地下医療搬送線を数キロ進んでも、五つの反応は一度も戻らなかった。
スプロケットは歩きながら端末の端へ視線を移した。
【REAR PURSUIT RESPONSE:NONE】
【MEDICAL TRANSFER LINE:ACTIVE/PARTIAL】
【DESTINATION:EMERGENCY WING 06】
表示は変わっていない。
後ろから追ってくる反応はない。
だから安全とは判断できなかった。
[ネクス・ハウンズ]は、自分たちがこの搬送線へ入ったことを知っている。
次の固定座標も分かっている。
追跡する必要がないなら、反応が消えていることに矛盾はなかった。
「まだ来てない!」
前方から声が届いた。
数秒後、マッハラインが暗い搬送線の奥から戻ってきた。
黒い高速機動スーツの表面に、壁面照明が細く流れる。
「次の隔壁まで見てきた。誰もいない」
「その先は?」
「閉まってた!」
「見てないってこと?」
アイリーが聞いた。
「開けてないから!」
「じゃあ誰もいないか分からないじゃん」
「隔壁の手前にはいない!」
「それを先に言って!」
「今言った!」
アイリーはクロニアスを背負い直した。
左脚を固定されたクロニアスが、その動きに合わせて肩掛け鞄を押さえる。
「会話の内容としては、マッハラインの報告が正しい」
「クロニアスはどっちの味方?」
「記録の味方だ」
「じゃあ黙って休んでて」
「それは難しい」
クロニアスの右手には、もう紙の手帳があった。
「書いてる」
スプロケットが言った。
「必要なことだけだ」
「さっきもそれ言ってた」
「今回は本当に必要なことだけだ」
「その判断、信用ないから」
アイリーが前を向いたまま言った。
クロニアスはペンを止めた。
「なるほど」
「納得した?」
「記録者の信用性について考えている」
「休んで」
「分かった」
手帳は閉じなかった。
スプロケットはそれ以上言わなかった。
明は三人より少し前を歩いている。
壁面の案内表示。
床に残った搬送ライン。
天井を走る配管。
閉鎖された保守扉。
一つずつ確認しながら、進行方向から視線を大きく外さない。

「この先、少し構造が変わります」
明が立ち止まった。
「どう変わる?」
「旧線と新しい搬送線が合流します。たぶん」
「たぶん?」
「僕が使ってた路線じゃないので」
明は天井の案内板を指した。
文字の半分が消えている。
【MEDICAL TRANSFER JUNCTION】
【OLD LINE:――】
【EMERGENCY ROUTE:06】
「でも、6号棟の表示は残ってます」
「距離は?」
「ここからなら、そんなに遠くないです」
スプロケットも端末で経路を照合した。
【CURRENT POSITION:MEDICAL TRANSFER JUNCTION 04】
【NEXT FIXED COORDINATE:EMERGENCY WING 06】
【ESTIMATED DISTANCE:1.8 KM】
「合ってる」
「じゃあ行こう!」
アイリーがすぐに歩き出した。
「待って」
「何?」
「隔壁」
スプロケットは前方を見る。
旧線と搬送線の合流地点に、大型隔壁が残っていた。
中央は閉じている。
左右に非常用の小型通路がある。
右側だけに弱い電力反応が残っていた。

「マッハライン」
「見てくる!」
「まだ何も言ってない」
「右だろ?」
「……うん」
「行ってくる!」
マッハラインの姿が消えた。
足音はほとんど残らない。
スプロケットは右側の非常通路へ近づいた。
壁面端末は停止している。
画面も暗い。
それでも内部には微弱な待機電力があった。
指先を端末へ触れる。
《サイバー・リゾナンス》を深くする必要はなかった。
暗かった画面に旧い認証表示だけが浮かんだ。
旧い通信規格。
遮断された都市網。
医療搬送系統。
その奥に、別の認証層が残っている。
前にも触れたものだった。
【LEGACY AUTHORIZATION:PARTIAL MATCH】
【AUTHORIZATION ORIGIN:UNRESOLVED】
スプロケットの指が止まった。
同じ表示。
トーキョー・シティへ入ってから何度も返されている。
自分が要求していないのに開いた経路。
現在図から消えていた保守設備。
古い医療設備。
どれも同じ認証へ反応した。
発行元は分からない。
これまでの検索結果も残っている。
【QUERY:LEGACY AUTHORIZATION ORIGIN】
【RESULT:NOT FOUND】
【QUERY:SPROCKET/LEGACY ACCESS HISTORY】
【RESULT:NOT FOUND】
その下に検索セッションだけが残っていた。
【SEARCH SESSION:ACTIVE】
スプロケットは非常通路の端末から返される旧系統を見た。
先ほどまで使っていた搬送線とは接続先が違う。
古い。
現在の都市網より深い。
消えているのではなく、切り離されている。
スプロケットは検索範囲を変更した。
【QUERY:LEGACY AUTHORIZATION ORIGIN】
【SEARCH RANGE:LOCAL/CITY/LEGACY】
【SEARCHING】
反応が返る。
すぐには文字にならなかった。
途切れた識別番号。
読み取れない管理名。
欠損した時刻情報。
それらの奥で一つの応答だけが消えなかった。
【REFERENCE:DETECTED】
スプロケットは瞬きをした。
もう一度確認する。
【REFERENCE:DETECTED】
【ARCHIVE ENTRY:EXISTS】
前と違う。
見つからなかったのではない。
ある。
スプロケットは接続を一段深くした。
【ACCESS REQUEST:SUBMITTED】
【AUTHENTICATION:CHECKING】
旧認証が送られる。
入口側の照合までは通過した。
【LEGACY AUTHORIZATION:PARTIAL MATCH】
その直後、処理が止まった。
【REQUESTER AUTHORITY:INSUFFICIENT】
【ARCHIVE ACCESS:DENIED】
「……え?」
スプロケットは画面へ顔を近づけた。
もう一度送る。
【ACCESS REQUEST:RESUBMITTED】
【AUTHENTICATION:CHECKING】
【REQUESTER AUTHORITY:INSUFFICIENT】
【ARCHIVE ACCESS:DENIED】
同じ結果。
検索条件を変える。
【QUERY:SPROCKET/LEGACY ACCESS HISTORY】
【REFERENCE:DETECTED】
【ARCHIVE ENTRY:EXISTS】
【ACCESS:DENIED】
さっきまでは存在しなかった。
少なくとも、自分が検索できる範囲にはなかった。
今は違う。
情報はある。
そこへ続く経路もある。
自分の認証も入口までは届いている。
その先だけが閉じていた。
【403_FORBIDDEN】
スプロケットは表示を見たまま動かなかった。
404ではない。
見つからないのではない。
接続先が存在する。
ただ、自分には開かない。
それなら方法はある。
認証を変える。
別経路を探す。
古い管理系統へ回る。
現在の権限照合を迂回する。
端末ではなく《サイバー・リゾナンス》から直接――
「……スプロケット……」
声が近くから聞こえた。
反応できなかった。
「スプロケット」
肩へ手が触れた。
スプロケットは顔を上げた。
アイリーが目の前にいた。
「また止まってる」
「……うん」
「何かあった?」
スプロケットは端末を見る。
表示は消えていない。
【403_FORBIDDEN】
「見つかった」
「ほんと?」
「うん」
アイリーの表情が明るくなった。
「じゃあ何だったの?」
「分からない」
「見つかったんでしょ?」
「あるのは分かった」
「何が?」
「それが分からない」
アイリーの眉が寄った。
「つまり?」
「見せてもらえない」
「誰に?」
「それも分からない」
「……全然分からないじゃん」
「前よりは分かる」
「どこが?」
「前は、なかった」
スプロケットは表示を指した。
「今はある」
アイリーも画面を見る。
「入れない?」
「うん」
「壊れてるとかじゃなくて?」
「違う。拒否されてる」
「じゃあ開ければいいじゃん」
スプロケットはアイリーを見た。
「開ける」
「今?」
「……」
アイリーは自分の背中を少し揺らした。
クロニアスの固定された左脚が視界へ入る。
スプロケットは数秒黙った。
「今じゃない」
「うん」
「先に救急棟6号」
「うん」
「クロニアスを治療する」
「そう」
「帰還座標も作る」
「そう!」
アイリーは満足したように頷いた。
「そのあと!」
「開ける」
「よし!」

「何がよしなの?」
「戻ってきたから」
「どこから?」
「そっち」
アイリーは端末を指した。
スプロケットは答えなかった。
左頬へ指が触れかける。
途中で止めた。
「聞こえてた?」
クロニアスがアイリーの背中から尋ねた。
「何が?」
「今の話だ」
「聞こえる距離だよ」
「そうではなくて、記録していい内容か確認した」
「休んでって言ったよね?」
「確認だけだ」
「駄目」
「スプロケット?」
クロニアスがこちらを見る。
スプロケットは少し考えた。
「403だけ」
「403?」
「見つからないから、見せないに変わった」
クロニアスの表情が変わった。
疲労の残る目が端末へ向く。
「なるほど」
「書かないで」
「まだ何も言っていない」
「今、書こうとした」
「否定はしない」
「クロニアス」
「休む」
手帳が閉じられた。
明は少し離れた位置から端末を見ていた。
「それって」
「うん」
スプロケットが返す。
明は少し間を置いた。
「誰かが隠してるってことですか?」
「まだ分からない」
「でも、情報はある?」
「ある」
「じゃあ……消されたわけじゃない?」
「それも分からない」
スプロケットは画面へ戻る。
「残ってるものがある。それだけ」
見つからないことと、存在しないことは同じではない。
今度は、その逆も増えた。
存在することと、自分が知れることも同じではない。
「スプロケット!」
前方からマッハラインの声が届いた。
次の瞬間には本人が戻ってきた。
「開いてる!」
「隔壁?」
「非常通路! その先も行ける!」
「何かいた?」
「動いてるのはいない!」
「今度はちゃんと見た?」
アイリーが聞いた。
「見た!」
「どこまで?」
「次の連絡区画!」
「その先は?」
「見てない!」
「じゃあ同じじゃん!」
「でも6号棟が見えた!」
スプロケットが顔を上げた。
「見えた?」
「表示がある。あと、非常灯も点いてる」
「人は?」
「見えない」
「[世界政府]は?」
「見えない」
「ネクス・ハウンズは?」
「見えない!」
マッハラインは一度後ろを見る。
「でも静かすぎる」

その言葉だけ、少し速さがなかった。
スプロケットは端末へ現在位置を更新した。
【CURRENT POSITION:MEDICAL TRANSFER JUNCTION 04】
【DESTINATION:EMERGENCY WING 06】
【ROUTE:RECALCULATED】
【DISTANCE:0.9 KM】
後方反応はない。
前方にも識別信号はない。
救急棟6号だけが固定座標として残っている。
行くしかない。
「進む」
「よし!」
アイリーが歩き出す。
「俺、先行する?」
「見える範囲だけ」
「分かった!」
「戻ってきて」
「戻ってきてるだろ!」
「今度も」
「分かった!」
マッハラインが先へ走った。
明も非常通路へ入る。
通路の奥を確認してから、スプロケットへ振り返った。
「行けます」
「うん」
スプロケットは壁面端末から手を離した。
403の表示は消えない。
検索セッションを終了する選択肢も出ている。
スプロケットは検索セッションだけを携行端末へ残した。
【ARCHIVE ENTRY:EXISTS】
【ACCESS:403_FORBIDDEN】
【SEARCH SESSION:ACTIVE】
画面を端へ移す。
中央へ救急棟6号までの経路を戻した。
【NEXT WAYPOINT:EMERGENCY WING 06】
【RETURN COORDINATE:UNAVAILABLE】
今度は何も見つからなかったわけではない。
閉じられていた。
スプロケットは非常通路へ入った。
背後で端末の光が消えた。
携行端末には、一つの表示だけが残った。
【403_FORBIDDEN】
【SEARCH SESSION:ACTIVE】


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