第三衛星ドームの旧搬入口で停止していた端末が反応した時、オリヴィア・オコネルは別区画の回収記録を閉じようとしていた。
右手に置いたカップへ触れる。
まだ温かい。
ちょうどいい温度だった。
オリヴィアは一口だけ飲んでから画面を切り替えた。

【LEGACY NODE:RESPONSE DETECTED】
【AREA:THIRD SATELLITE DOME/OLD INTAKE】
【CURRENT NETWORK:OFFLINE】
【ENTRY RECORD:NONE】
十二日前から現在の都市管理網とは切り離されている設備だった。
世界政府の復旧対象にもまだ入っていない。
それが一度だけ起きている。
「今度は何かしら」
独り言としては少し楽しそうだった。
本人はそう認識していない。
反応履歴を開く。
【LOCAL POWER:INTERMITTENT】
【SURVEILLANCE COVERAGE:LOW】
【BIOLOGICAL RESPONSES:2/PROBABLE】
【IDENTITY:UNRESOLVED】
二人。
映像はない。
正規ゲートの通過記録もない。
現在の都市管理網からは侵入経路を追えなかった。
共有回線が開く。
『その端末まだ生きてたのか』
セッターだった。
「端末はね」
『繋いでみる?』
「嫌です」
『即答』
「あなたが触った設備は、後で別の意味で監査項目が増えるので」
『ちゃんと良くして返してる』
「そこが一番困るの」
『理不尽だなあ』
『セッター』
リッジの声が重なる。
『触るな』
『また二対一』
「投票ではありません」
『知ってる』
ネクス・ハウンズは第三衛星ドームから離れた区画で回収対象を搬送していた。

【NEX HOUNDS:ACTIVE】
【CURRENT OPERATION:REMNANT TRANSFER】
【OPERATION STATUS:CONTINUE】
『こっちの工程は変わるか』
リッジが聞く。
「変更は勧告しません」
『了解』
『じゃあ見に行かない』
セッターが言う。
「珍しく聞き分けがいいですね」
『遠いから』
「評価を戻します」
『今の記録した』
プロットだった。
『消して』
『残す』
『搬送を続ける』
リッジの一言で会話が止まった。
オリヴィアは小さく息を吐いた。
口元がわずかに動いたことには気づかなかった。
◇
旧搬入口から二度目の反応が返る。
【LEGACY TERMINAL:ACTIVE】
【ACCESS REQUEST:DETECTED】
【CURRENT AUTHORIZATION:NONE】
通常なら拒否される。
今回は端末が完全には閉じなかった。
【LEGACY A.R.K. RESPONSE:DETECTED】
【AUTHORIZATION:PARTIAL MATCH】
【ACCESS RESULT:ACCEPTED/LIMITED】
オリヴィアはカップを置いた。
「照合」
【IDENTITY CORRELATION:SEARCHING】
最初に一致した項目を見て眉がわずかに上がる。
【AFFILIATION MATCH:SUPERIORS】
「スペリオルズ?」
個人名より先にそこが引っかかった。
十二日前のトーキョー・シティ事件で名前が残っている組織だった。
正確には残されたのではない。
事件そのものが、その名前へまとめられている。
オリヴィアは構成員記録まで照合範囲を広げた。
【REGISTRY MATCH:FOUND】
【SUBJECT CODE:SPROCKET】
【AFFILIATION:SUPERIORS】
【MATCH CONFIDENCE:HIGH】
「スプロケット」
声にしても記憶はすぐには戻らなかった。
覚えていないことを気にする必要もない。
必要なら記録を見ればいい。
それが記録の用途だった。
オリヴィアは直近のトーキョー・シティ関連資料だけを抽出した。
【PREVIOUS TOKYO CITY PRESENCE:CONFIRMED】
【DATE:TRIGGER DAY】
【OFFICIAL INCIDENT CATEGORY:SUPERIORS LOCAL ATTACK】
【DETAILED RECORD:RESTRICTED/FRAGMENTARY】
オリヴィアは最後の二行を見比べた。
「ずいぶん綺麗に閉じてある」
批判ではなかった。
自分も同じ種類の処理を何度も行っている。
綺麗に閉じられた記録は、綺麗に閉じる必要があった記録でもある。
権限を一段上げる。
公式報告の下へ残された断片が開いた。
【CONTACT SUBJECT:HINA】
【POST-CONTACT STATUS:UNCONSCIOUS】
【VITAL STATUS:CRITICAL/TEMPORARY】
【RECOVERY:CONFIRMED】
【CAUSE:UNRESOLVED】
オリヴィアは少しだけ姿勢を変えた。
陽名という存在についても断片的な記録が残っている。
十二日前の事件で複数の人物と接触していた。
スプロケットもその一人。
接触後に意識を失い、生命反応も大きく低下している。
それでも生還した。
そこから先は記録が急に薄くなる。
オリヴィアは追加検索を止めた。
追えばもう少し出てくるかもしれない。
しかし、今必要なのは十二日前の真相ではない。
画面の端に現在の反応を戻す。
【SUBJECT:SPROCKET】
【CURRENT LOCATION:UNRESOLVED】
【ENTRY PURPOSE:UNRESOLVED】
【HOSTILE ACTION:NONE】
十二日前にここで死にかけた。
そして十二日後に戻ってきた。
「物好きね」
先ほどより明らかに個人的な感想だった。
オリヴィアはカップへ手を伸ばした。
少し冷めている。
一口飲んでから温度表示を確認する。
設定を二度上げた。
◇
トーキョー・シティの残存資産一覧を開く。
復旧用記録。
停止設備。
未回収のレムナント候補。
破損した都市インフラ。
世界政府にとって必要なものは残っている。
しかし、スペリオルズが再び世界政府へ捕捉される危険を冒してまで取りに来るものは見当たらなかった。
「私たちが欲しいものはある」
一覧を流す。
「あなたが欲しいものは?」
当然答えはない。
オリヴィアは表示を止めた。
理由が記録にない。
それが気になった。
スプロケットが理解できないからではない。
自分の側に答えがないことの方が珍しかった。
同行者の照合結果が表示される。
【SECOND SUBJECT:UNRESOLVED】
【REGISTRY MATCH:NONE】
【NEX REACTION:PROBABLE】
【ASSOCIATION WITH SPROCKET:CONFIRMED】
こちらには何もない。
「あなたはもっと分からない」
短いタグを入力する。
【AUDIT TAG:ENTRY-02】
【IDENTITY:UNRESOLVED】
【HOSTILE ACTION:NONE】
正体不明の同行者。
スペリオルズのスプロケット。
二人とも敵対行動は確認されていない。

現地回線が開く。
『確認した』
リッジだった。
『スペリオルズか』
「一人は」
『スプロケット』
「ええ」
『もう一人は』
「名前なし」
『拘束案件に上げるか』
「上げません」
リッジはすぐには返さなかった。
『意外だな』
「何が?」
『そっちなら先に身柄を押さえると思った』
「必要なら後でもできます」
『逃げたら?』
「その時はあなたたちが捕まえるでしょう」
『簡単に言う』
「できないの?」
『できる』
「なら問題ありません」
少しだけ沈黙が続いた。
『気になるのか』
オリヴィアは画面を見る。
「監査上?」
『好きな方で答えろ』
「便利な質問ね」
『答えは』
「今捕まえたら、ここへ戻った理由が分からなくなる」
『それだけか』
オリヴィアは数秒考えた。
「それで十分です」
『そういうことにしておく』
「余計な解釈は報告書に入れないで」
『俺は書かない』
『私は書く』
プロットが割り込む。
「あなたには聞いていません」
『聞こえた』
「消してください」
『検討する』
「消さない人の返事ですね」
『正解』
オリヴィアは回線を切らなかった。
先にリッジが戻す。
『こっちは予定通り搬送を続ける』
「お願いします」
『何かあれば正式系統へ流せ』
「分かっています」
『知ってる』
通信が閉じた。
最後の一言だけ少し余計だった。
オリヴィアはそう判断した。
なぜ余計だと思ったのかまでは考えなかった。
◇
旧A.R.K.系統から次の反応が届く。
【LEGACY NODE:02/ACTIVE】
【AUTHORIZATION:PARTIAL MATCH】
【SUBJECT CORRELATION:SPROCKET/HIGH】
少し遅れて別の端末も動く。
【LEGACY NODE:03/ACTIVE】
【CURRENT NETWORK:OFFLINE】
【ACCESS DURATION:3.8 SEC】
現在の都市地図では二つの地点が繋がらない。
旧管理図へ切り替える。
廃止された搬入口。
統合されなかった保守通路。
現在の復旧計画から外れた設備。
経路候補はいくつもある。
オリヴィアは自動補完を停止した。
【ROUTE PREDICTION:SUSPENDED】
【CURRENT LOCATION:UNRESOLVED】
点と点を結べば、それらしい道は作れる。
それらしいだけなら作る意味はない。
最後の端末が反応した。
【LEGACY NODE:04/ACTIVE】
【AUTHORIZATION:PARTIAL MATCH】
そこで途切れる。
【SUBJECT:SPROCKET】
【ENTRY-02:UNRESOLVED】
【CURRENT LOCATION:UNRESOLVED】
【SURVEILLANCE COVERAGE:NONE】
姿は一度も見えていない。
残ったのは通過した設備の反応だけだった。
担当者から問い合わせが入る。
『追加監視を申請しますか?』
「しません」
『このまま位置を失います』
「もう失っています」
『では追跡部隊を?』
「必要ありません」
『スペリオルズです』
「知っています」
『十二日前の事件にも関係しています』
「それも今知りました」
担当者が返答に詰まった。
オリヴィアは少し声を柔らかくした。
「捕まえることは目的ではありません」
『はい』
「何をしに戻ったのか確認する方が先です」
『泳がせるということですか?』
オリヴィアはその表現を少し考えた。
「そうしましょう」
『その表現で記録しますか?』
「それはやめて」
『了解しました』
通信が切れた。
オリヴィアはスプロケットの監査欄を開く。
【SUBJECT:SPROCKET】
【AFFILIATION:SUPERIORS】
【ENTRY PURPOSE:UNRESOLVED】
【LEGACY A.R.K. RESPONSE:REPEATED】
【HOSTILE ACTION:NONE】
【DETENTION REQUEST:NONE】
【ACTIVE PURSUIT:NONE】
拘束はしない。
回収対象にも加えない。
ネクス・ハウンズも向けない。
本人が残した反応だけを保存する。
【PASSIVE LOGGING:ACTIVE】
【ADDITIONAL DEPLOYMENT:NONE】
【INTERVENTION:NONE】
【AUDIT STATUS:OPEN】
ここまで危険を冒して戻ってきた。
その理由が何もないなら、それはそれで面白い。
オリヴィアはそこで思考を止めた。
「面白い?」
自分で口にしてから少しだけ眉を寄せた。
監査対象に使う言葉ではない。
表示を閉じようとして指を止める。
数秒後、閉じる操作だけを取り消した。
理由欄には何も入力しない。
代わりにカップを持ち上げた。
今度は好みの温度へ戻っていた。
オリヴィアは満足そうに一口飲んだ。

画面には四つの端末反応が残っている。
本人の姿はない。
目的もない。
答えもない。
ただ通り過ぎた痕跡だけが残っていた。
オリヴィアはその記録を開いたまま、別の仕事へ戻った。


コメント