Scene.11 -「目を閉じたほうが、よく見えた」

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▼オリジナル小説

【REFLOG:Δ.H1】

【TARGET:Δ.H0】

【MULTI-NODE OBSERVATION:ACTIVE】

【RECORD PRIORITY:MAINTAIN】

 トーキョー・シティ。

 人工空を構成する発光パネルが、時刻設定に合わせて明度を落とし始めていた。

 冷たい光が崩れた高架と無人の商業区画へ斜めに差し込む。

 送風ダクトが動き、ビルの間を一定方向の風が抜けていった。

 風はある。

 だが、この区画には鳥の声も人の話し声もない。

 都市設備だけが、社会の止まった街を動かし続けている。

⸻

 マナイアとミーラを一時拠点へ残し、ガンマチームは陽名と市街を進んでいた。

 アビゲイル・エイミー・アームストロングは高架上で一度足を止めた。

 足の裏へ均等に体重を乗せ、目を閉じた。

 肩の力を抜いて呼吸を整える。

 幼い頃から身につけてきた姿勢と呼吸。

 軍学校で磨いた古武道的な身体操作。

 それを《ミライメージ》発現後の制御訓練へ繋げてきた。

 未来を見る前に、現在の身体を整える。

 数秒。

 アビゲイルは目を開いた。

 視界の端へ、数秒先の薄い残像が重なる。

 崩れたシャッター。

 横倒しの案内端末。

 ひしゃげた自動販売機。

 人影はない。

⸻

「……誰もいねぇな」

 少し先を歩いていたリョウが周囲を見る。

「まるで時間が腹ァ空かせて、全部食っちまったみてぇだ」

 ポケットから携行用のスナックを取り出した。

 一枚だけ口へ放り込む。

 咀嚼。

 いつもの塩味だった。

 それでも、かつて外界救助任務で見た荒れた道路と、焦げた空気を思い出す。

「……あの頃よりマシだなんて、笑えねぇよ」

⸻

 ジャンはリョウの後ろを歩く陽名へ目を向けた。

 白い服。

 小さな歩幅。

 時々、人工空を見上げている。

 肉眼では普通の少女だった。

 だが、ガンマチームの共有表示では違う。

【PERSON DETECTED】
【ID:UNRESOLVED】
【TRACKING:UNSTABLE】

 識別枠が陽名へ重なる。

 数歩進むと外れる。

 再び取得。

 また外れる。

「まだ同じですね」

 ジャン=ジャック・ジャカールが戦術端末へ指を走らせる。

「映像、熱源、音声は正常」

「人物識別だけ?」

 アビゲイルが聞く。

「それと追跡の連続性です」

 ジャンが都市地図を開く。

 一部の区画だけ、情報接続が不自然に途切れていた。

「こっちは陽名さんとは別件です」

「都市側?」

「おそらく」

 ジャンの指が止まる。

 昔。

 Noclipとして世界政府のネットワーク深部へ入り込んだ時も似た感覚があった。

 データはある。

 処理も動いている。

 それなのに、権限構造だけ説明できない。

 あの時。

 自分なら最後まで読めると思った。

 結果として、逆に捕捉された。

「ジャン?」

「いえ」

 アビゲイルを見る。

「書き換えられた場所は追えます。ただ――」

「ただ?」

「追えることと、理解できたことは別です」

 ジャンは地図を閉じなかった。

 陽名が横から覗き込む。

「わかるの?」

「今のところ、半分くらいです」

「半分」

「残り半分が面白いんですよ」

「ジャン」

 アビゲイルの声が少し低くなる。

「任務中です」

「分かってます」

 リョウが笑った。

「こいつがそれ言う時が一番危ねぇんだよ」

「否定はしません」

⸻

【OBSERVATION NODE:SUPERIORS / POISONOUS】

 別区画。

 旧植物管理施設。

 ポイゾナスは換気口の前へ片手をかざした。

 空気の流れを確認する。

 その先。

 三人の変異市民が通路を徘徊している。

 動きは鈍い。

 完全に理性を失っているかどうかは、まだ分からない。

 ポイゾナスは三人の胸の動きと体格を見比べ、換気口から通路へ流れる風を確かめた。

 殺す必要はない。

 《ヴェネナム》で生成する成分を調整する。

 鎮静。

 運動抑制。

 意識を落としすぎない濃度。

 薄い紫色の霧が指先から流れた。

 換気口からの風がそれを三人のいる通路へ運ぶ。

 変異市民の歩幅が狭まり、動きが少しずつ遅くなった。

 一人。

 二人。

 三人。

 その場へ座り込んだ。

 呼吸はある。

 ポイゾナスが確認する。

「これでいい」

 腰の端末を見る。

 ラズから受け取った経路情報。

 その先にある名前。

 陽名。

 ポイゾナスは画面を閉じた。

「まず会ってから判断する」

⸻

【OBSERVATION NODE:SUPERIORS / TAURUS・SPROCKET】

 旧整備区画。

 大型機械の残骸が並ぶ場所で、スプロケットが端末を分解していた。

 隣ではタウロスが巨体を床へ座らせている。

 大きな指に小さな獣骨を挟み、ナイフの先で端を少しずつ削っていた。

 スプロケットが横目で見る。

「……なに、それ」

「飾り」

「誰の?」

 タウロスは骨を眺める。

「まだ決めてねぇ」

「決めずに作ってるの?」

「作ってから決める」

「逆じゃない?」

「そうか?」

 スプロケットは少し考える。

「……たぶん」

 タウロスが笑った。

 骨の端へ、小さな角の意匠を作る。

「フェイズには細いのがいい」

「うん」

「ポイゾナスは……もう少し面倒だな」

「怒られるよ」

「なんでだ」

「言い方」

「聞いてねぇから平気だ」

 スプロケットの口元が少しだけ動く。

 ゴーグルへ新しいノイズが走った。

【SIGNAL FLUCTUATION】

「……また」

 タウロスの手が止まる。

「陽名か?」

「分かんない」

「痛いか」

「それも……分かんない」

 タウロスはナイフを収め、作りかけの骨飾りを腰袋へ入れた。

「なら無理すんな」

「でも」

「見つけるのは逃げねぇ」

 スプロケットが彼を見る。

「生きてる方を先に守れ」

 短い声だった。

 スプロケットは接続要求を閉じた。

「……うん」

⸻

【OBSERVATION NODE:SUPERIORS / PHASE】

 高層送電設備の保守足場。

 フェイズは都市を見下ろしていた。

 片手には古いポストカード。

 転移用の道具ではない。

 旅先で拾っただけの紙片だった。

 彼はそれを指先で弄びながら、周囲の建物を確認する。

 屋上。

 歩道橋。

 非常階段。

 崩れた広告塔。

 《ジャンパー》で使える視認座標を頭へ入れていく。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 最後の一つだけ、使わずに残す。

「……あいつら放っとくと、すぐ無茶するからな」

 誰へ言ったわけでもない。

 遠くに、タウロスとスプロケットの位置表示。

 さらにポイゾナス。

 オラトリオ。

 フェイズはポストカードをジャケットへ戻す。

 どこへでも逃げられる。

 だからこそ。

 誰かを連れて逃げるための道も、残しておく。

 彼は次の建物へ視線を定めた。

 青白い歪み。

 姿が消えた。

⸻

【OBSERVATION NODE:SUPERIORS / ORATORIO】

 崩れた礼拝施設の上。

 オラトリオは白いフードを被り、目隠しのまま立っていた。

 両手には水晶玉。

 肉眼は塞がれている。

 それでも。

 街の断片が水晶の中へ重なる。

 現在。

 少し先。

 過去と区別できない記憶。

 遠くにある感情。

 その全てが完全に繋がるわけではない。

 オラトリオは水晶玉へ指を添える。

 深い場所から、引く感覚がある。

 帰還。

 本体。

 エウドラ。

 戻れば、蓄積した記録は還元される。

 現在の自分は終わる。

「……まだ」

 小さな声。

「まだ、帰らない」

 青い紋様が一度だけ淡く脈打った。

 水晶玉へ、少女の姿が映る。

 陽名。

 映っている。

 だが、次の断片では位置が繋がらない。

 オラトリオは目隠しの向こうで、それを見ていた。

「目は閉じているのに」

 わずかに口元が動く。

「見えすぎる」

 水晶の中。

 少女の姿が一度消えた。

 別の場所。

 誰かの胸元に、小さな手が触れている。

 それ以上は見えない。

 オラトリオは追わなかった。

⸻

【OBSERVATION NODE:MEERA MALIK】

 一時拠点。

 ミーラ・マリクは携行端末に流れ込む映像を見ていた。

【TARGET:HINA】

【VISUAL:CONFIRMED】

【THERMAL:CONFIRMED】

【AUDIO:CONFIRMED】

【PERSON ID:UNRESOLVED】

【TRACKING:UNSTABLE】

 陽名そのものは映っている。

 問題は、その前後。

 カメラA。

 陽名。

 カメラB。

 陽名。

 カメラC。

 該当人物なし。

 カメラD。

 再び陽名。

 同一人物としての追跡処理だけが切れている。

「観測できないわけじゃない」

 ミーラが呟く。

 画面を戻す。

 再生。

 また戻す。

「こちらが、同じ存在として連続させられない」

 以前なら。

 陽名自身が観測を拒絶している。

 そう仮定していた。

 だが証拠はない。

 少女は隠れていない。

 カメラを避けてもいない。

 普通に歩いている映像さえある。

「……仮説が先に走っていた?」

 ミーラは顎へ指を添えた。

 認めたくはない。

 しかし、解析結果は解析結果だった。

「続けるしかないわね」

 画面には陽名の顔。

 その横で、識別欄だけが空白になっていた。

⸻

【OBSERVATION NODE:GAMMA】

 警告音。

 アビゲイルが顔を上げる。

【LOCAL SECURITY SIGNAL:DETECTED】

「前方」

 ジャンが言った。

 路地の両側から機械音が近づく。

 三体。

 〈センチレット〉。

 都市警備用の現場機。

 前脚部の固定機構が展開される。

【IFF:REJECTED】

「来るぞ!」

 リョウが陽名のいる後方から敵の進路へ出た。

 突進を受ける両腕の皮膚が黒銀色へ変わった。

 《クロガネ》。

 一体目の突進を正面から受ける。

「おらぁ!」

 腕を振り抜く。

 〈センチレット〉が横へ弾かれ、壁へ激突した。

 二体目。

 射撃機構が開く。

 アビゲイルの視界へ複数の未来残像が重なる。

 右。

 左。

 正面。

 射線。

 数秒先。

 彼女は一つを選んだ。

「リョウ、伏せて」

「了解!」

 リョウが伏せて空いた脇へアビゲイルが踏み込んだ。

 〈高周波刀〉が射撃を構えた機体の脚関節を切断する。

 機体が傾き、射線が地面へ落ちた。

 三体目が後方から旋回。

「ジャン!」

「見えてます」

 カスタム拳銃。

 二発。

 一発目が照準センサー。

 二発目が駆動部。

 機体の動きが止まる。

 リョウがなお動こうとする機体を地面へ押さえつけた。

「終わり!」

「まだ」

 アビゲイルが周囲を見る。

 数秒。

 追加反応なし。

「……クリア」

 リョウが息を吐いた。

「嬢ちゃん、見てたか?」

 振り返る。

 止まった。

「……あれ?」

 アビゲイルも後方を見る。

 陽名がいない。

「陽名?」

 返事はない。

 リョウの顔から笑いが消えた。

「どこ行った?」

「ジャン」

「確認します」

 ジャンがすぐ端末を開く。

「最後の映像は戦闘開始直前」

「位置」

「20メートル後方」

「リョウ、戻り道」

「分かった」

「私は周辺を見る」

 三人が動く。

 アビゲイルは声を張る。

「陽名!」

 返事はない。

 アビゲイルは瓦礫の陰へ回り、店舗跡の入口から中を覗いた。

 階段にも目を向ける。

 見える範囲に陽名はいなかった。

 ジャンから通信。

『リーダー』

「見つけた?」

『映像はあります』

「どこ?」

『それが……繋がりません』

 共有画面へ映像が出る。

 戦闘直前。

 陽名が立っている。

 次。

 少し離れた階段。

 少女が一人で下りている。

 さらに別のカメラ。

 陽名らしい姿。

 だが人物タグはない。

【ID:UNRESOLVED】

【ROUTE TRACE:INCOMPLETE】

「歩いてる」

 リョウが言った。

「ええ」

 ジャンが答える。

「少なくとも、この映像では」

「行き先は?」

「不明です。カメラ間で同一人物として繋がらない」

 アビゲイルが画面を見る。

「記録がないわけじゃない」

「はい」

「なら追えるところまで追う」

「了解」

「探すよ」

 アビゲイルは走り出した。

⸻

【OBSERVATION NODE:SUPERIORS】

 別の街路。

 スプロケットのドローンが警告を出した。

【BIOLOGICAL MOVEMENT:MULTIPLE】

 路地から変異市民が現れる。

 五人。

 さらに後方。

 数が増える。

「スプロケット、下がれ!」

 タウロスが前へ出た。

 《ブルホーン》。

 肩と背中の筋肉が膨張する。

 頭部に巨大な角。

 重心が落ちた。

 完全な獣ではない。

 巨体の圧力だけが、さらに増している。

 一人目を腕で受け止める。

 タウロスは投げずに肩を押して進路を横へずらした。

 二人目と三人目にも身体を寄せ、スプロケットの前を塞ぐ。

「ポイゾナス!」

「分かってる」

 ポイゾナスが風を見る。

 《ヴェネナム》。

 薄い紫色の霧。

 鎮静濃度。

 変異市民の動きが鈍る。

「今よ」

 フェイズがスプロケットの腕を掴む。

「一回だけ飛ぶぞ」

「う、うん」

 青白い歪み。

 二人の姿が消える。

 二人は近くの屋上へ出現した。

 フェイズはスプロケットの足が床に着いてから腕を離し、自分は膝をついた。

「……やっぱ他人連れはキツいな」

「ご、ごめん」

「お前のせいじゃねぇ」

 下。

 タウロスが最後まで残っている。

 ポイゾナスが退路を確保する。

 オラトリオが水晶玉を持ち上げた。

「右は閉じる」

 フェイズが彼女を見る。

「何?」

「左へ」

 一瞬後。

 右側の通路から、新しい〈センチレット〉が現れた。

「……先に言えよ」

「いま言った」

「そういう意味じゃねぇ」

 タウロスが笑う。

「左だ!」

 五人はそれぞれ自分の足と能力で退く。

 ポイゾナスが最後に端末を見る。

 陽名の追跡表示。

【CURRENT TRACE:UNSTABLE】

「まだ会えてない」

 フェイズが言う。

「だから?」

「追うのか」

 ポイゾナスは少し考える。

「ええ」

「ラズのために?」

「違う」

 短い返答。

「本人を見てから決める」

 フェイズはそれ以上聞かなかった。

⸻

 夜。

 ガンマチームが使用している一時拠点。

 旧行政支援施設の医療区画。

 ガンマは数時間、陽名を探した。

 映像は断片的に残っている。

 だが移動経路は最後まで一本に繋がらなかった。

 アビゲイルが医療室の扉を開ける。

 足が止まった。

 ベッド。

 マナイア・ケア。

 まだ腹部には固定材が巻かれている。

 眠っていた。

 その胸元。

 小さな身体がある。

 陽名。

 横向きになり、マナイアへ身を寄せている。

 静かな寝息。

 マナイアの腕が、無意識に少女の背中へ回っていた。

「……いた」

 リョウの声から力が抜ける。

 ジャンが端末を見る。

【PERSON DETECTED】
【ID:UNRESOLVED】
【THERMAL:NORMAL】
【RESPIRATION:NORMAL】

「間違いありません」

「そりゃ見りゃ分かる」

 リョウが小声で返す。

 陽名は起きない。

 マナイアも起きない。

 リョウが少し笑った。

「嬢ちゃん、そこが一番安心すんのか……」

 ジャンが移動記録を開いた。

「最後まで経路は繋がりません」

 アビゲイルが見る。

「でも?」

「映像はあります」

 ジャンが一つずつ表示する。

「階段を下りた」

「うん」

「通路を歩いた」

「うん」

「途中で二つのカメラから追跡が外れた」

「それで?」

「別の区画で再び映った」

 ジャンは眠る陽名を見る。

「移動したことは分かります」

「どうやってここまで来たかは?」

「全部は繋がりません」

 リョウが肩をすくめる。

「歩いて来たんじゃねぇの?」

 ジャンが黙る。

「……おそらく」

「じゃあ、それでいいだろ」

「解析担当としては良くありません」

「人間としては?」

 ジャンが陽名を見る。

「……普通ですね」

 リョウが笑った。

 入口にいたミーラが三人の脇からベッドを見た。

 端末に同じ結果が表示されている。

「経路だけが欠ける」

 ミーラが言う。

 陽名を見る。

「本人は、ここにいる」

 誰も答えなかった。

 アビゲイルはベッドへ近づく。

 眠っている陽名。

 その手が、マナイアの服を軽く掴んでいる。

 アビゲイルは自分の〈T.A.S.S.〉表示を切った。

 識別枠が消える。

 数値も消える。

 ログも消える。

 目を閉じる。

 静かな寝息が聞こえた。

 一つ。

 陽名。

 もう一つ。

 マナイア。

 呼吸の速さは違う。

 それでも二人とも、そこにいる。

 アビゲイルは目を開いた。

「ジャン」

「はい」

「探索終了」

「了解」

「陽名は?」

 リョウが聞く。

 アビゲイルは眠っている少女を見る。

「保護対象に復帰」

「最初からそうだけどな」

「そうね」

 ほんの少しだけ、アビゲイルの表情が緩んだ。

⸻

【REFLOG:Δ.H1】

【TARGET:Δ.H0】

【VISUAL:CONFIRMED】

【AUDIO:CONFIRMED】

【THERMAL RESPONSE:CONFIRMED】

【PERSON ID:UNRESOLVED】

【ROUTE TRACE:INCOMPLETE】

【OBSERVATION:PARTIAL】

【TRACE:CONTINUED】

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