『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』感想・考察

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▼思考ログ
Contents
  1. 禁じ手を最高の形で使い、トム・ホランド版を本当のスパイダーマンへ導いた完結編
  2. 再びピーターの失敗から始まる物語
  3. ドクター・ストレンジにも責任がある
  4. 能力ではなく、ストレンジの格を下げた
  5. 過去のストレンジとの落差
  6. 無意識のピーターから箱を奪えない
  7. ミラー・ディメンションでの敗北
  8. 三人のピーターを出すための強制退場
  9. 過去のヴィランを呼び戻した衝撃
  10. グリーン・ゴブリンの圧倒的な狂気
  11. ノーマン・オズボーンの背景は薄くなった
  12. オットーが味方になる意味
  13. ほかのヴィランとの格差
  14. 完全なシニスター・シックスにする必要はなかった
  15. 登場しなかったヴィラン
  16. トム版一人では対処できない
  17. トビー版ピーターは経験を積んだ大人
  18. アンドリュー版ピーターの救済
  19. MJを救った場面
  20. 三人は同じピーターの異なる段階
  21. メイおばさんを死なせた大きな決断
  22. ベンおじさんの役割を後から与えた
  23. ゴブリンを殺そうとするピーター
  24. 最後にすべてを失う
  25. MJとネッドに真実を伝えない決断
  26. 自作スーツでの再出発
  27. マルチバースを使ってマルチバースから離れた
  28. ストリートレベルへの回帰
  29. 『ブランド・ニュー・デイ』の下地として機能した三部作
  30. 簡単に元へ戻してはいけない
  31. 禁じ手は何度も使うべきではない
  32. 三部作で最も完成度が高い
  33. まとめ
  1. 禁じ手を最高の形で使い、トム・ホランド版を本当のスパイダーマンへ導いた完結編
  2. 再びピーターの失敗から始まる物語
  3. ドクター・ストレンジにも責任がある
  4. 能力ではなく、ストレンジの格を下げた
  5. 過去のストレンジとの落差
  6. 無意識のピーターから箱を奪えない
  7. ミラー・ディメンションでの敗北
  8. 三人のピーターを出すための強制退場
  9. 過去のヴィランを呼び戻した衝撃
  10. グリーン・ゴブリンの圧倒的な狂気
  11. ノーマン・オズボーンの背景は薄くなった
  12. オットーが味方になる意味
  13. ほかのヴィランとの格差
  14. 完全なシニスター・シックスにする必要はなかった
  15. 登場しなかったヴィラン
  16. トム版一人では対処できない
  17. トビー版ピーターは経験を積んだ大人
  18. アンドリュー版ピーターの救済
  19. MJを救った場面
  20. 三人は同じピーターの異なる段階
  21. メイおばさんを死なせた大きな決断
  22. ベンおじさんの役割を後から与えた
  23. ゴブリンを殺そうとするピーター
  24. 最後にすべてを失う
  25. MJとネッドに真実を伝えない決断
  26. 自作スーツでの再出発
  27. マルチバースを使ってマルチバースから離れた
  28. ストリートレベルへの回帰
  29. 『ブランド・ニュー・デイ』の下地として機能した三部作
  30. 簡単に元へ戻してはいけない
  31. 禁じ手は何度も使うべきではない
  32. 三部作で最も完成度が高い
  33. まとめ

禁じ手を最高の形で使い、トム・ホランド版を本当のスパイダーマンへ導いた完結編

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、トム・ホランド版三部作の中で、個人的に最も完成度が高い作品である。

次点が『ホームカミング』であり、そこから大きく離れて『ファー・フロム・ホーム』がある。

本作にも問題点はある。

特にドクター・ストレンジの扱いには強い不満が残った。マルチバースを発生させるために軽率な失敗をさせられ、ピーターに出し抜かれ、物語の中盤から強制的に退場させられている。

それでも、歴代スパイダーマンと過去のヴィランを再登場させるという禁じ手を、単なるファンサービスで終わらせなかった点は大きい。

トビー・マグワイア版とアンドリュー・ガーフィールド版のピーターを、それぞれ年齢と経験を重ねた人物として描き、トム版ピーターの悲劇と成長へ結びつけた。

そして最後には、トニー・スタークの支援、アベンジャーズとの関係、メイおばさん、ネッド、MJ、ピーター・パーカーとしての社会的な存在まで失わせた。

あまりにも残酷な結末である。

しかし、その喪失を経たことで、トム・ホランド版はようやく誰かに与えられたヒーローではなく、自分の意思で戦うスパイダーマンとしてスタート地点に立った。

再びピーターの失敗から始まる物語

前作でミステリオに正体を暴露されたピーターは、世間から追い詰められる。

本人だけでなく、メイ、MJ、ネッドの生活や進学にも影響が出る。

そこでピーターはドクター・ストレンジを頼り、世界中の人々からスパイダーマンの正体に関する記憶を消してもらおうとする。

魔法に頼ろうとしたこと自体は理解できる。

正体は映像によって世界中へ拡散されており、ピーター一人の力で解決できる問題ではなかった。

しかし、呪文の途中でピーターは条件を次々に追加する。

MJには覚えていてほしい。

ネッドにも忘れてほしくない。

メイやハッピーとの関係も残したい。

その結果、呪文が暴走し、別世界からスパイダーマンの正体を知る者たちが呼び寄せられる。

『ホームカミング』では、トニーに認められたい焦りから事件を拡大させた。

『ファー・フロム・ホーム』では、ブラッドが撮った写真を消すためにイーディスを使い、同級生を殺しかけた。

そして本作では、個人的な問題を魔法で解決しようとして、マルチバースにまで影響を与える。

トム版ピーターは三作品を通じて、強大で便利な力を借り、その扱いを誤って問題を大きくする構造を繰り返している。

ドクター・ストレンジにも責任がある

ただし、今回の失敗をピーターだけの責任にすることはできない。

ドクター・ストレンジは、世界中の人間の記憶を操作するほど危険な魔法を、十分な確認もせずに始めている。

誰の記憶を残したいのか。

途中で条件を変更できるのか。

失敗した場合、何が起きるのか。

ピーターが大学へ事情を説明するなど、通常の方法を試したのか。

そうした事前確認をしないまま呪文を始め、途中でピーターが口を挟んだことに怒っている。

ピーターは未熟な高校生である。

だからこそ、大人であり、最高位の魔術師だったストレンジが制御すべきだった。

呪文の失敗は、ピーターのおしゃべりだけでなく、ストレンジの軽率さから起きたと言える。

能力ではなく、ストレンジの格を下げた

キャラクターを扱ううえで問題になるのは、戦闘力や能力が下がることではない。

敗北しても、判断力、覚悟、経験、存在感が保たれていれば、キャラクターの格は落ちない。

逆に、能力がどれだけ強くても、軽率な判断や間抜けな失敗を繰り返せば格は下がる。

『ノー・ウェイ・ホーム』は、ドクター・ストレンジの能力を弱くしていない。

魂を肉体から分離する。

ミラー・ディメンションを操る。

空間を変形させる。

世界規模の記憶を書き換える。

崩壊する世界の境界を一時的に抑える。

魔術師としての能力は依然として最高位に近い。

しかし、その能力を使う本人の判断力と危機管理能力を下げてしまった。

これは非常に印象が悪い。

過去のストレンジとの落差

ストレンジは、かつて自分より圧倒的に上位の存在であるドルマムゥと対峙した。

正面から勝つことができないと判断すると、タイム・ストーンによる無限ループへ引き込み、相手が交渉へ応じるまで何度でも死を繰り返した。

サノスとの戦いでも、魔術を駆使して善戦し、膨大な未来を観測したうえで、最終的な勝利へつながる道を選んでいる。

ストレンジの強みは、単純な魔力の大きさではない。

格上の相手に対しても、知識、準備、発想によって勝利条件を作ることだった。

その人物が、ピーターの相談を深く考えずに魔法で処理し、失敗する。

とても同じ人物とは思えないほど軽率に見えた。

無意識のピーターから箱を奪えない

個人的に特にがっかりしたのは、ストレンジがピーターの魂を肉体から分離した場面である。

ピーターの意識は肉体から離れている。

それでもスパイダーセンスによって肉体が自動的に反応し、ストレンジがマッキナ・ディ・カダヴァスを奪おうとしても避け続ける。

ピーターのスパイダーセンスを視覚的に表現する場面としては面白い。

コミカルな場面としても成立している。

しかし、ドクター・ストレンジが意識のない高校生の肉体から箱一つ奪えない姿は、どうしても間抜けに見えてしまう。

ピーターの能力を高く見せるために、ストレンジの格を下げている。

一度避けられた後、別の魔法で即座に対応すればよかった。

何度も翻弄されたことで、笑いの対象になってしまった。

ミラー・ディメンションでの敗北

さらにストレンジは、自分が圧倒的に有利なはずのミラー・ディメンションでピーターに敗れる。

ピーターが空間の幾何学的な構造を見抜き、蜘蛛の糸を使ってストレンジを拘束する発想自体は良い。

科学的な思考で魔術へ対抗する、ピーターらしい勝ち方でもある。

しかし、ストレンジはマッキナ・ディ・カダヴァスだけでなく、スリングリングまで奪われ、長時間ミラー・ディメンションへ閉じ込められる。

ピーターが一瞬の隙を作って逃げる程度なら、両者の格を保てた。

完全に出し抜いて退場させたことで、ストレンジは自分の得意な領域でも高校生に敗れる人物になった。

三人のピーターを出すための強制退場

脚本上、ストレンジは途中で退場させる必要があった。

彼が残っていれば、別世界のヴィランを魔法で拘束し、隔離できる。

ピーターが彼らを治療するか、そのまま元の世界へ返すかという選択も、ストレンジが主導してしまう。

そして何より、三人のスパイダーマンが協力する必要性が弱くなる。

そのため本作では、

ストレンジがマルチバースを開く。

ヴィランを元の世界へ返す装置を作る。

ピーターと意見を対立させる。

ミラー・ディメンションへ閉じ込められる。

最後に戻り、記憶消去の魔法を使う。

という役割を与えられた。

最初と最後には必要だが、三人のピーターを描く中盤では邪魔になる。

その結果、強すぎるストレンジを自然に制限するのではなく、判断力を下げ、間抜けな敗北を与えて物語から外している。

『ノー・ウェイ・ホーム』は、三人のスパイダーマンを輝かせる代わりに、ドクター・ストレンジを便利な道具として使った作品でもある。

過去のヴィランを呼び戻した衝撃

問題はあるが、別世界から過去のヴィランが現れる展開は強烈だった。

グリーン・ゴブリン。

ドクター・オクトパス。

サンドマン。

リザード。

エレクトロ。

単なる似た設定の別人ではなく、過去作で演じた俳優たちが再び同じ役を演じたことで、本当に世界同士がつながったという実感が生まれた。

特にグリーン・ゴブリンとドクター・オクトパスの存在感は圧倒的だった。

二人は過去作の時点ですでに人物像が完成している。

『ノー・ウェイ・ホーム』は、その背景やドラマを最初から説明する必要がない。

観客は彼らが現れただけで、それまでの人生、悲劇、葛藤を思い出すことができる。

グリーン・ゴブリンの圧倒的な狂気

ウィレム・デフォー演じるグリーン・ゴブリンは、MCUの中へ入っても一切薄まらなかった。

むしろ、過去作から来た悪役だからこそ、近年のMCUヴィランより容赦がないように見える。

仮面を壊し、生身の顔を出したことで、デフォー本人の表情と狂気がさらに強調された。

トム版ピーターに何度殴られても笑い続ける。

ピーターの善意を弱さと見なし、その善意によってヴィランを救おうとした結果、メイを死なせる。

ゴブリンは単純にピーターを倒そうとしているのではない。

ピーターの善良さを否定し、怒りと復讐心によって自分と同じ場所まで引きずり落とそうとしている。

トム版ピーターに初めて本物の悪意を向けた敵だったと言える。

ノーマン・オズボーンの背景は薄くなった

ただし、本作ではグリーン・ゴブリンの狂気が前面に出た分、ノーマン・オズボーン本人のドラマは薄くなった。

元の『スパイダーマン』には、オズコープで追い詰められる経営者としての姿、息子ハリーとの関係、実験によって別人格が生まれる過程があった。

しかし本作には、彼の会社も息子も存在しない。

自分の世界とは違う場所へ放り込まれた孤独や混乱を、もっと掘り下げる余地はあった。

それでも本作は、ノーマンを中心人物として救済するより、ゴブリンをトム版ピーターの最大の敵として使うことを優先した。

悪役を担当する以上、仕方のない部分ではある。

オットーが味方になる意味

アルフレッド・モリーナ演じるドクター・オクトパスも、過去作の設定をうまく引き継いでいた。

オットーは元々、根っからの悪人ではない。

機械アームの人工知能と実験への執念に支配されていただけであり、『スパイダーマン2』の最後には理性を取り戻している。

本作でも制御チップを修復されると、すぐに無差別な悪役ではなくなる。

最終決戦では、一度ピーターたちを襲ったように見せながら、実際にはエレクトロからアーク・リアクターを奪う。

治療後のオットーが再び悪事を続けないのは、過去作の人物像と一致している。

単なる懐かしい悪役ではなく、過去作で取り戻した人間性を、本作でも行動として見せた。

味方になる展開は、意外性があるだけでなく、オットーという人物の続編としても成立していた。

ほかのヴィランとの格差

一方で、ほかのヴィランの扱いには明確な差がある。

エレクトロはデザインが変更され、以前より自信のある人物として描かれた。

アーク・リアクターで強化され、最終決戦でも強敵として存在感がある。

アンドリュー版ピーターとの短い会話もあり、過去作より改善された部分は多い。

しかし、サンドマンとリザードはほとんど戦闘用のギミックだった。

サンドマンは娘のいる世界へ帰りたいだけであり、本来ならピーターたちと全面的に戦う理由は弱い。

リザードも、アンドリュー版ピーターとの師弟関係や科学者としての人格をほとんど使われていない。

最終的には、

サンドマンは巨大な砂の怪物。

リザードは接近戦を担当する怪物。

という役割にとどまった。

三人のピーターによる共闘を盛り上げるための戦闘員以上にはなれなかった。

完全なシニスター・シックスにする必要はなかった

登場するヴィランは五人であり、擬似的なシニスター・シックスを思わせる。

しかし、完全なチームにする必要はなかったと思う。

彼らは考え方も目的もバラバラである。

ゴブリンはピーターの善意を破壊しようとする。

オットーは治療されれば悪事を続ける理由がない。

エレクトロは手に入れた力を失いたくない。

サンドマンは娘のいる世界へ戻りたい。

リザードは人間へ戻されることを拒んでいる。

全員がスパイダーマンへの復讐を目的として結束しているわけではない。

無理にシニスター・シックスを結成させれば、指導者、共通目的、作戦、メンバー間の対立まで描く必要がある。

そうなると、三人のピーターとトム版の喪失が埋もれてしまう。

本作のヴィランたちは、正式なチームではなく、共通の事情によって一時的に同じ場所へ集められた存在で十分だった。

登場しなかったヴィラン

過去シリーズから考えれば、ライミ版のヴェノムや、アメイジング版のグリーン・ゴブリンが登場しても不思議ではなかった。

しかし、出さなかった判断は妥当だったと思う。

ライミ版ヴェノムを出すと、すでに単独シリーズを持つ別のヴェノムとの関係が複雑になる。

アメイジング版のグリーン・ゴブリンを出せば、デフォー版ゴブリンと役割が重なる。

しかも、アンドリュー版ピーターにとってはグウェンを死なせた直接の相手であり、簡単な戦闘だけでは処理できない。

すでにサンドマンとリザードを十分に描けていない状態で、さらにヴィランを追加すれば人数が多すぎる。

本作が描くべき中心は、ヴィランとの対決そのものではない。

トム版ピーターの大きな喪失と再出発である。

ヴィランたちは、そのための演出の一部として配置されていた。

トム版一人では対処できない

トム版ピーター一人で、過去のヴィラン全員を相手にするのは難しい。

ドクター・オクトパスとの最初の戦いも、アイアン・スパイダーのナノテクノロジーによって機械腕を制御できたから勝てた。

グリーン・ゴブリンには、肉弾戦で押し切られている。

アーク・リアクターで強化されたエレクトロ、巨大化できるサンドマン、再生能力と怪力を持つリザードまで同時に相手にするのは現実的ではない。

過去のピーターたちも、複数の強敵を一人で倒してきたわけではない。

トビー版ピーターは、サンドマンとヴェノムの二人を相手にして追い詰められ、ハリーに助けられた。

アンドリュー版も、基本的には一対一の戦いが中心だった。

だから別世界のピーターたちが現れることは、ファンサービスであると同時に戦力上の必然性もあった。

トビー版ピーターは経験を積んだ大人

トビー・マグワイア版ピーターの再登場には、懐かしさ以上の感動があった。

彼は年齢を重ね、多くの経験を経た大人になっている。

口数は少ない。

しかし、トム版が抱える怒りも、アンドリュー版が抱える後悔も理解している。

自分も大切な人を失い、復讐心に囚われ、敵を殺しかけた経験があるからだ。

彼は若い二人へ長い説教をしない。

アンドリュー版が自分を卑下すれば否定し、トム版がゴブリンを殺そうとすれば身体を張って止める。

特にゴブリンへトドメを刺そうとするトム版を止めた場面は、トビー版の経験が最も生かされた瞬間だった。

彼はノーマンの危険性を誰よりも知っている。

それでもノーマンを守った。

正確には、ノーマンを守ったというより、トム版ピーターが復讐によって一線を越えることを防いだのである。

過去の自分と同じ過ちを繰り返させない、経験を積んだ大人として機能した。

アンドリュー版ピーターの救済

アンドリュー・ガーフィールド版ピーターは、三人の中で最も大きな救済を受けた。

彼はグウェンを救えなかった後もスパイダーマンを続けていた。

しかし、自分が以前より荒々しくなり、自分自身を見失った時期があったことを明かしている。

表面上は明るく振る舞っているが、心の中では大きな後悔を抱え続けている。

さらに、アンドリュー版は三作目が作られず、物語が未完のまま終わった。

トビー版には三部作があり、トム版にはアベンジャーズとの共闘経験がある。

その中で、自分だけが劣っているように感じる場面には、劇中のピーターだけでなく、シリーズが打ち切られたアンドリュー版の立場まで重なっている。

トビー版とトム版が彼を素晴らしいスパイダーマンだと認める場面には、メタ的な意味も感じられた。

MJを救った場面

アンドリュー版が落下するMJを救う場面は、本作でも特に感動した場面である。

彼はかつて、同じように落下するグウェンを救えなかった。

今回MJを救ったからといって、過去が変わるわけではない。

グウェンは戻らない。

それでも、かつてできなかったことを今度は成し遂げた。

MJを無事に受け止め、彼女が生きていることを確認したときの表情には、安心だけでなく、長年抱えていた後悔が少しだけ解放された感情が表れている。

これはアンドリュー版ピーターの救済である。

同時に、三作目を作れずに終わったアンドリュー・ガーフィールド本人が、もう一度スパイダーマンとして評価された瞬間にも見えた。

過去に終わらせられなかった物語を、別作品の中で少しだけ終わらせた。

その点でも非常に感動的だった。

三人は同じピーターの異なる段階

三人のピーターは、同じ人物でありながら、それぞれ違う段階にいる。

トム版は、最大の悲劇を経験したばかりの少年。

アンドリュー版は、悲劇を長く引きずっている青年。

トビー版は、悲劇を受け入れながら生き続けている大人。

この三段階が同じ場所に集まっている。

トビー版は、経験を積んだピーターがどのような人物になれるかを示す。

アンドリュー版は、喪失から立ち直れずにいる苦しさを示す。

トム版は二人の経験を受け取り、自分の悲劇を乗り越える最初の一歩を踏み出す。

過去の二人は、単なるゲストではない。

トム版が復讐によって一線を越えず、本当のスパイダーマンとして再出発するために必要な先輩たちだった。

メイおばさんを死なせた大きな決断

本作で最も大きな決断は、メイおばさんを死なせたことだと思う。

トム版では、ベンおじさんの存在や影響がほとんど描かれていない。

スパイダーマンを成立させる「大いなる力には大いなる責任が伴う」という教訓も、明確には使われてこなかった。

その役割を、本作でメイが担った。

メイは、別世界のヴィランをそのまま元の世界へ返して死なせるのではなく、治療して救うべきだとピーターへ伝える。

その善意が結果としてゴブリンの反撃を招き、自分の死につながる。

ピーターにとっては、人を救おうとした結果、大切な人を失うという最も残酷な経験になった。

ベンおじさんの役割を後から与えた

構造的に見ると、メイの死はトム版ピーターに欠けていたオリジンを後から追加したものでもある。

従来のピーターは、ベンおじさんを失ったことによって、自分の力に責任を持つようになる。

しかしトム版は、最初からヒーローとして活動し、トニーに見つけられ、MCUへ参加した。

そのため、スパイダーマンとしての根本的な責任がどこから来たのかが弱かった。

本作はメイを失わせることで、三作目にしてようやくその原点を作り直した。

感情的には非常に効果がある。

ただし、従来のスパイダーマンなら物語の始まりで経験しているはずの段階を、三部作の最後に経験したとも言える。

ゴブリンを殺そうとするピーター

メイを失ったピーターは、グリーン・ゴブリンへの復讐心に支配される。

最終決戦では、治療するためではなく、殺すために攻撃している。

これまでのトム版では見られなかったほど激しい怒りを見せ、ゴブリンのグライダーでトドメを刺そうとする。

そこを止めたのが、トビー版ピーターだった。

トビー版は、ノーマンによって自分の人生を大きく変えられた。

それでも、トム版にノーマンを殺させなかった。

メイが命を懸けて伝えた「救う」という選択を、復讐によって否定させなかった。

この場面によって、過去シリーズとの共演がトム版の成長へ直接つながった。

最後にすべてを失う

最終的にピーターは、崩壊する世界の境界を修復するため、自分自身の存在を全員の記憶から消すことを選ぶ。

MJもネッドも、ピーターを忘れる。

ハッピーも、ピーターとの関係を失う。

メイはすでに亡くなっている。

トニーもいない。

アベンジャーズとのつながりも失われる。

ピーター・パーカーという人間は、社会からほぼ完全に消える。

それまでのトム版は、歴代スパイダーマンの中でも特に周囲に恵まれていた。

高性能スーツがある。

トニーという支援者がいる。

ハッピーやアベンジャーズとの関係がある。

ネッドは正体を知る親友。

MJも理解者。

メイも活動を受け入れていた。

そのすべてを、一作品で奪った。

明るい青春コメディーとして始まったシリーズとしては、あまりにも残酷な結末である。

MJとネッドに真実を伝えない決断

ピーターは最後にMJとネッドのもとを訪れる。

自分が誰なのかを説明し、関係を取り戻すこともできた。

しかし、二人が自分のいない生活を送り、MJの傷を目にしたことで、言葉を飲み込む。

自分の孤独を解消するより、二人を危険から遠ざけることを選んだ。

これは、以前のトム版ピーターには難しかった決断だと思う。

これまでは自分の焦りや希望を優先し、強大な技術や魔法で問題を解決しようとしていた。

しかし最後には、自分が苦しむことを受け入れ、他人の平穏を優先した。

ここまで追い込まれても折れなかったことで、個人的なトム版への評価も変わった。

それまでは他力本願で頼りない印象が強かった。

しかし、すべてを失った後もスパイダーマンをやめなかった。

だから今後の彼を応援したいと思えるようになった。

自作スーツでの再出発

最後のピーターは、一人暮らしを始め、自分で縫った新しいスーツを着て、ニューヨークの街へ飛び出す。

三部作の完結場面でありながら、従来のスパイダーマン映画なら物語の序盤に置かれるような姿である。

トニーに認めてもらうためではない。

アベンジャーズへ入るためでもない。

MJやネッドに格好いい姿を見せるためでもない。

誰も自分を知らず、誰からも称賛されない。

それでも、人々を守るために戦う。

ここでようやくトム・ホランド版ピーターは、誰かに与えられた少年ではなく、自分の意思でスパイダーマンを続ける人物になった。

マルチバースを使ってマルチバースから離れた

皮肉なのは、本作がマルチバースを最大限に使いながら、最後にはスパイダーマンをマルチバースの中心から遠ざけたことだ。

歴代スパイダーマンと過去ヴィランを集める。

トム版ピーターを成長させる。

最後に全員を元の世界へ戻し、トム版だけを孤独な状態へ残す。

MCU全体はその後もマルチバース・サーガへ進んでいく。

しかし、トム版スパイダーマンについては、宇宙や時空規模の物語から比較的早く抜けられる状態になった。

完全にMCUから切り離されたわけではない。

それでも、物語の重心をニューヨークの地上へ戻すことができた。

ストリートレベルへの回帰

次の物語でパニッシャーやハルクのようなキャラクターが登場したとしても、重要なのは戦闘力ではなく物語の規模である。

世界の消滅やインカージョンを防ぐのではなく、

ニューヨークの犯罪。

ピーターの生活。

市民との関係。

犯罪者を救うか倒すか。

正体を隠して生きる苦しさ。

そうした問題を中心にすれば、スパイダーマン本来の世界へ戻ることができる。

パニッシャーは、殺さずに救おうとするピーターとの対比に向いている。

ハルクも、世界規模の危機ではなく、ニューヨークで起きる事件の中で扱えば、ストリートレベルの物語に組み込める。

重要なのは、別の大物ヒーローにピーターの物語を奪わせないことである。

『ブランド・ニュー・デイ』の下地として機能した三部作

トム版三部作は、完成したスパイダーマンの活躍を描いたシリーズではなかった。

『ホームカミング』では、トニーに認められようとする。

『ファー・フロム・ホーム』では、トニーの遺産に振り回される。

『ノー・ウェイ・ホーム』では、過去のピーターたちに導かれながら、支援、人間関係、社会的な立場をすべて失う。

三部作を終えて、ようやく一人暮らしを始め、自作スーツを着て、孤独にニューヨークを守るピーターになった。

つまり、この三作品は、

MCUに迎え入れられた少年が、すべてを失い、一人のスパイダーマンとして立つまでを描いた長いオリジン

だったと言える。

その意味では、『ブランド・ニュー・デイ』への下地としてうまく機能している。

簡単に元へ戻してはいけない

今後、最もやってはいけないのは、『ノー・ウェイ・ホーム』で失ったものを簡単に元へ戻すことである。

MJやネッドがすぐにピーターを思い出す。

ストレンジが魔法を簡単に解除する。

以前と同じ友人関係へ戻る。

再び高性能装備を与えられる。

簡単にアベンジャーズへ合流する。

そうなれば、三部作で払った代償が無意味になる。

ピーターが再びMJやネッドと関係を築くとしても、以前と同じ形には戻らないことを描く必要がある。

失われた関係は、なかったことにはならない。

孤独な状態から新しい人生を作ることが、「ブランド・ニュー・デイ」という再出発にふさわしい。

禁じ手は何度も使うべきではない

歴代スパイダーマンを再登場させる展開は、禁じ手に近い一発ネタである。

一度だからこそ大きな効果があった。

もう二度と見ることがないと思っていたトビー版とアンドリュー版が、年齢と経験を重ねた姿で戻ってきた。

過去のヴィランも再登場し、それぞれの作品の続きを感じさせた。

しかし、何度も同じことを繰り返せば価値は下がる。

次は誰が登場するのかというサプライズだけが目的になり、現在のピーターの物語が弱くなる。

今回は条件が揃っていた。

トビー版は長い年月を経ていた。

アンドリュー版は未完のまま終わっていた。

トム版はMCU依存から抜け出す必要があった。

マルチバースという設定もすでに存在していた。

だから納得できた。

今後は再び大規模なマルチバースへ戻るのではなく、今回得た再出発を生かすべきだと思う。

三部作で最も完成度が高い

『ノー・ウェイ・ホーム』には明確な問題点がある。

ドクター・ストレンジは、物語を始め、途中で退場し、最後に解決する便利な道具として使われた。

能力は下げられていないが、判断力と格を下げられた。

ヴィランにも扱いの差があり、サンドマンとリザードは戦闘要員以上になれなかった。

マルチバースが発生するまでの流れにも強引さがある。

それでも、トム版三部作の完結編としては最適解に近かったと思う。

トビー版は経験を積んだ大人として若いピーターを導いた。

アンドリュー版は、グウェンを救えなかった後悔をMJの救出によって少しだけ乗り越えた。

トム版はメイを失い、復讐心に囚われながらも一線を越えず、最後には自分の幸福より他人の安全を選んだ。

三人の再登場を単なる懐かしさで終わらせず、それぞれの救済と成長へつなげた。

まとめ

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、歴代スパイダーマンと過去ヴィランを集めた最大級のファンサービス映画である。

しかし、それだけの作品ではない。

トビー版ピーターは、経験を積んだ大人としてトム版の過ちを止めた。

アンドリュー版ピーターは、MJを救うことで長年の後悔から少しだけ救われた。

トム版ピーターは、メイを失い、すべての人の記憶から消え、孤独になってもスパイダーマンを続ける道を選んだ。

過去の二人はトム版を引き立てるゲストではなく、彼が本当のスパイダーマンになるために必要な先輩たちだった。

本格的なシニスター・シックスを作らず、考え方の違うヴィランを擬似的な敵集団として配置したのも、本作には合っていた。

ヴィランとの対決が中心ではなく、トム版ピーターの喪失と再出発が中心だったからである。

一方で、その三人を成立させる代償として、ドクター・ストレンジの格を下げたことは大きな問題だった。

元ソーサラー・スプリームという肩書を持ちながら、軽率に呪文を使い、高校生に出し抜かれ、必要なときだけ現れる便利な存在になった。

この悪印象は、スパイダーマン映画の中だけでは終わらない。

MCUは横につながっているため、ストレンジの主演作や今後の登場にも影響する。

それでも総合すれば、本作はトム版三部作で最も完成度が高い。

禁じ手を一度だけ最大限に生かし、歴代シリーズの救済とトム版の成長を両立させた。

そして、マルチバースを使ってピーターをマルチバースから遠ざけ、宇宙や時空規模の物語からニューヨークのストリートへ戻した。

『ノー・ウェイ・ホーム』は、三人のスパイダーマンが共演する映画である。

同時に、トム・ホランド版ピーターからすべてを奪い、本当のスパイダーマンとして再出発させる映画でもある。

これまでトム版をそこまで好きではなかった。

しかし、ここまで追い込まれても折れず、自作スーツを着て孤独な街へ飛び出す姿を見て、評価は変わった。

次の物語では、誰かの後継者でも、MCUに守られた少年でもない。

ピーター・パーカー自身の選択によって動く、本来のスパイダーマン映画を見たい。

『ブランド・ニュー・デイ』がどのような作品になるかはまだ分からない。

それでも、『ノー・ウェイ・ホーム』で払った代償を無駄にせず、新たな運命へ立ち向かうピーターの再出発を応援したい。

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