Scene.11 ―「目を閉じたほうが、よく見えた」

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▼オリジナル小説

【<REFLOG–Δ.H0> : OBSERVATION UNSTABLE … MULTI-NODE ANOMALY DETECTED】
【EVA──「都市内異常、小〜中規模クラス:16件並行発生。統一因子なし。記録保持を優先」】

 灰色の“空”は、ドーム天井に張り巡らされた発光パネルだ。時刻プログラムに従って擬似太陽がわずかに角度を変え、冷色寄りの光が瓦礫へ斜めに差し込む。同時に巨大送風ダクトが稼働し、計算された気流がビルの谷間を抜けていった。
 風は吹くが、土の匂いも鳥の声もない。都市そのものが、巨大な温室のように呼吸しているだけだった。

———

 アビゲイル・エイミー・アームストロングは、崩れた高架の上で片膝を突き、両掌を重ねた。重心を丹田へ落とし、呼吸を四拍で巡らせる。これは師から継いだ古武道「鎮心(ちんしん)」の静座──斬る前に“己の刃”を鏡のように磨く、心体一致の儀式だ。
 彼女の背後に、かつての訓練場の気配がよぎる。鋭い視線、ぶっきらぼうな檄を飛ばすマナイアの残像が、風の向こうに重なっていた。
 人工風が裾を翻すたびに、刀気が研ぎ澄まされていく。

──崩れたシャッター。ひしゃげた自販機。

「……誰もいねぇ。まるで時間が腹ァ空かせて、全部食っちまったみてぇだ」

 リョウは黙って拾ったスナック袋を揉み込み、中身の欠片を舌にのせる。塩気は無味に近く、遠い日の“外の世界”で荒れた道路と焦げた空気の匂いを呼び戻した。
 彼は小さく吐き捨てる。

「……あの頃よりマシだなんて、笑えねぇよ」

 その数歩後ろでは、陽名が無言のまま静かに歩幅を合わせていた。ターミナル壁面を埋め尽くす3Dマップの一角が、ノイズで歪んでいた。

──ジャン=ジャック・ジャカールは指先でそのブロックを展開しながら、少年時代を思い出す。
 チートで書き換えられたオンラインRPGを正攻法で解体した夜。バグの裏に隠れた管理者ログを突き止め、システム全体を再編成したあの快感。

「要は同じだ。ここを誰かが書き換えたなら……ボクは“その誰か”の正体まで読める」

 データを読みすぎる癖は、しばしば彼を“答えに辿り着いた気にさせる”。けれどEVAは警告していた──「全記録は観測ではない」と。

———

 遠く、都市の片隅にて。

──廃墟の温室。割れたガラスに紫の陽が差す。割れたガラスの破片に斜陽が反射し、紫の花々が咲き乱れている。
 ポイゾナスはその花を摘み取り、小瓶にそっと詰めた。花弁を潰すと、滴る液に指先を浸す。苦味。そして、遅れて舌に甘さが滲む。

「……あのお方が教えてくれたわ。毒は刃にも、薬にもなるって」

 灰の街で死にかけた子どもを救った夜が蘇る。“殺さずに済む毒”を編んで、笑われた記憶。それでも恩を返すために。優しい毒を、信じるために。命を奪うよりも、生かして“選ばせる”。
 その毒こそが彼女の最後の武器だった。彼女は今日も瓶を揺らした。

──機械の吹き溜まり。金属の“骨”が静かに眠る。

 骨のように見える金属パーツが、山のように積もっていた。スプロケットとタウロスはその山を黙々とあさっていた。

「ほら、スプロケ。こいつはな、ヤギ。たぶん」

 返事はないが、フードの影がこくりと頷く。タウロスは小さな金属片を一つ拾い上げ、指でなぞった。表面に微細な彫りが施され、まるで呪具のように見える。

「誰の分かって? へっ、オレ様のだ」

 本当は、もうここにはいない“誰か”の形見だった。けれど彼は、笑ってそれを誤魔化す。仲間には、背中しか見せないと決めたからだ。
 ……そう言って笑ったが、タウロスの指は、その“ヤギ”の角飾りを、どこか小さな誰かの頭にそっと乗せるような動きをしていた。
 おどけた声色で笑い、腰袋へしまい込む。スプロケットは何も言わず、それでもゆっくりと別の部品を拾い上げる。二人の間に、言葉にならない約束があった。

「……ま、まだ全部揃ってねぇけどな」

 タウロスは視線を逸らし、口元を少しだけ歪めた。笑っているのか、照れているのか。彼の本心は誰にも分からない。
 この街で拾った金属たちは、まだ名前のない何かを、かたちにしようとしていた。

──風が鳴く送電塔の中腹。都市全域を見下ろす場所。

 フェイズは警戒を怠らず、視界の端で状況を確認しながら、指先で一枚のポストカードを弄んでいた。転位座標さえ刻めば、すぐにでもここを離れられる。ほんのわずか、カードを持つ手に力がこもる。
 それは“転移”という逃げ道を握る緊張ではなく、“戻れる保証”のなさに指が凍るような感覚だった。けれど、遠くから響くコツンという音に、ふっと笑みがこぼれる。

「あいつら放っとくと、すぐ死ぬからな……」

 あのお方は言った。

「駒は壊れても、替えが利く」と。

 その言葉が、どこかザラついた感触となって胸に残る。不信か。諦観か。まだ、決めていない。だがカードを袖に戻し、転位座標の一つを未設定のまま残した。それがどこへ繋がるのか、まだ決めたくなかった。
 あるいは、いつか誰かのために使うかもしれないと、どこかで信じていた。戻るための座標ではない。“まだ知らぬ誰か”が、その行き先にいるような気がした。
 ……お前が、そこにいるなら。オレは、迷わず飛ぶ。

──崩れた礼拝堂の頂。紫の渦が、深く揺れている。

 オラトリオは、歪んだ足場に立ち、水晶玉を両手で転がしていた。水晶の奥に、闇紫の渦が揺れる。
 『戻れ』という声とも波ともつかぬ何かが、“こちら側”へ手を伸ばしてくる。

「……還れば、また、境界は滲む。我らが、我らでない何かに溶けてしまう」

 オラトリオは少し口角を上げ、珍しく表情を変える。

「けれど、この胸に灯る微熱が、いまはまだ、名前を欲している。それが“誰の名”かも知らぬままに」

 闇の影に溶け込むオラトリオは再び無の表情へ戻っていた。

———

 ミーラ・マリクの虹彩に、赤い文字列が閃く。

【Δ.H0:観測不能/対象 = Hina】

 ログはまた欠落している。彼女は低く呻く。

「……“あれ”は、在り処を選び、観測そのものを剥ぎ取る……」

 少女でも陽名でもなく、「あれ」──概念と情報の狭間に滲む存在を、彼女は人間の記号で呼べない。

(なぜ、選ぶ? 次は誰を? 私の観測は何を見落としている?)

 もし“あれ”が、存在そのものを観測から逃れる設計だとしたら──私はもう、世界の“外側”に立つ者ではないのかもしれない。胸裏で、研究者としての限界が軋む音がした。

———

──裏通り。リョウの背後で金属脚が伸び、レーザーセンサーが赤点を描く。

「来やがったな!」

 《クロガネ》により金属化した腕が火花を散らし、一体を地面へ叩き伏せる。しかし三方向同時射撃。肩口をかすめる火線。
 リョウが舌打ちした瞬間、紫電が落ちた。高周波刀が一体を両断、アビゲイルが割り込む。続けざま、耳に慣れた狙撃音──ジャンの正確無比な弾丸が動力核を貫く。
 背を合わせた三人の動きは呼吸に近い。

──五分後、残骸だけが転がった。

 ジャンが基板を拾い上げ、即時解析。倒れ伏す機械の山の向こうで、リョウが深く息をつく。

「……終わったな。つーか、嬢ちゃん、見てたか?」

 沈黙。振り返った彼の顔が、微かに強張る。

「……あれ? どこ行った、陽名?」

 風が止まる。誰も言葉を継げず、鼓膜の奥に自分の呼吸音だけが残る。“そこにいた”はずの存在が、気配ごと抜け落ちていた。アビゲイルも辺りを見回すが、瓦礫の陰にも、人影はない。

 ジャンが音声通信を試みる。

「陽名、応答してくれ。こちらガンマチーム……」

 静寂。

「……まさか、戦闘中に……?」

 すぐにジャンが解析に移る。
 支部ログ、ターミナル、観測データ──だが、そこに陽名の足取りはなかった。

「……ログがない。移動記録も、生体反応も、“最初から存在していない”ように……」

 まるで存在しなかったかのように消えてしまう“答え”。ジャンの思考は加速するほどに空転し、画面に表示される数値が、ただの記号にしか見えなくなる。
 確かに、そこにいたはずだった。
 視界の端に、指先に、誰の目にも“陽名”がいた記憶だけが残っているのに──記録には、一切残らない。まるで、視神経の盲点にだけ宿った幻像だったかのように。
 アビゲイルが拳を握りしめる。

「……“守れなかった”……のか」

 彼女は歯を食いしばった。“守る”と誓ったものに、また触れられなかった。刃では届かず、言葉も抜け落ちる、その向こうに──陽名はいた。

———

 スプロケットのドローン映像が崩れ、警告ログが赤転。
 瓦礫の路地、呻き声と共に迫るゾンビ市民。
 タウロスが闘牛形態へ変身し、角で三体をまとめて吹き飛ばす。

「スプロケ、下がれ!」

 ポイゾナスが紫の薬瓶を歯で砕く。濃いラベンダー色の霧が“咲く”ように拡散。甘い花蜜の香りに微かな鉄の臭いが混ざり、視界が揺らぐ──吸い込んだ市民の眼が白濁し、脚取りが泥のように緩慢になる。

「見えてるぜ」

 フェイズが一拍でスプロケットを屋上へ転送。強制移動に合わせて空間が青白く瞬き、着地直後の風圧が瓦礫を巻き上げた。

 オラトリオが水晶玉を掲げ、低い調子で詠う。 「火種は眠り、影だけが歩く……」

 黒い影が霧と重なり、市民の視線を誘導──怒号が静まり、群衆はゆらりと意識を逸らす。
 五人は背中を合わせ、互いを呼び捨てで確認。名前を呼ぶことで、家族ではなく“いまここに立つ仲間”を刻印する。
 そして一斉に退路へ跳び去った。彼らは誰も、“あの子”を手に入れようとはしなかった。
 ただ、観測した。彼女が“どこへ向かうか”を、それぞれの居場所から。

———

 夜──支部。

 ガンマチームは陽名探索を続行、だがログは空白。
 疲労の沈黙の中、医療室アラームが一度だけ鳴る。扉を開くと、マナイア・ケアの胸に、小さな寝息。
 陽名が、いや、“あれ”が穏やかに身を預けていた。マナイアの無意識の腕が、そっと彼女を包む。世界が凪ぐような沈黙だった。
 EVAの記録も、誰の視線も届かない、その一角だけが何も語らず、何も失われなかった。

「嬢ちゃん、そこが一番安心すんのか……」

 リョウの呟きに、誰も言葉を返せない。アビゲイルは拳を握る。刃では斬れない隔たりを悟ったように。ジャンですら、解析の糸口を失う。

———

 軌道衛星。ラズの通信基幹に、新しいアイコンが灯る。

【M.M / ACTIVE】

【EVA──「観測ノード Δ.H0:拡張。未確認因子により監視域が45%低下」】

 ミーラはただ一点を見つめ、呟く。

「“あれ”は選んだ。温もりからこぼれ落ちる鼓動を。私の理論では届かない場所を。観測とは、ただ記すことではない。測ることでも、意味を与えることでもない。それは、立ち会うこと──この世界の“どこか”で起きた奇跡に。……ならば私も、選ぶ。記録の外側で、終わりを測る道を。観測者としてではなく、“願う者”として」

それが、たとえ報われない祈りだとしても。

【EVA──「因子“陽名”の記録再構築試行:失敗。ログ欠落率:100%。反復解析を中断」】

【EVA──「補助ノード応答なし。“存在の証明”項目、更新不能」】

 彼女のモニタに、眠る陽名の緩やかな呼気──ログ化不能のまま、しかし確かに存在する波形が映り込んだ。

【<REFLOG–Δ.H0> : RECORD INCOMPLETE…】
【OBSERVATION FAILED】
【SUBJECT: Hina】
【TRACE: ∅】

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