Scene.24 ―「名前を拒む者たち」

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▼オリジナル小説

──風が吹いた。

 砕けた骨飾りが、音もなく揺れる。
 砂混じりの風が、瓦礫の隙間に落ちた記憶のかけらを撫でていった。風は、焦げた鉄と血のような匂いを運んでいた。その中に、かすかに木の焼けた香りが混じる。骨飾りが燃えた時間の断片。戦いの記憶が、今もこの土地を漂っているようだった。
 かつての戦いと、そこにあった誰かの名残りをまだ、忘れきれないまま。
 その中心に、三人がいた。誰も言葉を発さず、視線だけが時間を繋いでいた。

「……四つしか、ないな」

 フェイズがぽつりと呟いた。かすれた声だった。

 スプロケットは答えなかった。手のひらで転がしている骨の欠片に視線を落としたまま、沈黙を守っていた。その小さな破片は、焼け焦げて形を失いながらも、何かを伝えようとするかのようだった。

 「タウロスが作った……おれたちの分だけ、だな。余計な誰かの分なんて、初めから、ない」

  フェイズの視線は、空の一点を貫いている。遠い何かを思い出すような、どこにも届かない角度で。

 「……オラトリオは“名”を刻む人じゃない。私、そう思ってる」

  ポイゾナスが続けた。言葉は不思議と柔らかく、そして強かった。

 「彼は“見てるだけ”だったから……名前が、必要なかったんだ」

 そのときだった。空気が、静かに“折れた”。
 音も気配もないまま、仮面の男が現れる。その姿を、誰も驚かなかった。ただそこに“いた”という事実だけが、場を支配する。

「名を持たぬ者が、名を刻んだ」

 ドミネーターは静かに言った。

「崩れたのではない。ようやく、“定義された”のだ。存在として」

 スプロケットの手が、一瞬だけ止まった。

「……何の話だ」

 フェイズの問いに、彼は仮面越しに答える。

「“構造”は、外から与えられた時点で終わりを迎える。だが、その内側で再構成されたならば、それは“進化”と呼ぶに足る」

 誰も言葉を挟めないまま、ドミネーターは歩みを進める。彼が向かった先には、ミーラの姿があった。

「お主は、まだ観測を続けているか?」

「必要があれば」

 ミーラは臆さず言った。だが、その声音には微かに警戒が滲んでいた。

 「……私の知っている範囲なら、話すわ。けれど、あなたに従う義理はない」

 「求めていない。だが、“お主が知っていること”こそが、次に繋がる可能性だ」

  ドミネーターは右手をかざし、小型のデータ端末を現出させる。だがそれはミーラには向けられず、スプロケットに差し出された。

 「……彼女に渡しておけ。観測の継承者として、然るべき器だ」

  ミーラはわずかに驚いたが、即座に頷く。

 「いいわ。でも、これは“私からの贈り物”じゃない。中身を読んだら自分で判断して」

 スプロケットは何も言わず、それを受け取った。指先がわずかに震えた。 触れることを、一瞬だけためらった。 名を継ぐということは、もう“あの場所”には戻れないということ。
 手のひらに落ちた端末を、そっと両手で包み込む。まるで、それがまだ温もりを保っていることを、確かめるかのように。
 端末の重みが、どこか居心地悪そうに見えた。受け継ぐとは、名を刻まれること。スプロケットは、それを“誰かの死の証明”だと知っていた。
 ただ、頷いただけだった。

 端末が掌に収まった瞬間、わずかに熱を帯びる。その熱は、血潮のような有機の温もりではなかった。無機質でありながら、どこか心臓の鼓動に似ていた。
 スプロケットは思う。金属とは、冷たいものではない。
 過去が骨に刻まれるのなら、未来は金属の中に刻まれるのかもしれない、と。
  その温度は誰かの視線に似ていた。名も、姿もない、だが確かに“そこにいる”誰かの。
 風が一度、強く吹いた。
 割れた骨飾りが跳ね、瓦礫を擦って乾いた音を立てる。
 ドミネーターは、空を見上げた。

「この地に呼んだのは、お前たちだけだ。だが、目覚めている者はまだいる。世界に点在し、まだ名を持たぬ者たちだ」

「スペリオルズは……オレたちだけじゃないってことか」

 フェイズが低く問い返す。

 ドミネーターはうなずいた。

「“名前”を継ぐ者は、多いほどいい。そう、お前たちは、その象徴として生き残った」

 少しの間。誰も何も言わなかった。

「その名で、何をするつもりなんだ?」

 ポイゾナスが問う。声は震えていなかった。

 ポイゾナスの声は、震えていなかった。けれど、その胸の奥では何かが擦れていた。名前を刻まれることは、ただ受け入れられることなのか。
 それとも、都合よく形を決められることなの。
 一瞬の迷いが脳裏をかすめたが、問いを口にすることで、それを振り払った。

 ドミネーターは一歩、瓦礫の上に立ち、

「定義する。“人間”とは何かを」

 とだけ言った。

 「言葉はただの記号ではない。定義された瞬間、それは世界そのものになる──我らがそれに値するなら、だが」

 その言葉に、ミーラの呼吸が一瞬だけ止まった。
 定義とは、切り捨てでもある。観測とは、残酷な線引きでもある。彼の問いは、もはや他人事ではなかった。
 観測とは、ただ記録する行為ではない。だが裏を返せば、“意味を切り落とす”行為でもある。
 ミーラは知っていた。観測者とは、無意識に他者の輪郭を歪めてしまう。そういう存在でもあることを。

「吾輩の問いに答えられるのは、お主たちしかいない。そして……“外なる脅威”が近づいているのも確かだ」

 しばしの沈黙が流れる。

「次に会うとき、お主たちが“名を持った存在”であることを願おう」

 仮面の奥に、わずかに笑みの気配が滲んだ。

「この世界を記す言葉が残るなら、その最初の一文字はきっと、お主たちの中にある」 

 誰も、その意味をすぐには理解できなかった。だが、明確なことが一つだけあった。
 タウロスは、命を賭して“何か”を残した。スプロケットがその骨飾りを手のひらに握る。
 彼女は目を閉じ、言葉にしないまま、風の音を聞いていた。

──見ている。

 名も姿もなく、ただ“見ている誰か”の視線を。
 あいつは、最後まで“力”でしか語れなかった。言葉じゃねえ、行動でもねえ。
 タウロスは、ただ命で示した。その不器用さが、いまになってようやくわかる気がした。
 あいつの拳は、誰よりも先に“名を刻む”ためのものだったのかもしれない。けれど、その不器用な拳が、誰よりも先に“名”を刻んでいたんだと、今なら思う。

「……気に入らねえ宣言だな。けど……残るさ。あいつの分まで」

 フェイズが言った。

 ポイゾナスが小さく頷く。

「今度こそ、ちゃんと……家族になれるかもしれないって、思ってる」

 口に出すだけで、なぜか胸の奥がざらついた。 「家族」なんて、定義すら曖昧なもの。
 それでも……それでも、あの骨飾りには、それが“正解”だと書かれているような気がした。
 スプロケットは、ようやく目を開けた。
 小さく、小さく。

「……ここから」

 その一言が、すべてだった。

──風が吹いた。

 骨飾りが揺れる、そのすぐそばで、かしゃん、と。
 誰かが歩き去った足跡のように、音だけが風の中に残された。そこには誰もいない。けれど、その“不在”があまりに自然だった。まるでこの世界が、何かを“見逃す”ために一瞬だけ目を閉じたかのように。

 骨は過去を語り、金属は未来を鳴らす。その境目で風が吹くたび、どちらの音なのか判別できなくなる。金属同士がわずかに触れ合う音が響いた。  骨は過去を語り、金属は未来を鳴らす。
 名を刻むとは、その間に立ち止まることかもしれない。
 誰かが歩き出し、誰かがそれを見送る。
 そのたびに、風が音を連れてくる。それは、自然ではない。誰かが残したもの。
 けれど、確かに“ここにある”と知らせてくる音だった。

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