Scene.27 ―「たしかなものなど、なかったけれど」

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▼オリジナル小説

──風が、吹いた。

 それは、たしかに“誰か”の歩みが残した痕跡だった。無数の声と祈りが溶け込んだ、まだ名もない未来への息吹。
 仮設施設の壁を撫でていく風は、どこか懐かしい音を孕んでいた。埃に混じった金属の匂い。遠くの空で反響するかすかな機械音。
 記憶の中の“あの日”が、ふいに息を吹き返したような気がした。
 その風は誰かの名を呼ぶようで、問いかけに答えるようで、遠い記憶の底から届く、かすかな“呼吸”だった。  
 アビゲイル・エイミー・アームストロングの胸の奥で、微細な振動のように共鳴していた。
 薄い壁がわずかに軋み、熱を帯びた空気の中に、砂と灰が混じる。その流れに、かすかに金属の触れ合う澄んだ音が混ざった。
 アビゲイルは目を伏せる。誰の耳にも届かぬその音が、彼女にとっては“応答”だった。

(あれは、あの夜の“返事”)

 そう確信できるだけのものが、胸の奥に残っていた。

『ガンマチームの諸君、ご苦労だった』

 会議はすでに始まっていた。
 アビゲイルを中心に、ジャン=ジャック・ジャカールが左側に立ち、リョウは右側に立っていた。

 冷光が走る。
 緊張の中、空間を支配するようにホログラムが立ち上がる。
 映されたのは、世界政府の上層部の顔──整いすぎた声音と、血の気を失った無表情。

『今回の事件について、世界政府の決定を報告する』

 その声に怒気はなかった。焦りも、感情もない。
 ただ“終わらせる”ための処理手続きが、粛々と読み上げられる。

 ホログラムの前には規定された椅子。資料の表示は許可制。応答は予定された発言順のみ。

 それは“意見”を求める場ではなく、“命令”を下す場だった。

『……[トーキョー・シティ]の件は、反乱組織[スペリオルズ]による局所攻撃と断定された。報告にあった“特殊因子”は抹消される。関係者の名も、経緯も、建前の下に統合管理されるものとする』

 空気が、わずかに震えた。
 何かが沈んでいくような感覚の中で、アビゲイルの呼吸だけが確かに響いていた。

 彼女は一拍の沈黙ののち、わずかに顔を上げる。

「……それでは、彼らが“いなかった”ことになる」

 彼女の指は、胸元の銀のクロス型ペンダントにそっと触れていた。
 一瞬、頭に浮かんだのは、誰かが無言でうなずいていた記憶だった。

 あの夜、倒れた背中。託されたもの。
 彼らが未来を信じて差し出したもの。
 それを忘れてしまえば、自分もまた“いなかった者”になってしまう。

「“ワイルドカード”の隊員たち。彼らを率いたマナイア・ケア。そして“エージェント・ゼロ”……リク・ロクジョウ。彼らはこの街を守った。命をかけて、選び、立ち向かった」

 一瞬、ジャンとリョウの視線が交差する。
 ジャンはこめかみに指を当て、沈思のしぐさを見せる。その視線は一瞬、ホログラムの向こうを見ていた。まるで、そこに“記録されなかった者たち”が今も並んで立っているかのように。

 リョウは、懐のスナック菓子に触れた指先を握りしめた。 (忘れない)という言葉を、誰よりも強く願っていたのは自分かもしれない──そんな思いが、静かに胸の奥で疼いた。
 手が、止まる。リョウは懐にあるスナック菓子に手を伸ばしかけ──やめた。

「スペリオルズの扱いも、誤っている。彼らがいたからこそ、止めることができた」

 アビゲイルの強い言葉にリョウは同意する。

「記録されないなら……せめて、私たちが、覚えていたい」

 静かに告げたアビゲイルの言葉に、リョウが一歩前へ出る。

「ヒーローってのはよ、戦って勝つだけじゃねぇ。仲間の名前を忘れねぇ。誰にも見えなくても、そこにいたって言い張る。……それが、俺たちの“正義の味方”だろ?」

 笑いも皮肉もなかった。ただ、まっすぐに。

 昔、街角のテレビで観た古いヒーロー番組。画面越しの彼らは、決して名前を見捨てなかった。
 たとえ誰に嘲られても、仲間の存在を誇りにした。
 彼なりの信念と、あの夜に死んだ者たちへの敬意が、言葉に滲んでいた。

 続いて、ジャンが顎に手を当てたまま、冷静に語る。

「そっちが消すって言うなら、こっちは“残す”手段がある。世界中の回線に向けて情報を拡散するなんて、ボクにとっては造作もない」

 高官たちの一部がざわめく。

「……ただし、やらない。“価値ある情報”ってのは、暴露じゃなく、継承されるものだからな」

 その言葉は、明確な“脅し”であり、“選択”の宣言でもあった。情報は力になる。だがそれ以上に、それを“どう使うか”が未来を決める。
 ジャンはそれを知っていた。だからこそ、暴露ではなく“継承”を選んだのだ。
 ホログラムの中央、もっとも高位の男──影の支配者のような声が、静かに告げる。

『……三人とも、“統律特命局のエージェント”としての立場を忘れているようだな。今の発言を取り消さなければ、処分対象だ』

 その威圧に、アビゲイルはまったく動じなかった。むしろ、その言葉を待っていたかのように──

「構いません。もし、私たちの行動が、誰かの記憶になるのなら」

 通信が切れた。空気が、ひときわ深く軋んだ。
 そして、扉が開いた。

「まったく……君たちは、昔から騒ぎすぎだ」

 現れたのは、銀髪交じりの短髪とコインの音を纏う男。統律特命局・長官、ジェフリー・モーガンだった。
 仄かに立ちこめるオゾン臭と、足音に混じるコインの乾いた音。それは、この部屋の空気を一変させる“存在感”だった。
 彼の足取りは静かだったが、床を打つ響きには重さがあった。まるで、その歩み自体が“証人”であろうとするように。
 銀色のコインを掌で回す癖、それは、過去に死地へ向かっていった仲間たちの名を、心の中で呼ぶための儀式でもあった。
 そして今、それはアビゲイルたちへと、静かに受け継がれていく。

「どうせなら、もう少し上手くやって欲しいところだ。私の立場というモノがある」

 それでも彼は、エージェントたちに“記録ではなく、信念”を選ばせる自由を与えていた。

──かつて、自分が守れなかった名があったからこそ。

 軽く言いながらも、その瞳に宿る光は穏やかで、どこか誇らしげだった。

「だがな……お前たちの行動は、正しい」

 沈黙のなか、アビゲイルはそっと息を吐く。
 その表情には、わずかに揺らぐ痛みと、希望が同居していた。
 アビゲイルは黙ったまま見つめる。ジャンとリョウも口を開かない。長官は、懐から銀のコインを取り出し、それをゆっくりと弾いた。

「むかし、どこかの伝説の男も言ってたよ。“名を残せなくても、誰かが覚えていれば、それでいい”ってな」

 ジャンは懐のホルスターに指を添える。リョウは尻ポケットにあるスキットルを握る。
 それぞれが、誰かを想っている。

「君たちは、記録に残らない者たちの名を刻もうとした。それは……今まで誰もやらなかったことだ。誇っていい。ただし、当然ながら“その代償”はある。処分は免れないだろう」

 アビゲイルはまっすぐに応じた。

「それでも構いません。私たちは、自分たちが信じるものを、手放すつもりはありませんから」

 ジェフリーは短く息を吐き、懐から端末を取り出す。

「なら、これを持っていけ」

 アビゲイルが受け取る。その手が、少しだけ震えていた。

「次の任務だ。正式な指示じゃない。だが……俺個人として、君たちに託したい未来がある」

 その“任務”の詳細は、まだ誰にも分からない。けれど、その風の中に確かに、何かが応えていた。
 金属の小さな音が、再び、そっと揺れた。
 そのとき、アビゲイルの耳には再び、かすかな“あの音”が聞こえた。
 風に乗って、誰かの声のように名もなき者たちが、未来のどこかで呼吸しているように。
 それは“過去からの応答”だった。見えなくても、失われても、確かに存在したという証。

 ドアの隙間から入り込む風が、壁際の端末に当たり、わずかに鳴る。それはまるで、消えた者たちの声が、なおもこの場所に宿っているような響きだった。
 風は止まない。未来のどこかへ向かって、まだ吹き続けている。その風が、いつか誰かの背中を押す日が来ることを願って。
 たしかなものなど、なかったけれど。それでも、渡されたものはあった。

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