防火扉が通路の外側へ膨らんだ。
一度目の衝撃で中央が歪み、二度目で上部の固定具が外れた。
男は生じた隙間へ肩を入れ、そのまま速度を落とさず通過した。
【TARGET STATUS:MOVING】
【PROVISIONAL CLASSIFICATION:REMNANT CANDIDATE】
【PERSONALITY CONTINUITY:POSSIBLE】
【CAPTURE CONDITION:ALIVE】
第八街区地下商業区の構造がリッジの視界へ重なる。
北側は崩落している。
西側はすでに閉じている。
南側には旧搬送区画が残っている。
東側だけが開いていた。
逃げ道ではない。
逃げ道として残した場所だった。
「ハリアー、東から――」
『もういるよ』
上階から声が落ちてきた。
ハリアーは吹き抜けの手すりを越え、短い噴射で男の進行方向へ滑り込んだ。
『右脚ちょっと遅いね』
『でも上へ行きたがってる』
『私なら今の段差ならそのまま二階へ上がるけど、この人は体重が前に残ってるから――』
「結論」
『南へ曲がるよ』
男が床を蹴った。
壁面へ足を掛け、一度の踏み込みで上階の手すりへ腕を伸ばす。
ハリアーは身体を横へ倒した。
男の指先が数センチ下を通過する。
『ほらね』
ハリアーが右肩へ低出力弾を撃ち込んだ。
男は空中で姿勢を崩し、着地した直後に南側へ進路を変えた。
『私ならもう一回上へ行くけど、あの着地なら無理だね』
「そのまま送れ」
『分かってる』
ハリアーは男の斜め前を飛ぶ。
捕まえる距離には入らない。
逃げたくなる位置だけを維持した。
◇
「セッター」
『もう使ってる』
地下商業区の照明が一斉に落ちた。
男の進む南側だけが白く点灯する。
停止していた清掃車両が分岐へ入り、東側を塞いだ。
天井へ残っていた二基の警備ドローンが再起動する。
閉鎖されていた案内板が点灯し、南側搬送区画への誘導表示だけが残った。
『ここ、思ったより生きてるな』
「復旧設備ではない」
『動けば同じだ』
「違う」
『私には同じ』
男が清掃車両へ突進した。
肩が車体へ当たる。
無人車両が横転し、金属が床を擦った。
『おい』
セッターの声が低くなる。
『それまだ使えたんだぞ』
男は横転した車体を踏み台にして跳んだ。
『壊すなら使えない物から壊せ』
「対象には伝わらない」
『分かってる』
セッターは別の清掃車両を起動した。
開いた分岐が再び塞がれる。
『だから腹が立つ』
◇
着地点へ三本の捕獲線が飛んだ。
男は一本目を避けた。
二本目を腕で弾く。
三本目だけが左脚へ絡んだ。
男は着地と同時に線を引き、固定具を壁から引き剥がした。
『反射』
プロットの声が入った。
『見て理解した回避ではない』
『避けたなら同じじゃない?』
ハリアーが返した。
『同じではない』
『結果は同じだよ』
『お前は前回もそれで捕獲経路を一つ無駄にした』
『まだ覚えてるの?』
『記録している』
『終わった話でしょ』
『お前が終わらせただけだ』
「プロット」
『分析は続けている』
「それだけ続けろ」
『了解』
プロットはそれ以上ハリアーへ返さなかった。
代わりに南側の保守扉を一つ閉じた。
別の扉を半分だけ開く。
男の視界から見れば、そこだけが通れそうに見えた。
『右へ寄る』
プロットが言う。
『二秒後』
男が開いた扉へ向きを変えた。
『一秒』
男が右側へ寄る。
『入った』
◇
リッジは鎮静弾の記録を確認した。
【SEDATIVE IMPACT:3】
【MOBILITY REDUCTION:4.6%】
【METABOLIC RESPONSE:ABNORMAL】
「ドゴ」
『追加投与は推奨しません』
「理由」
『現在の代謝速度では有効濃度へ到達する前に追加分が重なります』
『呼吸抑制へ移行する可能性があり、正確な安全域を出すには血中濃度と肝代謝速度の再計測が――』
「結論だけ」
『先に止めてください』
「時間は」
『十二秒維持します』
ハリアーの声がすぐに重なった。
『南から入れる』
『十一度くらい』
『十一度なら適切です』
『十二度は?』
『十二度以内です』
『じゃあ十一度』
『適切です』
『最初からそう言ってよ』
『最初から十二度以内と回答しました』
『そういうところだよね』
ドゴは返さなかった。
会話が終わったと判断していた。
南側搬送区画の正面へ黄色の識別表示が入る。
重装フレームを展開したドゴが隔壁の前へ立った。
ハリアーが男の視界へ降りる。
『こっち』
男が加速した。
ハリアーは接触寸前で上へ抜ける。
男はそのままドゴへ突進した。
衝突の瞬間、ドゴは正面から押し返さなかった。
右脚を半歩だけ後ろへ引く。
男の肩を受けた装甲が沈む。
衝撃が脚部フレームから床へ流れ、その一部が背後の隔壁へ逃げた。
壁面の表示板が砕ける。
床が低く軋んだ。
ドゴの位置は動かなかった。

『荷重正常』
ドゴが言う。
『残り九秒』
「セッター、拘束」
『待ってた』
床面の保守パネルが開く。
即席で接続された拘束具が男の両脚へ巻きついた。
一本が引きちぎられる。
二本目が腰を固定する。
三本目が右腕へ食い込んだ。
『六秒』
ドゴが告げる。
ハリアーが男の背後へ降り、肩へ捕獲具を撃ち込む。
『三秒』
男が身体をひねる。
拘束具が一つ切れる。
『二秒』
「薬剤」
セッターが拘束具から鎮静剤を流した。
男の身体が大きく震えた。
『一秒』
膝が落ちる。
ドゴは腕を緩め、男の頭部が床へ当たる前に身体を支えた。
【TARGET IMMOBILIZED】
【VITAL STATUS:STABLE】
【RETRIEVAL STATUS:ALIVE】
男の指がドゴの前腕装甲を擦った。
「開けろ……」
通信から雑音が消えた。
男は正面の保守扉を見ている。
「通る……」
呼吸が荒い。
「戻る……」
リッジが男の前へ回った。
「名前は分かるか」
反応はない。
「ここがどこか分かるか」
男の目は扉から動かなかった。
「仕事へ戻る……」
それだけだった。
◇
ドゴが呼吸と脈拍を確認する。
セッターはその横から男の左腕へ手を伸ばした。
『生体計測中です』
「腕は取らない」
セッターが破損した端末を外す。
『端末の取り外しも計測条件へ影響します』
「動いてない」
『動作していないことと影響がないことは同義ではありません』
「長い」
セッターは端末を裏返した。
割れた画面の一部だけが点灯する。
【第8街区設備保守員】
【勤務状態:終了未処理】
内部記録が残っていた。
氏名。
所属部署。
勤務開始時刻。
トリガー発動当日の作業予定。
セッターが一覧を送る。
『これ』
作業予定の一つが表示された。
【MAINTENANCE TARGET:SOUTH TRANSFER GATE】
【INSPECTION STATUS:NOT STARTED】
男が何度も破ろうとしていた扉だった。
『仕事に戻ろうとしてたの?』
ハリアーが聞いた。
『そう見える』
プロットが答える。
『じゃあそうなんじゃない?』
『そう見えることと、本人がそう判断していることは別だ』
『またそれ?』
『同じ問題だ』
ドゴが男の瞳孔反応を確認した。
『職業記憶が運動手順と空間認識へ残存している可能性があります』
『長期記憶は単一の機能ではなく、手続き記憶、意味記憶、エピソード記憶によって――』
「ドゴ」
『はい』
「結論」
『仕事の記憶だけが残っている可能性があります』
『それなら最初からそう言えばいいのに』
ハリアーが言う。
『質問された内容が異なります』
『もういい』
『了解しました』
ドゴは本当に説明を止めた。
◇
セッターが生体情報と捕獲記録を統合する。
移動速度。
刺激反応。
発話。
過去十二日間に残された映像。
社会的反応。
身体能力。
再分類処理が進んだ。
【REMNANT CRITERIA:INSUFFICIENT】
【PERSONALITY CONTINUITY:UNCONFIRMED】
【SOCIAL RESPONSE:LOW】
【OCCUPATIONAL MEMORY:PARTIAL RESIDUE】
【PHYSICAL ENHANCEMENT:HIGH】
【ABILITY STATUS:NONE】
表示が更新される。
【CLASSIFICATION:BOOSTED】
【FACTOR STATUS:FORCED ACTIVATION】
【MEMORY RESIDUE:DETECTED】
【RETRIEVAL STATUS:ALIVE】
『レムナントじゃなかったね』
ハリアーが言った。
「分類が変わった」
リッジは男を見る。
『搬送は?』
「続行」
『レムナント回収じゃなくなった』
ハリアーが確認する。
「生存回収条件は解除されていない」
『了解』
それで終わった。
男が誰だったのか。
どこまで残っているのか。
何を考えて扉へ戻ったのか。
それを今ここで決める必要はなかった。
搬送カプセルが区画へ入る。
ドゴが男を載せる。
セッターは破損した勤務端末も一緒に回収した。
プロットが対象の移動記録を保存する。
ハリアーは横転した清掃車両を見下ろした。
『あれ直る?』
「直す」
セッターが即答した。
『左側駆動系と前輪支持部が変形しています』
ドゴが言う。
「動く」
『移動可能であることと継続使用可能であることは――』
「また始まった」
ハリアーが言う。
『故障しています』
ドゴが結論だけに変えた。
「使える部品だけ取れ」
リッジが言う。
「最初からそのつもりだ」
『今、直すって言ったよね』
ハリアーが笑った。
「直せる部分は直す」
『それを普通は部品取りって言わない?』
「お前は黙って飛んでろ」
『飛びながら喋れるよ』
「知ってる」
◇
搬送カプセルが地下商業区を離れた。
【RETRIEVAL COMPLETE】
【CLASSIFICATION:BOOSTED】
【TRANSFER:MEDICAL CLASSIFICATION FACILITY】
【STATUS:ALIVE】
セッターが次の経路を開く。
その途中で別の端末が短く反応した。
『第十四街区で一つ起きた』
「種類」
『公共施設系』
セッターが接続履歴を表示する。
【SECTOR 14 LEGACY TERMINAL:ACTIVATED】
【ACCESS DURATION:SHORT】
【USER:UNRESOLVED】
「内容」
『教育用データ、市民記録、変異市民の分類』
「外部通信」
『なし』
「今の任務との関係」
『ない』
「残せ」
『調べないのか?』
「次の対象を出せ」
セッターは数秒だけ表示を残した。
「つまらない」
『任務はお前を楽しませるために存在していない』
プロットが言った。
「お前に言われたくない」
『何年前から同じことを言っているか確認するか?』
「いらない」
『記録はある』
「聞いてない」
次の回収候補が作戦盤へ表示された。
【NEXT RETRIEVAL SUBJECT:LOADING】
【PROVISIONAL CLASSIFICATION:AWAITING CONFIRMATION】
【CAPTURE CONDITION:ALIVE】
「次へ」
リッジが言った。
『もう上にいるよ』
ハリアーの声が先に返る。
「まだ場所を送っていない」
『大体分かる』
「大体で動くな」
『じゃあ送って』
セッターが新しい経路を接続する。
プロットは先に局所地図を開いた。
ドゴが搬送路の構造データを確認する。
『南側経路は現在の車重と路面損傷率から計算すると――』
「結論」
『通行可能です』
「南へ行く」
五人の返答は揃わなかった。
動きだけが揃った。
搬送車両は次の回収地点へ向かった。


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