事件から数日後。
[統律特命局]仮設指揮所。
薄い外壁の向こうを砂と灰を含んだ風が通り抜けていた。
遠くで続く復旧作業の機械音が室内まで届いている。
壁際。
固定の甘い金属板が。
風を受け。
小さく鳴る。
カチン。
アビゲイル・エイミー・アームストロングの視線が。
一瞬。
そちらへ動く。
ただの金属音。
それだけ。
なのに。
五枚のドッグタグ。
陽名。
最後に呼んだ名前。
短く。
記憶へ浮かぶ。
(……返事みたい)
そう思っただけ。
確かめる方法はない。
アビゲイルは。
正面へ視線を戻した。
⸻
『[ガンマチーム]の諸君』
壁面の大型通信画面には[世界政府]上層部との遠隔会議が映っていた。
アビゲイルの左にジャン=ジャック・ジャカール、右にリョウが立っている。
三人は画面に向き合ったまま通達を聞いた。
『トーキョー・シティ事案に関する公式処理を通達する』
画面中央。
上級官僚。
声。
平坦。
感情ではなく。
決定事項を読む声。
『本件は』
『反乱組織[スペリオルズ]による複合テロ事件として処理する』
別画面。
【OFFICIAL INCIDENT CLASSIFICATION】
【SUPERIOR TERROR ATTACK】
【POISONOUS:TOXIC AGENT DISSEMINATION】
【SPROCKET:ANI/COMMUNICATION/DEFENSE SYSTEM INTRUSION】
【MEERA MALIK:INTERNAL COLLABORATION】
アビゲイルの眉が僅かに動いた。
表示された分類を端から読み直す。
『都市管理系統の脆弱性』
『未承認研究』
『機密AI関連事項』
『その他、社会秩序へ重大な影響を及ぼす情報は』
『非公開指定とする』
【RAZ:CLASSIFIED】
【EVA:CLASSIFIED】
【Ω PROJECT:CLASSIFIED】
【HINA:PUBLIC RECORD NONE】
【WILDCARD:RESTRICTED/ARCHIVED】
『ドーム都市の継続運用』
『市民の混乱防止』
『防衛情報保全』
『以上を総合した判断だ』
言葉。
理屈。
ある。
アビゲイルにも。
理解はできる。
理解できることと。
受け入れることは。
同じではない。
「確認します」
上級官僚の視線が。
アビゲイルへ向く。
『発言を許可する』
「公式発表では」
「[スペリオルズ]だけが事件を起こしたことになる」
『必要な整理だ』
「でも」
一拍。
「私たちが現場で確認した事実は」
「それとは違います」
『公式記録と現場証言を同一視する必要はない』
「なら」
アビゲイル。
視線を逸らさない。
「現場証言まで消す必要もありません」
沈黙。
『何を言いたい』
「存在した人たちを」
「存在しなかったことにはしない」

胸元にはクロス型ペンダントがある。
アビゲイルは手を伸ばさず、画面へ顔を向けたまま名前を告げた。
「デルロイ・ブラッドショー」
「ファイシル・シャリフ」
「キャメロン・アン・スタディ」
「アレクセイ・ハベンスキー」
「ジョイ・チャン」
画面。
反応なし。
「マナイア・ケア」
短い間。
「リク・ロクジョウ」
アビゲイルは続ける。
「[スペリオルズ]も」
「今回」
「私たちと同じ側で戦った」
『彼らの過去の行為まで免責されるわけではない』
「免責しろとは言っていません」
即答。
「事実を変えるなと言っています」
リョウが。
鼻から息を吐く。
「まあ」
「オレはもっと簡単でいいけどな」
上級官僚。
『発言を許可していない』
「もう喋ってる」
リョウ。
腕を組む。
「そっちが」
「公式記録から何を消すかは」
「オレには止められねぇ」
「でも」
一拍。
「オレまで忘れろってのは」
「無理だ」
それだけ。
正義。
英雄。
大きな言葉は使わない。
リョウは腕を組んだまま画面を見ている。
アビゲイルにも彼と共に見た顔や聞いた声が浮かんだ。
ジャンが。
手元の端末を見る。
「ボクからも」
上級官僚。
『簡潔に』
「はい」
ジャンは取得済みデータの一覧を確かめ、画面へ顔を上げた。
「現場で取得した記録は」
「内部保全規定に従って保存します」
『公開するつもりか』
「いいえ」
「公開と保存は別です」
『命令があれば削除する』
「ボク自身が取得した経験まで」
「完全に消去することはできません」
ジャン。
穏やか。
「それに」
「非公開指定された情報でも」
「将来」
「再検証が必要になる可能性はあります」
『可能性を理由に機密を保持するつもりか』
「規定された保存範囲で」
「です」
ジャンは。
それ以上。
言わない。
脅さない。
世界中へ流すとも。
言わない。
ただ。
消す必要のないものまで。
消さない。
それだけ。
⸻
『三人とも』
画面中央。
上級官僚の声。
少しだけ。
低くなる。
『自分たちが』
『[統律特命局]所属のエージェントであることを』
『忘れているようだ』
アビゲイル。
「忘れていません」
『今回の発言は』
『内部情報管理規定』
『指揮命令系統』
『双方の審査対象となる』
「分かっています」
『今なら』
『発言の一部を撤回できる』
アビゲイルは隣の二人を見ずに息を整えた。
「撤回しません」
リョウ。
横を見る。
ジャンも。
アビゲイルを見る。
「処分が必要なら」
「受けます」
「でも」
「私たちが見た事実を」
「見ていないことにはしません」
画面。
しばらく。
沈黙。
『了解した』
声。
冷たいわけではない。
職務。
それだけ。
『本件の公式分類は変更しない』
『後日』
『個別審査を通知する』
「了解しました」
【CONFERENCE:CLOSED】
通信画面が暗くなった。
通達の声が消え、外の機械音が再び耳につく。
リョウが。
肩を落とす。
「やっちまったな」
「リョウさんが途中で割り込んだからです」
ジャン。
「オレだけ?」
「少なくとも」
「ボクよりは」
「お前も言ってただろ」
「許可を取ってからです」
「そこ?」
アビゲイルが。
少しだけ。
息を吐く。
「二人とも」
「まだ終わってない」
「処分?」
リョウ。
「多分」
「減給かな」
「そこを気にするの?」
「大事だろ」
ジャン。
「現在の規定なら」
「減給だけでは済まない可能性もあります」
「言うなよ」
扉。
開く。
⸻
「だから」
「上に喧嘩を売るなら」
「もう少し手順を踏めと言っている」
三人。
振り向く。
男。
68歳。
銀髪混じり。
[統律特命局]長官。
ジェフリー・モーガン。
右手。
古いコイン。
指の間で。
一度。
回す。
「長官」
アビゲイル。
「聞いていたんですか?」
「私の部下が」
「世界政府上層部と正式会議してるんだ」
「聞かない方がおかしい」
リョウ。
「じゃあ」
「助け舟ぐらい出してくれても」
「嫌だ」
「即答かよ」
「私の立場も考えろ」
ジェフリー。
室内へ入る。
暗くなった通信画面を見る。
「公式発表は」
「変わらない」
アビゲイル。
黙る。
「[スペリオルズ]による複合テロ」
「それが」
「世界政府の答えだ」
「長官も」
「正しいと思っているんですか?」
ジェフリー。
すぐには答えない。
コイン。
親指。
一度。
擦る。
「正しいかどうかだけで」
「行政は動かない」
アビゲイルの表情。
変わらない。

「ドーム都市の安全」
「ANIへの信用」
「市民の混乱」
「軍事情報」
「世界政府が隠したいものもある」
「全部まとめて」
「一つの発表にする」
「それが制度だ」
「……」
「気に入らないか」
「はい」
「私も」
一拍。
「全部が気に入ってるわけじゃない」
ジェフリーが机へ端末を一台置いた。
アビゲイルは暗い通信画面からその端末へ視線を移す。
「これは?」
ジャンが見る。
「現場保全用の複製だ」

【TOKYO INCIDENT】
【LOCAL ARCHIVE COPY】
【PUBLIC ACCESS:NONE】
【INTERNAL REFERENCE:RESTRICTED】
「公式報告書じゃない」
「公開資料でもない」
「私の権限で」
「現場確認用として残す」
ジャン。
端末を見る。
「ラズとEVAも?」
「名前だけ」
「詳細は?」
「私が知らない」
即答。
「Ωについても」
「存在以上は知らん」
ジャンが。
ジェフリーを見る。
「長官でも?」
「長官を何だと思ってる」
「全知ではないことは」
「知っています」
「なら聞くな」
ジェフリー。
次。
アビゲイルを見る。
「持っておけ」
「私が?」
「ガンマで管理しろ」
「公開するな」
「改変するな」
「勝手に英雄譚にもするな」
リョウ。
「最後の一つ」
「オレに言ってる?」
「主に」
「ひでぇ」
「だが」
ジェフリー。
少し間を置く。
「捨てるな」
三人。
何も言わない。
「制度には」
「制度の都合がある」
「現場には」
「現場で見たものがある」
「片方だけで全部決めれば」
「どこかで壊れる」
コイン。
指の中。
止まる。
「私は」
「壊れない程度に」
「間を繋ぐ」
「それだけだ」
アビゲイルは机から端末を取り上げた。
表示を確かめ、三人から見える向きで机へ戻す。
「処分は?」
「ある」
リョウ。
「やっぱり?」
「私にも限界がある」
「どれくらい?」
「これから考える」
「長官権限で軽くできたり」
「黙れ」
「はい」
ジャン。
「内部記録は」
「残してよいのですね」
「規定内で」
「はい」
「それ以上は」
「私に聞くな」
「了解しました」
ジェフリー。
扉へ向かう。
途中。
止まる。
「アビゲイル」
「はい」
「お前が見たものを」
「公式発表と同じ言葉で」
「覚える必要はない」
アビゲイル。
僅かに。
目を細める。
「ただし」
「自分の記憶が」
「全部正しいとも思うな」
「……」
「人間は」
「忘れる」
「勘違いもする」
「だから」
机上の端末。
見る。
「記録も残す」
「両方だ」
アビゲイル。
「分かりました」
「ならいい」
ジェフリー。
再び。
歩き出す。
リョウ。
「長官」
「何だ」
「オレら」
「間違ってました?」
ジェフリーは。
振り向かない。
「それを」
「私に決めさせるな」
扉。
閉じる。
⸻
扉の閉まる音が途切れた。
ジャンの指が腰の専用ホルスターに収まった大型リボルバーへ一度触れる。
リョウも。
上着の内側。
傷だらけのスキットル。
そこにあることだけ。
確認する。
アビゲイル。
クロス型ペンダント。
そして。
机上。
非公開端末。

どれも。
同じものではない。
武器。
私物。
記録。
記憶。
残り方も。
違う。
風。
壁の隙間。
入る。
固定金具。
揺れる。
カチン。
アビゲイル。
顔を上げる。
陽名。
五枚のドッグタグ。
最後に。
『陽名』
と呼んだ時。
返ってきた。
声。
一瞬。
思い出す。
今の音が。
本当に。
誰かからの返事なのか。
そんなことは。
分からない。
ただの金属音。
その可能性の方が。
ずっと高い。
アビゲイルは。
それでも。
少しだけ。
笑った。
「どうした?」
リョウ。
「何でもない」
「そ?」
「ええ」
ジャンが。
端末の電源を切る。
「帰りますか」
「そうね」
アビゲイルは電源の切れた非公開端末を持ち上げた。
二人が続くのを確かめて扉へ向かう。
公式記録。
消えた名前。
残った記録。
曖昧な記憶。
どれが。
いつまで残るのか。
分からない。
何が。
未来で意味を持つのかも。
分からない。
たしかなものなど。
なかったけれど。
それでも。
渡されたものはあった。



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