Scene.16a ―「君の目に、答えを映して」(前編)

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▼オリジナル小説

【戦術端末:J-JJ_02】
【観測ノード:H1……ログ同期中……】

「……ん? 今、誰かの観測ログが……?」

 ジャン=ジャック・ジャカールの指が止まった。
 それは本来、彼に届くはずのものではなかった。無記名の観測ログ。だが帯域には、見覚えがある。信号帯域は、旧世代型の観測AI〈EVA〉のものに酷似していた。

【未登録ユニット:E-0V-A】

 ジャンは眉をひそめた。
 政府にも特命局にも登録されていないプロトコルだが、異常に高精度なログ構成を持っていた。

「これは……どこからの信号だ……? こんな形式、初めて見る」

 まるで、端末の奥に“誰か”が潜んでいるような感覚。ログは断片的でありながら、彼の神経に直接干渉するような、不快で微細な痺れを伴っていた。

(EVAプロトコルは、廃棄されたはずの観測系統……それに似ているが、もっと深い。構造自体が“他の何か”に準拠してる……?)

 彼は瞬時に複数の過去データを照合し、なおも一致するパターンを見つけられなかった。

(構造レベルで、通常の観測ログとは整合しない……。だが妙に、整っている。ノイズすら意図的だ)

ジャンは内部演算を再度走らせながら、汗ばむ手で解析処理を中断した。

(こんなログ、見たことがない。……EVA、お前は一体……)

【識別不能因子、観測失敗。観測不能因子、観測──干渉──Δ.H0……】

「……EVA? 観測ログ……誰が、誰を……?」

 その内容は、ジャンの理解を越えていた。「観測不能因子」「Δ.H0」「干渉失敗」。そして、一瞬の沈黙。ジャンは知らず、その“瞬間”を覗いてしまった。青ざめた指先が、ごくわずかに震えていた。

(これは……見てはいけないものだったかもしれない)

 表示は一瞬でノイズに変わる。

 次の瞬間、視界の端が揺れた。瓦礫がきしみ、空間が、ほんのわずかに“折れた”ように見えた。

 ジャンは端末を閉じ、声を発した。

「リーダー、この空間……おかしい。何かが、ここを“外”にしてる」

 瓦礫を避けて設けられた簡易避難室。斜めに沈んだ床の上、そこだけ時間が遅延したような静謐が支配していた。風も、熱も、音すらどこか、わずかに遅れて届いていた。
 その中心に、陽名は立っていた。呼吸をしているはずなのに、衣服の裾さえ揺れない。まるでこの世界に、彼女だけが“固定”されているかのように。  風も、音も、彼女の周囲でだけ流れを止めているようだった。
 視線さえ、届かない。まるで“観測”という概念が、彼女のまわりでだけ機能していないかのように。彼女の瞳は何も映していないようだった。いや、逆だ。こちらの姿すら、陽名の世界には“映っていない”のかもしれなかった。

 リョウがわずかに身を乗り出し、目を細める。

「こりゃ……電磁妨害ってレベルじゃねぇな……この子、なんなんだ?」

 アビゲイルは即座に判断を下した。

「リョウ、陽名の前に。ジャン、遮蔽と外周の監視を」

 その声は、張り詰めた糸のように鋭く響いた。

「了解」

 ジャンはすぐに視線を周囲に切り替え、HUDを拡張。
 リョウはゆっくりと陽名の前に立ち、小さな背中越しに辺りを睨む。
 沈黙が流れる。
 瓦礫の向こう、どこかで電子機器が軋むような微かな音。それを打ち消すように、空間が裂けた。
 乾いた、異様な拍手が響いた。

──五拍。丁寧で不遜な、開幕のリズム。

 空気の密度が一段階、変わった。発光する赤い神経ライン、黒い装甲。そして、異様に“柔らかい”笑顔。誰よりも自然に、そこに立っていた男が、微笑みながら言った。

「やあ、はじめまして。ようやく“演者”が揃ったようだね」

 拍手を止めた青年は、軽く両手を握り、演者に向けるような会釈をした。  空間の縁が、ひび割れるように変質していく。まるで、瓦礫と時間の断面が、舞台の幕のように引き裂かれていくようだった。その“舞台袖”から現れたのは、ただ一人の“観客”のように振る舞う青年だった。

「誰だ……お前」  リョウが一歩前に出る。

 《クロガネ》の発動で生体金属化が両腕から始まったと同時にリョウの足元に小型ディスクが展開する。

「今、端役と話しているほど監督兼脚本家はヒマじゃないんだ」

 一切リョウに視線を合わせないラズの言葉を合図に衝撃が走る。

「ぐっ……重……っ!」

 重力が跳ね上がった。変質しかけた腕が、逆に地面へと叩きつけられる。

「力任せの自己変異体って、こういう時、ほんと扱いやすいね。まあ、嫌いじゃないけどね」

 ラズは、頭を垂れるような状態のリョウにしゃがんで、どこか微笑みながら軽く言い放つ。

「……っ! 重力制御か?」

 ジャンは即座に端末を起動するが、画面はノイズに埋もれていた。

「そうそう。監督兼脚本家にはアシスタントもいる事をお忘れなく」

 しゃがんだままジャンを見上げるラズの不敵な笑み。

「……逆侵入されてる……!」

 直後、天井からドローンが降下。赤い照準が、ジャンの額にぴたりと重なる。

「先読み……機械の援護つきってわけか……」

 吐息混じりの声。動きを止めるしかなかった。

「なら私が行く」

 アビゲイルは黒いスーツの電流刺激を使い一時的に身体能力を向上させ突進する。腰に帯びた〈高周波刀〉が、低く唸る。
 彼女の視界には、独特な光景を見せる《ミライメージ》が展開されていた。未来を読み、動きを予測し、見切る。彼女が幾度も勝ち抜いてきたやり方であり、完璧なタイミングの奇襲。

「やれる、私なら!」

 だが、〈高周波刀〉を握る手が、わずかに震えていた。

 (視えているはずなのに……なぜ、この違和感が消えない)

踏み込んで、斬り下ろす。だが。

「あ、無駄だよ」

 その声は、背後から。ラズは、アビゲイルの背後に立っていた。
 一歩も動いたように見えなかったのに。

「君の“見える未来”なんて、ちっぽけだよね」

 すぐにアビゲイルは距離を取って切先を向ける。

「……舞台に上がる前の脚本を読んだって、面白くないだろ?」

 ラズは軽く肩をすくめ、ゆっくり間合いを詰める。

「僕が観たいのはね、予定調和じゃない。誰にも予測できない破綻だよ」

 アビゲイルは刃を向けながらラズの前進に合わせて間合いを取る。

「誰にも先を読ませず、演者すら台詞を知らない。そんな舞台こそ、本当の“生”が剥き出しになる。そう思わないかい?」

 立ち止まったラズはアビゲイルの目に向けて指差す。

「君の“未来視”は、正確すぎる。だからこそ、演出家には邪魔なんだ。分かるかい?」

 アビゲイルの真剣な眼差しにラズは笑みを変えない。だが、その赤い瞳には冷たさが宿っている。

「僕にはそんな数秒先の未来に、意味はないんだ」

 ラズの笑みに、アビゲイルはわずかに動揺した。

「ああ、そうそう。その武器も、設計は黒須蔵人。製作はヘンリック・ホフマン。いずれも過去の人間の遺物だよ。知ってた?」

 言葉とともに、ラズが〈高周波刀〉の刃を掴む。本来なら触れた瞬間に焼き切れるはずの刃が、ラズの手の中で無効化されていた。

「“クロス・レガシー”……君の手にあるのは、その一部。でも、ただのオモチャだけどね」

 アビゲイルの眉が、わずかにひそむ。

 軍学校時代、訓練で幾度となく手にしてきた〈高周波刀〉。古武道と《ミライメージ》を組み合わせる鍛錬の日々を思い出す。その時も誰か懐かしい声が聞こえていた。

「……これを、“オモチャ”と呼ぶのか」

 静かな声とともにアビゲイルはラズの手を振り払った。ラズは愉快そうに目を細める。

「それと、もう一つ教えるよ! 僕は今日機嫌がいいからね!」

 両手を広げるラズは狙いを定めたような突き刺さる視線をアビゲイルに送る。

「ケイト・クロス」

 ラズの一言にアビゲイルは一瞬だけ時間が止まったように感じた。
 その様子を見たラズは楽しむように続けて言葉を放つ。

「君の“母親”だ。その名を知らないなんて、ちょっと悲しいね」

 あまりにあっさりと驚愕の事実を口にしたラズにその言葉に、空気が止まった。

「彼女は創造者の中でも、最も穏健な理論を唱えていた。だが、その声は誰にも届かなかった。黒須の理論は軍事利用され、ホフマンは理想に呑まれて、AIと融合した。……結果は、ご覧の通りさ」

 アビゲイルの時間が、凍る。耳の奥で、かすかな声が、重なった。

──聞こえていた。戦いの前に。恐怖の中で。名前も、顔も知らなかった“あの声”が──

「……私の……母親……?」

 ようやく、繋がった。

「ケイト・クロス……」

 呟きは、震えていた。

「待て」

 ジャンが割って入る。

「その名前、以前に見た政府の極秘記録にある。“第二世代ネクス理論の根幹を構築した科学者”。ただ、政治的には……消された存在だ」

 分析口調。だが、言葉の奥に揺れる感情は、彼自身も把握していなかった。

「おやおや」

 ラズは、静かに笑う。

「そう。君たちは真実の断片だけを“選んで”教えられているんだ。何も知らない。何も知らせていない。……ホント、つくづく君たちは不憫でならないよ。僕は心からそう同情するよ」

 ラズはその言葉とは裏腹に誰よりも目で笑っているように見えた。  高重力で頭を垂れるリョウ、銃口に狙われて動けないジャン、時間が止まっているアビゲイルと順に見ていた。

「君には、彼女の因子が受け継がれている。“人類を導く鍵”──それが、君の役割だ」

 アビゲイルは、視線を逸らす。拳を握り、かすかに唇を噛む。

(私が……? どうして)

 陽名じゃないのか、と言いかけて、言葉が喉の奥で詰まった。自分はずっと“影の立場”で、陽名の背後を守っていたはずだった。なのに、彼の言葉は、まるで陽名ではなく──自分こそが“鍵”だと言っていた。

「そ、それは……陽名では……!?」

「違うよ。まあ、それも興味深いけどね」

 ラズの声は、どこかやさしさすら帯びていた。

「そもそも、僕の目的は違うんだ」

「──え?」

「君だよ、アビゲイル・エイミー・アームストロング。君が必要なんだ。それが、人類を唯一救えるΩ計画の鍵だよ」

──静寂が、落ちた。

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