第一章 Scene.02 -「鋭隊交錯」

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▼オリジナル小説

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 地表が低く唸り、砕けた瓦礫がふわりと浮き上がっては落ちた。
 ハン・ファの《グラヴィシア》による“挨拶”は、廃工場地帯の空気に粘りを残し、砂鉄を混ぜた匂いをさらに重くしている。さっきまで口角を釣り上げていた彼女の瞳は、しかし今や急速に陰っていた。指先に残った微かな震えとともに、躁の余熱が抜け、体温だけが置き去りになる。

 梁の影で黒い点が漂い、かすかな羽音が風の隙間を縫う。
 生き物のようで、どこか機械的な律動。ひとつ払えば、また別の黒点が戻ってくる。誰も気に留める余裕はないが、戦場はそうしたノイズをよく覚えている。
 崩れた鉄骨に反射する陽光は鈍色に滲み、熱せられた金属の匂いが血の臭気と混じっていた。遠くで瓦礫の山がひとつ崩れ、その音が祈りの声を嘲笑うように響いた。

 視界の先では、二つの群れが向かい合っていた。
 片や、獣皮と鉄屑の装備に野性をまとったアッシュポイントの戦士たち――ワイルドシングの牙が象徴の群れ。
 片や、赤革のコートと冷たいマスクに沈黙を宿すクロウズネストの隊士たち――カニヴァルスの隻眼が線を引く列。

 両者の間に、火薬よりも濃い緊張が滞留している。
 誰が流したとも知れぬ囁きがあった。「裏切り者がいる」。それは住民の舌から証言めいた形を得て、兵の耳に沈み、真偽の境界を曖昧にした。互いに背中を預けるべきはずの同盟は、今や一歩でも踏み違えば崩れる薄氷でしかない。

 本来なら、彼らは肩を並べ〈ギアホールド〉へ連携攻撃を仕掛ける直前だった。だが、硬直は続く。眼前の他者より、互いの影を凝視している――そんな膠着だ。

 そこへ墜落してきたのが、[統律特命局]のアルファチームだった。  〈オブリヴィオン〉が空に裂け目を刻み、炎を引いて堕ちる光景は、両陣営の記憶に焼き付いている。一見すれば、その鋭い視線の一部はヨハンたち三人に刺さっているように見える。だがよく観察すれば、それは牽制にすぎない。本命の刃は、やはり互いへと向けられていた。

 ――にもかかわらず、ハン・ファの《グラヴィシア》は余計な刺激を与えた。
 瓦礫がまた浮き、きしみ、落ち、粉塵を撒く。空気が一段重くなると同時に、複数の視線がアルファへ寄る。

「……やらかしたな」

 ヨハン・ヨンソンは舌打ちを飲み込み、短い後悔を肺の底に押し込めた。本当なら、この膠着を利用してやり過ごすつもりだった。だが、仲間の振幅は制御しきれない。現実はいつも計画の外側にいる。頭の中で何度も積分した未来は、どれも最後はゼロに潰れた。

「見ろよ……完全に囲まれた」

 ロドリゴ・リバウド・ヘイス・リベリーノは胸のロザリオを握り、早口で祈りの断片を上書きする。
「赦し給え、救い給え、我らは試され……いや、裁かれる……」

 口では神に身を委ねながら、指は震えてロザリオを手放せなかった。

「……大丈夫、どうでもいい」

 ハン・ファはさっきまでの躁の笑みを失い、肩から力を抜いて項垂れた。視線は靴の先に落ち、両手は膝の上で重たく沈む。《グラヴィシア》の脈動は残っているのに、心だけが底に沈んでいく。
 ヨハンは脳内の計算式が一列、また一列と砂に埋もれていくのを感じる。

「最高だな。これが[統律特命局]自慢の“最強の切り札”。――歩けば砂に沈み、飛べば火に焦げる」

 皮肉は自分に向いている。ヨハンは笑い、しかし目の奥には笑いの形をした刃を隠した。

 羽音が、耳の奥で太くなる。
 黒い点が爆炎の煤に吸い寄せられ、散り、また集まる。砂塵の渦の縁で、金属の軋みが低く鳴った。

 遠い地平で砂煙が立った。
 最初は細い筋。瞬く間に太くなり、廃墟の骨組みを越えて渦を巻く。風圧が、倒れかけたクレーンの腕を鳴らした。

「あの速度……普通の車両じゃない」

 ヨハンの瞳孔がわずかにすぼむ。視界の端に、瓦礫を蹴り砕いて疾駆する影が映る。鉄骨が弾かれ、石片が霰のように跳ね、轟音が地の底からせり上がる。

「……終末の音《アポカリプティックサウンド》だ。ほら、来た……俺たちは終わる」

 ロドリゴは十字を切り、祈りをさらに早口で上書きする。
「主よ、汝の御心のままに……いや、待て、御心ってどっちだ……」

「落ち着け。あれはネクスだ。情報にあった幹部……」
 ヨハンの声に確信が混じる。

 ――マッハライン。
 走るだけで、戦場の温度を反転させる加速者。

 疾走の砂塵が、アッシュポイントの列をなぞる。戦士たちの瞳に血の色が差し、喉奥で抑え込んでいた唸りが、ひとつ、またひとつ、咆哮へと変わる。獣皮の肩甲に打ち付ける砂が火花のように散り、足裏の震動が群れの骨伝導を叩き起こす。

 ワイルドシングが牙を覗かせ、笑った。
「行け! 戦士たちよ!」
 その声は命令であり、許しであり、炎に注ぐ油だった。

 地面が、別種の律動で鳴る。
 鉄片を打ち鳴らし、牙で刃を噛み、咆哮と共に砂を蹴った。足音の群れが地鳴りになり、鉄片と骨の打撃音が拍を打ち、砂の表面張力が破れる。戦士たちは一斉に前へ出た。歓喜と憤怒が同じ声帯で混ざり合い、咆哮は空気の膜を破いていく。

 一方で、クロウズネストの列は微動だにしない。
 カニヴァルスは隻眼を細め、顎の角度ひとつ変えずに戦況を俯瞰する。黒革の列は息を潜めたまま、しかしわずかな重心移動だけで数パターンの射線を確保している。呼吸までも揃えた静けさは、戦士たちの咆哮よりも重い圧を放っていた。沈黙は、無知ではない。選択を保留する知性だ。

「……完全に失敗だな。これが“最強の切り札”かよ。うちの売り文句って、返金保証は付いてたっけ?」

 ヨハンの皮肉は乾いている。砂の味が舌に残った。

「返金はない。あるのは罰だけだ」

 ロドリゴは否定の言葉を祈りに紛れ込ませる。
「試練、罰、沈黙、処刑――全部同じ意味だ。俺たちは舞台装置だ。主はもう結末を……」

「眠い」
 ハン・ファが掠れた声で言い、肩をすくめた。そのまま、膝が少し折れる。
 躁の残像は完全に消え、うつの闇が彼女を水底へ曳く。指先は冷え、掌から《グラヴィシア》の微細な脈動が抜ける。
 ヨハンは一瞬視線を落とし、次に顔を上げた。現実は待ってくれない。

 空の高みで、何かがきしむ。
 見上げれば、瓦礫の破片が風もないのに浮いていた。鈍い光を反射しながら、わずかに傾き、また静止する。誰かの視線が、物理を介して抑圧をかけてくるような、そんな感覚。声なき圧が胸骨を内側から叩き、ヨハンは無意識に息を詰めた。

 ――ドミネーター。
 姿は見えない。それでも、圧は形を持つ。浮遊する瓦礫が、不意に震え、ぴたりと止まる。試されている。誰が誰を、どの程度、どの順番で。

 羽音が、爆炎の明滅に合わせて太った。
 黒い点が血の匂いもないのに渦を巻き、照り返しに弾かれて散る。砂塵の粒子と同じに見えて、同じではない。戦場は、観測という名の目に慣れていく。

「ロドリゴ。深呼吸して、言葉を三つ選べ。余計な呪詛は空気を重くする」

「三つ? じゃあ……“終わり”“悔恨”“地獄”。どうだ」

「満点だよ」
 ヨハンは薄く笑う。
「最強の切り札は、まず味方から切り刻む。プロモーションに書いとけ」

 アッシュポイント側の熱は臨界に達した。
 砂塵に縁取られた輪郭が、距離を飲み込むように迫る。剥きだしの歯列、骨の装飾、油で鈍く光る刃。獣の群れは、一度動き出せば止まらない――それは彼らの誇りであり、欠点でもある。

 クロウズネストの沈黙は継続する。
 斜め後ろの列で、ひとりが息を吸いそこね、マスクの内側で音を立てた。カニヴァルスの隻眼がわずかに動き、その音は二度と繰り返されなかった。  沈黙は合図でもある。動かないことも、攻勢の一種だ。

 ヨハンは視界全体を数値の格子で切り取り、最悪と最良をそれぞれ積分する。
 最良は――両陣営が互いに刃を向け続け、アルファは観測者として影の薄いままこの場を離脱。
 最悪は――熱狂した戦士の奔流がアルファを先に噛み砕き、後から冷徹な隊士が残りを整然と処理する。
 どちらにせよ、時間は味方ではない。

「戦えないなら、隠れる。隠れられないなら、笑え。笑えないなら、せめて皮肉を言え。俺の家訓だ」

「家訓が軽い」
 ロドリゴのツッコミも弱い。
「軽さは罪だ。罪は罰だ。罰は――」

 すぐにヨハンの止めが入る。
「はいそこ、無限ループ。吐くなら祈りじゃなく息にしろ」

 ハン・ファは目を閉じた。
 眠気ではない。落下だ。彼女の中で《グラヴィシア》のベクトルが静かに狂い、身体の中心に孤独な質量が出来る。

「……静かにして」
 小さな声。ヨハンはそれ以上何も言わない。言葉は、ときに重力より重い。

 廃墟の輪郭が、砂塵の内側で歪む。
 マッハラインの疾走は、戦場の皮膚を裏返す。風圧が音を噛み、音が砂を砕き、砕けた砂が目蓋の裏に新しい地図を描く。
 アッシュポイントの咆哮は、歓喜と憎悪を等分に含んだ音階で、廃工場の壁を打ち鳴らす。

 その熱のすべてが、いずれこちらに向く。
 ヨハンはそれを知っている。ワイルドシングは牙を、カニヴァルスは目を、それぞれ武器として持っている。
 衝突は必然で、選べるのはタイミングだけだ。

「ヨハン……俺、今日の占い最下位だった。最下位は免罪の印じゃないのか」

「残念。ここでは最下位が最初に祈られる。神様に」

 ロドリゴは肩で笑い、すぐにそれが祈りに変わる。
「主よ、俺を先に――いや、順番は誰でも――いや、それもまた罪で――」

 羽音が、また太る。
 爆炎の閃光に照らされ、黒い点が散り、戻り、螺旋を描く。血の匂いはまだ薄い。それでも、記録は始まっている。

 浮遊瓦礫がぴたりと止まり、わずかに角度を変えた。
 上空の圧は命令を欲している。だが、まだ言葉にならない。
 第三章で語られるべき一喝は、ここでは影としてだけ在る。

 外界は沸き立ち、アルファは沈み込む。
 最強の看板は風でめくれ、裏の剥がれかけた糊が陽に照り返す。
 それでも、前を向くしかない。
 ヨハンはネクタイの結び目を指で弾き、短く息を吐いた。

「――準備しろ。次は、こっちに来る」

 砂塵、金属音、獣の叫び。
 爆炎が閃き、黒い点が群れとなって散り飛ぶ。羽音が煙に混じり、戦場そのものが不気味なノイズを奏で始めた。

 沸き立つ戦場と、沈み込む切り札――その落差こそが、衝突の火蓋だった。

 それは、混沌の序章。
 そして――冷たい記録として蓄積される断片にすぎない。

【<β5r//al+7nQ§=…】

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