Scene.14 ―「名を持たぬ者へ、名を託す」

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▼オリジナル小説

【補助観測ログ Δ.H1】
【記録端末:統律特命局・戦術支援ユニット《J-JJ_02》】

【OBSERVATION STREAM FAILED】
【LOGICAL ANCHOR LOST — 再同期不可】
【現在位置:不明領域Δ — 簡易観測ノード起動中…】

 戦闘が終わっていた。
 それでも空気は、なおも濁ったままだった。
 地下構造の深部。天井はところどころ崩落し、瓦礫と鉄骨に囲まれた空間は、外界から遮断されていた。
 焦げた鉄と湿った血の匂い。どこかで漏れている蒸気の音と、機械が断末魔のように吐くノイズ。
 静けさではなく、音の“死”が満ちていた。

「……ログが通らない。ここ、根本的におかしいな」

 ジャン=ジャック・ジャカールは、半壊した柱にもたれるようにして膝をつき、端末を睨みつけていた。
 モニターに走る観測データは、ノイズ混じりのまま灰色の空間を示し、再構築は進まない。

「ボクの《エイドメモリア》にも記録がない。……これじゃあ、目隠しと爆音のヘッドセットを付けて歩くようモノです」

 僅かに苛立ちをにじませながら、彼は端末の切り替えキーを叩く。

「……よし。〈レイヴン〉、中継ルートに変更。残してきた奴を経由すれば、マップ全体の輪郭くらいは取れるはず……」

 微細な振動が、床からかすかに伝わる。 通信が繋がった証だった。
 その背後、アビゲイル・エイミー・アームストロングは、壁際に立ったまま、黙して動かない。
 彼女の視線はジャンの端末にも、崩れた天井にも向いていなかった。

(……エージェント・ゼロ……どこか古武道に通じる動きだったのか……?)

 胸の奥に渦巻くのは、理解しきれない既視感。ただの能力者ではない。明らかに何かが違っていた。
 それなのに、なぜか──どこか“懐かしい”という感情すら芽生えそうになっていた。

(……伝説と言われたエージェント・ゼロ……機械化された目と腕……)

 アビゲイルの脳裏に焼きつけられた青白い光を発する義眼と義手。それにリク・ロクジョウの迷いない戦闘は彼女の中で静かな衝撃となっていた。  彼女は無意識に、胸元のペンダントへと指先を伸ばしていた。クロスの形をした金属が、冷たく指に触れる。

「ったくよぉ……非常食どこだ、非常食。全然カロリー足りてねぇ……」

 リョウは瓦礫を派手に掻き分けながら、ぶつぶつと呟いていた。
 片手には空になったパウチの袋。もう一方では崩れたロッカーの残骸を荒々しく押しのけている。

「やべぇ……戦闘で二千は持っていかれた……いや、それ以上か?」

 その騒がしさに対して、誰も突っ込まなかった。
 この沈黙の中では、むしろ彼の独り言が唯一の“生活音”のようにすら感じられた。

──そのリョウとアビゲイルの間。

 陽名は、黙って座っていた。瓦礫を背に、足を小さく折りたたんで。ただ静かに、アビゲイルの横顔を見上げていた。ジャンの端末。リョウの動き。アビゲイルの視線の向こう。どれもが陽名の目に映り、観測されていた。  それが彼女にとって“知覚”なのか、“感情”なのかは分からない。ただ、そこにいて、見つめていた。 

──そして。

 アビゲイルの視界の端で、何かが動いた。

 「……?」

 いつの間にか、陽名が立ち上がっていた。無言のまま、通路の奥へと向かって歩き始めていた。彼女の背は、小さく、しかしどこか決意を宿していた。
 アビゲイルは追わなかった。
 その先にはあの大男が、休んでいるはずだった。

──だから、任せたのだ。

 崩れかけた壁に囲まれた、小さな部屋。照明は切れ、湿り気を含んだ空気は肌に重い。
 呼吸音すら遠のくその場所で、マナイア・ケアは静かに目を閉じていた。
 筋肉質な身体に、無数の古傷と血のにじむ新しい傷。幾何学模様のタトゥーは、自身の血に濡れながらも、崩れることなく刻まれ続けていた。

 かすかな足音が近づく。
 白いシャツ。細い影。無言のまま、その正面に立つ。

「……よう」

 片方の目だけを細く開け、マナイアはその顔を確認する。
 そこにいたのは陽名だった。

 「そういや、ずっと見てたな。俺の顔のこと、気になるか?」

 陽名は答えない。ただ、その視線は彼のタトゥーに吸い寄せられたままだ。

 「これはな……じいさんの代から受け継いでるもんだ。生まれた意味ってのを、皮膚に刻む習わしささ」 

 小さく笑う。照れくさそうで、けれどどこか誇らしげな微笑み。

「お前が何者かなんて、もうどうでもいい。……けどな。見えるぜ、お前の目に映ってんのが」

 懐から金属の塊を取り出す。
 擦り切れたドッグタグ。そこにはいくつかの名前が刻まれていた。

 「こいつらは……俺の仲間だった。名もねえ奴もいた。でもな、俺は全員、覚えてる。忘れたことは一度もねえ」 

 一つの名前を、親指でなぞる。

「この名前……ジョニー。無鉄砲でよ、すぐ突っ込んじまうやつだった」

「もう残っちゃいねぇけどな……こうやって、少しでも誰かが背負えば、意味があんだよ」

 マナイアはドッグタグを陽名の首にそっとかける。

「……ほらよ……」

 金属に残る体温は、まだ冷たくなっていなかった。

「へっ……なかなか似合っているじゃねえか……」

 陽名は顔を伏せたまま、タグの表面に指先を当てる。
 その仕草は静かで、言葉にできない何かを伝えていた。

──風が吹く。髪が揺れ、タグがかすかに鳴った。

「……うっ……」

 安心したのかマナイアは忘れいた痛みを思い出す。
 包帯を巻いているが、明らかに出血は止まっていない。マナイアは腹部を押さえるが、彼も幾度の戦場でどのような状況か理解している。

「……どうも、こっちの機嫌はダメみてぇだな」

 そう言って、腹部から手をどかして付着した血を見ながら薄く笑う。
 それでもマナイアの顔には絶望はなく、むしろ希望のような表情を持っていた。

「……お前、変わったな」

  そのまま目を閉じる。ほんのひととき、沈黙が降りる。

「そろそろ……交代の時間だ」

 再び目を開け、陽名を見つめた。問いかけるような、まっすぐな視線。  そのとき、足音が近づく。  振り返る陽名。黒い影が三つ、こちらへと近づいてくる。

「……ジャン」

 リョウがぽつりと呟く。それ以上の言葉は出なかった。
 ジャンはすぐに端末を開き、マナイアの状態を確認する。

 「生体反応、ほぼゼロです。もう……」

「……ああ……いいんだ」

 マナイアは、それでも笑っていた。
 そして次の瞬間、戦場の兵士のように顔を引き締める。

「リョウ。お前の拳には“守る力”がある。暴れるだけじゃねぇ。お前はもう、分かってんだろ?」

 リョウは黙って、拳を強く握った。

「ジャン。お前の頭は、俺には難しすぎるが……正直に“分からねぇ”って言える奴は、信用できるもんだ」

 ジャンは小さく頷いた。
 そして、最後に、アビゲイルへ。

「小僧……お前には重すぎる期待が乗っかってんだろうが、そんなもんに縛られるな」

 マナイアの言葉にアビゲイルは彼から視線を外さない。

「任務に従うな、自分に従え。……いいか、小僧」

 アビゲイルの視界が、わずかに屈折する。
 青白い粒子が空間に浮かび、風が逆流するような感覚。

(……これは)

 アビゲイルは確かに“何か”を見た。
 光の粒が幾何学のように舞い、名もなき声が耳の奥に届く。

『……未来は、見せられるものじゃない。選ぶのよ……』

 それは懐かしく、優しい声だった。
 マナイアは陽名に視線を置き、そしてもう一度アビゲイルを見る。

「ヒナを頼んだ……お前らなら……やり遂げられるはずだ」

「教官……」

 アビゲイルは震える声で、懸命に感情を押し殺す。

「小僧……戦場では何を優先するべきか、教えたよな?」

「は、はい……」

「なら……ためらわず、実行しろ。いいな」

 マナイアの鋭い眼差しに、アビゲイルは深く頷いた。

「ジャン、リョウ。保護した市民を脱出させる」

「……了解」

 リョウは敬礼を交わし、静かに振り向く。

「この周囲に10の脱出パターン。推奨経路は南東、0.2分圏内に潜行ルートあり」

 ジャンもまた敬礼し、端末を操作してマップを展開する。

 リョウの背は、いつになく大きく。
 アビゲイルの足取りは、ためらいなく。
 陽名はそれを見て、見よう見まねで敬礼をした。
 その姿に、マナイアはゆっくりと頷いた。
 陽名は敬礼の手を下ろしたあと、そっとタグに触れた。かすかに揺れる金属の輪郭が、彼女の胸元でひときわ静かに響いていた。それはまるで、引き継がれた“名”の重さを確かめるようだった。

──誰もが去ったあと、マナイアはふっと息を吐く。

 懐から葉巻を取り出し、口にくわえる。
 火は点けない。ただ、そこにあるだけ。
 そして、目を閉じる。

──火のない葉巻が、床に転がった。

 風が吹く。タグの擦れる金属音が、微かに響いた。
 振り返ったアビゲイルの目に、陽名の首もとで揺れるタグが映った。

──風が吹く。カラン、と乾いた金属音。

 それは、確かに引き継がれた証だった。

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