- 実写版バイオハザードの失敗と、一般人主人公に必要な条件
- 実写版バイオハザードは、なぜ毎回どこかで失敗するのか
- アンダーソン版の最大の分岐点は、アリスの超人化だった
- 5作目と6作目は、広げすぎた風呂敷の限界だった
- 『ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』が許しがたい理由
- ウェスカーは実写化で最も扱いが難しいキャラ
- 新作映画が取ろうとしている方向は正しい
- 一般人主人公を映画で映えさせるには
- 主人公のバックボーンが最重要になる
- ヨーコ・スズキは実写映画に向いている
- R.P.D.でアウトブレイク組と合流する案
- ただし、これは大きな賭けである
- ザック・クレッガーの作家性は武器にもリスクにもなる
- 新作が成功する条件
- 私が考える理想の新作バイオハザード
- 結論
- 実写版バイオハザードの失敗と、一般人主人公に必要な条件
- 実写版バイオハザードは、なぜ毎回どこかで失敗するのか
- アンダーソン版の最大の分岐点は、アリスの超人化だった
- 5作目と6作目は、広げすぎた風呂敷の限界だった
- 『ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』が許しがたい理由
- ウェスカーは実写化で最も扱いが難しいキャラ
- 新作映画が取ろうとしている方向は正しい
- 一般人主人公を映画で映えさせるには
- 主人公のバックボーンが最重要になる
- ヨーコ・スズキは実写映画に向いている
- R.P.D.でアウトブレイク組と合流する案
- ただし、これは大きな賭けである
- ザック・クレッガーの作家性は武器にもリスクにもなる
- 新作が成功する条件
- 私が考える理想の新作バイオハザード
- 結論
実写版バイオハザードの失敗と、一般人主人公に必要な条件
新作映画『バイオハザード』について考えている。
現時点の公開情報では、監督はザック・クレッガー。
主人公はオースティン・エイブラムス演じる医療配達員ブライアンで、レオンやジルのような既存の有名原作キャラを中心にした物語ではなく、ゲームの世界観内で起きるオリジナルストーリーになるとされている。
公式サイトでも、ブライアンが一夜の混乱に巻き込まれる新しい物語として紹介されている。
また、報道では本作は『バイオハザード2』の時期と並行する物語であり、ザック・クレッガーはレオンやジルのようなレガシーキャラクターを無理に入れるのは不自然だと語っている。
さらに、『バイオハザード2』や『3』の世界観をベースにしつつ、トーンとしては『バイオハザード4』に近いとも報じられている。
この方向性自体は、かなり正しいと思う。
ただし、それだけで成功するとは限らない。
むしろ、かなり難しい賭けになる。
実写版バイオハザードは、なぜ毎回どこかで失敗するのか
実写版『バイオハザード』には、大きく分けて三つの流れがある。
ひとつ目は、ポール・W・S・アンダーソン版。
ミラ・ジョヴォヴィッチ演じるアリスを中心にした映画シリーズである。
ふたつ目は、Netflix版。
ゲーム本編の設定を背景にしながら、新しい家族ドラマを展開しようとしたシリーズである。
三つ目は、『バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』。
原作ゲームの『1』と『2』を実写で再構築しようとしたリブート作品である。
この中で、私がまだ評価できるのはアンダーソン版である。
もちろん問題は多い。
むしろ問題だらけだった。
しかし、少なくとも映画版としての軸はあった。
1作目は特に良かった。
原作キャラは出てこない。
クリスもジルもレオンもいない。
しかし、アンブレラ、T-ウイルス、閉鎖された研究施設、B.O.W.、AI管理、企業の隠蔽というバイオハザードの世界観はしっかり守られていた。
つまり、1作目は「原作キャラを出さないバイオハザード」として成立していた。
これは重要である。
バイオハザードは、キャラクターだけで成り立っている作品ではない。
もちろん、クリス、ジル、レオン、クレア、ウェスカーなどは魅力的である。
しかし、それと同じくらい、アンブレラ、ウイルス、研究施設、ラクーンシティ、B.O.W.、企業陰謀という世界観そのものが強い。
だからこそ、原作キャラを出さなくてもバイオハザードは成立する。
実際、ゲームにも『アウトブレイク』のように、一般市民視点でラクーンシティの惨劇を描いたスピンオフが存在する。
問題は、アンダーソン版がその後、自分たちの作りたい方向へ行きすぎたことだ。
アンダーソン版の最大の分岐点は、アリスの超人化だった
2作目までは、まだバイオハザードとして見られた。
ラクーンシティ、ジル、カルロス、ネメシスといった原作要素が入り、特にシエンナ・ギロリーが演じたジル・バレンタインは、実写版の中でも屈指の再現度だったと思う。
しかし、終盤でアリスが超能力的な力を発揮し始めた時点で、世界観は危うくなった。
特にネメシスとの素手の格闘戦は、かなり興ざめだった。
ネメシスは、本来なら人間が正面から殴り合う相手ではない。
圧倒的なパワーで人間を一撃で潰す追跡型B.O.W.である。
逃げる、罠にかける、環境を使う、火力を集中する。
そうやってどうにか対処する存在であるはずだ。
それをアリスとリング上のライバルのように殴り合わせてしまった。
この時点で、バイオハザードの恐怖はかなり壊れていた。
3作目ではさらに悪化した。
世界は一気に世紀末化し、文明社会が崩壊する。
地球環境まで壊れ、アンブレラだけが高度な施設と技術を維持している。
しかし、そこに説得力がない。
文明が崩壊しているのに、誰が研究施設を維持しているのか。
誰が薬品や機械部品を作っているのか。
電力はどこから来るのか。
食料、水、空調、通信、兵士、研究員はどうやって確保しているのか。
バイオハザードは本来、現代文明の裏側で巨大企業が暴走するから怖い。
文明社会が残っているから、アンブレラは企業として成立する。
しかし、文明そのものを滅ぼしてしまうと、アンブレラは企業ではなく地下国家のような存在になってしまう。
しかも、それに対する説明がほとんどない。
だから、3作目以降の世界観には常に違和感が残る。
4作目では、アリスの超能力が注射一本で消される。
これは、3作目の超人化が失敗だったことを作り手側が自ら認めたようなものに見える。
しかし、その後5作目ではまた注射一本で能力が戻る。
つまり、アリスの能力は設定ではなく、脚本の都合でオンオフされるスイッチになってしまった。
5作目と6作目は、広げすぎた風呂敷の限界だった
『バイオハザードV:リトリビューション』は、ファンサービスのバーゲンセールだった。
レオン、バリー、エイダ。
洗脳ジル。
ウェスカー復活。
1作目の特殊部隊のクローン。
レインの複数クローン。
ゲーム版『5』を意識した敵や演出。
素材だけ見れば豪華である。
しかし、中身が伴っていない。
レオンは原作のレオンとは別人に近い。
新人時代の青さでも、政府エージェントとしての軽さと正義感でもない。
ただの救出部隊の若い男に見える。
バリーも名前だけで、原作の重みがない。
エイダはそれっぽさはあるが、途中で脱落し、アリスの物語に吸収されて終わる。
ルーサーのような映画版の継続キャラも扱いが悪い。
さらに、レインの扱いが大きすぎる。
1作目の印象が強いキャラとはいえ、クローンとして何度も出し、終盤の強化レイン戦まで用意する。
その結果、ジル、エイダ、レオン、バリーよりも、レインの方が強く扱われているように見える。
ラストもまた問題である。
世界規模の話をしているのに、やっていることは狭い場所での格闘戦である。
3作目のネメシス戦と同じ失敗を、また繰り返している。
しかも、アクションのカット割りが細かすぎる。
誰がどこにいて、何をして、どの攻撃が効いているのかが分かりにくい。
この傾向は6作目『ザ・ファイナル』でもさらに悪化する。
『ザ・ファイナル』は、完結編というより、散らかった設定を無理やり箱に押し込んで蓋をした作品だった。
前作にいたジル、レオン、エイダは消える。
ウェスカーは完全に格落ちし、ほとんどモブキャラのような扱いになる。
クレアの再登場は良かったが、クレア・レッドフィールドである必要性は弱い。
兄クリスの話もほぼ出てこない。
ラスボスはアイザックス博士へ強引に統合される。
クローンアイザックスという設定はまだ分かる。
しかし、オリジナルのアイザックスまで最終的に殴り合うキャラになってしまうのはおかしい。
科学者ヴィランなら、直接殴るのではなく、施設、実験体、感染、データ、予測、隔離システムで主人公を追い詰めるべきである。
科学者が最後に拳で戦うと、小物感が出てしまう。
さらに象徴的なのは、ミラ・ジョヴォヴィッチとポール・W・S・アンダーソンの娘であるエヴァー・アンダーソンが、若いアリシア/レッドクイーンとして登場したことだ。
エヴァー本人に責任はない。
才能もあるかもしれない。
しかし、シリーズ全体がアリス中心に傾き、最後には監督と主演女優の家族まで物語の根幹に入ってくる。
この時点で、映画版バイオハザードは、ミラとアンダーソン夫妻の所有物になったような印象が強くなった。
それでも、私は『ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』よりはアンダーソン版を評価している。
なぜなら、アンダーソン版には良くも悪くも独自の軸があったからだ。
『ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』が許しがたい理由
『ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』は、原作回帰を期待させた作品だった。
ラクーンシティ。
R.P.D.。
洋館。
クリス、クレア、ジル、レオン、ウェスカー、バーキン。
原作1と2をまとめて実写化するような内容である。
しかし、結果はかなり厳しかった。
特に問題なのは、原作キャラの改変である。
クレアは比較的良かった。
カヤ・スコデラリオは雰囲気も近く、行動力もあり、主人公として描かれていたため、原作に近い芯が残っていた。
ここだけは救いだったと思う。
しかし、レオンはフォローできない。
人種の変更以前に、キャラクターの核が違う。
原作のレオンは新人警官で未熟ではあるが、臆病な無能ではない。
最悪の初日でも人を助けようとする勇気がある。
そこがレオンの魅力である。
映画版のレオンは、頼りなく、ビビリ寄りで、小物に見える。
これは新人らしさではなく、単なる別人化である。
ウェスカーもひどい。
原作のウェスカーは、最初から底知れない冷たさと計画性を持つ人物である。
仲間を裏切ることに苦悩するキャラではない。
仲間を駒として見ているから怖い。
しかし映画版では、迷いや情けなさが前に出すぎている。
ヘタレに近い。
あれでは後の超人ヴィランに繋がる格がない。
ジルもまた、ジルらしくない。
冷静で有能なS.T.A.R.S.隊員というより、粗暴で軽い人物に見える。
シエンナ・ギロリー版ジルという成功例があるため、余計に差が目立った。
ウィリアム・バーキンのねじ込みも強引だった。
G-ウイルス、家族、研究者としての執着、アンブレラとの関係。
本来なら一本の映画でじっくり描ける要素だが、『1』と『2』を同時に詰め込んだため、重みが足りない。
リサ・トレヴァーとクレアを友人のように結びつけた改変も違和感が強い。
リサは、アンブレラの非道な人体実験の象徴である。
孤独、実験、家族喪失、長年の改造。
その悲劇性と異様さが重要だった。
しかし映画では、クレアの過去と結びつけることで分かりやすい情緒に変換され、原作のリサが持つ不気味さが薄れた。
結局、『ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』の失敗は、原作要素を使いながら、原作の意味を変えてしまったことにある。
原作キャラを出すなら、そのキャラの核を守らなければならない。
それができないなら、最初から出さない方がいい。
ウェスカーは実写化で最も扱いが難しいキャラ
ウェスカーは、どの実写版でも扱いが難しい。
なぜなら、彼は「強いが、最初から倒すべきラスボスではない」キャラだからである。
原作のウェスカーは、段階的に格を上げていく。
最初はS.T.A.R.S.隊長。
実は裏切り者。
アンブレラと繋がっている。
ウイルスによって超人的存在になる。
クリスたちの長期的な宿敵になる。
最終的には世界規模の脅威になる。
つまり、ウェスカーは一作で使い切るキャラではない。
シリーズ全体の背骨として使うべきキャラである。
アンダーソン版では、登場するたびに格が落ちた。
4作目ではラスボス級。
5作目ではなぜかアリス側に協力。
6作目ではアイザックスの下にいるような扱い。
これでは、出るたびに小さくなる。
一方、『ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』では、最初から格がない。
ヘタレすぎて論外である。
ウェスカーを出すなら、出番を絞るべきだ。
最初は冷静な隊長として見せる。
裏切りを匂わせる。
最後に姿を消す。
直接倒さない。
本格的に超人化した姿を見せるのは、もっと後でいい。
それができないなら、ウェスカーは出さない方がいい。
映画オリジナルのアンブレラ幹部を使った方が安全である。
新作映画が取ろうとしている方向は正しい
ここまで考えると、新作映画が原作の有名キャラを中心にしない方針は、かなり正しいと思う。
バイオハザードの世界に、映画オリジナルの主人公を置く。
原作キャラの物語は壊さない。
同じ世界で別の事件を描く。
これは1作目アンダーソン版の成功点でもある。
また、ゲーム側ではイーサン・ウィンターズの物語が成功している。
『7』では妻ミアを探す物語。
『ヴィレッジ』では娘ローズを助ける物語。
一般人に近い主人公でありながら、強い動機があるから命をかけて進む理由があった。
だから、新作映画が一般人主人公を使うこと自体は悪くない。
しかし、本当の一般人をそのまま使うと、映画としてはかなり地味になる。
戦闘力のない一般人がゾンビ相手にできることは限られている。
逃げる。
隠れる。
足止めする。
偶然助かる。
誰かに助けられる。
これはゲームなら成立する。
プレイヤーが操作し、弾薬管理、探索、感染ゲージ、アイテム管理があるからである。
しかし映画では、観客は見るだけである。
ただ逃げ続けるだけでは、安っぽいゾンビ映画になりやすい。
だから、一般人主人公には補強が必要である。
一般人主人公を映画で映えさせるには
私が考える成功案はこうである。
主人公は医療配達員。
戦闘能力はない。
銃もまともに扱えない。
ただし、子どもの頃にボーイスカウト経験があり、地図読み、応急処置、ロープ、寒さ対策、簡単なサバイバル術は身についている。
これなら、完全な無力ではない。
しかし、兵士でも警官でもない。
一般人としての弱さは残る。
物語の途中で、主人公は大怪我を負って瀕死になる。
そこでアンブレラの研究員、あるいはヨーコ・スズキのような人物が、T-ウイルスと抗ウイルス剤を使って彼を奇跡的に蘇生させる。
この時点で、主人公はもう普通の人間ではない。
しかし本人は何も知らない。
ただ助かったと思っている。
以後、主人公は普通なら死ぬような傷から立ち上がる。
回復液のような薬剤で異常な回復を見せる。
噛まれてもすぐには発症しない。
重傷を負っても、なぜか動ける。
観客は少しずつ違和感を持つ。
しかし、それは最後まで明確には説明されない。
ポストクレジットで、主人公の血液がT-ウイルスと抗ウイルスに適応していることが示される程度でいい。
重要なのは、アリス化させないことだ。
主人公は強くなるのではない。
死ににくくなるだけである。
ゾンビを素手で倒すわけではない。
B.O.W.と格闘するわけでもない。
超能力を使うわけでもない。
彼はあくまで被害者であり、巻き込まれた一般人である。
ただし、もう普通の人間ではない。
このバランスなら、イーサン的な身体の秘密を取り入れつつ、アリスの失敗は避けられる。
主人公のバックボーンが最重要になる
一般人主人公で最も重要なのは、「なぜ逃げないのか」である。
イーサンは妻を助けに行く物語から始まり、娘を助ける物語で終わった。
だから、危険でも進む理由があった。
新作映画の主人公も、ただ巻き込まれただけでは弱い。
逃げればいいと思われたら終わりである。
そこで、主人公には過去の傷が必要だと思う。
例えば、主人公はかつて救急救命士を目指していた。
しかし、ある事故で判断を誤り、誰かを助けられなかった。
その後、命の現場に立つことを避け、医療配達員として働いている。
つまり、命に関わる仕事をしているが、直接命を預かる現場からは逃げている人物である。
そんな彼が、ラクーンシティの惨劇に巻き込まれる。
途中で命を救ってくれたアンブレラ研究員、あるいはヨーコから、重要なデータや薬剤を託される。
それを届けなければ、誰かが死ぬ。
あるいは、自分自身も助からない。
逃げる選択肢はある。
しかし、ここで逃げれば過去と同じになる。
だから彼は進む。
この構造なら、一般人が主人公になる理由が成立する。
ヨーコ・スズキは実写映画に向いている
ここで使うなら、『アウトブレイク』関連のキャラが面白い。
中でもヨーコ・スズキは非常に使いやすい。
ヨーコは、一般人に見えるが、アンブレラ側の闇に接続できるキャラである。
謎が多く、記憶や研究所との関係を使える。
表向きは怯えた生存者のように見せつつ、実は大きな秘密を持っている人物にできる。
主人公にT-ウイルスと抗ウイルス剤を投与する役目も担える。
最初は何も知らないように振る舞う。
しかし、薬剤名、施設の構造、端末の操作、セキュリティコードに異常なほど詳しい。
少しずつ記憶が戻っていく。
主人公は、最初はヨーコを守っているつもりでいる。
しかし実は、自分の方がヨーコに生かされていたと分かる。
この逆転は面白い。
主人公は肉体が変質していく。
ヨーコは記憶が戻っていく。
二人とも、自分が普通ではなくなっていく恐怖を抱える。
これは、単なるゾンビ映画ではなく、バイオハザードらしい人間ドラマになる。
R.P.D.でアウトブレイク組と合流する案
さらに、主人公とヨーコがR.P.D.に逃げ込んで、『アウトブレイク』の面々と合流する展開も良いと思う。
ケビン・ライマン。
アリッサ・アッシュクロフト。
ジョージ・ハミルトン。
デビッド・キング。
シンディ・レノックス。
彼らはレオンやジルほど有名ではない。
しかし、ラクーンシティに巻き込まれた一般市民・現場職として非常に使いやすい。
ケビンはR.P.D.の警官として、現場感を出せる。
アリッサは記者として、アンブレラの隠蔽や証拠を追える。
ジョージは医師として、主人公の身体の異常に気づける。
デビッドは設備や工具を使う一般人サバイバル要員にできる。
シンディは民間人側の情緒や優しさを担える。
これなら、原作キャラを出しても物語を壊さない。
レオンやジルを出すと、どうしても観客の視線はそちらに奪われる。
しかしアウトブレイク組なら、新主人公と同じ「巻き込まれた側」として並べられる。
また、この映画がうまくいけば、カプコンが『アウトブレイク』をREシリーズとして復活させる導線にもなる。
『アウトブレイク』は今ではプレイ環境が限られており、もっと気軽に遊べる形を望んでいるファンも少なくないはずだ。
映画で市民視点のラクーンシティを再提示し、ゲーム側で『アウトブレイク RE』のように復活させる。
これはかなり綺麗な展開だと思う。
ただし、これは大きな賭けである
問題は売上である。
無名に近い原作キャラや映画オリジナルキャラを使うのは、宣伝面では弱い。
レオン、ジル、クリス、クレア、ウェスカーを出した方が、数字を狙いやすい。
映画会社からも、人気キャラを出せと言われる可能性は高い。
しかし、安易に有名キャラを出すと、過去作と同じ失敗を繰り返す可能性が高い。
原作キャラを出す。
しかし、主役は映画オリジナル主人公。
すると原作キャラは脇役になる。
原作ファンは不満を持つ。
新規観客には重要性が伝わらない。
この失敗は、アンダーソン版後半でも、『ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』でも起きている。
だから、カプコンと映画会社が本気で実写版バイオを立て直したいなら、短期的な数字よりも、世界観ブランドの再構築を優先するべきだと思う。
有名キャラを出さず、まず映画オリジナル主人公で一本成立させる。
次にアウトブレイク系のキャラを絡める。
レオンやジルは、無線、書類、報道、遠景程度に留める。
本格的に出すなら、そのキャラを主役にする覚悟を持つ。
中途半端が一番危険である。
ザック・クレッガーの作家性は武器にもリスクにもなる
ザック・クレッガー監督については、『バーバリアン』を観ている。
あの作品は、ホラー映画のセオリーを逆手に取った構造が非常に面白かった。
観客が「こういう映画だろう」と思った前提を崩し、別方向へ持っていく手法が上手い。
ただし、それは原作なしのオリジナル映画だからこそ成立した。
バイオハザードで同じことをやるのは危険である。
観客はすでに、このシリーズのルールを知っている。
アンブレラ。
T-ウイルス。
B.O.W.。
感染拡大。
企業隠蔽。
研究施設。
ラクーンシティ。
このルールを外してセオリー破りをやると、意外性ではなく「別物化」に見える。
バイオハザードではなく、バイオハザードの設定を使ったサイレントヒルのようになってしまう。
クレッガー監督に必要なのは、セオリーを壊す力ではなく、壊してはいけないセオリーを見極める力である。
ミスリードは使っていい。
例えば、安全だと思った病院がアンブレラの回収拠点だった。
何も知らないと思っていたヨーコがアンブレラの秘密を持っていた。
助けてくれた研究員が善人であると同時に加害者でもあった。
主人公がただの一般人だと思っていたら、T-ウイルスと抗ウイルス剤で変質していた。
こういうミスリードなら、バイオハザードに合う。
最後にアンブレラ、ウイルス、実験、隠蔽へ戻るからである。
逆に、感染が呪いや異界現象のように見えたり、アンブレラやウイルスの理屈が薄かったりすると失敗する。
新作が成功する条件
新作映画が成功するには、次の条件が必要だと思う。
第一に、原作キャラを無理に出さないこと。
出すなら、物語を奪わない形にすること。
第二に、一般人主人公に強い動機を持たせること。
ただ巻き込まれるだけでは弱い。
逃げない理由が必要である。
第三に、主人公を完全な一般人のままにしないこと。
ただし、超人にはしない。
T-ウイルスと抗ウイルス剤による異常回復、死ににくさ、発症しない身体など、イーサン的な秘密を持たせる程度がちょうどいい。
第四に、アクションを抑えること。
『バイオハザード4』のトーンを取り入れるなら、不気味さや緊張感を借りるべきであって、レオンのような戦闘アクションを一般人主人公にやらせてはいけない。
第五に、アンブレラと感染の理屈を必ず物語の中心に置くこと。
バイオハザードは、呪いでも異界でもなく、人間が作った生物災害である。
そこを外してはいけない。
私が考える理想の新作バイオハザード
私なら、新作はこうする。
主人公は医療配達員。
過去に人命救助で失敗した経験があり、今は命の現場から距離を取っている。
ある夜、ラクーンシティ近郊で配送中に感染事件に巻き込まれる。
そこでヨーコ・スズキと出会う。
彼女は怯えた一般人のように見えるが、実はアンブレラの研究に関わる記憶を持っている。
主人公は瀕死の重傷を負い、ヨーコはT-ウイルスと抗ウイルス剤を使って彼を蘇生させる。
主人公は自分に何が起きたか知らない。
二人はR.P.D.に逃げ込む。
そこでケビン、アリッサ、ジョージらアウトブレイク組と合流する。
ジョージは主人公の身体の異常に気づく。
アリッサはアンブレラの証拠を外へ出そうとする。
ケビンは警官として避難ルートを確保しようとする。
やがて主人公は、ただ逃げるだけでは済まない状況に追い込まれる。
命の恩人との約束。
自分の身体の異常。
アンブレラの隠蔽。
生存者たちの命。
彼は逃げることもできる。
しかし、過去と同じように逃げるわけにはいかない。
最後に主人公は目的地へたどり着く。
データ、薬剤、あるいはヨーコの記憶を外へ出す。
しかし、それは事件の終わりではない。
むしろ、より大きなバイオハザードの始まりである。
ポストクレジットでは、主人公の血液サンプルが解析される。
T-ウイルス反応は陽性。
抗ウイルス適応は継続。
細胞崩壊は停止。
宿主状態は生存。
主人公は助かった。
しかし、もう普通の人間ではない。
このくらいが、一般人主人公を映画で映えさせる最も良い形だと思う。
結論
バイオハザードの実写化で大事なのは、原作キャラを出すことではない。
世界観のルールを守ることだ。
1作目アンダーソン版は、原作キャラがいなくてもバイオハザードだった。
『ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』は、原作キャラが大量にいても、バイオハザードとして満足できなかった。
この差は大きい。
新作映画が成功するかどうかは、ザック・クレッガー監督がどこまでバイオハザードの世界観を理解し、自分の作家性をどこまで抑えられるかにかかっている。
王道の骨格を守り、その上で演出やミスリードに個性を出すなら、成功の可能性はある。
しかし、バイオハザードを自分流に解体しすぎれば、また別物になる。
新作に期待はある。
だが、不安も大きい。
原作キャラに頼るのか。
バイオハザードの世界観そのもので勝負するのか。
一般人主人公を地味に終わらせるのか。
それとも、イーサンのように、バイオハザードの設定内で特別な存在へ変えていくのか。
そこが、この新作映画の最大の見どころになると思う。

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