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瓦礫に埋もれた旧世界の街角に、甲高い鳴動が響き渡った。
腐食した鉄骨と割れたガラス片が散らばり、焦げた油と血の臭気が乾いた風に混じる。その風に紛れて、小さな羽音が耳にまとわりついた。虫か、それとも何か別のものか。
鋼鉄製の外骨格をまとった兵士たちが、退路を塞ぐように展開する。三小隊──計十八名、世界政府直属の特別部隊《ネクス・ハウンズ》。その銃口の先には、泣き叫ぶ赤ん坊を抱いた若い夫婦の姿があった。
「親は不要だ。能力は既にサンプル済み」
小隊長は冷徹に告げ、銃を構える。
「だが赤ん坊は残せ。素材として理想的だ。抹殺対象はそれ以外、全員だ」
無機質な命令が響くと同時に、引き金が引かれた。銃声。悲鳴。母親の腕から零れ落ちた赤ん坊が、瓦礫の上に転がる。父親もまた撃ち抜かれ、血の中に崩れ落ちた。赤ん坊だけが生かされる。その泣き声は、かえって戦場の残酷さを際立たせた。
逃げ惑うアウトサイダーズの民たちもまた、銃弾に倒れていく。小隊長は眉一つ動かさずに命令を繰り返す。
「全域掃討。赤ん坊の捕獲を最優先──」
だが、その声をかき消すように、大地が揺れた。
「いいねぇ! 骨が折れそうだ!」
土煙を突き破り、巨体が乱入する。熊のごとき腕が振り抜かれ、第一小隊の兵士を外骨格ごと壁に叩きつけた。鉄骨が砕け、兵士は呻き声を上げる間もなく沈黙する。グリズロス。その眼は、標的を嗅ぎつけた獣のように血走っていた。
「解析完了──防御壁展開」
次いで、透き通る結晶の壁が銃弾の雨を弾き返す。跳ね返った弾丸が兵士自身を貫き、悲鳴が散った。姿を現したクリスタリクス。その半透明の肌は淡い光を帯び、街角を冷たく照らし出す。
そして、一陣の風が駆け抜けた。
気づけば、瓦礫の上に取り残されていた赤ん坊は、誰かの腕に抱かれていた。
「一秒、貸して? それで十分だから!」
冗談めいた声と残像。マッハラインが子を抱き上げ、第一小隊の網をすり抜けていた。
「捕獲対象が移動──!」
「くそっ、囲め!」
銃声の隙間に、再び羽音が混じる。爆炎に照らされ、黒い点が散り散りに飛んでいった。
第二小隊が反転し、電磁ネットを展開して突撃する。重装兵のスーツが唸りを上げ、赤ん坊ごとマッハラインを絡め取ろうと迫る。


「任務遂行! 対象は回収する!」
だが、マッハラインは嘲笑と共に瓦礫を蹴った。
「遅い遅い! 俺の自由は、誰にも縛れねぇ!」
次の瞬間、兵士たちの網は空を掴み、彼はすでに別の場所に立っていた。
グリズロスの咆哮が戦場を揺るがす。
「弱きを狩る犬どもが……俺の拳に耐えられるか!」
熊腕が振るわれ、外骨格ごと兵士を粉砕する。
「秩序乱れすぎ。矯正する」
クリスタリクスの結晶槍が閃き、上空のドローンを撃ち落とす。羽音が途切れ、爆ぜた残骸が火花を散らした。
第三小隊が最後の布陣を組み、小隊長が吠えた。
「任務に失敗すれば……お前たちの家族が危険に晒される! だから殺せ! 赤ん坊以外は全員だ!」
その叫びは兵士たちの心を縛りつける鎖だった。迷いを抱えながらも、銃口は決して揺らがない。家族を守るための虐殺──それが彼らの正義だった。
しかし、その正義はスペリオルズの思想と真っ向から衝突する。
グリズロスの猛撃が外骨格を粉砕し、クリスタリクスの結晶壁が銃弾を弾き返し、マッハラインの速度が銃口を空しく追わせる。十八名のうち、ほとんどが瞬く間に地に伏した。
残るは小隊長ただ一人。血に塗れ、膝をつき、武器を投げ捨てる。
「頼む……! 俺には家族がいるんだ……娘の誕生日なんだ……この任務が終わったら帰ると約束したんだ……!」
マッハラインは一瞬、腕の中の赤ん坊を見下ろし、足を止める。
その視界を、グリズロスの巨体が遮った。
「……見なくていい」
クリスタリクスが無言で結晶の刃を形作る。
影が揺れ、鈍い音が響いた。
羽音が、不自然なほど鮮明に戦場を満たす。
赤ん坊が激しく泣き叫ぶ。
マッハラインは震える手であやし、声を絞り出した。
「なぁ、泣くなよ……笑えよ。泣いてたら、自由も逃げちまうだろ?」
泣き声は次第に細り、やがて止む。
小さな吐息。赤ん坊がほんの一瞬、笑ったように見えた。
戦場に、重苦しい沈黙が訪れる。
倒れ伏した兵士たち。崩れ落ちた瓦礫。血と煙の臭気。
その中で、マッハラインは赤ん坊を抱き直し、静かに歩き出した。
金属と機械油の匂いが冷たい空気に溶け、厚い壁が外界の全てを拒絶していた。
天井を走る配管と光条は、巨大な機関の心臓部を思わせる。壁際や奥の通路では第一世代のネクス能力者たちが訓練や機材整備に励み、重い衝撃音や電子音が響く。ここが単なる拠点ではなく、戦力を蓄えた要塞であることを示していた。
天井近くでは小さな羽虫が光に惹かれて旋回していた。
石造りの回廊を抜けた先に、巨大な円形ホールが広がる。そこは《アーク・ゼロ》──スペリオルズの本拠。
マッハラインは赤ん坊を抱えたまま先頭を進み、グリズロスとクリスタリクスが無言で続いた。戦場に響いていた羽音はここには届かず、静謐が支配していた。
ホールの奥から従者が現れ、赤ん坊を受け取る。小さな命は奥へと運ばれていった。 誰も言葉にはしなかったが、その背を見送る仲間たちの胸中には──あの子こそが未来の象徴である、という確信が芽生えていた。
マッハラインは名残惜しげに視線を追い、グリズロスは拳を握りしめる。クリスタリクスは冷徹な眼差しを崩さなかったが、確かな安堵を背に漂わせた。
ホールの一角で、グリズロスとタウロスが向かい合っていた。
互いに腕を組み、顎を突き出し、低い声で挑発し合う。
「この間のは俺の勝ちだな」
「お前の夢の中ではな」
「言ったな……じゃあ、今ここで決めるか?」
グリズロスが卓上の空きスペースに肘をつき、タウロスも負けじと腕を乗せる。ごつい手と手が組み合わされ、周囲がざわついた。
「よーし、始め!」と誰かが声を上げると、二人の筋肉が一斉に隆起する。
甲高い金属音のような軋みが響き、数人が笑い、別の者は呆れた表情を見せた。
ざわめきに混じり、梁から羽虫がひらひらと落ちたが、誰も気に留めなかった。
少し離れた場所では、ポイゾナスが腕を組み、黙って中央を見つめていた。ドミネーターから現場責任者を任されていたが、その緊張は無意識に体を強張らせ、足元から淡い毒の靄が滲み出していた。
「少し、毒が出てる」
静かな声に振り向くと、クリスタリクスが立っていた。半透明の結晶皮膚が淡く光り、毒気を受けても動じない。
「大役だからって、固くなる必要はない。あなたなら大丈夫」
そこへ白装束のオラトリオが歩み寄る。銀の瞳は遠くを見つめるようで、その声は詩のように流れた。
「絆は時に鎖となり、時に翼となる。血と名を分け合う者は、その重さを知るだろう──終わりが訪れるその瞬間、鎖は引き千切れ、翼は黒く焦げ落ちる」
意味の掴めぬ言葉であったが、ポイゾナスはその響きを心に刻む。クリスタリクスが肩に軽く手を置くと、毒の靄はゆっくりと薄れていった。
別の一角では、マッハラインがスプロケットに近づき、子供のように肘で突っついた。
「なぁなぁ、その装置ってさ、もし俺が光速で走ったら追いつける?」
突然の質問にスプロケットは言葉を詰まらせる。
「……えっと、それは──」
横からフェイズが割って入った。
「お前、またそうやって困らせてんのか。放っておくと永遠に続くぞ」
軽い皮肉に、マッハラインは悪びれもせず笑った。
「いやー、ちょっと聞いてみたくてさ」
スプロケットは小さくため息をつき、フェイズに軽く会釈した。
低く重い足音がホール全体を満たす。奥の扉が開き、ドミネーターが姿を現した。その瞬間、梁に潜んでいた羽虫が光に驚き、羽音を散らした。
漆黒の仮面とスペリオルズのマークが目立つ仮面、威厳さを与えるマント、重装甲の光沢が威厳を帯びる。その隣には目を閉じたヴェスパーが添えられ、静かに歩いていた。
「では、始めよう」
ドミネーターの言葉を受け、ヴェスパーは禅の姿勢で膝をつき、呼吸を整えてから銀の瞳を開いた。その瞬間、ホールにいた者たちの脳裏にイメージが直接流れ込む。
──旧パース。崩れたドーム骨組み、焼け焦げた街路、瓦礫の山。旗印を掲げる武装集団と、遠くで揺れる火柱。現実の視界と重なり、二重写しのように揺らめく。
「ここが戦場。守る者も、壊す者もいる……哀れだね、どちらも。──まあ、せいぜい惨めに足掻いて見せなさい」
ヴェスパーの言葉とともに映像が歪み、像は消えた。
「グリズロス、クリスタリクス、マッハライン──吾輩と共に来い」
三人はそれぞれの流儀で応じる。
グリズロスは両拳を打ち合わせ、鼻息と共に口角を上げる。
クリスタリクスは体の結晶を流動させ、感情の高まりを示す。
マッハラインは脚のストレッチをし、「よし」と声を漏らした。
ヴェスパーの瞳が再び光り、別の像を結ぶ。
夜のトーキョー・シティ。街は赤黒い光に覆われ、通りを徘徊する人影はもはや人ではなかった。呻き声を上げ、腐敗した手を伸ばすゾンビ化した市民たち。
「ここにも、救いを求める者がいる……だが、その救いは届かない」
「協力者がいる」
ヴェスパーの言葉に、ドミネーターはスプロケットへ視線を向ける。
「呼べ」
スプロケットは無言で端末を操作した。光粒が集まり、ラズとEVAの姿が浮かび上がる。
「よ、全員揃ってるな。……悪い、今ちょうどトースト焦がしてたとこだ」
ラズの肩越しには窓辺の光景が映り、日常の匂いを漂わせる。
EVAは無言で一歩前に出、ホールの全員を見渡した。
ドミネーターは仰々しく告げる。
「彼らは我らの同胞、時を越え、世界を渡りし知恵と力の担い手だ」
「ポイゾナス、フェイズ、タウロス、スプロケット、オラトリオ──トーキョー・シティへ赴き、勝利の鍵を確保せよ。それは世界を変える起点となる。選ばれし者にしか握れぬものだ」
その声は重みを持ちながらも、反論の余地を与えるかのように響いた。 ポイゾナスは黒曜石のイヤーカフを指で確かめ、フェイズは面倒そうに首を回しながらも真剣な眼差しを見せる。タウロスは胸元の獣骨のペンダントを握り、スプロケットの肩を軽く叩いて安心させた。オラトリオは水晶玉を掲げ、漆黒のモヤが蠢くのを見つめた。
ドミネーターはさらに続けた。
「旧人類は己を支配者と錯覚している。だが戦場で我らは未来を守り、新たな命を抱き帰った。それこそが、新人類の証明だ」
転送は別室で行われた。そこではヴォルトが椅子に座り、全身をケーブルと装置に繋がれていた。
「転送シーケンス起動──座標固定──ルート確定」
無機質な声が響き、間を置いて軽口が返る。
「さて最初はトーキョー・シティ行き。名物は混乱と悲鳴、スリル満点の市街地観光でございます。ではごゆっくり」
ポイゾナス、フェイズ、タウロス、スプロケット、オラトリオの五人が光に包まれ、姿を消す。
「続いて旧パース・シティ行き。歴史と荒廃の共演、危険と栄光が交差する名所巡りをお楽しみください」
光柱が収束する直前、天井の暗がりを一匹の羽虫が横切った。その微かな影は光に呑まれ、すぐに消えた。
ドミネーター、グリズロス、クリスタリクス、マッハラインの四人が光柱に包まれ、空間がねじれていった。
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