TASK_01|下層搬送線
第3搬送線は中央物流センターへ向かって緩やかに上っていた。
人間用の通路よりも幅が広い。
床の中央には停止した搬送レールがあり、その両側へ保守員用の足場が続いている。
照明は半分以上が消えていた。
残った灯りも一定ではない。
五人が近づくたびに点灯し、通過したあとで消える。
スプロケットは先頭を歩いていた。
端末には中央中継設備までの距離が表示されている。
【ACTIVE RELAY:1.8 KM】
【ROUTE STATUS:PARTIAL】
地図上では一本の経路だった。
現実には崩れた足場や停止した搬送車両が通路を分断している。
そのたびに明が通れる場所を探し、スプロケットが設備の状態を確かめた。
最後尾ではヴァレンが後方を警戒している。
アイリーはクロニアスを背負っていた。
「重くなった?」
クロニアスが、背負っているアイリーへ尋ねた。
「さっきよりは」
「体重は変わっていない」
「私が疲れたの」
「交代するべきだ」
「誰と?」
アイリーに聞き返され、クロニアスは周囲を見た。
スプロケットは設備を確認している。
明は床の亀裂を調べている。
最後尾にいるヴァレンだけが、両手を空けていた。
「ヴァレン」
クロニアスが後方へ呼びかけた。
「私、ですか?」
「体格は近い」
ヴァレンはアイリーの背中にいるクロニアスを見た。
「人を運んだ……経験はありません」
「私も運ばれた経験は少ない」
「落とさないでよ!」
アイリーが二人の相談へ割り込んだ。
「交代するとは、言っていません」
ヴァレンがアイリーへ答える。
「クロニアスが勝手に決めてる」
「体力の分配は必要だ」
クロニアスが背中越しに反論した。
「戦う時になったら代わってもらう」
「今は?」
「私が、運ぶ」
アイリーは歩調を変えなかった。
「助けた人を安全な場所まで連れていって、初めて救助でしょ」
「まだ安全な場所は見つかっていない」
「だから運んでるの」
ヒーローなら助けた相手を途中で置いていかない。
アイリーが知っている物語ではそうなっていた。
現実の救助が物語ほど簡単ではなくても、そこだけは変えたくなかった。
クロニアスの左脚が障害物へ当たらないよう少し外側へ向ける。
痛みが強くなるたび、クロニアスの呼吸が変わった。
それでも本人は口に出さない。
「クロニアス、痛い?」
アイリーが背中の本人へ尋ねた。
「痛い」
「聞かなくても言って」
「常に報告すると会話が成立しない」
「強くなった時だけ」
「先ほどから同程度だ」
「じゃあ今はいい」
前方で金属が動く音が響いた。
スプロケットが足を止める。
搬送レール上に置かれていた大型コンテナが、ゆっくりと横へ移動している。
動力は失われていた。
コンテナの横には二体のブーステッドがいる。
両者が側面を押していた。
その先には手動切替装置を操作する作業服姿のリピーターがいる。
レールの分岐が切り替わった。
コンテナは一行の前へ移動し、通路を塞ぐ。
「機械が動かしたんじゃありません」
明が前方の作業員を指した。
「人が押しています」
「見えてる」
アイリーがクロニアスを背負い直した。
「どければいい?」
「待って」
スプロケットがアイリーを止め、コンテナの左右を確認した。
右側には壁。
左側には保守足場。
足場の先は途中で崩落している。
コンテナを押し返せば、二体のブーステッドと正面から力をぶつけることになる。
「後ろからも……来ます」
最後尾のヴァレンが一行へ警告した。
遠くで足音が重なる。
旧観測区画から追ってきた変異市民たちだった。
走ってはいない。
一定の間隔を維持しながら近づいている。

「前を押すか、後ろへ戻るか」
アイリーが前後を見比べた。
「戻る道は閉じられる」
クロニアスがアイリーの背中から答えた。
「どうして分かるの?」
「音がした」
後方で隔壁が動き始めた。
ヴァレンが振り返る。
通路の左右から防火扉が閉じてくる。
「本当に閉じています」
「先に言ってよ」
「動いたのは、いまです」
明は前方のリピーターを見た。
作業員は切替装置から手を離している。
代わりに胸元の端末へ何かを入力した。
数秒後、後方の隔壁が動き始めた。
「離れているのに、あの人が閉めたんですか?」
明がスプロケットへ尋ねた。
「入力はした」
スプロケットは設備記録へ接続した。
作業員の端末から送られた手動閉鎖命令が、中間制御盤を経由して後方隔壁へ届いている。
「能力で扉を動かしたんじゃない」
「《GAME MASTER》ですか?」
明が続けて尋ねた。
「たぶん、あの人へ閉めるよう命令した」
「遠くの扉を?」
「操作方法を知っている人を使った」
スピーカーに雑音が入った。
≪正解です≫
《GAME MASTER》を自称する男の声だった。
≪ユニットにはできることをさせた方がいいでしょう≫
アイリーが天井のスピーカーを見上げた。
「ユニットじゃない」
≪まだ、そこですか≫
「何度でも言う」
≪呼び方を変えても、やっていることは変わりません≫
「人に扉を閉めさせること?」
≪役割を与えることです≫
「本人が決めてない」
≪決められないなら、誰かが決める必要があります≫
「それは役割じゃなくて、押しつけてるだけでしょ」
アイリーはコンテナの横にいるブーステッドを見た。
「私は強いから前に出るんじゃない」
≪何が違うのですか?≫
「守る人が後ろにいるから自分で前に出るの」
前方のブーステッドが姿勢を変えた。
二体ともコンテナから手を離す。
一体が右側へ移動し、アイリーを見た。
もう一体は左側へ立ち、明の進路を塞ぐ。
「後ろが閉じるまで待つつもりだ」
クロニアスが全員へ告げた。
「それから前へ出る」
「命令が聞こえるんですか?」
明がクロニアスを見た。
「行動の順番を見ている」
後方隔壁の閉鎖音が近づく。
前方のリピーターが顔を上げた。
ブーステッドの一体が動く。
「今だ」
クロニアスがアイリーへ警告した。
大型の身体がアイリーへ向かった。
アイリーはクロニアスを背負ったまま半歩下がる。
「これ無理!」
「私を下ろせ」
「どこに?」
ブーステッドが右腕を振る。
ヴァレンがクロニアスの背中へ手を伸ばした。
「私が、受け取ります」
「落とさないで」
アイリーがヴァレンへ念を押した。
「保証は、できません」
「そこはして!」
アイリーはクロニアスの腕を外し、ヴァレンへ身体を預けた。
ヴァレンが右肩を入れる。
クロニアスの体重が一気にかかり、片膝をついた。
「重い……です」
ヴァレンがクロニアスへ率直に告げた。
「アイリーは軽いと言った」
「比較が、間違っていました」
アイリーは二人の前へ出た。
ブーステッドの腕を両手で受け止める。
床が軋んだ。
金色の光が腕から肩へ走る。
怖くないわけではなかった。
相手の力が想像以上で腕の内側が震えている。
それでも、後ろに負傷者と仲間がいる。
ヒーローになりたいなら、ここで前に立つのは自分だった。
≪やはり強いですね≫
男の声が流れた。
≪一人で何体倒しても僕には関係ありません≫
「一体で止まってるけど」
≪止めているのはあなたです≫
「倒すためじゃない」
アイリーは腕へ力を込めた。
「みんなを通すために止めてるの」
もう一体のブーステッドが左側から回り込む。
明が後退した。
手には何も持っていない。
準備していた樹脂片は使い切っている。
床へ落ちている金属片を拾った。
指を当てるが、すぐには光らない。
「時間が必要です」
明がスプロケットへ伝えた。
「どれぐらい?」
「分かりません」
「無理なら使わないで」
「でも、来ます」
ヴァレンはクロニアスを支えながら、明とブーステッドの間へ移動した。
「明、こちらへ」
ヴァレンが明を呼んだ。
明はクロニアスを支えているヴァレンを見た。
「ヴァレンはどうするんですか?」
「避けます」
「でも、クロニアスがいます」
「分かっています」
返事は落ち着いていた。
身体はわずかに遅れて動いた。
ブーステッドの足が床を蹴る。
「右だ」
クロニアスが自分を支えるヴァレンへ指示した。
ヴァレンが右へ動く。
直後、ブーステッドの肩が左側の壁へ当たった。
壁面パネルが割れる。
「なぜ分かったん……ですか?」
ヴァレンが肩越しにクロニアスへ尋ねた。
「先ほども右足から動いた」
「記録したん……ですか?」
「見た」
ブーステッドが身体を起こした。
同じ姿勢。
右足。
肩を低くする。
「また右だ」
クロニアスがヴァレンへ告げた。
ヴァレンがクロニアスとともに動く。
ブーステッドは同じ角度で突進した。
今度は空の搬送台車へ衝突する。
台車が横転した。
「同じ攻撃を繰り返しています」
明が二人の動きを見ながら言った。
「命令が単純だからだ」
クロニアスはブーステッドを見た。
「対象へ接近し、押し倒す。細かな修正は本人の反射に任されている」
「なら、避け続けられますか?」
明がクロニアスへ尋ねた。
「本人が学習しなければ」
「本人は残っているんですよね?」
「残っている」
「なら、次は変わるかもしれません」
ブーステッドが三度目の姿勢を取る。
右足が動いた。
途中で止まる。
左足が半歩前へ出た。
「変わり……ました」
ヴァレンがクロニアスへ告げた。
「残ってる」
明は握った金属片を見た。
内部に弱い光が広がり始めている。
「まだ使わないで」
スプロケットが明を止め、前方のリピーターへ意識を向けた。
ブーステッドの動きが変わる直前、リピーターが胸元の端末へ触れている。
設備操作ではない。
誰かから届いた命令を確認する動作だった。
「クロニアス」
スプロケットが呼んだ。
「何だ」
「あの人が端末へ触ってから動きが変わった」
「時間は?」
「3秒ぐらい」
「最初の命令より短い」
「近いから?」
「中継点が増えた可能性もある」
後方の隔壁が閉じた。
【REAR ROUTE:SEALED】
同時に前方のリピーターが顔を上げる。
二体のブーステッドが動いた。
一体はアイリー。
もう一体は明ではなくスプロケットへ向かう。
「対象が変わりました!」
明が全員へ叫んだ。
スプロケットは横へ走った。
ブーステッドの手がパーカーの裾を掴む。
身体が後ろへ引かれた。
アイリーが振り返る。
目の前の一体から腕を外せない。
「スプロケット!」
ヴァレンはクロニアスを床へ座らせた。
スプロケットへ向かおうとする。
「ヴァレン、動くな」
クロニアスが自分を支えていたヴァレンを止めた。
「ですが――」
「彼女は右へ逃げる」
スプロケットは身体を回転させた。
掴まれたパーカーから腕を抜く。
布だけがブーステッドの手に残った。
白いシャツ姿で床を転がる。
明が金属片を握った。
「使います!」
「どこへ?」
スプロケットが床から明へ尋ねた。
「前です!」
明はコンテナの下へ金属片を滑らせた。
ブーステッドの足元ではない。
レール切替装置の近く。
「全員、離れてください!」
内部の光が不均一に揺れる。
一瞬消えた。
明の表情が変わる。
「まだです」
ブーステッドがスプロケットへ向き直る。
「まだ動きません」
明は指を握り込んだ。
金属片が白く光る。
乾いた破裂音が通路へ広がった。
レール上の固定具が外れる。
コンテナが傾いた。
二体のブーステッドが反応する。
落ちてくるコンテナを支えるため、同時に腕を伸ばした。
「今です!」
明が全員へ叫んだ。
アイリーが一体の横を抜ける。
スプロケットを抱え、コンテナの左側へ走った。
ヴァレンはクロニアスを引き起こす。
「クロニアス、歩けますか?」
「右脚だけなら」
「私の肩へ」
クロニアスがヴァレンの右肩へ腕を回す。
ヴァレンは腰を支え、左脚を浮かせた。
明が先に左側の隙間へ入る。
足場は崩れている。
残った鉄骨を一列ずつ渡れば、コンテナの向こうへ出られる。
「落ちたら下まで行きます」
明が後ろのアイリーへ言った。
「落ちないで」
「言われなくても」
スプロケットは端末を見た。
ブーステッドはコンテナを支えている。
前方のリピーターは新しい命令を待っていた。
胸元の端末へ触れる。
3秒。
「次が来る」
スプロケットが全員へ警告した。
リピーターが横を向く。
ブーステッドの一体がコンテナから手を離した。
大型の箱がさらに傾く。
もう一体だけでは支えきれない。
「明、急いで!」
アイリーが明の背中を押した。
「押さないでください!」
明が鉄骨を渡る。
アイリーが続いた。
スプロケットは後ろを見る。
ヴァレンがクロニアスを支えながら進んでいる。
歩幅が合わない。
クロニアスの左脚が鉄骨へ触れるたび、身体が止まった。
「ヴァレン、先に行ってくれ」
クロニアスが支えている本人へ言った。
「できません」
「全員が落ちる」
「一人を置く方が……効率的ですか?」
「今はそうだ」
「先ほど見たものと……同じです」
「何が」
「全体のために……個人は不要だという、判断です」
クロニアスは返事をしなかった。
ヴァレンは前へ進む。
「私は、その判断を……選びません」
コンテナがレールから外れた。
金属音が響く。
「ヴァレン!」
スプロケットが手を伸ばした。
ヴァレンはクロニアスの身体を先に押す。
スプロケットとアイリーが腕を掴んだ。
クロニアスが足場側へ引き上げられる。
直後、コンテナが横倒しになった。
ヴァレンの足元の鉄骨が揺れる。
身体が外側へ傾いた。
明がヴァレンのコートを掴む。
「ヴァレン、早く!」
ヴァレンが足場へ上がった。
コンテナが通路へ倒れ、前後を分断する。
ブーステッドとリピーターは向こう側へ残された。
スピーカーから男の声が流れる。
≪今の道は僕が作ったものではありません≫
「ぼくたちが作った」
スプロケットは乱れた呼吸を整えた。
≪そういう道は長く残りませんよ≫
「残すために作ってない」
≪では、何のためですか?≫
「進むため」
返答はなかった。
アイリーはクロニアスを再び背負った。
「今度は交代する?」
ヴァレンがアイリーへ尋ねた。
「戦わない場所なら」
「いまの場所は?」
「戦ったあと」
「では、いまは交代できます」
アイリーは少し迷った。
「落とさない?」
「一度も、落としていません」
「さっき鉄骨から落ちそうだった」
「私が、です」
「クロニアスも一緒だった」
「それは……認めます」
クロニアスがアイリーの背中から手を上げた。
「交代に賛成する」
「本人は黙ってて」
アイリーはそのまま歩き出した。
救助はまだ終わっていない。
安全な場所も帰る道も見つかっていない。
ヒーローらしく見えることより、いまは歩き続ける方が重要だった。
端末上の中央中継設備までの距離が縮まっている。
【ACTIVE RELAY:1.2 KM】
しかし、後方から回り込む新しい反応が増えていた。
命令源は、閉じた経路を諦めていない。
別の通路へ変異市民を移し始めている。
命令が届くまでの時間は、先ほどより短くなっていた。
TASK_02|分断
第3搬送線は下層集積区画へ接続していた。
天井まで積まれた保管棚。
停止した搬送アーム。
床を縦横に走る複数のレール。
かつては荷物を自動で振り分ける区画だった。
現在は数十体の変異市民が配置されている。
全員が作業しているわけではない。
棚の間に立つ者。
制御盤の前で待つ者。
搬送台へ座ったまま動かない者。
一行が区画へ入ると、顔だけが同時に向いた。
「多いです」
明が足を止めた。
「走る?」
アイリーが明へ尋ねた。
「クロニアスを、背負ったまま……ですか?」
「置いていかない」
「なら、走らない方が……いいです」
スプロケットは床の経路表示を確認した。
中央中継設備へ続くのは、集積区画を横断する青い線だった。
途中に三つの自動扉がある。
すべて開いていた。
「開けて待ってる」
スプロケットが青い経路を見た。
「罠ですか?」
明がスプロケットへ尋ねた。
「道として使ってほしいんだと思う」
「また決められた道だ」
クロニアスがアイリーの背中から周囲を見た。
「左右にリピーターがいる」
保管棚の中段。
作業用足場。
通路脇の制御盤。
同じ動作を繰り返す者が、一定の間隔で配置されている。
一人が右手を上げる。
数秒後、次の者が同じ動きをする。
さらに奥の一人へ、動作が伝わった。
「合図ですか?」
明がクロニアスへ尋ねた。
「命令を受けた反応をそのまま繰り返している」
クロニアスは手を動かそうとした。
アイリーの背中にいるため、手帳を取れない。
「クロニアス、書かなくていい」
アイリーが背中の動きを感じて止めた。
「何も言っていない」
「書こうとした」
「記録は必要だ」
「スプロケット」
アイリーが先頭へ呼びかけた。
「記録してる」
スプロケットは振り返らず、端末へ入力した。
最初のリピーターが腕を下ろす。
次のリピーター。
その次。
動作が区画の奥へ伝わる。
最後の一体が腕を下ろした瞬間、区画全体の搬送設備が起動した。
≪集積処理を再開します≫
≪指定区画から退避してください≫
「《GAME MASTER》が機械を動かしたんですか?」
明がスプロケットへ尋ねた。
「違う」
スプロケットは制御盤の前にいる作業員を見た。
三人がそれぞれ別の装置へ手を置いている。
電源。
経路指定。
搬送開始。
複数の手動操作を分担していた。
「人に動かさせてる」
床のレールが振動する。
停止していた搬送台が一斉に動き始めた。
荷物は載っていない。
空の台が一行の進路を横切る。
「止まらないで」
スプロケットが全員へ指示した。
五人は青い経路へ入った。
最初の扉を通過する。
左右から搬送台が流れてくる。
アイリーがクロニアスを背負ったまま避けた。
明は台と台の隙間へ入る。
ヴァレンが最後尾を走った。
床の表示が切り替わる。
【ROUTE DIVISION:ACTIVE】
「何?」
スプロケットが端末を見る。
青い線が途中で二つへ分かれた。
一方は中央中継設備。
もう一方は搬送車両整備区画。
「地図と違う」
クロニアスがアイリーの背中から画面を見た。
「設備が経路を変えた」
「止められる?」
アイリーがスプロケットへ尋ねた。
「操作盤が遠い」
スプロケットは近くの端末へ接続した。
現在の搬送処理は集積区画の手動制御が優先されている。
外部からの停止命令は受け付けない。
正面の二つ目の扉が閉じ始めた。
「走って!」
アイリーが全員へ叫んだ。
明が先に扉へ向かう。
スプロケットも続いた。
搬送台が間へ入る。
スプロケットの前を横切った。
足が止まる。
「スプロケット、先に行ってください!」
明が扉の向こうから叫んだ。
アイリーがクロニアスを背負ったまま搬送台を飛び越える。
着地した瞬間、左脚の傷がアイリーの肩へ当たった。
クロニアスが息を詰める。
「クロニアス、ごめん!」
「止まるな」
ヴァレンが続く。
スプロケットが最後に扉へ近づいた。
上部から遮断板が下り始める。
「スプロケット、間に合いません!」
明が戻ろうとした。
「明、来ないで!」
スプロケットは右側へ身体を投げた。
青い経路ではなく、分岐した整備区画側へ入る。
遮断板が床へ接触した。
厚い透明板の向こうにアイリーと明が残される。
「スプロケット!」
アイリーが板を叩いた。
スプロケットも反対側から手を当てる。
音は届かない。

板の上部に小さな通信表示が点灯した。
≪パーティーを分けると、できないことが増えます≫
男の声が両側へ流れる。
≪役割は《GAME MASTER》が決めた方が効率的です≫
アイリーが遮断板を殴った。
金色の光が弾ける。
遮断板は揺れたが壊れない。
「アイリー、壊さないで!」
整備区画側のスプロケットが通信端末へ叫んだ。
「聞こえる?」
アイリーが通信表示へ顔を近づけた。
「聞こえてる!」
「その板は防爆用。正面から壊したら上の棚が崩れる」
アイリーは拳を握ったまま、頭上の保管棚を見た。
壊す力はある。
だが、棚を崩せば明だけでなく、周囲にいる変異市民まで巻き込む。
壊せるものを壊すだけでは救助にならない。
ヒーローになりたいなら、使える力を使わない判断も必要だった。
アイリーは拳から光を消した。
「じゃあ、どうするの?」
「別の扉を探す」
「クロニアスは?」
アイリーが遮断板越しに尋ねた。
スプロケットが整備区画側を見た。
ヴァレンがクロニアスを支えている。
アイリーが搬送台を飛び越えた時、ヴァレンへクロニアスを渡していた。
スプロケットは、その瞬間を見ていなかった。
「クロニアスは、こっちに……いる」
ヴァレンがスプロケットの後ろから通信へ答えた。
「落としてない?」
アイリーがヴァレンへ尋ねる。
「まだ、です」
「まだって言わないで」
「現在は……落としていません」
「絶対に落とさないで」
ヴァレンは答えなかった。
「ヴァレン、返事!」
「努力……します」
「保証して!」
通信に雑音が入る。
男の声が割り込んだ。
≪強いユニットを戦える場所へ置きました≫
アイリーが通信表示の向こうへ怒鳴った。
「私はユニットじゃない!」
≪白い髪の子には必要な情報を持つ人を残しました≫
整備区画側でスプロケットはクロニアスを見る。
≪旅行者にはその人を運ぶ役割を与えました≫
クロニアスを支えているヴァレンの眉がわずかに動いた。
≪僕の方が役割を正しく見ています≫
「強いから戦うんじゃない!」
アイリーが男の声へ言い返した。
「守る人がいるから、私が前に出るって決めたの!」
≪結果として、あなたは戦っています≫
「結果だけ見て勝手に役割を決めないで!」
「あなたが決めた役割に、意味は……ありません」
今度は整備区画側のヴァレンが、スピーカーの男へ答えた。
≪現在もその人を運んでいますよ≫
「私が、選んでいます」
≪同じ結果です≫
「結果が同じでも、同じでは……ありません」
ヴァレンの返事は短かった。
表情は変わらない。
スプロケットは遮断板の向こうを見た。
アイリーと明のいる搬送線へ、変異市民が集まり始めている。
ロストが左右から近づく。
上段の足場ではリピーターが腕を上げた。
「アイリー」
スプロケットが通信越しに呼んだ。
「見えてる」
「明を守って」
「言われなくても」
アイリーは明より前へ出た。
「明」
スプロケットが今度は明へ呼びかけた。
「何ですか?」
「周りを見て」
「戦えってことですか?」
「違う。誰が最初に動くか見て」
明はアイリーの後ろへ下がった。
近づくロストではなく、上段のリピーターを見る。
一人が右手を上げる。
奥の一人が同じ動きをする。
床にいるロストの一体が向きを変えた。
「上の人が先です」
明が通信越しにスプロケットへ報告した。
「ほかは?」
「同じ動きをしてから下の人が変わります」
「その人たちが中継してる」
「止めますか?」
明がアイリーへ視線を移した。
「倒さない」
アイリーが答えた。
「では、どうするんですか?」
「違う方を見させる」
明は周囲を見た。
能力を使える準備物はない。
先ほど使った金属片の影響で指先の震えも強くなっている。
「僕は今、能力を使えません」
明がアイリーへ伝えた。
「能力じゃなくていい」
「どうやって?」
アイリーが床に落ちていた空の工具箱を蹴った。
箱がレールへ入り、流れてきた搬送台へぶつかる。
大きな音が響いた。
上段のリピーターが音へ顔を向ける。
次のリピーターも遅れて同じ方向を見る。
床のロストたちの動きが短く止まった。
「明、今!」
アイリーが明の腕を掴んだ。
二人は停止したロストの間を抜ける。
しかし、三体目だけは止まらなかった。
明の前へ腕を伸ばす。
アイリーが身体を入れた。
ロストの腕を払い、進路だけを変える。
「明、走って!」
明が前方の保守扉へ向かった。
扉は閉じている。
横に手動レバーがあった。
「アイリー、開きません!」
「レバーを上げて!」
「固いです!」
アイリーが追いつく。
片手でレバーを押し上げた。
扉が数センチ開く。
「スプロケット!」
アイリーが通信へ叫んだ。
「別の経路で合流する!」
スプロケットが整備区画側から答えた。
「どこで?」
「中央中継設備!」
「そっちが先に行くの?」
「ぼくたちも向かう」
「絶対?」
アイリーは言ったあと、自分で止まった。
以前なら、絶対に来ると約束してほしかった。
けれど、言い切ることと実際に合流できることは同じではない。
格好のいい約束より、方法を探し続ける方が重要だった。
「行く」
スプロケットが答える。
「必ずじゃない。方法を探して行く」
「分かった」
アイリーは扉を押し上げた。
明が下をくぐる。
アイリーも身体を横にして入った。
扉が閉じる直前、男の声が流れる。
≪別の役割を選んでも行き先は僕が決めています≫
遮断板の向こうから二人の姿が消えた。
スプロケットは端末を閉じる。
「二人を、追いますか?」
ヴァレンがスプロケットへ尋ねた。
「中央へ行く」
「分断されたまま、ですか?」
「アイリーは明を守るって自分で決めた」
スプロケットは暗い整備区画を見た。
「お前は?」
クロニアスがスプロケットへ尋ねた。
「中継設備を動かす」
「ヴァレンは私を運ぶ」
「ヴァレン本人が選んだ」
スプロケットはクロニアスへ答えた。
「《GAME MASTER》が決めたからじゃない」
進路は二つに分かれた。
命令源が用意した結果だった。
それでも、その先で何をするかまでは渡さなかった。
TASK_03|マッハライン
搬送車両整備区画は細い通路と大型格納庫が交互に続いていた。
アイリーと明は閉じた保守扉の内側で足を止めていた。
前方には三体のロスト。
背後では先ほどの扉を開けようとする音が続いている。
明は壁へ手を当てた。
「後ろにもいます」
「何人?」
アイリーが明へ尋ねた。
「分かりません」
「前は三人」
「見れば分かります」
「確認しただけ」
アイリーは腕へ集まる光を弱めた。
ロストたちは攻撃してこない。
左右へ広がり、二人が前へ進めないよう立っている。
「道を塞ぐ命令です」
明が前方を見ながら言った。
「倒せば通れる」
「倒さないんでしょ」
「押すだけ」
「三人ともですか?」
「できる」
「また後ろから来ます」
扉の固定具が動いた。
変異市民が外側の手動レバーを操作している。
明は通路の天井を見た。
配管。
保守用ケーブル。
非常灯。
能力を使えば、どれかを破裂させることはできる。
すぐには無理だった。
指先の震えも止まっていない。
「僕、いまは使えません」
明がアイリーへ伝えた。
「使わなくていい」
「でも――」
「できない時は、できないって言って」
「言いました」
「なら私がやる」
アイリーが明の前へ出た。
怖くないわけではなかった。
初めての任務で正しい動き方も分からない。
前後を塞がれ、仲間とも離れている。
それでも、ヒーローになりたいなら明より先に立つ。
いまのアイリーにできるのは、それだけだった。
ロストの一体が腕を上げる。
残りの二体も遅れて同じ姿勢を取った。
背後の扉が開く。
「後ろが開きました」
明が振り返った。
作業服姿のリピーター。
その後ろに二体のロスト。
前後から挟まれた。
「明、私の後ろにいて」
「前と後ろ、どちらですか?」
「今は前!」
アイリーが最初のロストへ向かう。
腕を受け身体を横へ向ける。
通路の壁へ押し込んだ。
二体目が来る。
肩を掴み、三体目の進路へ動かす。
倒さない。
互いの身体で動きを止める。
背後からリピーターが近づいた。
明の腕へ手を伸ばす。
明が身を引く。
壁へ背中が当たった。
逃げる場所がない。
通路の奥から低い振動音が聞こえた。
最初は設備音に聞こえる。
すぐに近づいた。
「何ですか?」
明が顔を上げる。
風が通路を抜けた。
床の埃が一方向へ流れる。
リピーターの手が明の腕へ触れる直前、その身体が横へ動いた。
誰かに突き飛ばされたのではない。
腰へ巻かれた作業用ベルトだけが引かれ、通路脇へ移動している。
次の瞬間には、別のロストが反対側へ移っていた。
誰が動かしたのか見えない。
黒い影が前後を往復する。
「何?」
アイリーが周囲を見る。
通路の中央へ若い男が止まった。
黒い高速スーツ。
ゴーグル。
頬に[スペリオルズ]の紋章。
満面の笑顔。

「間に合った!」
「遅い!」
アイリーが若い男へ叫んだ。
「何に?」
「全部!」
「クロニアスは?」
若い男がアイリーへ尋ねた。
「スプロケットと一緒!」
「じゃあ無事だな!」
「無事じゃないから来たんでしょ!」
助ける側でいたかった。
誰かに救われる自分をヒーローとは呼べない気もした。
それでも、ここで助けを拒めば明まで危険へ戻してしまう。
ヒーローだから一人で何でもできるのではない。
仲間に助けられたあと、別の誰かを助けられればいい。
アイリーは黒い高速スーツを見て、ようやく少しだけ力を抜いた。
若い男は明へ向き直った。
「明?」
「誰ですか?」
「俺、マッハライン! よろしく!」
「名前ですか?」
「コードネーム!」
「本名は?」
「いま必要ない!」
「一応」
「あとで!」
「どうして僕の名前を知っているんですか?」
明がマッハラインへ尋ねた。
「ペグから聞いた!」
「ペグ?」
「説明はあと! 輸送任務の帰りにトーキョー・シティへ行けって言われた!」
「どうやって入ったの?」
今度はアイリーがマッハラインへ尋ねた。
「外の保守口から!」
背後のリピーターが向きを変える。
マッハラインへ腕を伸ばした。
彼の姿が消える。
次の瞬間、リピーターは通路の反対側を向いていた。
「倒してないよ!」
マッハラインが少し離れた場所から、アイリーへ言った。
「向きを変えただけ!」
別のロストが動く。
マッハラインはその横を通過した。
ロストの服の背中へ小型通信端末を固定する。
「何してるの?」
アイリーがマッハラインへ尋ねた。
「これ!」
マッハラインがアイリーの手元へ端末を投げた。
アイリーが受け取る前にマッハラインがもう一度現れる。
端末を直接手へ置いた。
「投げた意味は?」
「速そうだった!」
「普通に渡して!」
「スプロケットの最後の反応が入ってる! ペグから送られた!」
端末には中央中継設備とスプロケット側の反応が表示されていた。
【SPROCKET:MOVING】
【DISTANCE:640 M】
「近いです」
明がアイリーの持つ画面を見る。
「でも、間に壁があります」
「壁なら回ればいい!」
マッハラインが答えた。
「どこからですか?」
明が尋ねる。
「いま見てくる!」
マッハラインが消えた。
明は残されたアイリーへ顔を向けた。
「話を最後まで聞かない人ですか?」
「大体そう」
アイリーは端末を腰へ固定した。
前後の変異市民が再び動き始める。
「マッハラインが戻るまで私が止める」
「どれぐらいですか?」
明がアイリーへ尋ねた。
「すぐだと思う」
「すぐって?」
風が戻ってきた。
「見つけた!」
マッハラインが二人の前へ現れる。
「早いです」
明が驚いた。
「すぐ!」
マッハラインが胸を張った。
「どこ?」
アイリーが尋ねる。
「右の格納庫から上! 上から中央区画へ渡れる!」
「扉は?」
「閉まってる!」
「開けてないの?」
「場所だけ先に言いに来た!」
「開けてから来て!」
「分かった!」
マッハラインが再び消えた。
明はアイリーを見る。
「本当に仲間なんですか?」
「最近入った」
「最近なんですね」
「でも速い」
格納庫側から金属音が連続して聞こえる。
一度。
二度。
三度。
最後に大きな音。
「開いた!」
遠くからマッハラインの声が届いた。
「明、行くよ!」
アイリーが前方のロストを押し返す。
明の手を掴み、右側の分岐へ走った。
変異市民が追う。
マッハラインが通路を往復する。
市民を倒さず、進路上に置かれていた台車や工具箱を移動させた。
一体が右へ進めば、その前へ空の台車を置く。
別の一体が左へ回れば、開いた保守扉を閉める。
配置が完成する前に次の障害が作られていく。
≪ルールを守ってください≫
男の声がスピーカーから流れた。
「誰?」
マッハラインが走りながらアイリーたちへ尋ねた。
「《GAME MASTER》です」
明がマッハラインへ答えた。
「名前じゃないよね?」
「本人はそう言っています」
「変なの!」
≪聞こえていますよ≫
「聞かせてるんだろ!」
マッハラインが格納庫入口へ戻る。
扉は途中まで開いていた。
「明、先!」
アイリーが明へ指示した。
「また僕ですか?」
「普通の速度だから!」
「理由になっていません!」
明が扉の下をくぐる。
アイリーが続く。
マッハラインが最後に入った。
扉を閉めようとするが、外側のリピーターが手動レバーへ向かっている。
「閉じても開けられます!」
明が二人へ警告した。
「ならレバー外す!」
マッハラインが消える。
外側へ回りレバーの固定ピンだけを抜いた。
戻ってくる。
扉が閉じた。
外側からレバーを動かしても、内部機構へ力が伝わらない。
「壊してないよ!」
マッハラインがアイリーへ報告した。
「外しただけですか?」
明が確認する。
「あとで戻せる!」
「戻るんですか?」
「たぶん!」
格納庫内には上層足場へ続く階段があった。
マッハラインが明の前へしゃがむ。
「さっ、乗って!」
「何にですか?」
「俺の背中!」
「嫌です」
「俺、速いよ!」
「だから嫌です」
「時間ないから!」
明は階段を見上げた。
高い。
普通に上れば時間がかかる。
「落としませんか?」
明がマッハラインへ尋ねた。
「大丈夫! 落としたことない!」
「本当ですか?」
「うん! 荷物は!」
「人は?」
「人? 運ぶことは少ない!」
「嫌です」
アイリーが明の背中を押した。
「乗って」
「アイリー」
「スプロケットとクロニアスが待ってる」
明は迷ったあと、マッハラインの背中へ腕を回した。
「ゆっくりお願いします」
「分かった!」
「信用できません」
「さっ! 行くよ!」
視界が揺れた。
明の声が途中で消える。
マッハラインは階段を駆け上がり踊り場で減速した。
それでも普通の人間には速すぎる。
上層足場へ着くと、明を下ろした。
明は手すりへ掴まる。
「明! 大丈夫か?」
マッハラインが尋ねた。
「き、気持ち悪いです」
「なるほど! ヴェスパーが言ってた人は明じゃなかった!」
「誰ですか?」
明がマッハラインへ尋ねる。
「あとで!」
「ヴェスパーと話したの?」
階段を上ってきたアイリーがマッハラインへ尋ねた。
「来る途中に通信で! スプロケットの近くに速く運んだら壊れるかもしれない人がいるって!」
「誰のこと?」
「分からない!」
マッハラインは下へ戻った。
アイリーは自分で階段を上がってくる。
「アイリーも運ぶぞ!」
戻ってきたマッハラインが尋ねた。
「自分で走れる!」
「ああ! そうだった!」
上層足場から中央集積区画が見渡せた。
遠くにスプロケットたちがいる。
ヴァレンがクロニアスを支えて歩いている。
その前で、スプロケットが閉じた扉を調べていた。
「見えた!」
アイリーが端末を使う。
「スプロケット、聞こえる?」
雑音。
数秒後、弱い声が返った。
「聞こえる」
スプロケットの声だった。
「こっちは三人!」
アイリーが端末へ答える。
「マッハライン?」
「いる!」
アイリーの横からマッハラインが通信へ顔を近づけた。
「見えてる!」
「どうやって来たの?」
スプロケットがマッハラインへ尋ねた。
「走ってきた!」
「それは分かってる」
「そこまで行く!」
「待って」
「何で?」
「途中の変異市民を動かさないで」
「分かった!」
「配置も変えないで」
「分かった! で、なんで?」
「動かした場所から命令の流れを見てる」
マッハラインは区画を見下ろした。
自分が移動させた市民が、元の位置へ戻ろうとしている。
しかし、戻る順番が揃っていない。
命令源は市民の配置を確認し、命令の経路を組み直していた。
「俺が走ると遅くなるのか?」
マッハラインが通信越しにスプロケットへ尋ねた。
「配置を直すのに時間がかかる」
「よーし! じゃあ走る!」
「待って」
「また?」
「走る場所を決める」
マッハラインは少し不満そうにした。
「どれぐらい待つ? 時間ないよ!」
「分かってる」
「早く決めるよ!」
「一緒に決めるよう」
短い沈黙。
マッハラインは笑った。
「分かった!」
スプロケットもその表情に少しだけ同調した。
TASK_04|中継点
中央集積区画を横断する上層足場で、六人は再合流した。
アイリーがヴァレンからクロニアスを受け取る。
「クロニアスを落とさなかった?」
アイリーがヴァレンへ確認した。
「現在……まで」
「だから、その言い方やめて」
「交代……してください」
ヴァレンは右肩を押さえた。
クロニアスを支え続けたことで腕が震えている。
「ヴァレン、肩は痛いですか?」
明がヴァレンの右腕を見て尋ねた。
「少し……です」
「じゃあ、次は私が背負うよ」
アイリーはクロニアスの腕を自分の肩へ回した。
「戦う時はまた頼むかもしれないけど」
「分かり……ました」
ヴァレンはアイリーへクロニアスの体重を預けた。
明はクロニアスの左脚を見る。
「傷は悪くなっていませんか?」
「出血は増えていない」
クロニアスが明へ答えた。
「痛みは?」
「変わっていない」
「強くなったら言ってください」
「分かった」
アイリーが背中のクロニアスを見上げる。
「明には素直に答えるんだ」
「質問が具体的だった」
「私も具体的に聞いてたでしょ」
「議論はあとにしてください」
スプロケットが三人の会話を止めた。
中央中継設備まで残り400メートルだった。
マッハラインが六人の間を見回す。
「全員いる?」
「いる」
アイリーがマッハラインへ答えた。
「知らない人が二人いる!」
「明とヴァレン」
アイリーが二人を順番に示した。
「そう! 明は運んだ!」
「運ばれました」
明がマッハラインへ訂正した。
「で? ヴァレンは?」
マッハラインがヴァレンへ近づく。
ヴァレンは一歩下がった。
「私を、運ばないで……ください」
「それ! 言われてる!」
「誰にですか?」
「ヴェスパー! 来る途中に通信で!」
ヴァレンの表情が止まった。
「ヴェスパー、私を知っているん……ですか?」
「そうそう! 見えにくい人って言ってた!」
「それだけ……ですか?」
「速く運ぶと壊れるかもしれないって!」
「どこが?」
アイリーがヴァレンへ尋ねた。
「分かりません」
「本当に一般人?」
「自分では、そのつもり……です」
「つもりって何?」
「いまはやめて」
スプロケットがアイリーとヴァレンの会話を止めた。
ヴァレンから古い信号が返っている。
確かめたい。
それでも、中央中継設備までの距離は変わらない。
クロニアスの傷。
明の疲労。
命令源の支配網。
優先するものを変えない。
「帰る道を作る」
スプロケットは上層足場の先を見た。
「マッハライン」
スプロケットが呼んだ。
「今度は何?」
「リピーターの前を一回だけ通って」
「一回?」
「何度も走ると男が別の合図に変える」
「本当に一回だけ?」
「一回だけ」
「任せて!」
「アイリー」
スプロケットがブーステッドを押さえているアイリーへ呼びかけた。
「二体目が止まったら行って」
「どこへ?」
「入口のロストまで、ぼくの道を開けて」
「触らない?」
「押すだけ」
「分かった」
「ヴァレン」
スプロケットが振り返った。
ヴァレンは、クロニアスと明の近くに立っている。
「二人の近くにいて」
「分かりました」
役割を伝えたあと、スプロケットは止まった。
男と同じことをしているように聞こえた。
ヴァレンが、その迷いに気づく。
「私は選べますか?」
「うん」
「では、クロニアスと明を守ります」
明は管制室前のブーステッドへ視線を戻した。
「僕は二体目が動く合図を見ます」
クロニアスも主要リピーターの動きを見た。
「私は命令が更新されるまでの時間を数える」
アイリーが笑った。
「私は前を開ける」
スプロケットを見る。
「そこは私が選ぶ」
マッハラインが足を動かす。
「俺は走る!」
同じ目的。
異なる行動。
スプロケットは、誰の内部にも命令を入れていない。
「行こう」
主要リピーターが右腕を上げた。
「今だ」
クロニアスが命令の更新を確認し、マッハラインへ告げた。
マッハラインが一度だけ前を横切る。
リピーターの視線が動いた。
管制室前のブーステッドは反応しない。
「止まりました!」
明が全員へ叫んだ。
アイリーが走る。
目の前の一体を押し返し、二体目の横を抜ける。
入口となるロストの前に立った。
周囲の市民を倒さない。
両腕を広げ、スプロケットが通れる隙間を作る。
「道は私が開ける!」
アイリーがスプロケットへ叫んだ。
「その先は、スプロケットが自分で決めて!」

TASK_05|盤面の外
足場の下を黒い影が横切った。
マッハラインは中央管制室へ近づかない。
東側の搬送台へ直線で走る。
途中にいるロストの身体へ触れず、その間を抜けた。
搬送台の下へ表示板を滑り込ませる。
そのまま北側へ向きを変えた。
「速いです」
明がマッハラインの影を追いながら呟いた。
「見失った?」
アイリーが明へ尋ねた。
「最初から見えていません」
主要中継役が反応する。
マッハラインの移動へ顔を向けた。
まだ命令更新の途中ではない。
周囲のロストは動かない。
マッハラインが西側へ回り込む。
中央管制室の前を一瞬だけ横切った。
リピーターが右手を上げる。
「明、まだ」
スプロケットが明を止めた。
明は表示板の反応を感じている。
指先を握ったまま待つ。
リピーターの右手が下がった。
周囲のロストが、マッハラインの進路へ向きを変え始める。
「明、今」
スプロケットが合図した。
明が指を閉じる。
東側の搬送台の下で表示板が発光した。
白い閃光。
短い破裂音。
搬送台の金属板が震える。
主要中継役が東へ顔を向けた。
右手が途中で止まる。
周囲のリピーターも、遅れて東を見る。
命令の伝達が途切れた。
「みんな、行って!」
スプロケットが叫んだ。
アイリーがクロニアスを背負って足場を走る。
ヴァレンが明を立たせた。
「明、歩け……ますか?」
「普通には」
「支え……ます」
「僕は怪我していません」
「顔色が、悪い……です」
「それだけです」
マッハラインが足場へ戻る。
「明! 運ぶよ!」
「嫌です」
「じゃあ肩!」
明が断る前にマッハラインが片腕を肩へ回した。
高速では走らない。
普通より少し速い程度で進む。
「これなら?」
「まだ速いです」
「遅くする!」
六人は中央管制室へ向かった。
変異市民は東側の光へ注意を向けている。
命令の次の更新まで14秒。
その前に主要中継役へ到達する必要がある。
スプロケットは足場から階段を下りた。
リピーターまで残り10メートル。
命令反応が再び強くなる。
「クロニアス、あと何秒?」
アイリーが背中の本人へ尋ねた。
「6秒」
「間に合わない」
「ぼくが先に触る」
スプロケットは走った。
「スプロケット、一人で行かないで!」
アイリーの声が後ろから聞こえる。
「触るだけ!」
主要中継役がスプロケットへ顔を向けた。
男の命令が更新される。
追え。
止めろ。
接続させるな。
右腕が伸びる。
スプロケットは手を避けなかった。
代わりにリピーターの手首を掴む。
接触した瞬間、命令網が開いた。
男の声ではない。
言葉になる前の衝動が流れ込む。
『……白い髪の対象を止めろ……』 『……中央設備へ近づけるな……』
命令は強い。
その下に本人の反復がある。
右手を上げる。
確認する。
次へ渡す。
さらに下。
作業服。
昼休み。
温かい飲み物。
端末へ残された未処理の勤務終了。
スプロケットの視界へ別の手が重なる。
リピーターの手。
自分の手。
命令源の指。
複数の身体が同じ命令を実行しようとする。
(止まれ)
命令を返せる。
(離れろ)
周囲へ流せる。
(命令源を止めろ)
最も簡単だった。
「スプロケット!」
アイリーの声が遠い。
スプロケットは左手首のブレスレットへ触れた。
現在の自分。
命令する側ではない。
「ぼくの言うことは聞かなくていい」
リピーターは反応しない。
言葉は命令網へ入らなかった。
スプロケットは命令を追加する代わりに外部から入っている反応だけを探す。
一つの衝動。
優先順位。
個人の反応より上へ置かれた外部信号。
それを押し返すのではない。
接続している位置から外す。
リピーターの中に残る反復と外部命令の間へ境界を作る。
他者へ渡す道を閉じる。
【COMMAND ORIGIN:ISOLATED】
【LOCAL ROUTE:CONNECTED】
外部からの反応が強くなった。
≪何をしているんですか≫
スピーカーから男の声が流れる。
≪接続を奪うつもりですか?≫
「奪わない」
スプロケットが男へ答えた。
≪では、離れてください≫
「それも命令?」
≪僕のユニットです≫
「違う」
スプロケットは接続経路を閉じた。
【LOCAL ROUTE:DISCONNECTED】
リピーターの身体が硬直する。
右手が途中で止まった。
男の命令が届かない。
新しい命令もない。
本人の反復だけが残る。
右手を上げる。
確認する。
次へ渡す。
しかし、渡す相手がいない。
同じ動作を一人で繰り返し始めた。
「一人切れた」
クロニアスがスプロケットへ告げた。
「まだ周囲はつながっている」
主要中継役から命令を受け取れなかった市民たちが停止した。
別のリピーターが代わりに腕を上げる。
男が次の中継点を選んでいる。
「次は右側です!」
明が作業足場を指した。
作業足場にいるリピーター。
スプロケットはそちらへ直接触れられない。
「マッハライン!」
スプロケットが呼んだ。
「行く?」
「触らないで」
「じゃあ何する?」
「その人と周りの人の視線を切って」
「任せろ!」
マッハラインが走る。
リピーターと周囲のロストの間を往復した。
攻撃しない。
触れない。
動く影と風だけが視線を遮る。
命令を受けたリピーターが腕を上げた。
周囲の市民はマッハラインへ顔を向けている。
合図を見ていない。
伝達が遅れた。
「14秒が伸びている」
クロニアスが全員へ告げた。
「いまは19秒だ」
「別の中継点へ移ってる」
スプロケットは主要中継役を通じて周囲の命令網へ触れていた。
一つ切る。
次が開く。
また次。
すべてを追えば終わらない。
「人じゃない」
スプロケットが呟いた。
「何が人じゃないの?」
アイリーがブーステッドの腕を受け止めながら尋ねた。
「一人ずつ切っても別の人が使われる」
「じゃあどうする?」
「この区画へ入る、命令の入口を切る」
命令網は複数に見える。
それでも、中央物流センターからこの区画へ入る反応には同じ癖があった。
男の焦り。
所有する感覚。
拒否への苛立ち。
スプロケットはその反応が最初に触れる位置を探した。
中央管制室の下。
床際に座っている一体のロスト。
動いていない。
周囲を見てもいない。
しかし、命令が更新されるたび、最初に身体が震えていた。
「下にいる人」
スプロケットが全員へ示した。
「動いていません」
明がロストを見た。
「だから中継点に見えなかった」
ロストは命令を受け取る。
周囲へ直接渡してはいない。
近くのリピーターへ最初の衝動だけを流している。
区画への入口だった。
「近づけるか?」
クロニアスがスプロケットへ尋ねた。
ロストの周囲には二体のブーステッドがいる。
一体はアイリーが止めている。
もう一体が管制室前を守っていた。
「私が引き受ける」
アイリーが目の前のブーステッドを押し返した。
「二体は無理」
スプロケットがアイリーへ言った。
「一体ずつなら」
「同時に来る」
明が周囲を見る。
能力は使ったばかり。
もう一度すぐには使えない。
「僕は何もできません」
明が俯いた。
「明は見て」
スプロケットが明へ言った。
「何をですか?」
「二体目がいつ動くか」
明は管制室前のブーステッドへ視線を向けた。
身体は大きい。
両腕を下ろしたまま命令を待っている。
その背後にリピーター。
さらに下に入口となるロスト。
「右の人が腕を上げます」
明が全員へ報告した。
「そのあと二体目が動きます」
「何秒?」
スプロケットが明へ尋ねた。
「2秒ぐらいです」
「合図が見えなかったら?」
「動かないかもしれません」
「マッハライン」
スプロケットが呼んだ。
「今度は何?」
「リピーターの前を一回だけ通って」
「一回?」
「何度も走ると男が別の合図に変える」
「分かった! 行くぞ!」
「アイリー」
スプロケットがブーステッドを押さえているアイリーへ呼びかけた。
「二体目が止まったら行って」
「どこへ?」
「入口のロストまで、ぼくの道を開けて」
「触らない?」
「押すだけ」
「了解!」
「ヴァレン」
スプロケットが振り返った。
ヴァレンはクロニアスの横に立っている。
「クロニアスと明を見て」
「分かり……ました」
役割を言ったあと、スプロケットは止まった。
男と同じことをしているように聞こえた。
ヴァレンが気づく。
「私は……選べますか?」
「うん」
「では、それを……します」
明も頷いた。
「僕も動く時を見ます」
クロニアスが手帳を開く。
「私は記録する」
アイリーが笑った。
「私は前を開ける」
スプロケットを見る。
「そこは私が選ぶ」
マッハラインが足を動かす。
「俺は走る!」
同じ目的。
異なる行動。
スプロケットは誰にも命令を入れていない。
「行こう」
主要リピーターが右腕を上げた。
「今!」
スプロケットがマッハラインへ合図した。
マッハラインが一度だけ前を横切る。
リピーターの視線が動いた。
管制室前のブーステッドは反応しない。
「止まりました!」
明が全員へ叫んだ。
アイリーが走る。
目の前の一体を押し返し、二体目の横を抜ける。
入口となるロストの前に立った。
周囲の市民を倒さない。
両腕を広げ、スプロケットが通れる隙間を作る。
「道は私が開ける!」
アイリーがスプロケットへ叫んだ。
「その先はスプロケットが自分で決めて!」
スプロケットは走った。
ロストへ触れる。
命令網が一気に開いた。
先ほどとは比べものにならない反応が流れ込む。
『……追え……』 『……閉じろ……』 『……回収しろ……』 『……中央設備へ近づけるな……』 『……白い反応を切れ……』
複数の命令が一つの入口へ重なっている。
その奥に命令源がいる。
声ではない。
顔も見えない。
それでも、一人の意思だと分かる。
すべてを自分の配置へ戻そうとしていた。
(ぼくなら、もっと上手くできる)
知らない考えが浮かぶ。
スプロケット自身のものかもしれない。
男から流れ込んだ感情かもしれない。
命令を奪えば終わる。
市民を自分の側へ移せばいい。
命令源を止めろ。
道を開けろ。
誰も傷つけるな。
正しい命令を流せばいい。
「スプロケット」
アイリーが入口を守りながら名前を呼んだ。
道は開けた。
その先で何を選ぶかはスプロケットのものだった。
「命令しないでください」
明の声が続いた。
スプロケットは左手首を握る。
命令を選ばない。
この区画へ入る、男の反応だけを切り離す。
接続の奥へ進む。
入口となるロストの個人反応がある。
意味を失った感情。
身体へ残った痛み。
外部命令とは別のもの。
それらを消さない。
上に置かれた外部信号だけを外す。
【COMMAND ORIGIN:ISOLATED】
【LOCAL NETWORK:CONNECTED】
≪やめてください≫
男の声がスピーカーから流れる。
≪それは僕の接続です≫
「あなたのじゃない」
スプロケットが男へ答えた。
≪僕が作りました≫
「人を使って」
≪止まっていたものを動かしたんです≫
「止まってても、あなたのものじゃない」
スプロケットは経路を閉じた。
【LOCAL NETWORK:DISCONNECTED】
反応が消える。
最初のロストの身体から力が抜けた。
倒れない。
床に座ったまま顔を下げる。
周囲のリピーターが動きを止めた。
右手を上げた者はその動作を繰り返す。
一人は近くの端末へ戻り、すでに終わった操作を何度も入力する。
ロストたちはそれぞれ別の方向へ歩き始めた。
ブーステッドの一体はアイリーから離れ、倒れた搬送台へ向かう。
もう一体は、その場で壁を押し続けた。
【LOCAL COMMAND:LOST】
【LOCAL NETWORK:DISCONNECTED】
中央管制室周辺から統一された動きが消えた。
元の反復。
本能。
途切れた記憶。
自由になったわけではない。
それでも、男の命令では動いていなかった。
「切れた」
クロニアスがスプロケットへ告げた。
「この区画だけ」
スプロケットはロストから手を離す。
足元が揺れた。
アイリーが身体を支える。
「スプロケット、戻ってきて」
「いる」
「誰?」
「ぼく」
「名前は?」
「スプロケット」
「本名」
一瞬、言葉が止まる。
「カイラ・ノラ・キーガン」
「よし」
アイリーは腕を離さなかった。
ヒーローを名乗る必要はなかった。
いまは、目の前の一人を現在へ戻すことの方が重要だった。

中央管制室の扉が開いている。
局地的な命令網が切れたことで操作を続けていた作業員が離れていた。
手動閉鎖が解除されている。
「中継設備へ」
クロニアスが全員へ言った。
「いまなら使える」
六人は管制室へ向かう。
スピーカーから男の呼吸音が聞こえた。
これまでより近い。
整っていない。
≪接続を奪いましたね≫
「奪ってない」
スプロケットが男へ答えた。
≪僕のユニットを壊しました≫
「壊してない」
≪命令を聞きません≫
「最初から、ぼくたちはゲームをしてない」
管制室内の画面が一斉に点灯した。
中央の監視映像に一人の男が映る。
暗い管理室。
複数の端末。
椅子へ座った細身の男。
作業服の上に拾い集めた装飾品を重ねている。
髪は整えられていたはずだった。
現在は額へ張りついている。
目の中には複数の同心円に似た模様が浮かんでいた。
「初めて顔を見た」
アイリーが画面の男を見た。
「この人が《GAME MASTER》ですか?」
明がスプロケットへ確認した。
画面の男の表情がわずかに歪んだ。
≪そうです≫
「渡辺亘」
クロニアスが画面の男へ呼びかけた。
画面の男――亘がクロニアスを見る。
≪記録にありましたか?≫
「設備の勤務履歴に」
≪それは昔の名前です≫
「今も同じ人間だ」
≪違います≫
亘は椅子から立とうとした。
膝が震える。
机へ手をつき身体を支えた。
≪いまの僕は世界を動かしています≫
「一つの区画を失った」
クロニアスが亘へ答えた。
≪失っていません≫
「命令は届いていない」
≪一時的です≫
亘は端末へ両手を置いた。
指先が細かく痙攣している。
≪あなたたちがルールを守らないからゲームが成立しないんです≫
「ルールを決めたのはあなただけです」
今度は明が亘へ言った。
≪街を守るためです≫
「誰からですか?」
明が続けて尋ねた。
≪動かない人。壊す人。勝手に進む人です≫
「僕たちですか?」
≪全員です≫
亘の呼吸が速くなる。
≪命令がなければ、全員が止まります≫
「止まっても残ってる」
スプロケットが、統一された動きを失った市民たちを見ながら答えた。
≪何がですか?≫
「その人たち自身が」
≪動かないなら意味はありません≫
「意味を決めるのも、あなたじゃない」
アイリーも画面の亘を見た。
「人を動かすのはヒーローじゃない」
亘の視線がアイリーへ向く。
「従わせてるだけでしょ」
亘の目の模様が不規則に収縮した。
管制室の全画面へ警告が表示される。
【COMMAND LOAD:78%】
【NEURAL STRESS:CRITICAL】
「安全制限がある」
クロニアスが画面の表示を見た。
「能力側の?」
スプロケットがクロニアスへ尋ねた。
「生体反応の上昇を抑えている」
「解除できるの?」
亘が笑った。
≪ゲームには負けそうになった時のためのモードがあります≫
「やめて」
スプロケットが亘へ言った。
≪命令ですか?≫
「違う」
≪なら、聞く必要はありません≫
亘は端末へ入力した。
【SAFETY LIMIT:RELEASE REQUESTED】
画面上の警告が赤く変わる。
【WARNING】
【SIMULTANEOUS COMMAND MAY CAUSE NEURAL FAILURE】
【CONTINUE:YES/NO】
亘の指がYESの上で止まった。
押さない。
≪まだ使わない≫
スプロケットは画面の警告を見た。
「使えるのに?」
≪まだ盤面に使えるものが残ってる≫
亘は解除画面を閉じなかった。
【SAFETY LIMIT:RELEASE PENDING】
【FINAL CONFIRMATION:REQUIRED】
安全制限を外せる。
中継の段階処理を無視し、自分の神経反応を直接すべての接続へ押し込むこともできる。
まだ実行していない。
それでも、亘が最後に越えようとしている線がどこにあるのかは分かった。
赤い警告だけが画面に残っていた。
TRACE_06|EXPANSION
一つの反応が、接続の残る全区画へ同時に広がっていた。
【MODE:《GOD MODE》】
【CONNECTED SECTORS:EXPANDING】
【CORE INTEGRITY:DECREASING】
中継点は残っている。
失われたのは順番だった。
命令源自身の神経反応が、安全な段階を無視してすべての接続へ押し込まれている。
追跡。
封鎖。
回収。
攻撃。
防衛。
『強くなった』
『壊れ始めた』
『出力は増えている』
『中心は弱くなっている』
命令源の身体は、自力で姿勢を維持できない。
二つの身体が左右から支えていた。

『世界が彼を支えている』
『支えさせている』
『動作は同じだ』
『意思が違う』
支える身体にも、途切れた記憶や反復が残っている。
それらより外部命令が優先されていた。
【INDIVIDUAL RESPONSE:SUPPRESSED】
【EXTERNAL PRIORITY:MAXIMUM】
『消えてはいない』
『使われていない』
『命令源も同じ状態へ近づいている』
『命令できる部分だけが残っている』
拒絶への苛立ち。
配置を乱された焦り。
所有物を奪われる恐怖。
感情と命令の境界が失われていく。
『迷いがない』
『迷えなくなった』
『選択肢が一つしかない』
『一つしか選べないなら、判断ではない』
拒絶されるほど、出力だけが上がった。
中心が停止しても、最後に流された命令は残る。
『それは本人か』
『本人が残した』
『記録と同じだ』
『命令も、新しい判断を失えば記録になる』
中心の身体は動いていない。
命令だけが複数の身体を通して進んでいた。
『本人はどこにいる』
『接続全体に』
『広がっているのは命令だ』
『命令も本人の一部だ』
『一部は全体ではない』
外側から見れば、一つの巨大な意思に見える。
その下には、命令される以前から存在した反応が残っていた。
『すべてが彼になった』
『彼以外が見えなくなっただけだ』
『見えないなら存在しない』
『それが命令源の方法だ』
観測領域の中央に、白い反応が残っていた。
命令網へ接続している。
同じ経路を使えば、新しい命令を送り返すこともできた。
止まれ。
離れろ。
命令源を止めろ。
誰も傷つけるな。
【WHITE RESPONSE:CONNECTED】
【COMMAND OUTPUT:AVAILABLE】
『命令できる』
『命令しなかった』
『なぜ』
『他者の判断を残した』
『正しい命令なら問題はない』
『正しくても、命令であることは変わらない』
白い反応は命令を追加しなかった。
外部から置かれた優先順位だけを外し、接続の道を閉じていく。
【COMMAND ORIGIN:ISOLATED】
【LOCAL ROUTE:DISCONNECTED】
『自由にしたのか』
『命令源のものではなくした』
『その後は』
『決めていない』
『選択を奪っていない』
白い反応の近くから、複数の声が届く。
名前。
命令しないでほしいという声。
道を開くという言葉。
その先を本人へ返す言葉。
身体へ触れる感覚。
本名を確かめる問い。
それらが、白い反応を一つの身体へ引き戻していた。
【BOUNDARY:MAINTAINED】
【IDENTITY RESPONSE:RECOVERING】
『外部に支えられている』
『支える側も選んでいる』
『命令源にも支える身体がある』
『選ばされている』
『結果だけでは区別できない』
『拒否できるかで区別できる』
強い反応が白い反応の前へ道を開く。
周囲を倒さず、進路だけを作る。
進む先までは決めていない。
【ROUTE:OPENED】
【DESTINATION:UNASSIGNED】
『非効率だ』
『選択を残している』
『誤る可能性がある』
『決めてしまえば、選んだ本人はいなくなる』
『救うとは、動かすことか』
『選べる位置へ戻すことだ』
白い反応の周囲では、異なる行動が成立していた。
見る。
数える。
守る。
開く。
走る。
同じ命令ではない。
それぞれが、自分の判断で同じ目的へ進んでいる。
【ROLE SELECTION:DISTRIBUTED】
【COOPERATIVE STATE:ACTIVE】
『役割は与えられた』
『役割は示された』
『結果は同じだ』
『拒否できる』
『命令源は拒否を修正する』
『こちらは拒否を判断として残す』
一つの意思が、多数の身体を動かしている。
複数の意思が、複数の身体を動かしている。
『結果は同じだ』
『途中で選び直せる』
『命令には選び直す者がいない』
異なる判断が、一つの身体の中で止まった。
『一つだけを残せば安定する』
『ほかは消える』
『一つの判断を身体全体へ広げればいい』
『誰の判断を』
『最も有効なものを』
『誰が有効だと決める』
回答は確定しなかった。
一つを選ぶための、さらに上の判断は存在していない。
【PRIMARY RESPONSE:UNDEFINED】
【INTERNAL DOMINANCE:NOT ESTABLISHED】
『一つへ統一できなかった』
『決められなかっただけだ』
『同じではない』
『誰か一つが、ほかを消していない』
『不安定だ』
『固定されていない』
『現在と呼ぶこともできる』
命令源の反応が、接続の残る領域を覆った。
【INDIVIDUAL RESPONSES:OBSCURED】
個別の反応が見えなくなる。
命令だけが残った。
追え。
止めろ。
取り戻せ。
『すべてが彼になった』
『違う』
『何が残っている』
『見えない』
『見えなくても、消えたとは限らない』
中心の身体反応が、さらに弱くなった。
【CORE IDENTITY:UNSTABLE】
【COMMAND ACTIVITY:CONTINUED】
『彼は広がったのか』
『薄くなった』
『本人ではなく、出力できる部分が広がった』
『最後に何が残る』
返答までに、わずかな間が生まれた。
『命令だけかもしれない』
【COMMAND STATE:DISTRIBUTED】


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