Scene8

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▼オリジナル小説

Basis

 本件は、2059年パース・シティ防衛戦の観測記録である。
 当該戦闘は「第二次防衛戦」として分類される。
 パース・シティ防衛システムと、[スペリオルズ]および[アウトサイダーズ]による襲撃。
 記録上、戦闘規模は第一次防衛戦を上回っている。
 結果は「失敗」。
 都市機能は崩壊し、市民被害は許容範囲を逸脱している。
 だが、過程のみを参照した場合、防衛は一時的に成立している。
 迎撃線は機能している。
 侵入率も一定時間までは抑制され、複数の対象個体に対する制圧も確認されている。
 それにもかかわらず、結果だけが崩壊へ収束している。
 原因は特定されていない。
 外部侵攻、内部崩壊、指揮断絶——いずれも確認されている。
 しかし、それぞれの因果が接続しない。
 中盤以降、記録の整合性は維持されていない。
 同一座標における事象の重複、行動ログの齟齬、時間軸の断裂が発生している。
 当該時点において、通常の再構成は不可能と判断される。
 ——ただし。
 記録そのものは断片として残存している。
 観測ログ、戦闘記録、通信履歴、それぞれが独立した形で保存されている。
 それらを接続した場合、一つの可能性が浮上する。
 当該戦闘は、単一の流れとして成立していない。
 複数の分岐が同時に存在している。
 そして、その収束点として——パース・シティは崩壊している。


Block1

【GF-01|PS-2059|指揮所中央|通常】

 パース・シティ外壁。

 防衛ラインは全域で展開を完了している。

 対地砲台は規定間隔で配置され、上空には迎撃ドローン群が層を形成している。

 センサー網は外縁部から内部区画まで連続し、監視範囲に空白は存在しない。

 都市そのものが、防衛機構として稼働していた。

 指揮所中央。

 高所に設置された統制席で、ジオン・ゼラーが戦場全体を見下ろしている。

 その隣にはケイト・クロスが立っていた。

 白衣姿のまま無言で外壁を見つめ、この場の軍事的空気からわずかに浮いている。

 ヘンリック・ホフマンは操作卓に向かい、複数の系統を同時制御していた。

 迎撃線、防衛出力、通信同期——すべてがジオンの指示通りに進行している。

 だが、その裏側では別系統の解析が並列で走っている。

【EVA:外縁部侵入パターンを再計算中】
【EVA:予測モデルと実測値に軽微な乖離を検出】

 ホフマンの視線が一瞬だけ止まる。

 しかし、手は止めない。

 操作は継続され、戦場制御は維持されている。

 外壁の向こうで最初の群れが現れる。

 [アウトサイダーズ]。

 かつて確認された無秩序な突進とは違う。

 進行速度、侵攻角度、密度——すべてが一定範囲へ収束している。

 統率されている。

 その光景を見たジオンが、わずかに笑みを浮かべる。

「うん。ふふ。いい兆候だ」

 独り言に近い声量だった。

 だが、周囲の全員が聞き逃していない。

「混沌のままでは価値がない。整列してこそ意味がある」

 ケイトは視線を外壁へ向けたまま、小さく眉を寄せる。

「……ずいぶん余裕なのね」

「当然だよ。ケイト君」

 即答だった。

「前回は私のデビュー戦を派手に演出した。だが、今回は違う。“見せる”戦いだ」

 ジオンは軽く両手を広げる。

 視界に映るすべてが、自ら設計した舞台であるかのように。

「結果だけでは足りない。重要なのは過程だ。人は“勝利”より、“勝ち方”に熱狂する」

 大型スクリーンへ映像が切り替わる。

 外壁各所へ迫る群れ。

 侵攻ルートごとに色分けされ、迎撃予測が重ねて表示されている。

「さて、まず第一波は[アウトサイダーズ]で削る。数だけは多いからね。前座としては十分だ」

 ジオンは楽しげに言う。

「ここで迎撃する。都市防衛システムを最大出力で稼働させるんだ。ホフマン君」

 ホフマンが即座に応答する。

「了解。全砲台、迎撃モード移行。ドローン群、射線同期開始」

 直後、外壁全域で発光ラインが走る。

 砲台群が順次起動し、空中ではドローン編隊が隊列を変形させていく。

 ジオンは満足げに頷く。

「そして、ほら、要所に配置されている個体は別だ」

 視線が鋭く細められる。

「あれは[スペリオルズ]の幹部たち。実にいい“見せ場”になる」

 ケイトがわずかに視線を動かす。

「……見せ場?」

「そうだ」

 ジオンは迷いなく言い切る。

「圧倒的な個に対して、圧倒的な個で制する。それが最も分かりやすい。感動も興奮も、単純な構図から生まれる」

 通信回線が開く。

「エージェントゼロを投入する」

 一瞬だけ空気が静止する。

 それは驚きではない。

 すでに決定されていた事項が、正式に実行段階へ移行しただけだった。

「リク・ロクジョウ。第一線へ出ろ」

 ケイトの視線がわずかに揺れる。

「……最初から出すの?」

「もちろんだ」

 ジオンは笑みを崩さない。

「こちらの切り札を最初から見せる。観客はその方が盛り上がる」

 軽く肩を開く。

「はは。今回は出し惜しみはしない。すべて使うとも」

 その声には確信しか存在していない。

「敵はここで終わる。[スペリオルズ]も[アウトサイダーズ]も例外ではない」

 ジオンの視線が大型スクリーンへ向く。

 そこには戦場映像だけではない。

 複数の情報ウィンドウが重なっている。

 配信ステータス。

 視聴数。

 接続地域。

 この戦闘は、世界中へ向けてリアルタイム配信されていた。

 さらに別画面が展開される。

 パース・シティ内部。

 市民たちが巨大モニター越しに戦場を見上げている。

 恐怖は見えない。

 ざわめきは歓声に近く、空気は興奮へ傾いている。

 戦争ではなく、巨大イベントを見る視線だった。

 守られているという確信。

 ジオンはその様子を一瞥し、小さく頷く。

「うん。理想的だ」

 低い呟き。

「恐怖ではなく、期待で見られる戦争。これが完成形だよ」

 ケイトは何も返さない。

 ただ、その光景から視線を外さない。

【EVA:外縁部第二波の進路に不規則性】
【EVA:戦闘継続時間の予測値を再計算】

 ホフマンの指がわずかに止まる。

 しかし次の瞬間には再び動き出している。

 外壁で最初の衝突が発生する。

 火線が走る。
 群れが崩れる。

 そして、その中心へ——リクが入る。


Bridge

  発令から実動までの遅延は確認されていない。
  エージェントゼロは即時投入される。
  個体名、リク・ロクジョウ。
  戦闘記録は高密度で蓄積されている。
  任務成功率は安定域を維持。
  戦闘行動に揺らぎは確認されない。
  出動直前、対象は装備の最終確認を実施している。
  大型リボルバー。
  シリンダー回転、装填状態、機構抵抗値——いずれも正常。
  左腕義手。
  駆動応答は規定値内。
  出力制限解除も正常に反映されている。
  左眼義眼。
  視覚補正、熱源探知、照準補助——全機能オンライン。
  呼吸は一定。
  心拍数は上昇しているが、制御範囲内に収束している。
  動作に迷いはない。
  過剰な緊張も確認されない。
  当該個体は、すでに戦闘へ適応している。
  ——投入。


Block2

【RK-02|PS-2059|外壁前線|通常】

 外壁前面で第一波が衝突する。

 砲撃と爆発が連続し、遅れて空気そのものが震える。

 火線は正確に引かれ、侵入個体は順番に削り取られていく。

 迎撃は成立していた。

 侵入率も予測範囲内に収まっている。

 外壁防衛システムは正常に稼働し、群れを押し返し続けている。

 崩れ方にも乱れはない。

 それでも——完全には止まらない。

 削られながら前へ出る。

 押し返されながら距離を詰める。

 止まる気配がない。

 先頭集団が砲火を突き抜ける。

 異形化した肉体を露出させた個体群。

 皮膚は裂け、骨格は変形し、人型を維持しているものは少ない。

 だが、動きは揃っている。

 統率されていた。

 単なる暴走集団ではない。

 誰かが流れを制御している。

 その中心の最前列を走る一体だけが、他を置き去りにする速度で踏み込む。

 咆哮が轟いた直後、地面が陥没する。

 衝撃を撒き散らしながら直進し、遮蔽物を粉砕し、迎撃ラインそのものを押し広げていく。

 破壊の密度が一点へ集中していた。

 その動きだけが異質だった。

 リクは一瞬だけ視線を流す。

 認識と分類。

 脅威度を測定し、進行速度を計算する。

 だが、追わない。

 迎撃はまだ成立している。

 防衛システムも機能を維持している。

 ——あれは止まる。

 そう判断して視線を戻す。

 戦場のさらに奥。

 配置された個体群が見えている。

 こちらを見ている。

 待っている。

 リクは速度を上げる。

 瓦礫を踏み砕き、火線の隙間を抜け、一直線に前進する。

 目的は変わらない。


Block3

【RK-03|PS-2059|外壁前線|通常】

 衝突直前。

 質量そのものが空気を押し潰す。

 前線砲撃が一点へ集中する。

 高熱弾、徹甲弾、衝撃波——複数の迎撃が同時に直撃する。

 だが、止まらない。

 爆炎の中から巨大な影がそのまま前進してくる。

 外殻ではない。

 肉体そのものが衝撃を受け止めている。

 貫通しない。

 削れない。

 砲火を浴びながら踏み込むたび、地面が割れる。

 遅れて衝撃が周囲へ広がり、瓦礫が浮き上がる。

 他個体とは明確に違う。

 リクの視線が固定される。

 同時に通信が入る。

「前線個体を識別。[スペリオルズ]幹部、コード“マストドン”」

 ヘンリック・ホフマンの声は平坦だった。

 だが、情報は明確に整理されている。

「野生系cl.3、《ビヒモスフォーム》」

 視界端へ解析データが重なる。

「象型変異。質量と突進能力に特化」

 さらに追加情報。

「砲撃無効化率、高水準。正面衝突は推奨しない」

 リクは応答しない。

 視線はすでに対象へ固定されている。

 マストドンは減速しない。

 回避する気配も見せず、そのまま一直線に突き進んでくる。

 武勇を示すような進行だった。

 砲火の中でなお前へ出る。

 止まるという選択自体が存在していない。

 リクが動く。真正面には入らない。

 踏み込み軌道を読み、最小動作で側面へ滑り込む。

 巨体が横を通過する。

 風圧だけで視界が揺れ、破片が吹き飛ぶ。

 次の瞬間。

 リクは間合いの内側へ入っている。

 外からでは崩せない。

 ならば、内部へ通す。

 大型リボルバーが持ち上がる。

 発砲。

 衝撃は外側へ逃げず、内部で反響する。

 マストドンの足がわずかに沈む。

 だが、その程度では止まらない。

 咆哮。

 同時に巨大な腕が振り抜かれる。

 空間ごと叩き潰す軌道。

 それでもリクは引かない。

 最小限の動きで回避する。

 義手が地面へ触れる。

 反動を利用して軸をずらし、そのまま至近距離から再度発砲する。 

 衝撃が一点へ集中する。
 巨体がわずかに傾く。
 それでも膝は落ちない。

 マストドンは踏みとどまり、血を吐きながらなお前へ出る。

 止まらない。

 戦士として、前進だけを選択している。

 リクは一歩だけ深く踏み込む。

 距離を完全に潰す。

 無防備になった心臓部へ義手の拳が突き刺さる。

 内部衝撃が重なる。

 遅れて巨体が揺れる。

 大量の吐血。

 次の瞬間、マストドンの身体が崩れ落ちる。

「……ぐっ……強い……な……お前……」

 絞り出すような声だった。

 最後まで前を向いたまま、その前進だけが停止する。

 同時に変異が解ける。

 巨大化した肉体は縮み、人間の姿へ戻っていく。

「……」

 リクはわずかに視線を止める。

 違和感が残る。

 だが、その小さな感覚より先に任務が優先される。

 リクはすぐに視線を切り替え、次の目標へ向かって疾走する。


Block4

【RK-04|PS-2059|外壁前線|通常】

 マストドンの巨体が崩れ落ちた直後、戦場の奥で異変が広がる。

 黒い煙。

 地面を這うように拡散し、砲火の光を鈍く濁らせていく。

 自然発生ではない。

 濃度、拡散速度、侵食範囲。

 すべてに明確な意図がある。

 煙は風に流されない。

 むしろ空間へ貼り付くように留まり続け、進行方向そのものを覆っていく。

 リクの前方が黒く沈む。



 視界が完全に奪われるわけではない。

 だが、距離感が歪む。

 奥行きが曖昧になり、空間認識がわずかにズレ始める。

 通信が入る。

「識別完了。[スペリオルズ]幹部、コード“スモークブリンガー”」

 ヘンリック・ホフマンの声は変わらない。

「元素系cl.3、《トキシックフォグ》」

 解析情報が追加される。

「毒性黒煙の生成および拡散能力を確認」

 さらに警告。

「視界遮断に加え、吸入による神経干渉の可能性あり」

 煙の濃度がさらに上昇する。

「長時間滞在は危険。接触を避けろ」

 応答はない。

 リクはそのまま踏み込む。

 左眼義眼の補正が起動する。

 瞬間、煙の奥に熱源が浮かび上がる。

 輪郭が現れる。

 マストドンとは対照的な細い体格。

 だが、その周囲だけ空間そのものが歪んでいる。

 咳き込むような音。

「……見えてるのか……?」

 湿った低い声だった。

 煙が揺れる。

 濃度が変わる。

 視界だけではない。

 足場感覚にもズレが生じ始める。

 踏み込み距離がわずかに狂う。

 それでもリクは止まらない。

 補正を切らない。

 ズレを受け入れたまま前進する。

 煙の内部へ迷いなく突入した瞬間、熱源が動く。

 距離が一気に縮まる。

 咳。

 同時に黒煙が内側から膨張し、爆ぜる。

 圧力。
 だが、リクはそのまま抜ける。

 爆発中心を外している。

 動きが読まれている——いや、読ませている。

 煙が再び収束する。

 今度は包囲するように周囲を塞ぐ。

 逃げ場を潰す配置。

 それでもリクは止まらない。

 義手が煙を裂く。

 だが、手応えはない。

 直後、義眼が熱源の位置を再捕捉する。

 近い。

 大型リボルバーが持ち上がる。

 発砲。

 衝撃波が煙を押し広げる。

 一瞬だけ輪郭が露出する。

 細い身体。

 歪んだ姿勢。

 充血した目。

 距離は近い。

 もう一発。

 今度は逃がさない。

 煙が収束する前に踏み込む。

 至近距離。

 義手の一撃が叩き込まれる。

 感触は柔らかい。

 骨ではない。

 その奥で何かが弾ける。

 スモークブリンガーの身体が大きく揺れる。

 同時に煙の密度が一瞬だけ落ちる。

「……ぁ……やっぱり……そう来る……」

 笑っているのか咳き込んでいるのか判別できない。

 煙が再び広がるが、維持できていない。

 濃度が落ちている。

 侵食が進みすぎている。

 制御そのものが崩れ始めている。

 リクは距離を詰める。

 終わらせるための接近。

 義手が瞬時に煙を掻き分け、そのまま首を掴む。

 広がっていた黒煙が一気に拡散する。

 残るのは漂う残煙だけ。

 スモークブリンガーの身体が崩れ落ちる。

 地面へ触れた瞬間、煙が抜ける。

 残ったのは細い人間の形だけだった。

 金属の指が首を掴んでいる。

「……やれよ……」

 弱い声。咳すらできない。

 リクは何も言わない。

 金属の指が締まる。

 骨が折れる音が重く響く。

 戦闘は終了している。

 それでも、視界の歪みだけがわずかに残る。

 完全には消えていない。

 リクは一瞬だけ立ち止まり——再び次の目標へ向かう。


Block5

【RK-05|PS-2059|外壁前線|通常】

 黒煙の残滓を抜けた先で空気がわずかに震える。

 振動は地面からではない。

 空間そのものを伝わっている。

 耳へ届くより先に身体が反応する。

 前方。

 一体の個体が静止している。

 白い肌と赤い髪。

 異様に膨張した胸郭。

 呼吸に合わせて喉元がわずかに歪んでいる。

 破壊する音が来る。

 その直前に通信が入る。

「識別。[スペリオルズ]幹部、コード“ハウラー”」

 ヘンリック・ホフマンの声が重なる。

「体質系cl.2、《ソニックハウル》」

 解析情報が追加される。

「咆哮による衝撃波を確認。広範囲破壊能力を有する」

 さらに続く。

「発声前に胸郭膨張を確認。来るぞ」

 その瞬間、すでにリクは引き金を引いた。

 大型リボルバーから放たれた弾丸が一直線に走る。

 同時にハウラーの胸部が大きく膨張する。

 開かれた口から音が解放される。

 衝撃波。

 空間を裂きながら前方へ叩き込まれる。

 弾丸と真正面から衝突する。

 一瞬だけ空中で静止する。

 進行方向が潰され、運動エネルギーが相殺される。

 銃弾は届かない。

 だが、リクの目的は別にある。

 すでに踏み込んでいる。

 発砲と同時に加速している。

 衝撃波の外縁を掠めるように軌道を変える。

 距離が消える。

 ハウラーの視線が揺れる。

 認識が一瞬だけ遅れてしまう。

 ただ、彼女は次の用意は完了している。

 第二波の衝撃波。

 今度は拡散ではなく、一点へ収束した圧力。

 音そのものが刺突のように放たれる。

 突進したリクへ直撃する。

 身体が止まる。

 それはほんの一瞬だけだった。

 筋肉連動が乱れ、動作が噛み合わなくなる。

 停止——だが、完全ではない。

 止まったのは動作の一部だけだった。

 踏み込み軸は残っている。

 義手はすでに振り抜かれている。


 軌道は変わらない。

 一直線。

 照準はハウラーの顎。

 掌底が直撃する。

 鈍い音。

 骨が砕ける感触。

 衝撃が頭部を貫き、そのまま上へ抜ける。

 ハウラーの身体が後方へ吹き飛ばされる。

 破壊の咆哮が途切れる。

 空気の震動が消失する。

 着地。

 同時に心臓活動も停止する。

 リクは足を止めない。

 視線だけを次へ向け、そのまま前進する。


Block6

【RK-06|PS-2059|外壁前線|通常】

 振動が止み、黒煙が晴れた先で異質な静けさが広がる。

 音がない。

 戦場であるにもかかわらず、その一帯だけが切り取られたように沈んでいる。

 中心に立つ影は小さい。

 細い身体。

 不安定に見える体格。

 だが、動いていないにもかかわらず、周囲の空気だけが歪んでいる。

 小さな声が届く。

 囁きに近い。

 意味を持たない音の連続。

 単語として成立していないはずの言葉。

 それでも理解できる。

 耳ではなく、内側で響いている。

 通信が入る。

「識別。[スペリオルズ]幹部、コード“チャント”」

 ヘンリック・ホフマンの声は変わらない。

「思念系cl.2、《カースドリサイタル》」

 解析情報が重なる。

「呪詛詠唱による精神干渉を確認。継続により干渉強度が増幅される」

 さらに警告。

「接触を避けろ。長時間干渉は危険だ」

 チャントの口は止まらない。

 一定のリズム。

 一定の抑揚。

 同じ調子で繰り返される。

 リクの視界が揺れる。

 足場が沈む感覚。

 だが、実際には何も動いていない。

 身体感覚だけがズレ始める。

 痛み。

 理由はない。

 傷も存在しない。

 それでも確かに痛い。

 心臓の位置が曖昧になる。

 呼吸タイミングが狂う。

 言葉が直接、脳内へ侵入してくる。

 リクの突進が止まる。

 完全停止ではない。

 それでも速度は落ち、踏み込みが鈍る。

 チャントの声が強くなる。

 意味が増えていく。

 今度は“言葉”として成立する。

 否定。
 破壊。
 死滅。

 直接的な概念が頭の奥へ流れ込む。

 リクの片方の膝が崩れ、動きが止められている。

「贖え……贖え……」

 チャントの目が揺れる。

 愉悦。そして、効いているという確信。

 詠唱速度が上がる。

 片膝をついたリクへ干渉が重なる。

 身体が軋み、痛みが増幅される。

 歪みが深くなる。

 十分な量の苦痛と侵食。

 チャントはそれを与え続ける。

 すべてを受け止めるリクの前で、なお詠唱を止めない。

 義眼補正が揺れる。

 義手駆動もわずかに遅延する。

「死を……死を……」

 チャントの声へ感情が混ざり始める。

 勝利を確信した瞬間、詠唱が一瞬だけ乱れる。

 その刹那。

 リクの義眼と義手が連動する。

 苦痛に侵食された肉体とは別系統で起動する。

 すでに蓄積されたエネルギーは十分。

 左腕義手が青白く発光する。

 チャントが最後の一節を口にしようとする。

 決定的な言葉の直前、リクの義手の光が一気に増幅する。

 次の瞬間、エネルギー反転が爆発的に発動する。

 衝撃が外側へ解放され、言葉を吹き飛ばす。

 概念ごと叩き潰す衝撃波。

 直撃によってチャントの細い身体が激しく跳ねる。

 詠唱が途切れる。

 声が消える。

 干渉が切断される。

 遅れて内部衝撃が炸裂する。

 細い身体が折れる。

 そのまま地面へ叩きつけられる。

 動かない。

 呪詛も続かない。

 静寂だけが戻る。

 空間の歪みも消失していく。

 戦闘は終了している。

 だが、リクは確実に侵食されていた。

 一度だけ呼吸を整え——再び次へ向かう。


Bridge

  外壁防衛は維持されている。
  侵入率は抑制され、迎撃システムも想定通りに機能している。
  幹部個体の制圧も確認され、戦術的優位は確立されている。
  当該時点において、防衛戦は成功に近い状態へ到達している。
  戦線は安定している。
  崩壊兆候も確認されていない。
  だが、記録上の結果は異なる。
  パース・シティは、この後崩壊している。
  都市機能は喪失。
  内部区画は広範囲に破壊され、市民被害も許容範囲を超過している。
  この時点の状況から、その結果へ至る要因は確認できない。
  外部侵攻は抑え込まれている。
  指揮系統も維持されている。
  戦闘としては成立している。
  それにもかかわらず、崩壊は回避されていない。
  原因は外部ではない。
  ——ドーム都市内部の記録に存在する。


Block7

【GF-02|PS-2059|指揮所中央|通常】

 外壁戦は維持されている。

 迎撃システムは正常に稼働し、侵入個体は順次制圧されている。

 戦線は安定し、戦術的優位にも変化はない。

 ——その状態のまま異常が発生する。

 発端は数値ではない。

 位置情報が揺らぐ。

 外縁部に存在していた個体反応が、一瞬だけ観測から消失する。

 次の瞬間。

 別座標へ出現する。

 距離は連続していない。

 移動経路も存在しない。

 観測そのものが追いついていない。

 同時に別系統の反応が増加する。

 重い。

 単純な侵入個体ではない。

 質量。

 出力。

 反応密度。

 すべてが通常個体と異なる。

 さらにもう一つ。

 固定されて動いていない。

 だが、その周囲だけ挙動が変化している。

 外壁防衛ラインの一部で応答遅延が発生する。

 通信が入る。

「未確認個体を三体検出。識別データに部分一致あり」

 ヘンリック・ホフマンの声は変わらない。

「該当データは2050年、第一次パース・シティ防衛戦における救出対象と一致」

 短い間。

「現在の挙動は当時の記録と一致しない」

 さらに続く。

「能力制御が不完全な状態で運用されている可能性が高い」

 一瞬だけ空気が止まる。

 その直後にジオン・ゼラーの声が割り込む。

「問題ない」

 即断だった。

「外壁は維持されている。[スペリオルズ]幹部も排除済みだ」

 視線は戦場から外れていない。

「見ろ。すでに私の勝利は確定している」

 笑い声が聞こえるほど自信に満ちたジオンの断定。

「仮に制御不能個体が三つ増えたところで、結果は変わらない」

 ジオンの絶対的な自信は言葉としての迷いは存在しない。

「優先順位は変更しない。外壁維持を続行しろ」

 ホフマンは返答しない。

 ジオンの指示を受けても、ホフマンは操作だけが継続される。

 新たなログが重なる。

【EVA:異常挙動の相関分析を更新】
【EVA:外壁戦維持成功率 82.4%】
【EVA:内部侵入発生時の都市維持率 21.7%】

 数値が分岐する。

【EVA:推奨行動を再計算】

 一拍の空白。

【EVA:推奨——外壁戦維持を放棄】
【EVA:内部対応へ戦力転換を推奨】

 ホフマンの指が止まる。
 
 無視できないEVAによるログにホフマンは一瞬だけ考え込む。

 彼の視線はジオンに向けられるが、警告するログと相反する自信に満ちた表情。

 ホフマンからの警告は通じない。

 今のジオンは実際に起きている問題が届かないとホフマンは判断する。

 数秒間の沈黙。

 その間にもログは更新され続ける。

 座標断絶。

 再出現。

 圧力偏在。

 外壁は維持されている。

 だが、内部へ近い領域だけが維持されていない。

 ホフマンは通信回線を開く。

 宛先を一つへ固定する。

「リク」

 短い呼びかけ。

「EVAの分析だ。外壁は持つ」

 様子を伺うような間が空く。

「内部の方が危険だ」

 それだけを伝える。

 同時に防衛ラインの一部で局所的な圧力上昇が確認される。

 突破はされていない。

 ただ、確実に歪み始めている。

 外からではなく、内側に近いとホフマンは割り出す。

 観測は継続されている。

 戦闘も成立している。

 それでも、数値が示す挙動だけが一致しない。

 異常は収束していない。


Bridge

  外壁戦は維持されている。
  迎撃システムは正常稼働を継続。
  侵入率も抑制され、戦術的優位は依然として保持されている。
  だが、観測対象は外縁部だけに留まらない。
  内部区画のログが増加している。
  局所的応答遅延。
  識別エラー。
  未分類圧力の上昇。
  数値そのものは連続している。
  しかし、挙動が一致しない。
  外部侵攻とは別系統で、内部異常が拡大している。
  戦闘は成立している。
  だが、都市構造だけが安定しない。
  観測範囲を変更する。


Block8

【GF-03|PS-2059|内部区画|再構成】

 パース・シティ内部区画では、通常運用下にあるはずのシステムが連鎖的に警報を発していた。

 避難誘導は開始されている。

 だが、表示される経路が安定しない。

 同一対象に対して複数のルートが同時表示され、数秒ごとに内容が切り替わる。

 結果として人の流れが分断され、通路各所で滞留が発生していた。

 監視ドローンが旋回する。

 対象を捕捉。

 ロックオン。

 ——直後、識別が書き換わる。

 味方識別。

 未分類。

 敵性反応。

 判定だけが連続して変化し、基準そのものが固定されない。

 防衛システムは停止していない。

 むしろ正常に稼働している。

 だからこそ異常だった。

 命令は通っている。

 応答も返されている。

 それにもかかわらず、結果だけが一致しない。

 同時に内部各所で衝撃が発生する。

 内壁が内側から破砕され、構造材が軋みながら押し曲げられていく。

 爆発ではない。質量そのものが直接ぶつかっている。

 柱が折れ、隔壁が押し潰される。

 さらに、その周囲では結晶状の構造物が増殖していた。

 壁面から突出するように形成され、瞬く間に通路を塞いでいく。

 突破ではない。内部配置そのものが書き換えられている。

 市民の避難経路はそこで寸断される。

 逃げ場を失った人々は立ち止まり、何が起きているのか理解できないまま周囲を見回している。

 外では防衛戦が続いている。

 巨大スクリーンには迎撃映像が流れ、市民へ向けた勝利演出も継続されていた。

 それでも、内部では別の戦闘が始まっている。

 その間にも空間異常は拡大していく。

 人影が消える。

 次の瞬間には別座標へ出現する。

 距離は連続していない。

 移動経路も存在しない。

 観測だけが結果へ置き去りにされている。

 固定砲台は反応している。

 照準も合っている。

 だが、撃てない。

 射線上へ別識別が重なり、システムが停止する。

 誤認は一瞬だが、その僅かな遅延だけで破壊が進行していく。

 さらに制御系全体へ微細なズレが広がる。

 入力と出力の間に、ごく小さな空白が発生している。

 単独では誤差に過ぎない。

 しかし、それが連続する。

 完璧だった防衛機構に、わずかな隙間が生まれる。

 そして、その隙間だけを正確に通過していく。

 内部区画の一部で完全な制御喪失が発生する。

 記録は連続している。

 戦闘も成立している。

 それにもかかわらず、状況だけが収束しない。

 崩壊は静かに進行していた。


Bridge

  内部区画における異常は拡大している。
  防衛システム自体は機能を維持している。
  だが、応答精度の低下が連続して確認される。
  原因は単一ではない。
  識別エラー。
  空間断絶。
  制御遅延。
  局所的な構造崩壊。
  複数の事象が同時発生し、その重なりによって全体制御が崩れ始めている。
  外壁戦は依然として優位にある。
  迎撃線も維持され、侵入率にも決定的変化は確認されていない。
  だが、当該時点において戦場は分離している。
  外部と内部が連続していない。
  同一戦闘として処理するには、記録の整合性が一致しない。
  外では勝利へ収束している。
  内部だけが別方向へ崩壊している。
  ——補記。
  エージェントゼロの行動ログは、この直後に変化している。


Block9

【RK-07|PS-2059|外壁境界|再構成】

 外壁戦は依然として優位にある。

 迎撃システムは稼働を維持し、侵入個体は確実に削られている。

 幹部個体の反応もすでに消失し、前線は収束へ向かい始めていた。

 少なくとも指揮所が観測している戦場はそうなっている。

 戦術上、このまま外壁を維持することが最適解だった。

 通信が入る。

「リク、状況を共有する」

 ホフマンの声は落ち着いている。

 だが、その背後で処理されている情報量だけが異様だった。

 複数の警報音と解析ログが重なり、空気そのものが張り詰めている。

「内部区画で異常が拡大している。防衛システムは稼働中だが、制御精度が低下している」

 直後、別系統の音声が割り込む。

 感情を削ぎ落とした機械音声。

【EVA:内部侵入個体の再識別を完了】

 一拍の間。

【個体一、グリズロス。野生系cl.2《アルクトス》── 熊型変異。近接制圧特化】
【個体二、クリスタリクス。変成系cl.2《クリスタルシフト》── 身体結晶化。防御・遅延能力】
【個体三、フェイズ。時空系cl.2《ジャンパー》── 短距離空間転移】

 戦場の轟音の中で、その情報だけが異様に明瞭だった。

 過去の記録に残っている名。かつての救出対象。

 その個体群が今は内部区画で暴れている。

【EVA:三個体の連携により、防衛システム局所対応が分断されている】
【EVA:外壁戦維持成功率 81.9%】
【EVA:内部区画維持成功率 18.6%】

 数値の落差が、そのまま現実の差として現れている。

 ホフマンが続ける。

「外壁はまだ持つ。少なくとも現状の火力と配置なら維持可能だ」

 そこまでは単なる報告だった。

 次の言葉から意味が変わる。

「ただし、内部は別だ。あの三体だけじゃない」

 短い沈黙。

【EVA:未分類高出力反応を検出】
【識別照合──失敗】
【位置情報──不安定】
【移動経路──算出不能】

 リクの視線がわずかに変わる。

 数値としては捉えられている。

 だが、それだけでは実体が掴めない。

 内部崩壊は三体だけでは説明できない。

 中心にもう一つ強い反応が存在している。

 ホフマンはその名を口にしない。

 言えないのではない。

 現時点では断定できないからだ。

「補足する」

 声が一段低くなる。

「ケイト・クロスが内部区画にいる。現在の状況では安全は保証できない」

 それだけが伝えられる。

 余計な感情は加えられない。

 戦場の音が戻る。

 砲撃と爆発。

 崩れた外壁の破片。

 押し返される敵影。

 外側は守られている。少なくとも見える範囲では。

 だが、内側は違う。

 その認識が遅れて一つへ繋がる。

 リクは一度だけ深く息を吸う。

 チャント戦による消耗は残っている。

 それでも蓄積出力は維持されていた。

 移動は可能。

 到達も間に合う。

 条件だけを並べれば判断は単純だった。

 外壁を維持すれば戦闘は終わる。

 内部へ向かえば戦線は崩れる。

 優先順位は明白だった。

 少なくとも命令系統の上では。

 リクの進路が変化する。

 前線から外れる。

 防衛ラインの軸を離れ、都市内部へ向かうルートへ入る。

 減速はしない。

 振り返りもしない。

 通信だけが開いたまま残る。

「……了解した」

 短い返答。

 それは命令への了承ではない。

 受け取った情報への応答に過ぎなかった。

 エージェントゼロは外壁戦から離脱する。

 命令系統とは一致しない。

 それでも行動は止まらない。

 グリズロス。
 クリスタリクス。
 フェイズ。

 そして識別不能のもう一つ。

 それらすべてを押しのけるように意識はただ一人へ向かっている。

 都市内部。

 その一点へ向かいリクは進む。


Bridge

  エージェントゼロは内部区画へ移動している。
  外壁戦から離脱し、都市内部への進行を継続している。
  移動速度は維持され、到達までの時間は短縮されている。
  同時刻、内部区画の混乱は拡大している。
  防衛システムは稼働を維持しているが、局所的な制御喪失が連続して発生している。
  避難誘導は成立しているものの、人流は安定していない。
  観測対象を内部へ移行する。


Block10

【KT-00|PS-2059|内部区画|再構成】

 内部区画では警報が断続的に鳴り続けている。

 避難誘導システムは稼働していた。

 だが、表示される経路が安定しない。

 進路が切り替わる。

 同じ地点で異なる指示が重なり、人の流れが途中で滞っている。

 混乱は一箇所ではなく、通路全体へ連鎖していた。

 ケイト・クロスは立ち止まらない。

 視線は常に前方へ向けられ、周囲の異常へ過剰に反応することもない。

 状況を把握しながら、その中で進める方向だけを選び続けている。

 通信が開く。

「ケイト、そこを離れろ」

 ホフマンの声。

 常に冷静沈着な彼に珍しく感情が乗っていた。

「避難経路はまだ生きている。警備システムが対応している間に脱出しろ」

 ケイトは即答しない。

 前方の崩れた通路を一瞥し、落下した構造材の隙間を抜けるように進む。

 そのまま遅れて返す。

「……見えてるでしょ。対応しきれてない」

 感情ではなく事実だけを返す声だった。

 遠くで重い衝撃が走る。

 内壁が内側から歪み、構造材が軋む音が遅れて響く。

 爆発ではない。質量が直接ぶつかっている音だった。

「それでもだ」

 ホフマンの声は変わらない。

「今の状況で前に出る意味はない。お前は戦闘要員じゃないんだ」

 ケイトは足を止めない。

 別方向の壁面で透明な結晶構造が増殖する。

 枝分かれしながら通路を塞ぎ、内部動線を分断していく。

 その向こうでは警備システムが自動射撃を展開していた。

 だが、照準が安定していない。

 捕捉した対象が消える。

 次の瞬間には別位置へ現れ、追従が遅れる。

 ケイトはその様子を見て、小さく息を吐いた。

「スペリオルズよ」

 ケイトの断定する言葉に迷いはない。

「普通の侵入じゃない。あれはシステムじゃ止められない」

 通信の向こうで短い沈黙が入る。

「……確認している。だが、それでも現場対応は任せるべきだ」

 ホフマンは言い切る。

「システムはまだ機能している。完全には崩れていない」

 ケイトは一度首を横へ振る。

「違う」

 短い否定。

「ハッキングされてる。完全じゃない。でも、確実に触られてるわ」

 視線が一瞬だけ天井側へ向く。

 制御信号の流れを追うような目だった。

「サイボーグ……機械系の個体がいると思うわ」

 その言葉でホフマンの呼吸が一瞬だけ止まり、すぐにログをたどっていく。

「……特定はできていない」

「でもいる。ええ、絶対に」

 ケイトは迷わず言い切る。

「だから余計にここにいちゃダメなの」

 ケイトの言葉と行動は一致していなかった。

 そう言いながらケイトは進んだ。それは出口ではなく、さらに奥へ。

「それなら尚更だ。避難しろ」

 ホフマンの声が少しだけ強くなる。

「君がやるべきことじゃない。今は生き残ることを優先しろ」

 ケイトは一度だけ足を止める。

 崩れた通路の先。煙と破片の向こう側を見つめる。

「……リクなら」

 小さな声ながら、はっきりとしていた。

「真っ先に助ける」

 そのまま続ける。

「だから私は、ここで逃げるわけにはいかない」

 ケイトは再び歩き出す。そこに迷いはない。

 ただ急いでいる。

「それに——」

 一瞬だけケイトは言葉を止める。

「まだ伝えてないことがある」

 それ以上は言わない。

 ホフマンも返さない。止められないことを理解している。

 防衛システムの駆動音が周囲で響き続けている。

 だが、その音と現実は一致していない。

 制御は維持されている。それでも、守り切れていない。

 ケイトは一度だけ呼吸を整える。

 そのまま前へ進む。

 外壁へ。

 ——リクのいる場所へ。


Bridge

  内部区画の崩壊は継続している。
  各所で発生している異常は独立しているように見える。
  ただ、挙動には共通性が確認される。
  破壊。
  遅延。
  転移。
  制御誤差。
  いずれも単独であれば致命的ではない。
  問題はそれらが同時発生している点にある。
  結果として、防衛システムの応答は分断されている。
  内部制御は維持されていない。
  観測ログを重ねる。
  複数の異常は、特定領域へ向かって収束している。
  中心点が存在する。
  当該地点における反応は安定していない。
  座標も連続せず、観測値ごとに微細な変動が発生している。
  出力は高い。
  だが、識別だけが成立しない。
  既存データとの一致なし。
  記録上、この時点で未分類反応は単一個体として固定されている。
  ——観測対象を当該地点へ移行する。


Block11

【DM-01|PS-2059|内部区画|断片】

 内部区画の監視映像には半壊した通路が映っている。

 崩落した天井。

 垂れ下がる配線。

 点滅を繰り返す照明。

 断続的にノイズは走るが、映像自体は維持されていた。

 その奥から人影が現れる。

 歩行速度は一定。

 周囲の混乱とは切り離されたように静かだった。

 警備ドローンが旋回する。

 射線が集まり、次の瞬間には一斉射撃へ移行する。

 だが、銃弾は届かない。接触直前で停止している。

 空中で回転したまま固定され、そのまま別方向へ逸れていく。

 反射ではない。

 弾道そのものが途中で歪められていた。

 同じ現象が連続する。

 攻撃は成立しているのに結果だけが発生しない。

 崩れた側壁から瓦礫が落下する。

 その破片も対象上空で静止する。

 接触しない。

 局所的に重力挙動が失われている。

 それでも対象は歩き続ける。

 黒い外套がわずかに揺れる。

 顔面は仮面によって覆われていた。

 識別照合と一致。

 [スペリオルズ]のドミネーター。

 記録上の個体と一致するが、過去ログとは挙動が異なる。

 既存データの延長として処理できない。

 警備システムは再度射線を構築する。

 別角度からの同時攻撃を繰り出しても結果は変わらない。

 銃弾は停止し、逸れ、対象へ接触しない。

 通路奥にはエネルギー供給ラインが走っている。

 それはドーム都市を支える核融合炉区画へ続くルート。

 ドミネーターは進路を変えない。

 その目的は最初から固定されているかのように。

 一方で内部区画へ高速接近する別個体。

 エージェントゼロ。

 リク・ロクジョウ。

 こちらも迷いなく進んでいる。

 守るために。

 異なる目的を持つ二つの座標が内部区画で収束し始める。

 その直前から、観測ノイズだけが急激に増加していた。


Block12

【RK-08|PS-2059|内部区画境界|再構成】

 通路中央で両者の進行が交差する。

 リクは速度を落とさない。

 そのまま踏み込み、一定距離だけを残して制動をかける。

 視線は正面を向いたまま一切外れない。

 ドミネーターも歩調を変えない。

 同一座標へ入る直前で停止する。

 回避は行われていない。

 衝突も発生していない。

 距離だけが残る中、周囲では崩壊が続いていた。

 遠方で構造材が破断し、断続的な警報音が空間へ反響している。

 だが、その音だけが妙に遠い。

 この位置だけが切り離されていた。

 リクは大型リボルバーへ手をかける。

 照準は合っている。

 距離も近い。

 発砲。

 案の定、銃弾は届かず接触直前で停止している。

 弾丸は空中で回転し、そのまま弾道を失う。落下もしない。

 空間そのものへ見えない力で固定されている。

 次の瞬間、弾丸は別方向へ逸れる。

 対象へ触れることなく意味だけを失っていく。

 リクの視線が鋭く細まる。

 左腕義手は正常。

 左眼義眼も稼働している。

 次の一撃を通す感覚は残っていた。

 だが、その直後。

 通路奥から低い振動が伝わる。

 規則的ではない。

 それでも、確実に増幅している。

 床面を通じエネルギー偏差だけが不自然に伝わってくる。

「リク、核融合炉が臨界に入る。制御が追いついていない」

 ホフマンからの通信。

 続けて入る。

「このままだと暴走する。止めるなら今しかない」

 その声には明らかな焦りが混じっていた。

 常に冷静なホフマンには珍しい変化だった。

「猶予は?」

 リクはドミネーターから視線を外さないまま尋ねる。

「ほぼない。即時対応が必要だ」

 短い返答だが十分だった。

 核融合炉の出力は安定していない。

 制御系も遅れている。

 すでに臨界域へ入っている。

 ドミネーターの視線は変わらない。

「それに——」

 ホフマンの声が一瞬だけ止まる。

「ケイトがいる」

 決定的な言葉にリクの思考が働く。

 たった今、強制的な選択肢が発生している事実を。

「選択肢は二つだ」

 そこで初めてドミネーターが口を開く。

 仮面の奥から響く声に揺らぎはない。

「核融合炉の暴走を止めるか」

 視線が遠方の脈動するエネルギーへ向く。

「人を助けるか」

 ドミネーターはケイトが近くにいる事実をを知らない。

 ただ、目の前にいるエージェントゼロという存在の行動原理を理解している。

 短い沈黙の流れを背景に警報音は増えていく。

 猶予は残されていない。

「さあ、どうする?」

 落ち着いた声だった。

 危険を告げる周囲の警報とはまるで噛み合っていない。

 リクはすでに答えを導いていた。

 エージェントゼロとしての答え。

 そして、リク・ロクジョウ個人としての答え。

「それがお前の正しさか」

 直後、リクは駆け出していた。

 ドミネーターは動かない。その姿を静かに見送っている。

 仮面の奥の視線は走り去るリクを正確に捉えていた。

 そして——別方向の反応。

 ケイト・クロス。

 彼女は外壁方向へ移動していた。

 リクとの距離は縮まっているが、到達には足りない。

 リクに残された選択肢は存在しない。

 核融合炉へ向かえば都市は保たれる。

 ただ、その間に失われるものがある。

 別方向へ向かえば個は救える。

 だが、都市は維持されない。

 両立は成立しない。

 疾走するリクは前だけを見ている。

 呼吸は乱れていない。

 判断も止まらない。

 迷いだけが存在していない。

 視線の先にあるのはケイトだった。

 残存エネルギーをすべて使う。

 全速力でその場所へ向かう。

「……間に合うはずだ」

 思わず零れた声。

 それは確認ではなく、願いに近かった。


Bridge

  当該事案は、後に大規模テロとして報道される。
  [スペリオルズ]による組織的侵攻。
  理想都市パース・シティの崩壊。
  多数の犠牲とともに、都市機能は喪失したと記録されている。
  公開映像において、破壊行為は一方向へ集約されている。
  原因も明確に定義されている。
  外部からの侵攻。
  それによる防衛の崩壊。
  だが、当該時点のログと照合した場合、挙動が一致しない。
  防衛システムは機能している。
  迎撃線も維持され、戦術的優位にも大きな変化は確認されていない。
  それにもかかわらず、崩壊だけが進行している。
  単一要因では説明できない。
  破壊は存在する。
  記録も残されている。
  だが、その間にある因果関係だけが確定されていない。
  観測上、複数の異常が同時進行している。
  それぞれは独立している。
  ——それでも最終的に、すべてが同じ結末へ収束している。


Block13

【RK-09|PS-2059|内部区画深部|再構成】

 警報灯が紫へ切り替わる。

 通路全体を低い警告音が震わせ、その直後、奥側で爆光が弾けた。

 遅れて衝撃が押し寄せる。

 崩れた構造材が跳ね上がり、火の粉と粉塵が一気に吹き抜けた。

 視界が白く潰れる。

 リクの義眼が自動的に遮光へ移行し、焼き付くような光量を強制的に抑え込む。

 数秒遅れて輪郭が戻る。

 舞い落ちる埃の向こう側。

 崩れた梁の下に白衣だけが見えた。

 リクは踏み込む。

 瓦礫を蹴り越え、崩れた床を滑るように駆け抜ける。

 速度は落ちない。

 近づくにつれて血の色だけがはっきりしていく。

 ケイト・クロスは倒れていた。

 白衣は赤く染まり、腹部から胸元にかけて深く裂けている。

 損傷の状態を見た瞬間、リクは理解していた。

 助からない。

 その判断だけが静かに定着する。

 ケイトの意識はまだ切れていなかった。

 揺れる視線がゆっくりと動きリクを捉える。

「……リク……」

 掠れた声だった。

 だけど、その呼び方だけは普段と変わらない。

 リクはその場に膝をつく。

 応急処置には移らない。なぜなら意味がないからではない。

 もう間に合わないことを互いに理解していた。

 ケイトの呼吸は浅い。

 一定だった間隔も徐々に乱れ始めている。

「……約束……」

 途切れながら言葉が落ちる。

 その途中でケイトの指先がわずかに動いた。

 何かを握っている。

 力はほとんど残っていない。

 それでも離さない。

 リクが手を伸ばした瞬間、その感触が掌へ伝わる。

 小型の金属容器。

 スキットルだった。

 ケイトはそのまま押し返すようにリクの手へそれを預ける。

 渡すというより、託している動きだった。

 金属はわずかに温かい。

 長く握り続けていた熱だけが残っている。

「……あの子を……見てあげて……」

 説明はない。言葉も足りていない。

 それでも意味だけははっきりしていた。

 ケイトの視線がゆっくり揺れる。

 焦点が外れる。

 浅かった呼吸が、そのまま止まる。

 接触していた指先から力が抜け落ちた。

 反応は戻らない。

 遠くで再び爆発が響く。

 警報は止まらない。

 崩壊も続いている。

 リクはしばらく動かなかった。

 手の中に残ったスキットルだけが妙に重い。

 表面には小さな刻印が入っている。

 “C.C.”

 血に濡れた文字が赤く滲んでいた。

 リクはそれを見つめている。

 理解は追いついていない。

 思考も整理されていない。

 考えても現実だけは変わらなかった。

 都市は崩壊している。

 守ろうとしたものは失われた。

 止めるべきものも、すでに制御を外れている。

 残ったのは、手の中の温度だけだった。


Basis

 当該戦闘は記録上、外部侵攻に対する防衛戦として分類されている。
 [スペリオルズ]の侵入。
 内部区画の崩壊。
 核融合炉の暴走。
 いずれも事象として確認されている。
 結果として、パース・シティは都市機能を喪失している。
 防衛システムは稼働していた。
 戦術的優位も一時的には維持されている。
 それにもかかわらず、崩壊は回避されていない。
 複数の異常が同時発生している。
 個別に見れば独立している。
 だが、最終的には同一結果へ収束している。
 単一要因による説明は成立しない。
 記録は存在する。
 映像も残されている。
 観測ログも継続している。
 しかし、整合性だけが成立していない。
 エージェントゼロの行動ログについても同様である。
 当該時点における選択基準は一貫している。
 守る対象を優先する判断傾向も、過去記録と一致する。
 それでも結果は一致しない。
 同様の選択にもかかわらず、到達点だけが異なっている。
 当該戦闘以降、行動パターンには微細な変化が確認される。
 判断速度および優先順位に大幅な逸脱は存在しない。
 だが、連続性は完全に維持されていない。
 同一個体として処理した場合、わずかな不整合が残る。
 明確な断点は確認できない。
 しかし、当該時点を境に挙動は連続していない。
 観測は可能である。
 説明だけが成立しない。
 以上より、本事案を通常戦闘記録として分類することは保留とする。
 現時点において、結論は出ていない。

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