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警報の赤光が制御室を染め、振動が鉄骨を伝って床を震わせた。裂けるようなサイレンが途切れ途切れに鳴り響き、兵士たちの叫びと金属音が混じり合う。[統律特命局]ベータチームはすでに防御態勢を整えていた。
サイレンの甲高い波の裾で、かすかな羽音が混じる。黒い点が赤光の中をゆらぎ、熱と煙に押されて天井付近で渦を巻いた。誰も気に留めない、だが視界の端で揺れるその微細な影は、戦場の匂いに吸い寄せられるように漂っていた。
扉の向こうから轟く足音——重量が鉄を打つ、規則性のない重いリズム。それが近づいてきた瞬間、シャレヴが低く呟く。
「……来るぞ」
厚い防爆扉が衝撃で微かに歪み、次の瞬間、鉄板ごと吹き飛んだ。砂塵と共に現れたのは、獣のごとき巨体——グリズロス。そして結晶に覆われた白い影、クリスタリクスがその隣に静かに立つ。ヴェスパーの誘導で侵入者の位置を特定していた二人は、迷いなく制御室に突入してきた。
「侵入者、発見」
冷ややかな声を漏らしたクリスタリクスが、赤光に反射する結晶を広げる。
シャレヴが先に動いた。体表が淡く揺らぎ、筋線維がきしみを上げる。《モーフ》が一瞬で活性化され、関節角度と踏み込みの軌跡が「殴り切る」ための形へ最適化される。床を割る踏み込みから拳を突き出す。
拳は確かにグリズロスの顎を捉えた。鈍い衝撃音と共に巨体がわずかに揺らぐ。
「おお……!」
ワサンが驚嘆の声を上げた瞬間、グリズロスの笑みが赤光に浮かぶ。
「悪くねぇ……だが軽い!」
豪腕が唸りを上げ、シャレヴの胸を直撃する。衝撃で身体が宙を舞い、制御盤に叩きつけられた。鉄板が歪み、火花が散る。
鉄板に背を打ちつけた瞬間、胸の奥で古傷が疼いた。かつて偽装に失敗し、仲間を一人失った夜——血に濡れた床に取り残された自分の拳。それを忘れることはなかった。
(……今度は失わない)
歯を食いしばり、彼は再び立ち上がった。
ワサンは咄嗟に身体を《フューム》で煙化させ、宙を舞うシャレヴを包み込んだ。濃い煙幕の中で衝撃を和らげ、床に滑り落とす。
ワサンの胸の奥では、いつも焦燥が渦を巻いていた。煙化は便利だが、肉体を霧に変えるたびに神経が焼け、戻るたびに肺が裂けるように痛む。そのたびに「次は完全に散って戻れないかもしれない」という予感が頭をよぎる。
それでも笑い声で自分を塗りつぶすしかなかった。恐怖を隠す術は、軽口と毒舌しかないのだ。
「さあ来なさい、煙のダンスに付き合ってもらうよ!」
叫びは空元気に近かったが、その身体は確かに仲間を庇う壁となっていた。
「まだ動けるか」
「……かろうじてな」
血を吐きつつも、シャレヴは歯を食いしばって再び立ち上がる。
一方で、ハナンが兵士たちに手を伸ばした。次の瞬間、三人の兵士が一斉に銃を構え、クリスタリクスへと発砲する。だが結晶の壁が瞬時に広がり、銃弾をすべて弾き返した。跳弾が天井を撃ち抜き、火花と粉塵が降り注ぐ。
「……なら、直接だ」
ハナンの視界が反転する。精神が肉体を離れ、《ホロウ》で結晶の肉体へ突き刺さるように侵入を試みた。が、次の瞬間、灼けつくような痛みと共に弾かれる。結晶化した肉体は魂すら通さない。跳ね返された精神が自分の肉体に叩き戻され、ハナンは膝をついて呻いた。
「ぐっ……!」
「無駄だ」
クリスタリクスの声は氷のように冷たい。
「我に触れることはできぬ」
吐き出した血は熱く、舌に鉄の味が広がった。憑依の度に、他者の声や記憶が脳裏に流れ込む。さっき触れた兵士の心には「母に会いたい」「家に帰りたい」という断片があった。その切実さが、ハナン自身の精神を削り取っていく。
(私は……どれだけ他人の人生を背負えばいい?)
震える手を床につき、必死に意識を繋ぎ止める。仲間の声がなければ、すでに自我は霧散していた。
グリズロスが笑いながら踏み込んでくる。床が沈み、鉄板が悲鳴を上げた。
ワサンが煙を濃く広げて包囲し、視界を断とうとする。しかし、巨体は迷いなく突進してきた。煙の中で蠢く影を本能で捉え、豪腕を振り抜く。
風圧だけで煙が裂け、ワサンの体が揺らぐ。辛うじて回避しつつ、再びシャレヴを援護。
「やっぱり直感で動いてやがる……効きが悪い!」
それでも三人は連携を切らさない。シャレヴが踏み込み、ハナンが兵士を操って退路を作り、ワサンがその隙を煙で覆う。決して勝てない相手に対しても、彼らは確実に「時間」を稼いでいた。
閃光が弾けるたび、天井近くに漂う黒い点々が散り散りに飛ぶ。血の臭気に誘われるように、微かな羽音が戦場の周縁で増えていった。
そこへギアホールドの兵士たちが雪崩れ込む。スペリオルズを侵入者と誤認した彼らは、一斉に火線を浴びせた。
グリズロスの肩に弾丸が食い込み、肉が裂ける。だが本人は狂喜して笑う。
「いいね! いいね! これぐらいじゃなきゃ面白くねぇ!」
銃弾を浴びるグリズロスは太い腕を顔の前でクロスさせ、筋肉の膨張によって防いでいた。
全弾を打ち尽くした兵士たちは、目の前に立っている大男がゆっくりと両腕を下げ、張り付いた笑みと血走った眼光を見て驚愕する。
「さあ! こっちの番だ!」
振り下ろされた腕が兵士をまとめて薙ぎ払い、壁ごと粉砕した。血飛沫と鉄片が飛び散り、兵士たちが悲鳴を上げる。
クリスタリクスは冷静に状況を制御。結晶の槍を伸ばし、邪魔な兵士を正確に貫いて排除していく。
「……逃すわけにはいかない」
クリスタリクスの瞳は常にベータ三人を捉えて離さない。
「隙がないんだな」
細胞操作によって傷ついた内臓を少しずつ回復させるシャレヴ。
一方のワサンも兵士の突入で急激な空気圧で強い風が発生し、煙化から元に戻っていた。
ハナンはクリスタリクスの結晶化で弾かれたせいで精神的なダメージを受け、体にも影響があって口から血を流していた。
その後方の通路では、フェリッサ・フィエロが子どもを抱き、負傷兵を支えながら避難を導いていた。煤と薬草の匂い、祈りの布が煙に揺れる。彼女は泣き出した少年の背をさすり、母親の震える手を包み込む。
「こっちへ。通路K、医療区画へ繋がっている。みんな慌てないで!」
彼女の声はかすれているのに、不思議と周囲の騒乱を鎮める重さを持っていた。
瓦礫の陰からそれを目にしたシャレヴは、胸の奥で小さな違和感を覚える。

(敵にすら、誰かを支える力がある……)
その思考はすぐに戦場の轟音に掻き消されたが、心の奥に確かな棘のように残った。
轟音が制御室を揺るがす。外壁を貫く衝撃——〈レールガン〉の砲撃による衝撃が響いた。火炎が吹き込み、崩落した鉄骨が散乱する。
その隙間から、装甲を纏った巨影が現れた。アイアンキング。兵士を率いて堂々と制御室へ踏み込む。
「裏切り者ども……この場で葬る!」
彼の声は戦場の騒乱を切り裂いた。
砲口がスペリオルズへ向けられる。兵士たちもそれに続き、戦場は新たな軸で割れた。
遠く、別区画の衝撃波が遅れて壁を叩く。別の戦線が動いている。ここだけが戦場ではない、という現実が鉄骨の軋みに混じって伝わってくる。
その混乱の中に、白装束の影が立っていた。
オラトリオ——詩を紡ぐ異端の存在。
「——声は影を裂き、影は声を呑む。敵は友、友は敵。燃える焔は視界を覆い、鋼鉄は血を欲する」
その声が空気に染み込み、兵士たちの視界を歪ませる。銃口が仲間へと向き、錯乱が爆発的に広がっていった。赤光と煙と血飛沫の中で、制御室は狂気の舞台と化す。
その時、遠くの区画から地鳴りが響き、壁の亀裂がぱきりと音を立てて広がった。
別戦線の爆発だ。彼らの戦いは決して孤立したものではなく、街全体が同じ鼓動に巻き込まれている。 天井近くを漂っていた黒い点々が、熱の乱流に煽られて一斉に渦を巻く。閃光がその小影を瞬間的に白く抜き、次の瞬間にはまた闇へ溶けた。
混沌の渦中、通信が走る。
『……成功。小型融合炉、停止完了』
ミーラの淡々とした声。直後、制御室の照明が一斉に落ち、闇が支配した。
「今だ——撤退する!」
シャレヴが仲間を掴み、瓦礫の隙間へ飛び込む。ワサンの《フューム》が後を覆い、ハナンが操る兵士で追撃を妨害。
先頭を駆けるシャレヴの脳裏には、幾度も繰り返してきた「撤退」の記憶がよぎる。失敗すれば仲間は死ぬ。その事実を最も冷静に理解しているのは、自分自身だ。
(だからこそ、観測者である俺が前を走る。二人を連れ出すのは俺の役目だ)
胸の奥で疼く古傷を押し殺し、彼は暗闇の先へと視線を固定した。
後方を覆う煙をさらに濃くしながら、ワサンは口角を無理やり吊り上げた。
「ははっ……退路なんて、いつもアタシの煙頼りよね」
冗談に見せかけて、自分の恐怖を塗りつぶす。だが神経が焼ける痛みは笑いでは誤魔化せない。
(次で終わるかもしれない。それでも、この二人を前へ進ませるなら本望だ)
咳き込みながらも、彼は濃霧の壁をさらに押し出した。
操られた兵士たちの瞳は虚ろで、だが足取りは迷いがない。
その一歩ごとにハナンの精神は削られていく。他人の声、断末魔、願い——すべてが胸に重石のように沈んでいた。
(私は何人の人生を背負えば気が済むんだ……)
血を吐きながらも彼は踏みとどまる。仲間の退路を確保するために、心が砕けても構わないと覚悟して。
グリズロスの咆哮が闇を裂く。
「逃がすなァ!」
結晶の光が追いかけるが、迷路のような闇に阻まれる。
闇に紛れて退路を抜ける刹那、シャレヴの視界に灯が揺れた。砕けた装甲の中で膝をつく巨影と、その傍らに寄り添う白衣の女——煤に汚れた手が、仮面へとそっと触れる。
「……すべてを、失った……」
嗄れた声。
「いいえ」
ささやきは静かだった。
「住民はまだここにいる。やり直せばいいだけ」
鈍い音が一つ、瓦礫に転がる。重い仮面が落ちたのだと気づく。
「私は……王ではない」
断片の向こうで、男が顔を上げる。
「——これからフェラン・フィエロとして」
そこまでが、耳に届いた限界だった。
シャレヴは目を伏せ、前だけを見る。確かめに戻る時間はない。自分たちの役目は、ただ退くこと。
血の匂いに誘われて漂っていた微細な影が、風の抜け道に集まって渦を巻く。背後で起きている「再生」の灯火は、黒い点の向こうでまたたいていた。
三人の影は迷路の闇に溶け、やがて制御室から完全に消える。
——赤光と黒煙の記憶は、誰かの記録媒体の上で静かに点滅を続けている。

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