第1部『404_NOT_FOUND』THREAD_07|GOD MODE

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クロス・バグ三部作(絶賛連載中)

THREAD_07|GOD MODE

TASK_01|見えない盤面

 中央中継管制室の照明が明滅した。

 スプロケットが端末へ接続具を差し込むと、認証画面が開く前にすべての映像が横へ崩れた。

【EXTERNAL LINK:FAILED】
【FACILITY NETWORK:UNSTABLE】
【BIOLOGICAL INTERFERENCE:CRITICAL】

「また切れた」

 スプロケットは接続具を抜いた。

 監視映像。

 外部通信。

 帰還座標を送るための中継回線。

 すべてが同じ周期で乱れていた。

「機械が壊れてるの?」

 アイリーが正面扉を見ながら尋ねた。

「違う」

 スプロケットは表示の乱れる間隔を測った。

 四秒。

 一度弱まり、七秒後に再び強くなる。

 設備障害なら複数の系統が同じ周期で乱れる理由がなかった。

「下に何かいる」

「人ですか?」

 明が床を見た。

「人だったもの」

 スプロケットは中央物流センターの旧構造図を開いた。

 現在地の下には使用停止された危険物搬送庫があった。

 通信設備は撤去されている。

 その代わりに古い電磁遮蔽区画が残されていた。

 図面上では空室だった。

 しかし、その位置から一つの生体反応が返っていた。

【UNKNOWN SUBJECT:AWAKENED CLASS】
【INTERFERENCE RANGE:EXPANDING】

 画面の一部が切り替わった。

 赤い線で囲まれた地下区画へ、亘が付けた名称が重なった。

【BOSS-02:《DEAD ZONE》】
【ROLE:ELECTRONIC DENIAL】
【CLAIM STATUS:CONDITIONAL】

≪見つけましたか≫

 天井のスピーカーから亘の声が流れた。

 まだ言葉は整っていた。

≪君が機械を使うことは分かっていました≫

「あなたが作ったの?」

≪配置しただけです≫

「地下へ閉じ込めた」

≪役割を与えました≫

 ノイズが強くなった。

 明が耳を塞いだ。

 ヴァレンはクロニアスの肩を支えたまま、周囲を見回した。

「音は……聞こえません」

「機械だけに出てる」

 スプロケットは構造図を拡大した。

 《DEAD ZONE》のいる搬送庫には、二枚の遮蔽隔壁が残されていた。

 北側と南側。

 どちらも電動機構は停止している。

 手動輪を回せば閉じられた。

「これで囲う」

 スプロケットは二つの隔壁を指した。

「閉めたら止まるの?」

 マッハラインが図面を覗き込んだ。

「止まらない。外へ漏れにくくなる」

「下へ行く?」

「北側は上の保守通路から回れる」

「じゃあ俺が行く!」

「南側は?」

 アイリーが尋ねた。

 スプロケットは管制室南端の点検口を見た。

 そこから降りれば近い。

 しかし、正面通路にはロストの反応が集まり始めていた。

「私が行く?」

「正面が空く」

「じゃあ、どうするの?」

 ヴァレンがクロニアスを椅子へ座らせた。

「私が……行きます」

 スプロケットはヴァレンを見た。

「場所、分かる?」

「図面を……見れば」

「戻れる?」

「分かりません」

 ヴァレンは南側点検口へ顔を向けた。

「それでも、私が選びます」

 スプロケットは短く頷いた。

「クロニアス」

「私はここにいる」

「倒れないで」

「努力する」

「努力じゃ足りない」

 明がクロニアスの椅子の横へ移動した。

「僕が見ています」

「明も無理しないで」

「見ているだけならできます」

 正面扉の向こうで足音が重なった。

 アイリーは扉の前へ立った。

「ここは私が止める」

 スプロケットは全員の位置を確認した。

「隔壁を閉じたら、すぐ戻って」

「分かった!」

 マッハラインが北側保守口へ走り出した。

 ヴァレンも南側点検口へ入った。

 スプロケットは二人の位置を図面上で追おうとした。

 《DEAD ZONE》のノイズによって表示が飛んだ。

「見えない」

「声は?」

 明が尋ねた。

 通信も途切れていた。

「直接待つしかない」

 正面扉へ最初の衝撃が加わった。

 防爆板の向こうに、ロストの顔が並んでいた。

 作業服。

 警備服。

 普段着。

 全員が同じ方向へ身体を押しつけていた。

≪開けてください≫

 亘の声が流れた。

「嫌」

 アイリーが答えた。

≪記録する人を返してください≫

「本人が帰るって決めた」

≪その判断は危険です≫

「あなたが決めることじゃない」

 亘はすぐに反論しなかった。

 代わりに正面のロストが一斉に腕を上げた。

『……扉を壊せ……』 『……中へ入れ……』

 拳が防爆板を打ち始めた。

 後方では作業員だったリピーターが手動ロックの解除へ向かっていた。

 亘は機械を直接動かしていない。

 市民の身体へ命令し、その手で設備を動かしていた。

 アイリーの両腕へ金色の光が集まった。

 扉が開けば、最初の列だけを押し返す。

 後ろの市民まで巻き込まないように、力を狭く保っていた。

『北に着いた!』

 マッハラインの声が途切れながら届いた。

「手動輪を回して!」

『硬い!』

「止まらないで!」

『俺は止まらない!』

 金属の擦れる音が通信へ混じった。

 南側からも低い駆動音が聞こえた。

 ヴァレンが手動輪を回している。

「南側も動いてる」

 スプロケットはノイズの変化を見た。

 七秒周期の波が僅かに弱まった。

「同時に閉めないと反対側へ漏れる」

『あと少し!』

 マッハラインが叫んだ。

 ヴァレンから返事はない。

「ヴァレン?」

『……聞こえています』

 息の混じった声が返った。

『回しています』

 正面扉へ二度目の衝撃が加わった。

 ロストの後方から、腕部の発達したブーステッドが近づいてきた。

 防爆板へ手を当てた。

 押した。

 扉の枠が軋んだ。

「早く!」

 アイリーが二人へ叫んだ。

 北側の隔壁が閉じた。

【NORTH SHIELD:LOCKED】

 ノイズが南側へ偏った。

 ヴァレンの通信が完全に消えた。

「ヴァレン!」

 明が呼んだ。

 返事はない。

 スプロケットは床下の生体反応を追った。

 《DEAD ZONE》が南側へ短く移動している。

 平たい身体を床へつけ、遮蔽区画の中で方向を変えていた。

『……南へ……』 『……妨害を続けろ……』

 亘の命令は大まかだった。

 複雑な判断は与えていない。

 妨害範囲を南へ寄せ、隔壁の閉鎖を妨げているだけだった。

「南へ近づいてる」

 スプロケットは遮蔽隔壁の位置を見た。

「ヴァレン、聞こえたら離れて!」

 返事はなかった。

 隔壁の閉鎖率は九十二パーセント。

 残りが動かない。

 《DEAD ZONE》の爪が、閉まりかけた隔壁へ触れていた。

 ヴァレンが反対側から手動輪を回している。

「何か挟まってます」

 通信が一瞬だけ戻った。

「無理に閉めないで!」

「開けば、外へ出ます」

「ヴァレンまで入る」

「私は……外にいます」

 ヴァレンの声は震えていた。

「隔壁の向こうに、何かがいる……だけです」

 スプロケットは構造図を見た。

 遮蔽隔壁の下部には、緊急時に自重で閉じる補助ロックがあった。

 電力は必要ない。

 固定ピンを外せばよかった。

 スプロケットがその位置を拡大しようとした時、図面上に知らない経路が重なった。

【LEGACY MAINTENANCE ROUTE:RESPONDING】
【REFERENCE SOURCE:UNRESOLVED】

 表示された経路は、現在の構造図には登録されていなかった。

 それでも、補助ロックまでの距離と手順が正確に示されていた。

「右下に赤いレバーがある」

≪見えません≫

「手動輪から右へ二歩」

 ヴァレンが移動する音がした。

「下。床の近く」

≪ありました≫

 スプロケットは画面を見た。

 なぜ場所を知っていたのか、自分にも分からなかった。

「引いて、すぐ離れて」

 金属音が響いた。

 隔壁が自重で落ちた。

 《DEAD ZONE》の爪が内側へ弾かれた。

【SOUTH SHIELD:LOCKED】
【BIOLOGICAL INTERFERENCE:CONTAINED】

 すべての画面が一度消えた。

 数秒後、中央中継設備が再起動した。

【ELECTRONIC INTERFERENCE:LOCALIZED】
【EXTERNAL LINK:AVAILABLE】

「戻った」

 スプロケットは端末へ手を置いた。

「二人は?」

 明が尋ねた。

 北側からマッハラインの反応が近づいていた。

 南側でもヴァレンが点検口へ戻っている。

「戻ってる」

 その時、復旧した画面の端に巨大な接続負荷が現れた。

【PRIMARY SUBJECT:STANDBY】
【CLASS:AWAKENED】
【COMMAND LOAD:RESERVED】

 対象の位置は、中央物流センター西部の大型搬送区画。

 通常のロストやブーステッドとは比較にならない負荷だった。

 亘はその個体へ、まだ一度も命令していない。

「まだ何かいる」

 クロニアスが表示を見た。

「動いていない」

「動かしてない」

 スプロケットは画面の亘を見た。

「残してる」

≪必要がありませんから≫

 亘は穏やかに答えた。

≪今の手駒で十分です≫

 正面扉へ三度目の衝撃が加わった。

 亘は巨大な反応を動かさなかった。

 それが余裕なのか、動かせない理由があるのか。

 まだ判断できなかった。


TASK_02|現在のクロニアス

 中央中継設備が外部回線を探した。

【EXTERNAL LINK:SEARCHING】
【MOORING RESPONSE:DETECTED】

 遠くにペグが維持する帰還座標があった。

 ヘヴンの位置。

 ヴォルトが接続するための固定点。

 細い反応が何度も途切れながら、中央物流センターへ伸びていた。

「見える?」

 クロニアスがスプロケットへ尋ねた。

「少し」

「ヘヴンは?」

「いる」

 スプロケットは端末へクロニアスの識別情報を入力した。

【SUBJECT:CHRONIAS】
【CURRENT LOCATION:REQUESTED】

 中継設備が中央物流センター内に残された情報を検索した。

 二日前の音声。

 第2保守線の通過認証。

 旧観測室で《タイムエコー》へ反応した際の音声・生体記録。

 数時間前の生体反応。

 最後に管制室内にいるクロニアスの心拍が表示された。

【MATCHING SUBJECT RESPONSES:5】
【LOCATION CONFLICT:DETECTED】

「本人はここにいるのに」

 明がクロニアスを見た。

 左脚の傷。

 高熱。

 浅い呼吸。

 すべて現在の身体にあった。

 設備はそれより古い情報も同じ本人として扱っている。

「現在の身体を優先する」

 スプロケットは生体認証を選択した。

【BIOLOGICAL PRIORITY:ENABLED】

 現在のクロニアスだけが残った。

 一瞬だった。

 中央物流センター内の複数区画で、リピーターが端末へ触れた。

 亘から命令を受けた元作業員たちが、保存された過去情報を順番に入力していた。

【ARCHIVE INPUT:4】
【LOCATION CONFLICT:RESTORED】

「亘」

 スプロケットは画面の男を見た。

≪記録は捨てられません≫

 亘は統合管制室の端末へ両手を置いていた。

 まだ自分の足で立っている。

≪同じ人間の記録を、一つだけ選ぶことはできません≫

「過去の情報を現在へ混ぜてる」

≪すべて本人の情報です≫

「帰さないために?」

≪危険な対象を外へ出さないためです≫

 クロニアスが画面へ顔を向けた。

「私の能力を理解しているのか」

≪記録の順番を壊します≫

「それは副次的な現象だ」

≪中央物流センターの時間を壊すかもしれません≫

「壊していない」

≪証明できますか≫

「できる」

≪どうやって≫

「現在の私を見ればいい」

≪今、五人います≫

 亘が笑った。

≪一人を選べないなら、すべて残します≫

「残す?」

 スプロケットが尋ねた。

≪僕の中に≫

 スプロケットは接続を弱めた。

 現在の身体へ直接触れれば、ほかの記録と区別できる。

 心拍。

 呼吸。

 体温。

 現在の痛み。

 現在の思考。

 それらを自分の中へ通し、中継設備へ渡せばよかった。

「クロニアスへ直接つなげば――」

「避けるべきだ」

 クロニアスが先に言った。

「まだ最後まで言ってない」

「君が考えることは分かる」

「ほかに方法がない」

「ある」

 クロニアスは左脚へ巻かれた包帯を見た。

「過去の情報にない変化を使う」

「傷?」

「この傷は観測室へ入る直前に負った」

「数時間前の生体情報にはあるかもしれない」

「その後も変化している」

 アイリーが巻き直した包帯。

 明が位置を変えた左脚。

 ヴァレンに支えられて移動した時の新しい痛み。

 現在の傷は、保存された情報と同じではない。

「心拍と体温も比較できる」

 クロニアスは過去の数値を見た。

「本人だと証明できますか?」

 明が尋ねた。

「本人そのものの証明ではない」

「では、何になりますか?」

「現在の身体を区別する材料だ」

 スプロケットは識別条件を開いた。

 名前。

 生体波形。

 通過認証。

 発生時刻。

 そこへ現在の変化を追加した。

「今の質問へ答えたことも使えます」

 明が画面を見た。

「過去の情報が今の質問へ答えることはできません」

 クロニアスは明へ視線を向けた。

「何を答えればいい」

「あなたが決めてください」

 明はそれ以上続けなかった。

 クロニアスは周囲を見た。

 スプロケット。

 アイリー。

 明。

 ヴァレン。

 戻ってきたマッハライン。

 過去の彼が知らない状況。

 現在の彼だけが選べる言葉。

「現在位置を申告する」

 クロニアスが言った。

「旧物流地下、中央中継管制室」

 スプロケットは音声入力を開いた。

「同行者五名と行動中」

 クロニアスはスプロケットを見た。

「現在の私は帰還を希望している」

 調査を続ける。

 現場へ残る。

 観測を優先する。

 それらではなく、帰還を選んだ。

 過去のクロニアスが残していない反応だった。

 スプロケットは音声と現在の生体情報を結びつけた。

【NEW RESPONSE:REGISTERED】
【BIOLOGICAL CHANGE:CONFIRMED】
【CURRENT SUBJECT CANDIDATE:1】

 五つあった反応のうち、現在の身体だけが残った。

【SUBJECT:CHRONIAS】
【CURRENT LOCATION:LOCKING】

「通る」

 亘の命令を受けたリピーターが、別の端末から過去情報を追加した。

 観測室の音声。

 保守線の認証。

 過去の心拍。

 設備はすべて受け取った。

 しかし、現在候補には加えなかった。

【PAST REFERENCE:ARCHIVED】
【CURRENT SUBJECT:UNCHANGED】

≪選ばなかった≫

 亘の声が流れた。

「捨ててない」

 スプロケットは現在位置の表示を守った。

「今の位置に使わないだけ」

≪同じです≫

「違う」

 正面扉の外でブーステッドがロストを押し退けた。

 亘は個体へ名前を与えていない。

 大きな身体。

 長い腕。

 硬い皮膚。

 必要な機能だけを見て、順番に前へ出していた。

 一体が扉を押した。

 亀裂が広がった。

 アイリーが両腕を構えた。

「あとどれぐらい?」

「座標を送るまで四十秒」

「長い!」

「外部回線が弱い」

「短くできない?」

「できない」

「じゃあ、四十秒止める」

 アイリーは正面へ向き直った。

 スプロケットが送信を開始すると、別の表示が一瞬だけ現れた。

【LEGACY CONTACT:DETECTED】
【AUTHORIZATION ORIGIN:UNRESOLVED】
【SYSTEM RESPONSE:ACCEPTED】

 スプロケットは指を止めた。

 旧認証はまだ送っていない。

 接続具へ触れているだけだった。

「どうした?」

 クロニアスが尋ねた。

「設備が先に開いた」

「認証は?」

「送ってない」

「照合元は」

「未解決」

 旧認証なら使用した権限元が残る。

 今回は誰なのか判定されないまま、接続だけが許可されていた。

 スプロケットが設備へ入ったのではない。

 設備の側が彼女の接触へ反応して開いている。

 背後でヴァレンの呼吸が止まった。

「ヴァレン?」

 ヴァレンはスプロケットではなく、中央中継設備を見ていた。

「どうしたの?」

「分かりません」

 答えが遅れた。

「あなた以外の何かが……同じ場所へ触れたように、感じました」

「誰?」

「分かりません」

「設備の反応?」

「設備より……近いです」

 ヴァレンは胸元へ手を置いた。

「でも、あなたの中とも違います」

 正面扉へ次の衝撃が加わった。

「話はあと!」

 アイリーが叫んだ。

 スプロケットは中央中継設備へ向き直った。

 理由は分からない。

 それでも、接続は開いていた。

 今は使うしかなかった。


TASK_03|盤面の外側

 正面扉が破られた。

 防爆板の破片が管制室内へ散った。

 最初のロストが隙間へ腕を入れた。

 アイリーは手首を掴み、外側へ向きを変えた。

 後ろから押してきた個体とぶつかった。

 倒さない。

 管制室の前から動かすだけだった。

 亘は次の列を前へ出した。

『……前進……』 『……捕獲……』 『……損失、許容……』

 ロストが倒れても亘は命令を変えなかった。

 ブーステッドがロストを踏み越えた。

 一体を止めれば、次の一体が出てきた。

 大きな身体が壁になった。

 長い腕が管制室内へ伸びた。

 振動を追う個体が上層のマッハラインへ顔を向けた。

 個体名は表示されなかった。

 亘にとって、それらは交換可能な機能に過ぎなかった。

「正面だけ見てたら囲まれる」

 スプロケットは中央物流センターの反応を拡大した。

 亘の支配信号だけでは、細かな位置までは把握できない。

 監視映像。

 扉の開閉記録。

 作業員の通過記録。

 床面センサー。

 施設側の情報が《MAP HACK》へ正確な位置を補っていた。

「亘は機械からも見てる」

「能力で?」

 明が尋ねた。

「能力じゃない。普通の設備」

「切れば見えなくなりますか?」

「正確には見えなくなる」

 スプロケットは三本の旧職員用回線を表示した。

 中央中継設備から統合管制室へ伸びている。

「マッハライン」

「走る?」

「三か所に遮断装置を置く」

「一度に教えて!」

「配置が変わる」

「走りながら聞く!」

「通信が切れる場所もある」

「じゃあ、切れる前に覚える!」

 スプロケットは最初の位置を送った。

「危なかったら戻って」

「誰が決める?」

 スプロケットは一瞬だけ黙った。

「マッハラインが決める」

「分かった!」

 マッハラインは上層保守口へ走った。

 床の振動を追うブーステッドが向きを変えた。

 亘の《MAP HACK》が、マッハラインの移動を捕捉している。

 スプロケットは上層の三か所へ、時間差で作業音を流した。

 右。

 左。

 現在位置より後方。

 ブーステッドが最初の音へ反応した。

 次の瞬間には、亘の命令によって別の方向へ向いた。

 頭部だけが左右へ揺れ、進行方向が定まらなかった。

「音と命令がぶつかってる」

 クロニアスが反応を追った。

「命令更新まで十二秒」

「一定?」

「今のところは」

 スプロケットは明を見た。

「音の違い、分かる?」

「マッハラインの足音と、流した音ですか?」

「うん」

 明は目を閉じた。

 上層の金属床を伝う振動。

 旧警報設備から出した作業音。

 ブーステッドが壁へ触れる音。

 複数の音を聞き分けた。

「本物は右です」

「画面では左になってる」

「亘が古い位置を見ています」

 スプロケットは音の発生地点をずらした。

 ブーステッドは誰もいない左側へ向かった。

『一個目、置いた!』

【SEVERANCE DEVICE:1/3】

 上層の設備記録が途切れた。

 亘の画面から一区画が消えた。

≪返してください≫

 亘が端末へ顔を近づけた。

「機械の映像」

≪僕が見ています≫

「あなたの目じゃない」

≪同じです≫

 亘は次の命令を送った。

『……上層を塞げ……』 『……走る者を捕らえろ……』

 作業員だったリピーターが手動レバーへ向かった。

 防火扉を閉じる。

 マッハラインの前後を塞ごうとしていた。

 しかし、亘が見ている位置は数秒前のものだった。

 マッハラインは閉じ始めた扉を滑り抜け、別の階段へ移った。

「次は下層!」

 スプロケットが位置を送った。

『すぐに行く!』

 正面ではアイリーがブーステッドの腕を横へ外した。

 拳が壁へ突き刺さった。

 別の個体がアイリーの横を通り抜けようとした。

 ヴァレンがクロニアスの椅子を後方へ引いた。

「右から来ます」

 明が言った。

 ヴァレンはクロニアスを支えたまま右へ移った。

 長い腕が、直前まで椅子のあった場所を掴んだ。

「見えていたのか?」

 クロニアスが明へ尋ねた。

「音がしました」

「私には聞こえなかった」

「床からです」

 明は近くの工具を反対側の壁へ投げた。

 金属音が響いた。

 長い腕を持つブーステッドが音へ顔を向けた。

 ヴァレンはその間にクロニアスを移動させた。

「使えます」

 明が言った。

「能力を使わなくても」

 亘はブーステッドが誤った方向へ向いたことに気づいた。

『……音を無視しろ……』 『……白い髪を探せ……』

 ブーステッドが再びスプロケットへ向いた。

 命令へ従わせるため、亘は別の個体へ送っていた命令を弱めた。

 正面の圧力が僅かに落ちた。

「一つずつなら強い」

 クロニアスが言った。

「同時に増やすほど、ほかが薄くなる」

「まだ残してるものがある」

 スプロケットは西部搬送区画の巨大な反応を見た。

 動いていない。

 命令容量だけが確保されていた。

 ほかの手駒を失っても、その接続負荷だけは減らされていない。

「切り札のために空けてる」

 亘は返答しなかった。

『二個目、置いたよ!』

【SEVERANCE DEVICE:2/3】

 下層の設備情報が消えた。

 亘の《MAP HACK》へ返る情報が減った。

 暗い通路。

 壊れた照明。

 大きな音。

 誰かの恐怖。

 支配個体の断片的な感覚。

 亘は統合管制室で頭を押さえた。

≪うるさい≫

 敬語が消えかけていた。

「今まで聞いてなかったの?」

 スプロケットが尋ねた。

≪命令だけでいい≫

「その人たちの反応も残ってる」

≪いらない≫

「消えてない」

≪黙らせろ≫

「ぼくに言ってる?」

 亘が画面へ顔を近づけた。

≪君ならできます≫

「何を?」

≪整理できます≫

 市民たちの感覚。

 残った記憶。

 反復。

 本能。

 命令への抵抗。

 それらを一つの経路へ押し込めば、支配網は安定する。

≪僕と一緒にやればいい≫

「ぼくは帰る」

≪この街を残して?≫

「全部は助けられない」

≪僕なら動かせます≫

「動かしてるだけ」

≪止まっているよりいい≫

「その人が選んでない」

 亘の表情が歪んだ。

≪選べない人に選ばせる意味はありません≫

「あなたが決める意味もない」

 マッハラインが最後の位置へ向かっていた。

 その先は統合管制室に近い。

 亘にも、遮断装置を置かれれば正確な位置補正を失うことが分かっていた。

 接続されていたロストとリピーターが、一斉に最後の経路へ集まった。

 ブーステッドも向きを変えた。

「多い!」

 マッハラインの声が届いた。

「戻る?」

「まだ行ける!」

 スプロケットは西部搬送区画の巨大反応を見た。

 接続負荷が上昇している。

「待って、マッハライン」

「何?」

「戻って」

「まだ置いてない!」

「今は戻って!」

 スプロケットの声に、マッハラインはすぐ反応した。

 走る方向を変えた。

 直後、中央物流センター全体の床が揺れた。

 西部搬送区画の隔壁が内側から膨らんだ。

 その揺れとは別に画面端の上空監視欄で別の登録反応が点滅した。

【BOSS-03:《AFTERBURNER》】
【CLAIM STATUS:INCOMPLETE】
【COMMAND RESPONSE:LOST】

 亘は上空の個体へ接続しようとしていた。

 反応は返らなかった。

 地上の中継網から離れた個体は、亘の命令圏外へ移っている。

 残されたアウェイクンドは二体。

 《DEAD ZONE》は遮蔽区画へ隔離された。

 もう一体だけが、完全な命令を受け取れる状態にあった。

【《OVERLORD SYSTEM》:COLLAPSING】
【AVAILABLE COMMAND LOAD:REALLOCATING】
【PRIMARY SUBJECT:《JUGGERNAUT》】

「動かす」

 スプロケットが言った。

 クロニアスが画面を見た。

「通常の命令系統を捨てている」

 亘の神経反応が急激に上昇した。

 ロストやリピーターへの遠方接続が切られていく。

 ブーステッドへの個別命令も減っていく。

 支配出力の大部分が、一つの反応へ集まった。

 亘は、開いたままにしていた安全制限解除画面を呼び戻した。

【SAFETY LIMIT:RELEASE PENDING】
【FINAL CONFIRMATION:YES/NO】

 赤い警告は消えていなかった。

 《DEAD ZONE》は封じられた。

 《AFTERBURNER》との接続も失った。

 通常の盤面では、もう止められない。

 亘は今度こそ迷わなかった。

 YESへ触れた。

【COMMAND CHANNEL LIMIT:RELEASED】
【SAFETY RESTRICTION:DISABLED】
【MODE:《GOD MODE》】
【STATUS:INITIALIZING】

『……起きろ……』 『……僕の身体になれ……』

 西部搬送区画の隔壁が内側から破裂した。


TASK_04|切り札

 中央中継管制室の全画面が赤く染まった。

【MODE:《GOD MODE》】
【STATUS:ACTIVE】
【PRIMARY SUBJECT:《JUGGERNAUT》】
【COMMAND DELAY:REDUCED】
【NEURAL LOAD:RISING】

 画面の向こうで亘は二体のロストに身体を支えられていた。

 頭は下を向いている。

 両腕だけが端末の上へ置かれていた。

 遠方接続の大半を切った代わりに《JUGGERNAUT》との接続だけが太くなっていた。

 西部搬送区画から巨大な影が現れた。

 頭部は両肩の間へ沈み込んでいる。

 分厚い胸部。

 前方へ偏った巨体。

 作業服と安全帯の残骸。

 硬質化した額。

 一歩ごとに床が沈んだ。

 前方のロストが逃げ遅れた。

 亘は避ける命令を出さなかった。

 《JUGGERNAUT》はロストを押し退け、そのまま進んだ。

≪必要な損失です≫

 亘が言った。

「自分の手駒なのに」

≪役割は果たしました≫

 《JUGGERNAUT》が中央通路へ入った。

『……中央中継管制室へ……』 『……スプロケットを捕らえろ……』 『……ほかは排除しろ……』

「来る」

 クロニアスが信号を見た。

「更新間隔は?」

 スプロケットが尋ねた。

「六秒」

「さっきより速い」

「出力を一体へ集中している」

 最初の隔壁が閉じた。

 亘の命令を受けたリピーターが手動レバーを下げていた。

 《JUGGERNAUT》は止まらなかった。

 腕を前へ出し、隔壁を枠ごと押し潰した。

 速度もほとんど落ちなかった。

「誘導する」

 マッハラインが前へ出た。

「さっきのブーステッドみたいに?」

「同じにはならない」

 スプロケットは《JUGGERNAUT》へ送られる信号を見た。

「亘が途中で変える」

「それでも俺の方が速い!」

「真っ直ぐ追ってこない」

 マッハラインが通路を横切った。

 《JUGGERNAUT》の頭部が向いた。

『……高速個体を無視……』 『……白い髪を追え……』

 巨体はマッハラインを追わなかった。

 壁へ肩をぶつけ、そのまま最短距離で管制室へ進んだ。

 曲がり角を使わない。

 障害物を回避しない。

 亘が新しい進路を送り続けていた。

「見切られてる!」

 マッハラインが叫んだ。

「マッハラインじゃなくて、亘が見てる」

 スプロケットは管制室の正面へ搬送台を移そうとした。

 電源は落ちている。

 機械は動かせなかった。

「手動解除が必要」

「どこですか?」

 明が尋ねた。

「右側の固定具」

 明は固定具へ向かった。

 ヴァレンがその前へ出た。

「私が開けます」

「硬いです」

「明は力を残してください」

 ヴァレンが両手で手動レバーを引いた。

 動かない。

 明も手を添えた。

 二人で引いた。

 固定具が外れ、搬送台が僅かに傾いた。

「クロニアス」

 スプロケットが呼んだ。

「次の更新まで三秒」

「短くなってる」

「一定ではない」

 《JUGGERNAUT》が管制室前へ到達した。

 アイリーが正面へ立った。

「止める?」

「止めない。左へずらして」

「どれぐらい?」

「少しでいい」

 《JUGGERNAUT》が前傾姿勢を取った。

『……正面……』 『……突破……』

「今!」

 アイリーは両腕を巨体の右肩へ当てた。

 《ソウルドライブ》の金色の光が広がった。

 正面から受け止めない。

 力の方向だけを左へ流した。

 アイリーの足が床を滑った。

 肩が軋んだ。

 それでも、巨体の進路が僅かにずれた。

 《JUGGERNAUT》は傾いた搬送台へ右脚を乗せた。

 身体が左へ流れた。

 管制室中央を外れ、側面の保守区画へ突っ込んだ。

 壁が崩れた。

 上部の搬送レールが落下した。

 巨大な身体が金属材の下へ埋まった。

「止まった?」

 明が尋ねた。

 瓦礫の下から腕が出た。

 一本の搬送レールを掴んだ。

 曲げた。

 上半身を起こした。

≪止まりません≫

 亘の声が流れた。

 敬語に戻っていた。

 しかし、呼吸は乱れている。

≪それは僕が動かしています≫

「あなたの身体じゃない」

≪同じです≫

 《JUGGERNAUT》が瓦礫を押し退けた。

 先ほど誘導に使った搬送台を踏み潰した。

 一度使った経路はもう使えない。

「同じ方法は無理」

 スプロケットが言った。

「次はどうする?」

 アイリーが右肩を押さえた。

「まだ分からない」

 亘は管制室へ残っていたブーステッドを前へ出した。

 《JUGGERNAUT》を止めるためではない。

 アイリーとマッハラインの移動先を塞ぐためだった。

 大型の個体が通路へ横たわった。

 別の個体が明へ長い腕を伸ばした。

 亘はブーステッドを守ろうとしなかった。

 《JUGGERNAUT》の進路へ入れば、そのまま押し潰させた。

「使い捨ててる」

 明が後退した。

「見てるのは《JUGGERNAUT》だけ」

 ヴァレンが明を引いた。

 巨大な腕が二人の横を通過した。

 クロニアスは命令周期を追っていた。

「更新間隔が短くなっている」

「何秒?」

「五秒。三秒。次は八秒」

「ばらばら」

「亘の処理が崩れている」

「利用できる?」

「規則がない」

 《JUGGERNAUT》が再び前傾姿勢を取った。

 今度はアイリーを狙っていない。

 中央中継設備。

 帰還座標を送っている装置そのものを標的にしていた。

『……中継設備を壊せ……』 『……スプロケットは残せ……』

「設備を壊す気だ!」

 スプロケットが接続具を握った。

「でも、ぼくは壊すなって命令してる」

 《JUGGERNAUT》は管制室へ向かう。

 スプロケットが設備の前にいる。

 二つの命令が重なっていた。

 設備を破壊する。

 スプロケットは傷つけない。

 巨体の歩幅が一瞬だけ狭くなった。

「迷ってる」

 明が言った。

「本人じゃない」

 クロニアスが信号を見た。

「命令が衝突している」

 その一瞬を使い、マッハラインが《JUGGERNAUT》の背後へ回った。

 最後の遮断装置を持っている。

「今なら行ける!」

「待って!」

 スプロケットが叫んだ。

 亘が新しい命令を送った。

『……衝突を無視……』 『……中継設備を壊せ……』 『……スプロケットを回収しろ……』

 《JUGGERNAUT》の迷いが消えた。

 設備ごとスプロケットを掴もうとしていた。

 巨大な手が伸びた。

 ヴァレンがスプロケットの身体へ飛びついた。

 二人が床へ倒れた。

 手が頭上を通過した。

 中央中継設備の外装が剥がれた。

【MOORING TRANSMISSION:INTERRUPTED】
【RETURN COORDINATE:67%】

「止まった」

 スプロケットは床から画面を見た。

「送信が?」

 ヴァレンが尋ねた。

「設備が壊れた」

「直せますか?」

 スプロケットは破損箇所へ手を伸ばした。

 通常の経路は切断されている。

 別の回線へ切り替える必要があった。

 しかし、構造図には使用可能な経路が表示されていない。

 《JUGGERNAUT》が身体の向きを変えた。

 次の命令が来る。

 スプロケットは接続を深くした。

 未知の表示が開いた。

【LEGACY CONTACT:RESPONDING】
【SOURCE ROUTE:UNREGISTERED】
【LEGACY PRE-RESPONSE:DETECTED】

 画面上に《JUGGERNAUT》へ送られる次の進路が表示された。

 まだ亘は命令していない。

「右へ来る」

「何が?」

 アイリーが尋ねた。

「次の命令」

 クロニアスが画面を見た。

「まだ信号は発生していない」

「でも来る」

『……右側から回れ……』

 亘の命令が届いた。

 《JUGGERNAUT》が右へ向いた。

 クロニアスはスプロケットを見た。

「なぜ分かった」

「分からない」

「現在の信号からは予測できない」

「ぼくが見た」

「君の能力だけで?」

 スプロケットは答えられなかった。

 自分が操作している感覚はあった。

 同時に自分より大きな何かが、接続の向こう側から経路を押さえている。

 命令しているのではない。

 代わりに戦っているわけでもない。

 まだ見えていない位置へ先に指を置いている。

 ヴァレンが胸元を押さえた。

「また……います」

「誰が?」

「分かりません」

 ヴァレンはスプロケットの手を見た。

「あなたの手の上へ、別の手が重なったように……感じました」

 スプロケットの中へ短い感覚が流れた。

 暗い部屋。

 冷たい接続具。

 大きな手。

 顔は見えない。

 声もない。

 ただ、接続を開く手順だけが残されていた。

 《JUGGERNAUT》が右側の壁を破壊した。

 次の突進へ入る。

「考えるのはあと」

 スプロケットは立ち上がった。

「今は使う」


TASK_05|知らない手

 スプロケットは中央中継設備の破損した回線へ触れた。

 通常経路の下に登録されていない接続層が開いていた。

【LEGACY CONTACT:ACTIVE】
【SOURCE ROUTE:UNREGISTERED】
【REFERENCE DATA:INCOMPLETE】
【ACCESS ROUTE:AVAILABLE】

 誰が残した経路なのかは表示されない。

 しかし、その層は亘の支配網より古い位置にあった。

 《WORLD WIDE WILL》が市民へ届く前。

 亘が命令へ優先順位を与える前。

 対象へ自分の意思を上書きする《CLAIM》の入口。

「ここから切れる」

 スプロケットが言った。

「亘の能力を?」

 明が尋ねた。

「全部じゃない」

 スプロケットは《JUGGERNAUT》へ伸びる太い接続を見た。

「まず、あれとの間」

「切れば止まるのか」

 クロニアスが尋ねた。

「分からない」

「止まらない可能性は」

「ある」

 《JUGGERNAUT》自身の衝動は残る。

 亘の命令が消えても、危険なアウェイクンドであることは変わらない。

 支配から戻るだけだった。

「それでも切る?」

 アイリーが尋ねた。

「命令され続けるよりいい」

 亘の支配網から声が直接届いた。

 スピーカーからではない。

 接続の内側で亘の意思が言葉の形を取っていた。

『切らせない』

 スプロケットは接続を維持した。

『君なら分かるでしょう』

「何を」

『一人では動かせない』

「動かさなくていい」

『止まります』

「止まっていい」

『壊れます』

「あなたが決めることじゃない」

『誰かが決めなければならない』

「だから、あなたが決めるの?」

『僕にはできます』

「できることと、していいことは違う」

 亘の反応が強くなった。

 《JUGGERNAUT》へ流れる命令が重なった。

『……スプロケットを捕らえろ……』 『……接続を切らせるな……』 『……障害物を破壊しろ……』

 巨体が管制室へ向かってきた。

「クロニアス」

「次の方向は正面」

「何秒?」

「四秒」

 スプロケットの画面へ別の表示が出た。

【LEGACY PRE-RESPONSE:DETECTED】
【PREDICTED VECTOR:LEFT】
【CORRECTION WINDOW:2.4 SEC】

「違う。途中で左へ変わる」

「現在の信号にはない」

「分かってる」

 クロニアスは表示と亘の神経反応を比較した。

「2.4秒後」

 亘の命令が届いた。

『……左へ修正……』

 《JUGGERNAUT》が左へ進路を変えた。

「本当に来た」

 明が画面を見た。

「次も見える?」

 アイリーが尋ねた。

「ずっとは無理」

 表示は揺れていた。

 接続の向こうにいる何かも、すべてを教えているわけではない。

 一度だけ。

 次の命令だけ。

 開くべき場所を示している。

「マッハライン」

「最後の装置?」

「置いて」

「《JUGGERNAUT》がいる!」

「次の進路はぼくが見る」

「外したら?」

「戻って」

「分かった!」

 マッハラインが統合管制室へ続く職員通路へ走った。

 亘が反応した。

『……高速個体を追え……』

 《JUGGERNAUT》の頭部がマッハラインへ向いた。

 スプロケットの画面へ予測が出た。

【PREDICTED VECTOR:DIRECT】
【CORRECTION WINDOW:1.8 SEC】

「追う。でも、1.8秒後にぼくへ戻す」

 クロニアスが命令周期を数えた。

「三秒」

 マッハラインが《JUGGERNAUT》の前を横切った。

 巨体が追う。

「二秒」

「アイリー!」

 スプロケットが叫んだ。

 アイリーは横から《JUGGERNAUT》の肩へ両腕を当てた。

 金色の光が一気に広がった。

 止めない。

 追う方向を僅かに外すだけだった。

「一秒!」

 クロニアスが告げた。

 亘が進路を修正した。

『……スプロケットへ戻れ……』

 《JUGGERNAUT》が身体を戻そうとした。

 しかし、アイリーが与えた横向きの力が残っている。

 巨体の足が床面の搬送溝へ入った。

 進路が一瞬だけ固定された。

「明!」

 スプロケットは天井の貨物保持枠を固定している薄い金属製ロックピンを指した。

「ここを壊して!」

 明はロックピンへ手を伸ばした。

 多色の光が薄い金属内部へ広がった。

「下に誰かいますか?」

「いない!」

 ヴァレンが周囲を確認した。

「マッハラインも抜けました!」

「今です」

 クロニアスが告げた。

 明が指を閉じた。

 ロックピンが内側から破裂した。

 固定を失った大型の貨物保持枠が落下した。

 《JUGGERNAUT》の身体を押し潰さない。

 巨体とスプロケットの間へ厚い金属枠が立った。

 《JUGGERNAUT》は回避しなかった。

 正面から衝突した。

 保持枠が曲がった。

 それでも、進行が二秒だけ止まった。

 明の身体が揺れた。

 ヴァレンが肩を支えた。

「座って……ください」

「まだ見えます」

「座っても……見えます」

 ヴァレンは明を床へ座らせた。

「クロニアスも」

「私は座っている」

「もっと、奥へ」

 ヴァレンはクロニアスの椅子を後方へ引いた。

 《JUGGERNAUT》が保持枠を押し始めた。

 金属が曲がる。

 1秒。

 3秒。

 長くは持たない。

「マッハライン!」

『もう少し!』

 最後の通信分配盤まで距離がある。

 亘は《JUGGERNAUT》をマッハラインへ戻そうとした。

 スプロケットの画面へ次の予測が現れた。

【PREDICTION SOURCE:UNRESOLVED】
【CLAIM PHASE:EXPOSED】
【SEPARATION WINDOW:0.7 SEC】

「今なら切れる」

「何を?」

 アイリーが尋ねた。

「亘と《JUGGERNAUT》の間」

 スプロケットは《CLAIM》の入口へ触れた。

 亘の意思が押し返してきた。

『やめろ』

 敬語は完全に消えていた。

『それは僕の身体だ』

「違う」

『僕が動かしている』

「だから違う」

 スプロケットは接続を開いた。

 亘より深い位置へ空白が残されていた。

【OVERRIDE ACCESS:AVAILABLE】
【COMMAND AUTHORITY:UNRESOLVED】

 一つの命令を送れた。

(亘を止めろ)

 それだけで終わる。

 ロストは亘の身体を離す。

 ブーステッドは統合管制室へ向かう。

 《JUGGERNAUT》を亘へ突進させることもできる。

 亘の軍勢で亘を拘束できる。

『どうして使わない』

「使わない」

『君なら僕より上手く使える』

「この人たちは、ぼくのものでもない」

『負ける』

「ゲームじゃない」

『誰かが決めなければ、全員が別の方向へ行く』

「行っていい」

『壊れる』

「それでも、あなたのものじゃない」

『君のものにすればいい』

 スプロケットは逆命令を消した。

 亘の命令を別の命令へ置き換えない。

 《JUGGERNAUT》へ伸びる《CLAIM》だけを探した。

「クロニアス」

「あと0.4秒」

 予測表示と現在の信号が重なった。

「今だ」

 スプロケットは接続を切った。

【PRIMARY SUBJECT:《JUGGERNAUT》】
【CLAIM CONNECTION:INTERRUPTED】

 《JUGGERNAUT》の身体が止まった。

 保持枠を押していた腕から亘の意図が消えた。

 巨体は静止したまま、頭部を僅かに動かした。

 誰を追うべきか分からない。

 スプロケット。

 マッハライン。

 中央中継設備。

 どれも標的ではなくなった。

 次の瞬間、近くで破損した搬送機が大きな音を立てた。

 《JUGGERNAUT》がそちらへ顔を向けた。

 自分の衝動へ戻っている。

「動く!」

 アイリーが叫んだ。

「命令じゃない!」

 《JUGGERNAUT》は保持枠を押し倒した。

 最も大きな振動を出している搬送機へ突進した。

 壁を破壊した。

 その先には統合管制室へ続く最後の物理回線があった。

 通信分配盤の外装が露出した。

『見つけた!』

 マッハラインが叫んだ。

 最後の遮断装置を分配盤へ貼りつけた。

【SEVERANCE DEVICE:3/3】

 亘は《JUGGERNAUT》へ再接続しようとした。

【CLAIM REQUEST:REJECTED】
【PRIMARY SUBJECT:UNSTABLE】

『……戻れ……』

 《JUGGERNAUT》は亘の声へ反応しなかった。

『……僕の命令を聞け……』

 巨大な身体は壊れた搬送機をさらに奥へ押し込んでいた。

 亘が持っていた最後の身体は亘のものではなくなった。

 しかし、《WORLD WIDE WILL》の中心はまだ残っている。

 ロスト。

 リピーター。

 ブーステッド。

 中央物流センター内に残された接続。

 亘はすべてを使い、スプロケットを止めようとした。

『……追え……』 『……封鎖しろ……』 『……捕らえろ……』 『……右へ行け……』 『……左へ行け……』 『……止まれ……』 『……進め……』

 命令が互いに衝突した。

「スプロケット!」

 アイリーの声が届いた。

「名前」

 スプロケットは接続の中で答えようとした。

 亘の反応が重なった。

『GAME MASTER』

「違う」

「名前」

「カイラ・ノラ・キーガン」

「もう一つ」

「スプロケット」

「場所」

「中央物流センター。中央中継管制室」

「一人?」

「違う」

 クロニアスが命令周期を見ている。

 アイリーが正面を守っている。

 マッハラインが最後の装置を置いた。

 明をヴァレンが支えている。

「みんないる」

「戻って」

「まだ」

 スプロケットは亘の感情から距離を取った。

 知らない手が、接続の奥で経路を押さえていた。

 その手は命令しない。

 何を選ぶかまでは決めていない。

 開く場所だけを残している。

 選ぶのはスプロケットだった。

「切る」


TASK_06|一人に戻す

 スプロケットは三つの遮断装置を同時に起動した。

【PHYSICAL RELAY:INTERRUPTED】
【FACILITY TRACKING:LOST】
【《MAP HACK》:DEGRADED】

 亘の画面から、中央物流センター内の正確な位置情報が消えた。

 能力による接続は残っている。

 しかし、どの個体がどこにいるのか確認できない。

≪見えない≫

 亘が端末を叩いた。

≪戻せ≫

 返事はなかった。

≪僕の命令を聞け≫

 変異市民には《WORLD WIDE WILL》を通じた命令が届いていた。

 位置が分からないまま。

『……追え……』 『……封鎖しろ……』 『……捕らえろ……』

 近くにいる別の市民へ向かった。

 白い髪を探した。

 クロニアスを探した。

 マッハラインを探した。

 誰が対象なのか判断できない。

≪違う≫

 亘が叫んだ。

≪そちらではない≫

 さらに命令を追加した。

『……右へ行け……』 『……左へ行け……』 『……止まれ……』 『……進め……』

 接続の残る区画で反応が乱れた。

「今です」

 クロニアスがスプロケットへ告げた。

 命令同士の間に短い空白が生まれている。

 亘が次の指示を確定できない時間。

 スプロケットは支配網の中心へ触れた。

 逆命令は送らない。

 亘の神経反応。

 市民側の反応。

 重なっていても、同じではない。

 一人目。

 二人目。

 中継の残る全区画。

 亘の命令だけを剝がし、送信元を分離していく。

【COMMAND SOURCE:SEPARATING】

『やめろ』

 亘の声が接続の中で響いた。

『僕がいなくなる』

「いなくならない」

『全部、僕だ』

「違う」

『僕が動かしている』

「だから切る」

『止まる』

「その人たち自身に戻る」

『戻るものなんてない』

「残ってる」

『見えない』

「見えないことと、ないことは違う」

 亘の支配網から、強い反発が返った。

 頭痛。

 吐き気。

 複数の身体の感覚。

 誰かの恐怖。

 誰かの怒り。

 終わらない反復。

 亘が長い間、命令の下へ押し込めていたものが一度に流れ込んだ。

 スプロケットの指が震えた。

 ヴァレンが背後から肩を支えた。

「ここに……います」

 明が床へ座ったまま、画面を見た。

「送信元が細くなっています」

「あとどれぐらい?」

 アイリーが尋ねた。

 クロニアスが信号を数えた。

「三秒」

 《JUGGERNAUT》が破壊した壁の向こうから戻ってきた。

 亘の命令ではない。

 最も大きな振動を追っている。

 中央中継設備の警告音へ向かっていた。

「こっちへ来る!」

 マッハラインが叫んだ。

 アイリーが前へ出た。

 肩はすでに赤く腫れている。

 それでも、両腕へ金色の光を集めた。

「二秒」

 クロニアスが告げた。

 《JUGGERNAUT》が突進した。

 アイリーは正面から止めなかった。

 左肩へ力を当て、進路を僅かに外した。

 巨体が中央中継設備の横を通過した。

 衝撃で画面が割れた。

 スプロケットは接続を離さなかった。

「1秒」

 知らない手が接続の奥で最後の経路を押さえた。

 スプロケットはそこへ自分の指を重ねた。

 開けたのは自分ではない。

 切ると決めたのは自分だった。

 接続を閉じた。

【COMMAND SOURCE:DISCONNECTED】
【《WORLD WIDE WILL》:COLLAPSING】
【LOCAL COMMAND LINKS:0】

 亘の反応が支配網から引き抜かれた。

 スプロケットの身体が後ろへ倒れた。

 ヴァレンが受け止めた。

 アイリーもすぐに駆け寄った。

「スプロケット」

「いる」

 それだけ答えた。

 中央物流センター内の動きが変わった。

 ロストはそれぞれ別の方向へ歩いた。

 リピーターは生前の反復へ戻った。

 作業員だった者は終了しない勤務処理を何度も入力した。

 ブーステッドは近くの音へ反応し、壁や搬送台を押し始めた。

 統一された標的は消えていた。

 《JUGGERNAUT》も立ち止まった。

 頭部を動かした。

 亘の命令を探しているわけではない。

 大きな警告音へ反応し、外部搬送区画の暗闇へ向かった。

 隔壁へ一度衝突した。

 二度目で破壊した。

 巨大な身体は、そのまま搬送坑道の奥へ消えていった。

 倒されてはいない。

 従ってもいない。

 最初から亘の身体ではなかった。

 統合管制室の映像が残っていた。

 亘は床へ崩れている。

 支えていたロストたちは、手を離していた。

 一体は壁際を往復している。

 もう一体は空になった端末へ手を伸ばし、存在しない操作を繰り返していた。

「戻れ」

 亘の声は命令にならなかった。

「支えろ」

 誰も近づかなかった。

 中央中継設備が音を鳴らした。

【CURRENT SUBJECT:CHRONIAS】
【LOCATION:CONFIRMED】
【TRANSMISSION:87%】

「あと13パーセント」

 スプロケットはヴァレンの腕から離れ、床へ座った。

 帰還座標の送信は復旧していた。

 未知の旧回線が破損した通常経路を迂回している。

 誰が残したのかは分からない。

 送信が完了すると、その経路は表示から消えた。

【TRANSMISSION:COMPLETE】
【REFERENCE POSITION:TRANSMITTED】

 数秒後、外部から応答が返った。

【EXTERNAL RESPONSE:RECEIVED】
【NEXT REFERENCE POINT:ACQUIRED】

「帰れる?」

 アイリーが尋ねた。

「まだ」

「まだ?」

「次の基準点が返ってきた」

「どこ?」

 スプロケットは地図を開いた。

 中央物流センター北側。

 旧外部搬送口。

 現在地から約1.3キロ。

「そこまで行けば帰れる?」

「分からない。でも、今より外との位置を合わせやすくなる」

「また歩くんですか?」

 明が壁へ背中を預けた。

「ヴォルトをここへ直接呼べないのか」

 クロニアスが尋ねた。

「地下の妨害が残ってる」

 《DEAD ZONE》は遮蔽区画の中で妨害波を出し続けている。

 亘の命令は切れた。

 しかし、その能力自体は止まっていない。

「外部搬送口まで行く必要がある」

「走ればすぐ!」

 マッハラインが言った。

「クロニアスと明は走れない」

「運ぶ!」

「明は嫌がる」

「もう一回なら我慢します」

 明が自分で答えた。

「気持ち悪くなりますけど」

「ゆっくり走る!」

「ゆっくりなら、走る意味がありますか?」

「普通より速い!」

 管制室の照明が消えた。

 一度。

 すぐに非常灯が点灯した。

≪中央物流制御の異常停止を確認≫

≪非常封鎖を開始します≫

 中央中継設備の画面が切り替わった。

【EMERGENCY LOCKDOWN:ACTIVE】
【EXTERNAL ROUTE:SEALED】

 北側搬送口までの経路が赤く閉じていった。

 防火扉。

 職員用隔壁。

 自動搬送区画。

 一般経路が順番に遮断されている。

「止めて」

 スプロケットは設備へ再接続した。

【ACCESS DENIED】
【EMERGENCY AUTHORITY:FACILITY STAFF ONLY】

「先ほどの認証は?」

 クロニアスが尋ねた。

「接続だけ。非常封鎖には使えない」

「物流公社の職員認証が必要ということか」

「亘です」

 明が言った。

「ここで働いていたんですよね」

 スプロケットは統合管制室の映像を見た。

 亘は床へ座り込んでいる。

 壁へ背中を預け、自分の手を見ていた。

 神経線は薄くなっている。

 目の同心円も消えかけていた。

 誰も彼を支えていない。

「行く」

 スプロケットは立ち上がった。

 足元が揺れた。

 アイリーが腕を掴んだ。

「歩ける?」

「歩く」

「無理じゃない?」

「無理でも行く」

「じゃあ、掴んでる」

 六人は統合管制室へ向かった。

 支配を失った市民を避けながら進んだ。

 マッハラインが先に経路を確認した。

 アイリーがスプロケットの近くを歩いた。

 ヴァレンがクロニアスの肩を支えた。

 明は壁へ手をつきながら続いた。

 統合管制室の扉は開いていた。

 亘は床にいた。

 画面で見た装飾は崩れている。

 拾い集めた金属片。

 物流センターの標識。

 古いゲーム用のバッジ。

 それらが作業服から外れ、床へ散らばっていた。

「僕がいなければ」

 亘が顔を上げた。

「街は動かない」

「動いてる」

 スプロケットが答えた。

「壊れてるだけだ」

「あなたが動かしてた時も壊れてた」

「僕が整理してた」

「人を並べてただけ」

「止まっているよりいい」

「あなたのために動くよりいい」

 亘はスプロケットの後ろを見た。

 アイリー。

 明。

 クロニアス。

 マッハライン。

 ヴァレン。

 最後に、スプロケットへ視線を戻した。

「僕を殺す?」

「殺さない」

「捕まえる?」

「ぼくたちは帰る」

 亘の表情から怒りが一瞬消えた。

「僕を置いて?」

「最初から、あなたを取りに来たんじゃない」

「僕はGAME MASTERだ」

「もう命令は届かない」

「またつなげる」

「今はできない」

「できる」

 亘は立ち上がろうとした。

 右手を床へついた。

 腕が震えた。

 身体は持ち上がらなかった。

「僕がいないと――」

「亘」

 クロニアスが呼んだ。

「渡辺亘」

「その名前で呼ぶな」

「それが現在の君だ」

「違う」

「では、ほかに何が残っている」

 亘は答えなかった。

 管理室の外から、非常封鎖の音が続いていた。

 スプロケットは亘へ近づいた。

「北側の外部搬送口へ行きたい」

「閉じた」

「施設が閉じた」

「同じだ」

「開け方を知ってる?」

 亘は視線を逸らした。

「能力では開かない」

「分かってる」

「自動化以前の手動搬送路がある」

 スプロケットは亘の首元を見た。

 古い社員証が残っていた。

【トーキョー・シティ生活物流公社】
【中央物流センター】
【例外処理担当 渡辺亘】

「ここで働いてたから知ってる?」

「十五年」

 亘の声が小さくなった。

「例外処理をしていた」

「案内できる?」

「なぜ」

「帰るから」

「僕を置いていくため?」

「来るか、残るかは自分で決めて」

「連れていかない?」

「来るなら、一緒に帰る道を探す」

 亘は床へ置いた自分の手を見た。

「歩けない」

「支える方法を考える」

「クロニアスもいる」

「優先するのはクロニアス」

 スプロケットは否定しなかった。

「でも、あなたの意思までは取らない」

 亘は社員証を握った。

「案内したら、僕は何になる?」

 スプロケットはすぐに答えなかった。

「渡辺亘」

 亘は顔を上げた。

 スプロケットは北側搬送口の地図を示した。

「案内して」

「命令?」

 スプロケットは首を振った。

「お願い」

 亘は初めて、すぐには答えなかった。

 中央物流センターを動かしていた神は消えていた。

 床に残ったのは、帰り道を知っている一人の元職員だった。


TRACE_07|REMAINS

 全方向へ広がっていた命令反応が、一つの位置へ収束した。

【DISTRIBUTED RESPONSE:TERMINATED】
【CONNECTED SUBJECTS:0】
【BIOLOGICAL SUBJECTS:REMAINING】

 命令を失った反応が、それぞれ別の方向へ動いている。

 歩く。

 止まる。

 同じ動作を繰り返す。

 近くの刺激へ身体を向ける。

 統一された目的は残っていなかった。

『支配は消えた』

『自由になった』

『選択できていない』

『命令されていない』

『それを自由と呼ぶのか』

『少なくとも、他者の意思では動いていない』

【COMMAND PRIORITY:ABSENT】
【INDIVIDUAL PATTERN:RESTORED】

『元へ戻った』

『元が壊れている』

『壊れていても本人の反応だ』

『正しい行動へ導くべきだった』

『誰にとって正しい』

『本人が判断できなくても』

『だから代わりに決めるのか』

 返答はなかった。

 観測範囲の外縁では、巨大な反応が移動していた。

【AWAKENED SUBJECT:ACTIVE】
【CLAIM CONNECTION:LOST】
【COMMAND TARGET:ABSENT】
【INSTINCTIVE RESPONSE:REMAINING】

 隔壁へ衝突する。

 大きな音へ身体を向ける。

 誰かを捕らえる目的はない。

 それでも危険性は消えていなかった。

『止まっていない』

『従っていない』

『自由になったのか』

『刺激へ反応しているだけだ』

『それでも、他者の目的ではない』

『支配を外しても安全にはならない』

『安全にするためなら命令してよいのか』

『それでは前と同じだ』

 巨大な反応は搬送坑道の奥へ消えた。

【EXTERNAL CONTROL:ABSENT】
【SUBJECT STATUS:UNRESOLVED】

 観測領域の中央には、一人分の弱い反応が残っていた。

 以前は全方向へ広がっていた命令源。

 現在は、自分の身体すら動かせていない。

【NETWORK IDENTITY:LOST】
【PERSONAL IDENTITY:UNSTABLE】
【COMMAND OUTPUT:NONE】

『ゲーム・マスターは消えた』

『身体は残っている』

『名前もある』

『能力を失っただけだ』

『支配していた反応も本人なのか』

『それも、この個体が選んだ』

『選択が誤っていても』

『誤りを消せば、別のものになる』

 床に残った反応は、古い識別証を握っていた。

 職員として働いた記憶。

 誰にも注目されなかった処理。

 能力を得た後の満足。

 支配を失った現在。

 どれも消えていない。

【NEW DECISION:PENDING】

『まだ判断している』

『一人へ戻った』

『元の状態へ戻ったわけではない』

『支配欲も残っている』

『誤りを理解した反応も確認できない』

『それでも、次を選ぶ一人には戻った』

 白い反応は、命令源の思考を変えていなかった。

 罪悪感も与えていない。

 正しい人格へ置き換えてもいない。

 他者へ広がっていた接続だけを切り離していた。

【THOUGHT MODIFICATION:NONE】
【BEHAVIORAL CORRECTION:NONE】
【CONTROL CAPABILITY:ISOLATED】

『解放しただけだ』

『何から』

『他者へ広がる状態から』

『本人の望みではない』

『他者の望みでもなかった』

『どちらを優先した』

『境界を戻した』

『境界は誰が決めた』

『一つの身体だ』

『他者の身体まで本人とは呼べない』

 白い反応へ、別の接触が重なっていた。

 現在の設備へ登録されていない経路。

 命令網より古い接続層。

 命令が発生する前に、進む経路だけを示していた反応。

【LEGACY CONTACT:UNRESOLVED】
【INTERVENTION SOURCE:UNIDENTIFIED】
【COMMAND OUTPUT:NONE】
【ROUTE DISCLOSURE:CONFIRMED】

『助けた』

『誘導した』

『命令していない』

『結果へ近づけた』

『拒否する余地は残っていた』

『見せられた経路しか選べなかった可能性もある』

『目的は不明だ』

 接触は白い反応の身体を動かしていない。

 操作を代行してもいない。

 逆命令を使うか。

 命令源の手駒を奪うか。

 接続だけを切るか。

 最後の判断は、白い反応へ残されていた。

【OVERRIDE OPTION:REJECTED】
【REVERSE COMMAND:NONE】
【FINAL DECISION SOURCE:WHITE SUBJECT】

『白い反応が選んだ』

『選べる状態を作ったのは別の接触だ』

『それも干渉ではないのか』

『支配とは違う』

『どこが違う』

『結果を固定していない』

『選択を残した』

『選んでいると思わせただけかもしれない』

『断定できない』

 接触元を検索する。

【SOURCE ID:NOT FOUND】
【ACTIVE CONNECTION:LOST】

 名前も目的も残っていなかった。

 確認できるのは、一時的に経路が開かれたという事実だけだった。

 白い反応の近くには、複数の反応が残っている。

 現在位置を数える。

 前方を守る。

 経路を走る。

 音を聞く。

 身体を支える。

 どれも白い反応の命令では動いていなかった。

【GROUP CONTROL:NONE】
【MUTUAL SUPPORT:CONFIRMED】
【REFUSAL CAPABILITY:REMAINING】

『命令がなくても動いている』

『目的が一致している』

『完全には一致していない』

『それでも同行している』

『支配ではないのか』

『拒否できる』

『拒否しても切り離されない』

『一つではないまま進んでいる』

 観測は、自らの反応へ戻った。

 異なる判断が残っている。

 一つへ絞れば、迷いは消える。

 同時に、選ばれなかった反応も消える。

【PRIMARY RESPONSE:UNSELECTED】
【REDUCTION OPTION:AVAILABLE】

『余分な反応を切れば安定する』

『何を余分と呼ぶ』

『現在の行動に不要なもの』

『不要なら消してよいのか』

『残せば判断が乱れる』

『乱れない判断だけを本人と呼ぶのか』

『一つに決めなければ動けない』

『現在も動いている』

『誰が動かしている』

 答えはなかった。

 白い反応へ触れた接触も、答えを与えていない。

 経路だけを開き、選択を残した。

『同じようにするのか』

『一つの結論を選ばない』

『選ばないことも判断だ』

『不安定さは残る』

『不安定でも反応は続く』

『どちらが正しい』

『まだ判断できない』

【REDUCTION:SUSPENDED】
【RESPONSE SEPARATION:NONE】

 観測経路は、白い反応と同じ方向へ進んでいた。

 命令は成立していない。

 完全な合意もない。

 それでも、どの反応も切り離されていなかった。

【CONTROL:REMOVED】
【INDIVIDUAL RESPONSE:REMAINS】
【PRIMARY RESPONSE:UNSELECTED】

『解放されたのか』

『まだ分からない』

『何が残った』

 治ってはいない。

 正しくなってもいない。

 危険も、誤りも、迷いも消えていない。

 それでも、別の意思によって上書きされてはいなかった。

『消されなかったもの』

【STATUS:REMAINS】

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