Scene 03 ―「正しさだけが歩いている」

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オリジナル小説

 ガンマチームが第4衛星ドーム[カナメ]に到着したのは、薄曇りの朝だった。
 メインドームから隔たれたその支部都市は、半球型のアクリル天蓋を通して仄かに陽光を受け止めていた。
 静まり返った連絡地下道を抜けた先に、[統律特命局]第4方面支部の重厚な自動扉が立ちはだかる。

「……なあジャン君、ここ、何か空気薄くねぇか?」  

 リョウが鼻をすすり、手持ちのチョコバーを見つめる。

「気圧制御の誤差。衛星ドームは環境適応が少しラグる」

 ジャンが端末をひと睨みしながら、手慣れた調子で答える。

「でも──それだけじゃないかもしれないな」

 ジャンとリョウをよそにアビゲイルは無言で進み、指でID認証を済ませた。
 統律特命局・第4方面支部。
 フロア全体を満たす冷気は、夏も冬も変わらず一定だ。天井の循環ファンが低い弧を描いて回転し、白い空調ノイズが耳の奥で細く鳴る。

 壁一面のスクリーンには南極刑務所から送られた最後の映像が凍結し、氷晶のようなブロックノイズが絶えず明滅していた。
 そこに映る“影”は、人と獣の境界を曖昧にした輪郭を持ち、凍結空間の奥でわずかに揺れていた。

 映像であるはずなのに──見つめる者の心拍を確実に一段押し下げるほどの圧を纏っていた。ガンマチームの三人は、卓上の燈光に照らされながら、それぞれの沈黙を保っていた。

 中央に立つのは、リーダーのアビゲイル・エイミー・アームストロング。制服越しにも鍛え抜かれた肩の厚みがわかり、静止した姿勢からも緊張感が滲む。
 その隣では、ジャン=ジャック・ジャカールが背凭れに浅く身を預けていた。余裕と冷静さが同居した態度は、どこか観察者のようにも見えた。
 そして、やや遅れて咀嚼音が響く。リョウは腕を組んだままプロテインバーを噛み砕き、もう片手でスナックを探っていた。緊張と飢えは、どうやら彼にとってはいつも隣り合わせらしい。

 この静寂を破ったのは統律特命局の長官ジェフリー・モーガンだ。
 展開されたホログラムには老齢ながら精悍さを与える。黒スーツのポケットから取り出した古びた銀色のコインを親指で弾き、そのまま掌で転がす。コインが描くわずかな軌跡を視線で追いながら、低く言葉を零した。

「……これが[南極刑務所]での最終記録だ。“眠り”は想定より脆く、目覚めは想定より速かったようだ」

 ジャンが前へ出る。眼鏡を押し上げる癖を見せず、スクリーンから視線を外さないまま問いかけた。

「視察に行っていたデルタチームは……?」

 声には揺らぎがない。けれど耳を澄ませば、ひと呼吸ぶんだけ息が深い。それは彼が“記憶”の抽斗を開く証。彼の世界では、情報端末は確認作業にすぎない。

「訓練記録は局内ではトップクラスだったはずですが」

 言葉尻に、僅かな痛惜。

 ジェフリーは頷きさえせず答える。

「壊滅。通信途絶、現地AI沈黙。解析チームが回収ログを解析中だが、望みは薄い」

「……記録を更新する者が、もういないか」

 ジャンは呟き、薄く指を振った。卓上端末に触れたのはその一瞬だけ、戦術ログの更新が止まった事実を確かめるためだった。

 リョウがごく当たり前のように新たなポテチ包装を破ろうとする。カサリ、と鳴った袋音は司令室の静けさで必要以上に大きく響く。
 アビゲイルが瞬時に視線を送り、ジャンも眉間を狭めた。
 最後にジェフリーの無言の一瞥──それは軍法より重い。リョウは肩をすくめ、もぐもぐの最中に菓子を袖に隠した。
 アビゲイルが前へ。姿勢を崩さず、凛とした声で問う。

「現在もその存在は活動していますか?」

──スクリーンが[トーキョー・シティ]の映像へと切り替わる直前。

 アビゲイルは一瞬、首筋に微かな寒気を覚えた。誰かの視線……いや、“気配”としか言いようのないものが背後から降ってくるような感覚。アビゲイルが視線を背後に送るが何もない。

(何かが……私たちを見ている?)

 だが、その違和感はジェフリーの声にかき消されるように消えた。
 同じタイミングで、ジャンの端末にノイズが走る。

「……ノイズのパターンが奇妙だ。通信波形が交差してる?」

 その瞬間、画面の片隅で──誰の視線にも引っかからないまま、わずかな“歪み”がノイズのように走った。誰も、それを観測していない。
 口に出したものの、それがただの誤信号か、何かの“痕跡”なのか、判別はつかない。

「確定情報はない。ただ南極圏の波形異常は沈静化した。しかし別の問題がある」

 ジェフリーが端末を操作。南極の氷像が暗転し、取って代わるのはトーキョー・シティ。
 鏡面の超高層群を背景に、地上では人が悲鳴とともに倒れ、そして無表情で立ち上がる。ピントの合わない瞳、同調した歩幅。
 „生きて死んでまた歩く“。都市は不気味で整然とした不協和を奏でていた。

「……死んでるのに、動いてる……?」

 ジャンの呟きは理屈の否定だ。彼の脳裏ではすでに数千のパターンと確率が弾かれ、悉く“想定外”へ分類されていく。

「まさかトーキョー・シティでゾンビゲームが始まっているようですね」

 データよりも記憶から引き出した情報を優先したジャンはアビゲイルを見る。
 アビゲイルはわずかに目を細めた。

「ゾンビゲーム?」

「はい。いわゆるサバイバルホラーのジャンルであり、1990年代後半からゾンビゲームがヒットし、2000年代以降からマルチメディア展開した人気ジャンルです」

 人差し指と中指の腹をこめかみに当てながら解説するジャンに、アビゲイルとリョウ、それにジェフリーまでもなんとも言えない表情となる。

「ああ、つまり、悪趣味なゲームが現実世界で起きているという事です」

「そうか。結論として“誰か”が仕掛けているという事か」

 ジェフリーのフォローでジャンが頷き、アビゲイルがリョウに視線を合わせると彼は両肩をすくめていた。

 アビゲイルは、まるで“操られた人形”のように進む群衆を見つめていた。整然と並ぶ足取り、命令だけに従う身体。その姿が、かつての自分と重なって見えた。

 『それは正しいの? 本当に……?』

 ふいに、耳の奥で誰かの“声”がした気がした。かすかに、懐かしい。だけど、それ以上にどこか鋭い違和感を伴う囁き。
 その声に応えるように、アビゲイルは、ほんの一瞬、目を伏せた。

 (……正しさだけが歩く世界に、希望はあるのだろうか)

 声には出さなかった。けれど、その問いは彼女の内側に深く沈み、静かに揺れ続けていた。 

 ジェフリーは淡々と続ける。

「この異常には世界政府直属の特殊部隊、“ワイルドカード”を投入した。しかし、80時間経過した現在、応答がなく完全に沈黙している」

 リョウは菓子の袋を二本指で回しながら口を尖らせる。

「……あいつらが黙るなんざ、冗談になんねぇぞ」

 冗談めかした口ぶりの奥に、リョウもまた異変の不気味さを感じ取っていた。言葉にすれば負ける気がして、彼は菓子の袋に集中するふりをした。

 そして小声でつけ足す。

「でもトーキョー・シティか。名物食えるチャンスが増えたと思えば……」

「リョウ」

 アビゲイルの射貫くような視線。リョウは肩を竦め「ハイハイ」と袋をしまった。だが唇の端は緊張と興奮で不敵に上がっている。

「我々が現地へ?」アビゲイル。

 ジェフリーは首肯した。

「都市調査に加え、要人“ミーラ・マリク”の保護が最優先だ。最後に機能したドローン映像と彼女の生体反応から、市内中心の機密施設を起点に追跡できる。ログは転送済みだ」

 スクリーンに再生されるのは、高層医療ビル屋上で荒れる強風と、揺れる白衣の背。解像度の粗い映像は、そこでプツリと切れる。
 そのわずかな秒差の中── 白衣の背のさらに奥、風に煽られたカーテンの隙間に“何か”が横切ったように見えた。だが映像を戻しても、そこには何もいなかった。 端末に残されたログにも、それを示す記録はない。
 ジャンは端末を軽くタップし、転送ログを脳裏に焼き付ける。

【#F:Δ/0-HNAx.7≠】

 転送ログの末端で、フォーマット外のコードが1フレームだけ走った。

「……また見慣れないコードだ。誰が、何の……」

 問いが浮かぶより早く、

「ラーメンのことしか考えてねぇ」

 すでにスナック菓子の小袋を開けたリョウの声が、思考を断ち切った。  ジャンは肩をすくめ、手元の端末を閉じる。

「ま、難しい顔すんなって。どんな任務でも腹が減っちゃ動けねぇだろ?」

 リョウは前向きに頷き、拳を鳴らした。

「ならさっさと行こうぜ。“焼き鴨ラーメン”の店、閉まる前にな」

 再び袋を取り出しかけアビゲイルの一睨みで、諦めてズボンの後ろポケットへ戻す。

 アビゲイルは小さく息を吸い、毅然と宣言した。

「任務、承知しました。ガンマチーム、出動準備に入ります」

 沈黙の敬礼。三人は背を向け、自動扉の向こうへ消える。
 扉が閉まる音が響くと同時に、司令室の照度がわずかに落ちた。

「……統律特命局専用ラインへ割り込み通信を確立」

 機械音。スクリーンが再点灯し、重い革張り椅子に座る男が映し出される。
 灰色の三つ揃い、深く被った帽子。
 Mr.X。世界政府執行評議会の影。
 旧式の紙巻タバコに火を灯す銀製ジッポ。青白い火花が照らす顎の線。  机上の手帳に並ぶのは、過去に逝った者たちの名。

「また彼らかね、ジェフリー」

「他に適任はない」

「“Ω計画”の核心を隠したまま、か」

「情報は必要最小限でいい。真実は時に呪いだ」 「知っているのは“過去”の姿。今の計画は、別の意思で走っているぞ」

「……あの男か」

「名は出すな。“物語”が動く」

 Mr.Xは煙を吐く。

「君は変わった。昔の君は結果だけを見た」

「人は変わる。あなたこそ変わらなすぎる。影は光を殺す」

 ジェフリーはコインを回す。その金属光が彼の瞳に小さく反射する。

「Ω計画は動き始めた。だが今回は、結果が違うと信じている」

 ジッポの蓋が閉じられる。

 カチリ。
 スクリーンは暗転し、薄煙が残された空間で揺れた。
 ジェフリーの背後に静かに灯る非常灯の光が、室内の冷気を照り返す。  彼はコインを取り出し、ゆっくりと宙に投げた。
 カラン……カラン……と金属の音が響き、机の端で止まる。

──たとえ裏面が出たとしても。

 ジェフリーはそれを“運命”とは思わない。彼は信じていた。あの三人が、たとえ正解を踏み外しても“正しさ”に辿り着くと。
 傷だらけの裏面──それは彼にとって、過去の“失敗”を象徴する面だった。それでも、ジェフリーはその面を睨みつけることはしない。彼はそっとそれを握り締め、ただ呟いた。

「……正しさが歩き出すには、少しの“誤差”が必要なのかもしれないな」

 そしてその手を開いた時、また別の選択肢が浮かび上がっていた。

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