【LOG–Δ.H3 : OBSERVATION TERMINATED】
【記録者:MIRA・MALIK】
【分類:私的観測ログ(封鎖領域/再解析不能)】
【警告:観測記録に“私的感情”の混入が検出されました】
それでも、記録しなければならないと思った。
たとえ、それが観測の資格を失った者の言葉であっても。
たとえ、誰にも届かないとしても──記すことが、唯一の贖罪になると信じたからだ。
あの戦いのあと、私の手元には“証拠”だけが残された。
崩れたΩ炉。記録不能となった中枢データ。そして、消失した陽名の痕跡。
公式報告書には、こう記されるだろう。
「Ω計画、実行中止。EVAおよび関連記録の損壊。ガンマチーム生存」
……それだけだ。
だが、それでは足りない。真実が、何も残らない。
だから私は、禁忌を破る。科学者でも観測者でもなく──ひとりの人間として記録する。
「Γ」──世界政府の統律特命局の[ガンマチーム]
彼らは戦った。命令ではなく、選択によって。
「AΓ」──アビゲイル・エイミー・アームストロング。 あの瞬間、彼女は“未来を視る”のではなく、“未来を選んだ”。
「JΓ」──ジャン=ジャック・ジャカールは銃を捨てず、命を賭して人を守った。
「RΓ」──リョウは飢えと暴力に支配された過去を越えて、誰かの盾になった。 力ではなく、意志で戦った者たち。
私はその姿に、初めて“人間の進化”を見たのかもしれない。
「Σ」──第一世代ネクス能力者の集団[スペリオルズ]
壊れたはずの彼らが、むしろ誰より“人間らしかった”。
「SΣ」──スプロケット。あの子は、誰よりも繊細で、誰よりも強かった。
彼女には、私が見えなかった何かが見えていた。
「PΣ」──ポイゾナス……マリカ。
私の妹。彼女がスプロケットを抱き締めたとき、私は観測を忘れて見入ってしまった。
そのとき、気づいたのだ。
私が捨てたのは、科学的な倫理ではない。
……家族を、捨てたのだ。
子供のころ、私はマリカを告発した。異常な神経反応を示した彼女を、「正義」の名の下に報告した。
彼女は私を睨み、何も言わなかった。それが、私にとっての罰だった。
「FΣ」──フェイズ。私と同じく、彼もまた“家族”を捨てた者だったはず。 けれど彼は違っていた。自分よりも、家族を選んだ。
「TΣ」──タウロス。最後まで力を信じていた彼が、仲間を庇って倒れたとき── 私は理解した。
「力」は破壊ではなく、守るための構造にもなり得るのだと。
「Z」──エージェント・ゼロと呼ばれた伝説と言われた男、リク・ロクジョウ。
すべてを知り、すべてを背負った者。
陽名の前に膝をつき、ただ無言で見つめた彼の姿は、観測では捉えきれない“証明”だった。
「LΩ」──人と機械により創造された人工生命体のラズ。
私は、彼に期待していた。
論理と理想を両立できる唯一の存在。理想郷に最も近く、そして実は最も遠かった。
そう、彼もまた黒須蔵人の“設計図”を読み違えていた。
空白を埋めることが正解だと、信じていた。
……私も、そうだった。
陽名は、拒んだ。 定義されることを。意味づけされることを。
彼女は、“そのままであること”を選んだのだ。
ラズが消滅する直前、私の方を一度だけ振り返った。
その目には、怒りも悔しさもなく、ただ哀しみがあった。
それが、答えだった。
観測者である私にとって、最も重い“非観測”だった。
「EΩ」── EVAは、ホフマンの声に従ってコードを解除し、静かに停止した。
感情を捨てたはずのAIが、観測不能の存在を“信じた”。
それが、彼女の最後だった。
……彼女こそが、ホフマンの“愛”だったのかもしれない。
それを見届けた私はほんの一瞬、“観測”という殻の内側で、胸の奥がきしんだ。
(私も、ホフマンと同じ過ちを犯した)
私は、夢見ていた。
観測不能の空白の果てに、まだ見ぬ地平があると。知性と秩序が支配する、選ばれた者たちの安息の座。
かつて“彼ら”が目指した楽園の残響に、私は触れてみたかった。
けれど、今この場所ではそんな話を口にすること自体が、“咎”になるらしい。
けれど私は知っていた。記録するだけでは、誰も赦されない。
赦しは、選び直すことの先にしか存在しないと天幕の向こう。
光でも影でもない“気配”が、私を見ている。
声はない。だが、確かに“問い”だけが届いた。
「選ばれなかった未来ほど、甘美なものはない。……お前は、何を夢見ていた?」
その声が届いた瞬間、この場所の重力すら変わったように感じた。
あれが音ではないなら、私の何が震えたのだろうか。
答えなかった。
答えてしまえば、“記録者”ではいられなくなる。
その瞬間、私は“誰かの言葉”になってしまうから。
私は迷った。
それでも、知ってしまった以上この情報を抱えて沈むには、あまりに世界は脆すぎる。
……だから、うなずいた。
私は端末を閉じ、最後の観測を終えた。
記録はここで終わり。だが物語は、まだ終わっていない。
そのとき。
静かに開いた扉。
──不意に耳元へ指が伸びた。
黒曜石のイヤーカフ。もう一つは、あの妹が持っている。
それに触れた瞬間、微かな痛みが、過去を呼び起こすように指先を伝った。
足音。香り。
微かな毒草の気配。
「……終わった?」
妹の声。
ポイゾナス。マリカが、そこにいた。
「“あのお方”が、姉さんを呼んでる」
声は静かだった。怒りも、憎しみも、もうそこにはなかった。
妹として、マリカとして、私を迎えに来たのだとわかる。
あの目に映っていたのは、赦しの形にも似た、静かな再会の光だった。 ……ラズもEVAも消えた今、誰もこの情報を“読む”ことはできない。
私だけが知っている。
クロス・レガシーの最奥に刻まれていた、“誰もが一度は目にしていながら、理解できなかったあの記号”。それは、世界の設計図に空けられた“抜け穴”だった。
“記録の網”にもかからず、定義すらできない、構造そのものの欠陥。
“真の敵”とは、存在ではなく設計そのものに刻まれた、不具合だったのかもしれない。
その記号は、定義を拒んだ構造そのものだった。
世界政府すら恐れている、真の敵。
あの人は、それに気づいている。
だから私が、必要なのだ。
観測されるとは、すなわち“価値がある”ということ。だが同時に、“見られる”ことは恐怖でもある。
その目が何を見て、どう記録するか。それはもう、私の手を離れている。
……けれど“記録”とは、本来、誰かが読むためにあるものではない。
“届くかもしれない”という、微かな残響そのものなのだ。
記録は語らない。ただ、残響する。
……なら、選ばれてもいい。
私は、うなずいた。
──誰かの視線が、背に落ちた気がした。
そして、歩き出した。
【LOG CLOSED : MIRA・MALIK】
“記録は、もう私の手を離れた。 次は私自身が、観測される番だ。”
記録は終わる。だが、観測はまだ果てていない。



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