 スプロケットは袖口をずらし、左手首のブレスレットへ触れた。

 細い繊維と小さな飾りが指先へいつもの感触を返した。

「名前」

「スプロケット」

「ここ」

「救急棟6号」

「誰がいる?」

 スプロケットは周囲を見た。

 アイリーがいる。

 治療台にはクロニアスがいる。

 出入口の近くには明がいる。

 そのさらに奥でマッハラインがじっとしていられず小さく歩いている。

「みんないる」

「うん」

 アイリーの手が肩から離れた。

「戻った?」

「戻ってる」

 アイリーはすぐには頷かなかった。

 スプロケットはもう一度ブレスレットへ触れた。

「今は大丈夫」

「今は、ね」

 アイリーはそこでようやく離れた。

「また声?」

「うん」

「前と同じ?」

「少し違う」

「何が?」

「見えた」

 アイリーの表情が硬くなった。

「何を?」

「知らない場所」

 それ以上を答える前に明がこちらを見た。

「やっぱり前より長いです」

「何が?」

「呼ばれてから返事するまで」

 スプロケットは明を見る。

「そんなに?」

「最初に会った時は考えてるだけに見えました」

 明は少し迷ってから続けた。

「今はこっちの声が聞こえてない時があります」

 アイリーが何も言わず、スプロケットへ視線を戻す。

 スプロケットは否定できなかった。

「そう見えたら教えて」

「はい」

「止まってたら?」

「アイリーを呼びます」

「ぼくを呼んで」

「それで戻らなかったらアイリーを呼びます」

「……それでいい」

 明は小さく頷いた。

 治療台からクロニアスの声がした。

「私も気になっていた」

「スプロケットのこと?」

「それもある」

 クロニアスは天井を見たまま少しだけ眉を寄せた。

「もう一つある」

 スプロケットは彼の方を向いた。

「《タイムエコー》?」

「自分から使ってはいない」

「反応した?」

「そうだと思う」

「何に?」

「そこが分からない」

 クロニアスは救急棟の床を見る。

「この場所には近い時刻の残響がいくつか重なっている」

「人が何人も通ったんじゃなくて?」

 明が聞いた。

「普通ならそう考える」

「違うんですか?」

「同じ人物に見える」

 マッハラインが歩くのを止めた。

「同じ人が何回も来た?」

「それなら順番が残る」

「今回は?」

「順番が合わない」

 マッハラインは少し考えた。

「つまり分からない?」

「今のところは」

「よかった」

 クロニアスが彼を見る。

「何が?」

「俺だけ置いていかれたわけじゃない」

 明が少し笑った。

 アイリーも張っていた肩をわずかに緩めた。

「難しい話は治ってからにして」

「記録だけでも――」

「駄目」

「まだ言い終わっていない」

「手帳を探したでしょ」

 クロニアスの右手が止まった。

 マッハラインが治療台の横に置かれた肩掛け鞄を足で少し遠ざけた。

「これは預かる」

「返してくれ」

「治療終わったら」

「アイリーが増えた」

「二人いた方が効くだろ」

「非常に困る」

「元気そうで安心した」

 マッハラインは笑いながら出入口へ戻った。

 その瞬間、スプロケットの端末が震えた。

【EXTERNAL ACCESS REQUEST:DETECTED】
【REMOTE AUTHORIZATION:REJECTED】

 全員の空気が変わった。

「来た?」

 アイリーが聞いた。

「触ってきた」

 スプロケットは外部ログを開いた。

 管理権を取り返そうとする動きが一度入り、拒否された直後に消えている。

 次は同じ手を使わない。

「どこから入ると思う?」

 明が聞いた。

「使える場所全部」

 答えた直後、上層の保守区画で高速の移動反応が一度だけ走った。

 マッハラインが顔を上げる。

「速いやつだな」

「たぶん」

「上、見てくる?」

「ここにいて」

「そう言うと思った」

 マッハラインは笑ったが、視線は天井側から外さなかった。

 今度は正面入口の構造負荷が上がった。

 何か重いものが扉の外へ配置されている。

「正面にもいる」

 アイリーが治療区画から前へ出る。

「壊しに来る?」

「すぐには壊さないと思う」

「どうして?」

「ぼくらを生きたまま捕まえる部隊だから」

 スプロケットは別の表示を開いた。

 換気系統の一部で小型機器の反応が増えている。

 同時に使えるはずの非常出口が一つだけ遠隔解放された。

【EMERGENCY EXIT C:OPEN】

 マッハラインが画面を見た。

「親切だな」

「行ったら閉じる」

「だろうね」

 明も表示を見る。

「じゃあ使わない?」

「今は」

 スプロケットは開いた非常口を監視対象へ回した。

 ネクス・ハウンズは無理に入ろうとしていない。

 こちらが逃げたくなる場所を作っている。

 正面を押さえる。

 上を取る。

 小型機器で内側を探る。

 最後に一つだけ道を残す。

 スプロケットは画面を閉じた。

「向こう、ぼくらを追ってない」

「ここにいるから?」

 アイリーが聞いた。

「出る場所を選ばせようとしてる」

 マッハラインが開いた非常口を見る。

「じゃあ選ばなければいい」

「クロニアスの治療が終わるまでは」

「それなら待つ」

 マッハラインはそう答えたが、両足はまだ小刻みに位置を変えていた。

「そんなに走りたい?」

 アイリーが聞く。

「走った方が楽なんだよ」

「今は?」

「待った方がいいんだろ」

「珍しく素直」

「俺だって考える」

「考える前に走るじゃん」

「今日は順番を変えてる」

 その軽いやり取りの間にも正面扉の構造負荷は少しずつ増えていた。

 スプロケットは治療系統と固定座標を同時に監視した。

 どちらかを途中で捨てれば、ここへ来た意味がなくなる。

 だから今は逃げない。

 しかし長く残れば、いずれ侵入される。

「明」

「はい」

「外へ音を出せるもの、まだある?」

「あります」

「非常口Cじゃない方向へ置いてほしい」

「どれくらい?」

「一回で十分」

 明は改造した通学バッグを開いた。

 中から軽い樹脂片を選び、指先で状態を確かめる。

「どこに置きます?」

「西側の搬送路」

「外に出ないと無理です」

「扉だけ少し開ける」

 マッハラインがすぐに近づいた。

「俺が置いてくる」

「君は出ない」

「まだ駄目?」

「速い人が出るのを待ってる」

「徹底してるな」

「だから明のを投げるだけ」

 明が小さく息を吐いた。

「届く位置ならできます」

「お願い」

 西側の保守扉を数十センチだけ開いた。

 明が樹脂片を通路の奥へ投げる。

 数秒後、光と乾いた破裂音が離れた場所で響いた。

 直後に外部監視の一部が西へ動いた。

「引っかかった?」

 アイリーが聞いた。

「確認しに行っただけ」

「それでも時間は稼げる?」

「少しは」

 スプロケットは扉を閉じた。

 そのまま固定座標へ接続を戻す。

 深く入るほど、救急棟の古い管理構造が見えてくる。

 現在の地図には残っていない座標履歴まで、下層に断片として保存されていた。

 そこへ触れた瞬間、また声が混ざった。

『……違う……』

 スプロケットはブレスレットへ先に触れた。

 今度は目を閉じない。

『……まだ……』

 声は遠い。

 白い壁は見えない。

 その代わり名前だけがもう一度残った。

『ヴァレン』

「スプロケット」

 アイリーの声が届く。

「いる」

 スプロケットはすぐに答えた。

「左手は?」

「触ってる」

「ここは?」

「救急棟6号」

 アイリーはそれ以上続けなかった。

「ならいい」

 スプロケットは接続を弱めた。

 名前について考えるのは後でいい。

 今はクロニアスを治して、帰るための場所を確保する。

 それだけに意識を戻す。

 端末へ新しい表示が出た。

【LOCAL COORDINATE:STABLE】
【RETURN REFERENCE:PROVISIONAL】
【EXTERNAL CONNECTION:NOT ESTABLISHED】

「取れた」

 クロニアスが治療台から顔を向ける。

「座標?」

「基準には使える」

「帰れる?」

「まだ」

「でも前進?」

 アイリーが聞いた。

「うん」

 その返事と同時に治療装置の表示も切り替わった。

【EMERGENCY TREATMENT:PRIMARY PHASE COMPLETE】
【PATIENT STATUS:STABILIZED】

 アイリーがクロニアスを見る。

「歩ける?」

「支えがあれば」

「走るのは?」

「無理だ」

 マッハラインが言う。

「俺が運ぶ?」

「速度は落として」

 スプロケットが答えた。

「そこは信用ないな」

「速く運ぶ方は信用してる」

「じゃあ褒められてることにする」

 正面入口から金属が軋む音がした。

 外側の固定機構が一つ壊された。

 次は内側へ来る。

「出るよ」

 スプロケットは開いている非常口Cを閉じた。

 代わりに今まで封鎖していた古い保守経路を一つ開く。

【MAINTENANCE ROUTE:LOCAL OPEN】
【REGISTERED NETWORK:NONE】
【EXTERNAL GUIDANCE:NONE】

「地図にない方?」

 明が聞いた。

「うん」

「またですね」

「その方が向こうも嫌がる」

 アイリーがクロニアスの腕を取った。

 マッハラインも反対側へ回る。

「俺が持つ」

「走らないでね」

「まだ言う?」

「言う」

「今日は歩く日だな」

 明が先に保守路を確認する。

 マッハラインは治療台の横へ置いていたクロニアスの肩掛け鞄を拾った。

 スプロケットは最後に救急棟6号の制御を見た。

 治療はできた。

 帰還の基準も一つ取れた。

 逃げるためだけに来たわけではない。

 その目的は最低限達成している。

 それでも、スプロケットの中には別のものが残った。

 白い施設。

 知らない男たちの声。

 何度か聞いた声。

 そして、少し前まで一緒にいた男と同じ名前。

 ヴァレン。

 今は調べない。

 検索セッションは残したまま表示だけを閉じた。

「行こう」

 五人は救急棟6号を離れた。

 背後で、正面入口の最後の固定機構が破られた。

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