『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』はなぜ違和感が強かったのか

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▼思考ログ

MCUの都合によって失われたスパイダーマンとミステリオの個性

『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』は、世間的には評価の高い作品だと思う。

ヨーロッパを舞台にした明るい青春物語、トム・ホランドとゼンデイヤの組み合わせ、ミステリオによる派手な幻覚演出など、娯楽映画として見やすい要素は揃っている。

それでも、個人的には強い違和感が残った。

最大の理由は、スパイダーマンの物語でありながら、すべての背景にトニー・スタークが存在していること。そして、本来は独自の魅力を持っていたミステリオが、MCUの物語を進めるための便利な道具へ変えられてしまったことにある。

トム・ホランド版はトニー・スタークに依存しすぎている

トム・ホランド版スパイダーマンの最大の問題は、ピーター・パーカー自身の物語よりも、トニー・スタークとの関係が優先されている点である。

ピーターをヒーローの世界へ引き入れたのはトニーだった。

高性能スーツを与えたのもトニーであり、敵が生まれる原因にもトニーが関係している。『ホームカミング』のバルチャーも、『ファー・フロム・ホーム』のミステリオも、スタークの事業や過去の行動によって人生を変えられた人物だった。

この構造では、ピーターが自分自身の問題と戦っているように見えない。

トニー・スタークが残した問題を、若いピーターが代わりに処理しているだけに見えてしまう。

トビー・マグワイア版やアンドリュー・ガーフィールド版のピーターは、自分の知恵と能力によって問題を解決していた。

トビー版は自分の肉体から糸を出し、アンドリュー版は自分でウェブシューターを開発している。二人とも自分の世界の中で、自力でスパイダーマンになった人物だった。

一方、トム版はスターク製スーツ、人工知能、ジェット、スーツ製造装置、そしてイーディスに頼っている。

そのため、どうしても他力本願で頼りなく見えてしまう。

ブラッドの写真を消そうとする場面

その依存を象徴しているのが、ブラッドが撮影した写真を消そうとする場面である。

普通のピーター・パーカーなら、自分の知恵や蜘蛛の能力を使って対処しようとするだろう。

スマートフォンを奪う、ウェブで操作を邪魔する、別の理由を考えて写真を削除させるなど、やり方はいくらでもある。

ところがトム版のピーターは、イーディスを使用する。

同級生が撮影した写真一枚を消すために、世界規模の衛星兵器へアクセスしてしまう。その結果、ブラッドをドローンで殺しかけることになる。

これはスパイダーマンだから起きた失敗ではない。

強大なスターク製兵器を未熟な高校生へ与えたために起きた失敗である。

ピーターが自分の力で問題を解決しようとせず、便利な技術へ頼ったことで、日常的な問題が生命の危機にまで拡大している。

1作目からの方針転換

『ホームカミング』では、ピーターはアベンジャーズの一員になることを望んでいた。

大きな事件を解決し、トニーに認められ、一人前のヒーローになろうとしていた。最後には正式な加入を断り、親愛なる隣人として活動する道を選んでいる。

ところが『ファー・フロム・ホーム』では、ピーターはヒーロー活動から離れ、普通の高校生として旅行と恋愛を楽しもうとする。

サノスとの戦い、五年間の空白、トニーの死という経験があるため、ピーターが疲れていること自体は理解できる。

問題は、その心理的変化が十分に描かれていないことだ。

ヒーローとして戦うことが怖くなったのか。

トニーのように死ぬことを恐れているのか。

次のアイアンマンとして見られる重圧から逃げたいのか。

そうした部分が整理されないまま、ピーターはMJとの旅行を優先する人物へ変わっている。

理屈を補えば理解できるが、作品だけを見ると方針転換が唐突に感じられる。

ミステリオへの期待

今回、ミステリオが初めて本格的に実写映画化されるということで、個人的にはかなり期待していた。

ミステリオは腕力でスパイダーマンを圧倒する敵ではない。

特殊効果、変装、手品、催眠、幻覚、舞台装置などを使い、何が現実なのか分からない状況へスパイダーマンを追い込んでいく。

これまでの映画版スパイダーマンには少なかった、知略と演出によって戦う敵である。

本物の超能力を持っていない男が、技術と虚構だけで超人を追い詰める。

そこには特殊効果技師としての才能、歪んだ自己顕示欲、自分こそが主役であるという狂気があった。

しかし、実際のMCU版ミステリオは別人に近かった。

スタークあってのミステリオ

MCU版のクエンティン・ベックは、スターク社の元社員として設定されている。

自分の技術をトニーに利用され、不名誉な名前を付けられたことを恨み、同じようにスターク社へ不満を持つ元社員たちを集めて計画を進める。

つまり、ミステリオが悪役になる原因までトニー・スタークにある。

バルチャーも同じようにスタークの影響から生まれた敵だった。

それでもバルチャーには独立した人生があった。

仕事を奪われ、家族を養うために犯罪へ進み、自分の組織を作り上げている。マイケル・キートンの怪演もあり、最終的にはトニーの被害者ではなく、エイドリアン・トゥームスという一人の悪役として成立していた。

原作のバルチャーは、正直に言えば映画一本を支えられるほど魅力的な人物ではなかったと思う。

MCUはそこへ家族、労働者としての怒り、犯罪者としての現実感を加え、うまくグレードアップさせた。

一方、ミステリオは原作の時点で十分に魅力があった。

それなのに、優れていた個性を分解し、スターク社の元社員チームへ置き換えてしまった。

バルチャーは再解釈によってキャラクターになったが、ミステリオは再解釈によって物語上の機能になった。

ベンチャー企業の社長に見えるベック

個人的に最も好きになれなかったのは、ピーターからイーディスを手に入れた直後の場面である。

ピーターが店を去ると、周囲にいた客たちが一斉に演技をやめる。

ベックは仲間たちの名前を一人ずつ挙げ、それぞれが計画のどの部分を担当していたのか説明する。そして全員で成功を祝う。

悪党の秘密結社というより、ベンチャー企業が大型案件の受注に成功した後のパーティーに見えてしまった。

ミステリオの恐ろしさよりも、チームでプロジェクトを成功させた達成感が前へ出ている。

ホログラム担当、脚本担当、ドローン担当、衣装担当、演出担当が存在し、ベックは全体をまとめている。

この構造では、ベックは狂った特殊効果技師ではない。

偽ヒーロー事業を立ち上げた経営者である。

口ではスタークへの復讐を語っているが、実際には新しいヒーローブランドを作り、自分たちの技術を世界へ売り込もうとしているように見える。

復讐よりもビジネスを成功させたい集団という印象が強かった。

単独で何もできないミステリオ

本来のミステリオは、特殊効果、変装、手品、幻覚を自分で操るからこそ狂気がある。

自分の妄想と技術だけで現実を塗り替えようとする。

ところがMCU版では、計画が完全な分業体制になっている。

ベックは仲間を脅すことはあっても、排除することはできない。

映像を作る人間、ドローンを操作する人間、脚本を修正する人間がいなければ、ミステリオという存在そのものを維持できないからである。

世界規模の兵器であるイーディスを手に入れても、ベックはチーム体制から抜け出せない。

つまり、強大な力を得た後も、一人では何もできない。

悪役として突出した腕力があるわけではない。

すべてを発明した天才でもない。

単独で戦える能力もない。

異常なほどの執念や狂気も、正体が明かされるまでほとんど見えない。

ジェイク・ギレンホールは悪い役者ではない。

正体発覚後には神経質さや狂気を見せているが、そこまでが遅すぎた。悪役としての個性が出る前に、スターク社の元社員たちによる説明が先行してしまった。

イーディスを手に入れた瞬間に仲間を殺すべきだった

ミステリオを盛り返す方法があるとすれば、イーディスを手に入れた瞬間に仲間を切り捨てることだったと思う。

ベックは圧倒的な情報網とドローン兵器を確認し、もうチームは必要ないと判断する。

仲間たちはスタークへの復讐を共有していると思っていた。

しかし、ベックにとって彼らは最初から、自分を英雄へ押し上げるための舞台装置でしかなかった。

そこで仲間を抹殺すれば、スタークへの復讐すら本心ではなかったと分かる。

彼が本当に求めていたのは、自分一人が世界から称賛されることだった。

そうすれば、ベックはベンチャー企業の社長から、一人の狂った演出家へ変わる。

イーディスによって作業を自動化し、自分だけで世界を騙せると確信する。

そこから巨大なエレメンタルズを作り、都市を破壊し、自分を最高のヒーローとして演出する。

そうした展開なら、ミステリオの自己顕示欲と狂気に説得力が出たはずである。

フューリーとヒルの対応

ミステリオだけでなく、フューリーとヒルの対応にも違和感がある。

終盤で、ピーターと行動していたフューリーとヒルが、本物ではなくスクラル人のタロスとソレンだったことが明かされる。

それでも、世界規模の事件に対して高校生へ頼りすぎている点は変わらない。

ピーターは未成年であり、旅行中であり、トニーの死から立ち直れていない。

その状態で強引に任務へ参加させる。

別世界から来たと主張するベックの身元を十分に調べず、エレメンタルズの正体も確認できないまま行動している。

本来なら、フューリー側がベックを疑うべきだった。

経験豊富な諜報組織が疑い、精神的に弱っているピーターだけがベックを信じてしまう。

その構図なら、ベックの巧妙さとピーターの未熟さを同時に描けた。

実際の作品では、大人たちまで簡単に騙される。

ベックが優秀に見えるというより、周囲の判断能力を下げているように見えてしまった。

ネッドは途中で機能しなくなる

『ホームカミング』のネッドは、ピーターの親友として重要な役割を持っていた。

ピーターの正体を知り、通信や情報収集を担当し、椅子の男としてヒーロー活動を支えている。

ところが『ファー・フロム・ホーム』では、ベティとの恋愛に夢中になり、ほとんど機能しなくなる。

ネッドとベティの関係にも積み重ねがない。

旅行が始まった直後に交際を始め、旅行が終わると同時に別れる。

人物同士の感情よりも、青春コメディーのネタとして配置された印象が強い。

ネッドが前作と同じようにピーターを支え続ければ、ピーターはミステリオだけを頼る必要がなくなる。

MJが新しい理解者として入る意味も弱くなる。

そのため、ネッドを色恋に夢中にさせて物語から外し、空いた位置へMJを入れたように見える。

原作人物の名前だけを借りている

ネッド・リーズは、原作ではデイリー・ビューグルの記者であり、ホブゴブリン事件と深く関係する人物である。

MCU版のネッドは、名前こそ同じだが、役割としてはマイルズ・モラレスの親友であるガンケ・リーに近い。

将来ホブゴブリンになる可能性を想像させる名前ではある。

それでも、三作品を通じて戦闘能力、攻撃性、ピーターへの憎悪、ゴブリン装備へつながる素質は描かれていない。

俳優の体型だけを問題にしているのではない。

敵としてスパイダーマンと戦えるだけの人物的な積み重ねがないことが問題なのである。

ベティ・ブラントも、原作ではJ・ジョナ・ジェイムソンの秘書であり、後にデイリー・ビューグルの記者となる人物だった。

MCU版ではピーターたちの同級生へ変更され、校内放送を担当している。

ネッドとベティが交際するのも、原作の関係を表面的に引用しただけに見える。

トム・ホランド版では、原作人物の名前や関係を分解し、高校の友人グループへ再配置している。

フラッシュ、ネッド、ベティは、名前は同じでも従来とは別人に近い。

フラッシュ・トンプソンの違和感

フラッシュについても、人種変更そのものより、人物の立ち位置まで変わっていることが大きい。

従来のフラッシュは、体格がよく、体育会系で、学校内では強い立場にいるいじめっ子だった。

ピーターを見下しながら、スパイダーマンには強い憧れを持っている。

その後、軍人として傷つき、エージェント・ヴェノムになるという成長には意味があった。

MCU版のフラッシュは、裕福な家庭の出身で、言葉やSNSを使ってピーターを馬鹿にする人物である。

現代的ないじめっ子としての再解釈ではあるが、従来のフラッシュが持っていた身体性や成長の道筋はない。

この人物が将来エージェント・ヴェノムになる姿は想像しにくい。

名前はフラッシュ・トンプソンでも、フラッシュである必然性が弱くなっている。

MJが突然物語の中心になる

MJの扱いにも強い違和感がある。

『ホームカミング』のMJは、クラスの中心人物ではなかった。

友人も少なく、他人と距離を置き、少し離れた場所から周囲を観察する人物だった。

ところが『ファー・フロム・ホーム』では、ピーターとブラッドの両方から好意を向けられる。

突然、恋愛関係の中心人物へ昇格している。

ピーターがなぜMJを好きになったのか。

MJがどのようにクラス内で立場を変えたのか。

ブラッドがなぜMJへ惹かれたのか。

その過程はほとんど描かれない。

五年間の空白があるとはいっても、ピーターとMJはともに消滅した側である。

本人たちにとって五年間の高校生活があったわけではない。

時間の経過だけで関係の変化を説明することはできない。

ブラッドだけが正論を言っている

ブラッドは恋敵として描かれているが、ピーターへの疑いそのものは正しい。

ピーターは旅行中に何度も姿を消す。

危険な事件が起きる場所には、なぜかピーターがいる。

夜にホテルを抜け出し、説明できない行動を繰り返している。

普通なら、ほかの同級生も疑問を持つはずである。

ところが、ブラッド以外はピーターの不自然な行動をほとんど気にしない。

教師たちは頼りなく、ネッドはベティに夢中で、ほかの生徒は状況に流されるだけである。

ブラッドだけが正常な反応をすると、映画は彼を嫌味な恋敵として処理する。

さらに、ピーターはイーディスの誤操作によってブラッドを殺しかけている。

ブラッドはピーターの不審な行動を撮影しただけであり、少なくともその時点では悪事を働いていない。

それでも、物語はピーター側の都合でブラッドを邪魔者として扱う。

MJがピーターの正体を知ると、ブラッドの役割は突然なくなる。

MJとブラッドの関係が変化したのではない。

ピーターがスパイダーマンであると判明したことで、恋愛競争そのものが強制終了しただけに見える。

周囲の人物がピーターのために動かされている

この作品では、登場人物がそれぞれの意思で動いているように見えにくい。

フューリーとヒルはピーターを任務へ引きずり出すための役割。

ネッドは途中で支援できなくなる役割。

MJは新しい理解者になる役割。

ブラッドはピーターを恋愛面で焦らせる役割。

ミステリオはピーターに失敗させ、成長させ、最後に正体を暴露する役割である。

人物よりも、物語上の機能が優先されている。

ピーターを成長させるために、周囲の知性や人間関係を都合よく調整しているように見えてしまう。

ミステリオは便利な道具になった

MCU版ミステリオには、あまりにも多くの役割が与えられている。

トニー・スタークの負の遺産を表す。

ピーターからイーディスを受け取る。

ピーターの未熟さを露呈させる。

偽のマルチバース設定で観客を騙す。

最後にピーターの正体を暴露し、次回作へつなげる。

物語を進める機能としては非常に便利である。

それでも、ベック自身の物語はほとんどない。

なぜ英雄として称賛されたいのか。

なぜ特殊効果や虚構へ執着しているのか。

なぜ自分が作った偽物を、現実より優れたものだと考えているのか。

そうしたミステリオ個人の歪みは、スタークへの恨みという説明へ置き換えられた。

結果として、初の実写映画版ミステリオでありながら、ミステリオ本人を描く作品にはならなかった。

本来描くべきだった物語

この作品で描くべきだったのは、トニー・スタークの後継者になる物語ではなかったと思う。

ピーターがスタークへの依存から抜け出し、自分自身の力でスパイダーマンになる物語である。

ベックはスターク社の元社員チームの代表ではなく、特殊効果、変装、心理誘導を一人で操る異常な演出家にする。

フューリー側は最初からベックを疑う。

ピーターだけが、トニーを失った心の隙を利用され、ベックを信じてしまう。

イーディスは衛星兵器ではなく、世界中の監視映像や通信へアクセスできる情報システム程度にする。

ベックはその力を手に入れた瞬間、仲間を不要と判断して排除する。

最後は、スターク製スーツや人工知能を捨てたピーターが、自分の蜘蛛の感覚だけを頼りに幻覚を突破する。

本物の力を持ちながら自分を信じられないピーター。

本物の力を持たないため、世界を騙して英雄になろうとするベック。

この二人を対照的に描けば、スパイダーマンとミステリオが戦う必然性が生まれたはずである。

まとめ

『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』は、娯楽映画としては成功している。

幻覚場面は映像的に優れており、トム・ホランドとゼンデイヤの組み合わせも人気がある。ラストでピーターの正体を暴露する展開も強烈だった。

それでも、スパイダーマン単独映画として見ると、多くの問題が残っている。

ピーターはトニー・スタークの技術へ依存し、敵もトニーの過去から生まれている。

ミステリオは一人の狂った演出家ではなく、元スターク社員によるベンチャー企業の社長のようになった。

フューリー側は判断力を失い、ネッドは恋愛によって機能停止し、MJは突然恋愛の中心へ移動する。

ブラッドだけが正論を言いながら、物語の都合によって孤立させられる。

ミステリオは設計を間違えたのではない。

ピーターの成長、スタークの負債、次回作への引きを一人で担当させるため、意図的に便利な道具へ変えられたのだと思う。

バルチャーは原作から大きく変更されても、再解釈によって魅力的な悪役へ進化した。

ミステリオは原作から大きく変更されたことで、もともと持っていた魅力を失った。

バルチャーはMCUによってグレードアップされた。

ミステリオはMCUの都合によって改悪された。

そしてトム・ホランド版ピーターは、三作品を終えるまで、トニー・スタークの後継者という立場から抜け出すことができなかった。

『ノー・ウェイ・ホーム』の最後で、ピーターはすべてを失い、自分で作ったスーツを着て、一人で街へ飛び出す。

皮肉にも、そこでようやくトム・ホランド版ピーターは、アイアンマンに与えられた少年ではなく、本当のスパイダーマンとしてスタート地点に立ったように見えた。

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