数時間後。
トーキョー・シティ外縁。
崩れた物流施設の一角が臨時の退避地点として使われていた。
風が砂を運び、焦げた金属の匂いが残っている。
スプロケットは低い防壁へ一人で腰を下ろしていた。
両足を地面につけたまま手の中を見ている。
獣骨の首飾り。
中央の骨は深く割れている。
タウロスが。
最後まで身につけていたもの。
欠けた部分をゆっくりとなぞる。
指先が縁へ来るたびにそこで止まった。
「……タウロス」

返事はない。
もう。
分かっている。
フェイズが少し離れた壁へ背を預けていた。
出入口から上空へ目を移し、逃走経路を一通り確かめる。
その視線がスプロケットの手元へ戻った。
「まだ持ってたか」
「うん」
「なくすなよ」
「なくさない」
「ならいい」
それだけ言ってフェイズも首元へ触れた。
タウロスから渡された。
自分用の獣骨飾り。
同じものではない。
タウロスは。
相手ごとに。
違う形を作った。
ポイゾナスにも。
フェイズにも。
自分の生き方を見て。
それぞれに。
残した。
スプロケットが持っているのは。
その男自身のもの。
だから。
代わりにはならない。
誰のものとも。
交換できない。
足音に二人が顔を上げた。
ポイゾナスが近づいてくる。
少し後ろにはミーラ・マリクがいた。
ポイゾナスが先に言う。
「連れてきた」
「私は歩いてきたのだけれど」
「同じこと」
「違うわ」
「今はどうでもいい」
ポイゾナスは。
それ以上。
姉を見ない。
スプロケットへ近づく。
「具合は?」
「大丈夫」
「それ」
「信用できない答え」
「でも歩ける」
「それは見れば分かる」
スプロケットはすぐに答えず、自分の内側へ注意を向けた。
「……頭の中」
「まだ静かじゃない」
「接続は?」
「してない」
「なら」
ポイゾナスが頷く。
「今はそれでいい」
ミーラは数歩離れた位置からスプロケットを見ていた。
分析端末を開く気配はない。
スプロケットはミーラの手元を見てから顔へ目を戻した。
スプロケットが気づく。
「見ないの?」
「見てるわ」
「端末」
「今は必要ない」
スプロケットは。
それ以上聞かなかった。
⸻
瓦礫の向こうから重い足音が近づいた。
黒と深紅の向こうに白髪と仮面が見える。
ドミネーターが歩いてきた。
誰も。
驚かない。
誰も。
近づかない。
足音が止まり、仮面がスプロケットの手元へ向く。
割れた獣骨を見られたまま数秒が過ぎた。
「タウロスは死んだ」
フェイズの眉が動く。
「見れば分かる」
ドミネーターは。
返さない。
次。
ポイゾナス。
フェイズ。
スプロケット。
三人を見る。
「だが」
一拍。
「群れは残った」
スプロケットの指に力が入った。
骨の割れ目が掌へ当たる。
「……残ったから」
小さな声。
「なんなの?」
ドミネーターが。
スプロケットを見る。
「決めるのは」
短い間。
「残った側だ」

それだけ。
スプロケットは。
何も答えなかった。
ドミネーターの視線。
ミーラへ。
「記録は閉じたか」
「ええ」
ミーラ。
「M-07で終わり」
「観測も?」
「観測系列は終えた」
「……」
「でも」
ミーラは続ける。
「調べるのをやめたわけじゃない」
仮面。
僅かに。
彼女へ向く。
「なら」
「知っている事実が要る」
「命令?」
「違う」
「あなたに従う義理はない」
「求めていない」
短い。
返答。
ミーラの眉。
少しだけ上がる。
「意外」
ドミネーターは。
何も返さない。
沈黙。
それ自体が。
返事だった。
⸻
ミーラが上着の内側から小型端末を取り出した。
通信機能を停止させたオフラインの端末をスプロケットへ差し出す。
「これ」
スプロケットが。
端末を見る。
「ぼくに?」
「私が残した記録のコピー」
「M-07?」
「それだけじゃない」
「陽名」
「クロス・レガシー」
「EVA」
「Ω」
「今回、私が直接確認したもの」
「推測は?」
「分けてある」
「……」
「以前よりは」
ミーラが。
少しだけ。
付け加える。
スプロケットは首飾りを片手に寄せ、空いた手を伸ばした。
端末へ触れる手前で一度止まる。
ミーラは差し出したまま待っていた。
スプロケットは端末を受け取り、暗い画面を見下ろした。
起動はしない。
ミーラが聞く。
「読まないの?」
「今は」
「怖い?」
スプロケットは画面を見下ろしたまま少し考える。
「うん」
即座ではない。
でも。
否定もしない。
「繋がったら」
「また」
「どこまでがぼくか」
「分からなくなるかもしれない」
ミーラは。
何も言わない。
「だから」
スプロケットは。
端末を閉じたまま。
自分のポケットへ入れる。
「読む時は」
「ぼくが決める」
ミーラの視線。
端末から。
スプロケットへ戻る。
「そう」
一言。
「それでいい」
言ってから。
ミーラ自身が。
少しだけ止まる。
何かを思い出したように。
だが。
続けない。
ポイゾナスが。
姉を見る。
何も聞かない。
⸻
ドミネーターが都市内部へ顔を向けた。
スプロケットもその先を見る。
遠くにはまだ煙が上がっていた。
「ここで起きたことを」
「[世界政府]は放置しない」
フェイズが。
鼻で息を吐く。
「知ってる」
「だから帰る」
ドミネーター。
「ヘヴンへ」
ポイゾナスが。
すぐに反応する。
「受け入れ準備は私がやる」
「負傷者もいる」
「タウロスも」
声。
一瞬。
止まる。
ドミネーター。
「連れて帰る」
スプロケットが。
顔を上げる。
「……タウロスも?」
「置いていかない」
フェイズが。
壁から背を離す。
「最初から」
「そのつもりだ」
ドミネーターが。
フェイズを見る。
短い沈黙。
それ以上。
何も言わない。
ポイゾナスが。
ミーラを見る。
「姉さんも」
「私も?」
「連行」
「まだそれ?」
「そういうことにしておいた方が楽だから」
「誰が?」
「私が」
ミーラが。
少しだけ。
息を吐く。
ドミネーターを見る。
「ヘヴンへ行けば」
「私が知らないものを見せる?」
「見たいなら」
「自分で見ろ」
「答えがある?」
ドミネーター。
すぐには返さない。
低い声。
「答えかは知らない」
一拍。
「だが」
「知らないものはある」

ミーラの目。
僅かに変わる。
それ以上を確かめる質問は出なかった。
「……行くわ」
ポイゾナス。
「素直」
「あなたについて行くわけじゃない」
「はいはい」
「本当に違うのだけれど」
「分かってる」
ポイゾナスが歩き出し、ミーラが少し間を残して続いた。
二人は横へ並ばない。
スプロケットからは同じ方向へ進む背中が見えた。
⸻
ドミネーターが。
スプロケットを見る。
何も言わない。
行くとも。
残れとも。
命じない。
スプロケットは獣骨の首飾りを握り直した。
空いた手でポケットを押さえると端末の角が分かる。
過去。
記録。
それだけではない。
自分。
まだ。
分からない。
タウロスは。
死んだ。
陽名も。
自分で選んで。
いなくなった。
ノイズの向こう。
知らない声。
自分の中。
壊れたまま。
繋がっているもの。
全部。
まだ。
答えになっていない。
「スプロケ」
フェイズ。
「行かないのか」
スプロケットが。
顔を上げる。
「行く」
防壁から腰を上げると身体が少し揺れた。
スプロケットは足を開いて踏み止まる。
ポイゾナスは手の届く距離で足を止めていた。
こちらが立ち直るまで手を出さずに待っている。
フェイズが。
スプロケットのポケットを見る。
「その端末」
「開かねぇのか」
「今は開かない」
「そうか」
「うん」
「逃げるのか?」
スプロケット。
首を横へ振る。
「違う」
「じゃあ?」
割れた獣骨。
握る。
「ぼくは」
一拍。
「確かめる」
「何を」
スプロケットは。
少しだけ。
迷う。
「ぼくが」
「何者なのか」
フェイズは。
数秒。
黙る。
「面倒そうだな」
「うん」
「やめる?」
「やめない」
「なら」
フェイズが。
先へ歩く。
「勝手にしろ」
スプロケットの口元。
ほんの少し。
動く。
「うん」
歩く。
ドミネーター。
ポイゾナス。
ミーラ。
フェイズ。
その後ろ。
スプロケット。
タウロスはいない。
陽名もいない。
それでも。
残った者たちは。
同じものになったわけではない。

秩序を求めるドミネーター。
答えを求めるミーラ。
群れを守るポイゾナス。
退路を残すフェイズ。
前を行く四人をスプロケットは見た。
自分は。
自分を確かめる。
誰かに。
決められた名前ではない。
誰かに。
与えられた役割でもない。
それぞれが。
自分で選んだものを持って。
歩く。
風。
獣骨が。
スプロケットの手の中で。
小さく鳴った。
今度は。
誰かの気配ではない。
握った指が。
骨を動かした音。
スプロケットは。
その音を聞く。
足を止めない。
12日後。
彼女は。
もう一度。
トーキョー・シティへ戻ることになる。
だが。
今はまだ。
それを知らない。
ただ。
自分の名前を。
自分で確かめるために。
歩き始めた。


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