【REFLOG:Δ.H1】
【TARGET:Δ.H0】
【MULTI-NODE OBSERVATION:ACTIVE】
【RECORD PRIORITY:MAINTAIN】
トーキョー・シティ。
人工空を構成する発光パネルが、時刻設定に合わせて明度を落とし始めていた。
冷たい光が崩れた高架と無人の商業区画へ斜めに差し込む。
送風ダクトが動き、ビルの間を一定方向の風が抜けていった。
風はある。
だが、この区画には鳥の声も人の話し声もない。
都市設備だけが、社会の止まった街を動かし続けている。
⸻
マナイアとミーラを一時拠点へ残し、ガンマチームは陽名と市街を進んでいた。
アビゲイル・エイミー・アームストロングは高架上で一度足を止めた。
足の裏へ均等に体重を乗せ、目を閉じた。
肩の力を抜いて呼吸を整える。
幼い頃から身につけてきた姿勢と呼吸。
軍学校で磨いた古武道的な身体操作。
それを《ミライメージ》発現後の制御訓練へ繋げてきた。
未来を見る前に、現在の身体を整える。
数秒。
アビゲイルは目を開いた。
視界の端へ、数秒先の薄い残像が重なる。
崩れたシャッター。
横倒しの案内端末。
ひしゃげた自動販売機。
人影はない。
⸻
「……誰もいねぇな」
少し先を歩いていたリョウが周囲を見る。
「まるで時間が腹ァ空かせて、全部食っちまったみてぇだ」
ポケットから携行用のスナックを取り出した。
一枚だけ口へ放り込む。
咀嚼。
いつもの塩味だった。
それでも、かつて外界救助任務で見た荒れた道路と、焦げた空気を思い出す。
「……あの頃よりマシだなんて、笑えねぇよ」
⸻
ジャンはリョウの後ろを歩く陽名へ目を向けた。
白い服。
小さな歩幅。
時々、人工空を見上げている。
肉眼では普通の少女だった。
だが、ガンマチームの共有表示では違う。
【PERSON DETECTED】
【ID:UNRESOLVED】
【TRACKING:UNSTABLE】
識別枠が陽名へ重なる。
数歩進むと外れる。
再び取得。
また外れる。
「まだ同じですね」
ジャン=ジャック・ジャカールが戦術端末へ指を走らせる。
「映像、熱源、音声は正常」
「人物識別だけ?」
アビゲイルが聞く。
「それと追跡の連続性です」
ジャンが都市地図を開く。
一部の区画だけ、情報接続が不自然に途切れていた。
「こっちは陽名さんとは別件です」
「都市側?」
「おそらく」
ジャンの指が止まる。
昔。
Noclipとして世界政府のネットワーク深部へ入り込んだ時も似た感覚があった。
データはある。
処理も動いている。
それなのに、権限構造だけ説明できない。
あの時。
自分なら最後まで読めると思った。
結果として、逆に捕捉された。
「ジャン?」
「いえ」
アビゲイルを見る。
「書き換えられた場所は追えます。ただ――」
「ただ?」
「追えることと、理解できたことは別です」
ジャンは地図を閉じなかった。
陽名が横から覗き込む。
「わかるの?」
「今のところ、半分くらいです」
「半分」
「残り半分が面白いんですよ」
「ジャン」
アビゲイルの声が少し低くなる。
「任務中です」
「分かってます」
リョウが笑った。
「こいつがそれ言う時が一番危ねぇんだよ」
「否定はしません」
⸻
【OBSERVATION NODE:SUPERIORS / POISONOUS】
別区画。
旧植物管理施設。
ポイゾナスは換気口の前へ片手をかざした。
空気の流れを確認する。
その先。
三人の変異市民が通路を徘徊している。
動きは鈍い。
完全に理性を失っているかどうかは、まだ分からない。
ポイゾナスは三人の胸の動きと体格を見比べ、換気口から通路へ流れる風を確かめた。
殺す必要はない。
《ヴェネナム》で生成する成分を調整する。
鎮静。
運動抑制。
意識を落としすぎない濃度。
薄い紫色の霧が指先から流れた。
換気口からの風がそれを三人のいる通路へ運ぶ。
変異市民の歩幅が狭まり、動きが少しずつ遅くなった。
一人。
二人。
三人。
その場へ座り込んだ。
呼吸はある。
ポイゾナスが確認する。
「これでいい」
腰の端末を見る。
ラズから受け取った経路情報。
その先にある名前。
陽名。
ポイゾナスは画面を閉じた。
「まず会ってから判断する」
⸻
【OBSERVATION NODE:SUPERIORS / TAURUS・SPROCKET】
旧整備区画。
大型機械の残骸が並ぶ場所で、スプロケットが端末を分解していた。
隣ではタウロスが巨体を床へ座らせている。
大きな指に小さな獣骨を挟み、ナイフの先で端を少しずつ削っていた。
スプロケットが横目で見る。
「……なに、それ」
「飾り」
「誰の?」
タウロスは骨を眺める。
「まだ決めてねぇ」
「決めずに作ってるの?」
「作ってから決める」
「逆じゃない?」
「そうか?」
スプロケットは少し考える。
「……たぶん」
タウロスが笑った。
骨の端へ、小さな角の意匠を作る。
「フェイズには細いのがいい」
「うん」
「ポイゾナスは……もう少し面倒だな」
「怒られるよ」
「なんでだ」
「言い方」
「聞いてねぇから平気だ」
スプロケットの口元が少しだけ動く。
ゴーグルへ新しいノイズが走った。
【SIGNAL FLUCTUATION】
「……また」
タウロスの手が止まる。
「陽名か?」
「分かんない」
「痛いか」
「それも……分かんない」
タウロスはナイフを収め、作りかけの骨飾りを腰袋へ入れた。
「なら無理すんな」
「でも」
「見つけるのは逃げねぇ」
スプロケットが彼を見る。
「生きてる方を先に守れ」
短い声だった。
スプロケットは接続要求を閉じた。
「……うん」
⸻
【OBSERVATION NODE:SUPERIORS / PHASE】
高層送電設備の保守足場。
フェイズは都市を見下ろしていた。
片手には古いポストカード。
転移用の道具ではない。
旅先で拾っただけの紙片だった。
彼はそれを指先で弄びながら、周囲の建物を確認する。
屋上。
歩道橋。
非常階段。
崩れた広告塔。
《ジャンパー》で使える視認座標を頭へ入れていく。
一つ。
二つ。
三つ。
最後の一つだけ、使わずに残す。
「……あいつら放っとくと、すぐ無茶するからな」
誰へ言ったわけでもない。
遠くに、タウロスとスプロケットの位置表示。
さらにポイゾナス。
オラトリオ。
フェイズはポストカードをジャケットへ戻す。
どこへでも逃げられる。
だからこそ。
誰かを連れて逃げるための道も、残しておく。
彼は次の建物へ視線を定めた。
青白い歪み。
姿が消えた。
⸻
【OBSERVATION NODE:SUPERIORS / ORATORIO】
崩れた礼拝施設の上。
オラトリオは白いフードを被り、目隠しのまま立っていた。
両手には水晶玉。
肉眼は塞がれている。
それでも。
街の断片が水晶の中へ重なる。
現在。
少し先。
過去と区別できない記憶。
遠くにある感情。
その全てが完全に繋がるわけではない。
オラトリオは水晶玉へ指を添える。
深い場所から、引く感覚がある。
帰還。
本体。
エウドラ。
戻れば、蓄積した記録は還元される。
現在の自分は終わる。
「……まだ」
小さな声。
「まだ、帰らない」
青い紋様が一度だけ淡く脈打った。
水晶玉へ、少女の姿が映る。
陽名。
映っている。
だが、次の断片では位置が繋がらない。
オラトリオは目隠しの向こうで、それを見ていた。
「目は閉じているのに」
わずかに口元が動く。
「見えすぎる」

水晶の中。
少女の姿が一度消えた。
別の場所。
誰かの胸元に、小さな手が触れている。
それ以上は見えない。
オラトリオは追わなかった。
⸻
【OBSERVATION NODE:MEERA MALIK】
一時拠点。
ミーラ・マリクは携行端末に流れ込む映像を見ていた。
【TARGET:HINA】
【VISUAL:CONFIRMED】
【THERMAL:CONFIRMED】
【AUDIO:CONFIRMED】
【PERSON ID:UNRESOLVED】
【TRACKING:UNSTABLE】
陽名そのものは映っている。
問題は、その前後。
カメラA。
陽名。
カメラB。
陽名。
カメラC。
該当人物なし。
カメラD。
再び陽名。
同一人物としての追跡処理だけが切れている。
「観測できないわけじゃない」
ミーラが呟く。
画面を戻す。
再生。
また戻す。
「こちらが、同じ存在として連続させられない」
以前なら。
陽名自身が観測を拒絶している。
そう仮定していた。
だが証拠はない。
少女は隠れていない。
カメラを避けてもいない。
普通に歩いている映像さえある。
「……仮説が先に走っていた?」
ミーラは顎へ指を添えた。
認めたくはない。
しかし、解析結果は解析結果だった。
「続けるしかないわね」
画面には陽名の顔。
その横で、識別欄だけが空白になっていた。
⸻
【OBSERVATION NODE:GAMMA】
警告音。
アビゲイルが顔を上げる。
【LOCAL SECURITY SIGNAL:DETECTED】
「前方」
ジャンが言った。
路地の両側から機械音が近づく。
三体。
〈センチレット〉。
都市警備用の現場機。
前脚部の固定機構が展開される。
【IFF:REJECTED】
「来るぞ!」
リョウが陽名のいる後方から敵の進路へ出た。
突進を受ける両腕の皮膚が黒銀色へ変わった。
《クロガネ》。
一体目の突進を正面から受ける。
「おらぁ!」
腕を振り抜く。
〈センチレット〉が横へ弾かれ、壁へ激突した。
二体目。
射撃機構が開く。
アビゲイルの視界へ複数の未来残像が重なる。
右。
左。
正面。
射線。
数秒先。
彼女は一つを選んだ。
「リョウ、伏せて」
「了解!」
リョウが伏せて空いた脇へアビゲイルが踏み込んだ。
〈高周波刀〉が射撃を構えた機体の脚関節を切断する。
機体が傾き、射線が地面へ落ちた。
三体目が後方から旋回。
「ジャン!」
「見えてます」
カスタム拳銃。
二発。
一発目が照準センサー。
二発目が駆動部。
機体の動きが止まる。
リョウがなお動こうとする機体を地面へ押さえつけた。
「終わり!」
「まだ」
アビゲイルが周囲を見る。
数秒。
追加反応なし。
「……クリア」

リョウが息を吐いた。
「嬢ちゃん、見てたか?」
振り返る。
止まった。
「……あれ?」
アビゲイルも後方を見る。
陽名がいない。
「陽名?」
返事はない。
リョウの顔から笑いが消えた。
「どこ行った?」
「ジャン」
「確認します」
ジャンがすぐ端末を開く。
「最後の映像は戦闘開始直前」
「位置」
「20メートル後方」
「リョウ、戻り道」
「分かった」
「私は周辺を見る」
三人が動く。
アビゲイルは声を張る。
「陽名!」
返事はない。
アビゲイルは瓦礫の陰へ回り、店舗跡の入口から中を覗いた。
階段にも目を向ける。
見える範囲に陽名はいなかった。
ジャンから通信。
『リーダー』
「見つけた?」
『映像はあります』
「どこ?」
『それが……繋がりません』
共有画面へ映像が出る。
戦闘直前。
陽名が立っている。
次。
少し離れた階段。
少女が一人で下りている。
さらに別のカメラ。
陽名らしい姿。
だが人物タグはない。
【ID:UNRESOLVED】
【ROUTE TRACE:INCOMPLETE】
「歩いてる」
リョウが言った。
「ええ」
ジャンが答える。
「少なくとも、この映像では」
「行き先は?」
「不明です。カメラ間で同一人物として繋がらない」
アビゲイルが画面を見る。
「記録がないわけじゃない」
「はい」
「なら追えるところまで追う」
「了解」
「探すよ」
アビゲイルは走り出した。
⸻
【OBSERVATION NODE:SUPERIORS】
別の街路。
スプロケットのドローンが警告を出した。
【BIOLOGICAL MOVEMENT:MULTIPLE】
路地から変異市民が現れる。
五人。
さらに後方。
数が増える。
「スプロケット、下がれ!」
タウロスが前へ出た。
《ブルホーン》。
肩と背中の筋肉が膨張する。
頭部に巨大な角。
重心が落ちた。
完全な獣ではない。
巨体の圧力だけが、さらに増している。
一人目を腕で受け止める。
タウロスは投げずに肩を押して進路を横へずらした。
二人目と三人目にも身体を寄せ、スプロケットの前を塞ぐ。
「ポイゾナス!」
「分かってる」
ポイゾナスが風を見る。
《ヴェネナム》。
薄い紫色の霧。
鎮静濃度。
変異市民の動きが鈍る。
「今よ」
フェイズがスプロケットの腕を掴む。
「一回だけ飛ぶぞ」
「う、うん」
青白い歪み。
二人の姿が消える。
二人は近くの屋上へ出現した。
フェイズはスプロケットの足が床に着いてから腕を離し、自分は膝をついた。
「……やっぱ他人連れはキツいな」
「ご、ごめん」
「お前のせいじゃねぇ」
下。
タウロスが最後まで残っている。
ポイゾナスが退路を確保する。
オラトリオが水晶玉を持ち上げた。

「右は閉じる」
フェイズが彼女を見る。
「何?」
「左へ」
一瞬後。
右側の通路から、新しい〈センチレット〉が現れた。
「……先に言えよ」
「いま言った」
「そういう意味じゃねぇ」
タウロスが笑う。
「左だ!」
五人はそれぞれ自分の足と能力で退く。
ポイゾナスが最後に端末を見る。
陽名の追跡表示。
【CURRENT TRACE:UNSTABLE】
「まだ会えてない」
フェイズが言う。
「だから?」
「追うのか」
ポイゾナスは少し考える。
「ええ」
「ラズのために?」
「違う」
短い返答。
「本人を見てから決める」
フェイズはそれ以上聞かなかった。
⸻
夜。
ガンマチームが使用している一時拠点。
旧行政支援施設の医療区画。
ガンマは数時間、陽名を探した。
映像は断片的に残っている。
だが移動経路は最後まで一本に繋がらなかった。
アビゲイルが医療室の扉を開ける。
足が止まった。
ベッド。
マナイア・ケア。
まだ腹部には固定材が巻かれている。
眠っていた。
その胸元。
小さな身体がある。
陽名。
横向きになり、マナイアへ身を寄せている。
静かな寝息。
マナイアの腕が、無意識に少女の背中へ回っていた。
「……いた」

リョウの声から力が抜ける。
ジャンが端末を見る。
【PERSON DETECTED】
【ID:UNRESOLVED】
【THERMAL:NORMAL】
【RESPIRATION:NORMAL】
「間違いありません」
「そりゃ見りゃ分かる」
リョウが小声で返す。
陽名は起きない。
マナイアも起きない。
リョウが少し笑った。
「嬢ちゃん、そこが一番安心すんのか……」
ジャンが移動記録を開いた。
「最後まで経路は繋がりません」
アビゲイルが見る。
「でも?」
「映像はあります」
ジャンが一つずつ表示する。
「階段を下りた」
「うん」
「通路を歩いた」
「うん」
「途中で二つのカメラから追跡が外れた」
「それで?」
「別の区画で再び映った」
ジャンは眠る陽名を見る。
「移動したことは分かります」
「どうやってここまで来たかは?」
「全部は繋がりません」
リョウが肩をすくめる。
「歩いて来たんじゃねぇの?」
ジャンが黙る。
「……おそらく」
「じゃあ、それでいいだろ」
「解析担当としては良くありません」
「人間としては?」
ジャンが陽名を見る。
「……普通ですね」
リョウが笑った。
入口にいたミーラが三人の脇からベッドを見た。
端末に同じ結果が表示されている。
「経路だけが欠ける」
ミーラが言う。
陽名を見る。
「本人は、ここにいる」
誰も答えなかった。
アビゲイルはベッドへ近づく。
眠っている陽名。
その手が、マナイアの服を軽く掴んでいる。
アビゲイルは自分の〈T.A.S.S.〉表示を切った。
識別枠が消える。
数値も消える。
ログも消える。
目を閉じる。
静かな寝息が聞こえた。
一つ。
陽名。
もう一つ。
マナイア。
呼吸の速さは違う。
それでも二人とも、そこにいる。
アビゲイルは目を開いた。
「ジャン」
「はい」
「探索終了」
「了解」
「陽名は?」
リョウが聞く。
アビゲイルは眠っている少女を見る。
「保護対象に復帰」
「最初からそうだけどな」
「そうね」
ほんの少しだけ、アビゲイルの表情が緩んだ。
⸻
【REFLOG:Δ.H1】
【TARGET:Δ.H0】
【VISUAL:CONFIRMED】
【AUDIO:CONFIRMED】
【THERMAL RESPONSE:CONFIRMED】
【PERSON ID:UNRESOLVED】
【ROUTE TRACE:INCOMPLETE】
【OBSERVATION:PARTIAL】
【TRACE:CONTINUED】


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