〈センチレット〉の反応はまだ残っていた。
スプロケットは崩れた商業区画の裏手で足を止めた。
頭上では仮設送電線が低く唸っている。
通りの向こうには半壊した共同住宅。
その奥では復旧灯が一定間隔で点滅していた。
[ネクス・ハウンズ]の姿は見えない。
だから安全とは限らない。
【〈CENTILLET〉:LINK AVAILABLE】
【LOCAL MANAGEMENT ACCESS:PARTIAL】
【CITY RESTORATION NETWORK:ACTIVE】
「また使うの?」
アイリーが横から画面を覗いた。
「……見るだけ」
「前もそれで色々やったじゃん」
「今回はまだやらない」
「まだ?」
「うん」
スプロケットは《サイバー・リゾナンス》を細く伸ばした。
前回のように都市側へ広げない。
近くを巡回している一機の〈センチレット〉だけを拾う。
【〈CENTILLET〉:CONNECTED】
【SURVEILLANCE:AVAILABLE】
【EVACUATION ROUTE:AVAILABLE】
【BARRIER STATUS:AVAILABLE】
【RESTORATION STATUS:AVAILABLE】
拒否はされない。
〈センチレット〉そのものが使えなくなったわけではなかった。
スプロケットは周辺経路を開いた。
【ROUTE-A:BLOCKED】
【ROUTE-B:HIGH RISK】
【ROUTE-C:AVAILABLE】
【VISIBLE HOSTILE RESPONSE:LOW】
【PASSAGE STATUS:OPEN】
「……南東」
旧避難路が表示される。
マッハラインが身体を傾けた。
「じゃあ俺が一回――」
右足が前へ出る。
半歩で止まった。
「……いや」
マッハラインは自分で足を戻した。
「スプロケット。今は待つ?」
スプロケットが少しだけ顔を上げる。
「待って」
「了解」
マッハラインは笑って答えた。
走り出さなかっただけで身体は落ち着いていない。
踵を浮かせながら避難路の奥を見ている。
「俺ならすぐ見て戻れるけどね」
「だから待って」
「分かってるって」
その横で明が入口を見続けていた。
「……ちょっと変です」
スプロケットが画面から視線を外す。
「何が?」
「ここ避難路なんですよね?」
「うん」
「今も使える状態で?」
「そうなってる」
明は床へ目を落とした。
「だったら人が使ってないのがおかしいです」
アイリーも入口を見る。
「使ってない?」
「たぶんですけど」
明は通路手前を指した。
「復旧班が通ってるなら資材を運んだ跡がもっと残ると思います」
床面には新しい擦過痕が少ない。
壁際にも人が頻繁に通過した形跡がほとんどない。

「表示では開いてるのに?」
アイリーが眉を寄せる。
「はい」
「じゃあ私が先に入って――」
「駄目」
スプロケットがすぐに止めた。
「早っ」
「罠だったらアイリーが入る意味ない」
「でも何か出てきたら私が止められるよ?」
「入らなければ止めなくていい」
アイリーは一瞬黙った。
「……それはそうか」
マッハラインが笑う。
「同じこと考えてた」
「マッハラインは見たいだけでしょ」
「それもある」
「私は守るため!」
「はいはい」
「そこ一緒にしないで!」
短いやり取りの間もスプロケットは〈センチレット〉を見ていた。
【ROUTE-C】
【PASSAGE STATUS:OPEN】
【STRUCTURAL RISK:LOW】
【CIVILIAN TRAFFIC:LOW】
【SECURITY ALERT:NONE】
「……嘘ではない」
「〈センチレット〉がですか?」
明が聞く。
「たぶん」
「じゃあ何が変なんです?」
「持ってない情報がある」
スプロケットは管理情報を一段深く開いた。
復旧部隊。
一般警備。
管理設備。
周辺武装反応。
ネクス・ハウンズだけが見えない。
【TACTICAL POSITION DATA:PARTIAL】
【FIELD UNIT STATUS:UNAVAILABLE】
【NETWORK INTEGRATION:DISABLED】
「……切った」
アイリーが首を傾ける。
「何を?」
「自分たち」
「街から?」
「全部じゃない」
必要な部分だけを都市側から外している。
前回こちらが〈センチレット〉を利用した。
その次には情報そのものを見えなくした。
明も画面を見ていた。
「対応早いですね」
「うん」
「一回で変えてきたんですか?」
「たぶん」
マッハラインが口元を上げる。
「面白いじゃん」
アイリーが横を見る。
「喜ぶところ?」
「だって向こうも変えてきたならこっちも変えればいい」
「そういう意味なら分かるけど」
スプロケットは避難路を経路候補から外した。
「……行かない」
マッハラインがすぐ反応する。
「別の道?」
「探す」
「今度は俺も待つ」
「自分で言うんだ」
アイリーが笑った。
「成長したから」
「自分で言うと安くなるよ」
「そこまで?」
◇
北側へ戻り始めた時だった。
低い駆動音が響いた。
全員が振り返る。
先ほどまで開いていた避難路の奥で巨大な隔壁が動いていた。
【BARRIER:CLOSING】

「ほら!」
アイリーが指を差す。
「やっぱり罠だった!」
「まだ罠とは――」
明が言いかける。
スプロケットはすでに〈センチレット〉へ接続していた。
【OPEN REQUEST:SUBMITTED】
【OPEN REQUEST:DENIED】
【CONTROL MODE:LOCAL MANUAL】
「……手動」
「開かないの?」
アイリーが聞く。
「都市側から切ってる」
「じゃあ壊す?」
「壊さない」
「即答二回目!」
「必要ない」
頭上で青い光が一度横切った。
マッハラインが先に見上げる。
「あれは空飛ぶヤツだ」
明も追う。
「〈センチレット〉には出てません」
「だからだよ」
マッハラインは少し楽しそうに笑った。
「本当に見えなくしてる」
「感心してる場合?」
「敵でも上手いものは上手い」
アイリーが肩を落とす。
「そういうところ変わらないね」
「そこは変える必要ないだろ」
スプロケットは二人の会話を聞きながら取得項目を減らした。
【TACTICAL DATA:DISABLED】
【HOSTILE POSITION SEARCH:DISABLED】
【STRUCTURAL STATUS:ACTIVE】
【POWER GRID:ACTIVE】
【CIVILIAN MOVEMENT:ACTIVE】
【RESTORATION ACTIVITY:ACTIVE】
明が表示を見る。
「ハウンズを探すのやめるんですか?」
「うん」
「見えないから?」
「見えないものを探すと向こうの情報に引っ張られる」
「じゃあ街だけ見る」
「そう」
アイリーが覗き込む。
「建物とか人とか?」
「電気も」
「それで逃げられる?」
「……やってみる」
アイリーがすぐに笑った。
「じゃあやろう!」
スプロケットが彼女を見る。
「軽い」
「やってみなきゃ分からないでしょ」
「それアイリーの理屈」
「こういう時は使えるよ」
マッハラインが先の通路を指した。
「で。今度はどっち?」
スプロケットは都市の環境情報だけを見た。
「……右」
「了解」
今度は誰も勝手に先行しなかった。

◇
旧商業区画の保守路を抜ける。
復旧班の使用区画を外す。
一般市民が多い場所も避ける。
敵の位置は見えないままだった。
数十メートル進んだところでクロニアスが止まった。
「待ってくれ」
全員が止まる。
クロニアスは後ろの隔壁を見ていた。
「これ二回目だ」
明が振り返る。
「二回目ですか?」
「いや違う」
クロニアスは自分で否定した。
「二回見たんじゃない」
手帳へ手を伸ばす。
「閉じる前に閉じた後を知ってた感じがした」
アイリーが顔をしかめる。
「未来が見えたってこと?」
「それはない」
クロニアスはすぐに首を振った。
「《タイムエコー》は未来視じゃない」
「じゃあ?」
「だから変なんだ」
手帳へ短く書き込む。
「記憶の混線かもしれない。疲労もある。能力残響の可能性もある。いやそれなら前後関係が――」
「クロニアス」
スプロケットが止める。
「今は?」
クロニアスは一度考えた。
「危険とは判断できない」
「じゃああとで」
「うん。必ず」
手帳を閉じる。
「これは残す」
「分かってる」

◇
数分後。
スプロケットは再び一機の〈センチレット〉へ接続した。
今度は敵を探さない。
〈センチレット〉自身の判断経路を見る。
【〈CENTILLET〉】
【LOCAL JUDGMENT:ACTIVE】
「何見てるの?」
アイリーが横から覗く。
「こいつが何を見てるか」
「〈センチレット〉を?」
「うん」
判断履歴を遡る。
【LOCAL JUDGMENT:〈CENTILLET〉】
↓
【CITY AGGREGATION:〈CENTRIO〉】
スプロケットの指が止まる。
視界の端に白いものが立っていた。
人影だった。
以前は横顔の輪郭までしか掴めなかった。
今は肩の位置まで分かる。
顔がどちらを向いているのかも、前よりはっきりしている。
『――まだ』
男の声だった。
スプロケットが振り返る。
誰もいない。
アイリーがその動きに気づいた。
「スプロケット?」
「……また聞こえた」
アイリーの表情から笑みが少し消える。
「前と同じ?」
スプロケットは一度だけ迷った。
「……前より近い」
「大丈夫?」
「うん」
アイリーは数秒だけスプロケットを見た。
「じゃあ続けよ。変だったら今度はちゃんと言ってね」
「……分かった」
スプロケットは再び表示へ視線を戻した。
人影はもういない。
それでも声だけは少し長く残っていた。
【LOCAL JUDGMENT:〈CENTILLET〉】
↓
【CITY AGGREGATION:〈CENTRIO〉】
今度は別の文字がスプロケットの視線を止めた。
「……〈セントリオ〉」
明が画面を見る。

「これが上なんですか?」
「みたい」
「AIですか?」
「まだ分からない」
マッハラインも覗き込む。
「繋がってみれば?」
スプロケットが無言で見る。
「……今のなし」
マッハラインは自分から引いた。
「今は危ないな」
アイリーが少し笑う。
「本当に自分で止まるようになったね」
「だろ?」
スプロケットは〈セントリオ〉への接続を開かなかった。
名前と位置だけを残す。
今はそれで十分だった。
「固定点を探す」
ヴォルトへ繋がる可能性がある中継点を開く。
【FIXED RELAY CANDIDATE:07】
【DISTANCE:1.8 km】
「ここなら――」
表示が変わった。
【FIXED RELAY CANDIDATE:07】
【ACCESS STATUS:BLOCKED】
マッハラインが眉を上げる。
「早いな」
明も画面を見る。
「先回りされたんですか?」
「……可能性高い」
別候補。
【FIXED RELAY CANDIDATE:04】
【ACCESS STATUS:UNAVAILABLE】
【FIXED RELAY CANDIDATE:09】
【STATUS:UNRESOLVED】
使える場所が減っている。
ハウンズは追いついてこない。
進める場所を少しずつ消している。
スプロケットは別の画面を開いた。
さらに一枚。
もう一枚。
「スプロケット」
アイリーが呼ぶ。
「何?」
「画面多い」
「必要だから」
「必要でも多い」
スプロケットの指が止まる。
「今いらないの閉じよ」
「どれ?」
「それは私に聞くの?」
「アイリーが言ったから」
「そこはスプロケットが決めてよ!」
マッハラインが笑う。
明も僅かに口元を緩めた。
スプロケットは数秒考えた後に二枚閉じた。
「……これでいい?」
「うん」
「適当」
「でもさっきより顔上がったよ」
スプロケットがアイリーを見る。
アイリーは笑っていた。
「ヒーローは仲間が下向いてたら気づくから」
「……そう」
「そうなの」
残った候補は少ない。
安全な場所はさらに少ない。
スプロケットは〈センチレット〉との接続を細く残した。
敵を見るためではない。
まだ使える街を見るために。
「……追いつかれてる」
明が後ろを見る。
「ハウンズですか?」
スプロケットは首を振った。
「違う」
使えない区画。
閉じた中継点。
信用できなくなった戦術情報。
「逃げ道が」
誰もすぐには答えなかった。
【AVAILABLE FIXED POINT:DECREASED】
【〈CENTILLET〉TACTICAL RELIABILITY:LOW】
【〈CENTRIO〉:UPSTREAM JUDGMENT DETECTED】
【EXTERNAL CONNECTION:NOT ESTABLISHED】
【NEXT FIXED POINT:SEARCHING】
逃げることには成功していた。
自由になったわけではなかった。

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