Scene.10 ―「ふれたとき、それはまだ動いていなかった」

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オリジナル小説

【<REFLOG–Δ.H0> : OBSERVE MODE / TEXT-ONLY】
【EVA──「通信接続。対象:リク・ロクジョウ。感情変動値 0.42 ― 安定域外」】

 灰色の夕凪が、廃ドーム都市をゆっくりと撫でていた。空はどこまでも鈍色で、雲の切れ間から垂れる光はまるで、廃墟の記憶を探るように差し込んでいた。
 風は吹いていない。だが、瓦礫の隙間をすり抜ける微かな気流が、薄く埃を舞い上げていた。遠くで鉄骨が軋む音がした。

 それは、この都市にかつて人がいたことを思い出すかのようだった。崩れかけた梁の影に、光の筋が射し込み、かすかに煙の粒を照らす。焦げ跡の残る床には、濃くなった赤黒い痕が点々と並んでいる。焼けたゴム、血のにおい、鉄のさび。沈黙の中に残るのは、“誰かが暴力を置いていった”という記録だけだった。

 吹き抜けの管理棟。壁には殴打痕が残り、床には血のしずく──数時間前、アウトサイダーズに絡まれた形跡だ。リクは椅子に座り込んでいた。左腕の義手と左眼の義眼は、青白いラインが途切れがちに点滅している。生身の右手には、傷だらけのスキットル。刻印“C.C.”が錆びに埋もれかけていた。その金属の表面を、リクの指先が静かになぞる。指先がその表面をなぞるたび、金属の凹みに入り込んだ赤錆が爪に引っかかった。この傷が刻まれた時、彼女はどこで、何を思っていたのか。

 そんな問いが、喉の奥で滲んで消える。机代わりのコンテナの上には、分解された旧式の大型リボルバーが置かれている。薬莢を抜かれたシリンダー、外されたトリガー機構、油に濡れたクロス。リクは小さな工具で内部を拭いながら、静かに息を吐く。 

(考えるな。ただ、手を動かせ)

 磨くほどに重みが戻る。だが、それは“答え”ではない。彼は無言で蓋を開け、酒を口に含む。

 (……ここから先は、戻れない)

 そんな感覚が背中を這う。だがそれでも、あの日の“約束”が指を動かしていた。
 そして、漆黒の球体〈ラズの招待状〉に手を伸ばした。漆黒の球体に触れるとき、彼の呼吸はかすかに詰まった。

 〈ラズの招待状〉──それは兵器でも鍵でもない。ただ、何かを「選ばせる」ための装置だと、彼は本能的に理解していた。

【EVA──「接触確認。記録ログ Δ.H0 開示」】

 青白い閃光。世界が裏返る。映像的フラッシュバック。時刻タグは20年前に巻き戻る。

———

【<過去ログ再生中──映像記録元:ドーム都市[サルベーション・モデル0]>】

 ホフマン:『映像系統オールグリーン』
 ジェフリー:『捕獲対象4。支援射線を維持』
 ケイト:『リク、無理はしないで。殺害は禁止よ』

◆ Phase.1 ─ マストドン(野生系ネクス能力者/象型変異)

 突進──鉄骨を構えた巨体が地響きを上げて突っ込んでくる。
 皮膚は灰白色に変色し、顔面は象のような異形化が進行していた。目は虚ろで、理性の痕跡は見えない。
 リクは一歩踏み込み、巨体の進路を逸らすように肩で弾く。
 瞬間、義手に蓄積されたエネルギーを解放。
 半回転の体勢から側頭部に打撃を叩き込む。
 重い衝突音。マストドンは吹き飛び、背中から壁面へ激突。鉄骨が崩れ落ち、彼の巨体を押し潰した。

 ホフマン:『対象マストドン、頭部強打による神経遮断。意識喪失。生命反応あり』

 【EVA──「捕獲完了。出力低下 +0.3%|累計 0.3%」】

◆ Phase.2 ─ スモークブリンガー(元素系ネクス能力者/粒子放出)

 黒煙が突然視界を覆う。
 ……マスクの奥に覗いた双眸は、溶けた硝子のように濁っていた。その視線は定まらず、まるで自らの肉体が、自我に追いつけていないかのようだった。
 男性の姿──細身の体躯。赤く血走った目と薄笑いを浮かべる口から、煙を吐き出していた。
 煙は視界妨害だけでなく、粒子を媒介に毒素を拡散させている。

 ケイト:『リク、煙の外に小さい熱源! 場違いな温度よ!』

 リクは咳き込みながらも視界を遮断された中、義眼の熱源探知で敵の位置を補足。
 煙の動きを逆手に取り、左腕で煙を断ち切るように振ると、距離を詰めて正面から拳を叩き込む。
 スモークブリンガーの腹部に打撃。黒煙が一瞬で晴れ、彼はその場に崩れ落ちた。

 ホフマン:『対象スモークブリンガー、腹部打撲と窒息反応。意識喪失、生命活動継続』

【EVA──「捕獲完了。出力低下 +5.8%|累計 6.1%」】

———

【//log.insert[“小さ……い……? なに……これ……”] 】

【EVA──「煙幕外周にて、未登録の微細熱源を一時検出──確認不能」】

 ケイト:『……後方に小さな熱源……? 子ども……?』

———

◆ Phase.3 ─ ハウラー(体質系ネクス能力者/声音破壊)

 空気が一瞬静止する。  
 胸部が異様に発達した若い女性が、肺を大きく膨らませて咆哮──空間を圧する衝撃波。
 その喉元には、膨張した血管が浮かび上がっていた。
 リクは両脚を踏みしめ、音波の衝撃を胸で吸収しつつ突撃。
 破砕波を受けながらも接近し、正確に顎を狙って掌底を叩き込む。
 咆哮が途切れ、若い女性は後方に弾かれて昏倒。
 その体は徐々に人間の姿へと戻っていく。

 ホフマン:『対象ハウラー、顎関節粉砕および咽頭部衝撃による意識低下。生命反応安定』

 【EVA──「捕獲完了。出力低下 +7.1%|累計 13.2%」】

◆ Phase.4 ─ チャント(思念系ネクス能力者/精神操作)

 白目を剥いた少年が、ぶつぶつと呟きながら現れる。
 その指先は奇怪な動きを繰り返し、精神波を放射していた。
 少年の身体は極端にやせ細っていた。皮膚は和紙のように乾き、骨の浮いた手が宙を彷徨う。指先は糸を操るように、不気味な軌跡を描いていた。

「贖え……贖え……」

 脳内に直接入り込む声──リクの義眼がそれを“撹乱コード”と即座に判定。  《ゼロポイント》起動。位相反転による衝撃波で精神干渉を遮断する。  精神波が途絶え、チャントは意識を失って崩れ落ちた。
 そのまま呻きながらも身動きはできない。

 ホフマン:『対象チャント、脳波異常パターン断絶を確認。意識喪失、深刻な後遺症なし』

【EVA──「捕獲完了。出力低下 +9.8%|累計 23.0%」】

 ケイト:『リク、後方区画の小さい人影の熱反応……いや、消えた。今のはなに……?』

【EVA──「捕獲対象4体、全機能停止。任務達成率 92%」】

 ジェフリー:『……またかよ。なんで止められなかったんだ、俺……』

【EVA──「ケイト・クロスの発言ログ」──『誰かが、あの子を見届けなきゃいけないのよ』】

 ホフマン:『旧核融合炉、臨界警告レベル2!』
 ジェフリー:『最悪のタイミングだ……リク、急ぐんだ!』

【Δ.H0-B / 臨界ログ】

 警報灯が紫に変わり、残骸の奥で爆光が弾ける。瓦礫と火の粉が落下。リクの義眼は自動遮光。
 埃が晴れたあと、崩れた梁の下に白衣が見えた。  ケイトは血に染まりながらも、まだ意識をつないでいた。

「……リク……約束……」

「……あの子を、見てあげて……」

 震える手が、彼の手にスキットルを押し返す。掌に触れたその金属は、熱を帯びていた。

──まるで、“意志”のように。

 刻印“C.C.”が赤く濡れた。

 「──それが、お前の正しさか──?」

 まるで空気そのものが“問う”ようだった。呼吸も、時間も止まったような錯覚の中で、その声はただ静かにそこに在った。姿は見えず、温度もない。だが確かに“存在”はあった。
 リクは答えず、ケイトを抱き締めた。

【EVAログ:感情変動値 1.00 記録】 【現在 / Δ.H0-C】

———

 何かが、始まってしまった。
 映像が霧散。廃棟に静寂が戻る。リクの義眼は光を弱く灯し、義手は震えを止めたまま。

 EVA──「フラッシュバック終了。感情変動値、閾値超過」

【クロス・レガシー再起動まで残り 0.8%】
【観測ログ Δ.H0、未確定因子に接触中】
【警告:ログ干渉の可能性あり。再観測を推奨】

 床の球体が、音もなく“脈動”していた。微かに低周波のような波が、床とリクの足裏を震わせる。
 波動は、ただの機械的な共鳴とは違っていた。体内のどこか──内耳でも、神経でもない“もっと深い部分”が、じわじわと騒ぎ出す。リクは無意識に眉間を押さえた。

 かつて、こういう感覚を覚えたことがある。まだ“能力”という概念さえ確立されていなかった頃、あの初期任務で。だが、今回のそれは異質だった。対象を観測しながら、自分の方が観測されているような、妙な“ねじれ”がある。
 生身の右手がスキットルを握り締める。もう一方の手が、腰のホルスターへとかすかに触れた。そこには、使われぬままのリボルバーがある。金属の感触が、掌に過去を戻す。彼女の声がまだ、どこかに残っている気がした。  「見届けて」と言ったあのとき、彼女は何を見ていたのか。どんな“未来”を、そこに託したのか。スキットルは今や、ただの遺品ではなかった。触れるたびに、問いかけが返ってくる。

(あの日、ケイトが見ていた“あの子”は──まだ、名を持たないままだ)

 誰であれ、命が危険にさらされていれば彼女は動いた。それが、どんな存在だったとしても──彼女の背を押したものは、ただそれだけだった。
 引き金に触れる指が、わずかに震えた。だが、力は入らない。答えを出すには、まだ足りない。だから彼は撃たない。まだ、ここではない。

 リクの表情は映らない。

【<REFLOG–Δ.H0> : SESSION HOLD …】
【EVA──「記録終了。次回観測を待機」】

 だが、それが本当に“次回”として訪れる保証は、どこにもなかった。
 未来は、ただ待っていてもやってこない。誰かが、選ばなければならない。
 この廃墟の静寂の中で、時だけがゆっくりと動き始めていた。

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