Scene.28 ―「継がれた欠片たち」

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▼オリジナル小説

──ねぇ、あのとき、ほんとうに、わたしはここにいたのかな。

 風が、そっと吹いてた。
 焼け焦げたものの匂いと、もう誰にも呼ばれなくなった時間のかけらたちが、空気のすき間に溶けて、静かに舞っていた。

 遠くで、何かが崩れるような音がして、それはすぐに風に消えた。

 その中で、金属の音が、ひとつ。
 ……チリ、ン……。
 呼吸とまちがえるほど小さな音。
 けど、たしかに、そこに“いた”。

 それは、わたしがもらったものだった。
 わたしが、渡したものでもあった。

 でも、名前はなかった。
 だれのでも、なかった。
 それでも、ずっと、そこにあった。

──ねぇ、誰かが歩き出すのを、見たことがある?

 声もかけずに、ただ背中だけ残して、遠くに、静かに、行ってしまう。
 その歩幅に、きっと、何かがあったんだ。
 でも、それが“何”なのか、言葉にはならなかった。

 誰かが目を伏せたとき、そこには、ひとつ分の寂しさが落ちてた。
 わたしには、それが、すこしだけ分かった気がした。

 ……それだけで、じゅうぶんだった。

 いろんなものが、残されてたんだ。
 こわれた飾りとか、ひびの入ったびんとか、骨のかけらとか、返事にならなかった声も。

 どれも、きれいじゃなかったけど、でも、それが“あった”ってことが、とても、たいせつに思えた。

 手に取ったわけじゃないのに、なぜか、胸のあたりに重さがあって、気づくと、涙がこぼれそうになってた。

 それはきっと、“言葉にしないもの”を、誰かが残していったから。

 ふるえた手とか、渡せなかったままの贈りものとか。
 その全部が、わたしのなかに、すこしずつ重なっていった。

──ねぇ、わたしは、なにかを受け取っていたのかな?

 誰にも言われなかったけど、誰かが「お願い」って、小さな声で思っていたような、そんな気がして。

 だから、手をのばさなかったのに、なぜか、ちゃんと持っていた。
 名前がないものを、どうして“覚えている”ってわかるんだろう。

 ふしぎだね。  音も、色も、言葉もなかったのに。
 それでも、わたしは、それがここにあるって、信じてた。

 あの人の背中を、誰かが見送ってた。
 その視線の先に、もういないのに、でも、まだそこに“いた”。

 誰もが、どこかで足を止めて、そしてまた、歩いていった。

 それが、バラバラだったはずなのに、なぜか、みんな、おなじ方向を向いていた気がした。

 “選んだ”のか、“選ばされた”のか。
 ……どっちでもいいんだと思う。
 だって、その一歩が、ぜんぶを、ほんのすこし、あたたかくしていたから。

 わたしは、名を呼ばれたことがある。
 ひとりだけじゃなかった。
 でも、たぶん、その全部が、“はじめて”みたいに感じた。

──ねぇ、だれかの“願い”って、さわれないはずなのに、こんなふうに胸を押してくるんだね。

 わたしの目の前に、ちいさな花が咲いてた。
 瓦礫のあいだから、こっそり顔を出してた。

 手を伸ばせば、きっと届いた。
 でも、わたしは、触れなかった。

 だって、触れなくても、それが“生きてる”って分かったから。
 それだけで、うれしかった。

 足もとに、誰かの足跡があった。
 もう、崩れかけてたけど、まだ、かすかに残っていた。

「ここを通ったよ」って、声の代わりみたいに、静かに語ってた。

 わたしは、それを追ったんじゃない。
 ただ、おなじ方へ歩いただけ。

 風がまた、ひとひらの塵を連れて過ぎた。
 その瞬間、足跡は完全に消えてしまったけど──ちゃんと、見てた。

──ねぇ、それは、誰かの意志だったと思う?

  それとも、わたし自身の選択だったのかな?  それとも……

 この問いを投げてたのは、ずっと前から“わたし”じゃなかったのかもしれない。

 風が、吹いてた。
 すごく、静かで、それでいて、すごく、あたたかかった。
 まるで、誰かが笑ったときの、呼吸みたいだった。

 その中に、わたしの足音が、ひとつ。
 誰にも気づかれないくらい、小さくて、ちいさな一歩。
 でも、それがあったことは、わたしだけが知ってる。

──それで、じゅうぶんだった。

 それは、継がれたものだったのかな。
 それとも、生まれたばかりのなにかだったのかな。
 どちらにせよ、わたしは、それを“受け取った”気がした。

 わたしは、なにを見てた?  なにを、残して、なにを、手ばなした?  なにを、……なにを、継いだんだろう?

──チリ、ン……。

 また、金属の音が鳴った。
 それは、名前のない、ちいさな返事だった。

 風が、吹いてた。
 今も、まだ。

──ねぇ、ほんとうに、これでよかったのかな。

 わたしには、まだ、わからない。
 でも、たぶん、それで、いいのだと思う。

──風が、吹いていた。すれ合う金属音とともに。

 わたしは、ここにいた。
 ……たしかに、そう思える気がした。

 名を呼んでくれた、あなたがいたから。

──陽の名を持つ、わたしを。

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