TASK_01|ARRIVAL
〈Halo Limousine〉が速度を落とした。
中央物流センターの巨大な外壁が前方へ広がっている。
かつて物流拠点として使われていた施設は現在も大部分の構造を残していた。
ただし正常に稼働している区画は限られている。
外壁には戦闘による損傷が残る。
搬入口には動かなくなった輸送車両が並んでいる。
[世界政府]の復旧用無人機が上空と地上を往復していた。
【DESTINATION:CENTRAL LOGISTICS CENTER】
【ONSITE AUDIT:AUTHORIZED】
【RESTORATION:PARTIAL】
【LEGACY EQUIPMENT:PRESERVATION ACTIVE】
オリヴィア・オコネルは保存区画を確認した。
旧端末。
旧中継設備。
保守用接続口。
現行管理網から切り離された旧経路。
スプロケットが接触した可能性のある設備だけが復旧工程から外されている。
三浦主任が監査権限で作業を止めた箇所だった。
別の通信要求が表示される。
【[ネクス・ハウンズ]】
【FIELD COMMAND CHANNEL】
【RIDGE】
「接続」
『監査官』
「聞いています」
『対象は抜けた』
オリヴィアの視線が止まる。
「スプロケット?」
『そうだ』
簡易報告が転送された。
【TARGET GROUP:WITHDRAWN】
【CAPTURE:FAILED】
【〈CENTILLET〉ACCESS:DETECTED】
【LOCAL EVACUATION SYSTEM:USED】
「〈センチレット〉を制御した?」
『まだそう決めてない』
「侵入痕跡は?」
『解析中だ』
「〈センチレット〉側の損傷は?」
『ない』
「破壊しなかった?」
『こっちもだ』
オリヴィアは意味を理解した。
〈センチレット〉は現在も都市復旧へ使われている管理資産だった。
追跡対象が利用したという理由だけで破壊すれば復旧側にも損失が出る。
「現時点の評価は?」
『能力が増えたと見るのは早い』
「理由を」
『使えるものが増えたのか』
短い間が入る。
『使い方を変えたのか』
「分けるべきですね」
『そうだ』
「詳細ログを送ってください」
『整理してから送る』
「分かりました」
通信が閉じた。
オリヴィアは新しい監査項目だけを追加した。
【TEMPORARY AUDIT ITEM】
【CITY MANAGEMENT UTILIZATION】
【CORRELATION:PENDING】
他の未解決項目とは統合しない。
関連を示す根拠がまだ存在しない。
〈Halo Limousine〉が停止した。
【ARRIVAL:CONFIRMED】

側面扉が開く。
オリヴィアが先に降りた。
Aureaが続く。
最後にLINが車外へ出た。
LINは中央物流センターを見上げた。
大きさそのものに驚いているようだった。
外壁の上部へ視線を動かす。
次に崩れた搬入口を見る。
復旧無人機を目で追う。
中央物流センターへ連れてこられた理由について、LINから質問は出ていない。
それでも周囲へ向ける視線は、先ほどより落ち着いていた。
「LIN」
Aureaが呼ぶ。
「はい」
「足元に段差があります」
「ありがとうございます」
LINはAureaの近くを歩き始めた。
オリヴィアは数歩先を進んでいる。
復旧区域を抜けるにつれて人の姿が減っていった。
やがて新しい補修材が途切れる。
そこから先だけ、スプロケットたちが通過した当時の状態が保存されていた。
焦げた床。
破壊された隔壁。
外されたままの保守板。
停止している監視端末。
「Aurea」
「はい」
「スプロケットの移動記録を重ねて」
【SUBJECT:SPROCKET】
【MOVEMENT RECONSTRUCTION:ACTIVE】
残存映像と設備履歴が施設内部へ重なった。
オリヴィアは歩きながら順序を確認する。
どこを通ったのか。
どの設備へ触れたのか。
何が破壊されていたのか。
何が破壊されずに起動したのか。
同じ通過記録でも意味は違う。
後方で足音が止まった。
オリヴィアはすぐには振り返らなかった。
Aureaの声が先に聞こえる。
「LIN?」
オリヴィアも足を止めた。
LINは左側の保守通路を見ていた。
照明が復旧していない暗い通路だった。
「どうしました?」
Aureaが聞く。
「……あそこが」
LINは言葉を探している。
「見えにくいです」
Aureaが通路へ向いた。
【OPTICAL OBSTRUCTION:NONE】
【THERMAL ANOMALY:NONE】
【PARTICLE DENSITY:NORMAL】
【VISIBILITY:NORMAL】
「視界を妨げる要因はありません」
「そうじゃないんです」
LINは困ったように眉を寄せた。
オリヴィアが戻ってきた。
「LIN」
「はい」
「見えないのですか?」
「見えています」
「では焦点が合わない?」
「違うと思います」
オリヴィアは通路を見る。
肉眼でも異常は感じない。
Aureaの観測にも何も出ていない。
「何が見えにくいのですか?」
LINはしばらく答えなかった。
暗い通路をもう一度見る。
「……そこにあるのは分かるんです」
「はい」
「でもちゃんとそこにある感じがしないです」
オリヴィアの視線がLINへ戻った。
「距離がおかしい?」
「分からないです」
「形?」
「それも分からないです」
LINは少し俯いた。
「すみません」
「謝る必要はありません」
LINが顔を上げる。
「分からない部分は分からないままで構いません」
オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉へ位置を記録した。
【LOCAL POINT:MARKED】
【OBSERVATION SOURCE:LIN】
【SUBJECTIVE SPATIAL DISCREPANCY】
【CAUSE:UNRESOLVED】
「Aurea」
「はい」
「この地点を別記録に」
「保存します」
LINが小さく口を開く。
「これも調べるんですか?」
「はい」
「私がそう感じただけなのに?」
「私とAureaは何も感じませんでした」
オリヴィアはLINを見る。
「だから残します」
LINは少しだけ考えた。
「……分かりました」
「また同じようなことがあれば教えてください」
「はい」
オリヴィアは再び前を向いた。
三人は保存区画の奥へ進んだ。
数分後。
目的の旧管理室が見えてきた。
TASK_02|REPRODUCTION
旧管理室は中央物流センターの下層側に残されていた。
部屋の半分は復旧設備へ置き換えられている。
白い新型端末。
交換された配線。
現行世界政府規格の通信盤。
反対側には古い設備がそのまま残されていた。
黄ばんだ壁面パネル。
太い接続ケーブル。
現在では使われていない[A.R.K.]規格の端末。
二つの時代が一つの部屋に押し込まれているように見えた。
LINは入口で立ち止まった。
右を見る。
左を見る。
新しい設備と古い設備を交互に見比べている。
「入って大丈夫です」
Aureaが言った。
「はい」
LINはAureaの後ろから室内へ入った。
「これ全部同じ施設なんですか?」
「はい」
「こっちは新しいですよね?」
「復旧後に交換された設備です」
LINは古い壁面へ視線を移した。
「じゃあこっちは?」
「旧A.R.K.管理系統の一部です」
「古いんですね」
「はい」
LINは少し近づいた。
触れはしない。
暗い表示面へ自分の姿が薄く映っていた。
その輪郭を見ながら一歩だけ位置を変える。
何かを確かめるようにもう一度見る。
Aureaはその動きを確認していたが声はかけなかった。
部屋の中央ではオリヴィアが旧端末を調べている。
「三浦主任」
『はい』
「現物へ到着しました」
『こちらも繋がっています』
「保存後の変更は?」
『ありません』
「復旧班の最終接触」
『スプロケットたちの通過後に行った回収処理が最後です』
「その後は?」
『監査指定後は触らせてません』
オリヴィアは旧端末を見る。
外装には細かな傷が残っている。
接続口の一部も変形していた。
内部記録は生きている。
「Aurea」
「周辺走査を完了しました」
【LEGACY TERMINAL】
【POWER:OFF】
【PHYSICAL DAMAGE:MINOR】
【INTERNAL STORAGE:READABLE】
【EXTERNAL ACCESS:NONE】
オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉を展開した。
白銀色の端末が接続形状を変える。
旧A.R.K.規格を読み取る。
【DEVICE:〈A.R.K. Conductor改〉】
【LEGACY INTERFACE:DETECTED】
【COMPATIBILITY:AVAILABLE】
「接続します」
『記録開始』
オリヴィアが認証を実行する。
【CUSTODIAN AUTHORIZATION:SUBMITTED】
1秒後。
【CUSTODIAN AUTHORIZATION:ACCEPTED】
通常の認証音が鳴った。
現行管理権限による正常な接続だった。
その音が消える前に別の低い音が重なった。
オリヴィアの視線が表示へ移る。
【LEGACY CHANNEL:RESPONSE】
【ROUTE:UNREGISTERED】
【ISSUING AUTHORITY:――――】

「Aurea」
「取得しています」
三浦主任の声が入る。
『こちらでも出ました』
「前回より長い?」
『長いです』
【LEGACY FORMAT:ACTIVE】
【CURRENT AUTHORITY TREE:NOT REFERENCED】
「比較を」
『出します』
スプロケットの接続履歴が隣へ並んだ。
【SUBJECT:SPROCKET】
【CURRENT CREDENTIAL:NONE】
【AUTHORIZATION ORIGIN:UNRESOLVED】
【ISSUING AUTHORITY:NOT FOUND】
【LEGACY NODE HANDSHAKE:ACCEPTED】
オリヴィアは二つの記録を重ねる。
「一致率は?」
『完全一致ではありません』
「差異を」
『監査官側には現行認証がある』
【〈A.R.K. Conductor改〉】
【CUSTODIAN AUTHORIZATION:ACCEPTED】
↓
【LEGACY CHANNEL:RESPONSE】
『スプロケットには前段がありません』
【SPROCKET】
【CURRENT CREDENTIAL:NONE】
↓
【LEGACY NODE RESPONSE:AUTHORIZED】
「共通点は?」
三浦主任は少し間を置いた。
『拒否されてません』
Aureaが通常の無権限接続を表示する。
【STANDARD UNAUTHORIZED ACCESS】
【AUTHORIZATION REQUEST】
↓
【REJECTION】
/
【ROUTE BYPASS】
/
【RETRY】
/
【INTRUSION TRACE】
「対象端末では?」
【SPROCKET ACCESS】
【REJECTION:NOT DETECTED】
【BYPASS:NOT DETECTED】
【RETRY:NOT DETECTED】
オリヴィアは画面を見続けた。
スプロケットが強制的に突破した設備は別に存在する。
そこには侵入痕跡が残っている。
だから能力による不正接続そのものを否定する必要はない。
問題は全設備が同じ反応をしていないことだった。
「監査項目を更新します」
「記録します」
「スプロケットによる旧設備への不正侵入」
【UNAUTHORIZED INTRUSION:CONFIRMED/PARTIAL】
「それとは別に設備側からの受容可能性を追加」
【LEGACY SYSTEM-SIDE ACCEPTANCE:POSSIBLE】
『妥当です』
「理由は?」
『侵入だけで説明できない箇所が残ってます』
「同意します」
オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉との接続を維持した。
少し離れた場所でLINが古い壁面を見ている。
何かが気になるらしい。
一度右へ移動する。
戻る。
同じ表示を見る。
Aureaが声をかけた。
「何かありますか?」
「いえ」
LINは首を振った。
「ただこっちの方が静かな感じがして」
「音響差ですか?」
「分からないです」
LINは少し困ったように古い設備を見る。
「音じゃないかもしれません」
「記録しますか?」
「そんな大したことじゃないと思います」
AureaはLINを見た。
「大したことかどうかは後から判断できます」
LINは一瞬だけ目を丸くした。
「オリヴィアと同じこと言うんですね」
「オリヴィアの補助をしていますので」
LINは僅かに笑った。
「そうなんですか」
オリヴィアは二人の会話を聞いていた。
作業は止めなかった。
ただLINが何度も見ていた位置だけを〈A.R.K. Conductor改〉へ追加した。
【LOCAL OBSERVATION POINT:02】
【SOURCE:LIN】
【STATUS:UNRESOLVED】
スプロケットが何を突破したのか。
それだけでは足りない。
何がスプロケットを拒まなかったのか。
調べる対象はそこへ移り始めていた。
TASK_03|CROSSCHECK
オリヴィアは二つの応答を統合しなかった。
【SOURCE-S:SPROCKET】
【SOURCE-C:〈A.R.K. Conductor改〉】
【FULL MATCH:NO】
Aureaが差異を整理する。
【S】
【CURRENT CREDENTIAL:NONE】
【CONNECTION:BIOLOGICAL/ABILITY-LINKED】
【LEGACY RESPONSE:DIRECT】
【C】
【CURRENT CREDENTIAL:VALID】
【CONNECTION:MANAGEMENT ASSET】
【LEGACY RESPONSE:POST-AUTHORIZATION】
「共通領域を」
【LEGACY LAYER:RESPONDED】
【CURRENT WORLD GOVERNMENT TREE:NONPRIMARY】
【REJECTION:NOT DETECTED】
「近似しています」
「同一性は?」
「証明できません」
「分離します」
【LEGACY ACCEPTANCE-S】
【SUBJECT:SPROCKET】
【TYPE:BIOLOGICAL/ABILITY-LINKED】
【STATUS:UNRESOLVED】
【LEGACY ACCEPTANCE-C】
【ASSET:〈A.R.K. Conductor改〉】
【TYPE:MANAGEMENT AUTHORIZATION】
【STATUS:UNRESOLVED】
「三浦主任」
『見ています』
「共通発生源を探します」
『検索範囲は?』
「旧A.R.K.管理資産」
【SEARCH:LEGACY ASSET OWNERSHIP】
「認証設計履歴」
【SEARCH:AUTHORIZATION DESIGN HISTORY】
「旧生体認証系統」
【SEARCH:BIOLOGICAL AUTHORIZATION/LEGACY】
『広がりますね』
「今回の応答を説明する範囲です」
『了解です』
検索が開始された。
オリヴィアは検索処理を走らせたまま、スプロケットが旧端末へ接触した時の映像記録を開いた。
スプロケットが旧端末へ近づいている。
映像。
接続記録。
周辺センサー。
三系統を時刻同期させる。
三浦主任が声を出した。
『監査官』
「何ですか?」
『時刻』
表示が拡大される。
【CAMERA FRAME】
18:42:11.384
18:42:11.417
18:42:11.401
18:42:11.450
オリヴィアは数値を見た。
「戻っていますね」
『16ミリ秒』
「カメラ側だけ?」
「確認します」
Aureaが別センサーを重ねる。
【VISUAL SENSOR:ORDER REVERSAL】
【LOCAL EQUIPMENT CLOCK:ORDER REVERSAL】
【NETWORK MASTER CLOCK:NORMAL】
「マスタークロックは正常です」
「対象区画だけ?」
「はい」
三浦主任が言う。
『復元時に並び替わった可能性はあります』
「元データは?」
『同じです』
「キャッシュ処理」
「該当なし」
「故障履歴」
「対象時刻にはありません」
オリヴィアは短く考えた。
「時間異常にはしません」
『まだそこまで言えませんね』
「順序異常として分離」
【LOCAL SEQUENCE DISCREPANCY】
【REVERSAL:0.016 SEC】
【CAUSE:UNRESOLVED】
【TEMPORAL CLASSIFICATION:NOT ESTABLISHED】
Aureaが映像を再開する。
スプロケットの手が旧端末へ近づく。
LINは少し離れたところから映像を見ていた。
LINの視線は専門的な表示には留まらず、画面の人物と端末の間を往復している。
再生が終わる。
「もう一度」
オリヴィアが指示する。
映像が戻る。
LINの視線が一か所で止まった。
「……Aurea」
「はい」
「あれ」
「どの箇所ですか?」
LINは画面を指した。
「青いところです」
旧端末の小さな状態灯だった。
「どうしました?」
「先に光ってませんか?」
オリヴィアが振り返った。
「何より?」
「その人が触るより」
映像を停止する。
「Aurea」
「フレーム解析を実行します」
【FRAME ANALYSIS:ACTIVE】
画面が細分化された。
スプロケットの指先。
旧端末。
青い状態灯。
接続履歴。
【LEGACY STANDBY RELEASE】
↓
【PHYSICAL CONTACT】
↓
【ACCESS HANDSHAKE】

オリヴィアの視線が細くなる。
「時間差」
「旧系統の待機解除が物理接触より先行しています」
『こっちのログにはありません』
三浦主任の声だった。
「映像だけ?」
『今のところ』
「信号発信は?」
「接触前の外部送信は記録されていません」
「《サイバー・リゾナンス》由来の遠隔接続」
「否定できません」
「肯定も?」
「できません」
オリヴィアはLINを見る。
「LIN」
「はい」
「最初から気づいていましたか?」
「いえ」
「どの時点で?」
「二回目に見た時です」
「なぜ気になったのですか?」
LINは少し考えた。
「分からないです」
「色が変わったから?」
「たぶん」
LINは画面を見る。
「でも先に光るのが変な気がして」
「その認識で十分です」
オリヴィアは記録を追加した。
【LEGACY ACCEPTANCE-S】
【SYSTEM-SIDE PRE-RESPONSE:POSSIBLE】
【TIMING:BEFORE PHYSICAL CONTACT】
【CAUSE:UNRESOLVED】
LINが指摘したのは、表示の意味ではなく順序だけだった。
意味を付けるのは監査側の仕事だった。
「Aurea」
「はい」
「現在環境を基準保存します」
「実行します」
室内全体の観測が開始された。
【CURRENT ENVIRONMENT SCAN】
【OLIVIA O'CONNELL:DETECTED】
【AUREA:DETECTED】
【SUBJECT COUNT:2】
オリヴィアが表示を見る。
「LINは?」
LINも顔を上げた。
「再走査します」
【CURRENT ENVIRONMENT SCAN】
【OLIVIA O'CONNELL:DETECTED】
【AUREA:DETECTED】
【SUBJECT COUNT:2】
「映像には?」
『います』
三浦主任が即答した。
LINは数メートル先に立っている。
肉眼でも見える。
映像にも映っている。
「局所センサー障害?」
「自己診断では正常です」
「LIN」
「はい?」
「そのまま動かないでください」
「分かりました」
三度目の走査が始まる。
【CURRENT ENVIRONMENT SCAN】
【OLIVIA O'CONNELL:DETECTED】
【AUREA:DETECTED】
【LIN:DETECTED/UNSTABLE】
【SUBJECT COUNT:3】
オリヴィアは最後の行を見る。
「取得しました」
「はい」
三浦主任が少し黙った。
『監査官』
「何ですか?」
『これ』
三浦主任の声が僅かに低くなる。
『前のLINの記録と似てません?』
オリヴィアはLINの観測履歴を開いた。
【L-1 / LUCENCY】
【REMOTE SUBJECT MAINTENANCE:UNSTABLE】
今回の記録。
【LOCAL SUBJECT ACQUISITION:UNSTABLE】
「似ています」
『ですよね』
「ただし同じとは判断しません」
『分かってます』
「ここは旧設備と現行設備が混在しています」
『都市側も安定してない』
「まず設備要因を除外します」
『了解です』
オリヴィアは三件を別々に保存した。
【LOCAL SEQUENCE DISCREPANCY】
【LEGACY PRE-RESPONSE】
【LIN PRESENCE ACQUISITION FAILURE】
同じ部屋で発生した。
それだけだった。
同じ原因だとする証拠はない。
オリヴィアは映像を閉じる。
LINが少し不安そうにこちらを見ていた。
「オリヴィア」
「はい」
「私また何か変なんですか?」
オリヴィアは一度だけ考えた。
「今は分かりません」
LINの表情が僅かに曇る。
「ただ記録できました」
「……はい」
「記録できるなら調べられます」
LINはオリヴィアを見る。
しばらくして小さく頷いた。
「分かりました」
オリヴィアは次の検索を開始した。
分からないものは増えた。
それでも分かったことにするよりは良かった。
TASK_04|COUNTERMEASURE
セッターが臨時作戦拠点の壁面端末から通信ユニットを引き抜いた。
「これ使う」
作戦卓の反対側でリッジが顔を上げる。
「政府備品だ」
「今は私が持っている」
「お前の物ではない」
「使ってる間は私の物だ」
セッターは返却する気配を見せない。
その横でプロットが〈センチレット〉の通信履歴を開いていた。
「所有権の話を続けるなら終わってからにしろ」
「お前に言われたくない」
「私は物を盗らない」
「勝手に経路を潰すだろ」
「仕事だ」
「私も仕事だ」
「二人とも任務へ戻れ」
リッジの声で会話が止まった。
古い都市保守所を利用した臨時拠点にはリッジとセッターとプロットの三人だけがいた。
壁面には南北二系統の遠隔映像が開いている。
北側映像では崩れた高層建築の屋上が高速で流れていた。
『結論から言うとまだ見えてない』
風切り音と一緒にハリアーの声が入る。
『でも西は薄い。北も違うと思う。あそこは逃げるには使えるけど次の固定点がない。あとさっき300メートル先でブーステッド二体見たけど今は関係ないから無視して――』
「結論」
『南東。60%』
「先にそれを言え」
『言ったよ。結論からって』
「その後が長い」
『説明も必要でしょ』
「必要な時に聞く」
『分かった。じゃあ今は南東60%。まだ追える』
ハリアーの映像が高度を上げた。
屋上群の向こうに複数の旧都市区画が見える。
リッジはセッターを見る。
「〈センチレット〉の解析」
「乗っ取られてない」
セッターが即答した。
「確定か」
「普通の乗っ取りじゃない」
「違いは?」
「命令権限を奪ってない」
セッターは履歴を拡大する。
【〈CENTILLET〉】
【COMMAND AUTHORITY HIJACK:NOT DETECTED】
【SYSTEM OVERRIDE:NOT DETECTED】
【EVACUATION JUDGMENT:RECALCULATED】
「こいつが自分で経路を変えてる」
プロットが画面を見る。
「誘導された」
「可能性はある」
「方法」
「調査中」
「またか」
セッターが顔を上げる。
「何が」
「対象に一度読まれてからお前は調査中が増えた」
「お前は昔から口数が少ないだけだろ」
「少ない方が余計な誤りを残さない」
「その理屈で前回捕まえられなかったのか?」
プロットの視線が止まる。
「前回は誰かが全系統を一枚へ繋いだ」
セッターが黙る。
「その結果どこからでも全部見える状態になった」
「必要だった」
「結果は?」
「プロット」
リッジが呼ぶ。
「恨み言は後にしろ」
「記録の確認だ」
「今必要なのは次だ」
プロットは1秒だけ黙った。
「都市網へ全部載せない」
「続けろ」
「対象が〈センチレット〉を経由して管理情報を使うなら管理情報そのものを信用できなくする」
「偽装か?」
「違う」
プロットはセッターを見る。
「見せない」
セッターが通信構成を開く。
「それならできる」
【FIELD POSITION SHARING:SEGMENTED】
【CITY MANAGEMENT FEED:LIMITED】
【TACTICAL DATA:LOCALIZED】
「部隊位置は切る」
セッターの指が動く。
「装備状態も切る」
「完全遮断は?」
「駄目」
「理由」
「私たちも見えなくなる」
プロットが答える。
「必要な情報まで切れば対象より先にこっちが不便になる」
「じゃあ必要な時だけ繋ぐ」
「そうしろ」
セッターが顔をしかめる。
「お前に命令されたくない」
「私もしたくない」
「仕事しろ」
リッジが二人を切った。
南側回線が開く。
『リッジ』
ドゴだった。
映像には巨大な保守隔壁が映っている。
その前に重装装備のドゴが立っていた。
『西側支持部を確認しました』
「封鎖できるか」
『隔壁本体を固定するより第二支持軸へ荷重を逃がした方が安全です。通常は開閉時に左右へ分散する応力を片側へ寄せる形になりますが、主構造そのものの耐荷重にはまだ32%以上の余裕があり――』
「時間だけ言え」
一瞬だけ沈黙した。
『準備済みなら21秒です』
「破壊は?」
『不要です』
「都市側から開けられるか」
『手動固定後は管理網からの通常開放要求を受けません』
「復旧側への影響」
『迂回できます。ただし物流効率は一時的に約11%落ちます』
「許容する」
『了解しました』
ハリアーが割って入る。
『ちょっと待って。その隔壁閉めるなら南東候補が二つから一つになるよね?』
「そうなる」
『じゃあ今の60%を75%まで上げる』
「根拠」
『残りの逃げ道が高い』
空中映像に三本の線が引かれる。
『ここはロストが多い』
一本消える。
『こっちは外部へ繋がらない』
二本目が消える。
『残るのがここ』
プロットが経路を拡大する。
「図面上の出口は三つ」
『現物は?』
リッジがドゴへ振る。
『一つは崩落しています』
「なら二つ」
『一つはこちらで止められます』
「最後は一つ」
プロットが僅かに口元を動かした。
「ようやく狩りらしくなった」
「最初から狩りだ」
「追いかけているだけだった」
リッジは反論しなかった。
対象は追われながらこちらの動きを学習している。
救急棟では一施設を利用した。
次は都市管理資産を使った。
なら同じ包囲を繰り返す理由はない。
「もう一つ変える」
セッターが顔を上げた。
「何」
「全員が同じ作戦図を持つな」
「は?」
「分割する」
「さっき分割した」
「通信だけだ」
リッジは作戦図を五つに分けた。

「セッターは通信」
「私の範囲は私が決める」
「決めるな」
「じゃあ言うな」
「ハリアーは広域移動」
『それは最初から私の仕事』
「ドゴは物理封鎖」
『了解しました』
「プロットは局所経路」
「当然だ」
「俺だけが全体を持つ」
セッターの手が止まる。
「私たちも互いの位置が見えなくなる」
「必要な時だけ繋げ」
「面倒だ」
「読まれるよりいい」
プロットが言う。
「前回の失敗を覚えていたら賛成できる」
「まだ言うのか」
「記録は消えない」
「お前ごと消すぞ」
「やってみろ」
「やめろ」
リッジの声は低いままだった。
二人とも止まる。
【HOUND FIELD NETWORK】
【INTEGRATED MAP:DISABLED】
【ROLE DATA:SEGMENTED】
【RIDGE COORDINATION:ACTIVE】
セッターは表示を確認した。
「これなら一個取られても全部は見えない」
「取らせるな」
「分かってる」
ハリアーが笑う。
『失敗したらまた変えればいいよ』
「失敗する前提で話すな」
『でも失敗しない部隊って一番危ないよ』
リッジは一瞬だけ黙った。
「それは正しい」
『でしょ?』
「喋りすぎだ」
『それは違う』
「任務へ戻れ」
『はいはい』
リッジは別回線を開いた。
【SPECIAL AUDIT CHANNEL】
【OLIVIA O'CONNELL】
『聞いています』
「暫定評価を送る」
『どうぞ』
「〈センチレット〉利用を能力拡張だけで処理しない方がいい」
『同意します』
「救急棟では施設を使った」
『ええ』
「今回は都市側の判断を使った」
『次はそこを封じる?』
「違う」
リッジは分割された作戦図を見る。
「こちらの判断材料を渡さない」
『〈センチレット〉は残すのですね』
「壊す理由がない」
『方法は?』
「俺たちを都市から見えにくくする」
短い間が入った。
『合理的です』
「詳細は後で送る」
『待っています』
回線を閉じる。
セッターはすでに別の通信ユニットを取り外していた。
「それは何だ」
「使う」
「戻せ」
「まだ使える」
プロットが言う。
「政府備品はお前の私物庫ではない」
「使える物を使って何が悪い」
ハリアーの声が遠隔回線から重なる。
『また始まった』
ドゴまで続いた。
『必要であれば所有権と運用権限の法的差異について――』
「説明しなくていい」
リッジは四人を止めた。
「次の位置へ移る」
全員の返答は違っていた。
動き出す時間だけはほとんど同じだった。
TASK_05|TRAVELER
中央物流センター西側の旧管理区画へ入った時だった。
LINが足を止めた。
「……オリヴィア」
オリヴィアが振り返る。
「何ですか?」
LINは後方の通路を見た。
「ここって」
少し迷う。
「さっき通りましたか?」
「いいえ」
Aureaが即座に補足する。
「この区画への進入は初回です」
LINは通路を見る。
「そうですよね」
「なぜそう思いました?」
「分からないです」
LINは壁面の傷を見た。
「見たことがある気がして」
「中央物流センターへ来た記憶は?」
「ないです」
「では似た場所を?」
「それも分からないです」
オリヴィアは位置を記録した。
【LOCAL SUBJECTIVE EVENT】
【SOURCE:LIN】
【SENSATION:PRIOR PASSAGE】
【ACTUAL ENTRY COUNT:1】
【CAUSE:UNRESOLVED】
「また記録するんですか?」
「はい」
「変なことばっかり言ってる気がします」
「変かどうかはまだ決めていません」
LINは少しだけオリヴィアを見る。
「そうなんですか」
「あなたが感じたという事実だけ残します」
「……はい」
三人は歩き始めた。
数十メートル進む。
LINの視線が前方へ動いた。
足が止まる。
「オリヴィア」
「はい」
「人がいます」
オリヴィアも前を見る。
暗い旧搬入口。
肉眼ではまだ輪郭しか分からない。
「Aurea」
「走査します」
Aureaが前方を向いた。
その一拍後に外周センサーが反応した。
【PERIMETER SENSOR】
【UNREGISTERED PERSON:DETECTED】
【VECTOR:WEST】
オリヴィアの視線がLINへ一瞬向いた。
「Aurea」
「はい」
「LINが先でしたね」
「約1.4秒先行しています」
LINが戸惑う。
「普通に見えただけです」
「そうかもしれません」
オリヴィアは前方へ戻る。
「照合を」
【FACIAL CORRELATION:MATCH】
【REFERENCE:VAREN】
【CURRENT REGISTRATION:NONE】
【ABILITY USE:NOT CONFIRMED】
【HOSTILITY:NOT CONFIRMED】
「ヴァレン」
Aureaが答える。
「一致します」
スプロケットたちと一時的に同行していた旅行者だった。
明確な能力使用記録はない。
敵対行動もない。
渡辺亘から得られた情報にも重要人物として扱われた形跡はなかった。
危険度は低い。
無防備に接触していいという意味ではない。
「Aurea」
「はい」
「LINの近くに」
「了解しました」
Aureaが僅かに位置を変えた。
LINとの距離を縮める。
オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉から周辺隔壁権限を開いた。
【LOCAL BARRIER CONTROL:STANDBY】
【EMERGENCY CLOSE:AVAILABLE】
男が歩いてくる。
数メートル手前で止まった。
「ヴァレンですね」

男は僅かに間を置いた。
「そう呼ばれている」
「ここへ来た理由は?」
「北側から歩いてきた」
「目的地は?」
「特に決めていない」
「ではなぜ中央物流センターへ?」
「遠くで搬送灯が動いた」
ヴァレンは上方を見る。
「稼働している施設なら外へ出る方法が分かると思った」
「助けを求めて?」
「情報が欲しい」
オリヴィアは表情を変えない。
「スプロケットたちとは?」
「別れた」
「理由は?」
「進む方向が違った」
「今も探していますか?」
「今は自分の出口を探している」
受け答えは成立している。
自分の行動にも理由を付けている。
Aureaから小さな表示が送られた。
【ROUTE CLAIM:PARTIAL INCONSISTENCY】
オリヴィアは表示だけを見る。
「この施設は現在監査区域です」
「分かった」
「東側に再制圧済みの待避区画があります」
経路を表示する。
【EVACUATION POINT:E-2】
【ROUTE:AVAILABLE】
「まずそこへ移動してください」
「外へ出られる?」
「そこから先の経路情報を取得できます」
ヴァレンは表示を見る。
「分かった」
抵抗しない。
そのまま進行方向を変えた。
オリヴィアは姿が見えなくなるまで確認した。
「Aurea」
「はい」
「不一致の内容を」
「本人が申告した北側経路からは中央物流センター上部の搬送灯を直接視認しにくい構造です」
「見えない?」
「反射光を含めれば不可能とは断定できません」
「なら嘘とは判断しない」
「了解しました」
【VAREN】
【EXPLANATION:PLAUSIBLE】
【ROUTE CONSISTENCY:PARTIAL】
【INTENT:UNRESOLVED】
LINはヴァレンが消えた通路を見ていた。
「LIN」
「はい」
「行きます」
LINはオリヴィアを見る。
次にAureaを見る。
「分かりました」
三人は再び歩き出した。
LINだけが一度後ろを振り返った。
TASK_06|ATTACHMENT
24分後。
オリヴィアたちは別の保存区画へ移動していた。
待避区画E-2とは反対方向だった。
Aureaが先に停止する。
「オリヴィア」
「確認しています」
旧連絡通路からヴァレンが現れた。
オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉へ手を置いた。
【LOCAL BARRIER CONTROL:STANDBY】
「二度目ですね」
「そうだな」
「E-2へ向かったはずですが」
「向かった」
「到着は?」
「手前で引き返した」
「理由を」
「変異した市民が通路を塞いでいた」
「襲われた?」
「そこまでは待たなかった」
「別経路は?」
「南へ回った」
「それでここへ?」
「案内表示が途中で消えた」
オリヴィアはAureaを見る。
「照合します」
【E-2 ROUTE】
【MUTATED CIVILIAN DENSITY:LOW】
【TEMPORARY PASSAGE:POSSIBLE】
【SIGNAGE FAILURE:PARTIAL】
「完全な矛盾はありません」
「そうですか」
ヴァレンは平然としている。
「別の待避区画を指定します」
「頼む」
オリヴィアは南側の経路を表示した。
「次はここへ」
「分かった」
「経路から外れないでください」
「努力する」
「努力ではなく従ってください」
ヴァレンが僅かにオリヴィアを見る。
「分かった」
再び離れる。
今度はAureaが監視可能範囲だけ位置を追った。
【VAREN】
【PASSIVE TRACKING:ACTIVE】
移動点が南へ進む。
旧構造物の陰へ入る。
【VISUAL TRACK:LOST】
「再取得」
「できません」
「〈センチレット〉は?」
「周辺三機とも巡回範囲外です」
「予測経路」
「南方向継続が最も高確率です」
「維持」
「はい」
オリヴィアは監査へ戻った。
◇
14分後。
LINが止まった。
今度は何も言わなかった。
ただ右側の暗い保守通路を見ている。
オリヴィアがその視線を追った。
ヴァレンがいた。
「三度目ですね」
ヴァレンは歩みを止めた。
「そうらしい」
「今度の理由は?」
「古い案内板を見つけた」
「何と書かれていました?」
「上層への保守経路」
「それで?」
「外へ出られると思った」
「結果は?」
「ここへ出た」
Aureaが周辺旧図面を開く。
【LEGACY MAINTENANCE ROUTE】
【UPPER ACCESS:FORMERLY AVAILABLE】
【CURRENT ROUTE:PARTIAL COLLAPSE】
「案内板自体は存在します」
「位置は?」
「本人の申告経路上です」
説明は成立している。
一つずつ見れば不自然ではない。
問題は結果だった。
別々の方向へ送っている。
オリヴィアたちも移動している。
それでもヴァレンは三度近くへ現れた。
「ヴァレン」
「何だ」
「私たちを探していましたね」
ヴァレンはすぐには答えなかった。
「最初は違った」
「二度目は?」
「戻る方が安全だと思った」
「三度目は?」
短い間が入る。
「あなたを探した」
オリヴィアの視線が僅かに変わった。
「理由は?」
「この区域で一番情報を持っていると思った」
「私が?」
「あなたが指示を出していた」
「それだけ?」
「外へ出るなら権限を持っている人間へ聞く方が早い」
「合理的ですね」
「そう思う」
「ではなぜ最初からそう言わなかったのですか?」
ヴァレンは少し考えた。
「警戒されると思った」
「すでにしています」
「なら同じだった」
「違います」
オリヴィアはヴァレンを見る。
「説明を隠した人物と最初から説明した人物では記録が変わります」
「記録」
「私の仕事です」
「そうか」
ヴァレンの表情は大きく変わらない。
Aureaがオリヴィアだけへ情報を送る。
【REPEATED PROXIMITY:3】
【ROUTE KNOWLEDGE:NOT SHARED】
【TRACKING METHOD:NOT DETECTED】
【INTENTIONAL APPROACH:PARTIAL ADMISSION】
ヴァレンは目的を持っている。
少なくとも今はそう判断できる。
それが本当に外への経路だけなのかは分からない。
オリヴィアが次の質問へ移ろうとした時だった。
Aureaの周辺観測から一件が消えた。
【LOCAL SUBJECT TRACKING】
【OLIVIA O'CONNELL:STABLE】
【AUREA:STABLE】
【VAREN:STABLE】
【LIN:――――】
0.8秒後。
【LIN:RESTORED】
LINがヴァレンを見ていた。
表情が少し強張っている。
「LIN?」
オリヴィアが呼ぶ。
「……はい」
「どうしました?」
LINは答えない。
ヴァレンから視線を外せずにいる。
唇が僅かに動いた。
「……空っぽ」

ヴァレンの視線が止まった。
オリヴィアもLINを見る。
「何がですか?」
LIN自身が驚いたようだった。
「分からないです」
「ヴァレンが?」
「……たぶん」
「何が空っぽに見えました?」
「見えたわけじゃないです」
LINは困ったように首を振った。
「ただそう思って」
「理由は?」
「分からないです」
声が少し小さくなる。
「すみません」
「謝らなくていいです」
オリヴィアはLINからヴァレンへ視線を移す。
ヴァレンはまだLINを見ていた。
それまでと違う。
返答までの間が長い。
表情はほとんど変わっていない。
それでも注意が明確にLINへ向いている。
【VAREN】
【RESPONSE DELAY:INCREASED】
【VISUAL FOCUS:LIN】
【TRIGGER CORRELATION:STATEMENT】
【MEANING:UNRESOLVED】
「ヴァレン」
オリヴィアが呼ぶ。
ヴァレンの視線が戻った。
「何だ」
「今の言葉に心当たりは?」
「ない」
今度の返答は早かった。
「LINを知っていますか?」
「初めて見た」
「以前に似た人物を?」
「記憶にはない」
「そうですか」
オリヴィアはそれ以上追わなかった。
LINの感覚。
ヴァレンの反応。
相関はある。
意味は分からない。
なら記録だけ残す。
ヴァレンがLINへもう一度視線を送る。
ほんの一瞬だった。
「ヴァレン」
「何だ」
「提案があります」
ヴァレンがオリヴィアを見る。
「今後は私の視界内にいてください」
「監視か?」
「直接観測です」
「違いがある?」
「あります」
「何が」
「監視はあなたの行動を制限するために行います」
オリヴィアは〈A.R.K. Conductor改〉を閉じない。
「直接観測はあなたが何をするのか確認するために行います」
「好きに動いていい?」
「私から離れない範囲なら」
ヴァレンは少し考える。
「それで外へ出る方法も分かる?」
「必要な情報が得られれば」
「なら構わない」
オリヴィアは新しい記録を作った。
【TEMPORARY SUBJECT:VAREN】
【CLASSIFICATION:UNREGISTERED CIVILIAN】
【STATUS:DIRECT OBSERVATION】
【HOSTILITY:NOT DETECTED】
【ABILITY:UNCONFIRMED】
【REPEATED PROXIMITY:CONFIRMED】
【INTENT:PARTIAL/UNRESOLVED】
LINとは別案件。
スプロケットとも別案件。
旧認証とも別案件。
時間順序の異常とも別案件。
同じ場所にあるという理由だけでは統合できない。
「三浦主任」
『はい』
「現地観測対象を一名追加します」
『LINとは別ですか?』
「別です」
『識別名は?』
「ヴァレン」
短い沈黙が入った。
『スプロケットたちと同行していた旅行者』
「一致しています」
『能力使用は?』
「未確認」
『敵対行動』
「なし」
『同行させるんですか?』
「三度別方向へ離して三度近くへ戻りました」
『……それは嫌ですね』
「同意します」
『理由は分かったんですか?』
「一部だけ」
『残りは?』
「直接見ます」
三浦主任が一度だけ息を吐いた。
『了解です』
「中央物流センターの監査は継続します」
『こちらも支援を続けます』
「お願いします」
通信が閉じた。
オリヴィアは次の保存区画を表示した。
「移動します」
Aureaが前へ出る。
LINが続いた。
数歩進んだところでLINが振り返る。
ヴァレンはまだ同じ場所に立っていた。
「来ないんですか?」
LINの声は少し控えめだった。
ヴァレンが彼女を見る。
「行く」
歩き始める。
LINは前へ戻った。
同行者が一人増えた。
少なくとも記録上は、それだけだった。
TRACE_03|RESIDUAL
エウロスが顔を上げた。
シアンの粒子線は遠くへ伸びていない。
短い範囲で揺れている。
『近い』
フラマの右腕を走るマゼンタの亀裂が薄く明滅した。
『条件は変わったか』
テリオンは古金色の粒子を見た。
『距離条件だけだ』
【LEGACY RESPONSE:ACTIVE】
【PROXIMITY CONDITION:ACCEPTED】
【DIRECT CONNECTION:HOLD】
【CONTACT INITIATION:NONE】
エウロスは表示を見続けた。
『前よりはっきりしてる』
『だから何だ』
フラマが返す。
『触れられる』
『触れていない』
テリオンが切った。
アクエルだけが黙っていた。
左手を覆う薄い水膜が一度だけ内側へ沈んでいる。
エウロスが気づいた。
『アクエル』
『……さっき違った』
フラマが顔を向ける。
『何が』
『向き』
『説明』
テリオンが求める。
アクエルは手を見る。
『いつもは外へ広がる』
水膜が僅かに揺れた。
『一度だけ深く落ちた』
エウロスが首を傾ける。
『どこまで?』
『分からない』
『侵入か』
フラマが聞く。
『違うと思う』
『根拠』
『残ってない』
テリオンが反応記録を開いた。
【UNDEFINED DEPTH RESPONSE】
【DURATION:TRANSIENT】
【CONTINUATION:NONE】
【HOSTILITY:NOT DETECTED】
【SOURCE:UNRESOLVED】

『現条件へ影響しない』
テリオンが言った。
『残すだけでいい』
フラマの発光が弱くなる。
『なら保留』
エウロスは別の方向を見た。
『もう一つある』
『何だ』
『ここ』
シアンの粒子が一本だけ途中で折れる。
『前にも通った感じがする』
テリオンが見る。
『位置は変わっていない』
『分かってる』
『なら前にはない』
『だから変なんだよ』
アクエルが僅かに目を細めた。
『前と後が重なってる』
フラマが即座に返す。
『攻撃か』
『違う』
テリオンが先に答えた。
【SEQUENCE REFERENCE:UNSTABLE】
【POSITION DISPLACEMENT:NONE】
【ORDER DISCREPANCY:LOW】
【EXTERNAL ATTACK:NOT DETECTED】
エウロスが粒子の折れた場所を見る。
『気持ち悪い』
『評価ではない』
『感想』
『不要だ』
フラマが言った。
エウロスは肩をすくめる。
『じゃあ無視?』
『無視はしない』
テリオンが表示を残す。
『優先度を下げる』
アクエルも水膜を閉じた。
『今は危なくない』
『そうだ』
フラマが答える。
別の反応は近い。
それだけは変わっていない。
説明できない揺れが一つ。
順序のずれが一つ。
どちらも現時点で接続条件を変えるほどではない。
テリオンが最終状態を固定した。
【PRIMARY CONDITION:UNCHANGED】
【DIRECT CONNECTION:HOLD】
【CONTACT INITIATION:NONE】
【PROXIMITY CONDITION:ACCEPTED】
【SECONDARY DISTURBANCE:LOGGED】
【SEQUENCE DISCREPANCY:LOGGED】
フラマが言う。
『続行』
エウロスは反対しなかった。
アクエルも黙ったままだった。
テリオンが最後に確認する。
『こちらからは始めない』
『回避もしない』
エウロスが続ける。
『条件はそのまま』
四つの判断が一致した。
【TRACE STATUS:RESIDUAL】

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